ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

「民主主義2.1(夏)」について。

mimisemi2010-06-13

ニコニコ生放送面白いなぁー。で、民主主義2.1(夏)ってのを見たんだけどさ、良かったね。面白かった。で、俺が思った事を例によって書くけどさ、東浩紀がルソーに依拠して使う一般意志って概念なんだけどさ、これを汲み取るって気持ちとしては分からなくないし、まぁリベラルっつーか左派系だったら当然だろうと言う気もしなくもないんだけど、ハンス・ケルゼンって人がいて、まぁ政治学者だけど、この人は国家を「擬人化された法秩序」って定義してるんだけど、これはフロイトの理論を利用していて、つまりは国家ってのは市民の超自我の投射なんだってことを言ってるのね。まぁ超自我ってのは父的なもんだよね。律する感じ?


「こうしなきゃダメでしょ」「こんなのダメだよ。罰しなきゃ」みたいなもんね。で、ルソーの一般意志ってさ、無意識の集合体みたいな感じでこの議論で展開されてたけど、つまりはこれはイドの投射だよね。まぁ投射というほど国家という一個の場所に投射されていなくて離散的に拡散しているイドっつー原子みたいなもんなんだけどさ、これを汲み取るというのは不可能だよね。ツイッターとかでそういう国民の無意識が現前化しているというのはある程度は事実にしても、でもそれはぼやきに過ぎないわけで、つまりはドクサだよね。


ドクサの集合知では何も解決できないわけよ。プリミティヴな子供の駄々みたいなのを集合知として措定してんでそこから意志を汲み取って何かを決めるっつってもオリジンが子供の駄々じゃしょうがないわけ。「外国人を排除したい」とかさ、「チョンは日本から出ていくべし」とかさ、イドレベルじゃん?でもこれもオピニオンっつーかまぁ条件反射的な単純なものでも主権者の無意識なのであればそれも一つとして看做さないといけないよね。これが危険だというわけよ。つまりは衆愚政治ってことだよね。あとはまぁ議論でも語られてるように集合知と言えるぐらいの討論が成立している場所なんてある程度のリテラシーレベルと地頭を持った人達のものなわけで、極端に言ってしまえば市民エリート集団の意見ってことだよね。政治的ロゴスすらも持ち合わせていない2ちゃんの落書きレベルの意志とか知というのは介在していない。でもね、それがソフィスティケートされていようがいまいがね、子供の駄々レベルであろうが意見は意見だし無意識は無意識なんだよね。どちらが良いのか?というのが主権者に委ねられるのであればそこに客観的な価値なんて介在しなくなるわけだ。多数決の主観によって無意識が規定されるわけだよね。つまりはそれが一般意志というわけ。


しつこいようだけどそれはドクサだらけだということね。まぁ俺の考え方はかなりソーシャルエンジニアリング的なもんがあるよ。大体の政策においてやるべきことってのはさ、数字で出るじゃん?こうすればこうなってこうなるからこういう帰結が出てくるというのは分かるわけでしょ?ある程度なら。これはドクサじゃないよね。かといって真実性が担保されていないっつーか実証されていないという意味で真実と言えるかどうかは分からないけど、駄々レベルではないわけだ。これがつまりは社会科学とか政治学ってことじゃん?もしくは経済学とか。


でもこんなのできるのは専門家に限られてるよね。で、そこのせめぎ合いがあるとすれば専門家同士の方針の違いとかイデオロギーの違いなんであってさ、例えばその違いをんじゃあ投票で決めようっつったって投票する側はディティールを理解してないことが大半じゃん?もしくはさっき書いたような市民エリートとかエリートとは言わないまでもオピニオンを持ったある程度の知がある市民じゃないと理解できなかったりしてなかったりするよね。ってことはその投票なんてつまりは印象的なもので決まるよね。こいつの顔がいいとかテレビで見たからとかまぁつまりはポピュリズム的なもんにいくらでも流されるってことね。


仮に思考実験的にね、確実に真理が担保された何かというのがあってね、1+1=2でもいいんだけど、んでもさ、これが本当だと思うか?というのを投票で決めるってナンセンスじゃん?これは論理的な帰結であり事実なんであって討議の余地はないわけだよね。でも民主主義だからということでこれを投票で決めましょうっつったところでそれってナンセンスじゃん?違うと思うほうを選ばれたほうが都合が良いという利害を持った政治家によるポピュリズムによっていくらでも操作は可能なわけでさ、必ずしもそれがポピュリズムによって操作が可能かはどうかはともかくとしても、こういった真実というものを投票で決めるというのは危険だよね。


で、政治にも少なからずこんぐらいの自明なことってあるじゃん?1+1=2ぐらいの自明なことってのがある。まともな専門家の中では大体意見が一致するぐらいの当然のことというのがあってもそれを国民が理解しているかどうかは分からない。だからまぁ説得するわけじゃん?分からないから。あとはまぁ分かりやすく説明するとかね。でもまぁ説明してる時点でこれってある意味での洗脳だよね。国民が選ぶという根本的な民主主義の基本を踏みにじってるよね。真実という名において。だから結局はいかに政策の正しさを啓蒙するか?とかってことになるわけじゃん?でもイド的無意識のレベルではさ、「わかんね」とか「興味ねぇ」って意見も多いわけじゃん?つまりは「はい」か「いいえ」の他に「どちらでもない/分からない」という選択肢が選べるんであればこの3番目を選ぶ人達も多いよね。つまりは投票の意味が無いわけだ。裁判官だったかってあるじゃん?投票。分からないよね。誰がいいか?なんて。判断基準すら分からんしさ、まぁ専門家しか知らないよね。で、政治ってそんぐらいマニアックなことだよね。現実的に見れば。だってみんな忙しいわけだから。


