「思想なんかいらない生活」について。

mimisemi2010-06-08

漢字がダメなプレゆとり世代っつーか人口的ゆとりだからね。俺。学力がなさ過ぎるから基礎教養はつけなきゃとか思ってるんだけど、読めないんだよね。漢字。だから本とかを紹介するのでもさ、作者の名前が読めないからさ、当て字っつーか音読みだか訓読みだか忘れたけど断片的に文字を出してそれでくっつける感じになるわけじゃない?まぁググれば出てくるんだろうけど面倒だからやらないのね。で、紹介っつーか面白いなーって思った本があるんで書くけどねっつーのが「思想なんていらない生活」って本なんだけどね、まぁせめてでも今後はタイトルにカッコぐらいはつけるようにしよっと。すげー挑発的なタイトルじゃん?


で、中身はっつーと一言で言えないんだけどまぁつまりはアンチインテレクチュアリズムだね。色んな知識人を出してきては批判したりボロクソ書いてるんだけど、買いかぶり過ぎかもしれないけど、つまりは著者の方法論なんだよね。ロジカルに批判とかしてもつまらんからある意味で下世話なチャネラー的な批判っつーかさ、チャネラーって2ちゃんやる人のことだけど、つまりは身体的特徴とかさ、ハゲとかデブとかさ、そういうところまで書くわけよ。ただなんで書いてるか?ってそれは本を面白くするためなんだよねっつーのは著者が過去に思想とかに没頭してた人だからさ、ただふつーに書かれてる本のつまらなさってのを痛感してきてるんだよね。だからパンピーの立場にたって「だからどうした?」っつーようなさ、サウンドアート系に対する批判みたいな感じなんだよね。


これは何々を表しているもので何々の物理現象を利用した一種のインスタレーション作品となっていますが、音楽作品としてパッケージングするにあたって・・・・云々みたいな戯れ言っつーか戯言あるじゃん?コンセプチュアル過ぎる音楽ね。で、実際聞いてみると「ブーン」しかいってないみたいな。俺がサウンドアート系とか実験音楽系が嫌いになったのってこの今言及してる本の著者のなんつーか没頭してた時期があったからこその批判っつーか嫌いな感じっつーの?言葉忘れたけど近いからこそ憎しみが湧くみたいなさ、そういう言葉あるじゃん?それなんだよね。


難しい本とかも色々読んできたけど、結局なんかさっぱり分からなかったみたいなカミングアウトっつーかさ、それで何が悪い?だって難しい本の大半なんて意味無いものばかりじゃないか!みたいなある種の開き直りがあるんだけど、んでもそれをいっちゃーおしめぇーよ的な破壊的なエンタメ性があるんだよね。偉い偉いとかって言われてるけど別にやってることは小難しい概念をこねくり回してるだけじゃねぇーかって。最近の元相方とのやりとりでもあったんだけど文学批評とかのつまらなさだよね。意味の無さっつーかデリダとかラカンとか出してきて概念の応用とか対応をさせてずーっと永遠と述べるみたいなさ、「で?」っていうことなんだよね。あ、んで著者の名前は「せここうじ」ね。ことえりだから変換でないから面倒なんでまぁひらがなで。


いや、悪く言っちゃえば下品なところもあるんだけど、その下品さがエンタメとして成り立ってるからいいんだよね。あと認める所は認めてるんだよね。それは著者がやはり思想とかに精通してて読んでた経験があるし、もちろんこの著書を書き上げる上で読んだりした本とかもあるからつまりは読まないで批判とか分からないからとりあえず批判っつー類の本じゃないんだよね。ちゃんと読んで批判してるっていう。俺も特に分かりづらい文章を書くポストモダンの落とし子みたいな柄谷とか蓮實が大嫌いだから共感するところも多かったよねってまだ読み途中だけど。揚げ足取りとかも多いんだけどまぁ全体を見れば許せるレベルっていうかさ、「そんな批判おかしいし失礼だよ」ってところはいっぱいあるんだけど、んでもなんかそれをあえて突っ込んでやってる感じっつーかさ、あとは著者が思想界とかで活躍してる人じゃないから在野っつーかアカデミアの外から悪口書きまくっても全く問題ないっていうさ、コネとか学派とか気にする必要ないから書きたい放題ってのを徹底的にやり尽くしてる感じがするんだよね。下品だけど痛快なんだよね。


