ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

野獣になるな。人間でいろ。とかって偉そうに言ってみる。

mimisemi2010-06-26

Pi*Pi^2/Pi^3=1


なんだけどってしつこい?いや、当たり前なんだけどね、例えば、


Pi*Pi^2/Pi^3+e^(i*pi)=0


じゃん?でも不思議過ぎるのがさ、答えがゼロって言われても、計算される値の中に想像可能な数が一個も無いじゃん?その組み合わせでゼロとかって凄いよね。もちろんパイって無理数でまぁ終わりが無いけど、でも終わりが無いもの同士をかけたり足したりすることで有理数どころか答えがゼロになったりするって凄いよねっつーかちょっと感覚的に理解不可能だよね。イメージで言えばすんげーきめ細か過ぎてわけがわからない歯ブラシの毛先同士が結合されて一個の実体になるようなもんだね。まぁもしくはゼロの場合、合わさる事によって無くなるっていう。パイとかeが無理数であることの証明なんて簡単だと思うんだけど、その実体が何か?ってのを理解するって難しいよね。背理法とかってだから有限な存在が無限の存在に対して定言的に何かを言える唯一のツールなんだよね。まぁ唯一かどうかは分からないけど、まぁ無限に対して言及できるツールっていうか。


スピーチのクラス落ちたけどさ、ユークリッド素数の証明をまぁスピーチでやったじゃん?で、まぁやるには用意しなきゃいけないってことでなんつーか説明するってことを踏まえるとなんつーかその説明しなきゃいけないものに対しての理解度ってのが深まるよね。なんとなく分かってたのがすんげー具体的になるっていう。まぁ具体的になってないと説明できないからね。そんときにまぁ感じた事だよね。背理法のセコさっていうかなんていうか。ハーディーだかも書いてたけど、数学の証明って背理法を使うのが一番楽なんだよね。でも実体を掴むのは例えば他の数式でそれを表すとかさ、何かの組み合わせによってそれが出てくるみたいなのってまぁ一応数学的実体と実体同士の組み合わせによって出てくるわけじゃん?だから具体性を帯びるんだよね。その具体性を帯びさせるためにまぁすんげー苦労したのがフェルマーの最終定理とかなんだろうね。加藤和也の本があるから帰ったら早速買うつもりだけど。前にも書いたけどフェルマーの最終定理を理解するのは色んなフィールドの数学の知識が必要だから、とりあえずフェルマーの最終定理を理解しようとかって思えば後から数学的知識がついてくるんだよね。まぁ一つのオブジェクションとして具体的であるからこそ寄ってくる数学的知識も具体的になるっていう。


これはつまりはまぁ数学で言われる抽象化から一般化へみたいなのとはまた違った意味でのラーニングプロセスとしての抽象化から一般化だよね。数学っつっても色々あり過ぎてわけがわからないけど、とりあえずフェルマーの最終定理っていう鋳型を数学的世界に見いだして、それを元に知識を集めていくっていう。で、結果的にフェルマーの最終定理がカバーする数学的知識は広いんで、その鋳型の数学的世界における大きさみたいなのが鋳型を完全に取ることで分かるっていう。まぁどんぐらいかかるか分からんけどね。


まぁそんな感じなんだけどさ、いやね、一気に話は変わるけどさ、銀行口座閉めてきたのよ。あと売り忘れてたテキストを売りにいこうと思ってまぁ久々に外出たんだけど外出ると暑いなっていう。まぁ日光がね。で、なんかさ、俺っていつでもなんでも大げさに考えるっていうか無駄に不安を抱くからさ、銀行口座閉めるとかもすんげー不安だったんだよね。何が不安なんだか分からないんだけど。ADHDとかの本にも出てくるけどね。over sentsitivityみたいな感じで、まぁ物事がなんであれ始めてのことには過剰な不安を抱きやすいっていう。まぁそれはともかくまぁすんげー簡単だったね。一瞬。とりあえず金全部降ろして、んでそっからプロファイルっつーまぁ俺の履歴だかなんだかをプリントアウトしてもらって、んでカスタマーサービスの店員にそれを渡すだけ。あっけなさ過ぎ。