差はあれど専門家ではない忙しい人達の意見なんて印象でしかないじゃん?もしくは実存の投影だよね。個人的な経験っつーことにバイアスがかかった意見とかってまぁドクサだしイド的なものだよね。瞬発的に「嫌!」とかって言っちゃうようなレベルのツイートレベルのものだよね。でも国民は主権者なわけだから、つまりはこういうツイートレベルのものであったとしてもそれは意見なわけで汲み取らなきゃいけない無視できないものになるわけだよね。それがドクサであろうがただの実存の投影だろうが関係無いわけだよね。これがまぁ難点なんだよ。危ないって事ね。そんなことに何かを委ねていたらえらい間違いを犯すことにもなりかねないってことだよね。だからまぁ俺の場合、結局専門家主義みたいになっちゃうんだけど、こんなに色々なことがややこしい世の中だったら分業化っつーか分節化なんて当然の事じゃん?ジェネラリストなんていないわけで。まぁそのジェネラリストに近い存在が市民エリートなんだろうけどそんな人少ないよね。


東浩紀が言ってることとかって大半が間違いじゃないと思うんだよね。あの人頭いいからね。さすがだなと。でもまぁ民主主義って無理だし危ないでしょって思う俺としては東浩紀が詳しく具体的なやり方とかを述べれば述べるほどその危険性ってのが現前化しちゃうように見えちゃうんだよね。「だから危ないんだよ」「だから無理なんだよ」っつー帰結になっちゃうのね。ネットで見ればソフィスティケートされた議論が成されてる場所なんてないわけじゃん?ほぼ。日本に限らずもっともネット上でやりとりが盛んなのはSNSとかさ、マイスペースみたいなね、あとは2ちゃんとかまぁそういうもんじゃん?政治とはほど遠いもんだよね。ソフィスティケートされた議論をする場に参加するやつなんて限られてるわけで、つまりはそれを集合知なり一般意志とは看做せないってことだよね。


あ、そのそれってのはソフィスティケートされた議論がなされている場ということね。でもそれは一部の市民の意見なんであって、大抵のネット上の一般意志というのは拡散してるわけだから。SNSとかにね。政治性なんてないわけね。利用はできるけどでも参加するかは任意なんであれば興味無いとか分からないってやつが大半だろう。一般意志が拡散というのはおかしいか。まぁ政治的な一般意志なんて顕在化してないだろうってことが言いたいわけね。で、顕在化していてもプリミティブな考慮のないものとかも一般意志なわけだから、つまりはそれはイドの投射みたいになっちゃうんじゃないの?って思っちゃうわけね。烏合の衆ってやつか。下手の考え休むに似たりだよね。


いや、で、まぁ市民が政治の事を具体的に考えられるなんてさ、相当みんな暇じゃないと無理だよね。BIとかがあって考える暇とか本を読む時間とかがあってじっくりネットの議論とかを見たり参加したりできる余裕がないとできない。日々の生活でいっぱいいっぱいになってる人達にそれは無理でしょっていう。自分の事で精一杯だよね。だから俺みたいなニートみたいなやつとかさ、時間があるやつしかそういうのに関係できなかったり言えなかったりするわけだよね。そういう意味で別に「下手の考え」ってのは地頭の差とかで出てくるとは限らないってことだよね。有閑の差とかが占める割合だって大きいでしょってことだよね。バカも忙しすぎる人達も含めたツイートとかってただの印象じゃん?こうなんとなく思ったっつードクサだよね。でもそれが一般意志ってことだよね。で、そういうものが一般意志を占める割合は大きいわけで。


で、ルソーと言えば帰結としては立法者はすんげー頭が良くて物知りでドクサなどを介在させずに全てを真実ベースで考えられる神みたいな存在じゃないと無理だって言ってるんだよね。で、そんなやつはいないから民主主義って無理じゃん?っていう。だからある意味でルソーは正しいわけね。ルソーが理想としていたのはアテナイ型の直接民主主義なんであって、それはあくまで理念モデルだってことだよね。で、それは民主政治の理想的なモデルであるが、それを適応するのが社会にとってベストかどうかってのはまた別問題なわけだ。


ちなみにアテナイ型で言えば言わずもがなだけど市民と非市民ってのがあったわけでさ、つまりは奴隷と市民が別れてたんだよね。日本で言えば部落民と農民と武家みたいなヒエラルキーがあった時代ってことだよね。で、直接民主主義に参加できるのは当然部落民ではないわけ。農民ですらないかもしれない。武家以上みたいなね。これってまぁつまりは貴族政治じゃん?だからルソーは貴族政治がベストだって言ってたわけだよね。時間があって地頭もあって教養もある貴族が政治を担えと。まぁそういう貴族達による直接民主主義だよね。だから「民主」と言った所で全ての人民が包括されているということではないということだよね。


で、俺がさっき書いたソフィスティケートされた議論が展開されている場ってのは極めて貴族政治的だということなんだよね。まぁその参加してる人達が実際に金持ちで貴族かはともかくとして、まぁ色んな理由で政治的なものに関心がある人達で、んでそれには多くの利害関係者もいるわけだよね。ニコニコ生放送でも言及されていたように教育問題が議題なら教育者は3割とかさ、決してそれは民意を反映しているわけではないよね。だから極端な話をしてしまえばネット上で現場の利害関係の討論がなされているだけで、一般的な討論とはほど遠いってことにもなりかねないわけだ。まぁある意味での専門家同士のやり合いだよね。事情通って意味で一般人じゃない。


何しろ一般人じゃ分からないことが多すぎるわけで。教育問題から移民問題から経済政策まで全部民意を問うっつったってそりゃ物理的に無理だよね。時間がある俺でも無理。全部に精通して適切な判断を下すなんて無理よ。まぁ俺はなるべくジェネラリストぐらいのバランス感覚がある教養を持ちたいとは思うけど、現状で言えば知識がなさ過ぎてとてもじゃないけど判断しかねることばっかなわけだよね。