下品になりきってないのはやっぱりちゃんと読んでて批判してたり言えてるところがあったりするからだよね。ソーカル的なエッセンスもあるね。もっと分かりやすく言えばいいのになんでこんな分かりづらい言葉使うんだろう?っていう批判ね。ソーカルの場合もっとソフィスティケートされてるけどね。でもソーカルみたいな本はもうあるわけだし、ああいうのの日本版みたいなのをやってもつまらんだろうし、槍玉に挙げられるのがソーカルが批判した連中と比べて明らかに見劣りするような人達ばっかだから対してエポックでもないし、だからまぁこういう方法論をとったのは正解だったのかな?っていうさ、あとはやっぱ思想に思い入れはあるよねっつー著者の愛憎みたいなのは感じられるよね。あとやっぱ評価できるのが大衆批判ね。


え?って思われるかもしれないけどここまでの大衆批判の本は読んだ事無いね。つまりはね、簡単に書いちゃえばインテリとかがね、国民はもっと政治に感心を持つべきであるとかね、天皇の戦争責任がどうだとかこうだとかね、でも大衆はそんなこと考えてないのに知識人はなんでそれで大衆を批判するんだ?ってことを批判してるんだけどこれって知識人の大衆批判よりもっと大衆批判だよね。そもそもそんなことあいつらは考えないんだから「市民たるもの・・・」とかいってもしょーがねぇーだろっつーことを言ってるんだよね。お前らはアカデミアで育ってきてその場所しか知らないから世間知らずなんだろうけど大衆なんて何も考えてないよっていう。オピニオンがあってもメディアとかのコピペとかただの印象だよみたいなことを書いててさ、思わず笑っちゃったよね。そういう切り口で批判するか!っていう。なるほどねぇーって感じだよね。実際そうだもんね。だから俺は民主主義が大嫌いなんだけどね。でもまぁチャーチルだったかが言ってたように民主主義って最悪だけど他の統治形体でロクなのがないから一番マシなのが民主主義だってことなんだよね。そういう消極的な理由から民主主義を取るしか無いっていう。


俺もやっぱ特に著者に共感できるのがさ、小難しい概念とかをこねくりまわしてて著書があるからっつってなんで先生とかって呼ばれて偉くなるの?ってことだよね。実際はなんの役にも立たないようなことやってるわけでさ、それでなんで社会的に偉くなるのかがさっぱり分からないってことだよね。特に有名大学教授とかになってる知識人の俗ものっぷりを暴露してたりしてね、あ、この本でね、そういうのも面白いね。まぁリテラルに完全に信じるかはともかくとしてまぁ知識人って大体そんなもんでしょ?っていう。なぜか学問をやると偉いみたいな風潮があるからそういう慣習に則って偉くなった気になってるだけなんであって別に何にも有用なこととかやってないわけだから偉くもなんともないでしょ?っていう。


だから俺ハーディー好きなんだけどね。俺がやってることは全然何の役にも立たないって言い切ってるっつーかさ、まぁ結局その後でまぁ素数とかが暗号に使われたりさ、アインシュタインのアレが原爆に使われたりしてまぁ状況は変わるんだけど、まぁつまりはハーディーの態度が好きなんだよね。俺は。「意味ないですよね。それって」「うん。そうだけど」みたいな。それをむしろ誇ってるみたいなね、誇るようなもんでもないんだけど、んでもまぁ学問って基本的にそういうもんでしょ?っていう。まぁプラクティカルなものは別としてね。生物学とか社会学とかはね。まぁ社会学は微妙か。


そんな偉くもなんともないようなもんで偉くなったように錯覚して偉そうな口叩いてる知識人って結局バカじゃねぇーの?ってことだと思うんだけど、まぁそれは言えてるよね。だから俺はアカデミアが大嫌いなんだよね。そういうやつらが多いんじゃバカが多いってことじゃん?そんな俗物ばっかがいるようなところに行きたくないよね。まぁ行くか行かないかはともかくとしてっつーかアクセプトされないだろうけど俺のアカデミア嫌いはいつも書いてるからいいか。まぁ凄く著者とシンクロするところはあったよね。ただまぁ一般の読者から言えば全然知らない人達ばっかなんだろうけどね。有名な知識人とかじゃなくてその界隈のことに首突っ込んでないと知らないような連中が批判されてるから素人にはさっぱり分からないんだよね。まぁ何回も書くようだけど下品ではあるよ。著者の品格を疑うようなところがいっぱいあるんだけど、んでもまぁそれは俺は肯定的に方法論的な下品さなんだなと思ってるわけね。たしか序文にもあったと思うけど普通に書いてもつまらんからちょっと過激にやりすぎなぐらいに書いてみましたみたいなさ、まぁつまりは著者が下品ってことじゃなくてあくまでそれは方法論なんだよってことだよね。