で、その後さ、テキストを売りにいこうと思ってまぁわざわざワールドトレードセンターまで行ったわけだけどってワールドトレードセンターでテキスト売るって意味じゃなくてね、まぁ学校の近くにある本屋っつーかまぁヤクザな転売をメインにしてる本屋があるんだけど、オーナーが悪魔みたいな顔しててさ、すんげー人使い荒いんだよね。バイトのやつらとかすんげーストレス抱えてそうで。奥さんもろくでもなさそうな感じなんだけど、でもまぁ買値が割と高いからまぁここが一番いいんだよね。背に腹は変えられないっつー消費者の心理を利用する商売って強いよねっていう。


あ、んで金曜は休みなんだよね。俺の生活みたいに週四生活でさ、月曜から木曜しかやってないのね。すげー重かったのにさ、あー来た意味ねぇーなーとか思いつつ、Eric Hofferの本を買っておこうかな?と思ってさ、ユニオンスクエアのB&Nに行ったんだけど、大衆運動のやつしか無くてさ、ホッファーが有名になったやつね。ただ俺はバイオグラフィー的なもんに興味があってホッファーの思想には興味無いからさ、まぁいいかと思って買わなかったんだけど、相変わらずここの哲学のコーナーの品揃えは凄くてさっつってもうあんま買うのないけど、シュトラウスプラトンのシンポジウムのやつがあってさってまぁあるのは知ってたけどまぁ買っておこうかな?と思って買ったね。これって講義なのね。だから読みやすい。講義と言えばこないだ買ったクリプキも講義だよね。だから分かりやすいんだよね。喋り言葉だから。特にクリプキに感銘を受けたのは良い意味での俗っぽさね。卑近な例っつーかさ、説明してることはまぁまぁ高度なんだけど、分かりやすい例えとか笑えるような話とかが例に出てたりしてさ、恐ろしい分かりやすさなんだよね。こいつ本当に頭いいなっていう。本当に久々に関心してしまったぐらい分かりやすい。


で、あまりに感銘を受けたんでっつーかこの人って最初の論文とあと名指しと必然性とあとウィトゲンシュタインのやつしか出してないんだよね。相当な変人らしいけど。で、まぁ今日はそのウィトゲンシュタインのやつを買ってきたんだよね。あとシモーヌ・ヴェイユのアンソロジーね。工場日記が読みたいんだけど、工場日記がベースになってるっつーPrerequisite to Dignity of Laborっていうエッセイが入ってたんでまぁ文句無しに買いだったね。14ドルぐらいだったし。いや、俺は労働に価値を見いだしてないからこそすげー労働論に興味があるわけよ。価値を見いださないっつーのもオピニオンだからさ、だからこそ他のオピニオンを読みたいんだよね。そういう意味で自動車絶望工場とかも帰ったら読むよね。ずーっと読みたかったんだけどこっちになくて。


マツダの連続殺傷事件とかあったけど、まぁ安易に秋葉原の連続殺傷事件と結びつけるのはアレだけど、両者ともに自動車工場ってのがなんだか象徴的だよね。まさしく絶望生産工場及びアノミー生産工場なんじゃないかと。いかに労働というのが人間性を疎外するものか?ってのをさ、こういう事件は浮き彫りにしてる気がするよね。市民社会ってのは全ての人間が労働の義務から解放されるべきなんだよね。衣食住には困らなくてQuality of Lifeを追求するために任意でやる労働じゃなきゃいけないわけよ。世界的にそうだけど食いっぱぐれてるやつら多いわけじゃん?日本はまだいいよね。実家に残るっていう手があるから。アメリカとかイギリスとかフランスとか若者がそのままホームレス化するんだもんね。まぁ日本も最近ではそうだけどね。でもまぁ欧米諸国よりはマシだろうっていう。まぁ欧米なんて一般化はできないんだけども。


