自分を基準にして現実を決めてやる!みたいな感じだよね。

いや、元相方が茅ヶ崎まで来てくれるっつーんで茅ヶ崎で会ったんだよね。yokonaitoも一緒に。で、まぁ色々と本を買ってもらったわけだ。金欠なのでっつーか本を買い過ぎたからね、そしたらまぁふっかけたつもりはないんだけど、値切られたりしてちょっとご立腹しちゃったんだけど、マズかったなぁーとは後で思ったりしたね。いや、それらの本っていうのは俺的にも良い本で、んで元相方も凄く欲しがってた本とか、あとはDVDのボックスセットとかだったんでさ、まぁそこそこ妥当な値段だったと思うんだけど、元相方的にはちょっとキツかったみたいで。いや、これには予想外だったんだよね。いや、いいのよ。ただこれは価値観の違いでさ、俺はね、いつも書くように良いものには糸目を付けないで買うのよ。良い本ってのはさ、もう手に入るってことが良くて読めるってことがもう良いからね、だからまぁ若干の値段の誤差っつーか例えばアマゾンで買えば安いとかさ、そういうのはどうでもいいんだよね。妥当な値段で買えれば金額なんてどうでもいい。


で、まぁ今回は俺のそういう一方的な本への価値観ってのを元相方に押し付け過ぎたかなぁーって帰りの自転車で思ったのね。まぁ俺は恐らくその本への何かっつーか感情ってのがやっぱ並大抵のものではないんだろうね。だから普通の人と言うと変だけど、結構本を読む人から見てもそれは異常なものに見えてしまうのかもしれない。でも俺は主観的に「こんな良いセレクションでこの値段だったら妥当でしょー」っていうイデオロギーを押し付けちゃったっつーかさ、そもそも買ってもらうために来てもらったわけで、まぁ立場的にそんな言い方しなくてもいいんだけどねぇー。でもそれは元相方がケチだとかそういう批判っつーよりかはそれだけ良い本に金を出し渋るなんてどういうことだ!っつー自分勝手な怒りが一時的に爆発してしまったのかもしれないね。まぁ別に喧嘩とかにはならなかったんだけど、久々の感情の起伏があったんで、なんか結構後悔してるんだよね。本への価値観なんて人それぞれなんだから俺の価値観を誰かに押し付けるわけにはいかないじゃん?でもそれをモロに今回はやってしまったなぁーとかなり後悔してんのよね。本当にすまんね。元相方。わざわざ茅ヶ崎まで来てくれたのに。


でもこれは本当に要注意な点として心に留めておかないといけないな。俺の本への何かってのはかなり常軌を逸したものだと。だから間違えてもこれがデフォルトだなんて考えちゃいけないわけだね。まぁ俺がおかしいわけで。本当に失礼なことを言ってしまったなぁー。


ところでまぁ色々と話したんだけどさ、なんか絶望話が多くて疲れちゃったね。元相方はウォール伝の割と定期的な購読者なんでさ、色々とまぁ細かい俺の状況とかまで知ってるんだけど、ようは俺が大学に進学するってことを知っててさ、だからまぁアドバイスというわけではないんだけど、まぁ俺が話を振ってね、まぁ大学系の話をしてくれたんだけど、まぁ本当に悲惨なんだよね。元相方は早稲田だけど教師ぐらいしか話し相手がいなかったって言ってたし、まぁアヴェレージの学生のレベルがどうしようもないらしいんだよね。あとは東大の院のゼミだかなんだかに出たんだか、まぁ東大の大学院生とも何人か話した事があるらしいんだけど、まぁ具体的には書かないけどさ、まぁ話を聞いてる限りまぁ終わってるんだよね。


