ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ディオニソス的な生の肯定とかって言ってみたりして。

週末は更新するタイミングがないもんで。んだからまぁ金曜に書いたやつを貼るです。


アキレスと亀パラドックスってのは聖剣伝説をやれば分かるよね。いくら走っても1コンキャラクターに突っかかってしまうCPU制御の残りの2キャラクターっていう。まぁ半分ジョーダン23だけどね。


んで今日は一年ぶりに画家のyokonaitoと会ったわけだが、なんつーかまぁ去年も書いたと思うけど、彼女は某大学の夜間で画業の傍ら哲学部に所属していて哲学を勉強してるんだが、なんつーか凄まじいんだよね。ハマりっぷりが。それは俺が哲学好きだからなんだか目に見えてハマりっぷりが分かるっつーかまぁ去年と比べてようは度が増してるんだよね。あと恐ろしく知識が増えている。前では全然伝わらなさそうだったことが伝わるっつーかまぁ哲学的なタームって意味だけど、だからまぁ結構な哲学談義ができたっつーか彼女がよく喋るんでずーっと話を聞いていた感じなんだけど、まぁ楽しかったね。相変わらず驕ってもらったりなんかしちゃって。ホント、家族にも友達にも出世払いだよなぁー。マジで。


なんつーかなんとなく思ったのはやっぱ芸術的な感性がある人っつーのは哲学とかまぁ思想系に向いてるっつーかやっぱりabstractionっつー意味でのまぁフワフワしたような概念を扱うものっていうことでなんつーかフォーマットは違えどなんか共通するものがあるのかなぁーって感じはしたよね。去年はまぁ画業の傍ら興味出てきたからやってますみたいな感じだったけど、今はもうズブズブなんだよね。それこそ兼業ってぐらいハマってるわけで、まぁなんか傍目で見て嬉しかったんだけどね。あんなにハマるとは。


で、なぜかソクラテス以前のギリシャ哲学が大好きらしくてさ、まぁカントやらヘーゲルやらフッサールやら哲学全般は色々と読んでるみたいなんだけど、なんつーかやっぱそうだよなぁーっていう。哲学者がアートを志向したりとかさ、アートを志向している人が哲学を志向したりとかさ、まぁそれって時間軸で見たときの順番の差なんであって、実際は俯瞰したら同じようなものなのかもしれないなぁーとは思ったよね。アートぶってる美大生とか哲学病なだけの大学生とかは別として、まぁ生得的に感性的な人ってのはまぁそういう傾向があるのかもしれないね。彼女はバイだし。バイエピソードにもお互い事欠かない感じで。


いや、昨日書いたアダマールの本にも載ってたけど数学者とかも音楽愛好家とか実際に音楽をやってたりする人とかが多いらしくてさ、まぁ数学者ではないけどまぁアインシュタインのバイオリンだとかファインマンのボンゴだとか、まぁなんだかそういうのってあるよねっていう。結局はなんつーか言葉では言い表せないフワフワって意味での抽象なんだろうなって気がするよね。イメージとしてはだから秀才とかじゃないんだよね。芸術系のぶっ飛び系っつーのかな?まぁ変わってる系っつーか。反秀才論って本を今読んでるけど、これを読んでても秀才と反秀才の差って本当にまぁ分かるなっていう。で、俺もまぁ当然反秀才に惹かれるし、実存的にそうありたいなって思うけど、まぁそういう意味でエリートじゃないっつーのはいいよね。エリートってなんかアベレージの成績が良いっつーかさ、なんかまぁ色々と優秀なんだけど、センスとかあんま良く無いっつーかそこまでもがアベレージっつーイメージがあるっつーか実際そうだよね。実生活もが秀才なんでまぁあんま面白くないっつーか。いや、批判じゃないんだけどね。


反秀才論で言う所のなんつーか知性っつーよりかはパトスが勝っちゃってて、んでそれに何もかもがドライブされてる感じっつーのかな?まぁある意味でADHD的な感性っつーかなんつーかuncontrollableだけどベクトルが面白いんだよね。スト3で言うところのまさしくQみたいなもんだよな。弱キャラとかって言われてて、まぁ秀才であるケンとかチュンリーと比べると明らかに劣ったように見えるんだけど、ただ凄まじいパトスで使いこなすと隠れボスキャラか?ってぐらい妙に強いっていう。あの良いアンバランスさだよね。それにまぁ俺は憧れるのかもね。もしくは実存を投影してるのかもしれない。古いけど龍虎の拳で言うジャックみたいな。大振りだけど当たると威力があって、んだから一発屋っつーかさ、大味なキャラなのか?とか思わせておいてテクニカルに使うと普通に強いっていうね、それだよね。uncontrollableをcontrolできたときに生まれる強さとか面白さだよね。足りない技巧の部分を補えれば下手すると強キャラとかより強いかもしれないっていう。


