ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

パズル感覚の荷造りの愉しみ。

mimisemi2010-06-06

折笠愛だったよね?初期のホームアローンのケビンの声やってたの。凄いと思うんだよね。あれ。俺が勘違いしてなければね、折笠愛って良い声優じゃん?で、ケビンの吹き替えは名演だよね。「僕が荷造りぃー?」ってなことでまぁ荷造りやってるわけよ。引っ越しという名のロマンへ向けて。定住中であるアメリカを離れて日本に留学みたいな。まぁそれはともかくだな、意外と荷物が多いんだな。これが。特に本が今の地下に引っ越してきてからまぁ環境が良いというのもあってか読書量が多くなって本が増えたよね。だからもう本だけで10箱いきそうな感じで結構金かかりそうなんだよね。それに比べれば300枚ぐらいのレコードなんてたいしたことないわけよ。本は恐らくその倍以上あるから。


それはともかくね、今日ね、チケットを取りに行ったんだけどさ、まぁ二週間ぶりぐらいに街に出たのかな?久々でバスの揺れすらも新鮮だったけど、なんかやっぱ可愛い子がいると激しくニューヨークが惜しくなるね。ああいう子がいる場所を離れるのか!と思うと感慨深いものがあるよね。もう新しいセメスターで可愛い子いないかな?なんて思う事も無くなるし、街で見かけた女の子をオカズにすることもできなくなるわけだ。悲しいな。これは。非常に。前にも書いたように場所は飽きたからいいんだけど女の子がやはりねぇ・・・。


で、そういえばこっちのブックオフが移転したんだよね。45ストリートだったかな?ロックフェラースカンクとかと近い場所な感じで。そんなでも無いか?で、すげー見栄えいいのね。すんげー立派なの。ブックオフと言えないブックオフだね。こりゃ一回ニューヨークに来たら言ってみて欲しいね。紀伊国屋とかは普通の日本の本屋って感じだけどブックオフって大抵下世話な感じじゃん?コミックを立ち読みしているオタクの汗の臭いがするって意味でなんつーかアキバのソフト屋の臭いみたいなのがするじゃん?でも新しいブックオフ凄いね。店構えが立派。見た目も立派。まぁあくまで普通のブックオフと比較した時だけどね。前の場所はお世辞にも良い立地条件じゃなかったっつーか目につかないようなところにあったんだけど今回の場所は本当に良かったんじゃないかと。


で、驚いたのが品揃えね。また広告でも出したのか一ヶ月前ぐらいに来たときよりまた色々と本が増えてたけど、やっぱこれがニューヨーククオリティだよね。学術書とか哲学書みたいなのの中古本がいっぱいあるのよね。しかも高度なやつとかもね。俺の地元のブックオフとか終わってるもんな。まぁいつも書くようにブックオフの品揃えって周辺住民の民度を表すんだけどニューヨークってやっぱちゃんとした人っつーかちゃんとした大学とかに通ってる教養人みたいな人達がいるからさ、で、そういう人達が帰国の際にブックオフに売るだとかさ、まぁ帰国じゃなくてもまぁ持ってくるわけじゃん?だから自ずとまぁ本の質が良くなるんだよね。で、今回は収穫が凄かったね。いや、日本帰ってから買えばいいじゃん?ってことだけどさ、俺が行くような範囲のブックオフでああいう品揃えはまず期待できないわけ。茅ヶ崎ってバカばっかなのかな?


まぁガキとかオタクのたまり場みたいになってるもんな。それに比べてっつーと酷だかこっちのブックオフはやっぱ教養度高いのよね。まぁ商売はあくどいのは変わらないけど、なんつーか前と比べて全体的に店員の態度が良くなってる気がするっつーか、あとあの日本のブックオフみたいな変な宗教っぽい感じが無いから健全なんだよね。意外と見直したかな。こっちのブックオフに限って言えばね。