終わってる人達の話が本当に多くて「ハァー・・・」って感じだったね。俺は大学に期待はしてないけど、でもまぁあそこまで酷いと本当になんだかなぁーっつーかさ、いや、なんかね、ソースは分からんのだけど、結局、研究職とか大学のポストとかを得るにしてもまぁそれは凄く過酷な道だというのは分かってるけど、さらにリアルな話でかなりコネ社会らしいんだよね。親が大学教授とかさ、なんかまぁ親が関係したコネとかなんとかでまぁほぼポストが決まるみたいな話をしててさ、だからすげーこと言っててさ、俺が仮にこのまま大学を出て院を出てもポストは絶対無いよとかって言うわけよ。一瞬ドリームキラーか?とかって思ったけど、でもまぁ彼が見聞きした経験から言うとそういうことになるんだろうなぁーというのは分かったよね。


yokonaitoの場合、まぁ職業柄美大の話とかを色々と知ってるんだけど、まぁ細部は置いておいてさ、なんつーかその「ダメだよねー」っつーポイントが不気味なぐらい元相方と合うんだよね。つまりは大学のダメ加減っていう話題では美大もまぁ普通の大学もどこも変わらないっていうさ、いや、ニューヨークでもそこそこの大学行った人からも似たような話を聞いたし、言わずもがなのKazさんからもそういう話を聞いたし、彼自身がそういうエントリーを書いているし、「どんだけ酷いんだろう?」っていうのに逆に興味があるんだよね。で、まぁファミレスに11時過ぎまで居た後にさ、まぁ解散になって、んでまぁ家に帰ってからなぜか母親と妹とさ、「いやーこんな大学の話をしてたんだけどー」なんて俺が話し始めたらっつーか話し始めは違ったと思うけど、まぁ大学の話とかになると、同じく大卒の妹からも似たような話が聞けるんだよね。この不気味な様々な人の大学のダメさ加減に対する一致というのはもう事実を示しているとしか言いようが無いっつーかさ、俺があえて行かなくてもダメなのは分かりきってるっていうかさ、本当にダメなんだろうなぁーっつーか落ち込むぐらいダメでもう困ったね。ダメダメ書いてて何がダメか?って具体的に書いてないからさっぱり分からないだろうけど、まぁ細かいこと書いてたらキリないからね。


元相方は社会科学とかを真面目にやろうと思って大学に入ったんだけど大学のダメさとか大学院とかのダメさ加減を目の当たりにして自分がやりたいことはできないなって感じてまぁ諦めてんでまた昔経験していた自分を殺して仕事するっていう生活になったんだけど、なんかやっぱ俺は期待してたわけだよね。彼に。彼は頭が良いから。知識量も多いから。だからなんかアカデミックなところでなんかやってほしかったんだけど、まぁ土壌が無いことにはもうしょうがないよねぇーって話にはそりゃーなるよな。話を聞いてると一方で社会とか大学のせいにし過ぎてるんじゃない?って言いたくもなるときもあったけど、彼が見聞きした実情を語っているだけなので、せいもなにも無いんだよね。それこそネカフェ難民みたいなもんでさ、動きようがないっつーかなんつーか、まともな人だったら見切りをつけるような世界らしいんだわな。日本のアカデミアってのは。まぁ全部が全部そうではないとは思うんだけども。


でも俺はやっぱ実際に見たいよね。まぁ大学には期待はしないけど、でもやっぱ俺が実際経験するのと聞いただけの話ってやっぱ違うからね。特に俺は普通の人が大勢集まる場所ってのに属した事が無いからさ、まぁある意味でそれがアメリカの英語学校だったりコミカレだったわけで、日本ではそういう場を経験してないんだよね。だからそういう意味でもまぁ面白いかなーとは思うんだけどね。