酷い労働に身を追われる日々を過ごしている市民が居るっていう時点でこれはもう人権侵害と看做さなきゃいけないわけだよね。自己責任とか言ってる場合じゃないわけで。そんなことしなきゃ生きていけない社会ってどうなのよ?って話じゃん?中国とかアメリカとかたまに北欧とかでもあるけど、こういうアノミー系の無差別殺人多いよね。最近。多いとは言えないか。まぁでも目立つっつーかなんつーかまぁつまりは労働に身を束縛されているとかさ、生きる意味ということ自体が労働という目的にすり替えられちゃうっていうかさ、それによる人間疎外だよね。つまりはまぁアノミーってことなんだけど、こういう現象がもたらす精神的ダメージってのはすげーデカいわけよ。ポスタルっつーゲームがあるけどさ、あれは象徴的だよね。


実際は人間はあんなこともしてみたいってぐらいイライラしながら生きてるっていう。まぁフロイトで言えばイドがそのまま自我になったようなのがポスタルだよね。銀行で待たされるのが嫌で人の列に銃を乱射するとかさ、火炎瓶を投げつけるとかさ、まぁあれはギャグだけどさってあまりに倫理コードを外れ過ぎてるからジョークになるんだけど、でもああいうのがジョークじゃなくなってるっていう人もいるわけだよね。もちろんそれは社会的に見ればただのサイコ野郎だけど、問題は社会がそんなサイコ野郎を生み出してしまったということに責任があるんだよね。元々のサイコならしょうがないんだよ。そういうのはもう処刑したりするしかないと思うわけ。でも社会の被害者ってのもいるよねってまぁ左翼的なパラダイムになってしまうけど、酷い家庭環境とか生活環境がもたらす精神的ダメージによって精神が病んでいった結果、サイコな行動に出てしまったってまぁそういうのもあるわけじゃん?そうじゃないのもあるけどね。でもそれはディティールを見てみないと分からないんだけどね。


ある意味でこれはニーチェ的な生の肯定の表れかもしれないんだよね。倫理規範とかってのを気にせずに自分の価値観を作り出すっていう。その価値観の中では人殺しすらも許されるかもしれないんだよね。まぁニーチェはそんなこと言ってないけど、でもまぁそういう風に解釈もできるわけ。超訳ニーチェみたいなくだらない本がベストセラーになってるらしいけど、あんなもんニーチェが一番嫌うタイプの本だと思うんだよね。特にニーチェニーチェ自身の思想であんなことやられちゃってるわけだから可哀想だよね。いや、ニーチェの思想って半端じゃないわけよ。解釈によっては人殺しも可能になるぐらいの思想なわけで。そういう要素が少なからずあるからナチスとかにも利用されたんだよね。いや、価値観の肯定という意味だとさ、自分の生ってのはもうくだらなさすぎて苦痛でしかないからさ、ポスタルみたいなゲームを現実世界でやってカタルシスを得ようっていうことが本人にとっての一番やりたいこととか成したい事になっちゃった場合、そいつを止めるものって無いよね。そんぐらい意志が堅いってのはある意味でそいつは凄く生に固執してるってことなわけでさ、そうまでして自分の生を肯定したいわけだよね。で、まぁいつも引用するけどさ、死の王に出てくる朗読なんだけど、

大量殺人者は標的をランダムに選ぶ場合がある
殺人行為によって無名性や性的不能を埋め合わせるのだ
20世紀 人間は我慢しないことを覚えた
不幸や災難を じっと堪え忍んだりはしない
誰もが正当な扱いと正義を求めている
それゆえ人生に厭んだ者も静かな退場はしない
死に方によって人生に意味を与えようとする
その欲求不満は復讐の形で現れる
大量殺人者は自分を無視した者を狙って復讐する
初めて自分が歴史を創るのだ
死んだ生から 生きている死へ
少なくとも数日間は世間の注目を集めるのだから
このバカげた希望は 非存在の全人生よりはるかに濃密だ
無動機殺人者はポストモダニズムの殉教者である