値段で言えば大体まぁ半額ぐらいか。だからまぁそんなに日本と変わらんのかな?割高なのもあるけどね。まぁ今回買った本に関してはっつーか20冊以上あるから色々今後気に入ったのだけ書いていくけどさ、まず早速読み終えたのが座右のニーチェって本ね。光文社新書のやつなんだけどこれが意外に良かったんだな。つまらないニーチェ論っつーよりかはニーチェを題材にしたエッセイっつーかなんつーか現代の日本とかへの憂いもありつつ、なんつーかこの斎藤孝って人の文章好きだな。特にさ、哲学ってのは研究するもんじゃなくて実践するもんだみたいなね、俺が常日頃から思っている哲学への考え方に親和性があるっつーかさ、かなりシンクロして読めたね。凄く良い本だね。これは。つまらない研究本なんて出してもしょうがないのよね。この辺で言えば英米系の出版物に敵わないんだから。で、日本の新書の良さってさ、いやね、英米系の出版ってこういうのがないんだよね。こんぐらいのボリュームで作者のニーチェへの思いとかも書かれつつ今の日本社会の話とかもしつつ・・・みたいな重過ぎず軽過ぎずみたいなバランスのが無いんだよね。


なんか学術的なもんばっかっつーかさ、あ、英米系の出版ね。ド真面目っつーかなんつーか中間が無いんだよね。一気にプロフェッショナルじゃないとダメみたいな。いや、かといって新書がプロフェッショナルじゃないとは言わないんだけどさ、ただ新書ってものによってはかなり良い意味でくだけたようなのってあるじゃん?ああいう感じの楽しい感じでしかも題材がニーチェみたいな本とかって無いのよね。なんでなんだろうね?あ、英米系でってことね。新書ってのはすげー良いカルチャーだね。楽しい読み物が多いっつーかなんつーか。まぁとりあえずこれは読んでみて。うんうん本当にそうだよなって思えるところが本当に多かったな。これは。


で、次は読み途中だけど恋する天才科学者って本ね。これはほぼ日刊イトイ新聞に連載とかを持ってる内田麻理香って人の本なんだけど、ざっくり内容を言うと歴史的な科学者とか数学者のイイ男を作者の独断と偏見で書くっつーものなんだけどこれが面白いんだよね。取り上げられている科学者とかの簡単なエピソード紹介とかね、変人エピソードとかが書いてあったりするんだけど文体が読みやすいっつーか新世代特有の親しみやすい文章で取っ付きにくそうなアカデミックな偉人達にフランクに接することができるっつーかなんつーかさ、俺が普段から言ってるアカデミックなものを象牙の塔に封じ込めておかないで一般に開放して楽しむっつーようなさ、そのためには漫画とかこういう面白いエッセイとか色んな形で開放できるわけなんだよね。このコンセプトが凄くいいね。


アメリカにも哲学の似たようなコンセプトのまぁ哲学者の色んなエピソードか書いてあるって本があったけどなんか真面目なんだよね。「ちょっと素敵かも」とかさ「凄いですよねぇー」みたいな書き方が英語でできないのか分からんのだけど、なんか英米系の出版ってユーモアが無いんだよねっていうかこれはもう言語の差なのかな?例えば「凄いですよねぇー」っていうニュアンスのものを英語に翻訳ってできないよね?できるのかも分からんのだけどさ、これはやっぱ俺が日本人だからなのか分からんけどやっぱこの本みたいな書き方って好きなんだよね。まぁそれで言えばウォール伝も翻訳不可能だよね。さっき書いた「分からんのだけどさ」とかもさ、「分からないのだが」との差って大アリじゃん?デカイ蟻って意味じゃなくて凄くあるってことね。


日本語で表せるユーモアとか文章の面白さってやっぱ日本独自のものなんだろうなぁーとはなんかこうやって久々に日本の本を大量買いしてみると凄く思うね。まぁ学術書じゃないっつーのもあるけどさ、でも英米系の出版でサブカル的な臭いがするアカデミックなものを扱った本とかって無いんだよね。これはひとえに日本のサブカルフレーバーのおかげなのかもしれないね。なんで英米系の本はああもお堅いんだろうな?まぁ学術的って意味でまぁすげーためにはなるけどさ、たまには楽しいのがあってもいいのにって思うんだけどねぇー。本田透喪男のやつとか名著だよね。あれは日本でしか出せない本だよね。あと日本人しか恐らく理解できない。まぁサブカル好きのガイジンなら理解できるとは思うけどね。