で、まぁ俺が思ったのはさ、まぁ元相方は会う時にはそんな風には見えないんだけど、話を聞いてる限りだとすんげー絶望的なんだよね。彼の人生というよりかは彼の能力が上手いこと活かせる場所が無いという現実的なこととさ、あとはまぁ職場でのまぁミスマッチというと変だけどね、彼は社会性があるからさ、会社員らしく振る舞うことができるんだけど、でもまぁそれはadjustなんだよね。モードをそっちに切り替えるっていうか。それはyokonaitoもしょーもない集まりとかが付き合いである場合にはやっぱモードを変えて接したりしているらしい。まぁ大人ってこういうことを言うんだろうなとは思うよね。俺はこういうのできないからね。すぐ精神が崩壊するというのもあるし、まぁある意味で俺にとってはこういうようなことを構造的に強いられる場所に身を置くという事は精神的な自殺行為でもあるわけで。そういうことを彼らは不服ながらもそれこそ社会人らしくやっているというのは本当に凄いなーって思うよね。それは皮肉とかではなく、俺が到底できない事をやってるという意味で凄いと思える。


元相方はさ、大学入る前はね、受験生だった時に美学校でなんかまぁ色々と酒飲みながら話したことがすんげー前にあったんだけど、その時には官僚になるとか研究者になるとか色々夢のある事を言ってたんだけど、まぁ実際大学に入ったりして、色んな現実を見てそれは無理だなってことが分かったんだろうけどさ、俺が思うのはね、状況的に無理だから諦めざるを得ないのかさ、状況が無理でも環境とかのせいにはせずにひたすら前進して何かをつかみ取るみたいなさ、まぁ自己啓発みたいな話になっちゃうけどね、それはまぁなんつーかマインドセットだけでやっぱなんとかできるわけではないじゃん?俺は全てマインドセット次第だと思ってるけど、それは現実を知らないからだよね。だから現実を知るという意味でもまぁ日本の大学ってのに身を置いてそれを感じるしかないよね。まぁアメリカの普通の大学はもうダメだなぁーって印象はあったからさ、ダメってまぁそこまで酷くもないけど、ただまぁ取り立てて良くもないって意味でまぁ結局日本も同じかそれ以下なんだとは思うけどさ、ただまぁ俺はルポ的に大学に行きたいってのがあるからだからまぁそれは経験すればいいんだよね。


で、そこでまぁ例えば数学でやっていくってどういうことなのか?とかってのがまぁ例えば数学科とかにいれば今よりかは分かるかもしれないじゃん?それは仕事が見つかるかもしれないとかって意味じゃなくて、どういうことなのか?ってのがちょっとは具体的に分かるかもしれないよねってことなんだよね。


ネットカフェ難民マインドセットだけで彼らの状況を打破できないように、元相方もまぁ同じなんだよね。彼がどれだけ社会科学が好きでも大学でやってる社会科学のレベルが低過ぎたり生徒がダメ過ぎたりシリアスさがゼロだったりするとまぁそりゃーダメなぁーこりゃーっていう風にはなるよね。だから結局大学なんてものに頼らずにやっていくしかないってことになるんだけど、そうなると大学いらないんだよね。かといってもさ、yokonaitoは某大学の夜間で哲学をやってるんだけど、彼女の話を聞くとすげー楽しそうなんだよね。仕事がどうとかポストがどうとかっていう世界じゃなくて、まぁ老人とかね、あとはサラリーマンとかがカルチャーセンターよりちょっと上ぐらいの感じで来てて、んで先生とかも面白いキャラの人達が多かったりして、なんかそれはそれで楽しそうっていうかさ、なんか話を聞いてると生き生きしてるように感じるんだよね。元相方が大学で感じていた鬱な感じとは正反対のまぁ楽しい感じっていうか、カルチャーセンターよりちょっと上ぐらいのノリだからこそ出てくるまったり感みたいなのを感じるんだよね。別にまったりしててダラダラしてるってわけではないんだけどね。