で、俺は自分自身にQみたいなところを良くも悪くも昔から感じてきていたから、だからまぁ自分自身に面白みがあるっつーか楽しみなんだよね。普通じゃないからどうなるか?っていうその変化が楽しみっていうか。まぁゲーム感覚っつーか育成ゲーム感覚っつーのはすんげー前に書いたよね。で、書き込みに「良いこと書いてるんだけど読み辛いんでなんとかしてくれませんか?」って書いてくれた人がいたエントリーで書いたと思うんだけどってよくこういうの覚えてるよね。俺。実生活で肝心なことを忘れたりする事が多いんだけども。普通じゃないから普通にadaptしようとするaccommodationは最悪だよね。それこそ生のpluralismが守られてない普通という名のファシズムだよね。普通じゃ無いならその普通じゃ無いという部分を個性として捉えて活かそうっていうのがまぁ良い生だよね。ディオニソス的な生の肯定っつーかなんつーか、まぁつまりは逸脱者として超人を目指すってことだよね。ちょっとかっこ良すぎるか。


ただまぁ最初から社会性なんて無いわけだから、まぁ無理にadaptしようとしなくたっていいんじゃねー?ってことやね。なんでちょっと違うからっつってそれが排除されたりあとはまぁadaptすることにその人が苦労しなきゃいけないの?ってことじゃん?まぁ社会に肯定は求めないっつーかまぁ多様性はあったほうがいいんだけど、まぁでも仮に多様性が無くてもまぁディオニソス的な生の肯定というのはまぁ逸脱者とか孤独者に残された最後の生の道だよね。むしろ逸脱者には超人っつー究極の生の道が開けてるって意味でそれはむしろアドバンテージなんだってことが言えると思うんだけどね。まぁ逸脱者っつーとかなり言葉に語弊があるけども。まぁ俺が言いたいのは良い意味での活かせば良いものになる個性っつーよりかはまぁ変な感じっつーかまぁ変わりものの変わってるっつーところだよね。そういうものを持ってたらそれはアドバンテージなんだよってことだよね。


まぁ普遍的な言い方はできないけどさ、肯定できるものなんだっつーまぁメタ的な俯瞰をする判断をするのは本人達だよね。まぁモラルみたいなのが主体に委ねられるって意味でまぁ危ない思想ではあるんだが、まぁなし崩しのaccommodationよりかはパースペクティヴ主義でいいんじゃないかと思うわけだよね。そこで俺は始めて政治性みたいなのが主体に生まれるような気がするんだよね。所与のモラルとかパースペクティヴとは違った良い意味でも悪い意味でも個人的なパースペクティヴが重なりあう集合の中の要素同士の意見の政治的な調停っつーかなんつーか。


調和は無理だからまぁそこは調停なんだけど、まぁそれでいいよね。十分これは政治的な気がするな。ちょっと変なパラダイムだけど、ようは個人で言えばシュテルナーぐらいのアナーキー個人主義で、そういう個体同士の調停なり政治的討議ってのが公を規定する政治性を生み出すみたいな。そんぐらいじゃないと主体的な個々の政治性って生まれない気がするんだよね。なんかそうでもしないとただの浮遊する一票みたいな政治性もクソもない感じの民主主義になっちゃうよね。まぁ民主主義ってそんなもんだと思うんだけど。


まぁちょっとアレ過ぎるか。アダムスミスの競争性の原理みたいな。In competition, individual ambition serves the common goodだったっけな。で、それこそナッシュのゲーム理論みたいな均衡点を見つけるのがつまりは政治的調停なわけよ。つまりはそれは均衡点という意味において調停なわけ。調和ではないのね。でもそれでいいわけよ。なんかでもハイエクとかケインズの入門書みたいなのを読んでると思うんだけど、やっぱ計画経済っつーんだっけ?エリートが計画して何かを作っていくっていう経済がいかにダメなのか?ってのがよく分かるよね。かといってケインズダメってことにはならないとは思うけど、結局はまぁ自由主義じゃないとダメなんだなぁーってのがよく分かるわな。


トクヴィルの共和制から民主制じゃないけどさ、まぁつまりは政治性を規定するべきものは個々の政治的活動なんだってことだよね。まぁつまりは生きるってことだよね。それは政治運動という意味ではなく生のダイナミズムとしての政治ね。それを規定するのはつまりは個々の自由っつーか、まぁ自由意志ってことだよね。


まぁそんな感じでまた明日溜めから更新するですよ。



いや、確かにトクヴィルって分からんよね。著者が言及してるように文体は分かりやすいのにはっきりとした主張が分かりづらい。まぁそんな感じだからこれみたいな研究者が書いた本は参考になりますですね。結構オススメですね。これは。



いや、著者のいろんなエッセイの寄せ集めなんだが思ったより気楽に読める感じでなかなか良いね。