いつも書くように質さえ下がらなければなにやら高尚と思われてるような学問とかをサブカルとかと混ぜて俗化するとかってこれは良い俗化なんだよね。これがきっかけになって原書とかに行くステップになったりすれば最高だしさ、そういう意味でまぁいいのよね。もっともっと出ていいと思う。よいこの君主論とかああいうのも凄くいいよね。


あーもう今日は久々に外に出たから疲れたな。暑かったから疲れたよ。でさ、なんかね、夜中の3時過ぎとかになるともうモーニングバードっつーかさ、モーニングバードって何?って話だけど、まぁ朝になると鳥が鳴いたりするじゃん?場所によって鳴き声は違うんだろうけどさ、夜中の3時過ぎって早くない?まぁ夏だからね。で、この時間が凄く好きなのね。今は学校も無いからさ、夜型で生活して、んでこの夜中の最高の時間を読書で過ごすんだよね。今は凄く解放されてるよね。学校っつー無駄なもんが無いからじっくり読書ができる。気がついたのはね、学校があるときはやっぱ結構雑に読んでるんだよね。それはまぁ時間が無いというほどでもないけどまぁ学校もあるからそこまで一冊に時間をかけれられないってのもあるよね。でも今みたいな状況だとすんげーゆっくり熟読できるんだよね。で、今日書いた二冊なんてまぁ今日買ってきて片方はもう読み終えたけどじっくり味わったよね。恋する天才科学者も本当に味わってる感じ。


で、味わってると言えば実家から送ってもらったこないだも貼った高木貞治の数学の自由性って本ね。これと新式算術講義っつー本も送ってもらったんだけど表紙のデザインがすげーいいんだよね。これ。俺は本ってデザインとか紙の質感とか匂いも含めて全部好きだから電子化したとしても俺は本を買い続けるよね。やっぱ触れるってのはいいよ。凄く。ところで高木貞治ってさ、偉大な数学者であると同時に素晴らしい数学エッセイストだったんだなってのを数学の自由性を読んでて凄く感じたよね。もっと硬い感じかな?って思ってたんだけど色んなところにユーモアがあってさ、凄くいいのよね。こういうなんつーか数学に対するオピニオンを持っててしかもそれを紡ぐ言葉が上手いっていう数学者って最高だよね。なんつーか数学に独自の哲学とかオピニオンを持ってるっていう数学者ね。「ガロワは数学者にしては計算が得意だった」みたいな一節とかすげー好きなんだよね。あとは受験数学の弊害とかも昭和初期とかに述べてたっつーのはなんか早いなーっつーかさすがだなぁーっつーか。


受験数学ってのは受験のための数学で目的が受験というのがあるから数学をやる目的ができるんだけど変な目的だなそれはみたいなね、試験地獄のために数学があるような現状の嘆かわしさっつーか常に数学がそういう意味で嫌われ続けてきたんだろうなってのも本当によく分かるね。この時代の女子学生が「代数なんて考えだしたやつは死んでしまえばいいのにね」「本当にそうだわ」なんてのを言ってたっつーのを見ると昔から数学は基本的に嫌われてきたんだなってのがリアルに分かるよね。それも数学が数学のために学ばれているのではなく試験とか受験のために学ばれているからだよねっつーかホント、数学教育は改めないといけないよね。今、俺はもう実質的にスローニンだからさ、大学受験とかでやる数学とかどんなもんか?って調べてたりするけど、なんつーかコミカレ通いの俺としてはあんなの大学の受験とかでやるべきレベルじゃないんだよね。あんなややこしいのを高校生がやるってそりゃー脱落者がいっぱい出るだろうっていう。あまりに概念がややこしいから暗記しかなくなるよな。ありゃ。