俺なりの解釈をするとなんでこれがポストモダニズムの殉教者になるのか?っていうとまぁ大きな物語みたいなのが無くなったさ、絶対的なものとかが無くなった世界で、どう動いたらいいのか分からないみたいな相対的な世界観の中で生まれるニヒリズムを殺人という行為によって意味付けを行うってことなんだよね。これによって意味が無かった自分の人生に意味が生まれるわけ。そんぐらい人間ってのは意味が無いってことに耐えられないんだよね。まぁニヒリズムが殺人行為を生み出すってことじゃなくて、ニヒリズムと生きているということ自体が苦痛となってしまうようなものとかね、そういう要素が重なり合わさると「生の肯定」だとか「自分の物語の創造」のために殺人行為を行ったりする場合もあるってことだよね。で、宗教ってのはまぁこういうのを無くす倫理コードとしての役割を果たしていたと思うのね。バカなやつらも宗教のドグマに洗脳させてしまえば下手なことはやらなくなる。でも宗教みたいな大きな物語がワークしなくなった世の中で倫理とか言われても「そんなの分からない」ってやつらも出てくるんだよね。


日本のネットがカオスみたいになってるのもまぁそういう例の一つだよね。あれはまぁ現前がネットで出ているってだけでまぁ現前のレベルは低いんだけど、そもそもネチケットなんて言葉が死後になるぐらいまぁネチケットという倫理コードの意味が無くなるわけだよね。津田さんも言ってたけどyahooニュースのコメント欄とか酷いよね。2ちゃんレベルのコメントとかかなりあるじゃん?でもあれってつまりはイドの現前ってことだよね。ポリティカルコレクトネスとか無さ過ぎてさ、リアル生活の中ではそんなこと言ったら人間関係が崩壊するみたいなこともネットなら言えるみたいなさ、まぁつまりはスーパーイゴってのが無い状態がネットなんだよね。


そういう意味で国家ってのが超自我の焦点だというケルゼンみたいな理論って言えてなくもないよなって思えてくるよね。国家とかあとはまぁ「世間体」みたいな抽象的な空間だよね。その空間自体がもたらす監視だよね。でもネットでは匿名で放言できるから監視というものに意識的である必要がない。だからまぁ言いたい放題言えるわけだ。俺はコテハンで言いたい放題言ってるだけって言われそうだけど、匿名性に依拠して言いたい放題言ってるつもりはないんだけどね、でも客観的に差は無いんでまぁなんとも言えないけど。いや、でも匿名で何かを言うっていうそのヘタレ感が全く俺には理解できないんだよね。オピニオンとして出すならブログとかでもいいからそういうところで出せばいいのにね。


何の話してたんだっけ?あ、価値の話ね。いや、そうなのね。アノミーになるとさ、いやね、それは社会自体が倫理コードを無くすって意味じゃなくて、個々に内在されている倫理コードみたいなのが酷い生活とか環境によって崩壊するっていうのがまぁつまりはアノミーってことで、まぁつまりはこれが一般的に言われるサイコ野郎になっちゃうんだよね。でも実際はプロセスではその形成というものが個ではなくて環境的な要因でもたらされてるって意味でヤヴァイわけでさ、逆を言えば個だったらいいのよ。単純にあいつ頭がおかしいで終わるからね。これが本当にサイコだよね。でも環境的なものによって作られたサイコってのはある意味でそういう環境による一種の作品みたいなもんなわけでさ、そりゃー当然、そういうのが形成されるダイナミズムというのを無くさないといけないよね。完全には無理だけど、んでもまぁ防止することはできる。でもあんまり国家とか社会ってこういうのに意識的じゃないよね。むしろスケープゴートとして利用できるから権力側としても放置しておきたいのかもしれないけど、俺が思うに権力者って権力者って言えるほど具体的じゃないんだよね。単純に手が回らないから放置状態になってるってだけで、そこに支配のメソッドみたいなのって無いんだよね。