「俺は分からん」みたいなのもある意味で自虐ネタでもあるじゃん?ユーモアだらけなんだよね。まぁ肌が合わない人には最悪の本だと思うけどね。でもまぁこれは俺も常々思うことだけど思想なんて崇高なもんでもなんでもないよ。別に価値なんてない。あるとすればそれは個々が見いだす主観的な価値だよね。それをあたかも普遍的な価値のように言う知識人達が気に食わないっつーのもすげー分かるな。いや、数学も一緒っていつも書いてるよね。だから俺にとって数学も哲学もジャンルが違うだけでなんつーか形としては一緒なんだよね。まぁ応用数学とかもあるから数学とかはまた違うんだけどさ。役に立つこともあるからね。


ただ思想が傲慢なのは思想家とかが啓蒙しようとしたりするじゃん?もしくは思想を知らないってことを無知だと看做して批判するみたいなさ、でも数学の場合無いよね。数学を知らなくたって別に生活できるわけで。方程式を解く機会なんて日常生活に無いのと同じで思想が生活に役立つ事なんて無いわけ。ほとんどね。まぁ俺の場合違うけどね。思想が無いと生きていけないけどんでもそれは主観的な価値観なんであって客観的じゃない。だからあなたも思想に没頭しなさいなんて思わないよね。見いだせればやれば?ってなぐらいなわけで。これがつまりはボトムラインだよね。このベースがしっかりしてるからちょっとぐらいのお遊びとか下品なやり方とかも目を瞑れるっつーのかな?だから評価できるのね。全くその通りですよねってことなんだよね。いや、でも俺は知識人っつってもサイード的な知識人にはなりたいと思うよ。でも絶対俗っぽい知識人にはなりたくない。だからまぁ一口に「知識人」と言っても色々あるからまぁ一言では言い尽くせないところっていっぱいあるんだけどね。


あとまぁ竹田青嗣とかっつーかまぁ槍玉に挙げられてる人全てが本当にダメか?っていうとまぁそうじゃないわけでってまぁ主観だけどね、竹田青嗣なんかは俺は勝手に哲学界の良心だと思ってるから全然批判したいとは思わないんだけどっつーか別にそういう意味で著者の批判に同意する必要はないんだよね。その人が成したことに比べれば細かい事なんてどうでもいいっつーぐらいの人もいるわけで。で、まぁ認めてるんだよね。竹田青嗣の哲学入門書は分かりやすいとかね、ちゃんと褒めるところは褒めてるからだからまぁいいんだよね。でもなんか著者が言いたいさ、個々の誰々っつーよりかは知識人批判みたいなのに対する大意は本当に掴めるのよね。それには全面的にそうだよねぇーって思うところもあるわけで。全部が全部じゃないけど。でもデタラメばっかじゃないから読めるんだよね。


「オイオイ、そりゃないぜ」みたいなところは結構あるけど。「ボケナス」とか「お前はバカか」とかさ、そういう言い方が2ちゃんレベルなんだけど、まぁつまりはしつこいようだけどまぁこれは方法論的罵声なのよね。面白くするための罵声っつーか。だから上品な批判とかもできるんだろうけどそれじゃーつまらなくなるからっつーんでまぁエンタメ性を保つための下品さなんだよね。それはある意味で著者が大衆の事を知り尽くしてるんで大衆が嬉しがるようなものを書いてるとまぁメタ的に言えなくもない。そこまで計算して書いてるのかもなとは思うよね。まともに書いても売れないしつまらないだろうから下品な言葉とか批判も織り交ぜて大衆が買うような本を作ろうみたいな。賛否両論になるのは目に見えてるけどまぁつまりはそれって話題になるってことでいいんじゃないか?っていうなんか計算が見えるよね。明らかではないけどそんな感じはするかな。だからまぁたいしたもんだなぁーって思うのね。読んでて。


2ちゃんレベルの罵声をアイコン的に使って根本の批判のロジックとしては整合性はなんとか保たれているっていうレベルのものが多いんだよね。でも別に「ボケナス」って言わなくてもいいでしょーってことなんだけど、そこはまぁエンタメ性としてやってるっつーかなんていうか。まぁ批判のロジックが破綻してたり全然同意できないところも多いけどそれはまぁちまい細部のことじゃん?孫さんがスピーチで使ってた「ちまい」って言葉すっかり俺のボキャブラリーになってるな。