理解しかできない俺としてはここは心配なところではあるよね。理解しようと思うのなんて無駄だから暗記するしかないっつーものを暗記できるとは到底思えないからね。暗記は嫌いだしできないって意味で時間をかけてでも考え尽くして理解するしかないんだろうなーとは思うよね。そういう意味で時間はかかるかもしれないよね。暗記のパターン化で数学を解くなんて数学への冒涜だと思うからさ、まぁ相手が受験数学ならそれは数学じゃなくてパターン暗記っつージャンルのものだからまぁそこまでこだわる必要はないのかもしれないけどさ、パターン化認識と言えばメダカカレッジの「数学のできる人できない人」って本も買ってきたんだけどまだ読んでないんだけど三角関数のところでさ、思わず立ち読みして笑っちゃたのがさ、「こんなもん理解しようする時点で負けである」みたいなことが書いてあったんだよね。恐らくややこし過ぎて理解なんて恐らくまぁ凡人には不可能だろうということなんだろうなとは思ったけど、まぁこれも読んだらなんか書くわ。


俺ってもっと真面目に書評とかやればいいと思うんだけどさ、細かく書くってことが無理なんだよね。ガーッ!っと頭にあることを書く事しかできなくてオーガナイズできないからなんつーかそういうのをコンスタントにやるのは無理だね。この一冊の書評をお願いしますとかって言われたら書けると思うけどウォール伝では無理だな。で、メダカカレッジなんだけどさ、漫画でわかる微分積分って本も持ってるんだけど、メガカカレッジの標語がね、引用するのが面倒だから大体で書くけど、つまりは難しい概念とかを分かりやすく説明できてないのは伝える側が理解してないからだっつーさ、で、メダカカレッジはわかりやすさを徹底的に目指すみたいなね、まぁこれってシリーズでね、著者は個々によって違うんだけどね、まぁコンセプトは一貫してるみたいでまぁ凄くいいのよね。後で貼っておくね。立ち読みでチャート式とかさ、まぁ一応スローニンだから受験数学もやらなきゃとか思って色々立ち読みしたんだけど、どれもこれもとても知的刺激を誘発させるようなものが無くてさ、結局買う気がしないんだよね。楽しい何々とか分かりやすい何々とかっていうタイトルで出してるくせに数式の説明しか書いてないみたいな。


で、すげー説明が大雑把で分からないんだよね。でもメダカカレッジとかのやつだとさ、特に微積分のやつとかさってまぁこれしかまだ読んでないんだけど、漫画っつーよりかは図解がしてあるんだよね。リミットの概念を「俺はビールは10杯まで飲める」みたいなさ、つまりは卑近な概念で説明してたりして、つまりはこれって前に書いた概念の対応関係ってことだよね。


高度な数学になると数学でしか数学を説明できなくなると思うけど、基礎的なものだと卑近な事柄に例えたり置き換えは可能なんだよね。つまりは数学の概念ってのを別の同じ概念に対応させるってことね。で、人間ってのは当然生活してるわけだから生活に根ざした何かっていう概念は大抵の場合理解できるわけで、つまりはその置き換えさえ可能であれば数学も理解可能ってことになるんだよね。でもそれってまぁメダカカレッジの標語にもあるように伝える側が徹底的に理解してないとできない芸当なわけでさ、難しい概念をやさしく説明する高度さってのがつまりは著者のインテリジェンスを表す指標になるわけだよね。難しい概念を難しいまま説明するのは誰にでもできるけど、難しい概念をやさしく説明することができる人ってのは本当にそれについて理解してるとかね、つまりはその人は頭が良いってことになるのはそういうことね。


高次な概念を卑近な概念に入れ替えできるというのはある意味でまぁデコンストラクションからのリコンストラクションなわけでやってることが高度なんだよね。見た目にはそうは見えないんだけどさ、ましてや漫画とかで説明されてると凄いようには見えないんだけど何気に凄いのよ。万人に理解できるものを書くなんてのは本当に高度なことの最たるもんなわけ。前にさ、ここに書き込みをしてくれた人が俺がね、まぁ割と学術的な概念とか高度な概念について語ってても噛み砕いて説明しているから分かりやすいみたいなことを書いてくれたことがあったんだけどこの時は死ぬほど嬉しかったね。つまりはそれって「凄く奥深い哲学を展開していますね」みたいなことを言われるよりも一番嬉しいことなんだよね。分かりやすいとか明快であるって言われることは最上級の褒め言葉だよね。