まぁなんつーか俺はでもね、一般意志ってのはまぁ最初に書いたケルゼンの国家論で言うところのフロイト理論での超自我の投射が国家というモデルをそのまま使わせてもらうなら一般意志ってのは国民のイドの投射ってことだよね。ただ投射と言えるほど投射される場が定まっているわけではなくて拡散しているという意味で離散的な集合ってことなわけよ。中には連続体を構成しているものもあるかもしれないけど、何しろ一般意志を汲み取るなんてことが難しいから、それは分からないよね。そんなイドの投射っつーか集合体で政治が決められちゃっていいのか?ってことだよね。つまりは「擬人化された放言」によって政治的なものが判断されていいのか?ってことだよね。ちなみに当然ウォール伝もその放言に含まれるわけだ。専門家として物事が言えるぐらいになりたいとは思うけど、今ではまぁ放言レベルでしか言えないよね。


自然な放言が専門家の意見ぐらいの基準になってればいいなって思うけど、まぁそれには時間がかかるよね。だからまぁ知識が必要なんだよね。今はあまりに知識が足りなさすぎるわけで。でも言いたいことはあるし書きたいわけ。だから放言になるわけだね。「擬人化された放言」ってアニメのレインに出てくるネット上での口だけのやつらに似てると思う。口だけって口だけで何もしないやつらって意味じゃなくて、口だけが擬人化されたネット上でのアバターってことね。見てない人にはさっぱり分からないか。まぁつまりはああいう口の集合なわけよ。ネット上の一般意志って。メガテンに出てくるレギオンの口バージョンだよね。想像するとキモイけども。


データマイニングは実質的にしちゃだめだよね。民主主義という原則を守るならどんだけレベルが低い意見でも放言でも差別なく汲み取る必要がある。津田さんが言うような議員とかがミニ世論調査とかと称して利用しているツイッターの意見なんかはモロに自分の都合の良いようにマイニングされた発言じゃん?つまりは民主主義的ではないよね。自分の支持者とか自分が進めている政策とかに対して有利なものを選び出しているにしか過ぎない。だからそれは世論でもなんでもないわけだ。何しろ世論ってのはカオスだからね。「顔がキモイ」「バカだと思う」「親から金をもらってるなんてみっともない」とかそういうものも世論だからね。「世論と呼べそうなもの」を取捨選択したらそれはもう世論と呼べるものではなくなるということだよね。


だからそれは町中とかで差別なくランダムに取らなきゃ分からないわけだ。だからこそ東浩紀アーキテクチャによってその無意識としての「放言」を顕在化させることができないだろうか?って考えてるわけだよね。ある意味での世論とか一般意志っていう化け物をアーキテクチャによって現前化させようとしているっていうか現前化できないかな?と考えている。さすがだよね。いや、本当にその通りです。東浩紀って市民の無知とか理解してるし政治に絶望してるからさ、一応やり方として民主主義をサポートする形っつーかベースでやっているように見えるかもしれないけど、実際は衆愚観なども含めてとりあえず国民とはなんぞや?ってのを目に見える形で見たいのかもしれないね。だから東浩紀が民主主義を賞賛していると安易に判断はできないかもしれないよね。東浩紀いいよな。ああいう人が活躍しているっていいよね。論壇的に言えば今の日本って過去より全然いい。


まぁ過去の日本の論壇が糞過ぎたんだけどね。で、今回で言えば猪瀬さんみたいな過去の論壇にもいた人だけどまともな人とかが世代を超えて津田さんとかホリエモンとか東さんとかと議論の席を一緒にしてるってのがいいね。まぁまともじゃないやつは淘汰されたということか。もしくはニコニコ的な新世代から見ると魅力的に見えないんで呼ばれないとかね。それでいいよね。


朝生で言えば「こいつバカだなー」ってやつがニコニコの討論とかに呼ばれてないってことだよね。で、「この人のこの人とこの人だけでやってほしい」って思えるような人達が集まってやってるからレベルも上がるし楽しいわけだね。ちゃんとした議論が成立してるっていうか。これがまぁオルタナメディアの良いところだよね。で、話を戻そう。民主主義という原則を無くせばいいわけだ。所謂ね、ツイッターとかで議論とかをしてるレベルっていう低いレベルは足切りしてしまうという民主主義的な観点から見れば必要悪な排除原理が働いている中でのネット上での議論とかが「世論」として反映されるってのはいいんだよね。これは極めて貴族政治に近いものがあるよね。


まぁエリートと言うほどでもないかもしれないけど、議論に参加してオピニオンをまとめあげたり政治的なものを討論できるだけのレベルの連中の意見が「世論」扱いされるというのはいいよね。でもまぁそんなに多くないんだよね。全てを汲み取ろうとすればカオスになるから民主主義なんていう大義名分はなくしちゃったほうがいいんだよね。アテナイ型のインテリ参加型でいいと思うわけ。まぁアテナイ型の民主主義でソクラテスは処刑されたわけだから、まぁそれでも俺は肯定しきれないところはあるけど、全てを平等に扱うっていう狂った民主主義よりかは全然マシだよね。受験的な足切りがあるわけじゃん?こんぐらいの知識とか学力がないやつは学校には入学させませんっつー足切りだよね。まぁ簡単に言っちゃえばDQNみたいなやつの意見まで扱ってたらカオスになるから、そこはまぁ恣意的になっちゃうかもしれないけど、ある程度のクライテリオンは設ける必要があるわけだよね。