とりあえず俺は人間が衣食住を何の前提も無く提供されればどうなるのか?ってのを見たいんだよね。犯罪率とかが見る見る減っていったとすればさ、それは一つのなんつーかまぁ生きるってことが自己目的化してしまうことによる人間疎外が犯罪の原因にもなっている可能性があるっていう仮説をサポートすることにもなるよね。衣食住保証されてて野外レイヴとかしょっちゅうあって大麻とか解禁されてたら人々の幸福度って高くなると思うんだけどねぇー。まぁようは自由と祭りとドラッグだよね。まぁ別にドラッグを解禁する必要はないんだけど、個人的には解禁すれば?って思うんだけど。まぁオランダぐらいのレベルでね。そこで例えば祭りに参加して騒ぐってことが人生の目的になったりするやつもいればさ、少なくとも殺人が目的になるようなやつは少なくなると思うんだよね。他に目的を見いだせるきっかけが自由とか衣食住とか最低限の生活が保障されるっていうことで増えるような気がする。別にニヒリズムの回避がそれでできるわけじゃないけど、でも個々が割と前向きな価値観を創造しやすくなる気がするね。


なんつーかさ、過剰な労働ってのは個人にとっても社会にとっても有害なことなんだよってのをもっと知らないとダメっつーか自明的じゃないといけないよね。だからこそ労働=美徳みたいな構造なんて一回無くなっちゃえば?みたいな極論を言いたくなるわけね。ダブとかアンビエントがかかってるマリファナカフェみたいなのに入り浸るだけが生活になってるやつとか出てきてもいいと思うんだよね。そいつはそれが好きでやってるわけだから。見た目は廃人だけどね、でもまぁまず人殺しとかしないよねっていうさ、危険度は低いよね。あとそこまでがむしゃらに頑張る必要が無くなるってことでっつーか生存に対する熾烈さみたいなのが減ればアッパー系のドラッグの使用率とか逆に減るんじゃないかな?とかって思うよね。ようは頑張るためにシャブとかやってるやつらがやる必要なくなるだろっていう。まぁレジャーとしてやるやつらはいるかもしれないけどね、まぁその比率みたいなのは分からんけどね。社会がダウナーになればダウナー系のドラッグとかが流行りそうな気がするんだけど、まぁそれってある意味で理想的な社会だと思うんだよね。生産性無いけど幸福度は高いみたいな。元々生産性なんて無いわけだから。作らなくていいようなもんも作っていかないとやっていけないからっつって生産を無駄に生み出しているってのが今の社会じゃん?だから無理が出てくるのは当然なんだよね。ましてや金回りが悪くなったら成立しなくなる商売とか多いわけでさ、だったら最初から無理して生産をねつ造するようなことをしなくてもいいような社会を作っていけばいいわけだよね。元々無い金を取り合っても無いもんは無いわけでさ、仕事もそりゃー無いよね。当然。だって元々無いわけだから。


もうあんまり無いっていうさ、資源にしても仕事にしてもやることにしても物語にしてもさ、もう無いよっていうそういうのを自明とした上で考えていくやり方っつーのかな?そういうのが世界的に必要なんじゃないか?って思うよね。すんげーみんな無理矢理なんだもんね。食うためなら手段を選ばないのは分かるけどさ、そのための人生捨てるみたいな職業に就いてるやつとか多いわけじゃん?で、挙げ句の果てにこんな末期的な世の中で仕事があるだけでまだマシだとかって思っちゃうような奴隷になっちゃうわけだよね。これって最悪の悪循環だよね。人類ってのが無くそうと努力していた奴隷制ってのをシステム的に主体がそれを選ぶしか無いという意味で奴隷に自らなるっていうことを選ばせるような構造って何なの?って話だよね。別に労働=奴隷ではないんだけど、ただ余裕の無い労働に日々追われるってのはもう奴隷だよね。これは容認しちゃいけないもんだよね。