だからまぁ結局行ってみないと分からないんだよね。元相方の話を真に受けるなら日本の大学なんて無くなったほうがいいと思うけど、まぁそれは分からんからね。百聞は一見に如かずだよね。でもまぁリアルで虫酸が走る話だけど、やっぱ元相方のリアルな話ってのはやっぱ常に頭に留めておく必要があるよね。そんなこと言っても俺にとっては楽しい場所かもしれないじゃないかー!なんて期待はできないわけで。でも話聞いてるとなんであんなにダメなんだろうなぁ?って呆れちゃうんだよね。本当に。まぁでもコミカレよりかはマシな気はするけどね。


でも相変わらずまぁ会って色々と話すとなんつーか色々なことを聞けていいよね。本とかばっか読んでても分からないことがいっぱい入ってくるから凄い情報量だなっていうかさ、まぁ絶望的な話にしてもでもまぁリアリティを感じさせてくれる話としてまぁ凄くいいんだよね。あ、んで話を戻すとさ、そのね、マインドセット次第でなんとかなる!っていう自己啓発的なメソッドの弱点ってやっぱあるじゃん?そうは言っても現実はこうなんで無理なんですよっていう、まぁそれを今回の元相方の大学話とか美術界関係の話とかを聞いてて思ったよね。もう大志とか関係無い世界でさ、人より優るアドバンテージが無いとポストにつけませんとかさ、なんかまぁそういうような色々な話を聞いてると「んじゃ無理じゃん!」ってことになるわけよね。で、まぁどうしようもなくなるっつーかなんつーか。まぁ大学に期待はしてないけどさ、でも研究所とかで何やってんのかな?みたいなのは凄く興味あるんだよね。あとはまぁ俺が本当に数学をやってけるのか?っていうのがそういう場に身を置けば分かると思うしね。


なんかさ、元相方の話を聞いてると身もふたもないっつーかすんげー絶望的なんだよね。yokonaitoも達観してるところがあって、世の中そんなもんだって割り切ってやってるっていうかさ、それは彼女曰く幼少期の経験もあって、最初から望みなんて無いみたいなゼロから始まった人間だから無くて当たり前ぐらいに思ってるらしいんだけど、そんな中でまぁ俺は夢を持っていて希望を持っていて、彼らに言わせると凄く健全な青年であり若者であるらしいんだよね。そんな健全な若者が社会に出ると変わり者扱いされたり排除されたりするっていうこの社会は何なんだ?っていうのは相方が言っていたことだけどさ、まぁでも元相方に俺はピュア言われたけどまぁピュアって良い事だと思うんだよね。元相方は別に批判じゃなくて肯定って意味で言ってくれたんだけどさ、ようはなんつーか世渡りのために穢れるぐらいなら純潔を守ったほうがいいじゃん?まぁ穢れることで一兆円とか入ってくるなら別だけど、そんなたいした額もらえないくせに穢れるなんてゴメンだからね。


あ、でもまぁ妥協っつーかさ、まぁそもそも今時研究職につくなんて難しいことだけどさ、でもまぁ俺が数学にシフトした理由ってまぁ前にも書いたようにアメリカの大学院で言えばTAっつー制度があってほとんどの理系は学費払わなくていいみたいなことがあるからまぁ数学っていいんだよね。人文系だと無理だから。んでもあくまでアメリカの大学院という前提だよね。でもなんか今はなんつーかこうやって家族と一緒にいるってことがなんだかまぁ幸せなわけだよね。学問をやれるというのも幸せだし、犬も含めた家族と居れるというのが凄く幸せなんだよね。円満な家庭だからこそなんかあえてここを離れてまで何かする必要があるのか?ってのは凄く感じるんだよね。まぁ昔はそれが必要であったし、アメリカに行った事も良かったんだけど、でも今みたいにまぁあっちで確立した生活ってのをこっちでもやれるっていう中であえてアメリカに行く必要があるのか?ってのは凄く疑問だよね。