それで言えば俺は前から言うように投票権ってのは無差別に配られるものではなくて獲得するものだと思ってるんだよね。確かそんなようなエントリーを書いた時に「バカじゃねーの?」って正真正銘のバカからの書き込みがあって苦笑いしてしまった覚えがあるけど、まぁあっちとしては排除される側だからまぁ気に食わないのも分からなくもないけど、そもそも俺が言ってることをちゃんと理解してるかどうかも怪しいもんな。書き込みって文字数は少なくても出るからね。人間性とか知的レベルが。


バカじゃねーの?って思うのは自由だけど、どういうところでバカだって思うのかを書いてもらわないと分からないもんね。で、聞こうとしても返事が帰ってこなかったりね。論が立てられないからああいう単細胞的な一行の文章で書いちゃうわけで。でもああいうやつの考えも考えじゃん?でも俺はあんなのは考えだとは認められないと思うわけ。それこそイド的な放言だろうと。ああいうのまでも汲み取る平等主義的民主主義は凄く嫌なのね。だから差別化はしないといけないと思うわけだ。まぁ選挙権を獲得するってのは極端かもしれないけどさ、でもまぁ簡単なテストとかあっていいと思うんだよね。あんまりバカすぎるやつに主権者になってもらっても困るわけだから。それは必要な知的差別だよね。国の明日を左右するものなわけだからさ、そこを民主主義だとか平等っつー理念の上に投票権を無差別に配置してもしょうがないだろうって思うわけ。


それを前に俺は政治的ロゴスの獲得だと書いたよね。政治的ロゴスを持つものだけが政治に参加できるわけだ。バカとか死ねぐらいのことしか書けないやつも同じ主権者というのに俺は凄く違和感を感じるのね。そういう輩が連帯してまともなやつを排除しようだとかってことも可能だし、times誌で田代まさしが世界でもっとも影響力のある人物だかに選ばれたとかさ、ああいうのが起こるわけじゃん?2ちゃん情報テロ的なもんだよね。まぁ選ばれたっつってもシステム上の不備だけどね。まぁあとで当然修正されたらしいけど。


で、休みの間に国語教育の話になっていたけど、つまりはこれはロジックということだよね。もちろん物事を説明するための語彙とか文法は必要だけど、猪瀬さんとか東さんが言ってるようなさ、意見をbecauseでサポートするという当然のことをさ、まぁこれって詭弁術にもなるってその通りで、まぁそれは俺が前に批判したよね。アメリカ人はディベート好きだっつってもさ、まぁ根拠をサポートするとか意見を言うってことが叩き込まれてるのはいいことだけど、でも結局、ディベートみたいなのがソフィスト的なロジックの操りになっちゃうっていう欠点もあるんだよね。だから例えば生徒が渡したという宿題を持ってないという理由で「私は受け取っていない」と言えば渡したという証拠もないわけだから真実は分からないという意味で言い逃れができるとかさ、こういうの最悪じゃん?ロジックがあってもバカはバカなんだよね。


そういうのはコミカレという底辺で嫌というほど知ったから良い経験ではあったな。ロジックの使い方が分かっているからといって頭が良くなるわけではないんだなということだよね。ただまぁ基本としてそれは持っていたほうが言いわけだ。逆にそういうのを持っていれば乱用にも抗えるわけで。乱用にもソクラテスのようにロジックで抗う事ができる。まぁソクラテスを基準にするのは敷居が高すぎるけどね。でもまぁロジックって必要だよね。そういう意味で論理学ってのは中学ぐらいにやってていいわけだよね。あんなの簡単だから。当たり前のことしかやらないからね。そういう意味で俺はそれは国語力もそうだが論理学的思考の欠如とも言えるわけだから、それは国語と論理学のコンビネーションだと思うね。猪瀬さんが「命題」という言葉を出しているけどまさしくその通りで、つまりは文章ってのは何かを述べているのであれば大抵は論理式に変換可能なわけだ。


で、真理表を理解してればっつーかそんなの理解しなくてもロジカルに考えるという技術を習得すれば詭弁とかおかしいよねそれってのが分かるようになるわけじゃん?で、これって今に始まった事じゃなくて日本人ってロジックが弱いと思うのね。だから変な詐欺とか横行するんだよね。アメリカじゃバカでも引っかからないような詐欺が横行したりする。その中には恐らくロジックの欠如があるからこそ成立してるものってのもあるよね。モロに詐欺師に騙された俺が言うのもなんだけど、まぁ経験があるやつだからこそ逆に説得力あるでしょ?ロジックの必要性を俺はあの経験で痛感したわけだね。そこを変に引き寄せの法則だ!とか主観的な思い込みで何かをジャッジしてしまうということの危険性を痛感したわけだ。ロジックありきの意味論としての引き寄せの法則とかじゃないとダメだよねってことだよね。ロジックがあって帰結がある。


で、その帰結は論理的な帰結でしかないが、あえて主観的な意味論を言うならばそれは引き寄せの法則だったのであろうというようなまぁ個人的なことだよね。宗教とかってロジックぐちゃぐちゃにするじゃん?だから危ないんだよね。ロジックありきの宗教ならいいけどロジックを破壊するような宗教は基本的にダメだよね。論理的思考ができていても原理主義的なクリスチャンとかホントにアホだなって思うんだけど。


佐藤優みたいな人は恐らく後者だと思うのね。つまりはロジックとか常識っつベースありきのクリスチャンね。個人の意味論としての宗教って意味でまぁこれは哲学でも思想でも大体可能なものなわけだ。聖書の創造説とか信じてるバカがアメリカに多いっつーけどまぁあれも衆愚観を表す良い指標だよね。ありえないぐらいアホなんだよ。あいつら。ロジックがガタガタで地頭が悪いって意味で2ちゃんねらーとかと似てる気がするよね。ただロジックだけが全てではないのね。俺で言えばまぁハーディーとか岡潔に影響を受け過ぎなのかも分からんけど「数学は芸術である」なんていう命題はロジックとしてはおかしいわけだ。でもそれはロジックを弁えた上で個人的なオピニオンとか意味論としての主観的な数学に対する数学観みたいなのを述べてるわけだよね。