特に最近はそれを意識してるからなるべくジャーゴンとか使わないようにしてるんだよね。必要がないものは全て日常的な言葉で説明するっていうかさ、置き換えが不可能でそれでしか説明できないものに関しては仏教用語とか哲学用語を使うしかないけど、そういう必要がないものに関してはなるべく小学生レベルとか中学生レベルぐらいの語彙で書く事にしてるんだよね。まぁ意識的にはやってないけど、難しい言葉を使って何かを書くということが凄くダサイことだってことに気がついたからさ、そういう文章は書きたくないからってのはあるよね。ウォール伝は結局オナニーだけど難しい言葉とか使って何かを書いてたりしたらオナニーに拍車がかかるもんね。だったら俺のオナニーでも誰にでも読めるオナニーにしたいってのはあるよね。結局の所レベルが高いってそういうことだよね。


苫米地さんが凄いなと思うのはここなんだよね。誰にでも読めるような自己啓発系の本を書いてるけどっつーかまぁ同じようなの出し過ぎだけど、苫米地さんの過去の研究とかを見てみるとまぁ当然ながら今やってる苫米地メソッドって過去に苫米地さんがやってきた研究とかがベースになってるわけでさ、学術論文にすれば難しくなるけど、でも概念を使いこなしてるからつまりは置き換えをしてるんだよね。分かりやすい図で説明したり卑近な例で説明したり、だからまぁ本自体は難解っていうイメージは無いんだけど、んでもやってることは高度なんだよね。だから凄いなと思うわけ。結局これって著者が本当にその概念を理解して自家薬籠中のものとしてるなってのが凄く分かるでしょ?まぁ明らかに分からなくてもつまりはそういうことなわけだ。


で、俺の勝手な主観だけど2000年以降そういうことに自覚的な人達が出てきて日本のパブリケーションでそういうのが増えた気がするね。「難解なものをわかりやすく」ってのが増えたと思う。そういう意味でソーカル事件は大きなエポックだったのかしら?難解だとダサイっつーか著者がバカっぽく見えるっていう風潮は凄くいいよね。著者のオナニーだってのが自明になったのはなんていうか裸の王様的っていうかなんていうか。俺もなんかあれだな、哲学にしても数学にしても政治学にしてもマスターしたら小学生でも分かるような解説本とか書いてみたいなって思うよね。マスターした結果として蓄積された知識とか理解というものを徹底的に低次元なものに置き換えてみるっていう実験をしてみたいよね。そこで劣化が起こらなければそれは優れた圧縮メソッドみたいなもんでつまりはmp3みたいな技術と一緒なんだよね。まぁmp3が圧縮技術として優れているかはともかくとしてほぼ劣化無しに圧縮できるって凄いことでしょ?


そりゃー何メガとか使えば大量の情報を入れることはできるけど、メガ単位でギガ単位と見比べても見劣りしないって凄いことだよね。ありえない話だけどキロ単位でギガ単位ぐらいの情報が扱えれば凄いわけだ。それこそファミコンのカセットぐらいの容量でプレステ3のゲームができるみたいなね、これは凄いことだよね。ファミコンカセット自体の物理的価値っつーかその凄さって全然凄くないじゃん?ショボいよね?でもその中に高度に圧縮されたデータが詰まってたらその技術は凄いわけだ。分かりやすく伝えるってつまりはこういうことだよね。圧縮という概念が正しいかは分からないけど、でもまぁ比喩的にはまぁオッケーなんじゃないかと。見た目ファミコンだけど中身凄いよってことだよね。つまりは。