適度に休日があって、例えば育児ができるとかさ、あとはまぁ育児がある意味で義務みたいになるから育児のためにあんまり労働ばっかしないでくださいみたいなのを促すダイナミズムとかさ、そういうのって必要だよね。少子化とかいって少子化になるのなんて当たり前じゃんね。今の自分ですら食えてなかったりするわけで。だからまぁ暴論になるけどさ、ちょっとでも考えれるやつなら子供なんて作らないんだよね。でも性欲に支配されてるようなバカは子供を作っちゃう。で、育児放棄だとかさ、生活保護とか受けてる身なのにも関わらず作っちゃうとかさ、そういうのってどうなのよ?って思うよね。ある意味でまぁアフリカとかと一緒だよね。バカ呼ばわりするのはどうかと思うけど、まぁロクな子供が育たないって意味で。そりゃーそうだよね。ちゃんとした環境が無いとちゃんとした人間なんて育たないよね。だから生まれてくる子供達がどんどん二極化しちゃうんだよね。一方は裕福で育てられるっていう設計の上で作られたっていう子供とさ、あとは勢いでできちゃったみたいな子供ね。


変な話、上流と下流にしか子供が存在しないみたいな話だよね。だいぶ下落した中流ぐらいの水準の生活とか知能を持ってる人はリスク回避という意味で子供を作らなくなるからさ、その結果が少子化になるんだよね。つまりは大抵の人は中流ってことなんだよ。でも下流ってのは経済状況関係無くただのセックスの所産として生まれてくるからね。下流全てがそうとは言わないけども。貧乏子沢山って昔から言われてる言葉だけど、まぁつまりは無頓着さを卑下した言葉だよね。そこそこの頭脳の人が子供を作らなくなっちゃったら遺伝的なもんも凄まじく二極化するよね。アホの子とブルジョワの子みたいな。ちょっと言い過ぎか。まぁそれはアメリカなんて特にそうだからね。あんまり金があるようには見えないモロに移民系のヒスパニックとかがやけに子だくさんだったりするんだよね。あとは自分すら食えてなさそうな黒人とか。別に差別じゃなくて事実として言ってるだけね。俺のクラスメートでもさ、そいつあんま頭良くないやつなんだけど、親父がクビになってさ、どうやってやっていくんだ?みたいな家庭状況にあってさ、んでブロンクスのすんげー上のほうに住んでてるような下流移民家庭みたいな典型みたいなやつのお母さんが妊娠して仕事できないとかって言ってるからね。親父は仕事無くて、母親は妊娠してるから仕事ができなくてどうしよう?みたいな。家庭としてはそいつとそいつの高校生の妹なんだけどね。で、そいつは葉っぱ売ってやりくりしてるんだけどね。プッシャーとかになるやつらってこういうやつら多そうだなーって思ったよね。


小遣い稼ぎでやってたつもりが頭もあんま良くなくて学校中退とかになっちゃってさ、んで仕事ないからプッシャーが本業になっちゃうみたいな。そういうのは現象としてあることは事実だから、だから一部の割と裕福な白人が移民を毛嫌いするってのもさ、治安が悪化するみたいな懸念もあるらしいんだけど、まぁそりゃーそうだろうなっていう。リベラルな俺ですらそう思っちゃうもんな。悲しい事実だよね。それは。だからこそまぁ最低限の生活ぐらい国家が保証したら?って思うんだけどね。そしたら別にあえて犯罪者になる動機とかも減るじゃん?逆を言えば必要にせまられてないやつが犯罪者に多くなるってことで犯罪者と言えば大抵頭がおかしいやつだみたいなことになるよね。同情できない本当のサイコぐらいしか殺人を犯さなくなるっていう。まぁ殺人っつっても怨恨とかそういうのは常にあるけど、それはしょうがないよね。アクシデントとかね。


中国とかもそうだよね。8万ぐらいで人殺しとか平気でやっちゃってさ、あとはまぁ非合法のビジネスとかやってさ、んで中国帰って家を建てるみたいなね、帰っちゃえばお咎め無しだからみたいな。あ、そういう目的で来日する中国人ってことね。こういうのも中国人が狂ってるというよりかは彼らの生活レベルが低すぎるから生きるために必然的に倫理コードとかぶっ壊す必要があるっていうある意味で狂ったマキャベリアンみたいになるしかなくなるってことでまぁ生活環境が犯罪を規定してるってことになるよね。こういう場合は。いや、好き好んで犯罪とか人殺しするやつなんて異常者ぐらいしかいないわけだから。