で、これは一意見としてあっていいわけ。まぁ批判もあるだろうけどね。「ただの道具だろ」的な。でもそれはオピニオンの違いだから。でもオピニオンの違いを生じさせるためにはまず同じロジックのシステムをある程度は共用しているという大前提が必要とされるわけだよね。その上での相違やら差異だよね。今回のニコニコ生放送での彼らが言う「基礎体力」とやらはこの最低限のボトムラインのことだよね。意思疎通を可能とした上でのオピニオンの差異を発生させるためのロジックというシステムだよね。言わばOSみたいなもんだ。言語とOSはセットだからね。でもまぁ俺に言わせればそれすらもできないというやつらもいるわけだ。そういうやつらは「すみません」としか言いようがないよね。受験の足切りと同じでOSも言語も持ってないようなやつらに政治の参加資格はないわけね。これはボトムラインということだから。国語とロジックね。それが無いからポピュリズムとかが便利な手法になっちゃうわけじゃん?


おかしいロジックでも印象操作とかがテレビとかで可能で、んでテレビ長時間見てるやつらとかって大抵IQ低いらしくてさ、IQが低下すると言われているけど、俺に言わせればIQが低いからテレビしか見ないわけだよ。IQがそこそこだったらあんなもんに満足できないわけで。それがつまりは竹中が言ってたようなB層ってことだよね。ポピュリズムマーケティングB層が利用されちゃうわけ。だからそういうB層足切りしましょうってことだよね。でもこれはもう民主主義ではないわけで。だって足切りしてるわけだから。


学問のレベルの低下は大学なんとか時代っつってなんだっけ?全員時代だっけ?みんな入るようになったってことで低下したっていう意見があるけど、まぁこれが本当かはともかくとしてまぁ理由としてはありそうなもんだよね。政治も同じじゃん?みんな無差別に参加するからレベルが下がるんであって、エリートっつーか頭が良いやつだけ参加するようになればレベルは保たれるか上がるわけだよね。そういう意味での貴族政治だよ。あとは教育にしてもシュトラウス的なエリートにのみ施されるリベラルエデュケーションってことになるわけね。大学っつー場所が定員を確保するためにバカもいれるようになったらそりゃレベルが下がるのは当然でさ、政治だって票を獲得しようと思ったらコンテンツっつーよりかは分かりやすさとかポピュリズムだよね。


だからワンフレーズポリティクスだったかさ、ああいうのってまぁアメリカでも手法として確立してるわけじゃん?っつーかアメリカが開発したのか。あいつらはコントロールする術を知り尽くしてるからな。そういうところはさすがエリート主義者のジェファーソンの国だけあるなって気がするけど。ちなみに俺はジェファーソン大好きだけどね。プラトン的なステイツマンに最も近い政治家の一人だね。あとはまぁチャーチルとかかな。チャーチルシュトラウスもお気に入りだったらしいけど、その気持ちは凄まじく分かる。マキャベリ的なものとプラトン的なものの調和っつーかなんつーか。まぁ調和というほどのものでもないのかな。


で、話題を動画に戻そう。言語力の話が出てきていて、んでニコニコ生電話に最初に出た人が緊張してたんだかさっぱり何が言いたいんだか分からないようなことを言っていてさ、で、それに対して猪瀬さんがやはり言語能力で普段からトレーニングしてれば問題ないはずだみたいなこと言ってるけどまさしくそうなんだよね。アメリカ人とかがよく喋るのはこれなのよ。地頭とか関係無しにロジックと意見をまとめるっていうのを教育でやらされてるからバカでもバカなりのロジックを使って説明したりするんだよね。説明できているということが重要なんであって中身じゃないわけ。中身も伴えば最高ってところだけどまぁ彼らはそこまでは望んでないわけじゃん?基本的な言語力だよね。


アメリカとかだと学校なんかで事件とかがあってさ、んで学生とかがテレビのインタビューとか受けてるとすんげーテキパキ喋るじゃん?上手い事喋る事を要約して。それってまぁ学生の地頭もあるしさ、そういうのをテレビが使いやすいって理由で選んでるのもあるけど、でもまぁやっぱトレーニングもあるわけよ。まさしく基礎体力だよね。あとさ、濱野さんって人が言語能力が無い人でもツイッターでリベラルの幅を広げていくことは可能なんじゃないか?みたいなことを言ってたけど、これって左翼ポピュリズムってことだよね。右翼だとイメージ悪いけど左翼ならいいみたいな。でも俺はポピュリズム自体が良いことだとは思わないから内容がリベラルであれ軍国主義的であれ主体性を奪ったり主体性が無いところに主体性を植え付けるような形で展開していく政治ってのはダメだと思うね。名前を変えればそりゃー便利だけどさっきも書いたように結局啓蒙っつったって洗脳みたいなもんなわけだから。そういう意味で言えばオバマだってポピュリズムなわけよ。


リベラルだからイメージがいいだけでやってることはブッシュとか小泉とかと一緒。市民が自発的に動いてポピュリズム的運動が広がったってだけだよね。そこに個々の「オバマを選ぶ」という主体性なんて無い。無いとは言い切れないか。無いは言い過ぎか。ただまぁ無いやつも時代精神みたいなのの勢いで投票しちゃうわけじゃん?で、そいつはオポチュニスティックに次は共和党に投票してるかもしれないわけだよね。共和党に投票するのが旬みたいな雰囲気になったらってことね。まぁ俺としては左翼ポピュリズムはありだよね。そりゃーリベラルになるに超した事は無いけど、客観的な政治的システムの事実というのを考えた時にそれは健全とは言い難いってのがつまりは結局、リーダーが変わればそれはファシズムみたいにもなりうるからってことだよね。オバマヒトラーになればナチスの出来上がりじゃん?独裁者ってほとんどみんな民主的に選ばれたわけで。その主体無き全体主義というのが危ないということね。だからこそ政治というのは少人数の精鋭で吟味されたほうがいいわけ。