それにしてもさ、さっき書いたっけ?夜中いいんだよね。いや、書いた気がするな。まぁまた書くか。いやね、学校とか行く必要がないからさ、夜型の生活ができるじゃん?で、夜中の3時ぐらいになるともう鳥の声がするっていう。この時間の神聖さって凄いよね。深夜って本当に聖なる時間だと思うね。この時間にやる読書ってのは一番読書効率がいいんだよね。日中に1時間読むのと夜中に1時間読むのとでは全然質が違う。これが惜しいなって思うよね。今みたいなロンバケっつーかさ、学校が無い時って完全に自由だから深夜の読書が楽しみになるんだよね。まぁ深夜じゃなくても夜でもいいんだけどなぜか夜じゃないと集中できないんだよね。


外が明るいと全然集中できない。だから日中とかはダラダラしちゃうよね。日中ダラダラと言えばさ、荷造りが楽しいってさっき書いたっけ?一個の段ボールにつき25キロまでっつー制約があるからさ、ただやたらめったらものを詰め込めばいいってわけじゃなくて重さとか考えながら入れていかなきゃいけないんだけどこれがパズル感覚で楽しいんだよね。本が大量だからさ、例えば本なら本で本だけつめるわけにもいかないわけよ。重量オーバーするから。だから軽いものと一緒にいれるとかさ、大体の箱の重さを平均的にするっていうこのゲーム感覚が面白いんだよね。重量が無制限だったらこういう感覚は生まれないのよ。重量に限りがあるからこそいかに重いものを分散させるか?とかさ、色んなコンビネーションによって箱を十分に満たしつつ重さもまぁまぁっていうのを作り上げるプロセスだよね。これを俺の手持ちの荷物という素材の中でパックしていくというのが凄く楽しいんだよね。これって前の引っ越しのときも書いた気がするな。


まぁあと体重計とかで計れたらまぁいいんだけど持ってないからね、まぁ大家さんに借りるつもりではあるけどこれは最終段階でなんだよね。オーバーしてないか?っていうのをチェックするための。で、その前はとりあえず仮の荷造りとしてとりあえずどんなもんか?ってのを認識するために詰めるんだよね。で、重量とか基準が俺がなんとか持ち上げることができるか?みたいな感じでさ、アバウトなんだがでも面白いんだよね。重さを分散させるというのが凄く面白い。あと当然重くないものでも大量に詰めれば重くなるじゃん?その意外な重さを感じるとかも面白いんだよね。個々の単位ではたいしたことないのにまとまるとここまで重いのか!っていう。で、これを寝起きにやることを習慣にしてるのね。寝起きってボーッっとしてるじゃん?で、ボーっっとしながら箱作りをしたりさ、詰めたりしてるとまぁつまりは起床後の運動だよね。俺って低血圧なんだけどどんどん体温が高くなっていくじゃん?で、その結果、意識がはっきりしてくるんだよね。お腹も空いてくる。引っ越しっつープロセスを生活の中に組み込んで楽しむってことだよね。つまりは。あとなんかさ、朝のトレーニングが重要って分かる気がするな。血流を良くするって意味で起床後の運動は凄くいいかもしれんね。


箱詰め本当に楽しいな。あと結構抽象的だよね。まだ何も成されてない状態でさ、何があったかな?ってのを頭の中で想像してビジュアライズしてそれを頭の中で組み合わせたり詰めたりして重量とか必要な箱の個数とかを大体見積もるっていうさ、頭の中でパズルやる感じだよね。だから意外と効率いいんだよね。俺。「こんな感じでいくかな?」ってのを想定し終わってから箱詰めするから大抵あってるっつーかさ、オッケーなんだよね。で、それが具現化したときの喜びだよね。上手く良い感じでパッキングできたなっていう。重さとかも申し分無かったりすると最高だよね。これってまぁ抽象からの具体化だよね。数学とか哲学のプロセスに似てると思う。


定式化とか具現化ってのがまぁつまりは箱詰めでブレインストーミングっつーのがつまりは抽象的に考えてるっていう段階だよね。で、それが完成されると嬉しいってのはまぁ思考が具現化する喜びと似てるんじゃないかな?って思うよね。思い通りにいく気持ち良さっていうかなんていうか。あとは部屋の大きさが限られてるからさ、とりあえず仮パッキングしたものをどこに置くか?ってのもパズル感覚だよね。ゲームの倉庫番的な感じっつーかなんつーか。で、場所を作って上手い事それが収まったときの嬉しさってこれまたあるんだよね。その収まり方が綺麗だったりすると妙な嬉しさがあるっていうかなんていうか。


