ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

三島由紀夫とか岡潔とか。

ファミリー用のパソコンで更新っつーのもなんかアレっつーか、パソコン自体をやる習慣が無くなっちゃっててさ、どうしたもんかなぁー?と思ってまぁあれなんだよね、ウォール伝のテキストをマックで書いてさ、まぁ大抵書くのは夜中だよね。でもファミリー用のパソコンは夜中には使えないからさ、だからまぁあれなんだわ、更新できないっつーかまぁ書かなくなるっつーか。まぁ書くようなこともあんまり無いんだけどね。で、まぁあれなのね、マックでウォール伝書いて、んでまぁそれをメモリースティックでファミリー用のパソコンに持っていってんでそっから更新すればいいよなって感じなのよね。今の所っつーかまぁしばらくはそうしようかなと。ただ今は明らかにインプットの時期なんだよね。こないだ買ってきた本とかさ、そういうのをずーっと読んでるからなんつーか書くってことが無いよねっていう。


あ、んで三島由紀夫なんだけどさ、ちょうどまぁ岡潔のエッセイなんかも読んでるっつーのもあってまぁ共通性を感じたのはさ、まぁ政治的なことはともかくとして、まぁ両者に共通しているのは憂国ってことだよね。あとは日本民族ってのは特殊っつーかまぁwesternizeされるべきではないっつーかさ、独特のもんがあるからそれは捨てるべきじゃないんだよみたいなのはなんつーか共通してるよね。それは右翼とかってことじゃなくてまぁ文化ってことだよね。日本独特の良い文化とか土壌とか精神性ってのが西洋化によって骨抜きになるっつーとあれだけど、まぁ変わっちゃうっつーのがどうなのよ?ってところなんだと思うんだけど、特に三島由紀夫の文化防衛論で書いてあったさ、守る事ってのは現状肯定とか現状維持なんではなくて、守る事自体がつまりは確信ということで、何かを生むってことなんだってところなんだけどさ、いや、やっぱそういう意味での保守だよねってところだよね。右翼っつーか保守の本義がここにあるのならまぁなんつーか右翼も左翼も関係無いよねってところだよね。


そういう意味で俺の過去の右翼解釈が非常になんつーか間違った右翼解釈っつーかダメ右翼を基準とし過ぎてたからだからまぁ右翼嫌いになってたわけだよね。まぁ街宣車とかでやってるまぁ問題外の連中とかさ、ああいうバカが簡単なロジックでいける愛国っつーのをキーワードにやっているオナニー的な政治運動っていうさ、それを右翼と定義したらまぁ右翼なんてクソだよね。カス以下っつーか。現状がクソなのに日本を批判しちゃいけないだとかさ、総理を批判しちゃいけないとかさ、そういうこと言うやつらいるじゃん?いや、それが保守と言えるのか分からないけどさ、シュトラウスも政治哲学の役目ってのは社会のpreservation or changeだって言ってたけどさ、それはつまりは良い部分っつーか文化とか様式ってのを例えば西洋化とかグローバリゼーションみたいなのから守るってことだったりもすると思うのね。そこがまぁpreservationだと思うんだけど。


で、まぁchangeは言うまでもなく革新だけど、それはダダ的な既成概念を全部壊すみたいなことではなくて、良い部分がpreserveされながらもより良い社会を作るために変わっていくべきところは変わっていくとか新しいものを生み出すっていう意味での革新だよね。なのでこれは伝統の否定ということにはならないわけだ。でもなんかさ、右翼っつーと武士道とかさ、大和魂みたいなところがあって、んで左翼っつーとそういうのが軍国主義に利用されたとかなんだとかでまぁ嫌うじゃん?でもまぁこれってのは本当にくだらん分け方だよね。武士道とか大和魂とか一緒にしていいか分からないけど大和撫子とかさ、日本の良さってあるじゃん?日本的な良い概念っつーの?それをさ、西洋化っつーかグローバル化の波とのcompatibilityが無いとかっつーんで無くすっつーか時代遅れなものと看做すっつーのまぁ早計だよね。