平等=善というのは労働=善と同じぐらいイデオロギー的な思い込みね。アプリオリではない。状況によってはいくらでもそれは変わる可能性があるわけだし主観的にはもっとあやふやだね。不平等だが平和なのと平等だけど平和じゃないってどっちがいい?とかさ、その平等が何に帰結しているのか?ってことが重要なわけで、定言的に平等を善と結びつけるのはおかしいわけね。それによってどういうベネフィットが社会にあってどういうものが担保されるのか?ということが重要。で、俺は何度も言うように政治で言えばそれは衆愚政治に陥るから平等主義というのは悪にもなりうるわけだ。ランシエールが言う平等主義とか最悪だね。まぁある意味でデモクラティックだけどね。


くじ引きで政治家だかリーダー決めるとかって最高に民主主義的じゃん?でも良くないよね。ランシエールが肯定してたかどうかは忘れたけど、「とるに足らないものの統治」ってな言葉で肯定してた気がするな。柄谷行人とかと同じだよな。柄谷がランシエールについて書いてたりするのも分かる気がするんだよね。思想的な親和性があるっつーかなんつーか。なんつーか両者共に平等とか民主主義ってのを盲目的に崇拝し過ぎてるんだよね。それによって何がいいのか?っていう理由は恐らく所与のポリティカルコレクトネスを守るというぐらいしか無いと思うわけ。


あとあの後半に出てくる鈴木健さんの投票システムだけどさ、まぁあれは原則的に変わらないよね。まぁちょっと今の民主主義制度っつーか投票制度のシステムが変わるってだけで根本は変わらない。ネットベースでのポピュリズムが横行するのは目に見えてるし、なにより「投票」という行動自体に主体的になれる人間の絶対数が少ないわけだからそれを前提にしてシステムを作らないと意味ないよね。票を分散した所で実質的に使われてない票っつーか持ってても持ち腐れになってる票ってのがあるわけで、それが循環するかしないか?のダイナミズムの話なんであって、根本的にあんま意味無いと思うんだよね。面白いとは思うけどね。ホリエモンとか猪瀬さんも言ってるように「大変だから」とか「みんな分かんない」ってことだよね。


そもそもそういうことに興味が無いとかやる暇がない人が大半なんだっつー前提でやらないと学者の頭の中だけで構築される理想的な社会システムみたいな空虚な話になっちゃう。もっとリアルな話をしないと。まぁ抽象的な話をする場だからってーのでまぁ一意見としてあってはいいと思うけど、そもそも根本的な民主主義のシステムという点においては変わらないわけだから、システムを変えた所で変わらないよね。例えるならコーヒーメーカーみたいなもんだわ。最終的にドリップされて似たような味のコーヒーが出来上がるんだが、新しいコーヒーメーカーではきめ細やかな設計がされているんで味が違いますみたいな。でも実質的に味覚上の変化はあんまりなかったり、そもそもそんなにどうでもいいって人が大半だよね。そもそもコーヒーメーカー持ってない人には関係の無い話で、多くの人にとっての政治とか投票ってのはそういうもんでしょ。まぁ逼迫した政治的状況になったタイとか旧ソ連とかだったら話は別なんだろうけど、こういう場合も単純だからだよね。とりあえずあいつに投票しないと何も変わらねぇーぞ!っていうシンプルさが投票率の高さを規定してる所はあると思う。善と悪ぐらいのシンプルさだね。でも実際は違うじゃん?細か過ぎて分からないよね。だからそこまで国民の投票ってことにこだわる必要は無いわけだ。


で、途中で可愛いけどちょっと変な子に電話が繋がったじゃん?で、切ったよね。で、吉田さんが「これがデモクラシー?」って言ったけどギャグじゃなくてまさしくそうね。「ここからは熟議は始まらない」といってもこの子の意見も尊重して調停して民意として反映させるのがデモクラシーだよね。まぁ俺が変すぎるのか分からんけど、全然俺はそこまで特別変だと思わなかったけど、やっぱふつーの人達の反応ってあんなもんなのかってちょっとガッカリしたな。みんなやっぱまともなんだな。大体でもいつもそうだよね。討論番組とかネットのやつとかロフトとかでもいいんだけど観覧者とか客のコメントとか意見っていうコーナーになると論上にいる知識人やら専門家と一般の人の温度差が凄まじいんだよね。


論上にいる人達は白熱して色々と構想するけども、でも実際は「分からない」って人が多かったり、この可愛い変わった子とかもいたりしてさ、なんつーか錯覚しがちなのがっつーか哲学者とか大体そうだけどさ、自分ぐらいの見識と知識があるのが「市民だ」みたいな前提で話してるんだよね。こんぐらい考えてやるだろうという見積もりが自分とか自分の周り基準になってるんでレベルが高くなっちゃう。それがつまりは温度差だよね。普通の人にはさっぱり分からないこともまぁ進めるわけじゃん?で、どんどん実際の主権者と論上との距離が開いていくっていう。で、俺は別に今回の放送とかを批判しようとは思わないし、もっと大衆の事を考えろとも思わないのね。それは実質的に無理だからね。恐らく大衆を基準にしたら「わかんね」で終わりだから。複雑な設計とかできなくなるし。