まぁそんな感じだわ。あと引っ越しとは関係無いけどさ、こないだルディとやってほぼ惨敗だったスト3をたまにやってたりするんだけど闘劇とかでもいまだにプレイされたりする理由が分かるよね。これってすげー上級者向けっていうかさ、例えば鉄拳とか他のゲームとかだとさ、やれることが限られるじゃん?テクニックにも限度があるみたいな。それでもまぁ上級者は強いんだけどスト3の3rdってさ、もうほぼ不可能っていうレベルのプレイがあるんだよね。コマンドとかどうやってんの?ってぐらいのレベルのものがあるっていうかさ、そういうのを普通に出すっていうプレイヤーがいるって意味で上級の上の部分の上限が限りなく高いっつーのかな?普通のゲームで言えば10段階ぐらいで分けられるレベルが3rdの場合20ぐらいあるっつーかなんつーか。


だから初心者とかが上級者に立ち向かう事ができるってことが皆無なんだよね。そんぐらい上級者が強いゲームっつーかさ、凄いゲームデザインだなって思うよね。だからこそアーケードで出てから10年以上経ってもまだプレイされ続けるんだろうな。これって凄いよね。本当に。いかにゲームってのがグラフィックとかではなくシステムに依存してるかってのが分かるよね。つまりはシステムっつーかデザインが良いゲームが良いゲームなんだってことだよね。だから根本がクソだとどんだけグラフィックを良くしようが関係無いわけよね。SFCRPGに名作が多いのもそういうことだよね。


でさ、特にゼロとかになってから波動拳系とかガイル系のキャラに興味が無くなったんだよね。スト2と言えばリュウケンガイルだと思うけどそれ以降ってのはむしろ独自の変な動きを持ってるキャラのほうが面白かったりするんだよね。あとはまぁ波動拳系のキャラに飽きたってのもあるよね。だから奇抜なキャラを使いこなすってのに面白さを感じるっつーかなんつーか。で、その最たるもんが3rdのQだよね。元々まぁ俺はそのね、波動拳系のキャラに飽きてからザンギっつーか投げキャラに目覚めてさ、前にも書いたようにKOFとかだとバキュームさんことクラークとか大門を使いこなすことに喜びを感じてたんだけど、Qってまた違う良さっていうかさ、龍虎の拳のジャックみたいな感じだよね。大振り過ぎて隙がありすぎるんだけど一撃がデカいみたいな。でも使いこなすとかっこいいし味わいがあるんだよね。で、Qが奥深いのはさ、まずQ独自の戦法だよね。


3rdというよりかはQってだけで独自の世界観があるっつーかさ、スペシャルムーブだったかあの挑発コマンドみたいなのあるじゃん?あれによってQの場合防御力が上がるんだけど上限の3回までやるとすげー防御力があがるんだよね。豪鬼とかケンとかチュンリーみたいにガンガン攻めができない分、チャンスを見計らって捕獲から技を繋げると一気に相手の体力を減らせるって意味でこの一撃の威力って意味でザンギとかヒューゴみたいな投げキャラより味があるんだよね。Q使っちゃうと他のチマチマした連続技で削るみたいなキャラとかどうでもよくなるよね。あまりにつまらないっつーかなんつーか。あと連続技系って定形のコンボってのが決まってるからさ、特にユンとか誰が使おうが同じじゃん?ああいうのマジでつまらないよね。


で、これは3rdの面白さでもあるんだけどプレイヤーの独自の動きってのがすげープレイヤーに依存するじゃん?すげープレイヤーのキャラクターがでるっつーかなんつーか。こくじんのダドリーとかあと名前忘れたけどQ使いの有名な2人いるじゃん?あとあのダルシム系のやつとかも一流の使い手になると独自の動きが出てくるって意味でなんかキャラが生きてるんだよね。ゲームのキャラが動いてるっつーよりかはプレイヤーが動かしてるってのが本当によく出るゲームっていうかなんていうか。だから面白いんだろうね。Qは本当にいいよな。あの謎な感じも凄くいいよね。結局誰なのか分からないっていう。江戸川乱歩とかに出てきそうな感じだよね。あとあの昭和な感じが石ノ森章太郎ロボット刑事を連想させるっていう。