むしろグローバリゼーションみたいなのに仮に抗うのだとした時に武士道とか大和魂みたいなのは役に立つかもしれないっつーかさ、それはまぁクローズドになるという意味ではなく、魂を持つってことだよね。アメリカとか諸外国にヘコヘコするだけじゃないっていうさ、まぁ日本らしいポリシーを持つっつーか精神性を持つっていうかさ、それがまぁ頑固で時代遅れなものじゃいけないんだけど、でもやっぱ学べる所ってあるじゃん?そういう日本の昔の精神性っつーのかな?GHQが恐れたから武士道っつーのをやめさせたっつーか教育から除外したとかなんだとかってまぁソースが無いからなんとも言えないんだけど、まぁそういうのってあるじゃん?その日本特有の精神性の危険さだよね。ある意味でのヤヴァさっていうか。それって何気に今後必要になるんじゃないかなー?って思うよね。


利益だのなんだのっていうさ、ユニバーサルとも言えるようなロジックとか行動原理だけでは動かないっつーような独特の精神性っつーのかな?そういうのってまぁ魂だと思うんだけどね。でも別にこれって右翼とかって関係無いよね。時代遅れなところは多分にあるとは思うけど、でも学べる所もあるわけでさ、それこそがまぁ文化じゃん?ヘリテージだよね。ヘリテージされてもいい良いところってあるじゃん?それをpreserveするってことだよね。もしくは革新に役立てるってことじゃん?別になんかさ、日本刀持って暴れるとかさ、日の丸持って万歳!とかって言うってことじゃなくてさ、もっと根底的な日本の精神ってことなんだよね。


なんかでも書いててもうダメだなぁーって思ったな。三島由紀夫があの時代に武士道とか暗殺って言ってた時よりももっと時代遅れな気がしてきた。なんか場違いっつーか時代違いっつーか。何言ってんだ?俺?っていう。いや、別にこれは俺の意見ではあるんだけど、実行性が無さ過ぎるよね。今の日本って言えばまぁ迎合とか奴隷化とか同調するってこととか萌えるってこととかじゃん?そんなんじゃダメだ!武士道に学べ!なんてまぁ無理だよね。インポの人間に勃起してこその男だろ!っていうようなもんなわけで。まさしくまぁ空虚な精神論になっちゃうよね。でも俺が言いたいのは文化論なんだけどね。そういう意味でのまぁ文化防衛論だよね。こんなに退廃してていいわけ?ってことだよね。


まぁでも民族の固有性なんて無くなっていくんだろうな。どこでも。インド人らしさとかさ、南米人らしさとかさ、そんなもん世界の画一化とか合理化の波にぶち壊されていくんだろうなっつーかまぁぶち壊されてるんだろうね。グローバルスタンダードから見て非合理的なことはもうできないようなムードになってるじゃん?そんなことをすれば孤立するっつーかさ、時代遅れっつーか追いつけなくなっちゃうから、だからまぁみんなグローバルスタンダードに基準を合わせるみたいな。まぁそうじゃないとやっていけないっつーリアルな問題があるからまぁーしょうがないのかな。


でもまぁなんかさ、俺は三島の暗殺論っつーか暗殺肯定とかすげー分かるのね。肯定したい気持ちが。天皇がどうのとかさ、天皇が軍事の指揮権を握るみたいなことを言ってたような気がするけど、まぁそういうのは置いておいてもでもまぁ三島に共感できるところは結構あるよね。つまりは三島が言うような日本らしさとかね、岡潔が言うような日本の情緒とかね、そういうのってやっぱpreserveしていかなきゃいけないものだと思うのね。それがなんでか?っていうとまぁ良いものであるからだよね。すげー尊いものっていうかさ、まぁ日本人であることの根拠っていうかさ、それはルーツがあってないようなごっちゃなアメリカ人とか見ててそれはすげー感じたわけね。