だからこそ今回の鈴木健さんみたいな設計をして分からない人も誰かに委任できるようにするっていうような便意的なシステムが開発されるんだよね。でも実質的にそれってさっぱり民主主義的じゃないんだよね。ただ別にシステムとして酷いとかってそこまで思わないし、なにより民主主義っていうパラダイムから抜け出したほうがいいよね。あんなのただの理念モデルなわけでワークした国なんて歴史上無いわけだから。


なんかさ、吉田さんが批判されてるっていうか「え?」みたいになってるけど見当違いなこと言ってないよ。この子もデモクラシーの一部なんだから不思議ちゃんだろうが薬やってようが関係無いわけ。主権者は選べない。薬とかアルコール飲んでたらダメか?ってそんなことないもんね。アル中だから主権者じゃないとかそんなこと成立しないわけで。東さんアグレッシヴだよな。「議論聞くんですか?」って完全に不思議ちゃん排除してるもんね。民主主義を肯定してる人が意外と選民的だったりするんだよなー。で。選民的とか実質的にはエリート的じゃない俺みたいなのが政治的に選民的とかエリート的なことを言うっていう、まぁ面白いパラドックスだけどね。


吉田さんいいね。政治学者だけあってすげー政治学の基礎を押さえてるっていうか、地盤がしっかりしてるよね。個人の実存に依拠したようなちょっと変わった発想とかが良い意味でなくて「政治学者」に終始してるのが凄いなと思ったね。「濱野さんや鈴木健さんのシステムや発想で今の民主主義の問題が解決できるとは思えない」って全くその通りだよね。それは「そう思う」とかっていうオピニオンレベルの話ではなく、事実としてリアルに全然違いがねぇーなって話だよね。ちょっと奇抜なインターフェースとかインタラクティヴなシステムってだけで根本一緒だもんね。


主権者っつってまぁさっきの変わってる子とかさ、あとはまぁ変な話、植物人間とかにしたって主権者だけど、その政治的意見を汲み取るって無理だからね。まぁ不思議な子にはあるのかもしれないけどさ、つまりはそれを政治的ロゴスに変換する必要があるわけじゃない?でもコンバーターなんて無いわけだしさ、あとは元々無いって人いるよね。植物人間は喋れないでしょ?重度の障害者とかも一緒だよね。でもなんとかそういう人達の主権者としての権利も守れないだろうか?ってそれは物理的に無理だよね。存在しない原子とか分子の話をしてるようなもんでさ、集めようと思ったってないもんはないんだから。で、結局無いからその分を委任とか売るとかさ、そうなるとようは質量の問題みたいになるじゃん?エネルギー値の問題になるっつーか。それはある側の誰かのエネルギー値が委任されて2とか3とかになるようなもんだよね。


で、その委任というフォーマットが元々無かったエネルギーだとか無かったものをあったものとして数値化してエネルギー化するみたいなねつ造ということがその委任した側の意見をrepresentしているか?ってしてないじゃん?言わば空から生まれたエネルギーみたいなもんだよね。存在しないけど戸籍上あるんであるものとしましょうっつー一種のインチキだよね。代議制ってまぁそういうインチキだもんね。だから根本的に全部一緒なんだな。ちょっとシステムが違うってだけで特にアップグレードというわけでもないし、あとはこれいっちゃーおしまいだけど、別に政治というものに個々が規定されてるわけじゃないわけでさ、気にしなくていいとは思わないけど、政治的なrepresentationができないからといってその人の存在価値がないとかさ、その人の生がないってそんなわけないわけで。別に政治以外にもいくらでもあるじゃん?あんまり投票だとか民意を汲み取るってことに固執し過ぎると雁字搦めになると思うんだよね。そもそも機能しないって分かってるんだから他のシステム考えればいいのにって思っちゃう。まぁそれがあったら苦労しないけどね。


こういう言い方がいいのか分からんけど、東さんのあの不思議ちゃんの話を聞かないという態度と民意を汲み取るという概念が根本的に矛盾してると思うんだよなー。あの最初のランダム電話で出てきた口べたなおっさんとか不思議ちゃんとか彼らの民意こそ民意だよね。でもそこに政治的なものを抽出できないから汲み取りようがない。民意を汲み取るってみんななんらかの政治的オピニオンとかを持ってるっつー前提で話が進んでるじゃん?でもそうじゃないっつー事実をなんで前提にしないのかが分からんね。だから吉田さんが不思議ちゃんの電話の後に言った「これがデモクラシー?」ってのが本質を突いてるわけ。ネットではメンヘラーとかって言われるのかもしれないけどさ、メンヘラーなんて何万っているわけじゃん?


メンヘラーに民意が無いとは言わないけどさ、仮に不思議ちゃんとかもメンヘラーに含めたらさ、政治的ロゴスを持ってない人ってやっぱいるわけじゃん?そういう人の民意とは何?って話じゃん?無いんだよね。ただ主権者という権利だけがある。だからポピュリストがマーケティングしてそういう票を買おうとするわけじゃん?だから意味無いのよ。オピニオンが無いところに民意なんて無いわけ。例えば俺に天文学についてどう思うか?っていうことを聞かれたって意見無いよ。書く事も無い。だから何も言えない。でも天文学的なことで仮に投票があったとしても投票に行かないよね。興味無いし分からないから。


でもさ、テレビで「天文学とはロマンです!」みたいなプロパガンダが流れててさ、んで「1クリックで投票できます!」みたいなフォームがメールとかで送られてきたら気分的にポチッって押すかもしれないけどそれは俺の意志というよりかは恣意的なさ、気分的なもんだよね。オピニオンがあってそれを押したという必然は無い。全くの偶然か気まぐれなわけよ。そこに意志なんて無い。だからこの投票に対する一般意志という集合の中に俺の意志は存在しないわけだ。だって意志がないんだから。投票はフォームで適当に押したけどそれは民意でも俺の意見でもなんでもないからね。ただポチッっとクリックしたっていう物理的現象が投票ということに帰結しただけの話ね。意志があって投票してるやつなんて少ないよ。逆を言えば主体的な意見があればそれが代議士によってrepresentされてるか?ってされてないわけで自分の意見に対応した代議士がいないわけだから投票しないよね。アメリカでもさ、民主党共和党は手袋と靴下だっていう言い方があるけどまぁ一緒じゃん?日本も。違いなんて分からないし興味無いってレベルなわけだから。