いや、萌え系とかさ、美少女とか美少年とか美形キャラが全盛期の今の時代にね、まぁ3rdはもう今とは言えないけど、そういうところにあえて昭和系のキャラを出してくるって効果的だと思うね。KOFって完全にそういう意味でもう日本のオタクカルチャーそのものじゃん?まぁでもクラークがいれば問題ないけどね。まこととかもすげー貴重なキャラクターだよね。3rdってレミー以外みんな濃いよね。だからこそ海外でも人気があるんだろう。あまりにKOFみたいに日本のサブカル臭が強過ぎると逆にファンがいなくなるっていうのはあるよね。キャラをオタク化し過ぎないってのは重要なことだと思うね。


弱キャラを使いこなすってでも思えば昔からかっこいいことではあったよね。スト2で言えばザンギって弱キャラじゃん?飛び道具に対処できなさ過ぎっていうか。そういう意味でダルシムとかもそうだけどさ、でも使いこなす人とかってかっこいいんだよね。リュウケンガイルなら腐るほどいるけどザンギとかダルシムはあんまりいないじゃん?だからいいのよね。キャラ負けしてるのを飛び越えて勝つとかって格ゲーの最高のロマンだよね。こないだのルディとの対戦をきっかけになんか格ゲーの良さみたいなのを再認識したねってまぁ別に普段は対戦する機会なんて無いんだけどね。でも格ゲーって一キャラぐらいは「これなら負けない!」みたいなやつがいるといいよね。なんで?って言われるとまぁこれといった答えは無いんだけども。面白さを見いだすとか味をしめるってダンディズムってことだと思うんだよね。かっこよさって意味じゃなくて独自のこだわりってことね。これはまぁ格ゲーに限らずまぁそういうのってあると楽しいよね。


3rdをやるにしても3rdをやるっつーよりかはQを使うためにやるみたいなね、KOFにしてもクラークを使うためだけにやるみたいな。このこだわりだよね。誰でも使えば強いキャラほどつまらないものはないよね。使いこなせないやつが使っても最高に弱いってキャラを使いこなすってのが面白いわけだ。そういう意味で得にQって凄いポテンシャルだよね。一撃必殺みたいなところがあってなおかつ適当に攻撃して当たれば一撃必殺とかじゃなくてテクニカルなコンボとか決めて一撃必殺だから味があるんだよね。キャンセル可能な通常攻撃も近距離での中キックしかないとかっていいよなぁー。最高の味わいだよな。必殺技の名前とかも最高だよね。CIAが観察によってつけた仮の名前みたいな。あれってすげーインベンションだと思うよ。あんなキャラいなかったわけだから。スト4に出てないのが残念だね。まぁスト4ってやったことないんだけどね。なんかでもさ、同じような絵の2Dのインターフェースで続編出してほしいよね。3Dもいいけどやっぱ2Dの格ゲーが一番面白いよね。あとメーカーっつーかゲームデザイナーはさ、俺みたいなゲームファンは結構な数で固定でいるってのは知っておいたほうがいいよね。時代の風潮で萌え系とか美形に偏るのではなくQとかクラークみたいなやつが大好きだってやつがいるってのは絶対知っておいたほうがいいよね。だからまぁ同居してるのがいいんだよね。絵に書いたようなアキバ系キャラとか美形のキャラと「誰が使うの?」みたいなむさ苦しいキャラとかQみたいな意味が分からない通好みなキャラとかね、そういうバリエーションを保っておけばファンの総数って増えるよね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。





↑久々に見つけた心から大好きだと言える本がこれだね。「好きな本は?」って言われたときに音楽と同じで多過ぎるから言えないけど、この本は好きさ加減が飛び抜けてるね。