soul foodみたいなのもなくてさ、血は混ざりまくりで何がなんだかさっぱり分からないっていうさ、自分の母国が持っていた文化とかがさっぱり無いのがアメリカなんだよね。リアルにそのルーツの無さとか文化の無さに悩んでたアメリカ人とかいたから「そうなのかー」って本当に心から思ったんだけどね。歴史があるとか文化があるってだからまぁすげーことなんだよね。もちろん長く文化としてあったからという理由だけで守るべき文化だと言うことにはならないんだけど、でもそれは前から書いてるように日本の文化って良いところ多いじゃん?例えば?って言われると微妙なんだけどさ、なんかアブストラクトだけど言葉とかロジックでは表せない情緒とかさ、味わいっつーのかな?まぁ粋とかさ、侘び寂びとかさ、日本特有の概念ってあるじゃん?訳語が見つからないような独自のもんね。そういうのになんか俺は惹かれるっていうと変だけど、それはなんつーかそういうのがほとんど無いアメリカにいて思ったわけよ。その価値っつーか素晴らしさだよね。そこにしか無いvalueとか概念って凄いと思うわけね。その文化とその民族にしか分からないとか根付かないような価値とか概念ね。


まぁもうほとんどアメリカみたいになってるっつーかさ、先進国マインドって若干の違いはあれどまぁどこも同じだと思うのね。あの薄っぺらい安っぽい感じっつーの?だからもう無理だけどね。まぁ広めたり啓蒙しようとしたりはしなくてもいいけど、然るべき人達はそれを理解してっつーか心に刻み込んで自分なりにpreserveしていくってことが必要なんじゃないかな?とは思うよね。それは懐古趣味とかね、学問的な歴史とかっていう意味ではなくてプラクティカルな哲学としての日本文化っつーか独特の日本的概念ってことね。それがまぁ生き方の哲学に繋がったりね、楽しみ方ということを定義する際の主要な概念になったりね、つまりはそれが精神性が息づくっていうことだと思うのね。それは形骸化されたような型だけのものではなくて、心底それに心酔して実行するとかね、使える概念だとか哲学だって思って自分の人生に役立てるっつーのかな?


で、そういう人間が日本特有の日本的な何かを利用して何かを作り出したりすることができたらやっぱそれって文化とか民族的なものに根ざした革新であると思うし、まぁ生むってことになると思うんだよね。まぁどの道、今の日本はグローバル化社会という意味でも、古典的な日本っていう概念から見ても異様だよね。凄まじく不健全だよね。それは良いわけがないんで、まぁどういうアプローチであれまぁ変える必要はめちゃくちゃあるよね。


まぁ上手いことグローバル化に乗ってるならいいけどモロ乗り遅れてるじゃん?いや、一部の最先端を行くような企業は別よ。アヴェレージの日本人は全然追いついてないってことね。あまりに民度が低すぎるっつーかなんつーか。まぁそこでさ、クローズドにはなってしまうけど、独自の日本らしい精神性があるからこそ西洋化とかね、グローバル化に馴染まないみたいなことであればいいのよ。それはそれで問題なところもあるけど、んでもそれってまぁ強みじゃん?独自の価値観とか文化を持っているからこそ揺るがないっつーか譲らない部分とかがあるっていうまぁ精神性だよね。でもまぁ今の日本にそんなの無いじゃん?文化も哲学もゼロみたいなフニャチン社会だからさ、だからなんつーか底力みたいなのが無いんだよね。