政治的アパシーというどこにでもある問題が議論に介在してないのは問題だよね。そういうやつらって相当多いのにさ、それで一般意志とか言ってもしょうがないと思うのね。無いものは無いわけだし、それが欲望っつーレベルなら最初に書いたイド的集合なわけでそれが政治的かどうか?なんていう判断なんて決めようが無いじゃん?そんぐらい空虚で抽象的なもんなんだよ。俺が性欲を感じて洋物の動画で抜くということに政治的理由は無いわけ。それを政治的理由として定義して俺がそれで抜いたということをデータベースとして利用することはできるかもしれないけどそんなのただのこじつけだよね。俺にはそこに政治的意志なんて無かったわけだから。


イドってのはそんぐらい衝動的でプリミティヴなもんだよ。理性とは真逆のものね。そんなものに逆に政治的representationとかされても困るわけよ。だったら理性あるやつらが討議して熟議していったほうがいいわけで、そこにそんなプリミティブなザーメンの塊みたいなイドをデータとして介在させる必要は無い。仮にデータとして介在させる必要があるのならさっきの不思議ちゃんの話を全部聞かなきゃいけないね。でも東さんとか他の人も聞く気にならなかったわけじゃん?でもあれだって一般意志なわけだから。「だって」どころかまさしく「あれが」でしょう。あれが要素ですよ。一つの。全てを構成する一つの要素なわけ。言ってることが分からないとか不思議とかメンヘラーとかそういうの関係無いわけで。そういう意味で吉田さんが言ってた「酔ってるとか関係無いですよね」ってまさしくそうなのよ。


主権者であるということと酔いとかドラッグなんて関係無いどころかそれが欲望ということに繋がっているという意味で酔いながら何かを話してきているというデータこそがまさしくイド的集合のデータだよね。俺は見ててとてもじゃないけどなんつーかああいう一般意志を汲み取ろうとしているように見えなかったよね。完全に無視してたじゃん。まぁ番組進行上のことだったのかもしれないけど、でもまぁ「あれがデモクラシー」ですよ。あれも一部です。最初の口ベタなおっさんも。あのおっさんの的を得ない変換がしようがない番組への意見とかどうして欲しいか?とか質問なんかもつまりは一般意志でしょ。ネットを介在したイド的データベースだよね。「とりあえずかけてみた」という行動の帰結があれだよね。そこに政治的なものとか意志を読み取ろうとしても不可能なわけで。それがさっきっから言ってる汲み取りようが無い意志ってことね。無いものは無いんだから。


ってことでまぁ言いたいことはざっとこんなところかな。つまりは東浩紀批判とかさ、今回の討論批判じゃなくて俺が言ってるのは前から言ってる民主主義批判なのよ。もう無駄だって分かりきった擬制になぜここまでこだわるのかがさっぱり分からない。それは擬制を維持し続けることで得られる何かがあるのかさ、それとも民意をくみ上げることが何らかの良い政治的な帰結をもたらすのかさ、「民主主義」とか「投票」みたいなのが目的化しちゃったらダメよ。どう政治をやっていくのか?とか何が一番現状でいいのか?ってのを判断してやるってことが重要なわけで、そんなの国民が判断できるもんじゃないわけよ。色んな分野のスペシャリストしか分からないことなわけで。そういう色んな結果を判断させるように国民にしむける意味が分からないわけ。なんでそこを無知な国民に決めさせようとするのか、投票を強要しようとするのかが分からないよね。無党派層が増えたなんて話があったけど当たり前なんじゃないの?そんなの。別にそれって改善するべき問題でもないと思うしね。それが流れなんだから。民主主義なんて時代遅れだよ。あんなのただの理念なわけだから。時代ってのは権力とともに動いてきたわけじゃん?それが共産主義だろうが民主主義だろうが同じね。まぁそれでも擬制を走らせておく必要があるってことだったら俺は完全にきょーみねぇーなっていう。


最後のほうの吉田さんまたいいねぇー。経済発展と民主主義。まさしくそうだよね。民主主義の結果、みんなが豊かになったり抽象的だけど幸福度みたいなのが上がればいいよね。それだったら民主主義は良い!ということになる。でも今は民主主義で良いわけじゃないじゃん?アメリカも日本も。だったら意味ねぇーじゃん!ってことだよね。オリガーキーでも国が豊かになってみんなが幸福になればそっちのほうがいいわけだよ。国民の民意を反映するということと政治って関係無いよ。だって国民ってスペシャリストじゃないんだから。それが経済発展とかに繋がるならいいよ。でも俺は繋がってるように全く思えないのね。だからといって社会主義とか全体主義がいいか?っていうと微妙だけど、まぁ別にそこまで民主主義にこだわる必要無いってことだよね。むしろ俺は国民の民意を反映するってことに腐心し過ぎてそれがネックになってるような気がしてならないんだよね。それが選挙と政策との乖離を生んだりする原因にもなってるかもしれないわけで。選挙はまぁポピュリズムじゃん?投票されそうなモデルってのを作る。で、実際、当選したってことになると全くそれとは関係無くなるわけじゃん?だから実質的に民主主義なんて機能してないわけよ。ポピュリスト達の温床になってるだけじゃん!っていう。


そんな感じで今日はこの辺で。