あとは生活ってことに追われ過ぎて悠長なこと言ってられないよ!みたいな理由で人間性とか捨ててまで牙を剥き出しにして生きる野良犬とか野獣みたいな人間が増えるってことだよね。マルクスが言ってた労働によって疎外され続けた労働者の末路だよね。野獣みたいな人間になるっていう。dignityみたいなのってそりゃーまぁ余裕が無いと持てないよね。俺は余裕があるからヴァーチューとか人間らしさとかdignityとか学問とか言ってられるわけでさ、逆を言えば余裕があれば俺みたいな余裕のあるやつが出てくるってことだよ。まぁ俺を良い人間の規範として例に出すつもりはないけど、まぁまず殺人は死んでもしないですよっていう最低限の人間性ぐらいは持ち合わせた人間ですよってことだよね。


人を欺いたり自分に噓をついてまで生きるぐらいなら自分で死ぬ事を選びますよってことを本当に思ってる人間だよね。まぁ武士道とちょっと近いと思うんだけど、でもまぁ俺にとってはdignityとか人間らしい生活をするって命より大事なもんだよね。野獣になるぐらいなら死んだほうがマシなわけ。どの道まぁ死ぬわけだし、だったら退廃しないまま、心は美しいままで死にたいじゃん?これはまぁ積極的な自殺だよね。若者の自殺率が高いのもまぁこういう人間らしさだと思うね。絶望もあるけど犯罪者になってまで生きていく気もないし、まぁそんな度胸も無いっていう、まぁ潔い死に方をしてるやつらもいるだろうね。だからこそこういうやつらの死は惜しいわけだ。で、ロクでもないやつらは犯罪とか犯してだって生きるわけだからさ、生き残る奴らはロクでもないやつらかちゃんとしたやつらかみたいになっちゃうよね。


経済的な階級社会はいいけど、人間性とか内面までもが階級化されちゃうような社会はもはや健全とは言い難いよね。なんつーか俺はいつまで経っても自殺というものを否定できないな。むしろこれは自分で選べる尊厳死っていう最後のカードなのかもしれないわけで、それを否定したりはできないよね。もちろんそんなカードを使わなくても済むような生活ができればいいんだけど。でもさ、こういう潔さとかもまぁ生活環境によって生まれるんだよね。俺が仮にロクでもない両親の元ですんげー貧乏に育ったらそんなもの持ってないかもしれないわけで。でもさ、生きる事に固執し過ぎて人間らしさを失うってそれって魂を失うってことだから死ぬってことと一緒だよね。だったらまだ魂があるうちに肉体とともに滅んでいったほうがいいって気がしない?俺はそうするなぁー。人殺しとかしたくないし、しようと思わないもん。仮にどんな環境であってもね。あえて生きるということにそこまで固執する必要も無いってまぁある程度の余裕が無いと出てこない考えだよね。最初から必死にやっていくことしか経験してない場合、そんなこと一瞬でも頭に浮かばないかもしれないわけで。


有閑ってのが哲学を生み出すように、知性とか品性ってのも余裕から生まれてくるものだと思うね。まぁ全てがそうとは言わないけど、でもまぁそういう要素は大きいだろうっていう。俺もちょっと底辺というほどではないにしても、まぁレベルの低いバイトを経験したことがあってさ、んでそこにいるやつらの卑しさだよね。全てが全てダメだったとは言わないけど、まぁ俺のプロレタリア幻想をぶち壊してくれる良い機会ではあったよね。虐げられている人達もいるかもしれないけど、元々ロクでもなくてなんの能力も取り柄もないやつらが大半なんだってことが分かったわけだよね。で、そういう場にいると環境的な影響を受けちゃって、元々そういう人間じゃないやつもどんどん品性を失っていくかもしれないわけだよね。まぁ人間的に腐っていくって話なんだけど。俺はそんな場で自分の品性を保てる自信は無いんだよね。まず精神的に持たなくなるとは思うけど、まぁどの道、地獄だよね。まぁそんぐらいなんつーか生存っていうプリミティヴな行為は野蛮な行為だってことだよね。だからこそ野獣化するわけよ。生存のためだけに生きるからね、プライドも品性も無いわけ。ただ自分が餓えなきゃいいっていうそれだけで生きていくわけだから。