まぁなんつーか俺は世界の画一化が嫌なんだな。文化の固有性とか都市の固有性とかが合理的な画一化によってどんどん無くなっていくっていう。主に使用されるものがファンクショナルなファーストフード店とかスーパーだったりして、過去からのものはもう形骸化するっていうか、まぁテーマパークっつーか観光化するっていうか。だからこそまぁ俺はあんまもう世界に興味が無くなったんだよね。ニューヨークにその縮図的なものを感じたので海外っつーか場全般への幻想が無くなったっつーかなんつーか。だからまぁどこにいけばいいのやら?って感じではあるんだけどね。まぁ実家は居心地が良いけども。かといって別にハングリーさが無くなるわけではないんだなってのはまぁ最近感じるところだよね。むしろ環境的なものによってハングリーさをキープするってまぁ結構依存してるっつーかまぁなんつーか精神的に弱いよね。まぁそういう意味でニューヨークにいたっつーのはまぁ精神的なものをエスタブリッシュするためには凄く良かったわけだね。だからまぁ今も同じメンタリティで生活できるっていう。


知識欲に身を任せていればいいからまぁ結構楽だよね。堕落ということがあんまりありえなくなってるからまぁそこはオッケーな感じだよね。ストイックとかって意識しなくてもまぁストイックなんだよね。まぁなんつーか前のメンタリティとかマインドセットとか生活っつーのが内在化された感じだよね。あえて意識しなくてもすでにあり続けるっていう当たり前のものになってるっつーか。まぁそれでも常に俯瞰し続けなきゃいけないけどね。それが当たり前になるとまた見えてこないものってのが出てきちゃうからね。


それにしても分からんけどブルジョワ的だけど文化的に生きるってある意味での革新的な保守的姿勢なんじゃないのかな?って思ったよね。文化をpreserveするってやっぱ接したりなんつーかそれを愛するっていう感性が必要じゃない?つまりはまぁ有閑的なのよね。忙しい人にはなかなかできる芸当ではない。だからこそ文化的という意味において高等遊民って必要なんじゃないか?って思うよね。彼らがいなければ誰が文化を担うんだ?って話だから。まぁ文化を担うっつーと大げさだけど、まぁ誰が文化に接するのか?ってことだよね。文化なんてまぁ好事家が愛でるようなもんだからね。


そんな中で日本的な何かに接しているところから日本的な何かが現代に出てきたらそれこそまぁ文化の創造ってことになるんじゃないのってところだよね。それがヘリテージされたものではなくても文化に接することで結果的にそれがヘリテージになるっていう、まぁつまりは文化に対する能動的な姿勢だよね。それがまぁつまりは革新でありpreservationであり何かを「生む」ということに繋がったりする場合もあるわけだ。


まぁ日本って歴史的な断絶があるじゃない?特に明治以降の西洋化からまぁ戦後とかは特に酷くなったけど、今ってまぁその明治以前みたいなのに観点を置くこととかって結構有効な方法論なんじゃないの?って思うよね。まぁ別にそれは江戸時代とかを幻想的に評価するってことじゃなくて、歴史的コンテキストの上で日本を現代的な観点から再解釈していくみたいなことだよね。まぁつまりは断絶を接続に変える作業っつーかなんつーか。真の革新ってのは保守的な態度からしか生まれないんだなってのは本当に感じるところではあるよね。過去を否定したっつーか断絶された歴史の上に成り立つ革新なんて大抵は西洋的なラディカリズムのパロディだったりするわけで、そんなの革新でもなんでもないよね。


まぁそんな感じだわ。まだ書く事があるような気がするけど汗臭くてシャワー浴びたいからもう終わるわ。




いや、情操ってのは良いキーワードだよね。まぁ俺が言いたいのは情操的教育とかってことじゃなくて有閑的情操ってことね。そこから生まれる創造性だよね。まぁ岡潔が有閑的だったかはともかくとして、まぁおそらく哲学とかに必要な有閑性ってつまりは情緒の有感性なんだよね。まぁつまりはsensitivityってことね。論理とか理屈みたいなものを超えたところにある感性的なものだよね。