本って大意だよね。完璧なんて求めないほうがいい。そんなの無いよ。完璧だ!って思えるのなんて主観的な価値観だけなんだから。まぁ本って大意だよねって言い過ぎか。でもまぁすげー俺はこの本はコンセプチュアルだなって思うわけね。知識人批判とか哲学批判とか思想批判なのを痛快にエンタメとして方法論的に展開してるっつーかなんつーか。レベルの低い感じに見える罵詈雑言とは反比例するような事細かな引用とか見てるとすげーしっかり書いてるなってのが分かるんだよね。だからすげーなって思うのね。スタイルとか知的なイメージとして思想なるものに憧れを抱いちゃってるような若者はこれを読むべき!ってまぁこれは自戒もあるなぁー。この本の著者もそうだったんだろうけど一時は憧れてたんだよね。で、どっぷり浸かってたっていう。


で、色々とやってみたらスカスカっつーかさ、いや、思想自体がくだらないっつーんじゃなくてなんか現状の学会とかインテリのあり方があまりにダメ過ぎるってのが分かっちゃって足を洗ったみたいなさ、まぁ自分では好きなのを読むけど「シーン」みたいなのには興味無いってことだよね。スカスカなものもなぜか評価されていたりする矛盾だよね。まぁ特に今後は別にそんなインテリっぽい口調とか文体とか別に評価されねぇーよってことだよね。ソーカル以降の流れなのかまぁ衒学的なものはダサイっていう風潮はいいと思うね。ニュースクールの教授のサイモンクリッチリーとかポストモダンな感じを地でやっててすげーバカだなって思うんだけどね。あいつは本当にろくでもないやつだなと。絶対この本の著者もサイモンの本を読んだら嫌気が指すに違いない。嫌みな分かりづらさってのを俺も経験してるからだからまぁ著者に共感できるところが多いのかな?


で、そういう難解なものを理解できない自分が馬鹿なんじゃないか?って思っちゃったりするっていうさ、そういう弊害もあるよね。それは俺が馬鹿なんじゃなくて書いてるほうがバカなんだってことなんだけどね。まぁエクリチュールのコペ転だよね。これは。チョムスキーネグリの帝国を読んで「読み辛くて読み終わるのに非常に苦労をしました」ってのを言ってたのを読んで「あ、俺は馬鹿ではないんだ」って安心したことがあったよね。やっぱありゃ単純に分かりづらいだけなんじゃないかっていう。まぁマルチチュードとかでだいぶマシになってるけどね。でもまぁネグリはどの道ポストモダン系の輩と一緒で読み辛くて労力を必要とする割に得られるものが少ないってことでまぁコミットする価値無いんだよね。まぁ人としては大好きなんだけどね。ネグリのインタビューとか大好きなんだけどね。



俺はポストモダンとか散々批判してるけどでも興味あるから読んでるし本も持ってたりするんだよね。思想的にクソだけどんでもまぁ面白いからいっかーみたいな、まぁそういうレベルだよね。実を言えば最近はボロクソ書いてるデリダとかドゥルーズとか嫌いじゃないからね。実はランシエールとかもどちらかと言えば好きだからね。それで言えばボードリヤールだって好きだよ。まぁボードリヤールは比較的分かりやすいけどね。ラカンは実は大好きだし。でもそれと彼らの思想を評価するってのは全然違う事だよね。それで言えばネグリだって好きだからね。難解で理解するのが大変だけど。前にも書いたけどシリアスに思想として研究する価値があるのは少ないってことだよね。あ、フランス近代思想ってことで言えばね、まぁそれがまぁ個人的に言えばアルチュセールフーコーとかかな?って思うんだけど。あとブルデューか。ブルデューは実は全然読んでなくてあんま分からないんだけどね。ブルデューは思想って言っていいか分からんけど。


いや、俺も本当に気をつけないとな。もっと色々と読んで物知りになったところで自分が「偉い」なんて絶対思っちゃいけないわけだ。そんな風になったら俗っぽい知識人になっちゃうわけで。でも俺はそうならない!とは言い切れないんだよね。それは俺もやっぱ学問に何かを感じてるしさ、やっぱ物知りであるってことは凄い!って思うからね、だからそれが傲慢に繋がるんじゃないか?っていう可能性は捨てきれないんだけど、そこはやっぱ仏教だよね。仏教って言っていいのか分からんけど、まぁ俺はあくまで考える葦でいたいんだよね。大木になって偉そうに構える先生には絶対なりたくない。まぁなりたくてもなれないだろうけど。