いや、長くなったな。まぁ別に俺は日本のことだけを言ってるわけじゃないからね。アメリカとかでもまぁちょっとぐらいは垣間みた何かをベースに物事を言ってたりするから、まぁなんつーか大げさな言い方になるけどまぁ人間全般ってことだよね。特定の社会に依存した何かってことじゃなくて。遺伝的なものが人間性とかさ、知性を決めているのかさ、環境的なものが決めているのか、まぁ半々だと思うけど、それって例えば全ての人達の生活が仮に保証されたりしたら顕著に表れると思うんだよね。で、まぁ俺は知性とかはともかくとして人間性とかってのは本当に環境だと思うからね、だからこそ個々の良い環境を育んでいかないといけないわけだよね。どうしようもない人間ばっかが増える社会なんてロクなもんじゃないから、そういう意味で生存を強いるような社会ってのは絶対反知性的で反人間的だから変えたほうがいいわけね。


あとまぁ「生きるためにはしょうがない」とか「食っていくためにはしょうがない」みたいな言い訳もやめたほうがいいね。それを選んでるのは自分なんだからさ、それを何かのせいにしちゃいけないよね。よく映画とかで選択を迫られるシーンがあるよね。生きていくためにモラルとか尊厳みたいなのを捨てるのかさ、地位とか財産は失うけど人間らしさを捨てないで生きていくのを選ぶのかさ、まぁ俺にとってはどっちがいいかは明白だと思うんだけど、生に執着し過ぎているとそうでもないのよね。だからあんま生きるってことを自己目的化しないほうがいいんだよね。むしろそのコンテンツに目を向けましょうだよね。とりあえずビジネスだっつって空虚なのやるんじゃなくて良いコンテンツを作りましょう!っていうそういう前向きな動機だよね。ビジネスをやるってことが自己目的化しちゃうと金さえ稼げればいいやってことになって品が無くなるじゃん?質とか下がったりね。商業化すると芸術とかのクオリティが下がるのってこういうことだよね。それは芸術の大衆への迎合でもあるし、芸術家のcorruptionでもある。食うために自分の芸術を捨ててまでそれを選ぶなんてもう芸術家じゃないもんね。ただの商売人だよね。それって。まぁ俺はそういうのめちゃくちゃ卑しいと思うんだけどね。


ってことでっつーか肩いてぇ。本屋に行ったことだけ書こうと思って長く書くつもりじゃない体勢で永遠と書いてたから肩痛くなった。ってことで今日はこの辺で。


PS


ちょっと最後にまとめを。ようは俺が言いたいのはね、生きるってこと自体が自己目的化しちゃうと品性も尊厳もモラルもあったもんじゃなくなる場合もあるってことね。色んな連続殺傷事件とかもニヒリスティックに見えるかもしれないけど、実はあれは凄まじい犯人達の人間らしい生の姿なんだよね。もちろん褒められるものではないけど、でも本人達はああいう行いによって自分の生を肯定しようとしていたかもしれないわけでっつーかコロンバインとかモロにそうだと思うんだけど、生きるっていう事自体に固執し過ぎる逆に危険だってことが言いたかったわけね。もちろん世の中ってこのさ、品性と生きていかなきゃいけないことみたいなのを両立させるっていう、どっちかではないまぁ常にグレーゾーンみたいなところでやっていくもんだとは思うけど、「生きなきゃ」ってことに振り切り過ぎると人間にとって大切なものを失う場合もあるってことね。


PS2


貼り忘れた。クリプキが喋ってるやつ。ちょーウケる。大ファンになってしまいそうだ。


http://www.youtube.com/watch?v=DBzUGKLvKVY