考える葦なら関係無いじゃん?その葦が考えてようが物知りだろうが他の葦とか自然にとってそれは何の関わりもなければ価値も無いわけで。それでいいんだよね。そんな感じで俺は永遠と好きな事をやっていたいわけだね。だからアカデミアとかに興味が無くなるのは当然なわけで。そういう意味でなんつーかアカデミアで言えば数学業界って全然マシだよね。腐りきった思想とか政治系とかよりすげーピュアな感じがするっつーか。まぁ美化し過ぎかもしれないけどね。まぁ実際、ペレルマンとか数学業界に嫌気が指して数学辞めたわけで。でもまぁ思想とかよりかはマシな気がするんだけどどうなんだろう?ワイルズの笑顔とか見てるとそれを感じるのよね。あとは加藤和也とかね。本当に純粋数学だなって感じがするのね。やってる本人達が純粋だから純粋な数学をやれるっていうか一流でやってる人達が指標になってるんだよね。憧れることができるフィールドっていうか。まぁこれまたロマン主義だけどね。でもなんで思想系ってあんなドロドロしてんのかな?ってのは感じるよね。


まぁ数学もドロドロしてんだろうな。実際自殺者とか多いし。その原因がアカハラなのかなんなのかさ、本人の挫折とかならまだしもペレルマン的な業界エレジー?って思わせるようなものもあったりするわけでしょ?だからまぁ俺が望むような場所ってイデアにしか無いんだよね。だからまぁつまりは数学とか自分なりの思想ってのをやるってことだよね。それが一番の俺にとっての居場所なわけでってまぁそれで言うとんじゃあ物理的な居場所どうすんの?って話なんだけどね。まぁそれはジレンマとして常にあるよね。まぁ業界とかによって場所を決めるなんて時点でダメだよね。動機は「好きだから」じゃないとね。明らかに無謀じゃん?こんな歳になってから基礎から数学やって大学で数学専攻するなんて。でもまぁ好きだからやるんだよね。で、まぁそれが本当に好きなんであれば結果なんていくらでもついてくるでしょってことだよね。逆に「数学界がダメだから」なんて理由で諦めたりすることがあればそれは本人がダメってことだよね。そんな外部のことに理由を押し付けてそれ自体を諦める理由とするなんてさ、つまりはそれにコミットし切ってないってことのいい証拠だよね。業界の心配してそれをやることをためらってるレベルなら最初からそんなもんやる価値ないわけだ。本人がそこまでマジじゃないってことなんだから。


あと俺が数学に魅力を感じるのって特に難解な思想とかとベクトルが真逆でさ、難解なものを簡単にするってことに腐心してる感じがあるじゃん?いかにエレガントに分かりやすくするか?ってことに価値が置かれてるっつーか。そこが好きなんだよね。その徹底した明快さを求める態度が凄く好きだよね。皮肉っぽく言われるように数学者は計算が嫌いだったり苦手だったりするから楽な公式を見つけようとするんだっていうさ、そういうのすげーいいよねっつーか俺は好きだね。それは数学系のliteratureを読んだからまぁ分かったことなんだけどまぁイメージと全然違ったよね。すげー難解なイメージがあったんだけどね。難解と言えばフェルマーワイルズ定理とかだけど、あれももっとシンプルな解法があるに違い無いとかって言われててさ、すげーそれってロマンだよね。


そのシンプルな解法とか知りたいじゃん?なんつーかロマン主義者の俺にぴったりな学問な気がするのね。まぁあんま才能がどうとか地頭がどうとかってのは気にしないほうがいいな。そんなこと考え始めたら何にも進まなくなるからね。まずは好きで興味があるでいいわけだっつーか恐らくそれに始まってそれに終わるんでしょう。俺はそうありたいな。難解な文章とかって数字で表すとさ、1にしても0.0002947495+0.000284595739564+0.00004857385.....=1みたいに記述してるようなもんなんだよね。最初から1って書くと幼稚園レベルだから小数点いっぱいつけてあとは無理数とか使ったり色んなもん使って答えを1にしようみたいなね、そんなことだよね。それ自体になんの意味があるの?っていう。まぁそれいっちゃえば意味があるのなんて無いんだけどね。でも言ってること分かるでしょ?1って書けばいいのになんでそんな1ってものを書くのにややこしい概念を使うんだ?っていう。まぁある意味で色んな概念を駆使して1って答えが出たら凄いけどね。オイラーの公式みたいなもんで。まぁあれは答えはゼロだけどね。すげーよなー。オイラーの公式って電気工学とか物理学とかで大活躍なんだよね。凄過ぎるね。マジで。理論的にさっぱり理解できないけどね。だからまぁ本とか買ってきて読んでるわけだけど。


ってことで今日はこの辺で。



ロープライス1円って・・・。