それは当然、アメリカが俺にとって以前ほど魅力的な場所ではないというのはあるしさ、まぁだから条件だよね。日本の大学院があまりにクソ過ぎるからやっぱアカデミックな職を探すならアメリカがいいっていうさ、まぁそれもすんげー難しいことだけど、終わってる日本のアカデミアでやっていくよりかはマシっつーかまだやってみる価値はあるよね。でもやっぱ渡航費やら何やらまたかかるわけでさ、あんまもうビッグに金がかかるようなことはやりたくないのよね。親ももう歳だし。まぁアメリカ行くならだからもう自力で行くしかないよね。まぁ当然だけど。


それにしても元相方もずいぶん辛辣なことを言うよなぁー。これから大学に行く人に対して「どうせポストは無いよ」って面と向かって言うなんて。これを優しさと取るのかドリームキラーと取るのかは俺次第だけどね。でもまぁ彼は現実に即した事を言ってるだけだろうからドリームキリングってことはないと思うんだけど。でもこれって本来大学教授とかが言わなきゃいけないことなんだよね。院とかに行っても無駄だぞって。そこをまぁ「お前は院に行くのがいいよ」っつってたぶらかして行かせてんで卒業後ポストが無いっつーんで行方不明になるとかまぁ間接的な殺人だよな。これって。だからまぁ辛辣に見える「ポストは無いよ」って言葉は実はまぁ救いの言葉なんだよね。救いっつーと変か。まぁ助言だよね。「お前には無理だよ」じゃなくて「構造的にほぼ無理になっているよ」ってことだからね。ダメなのを分かってて「お前にならやれるよ」って言うほうがよっぽど残酷なわけで。


あとさ、ウォール伝が支離滅裂だみたいな話になったんだけどさ、まぁ見た目はそうなんだろうけどね、元相方曰く「エリート主義」って言ったかと思えば「民主主義」って言ったりして凄まじい波があるってことだったらしいんだけど、支離滅裂に見えるかもしれないけど俺としては別にそんなことないんだよね。まぁ民主主義って言ってたのはエリート主義しかないなって思い始める前のエントリーのことだろうしさ、だからまぁそりゃー意見なんて変わるからさ、一貫性が無いように思えるかもしれないけど、んでも別に俺は民主主義を無くすべきだと言っているわけではないんだよ。民主主義的な社会を達成するためにエリート主義的な先導が必要だって言ってるだけでさ、両者は矛盾してないんだよね。いつも書くように陣地戦としての民度の底上げみたいなのは常にやるわけよ。その一方でエリートによる縦の力による統治ってのもやるわけでさ、エリートが統治してるからっつって別に民主的な社会が失われるか?っていうとそうじゃないわけでさ、まぁ一時期言ってたエリート独裁っつー言い方はちょっと言い過ぎかもしれないけど、実質的に政治家が権力を持ってるわけだからさ、それでまぁ大衆とかをコントロールするわけだから、コントロールする権力者達ってのは当然エリートじゃなきゃいけないよね。


まぁ今の政治って権力者って言えるほどの絶大な権力を一人で持ってる人っていないんだけどね。まぁ分業的っつーか離散的っつーか。でも社会は中間団体主義的にエリートに統治された国ってのを運営していくわけよ。それには当然高い民度が必要だけど、まぁそれは俺は絶望的だとは思うけど、でも常にそれを底上げしていくということは怠ってはいけないわけで、だからこその教育なわけだよね。


プロフェッショナルが政治のことを決めるのは当然だよね。小難しい政治のことなんて民衆に分かるわけがない。だから分業的にそれは政治家に任せるってのは当たり前の道理でしょ?でもあくまで社会は民が中心になって動くものなわけよ。だからね、統治っつーと全体主義的な連想をさせてしまうようになってしまうかもしれないけど、良い統治者が治めれば民衆の自由は保証されるわけね。まぁ抽象的で具体性がない話で申し訳ないんだけど、んでも俺が言いたいのはエリート主義というのが民主主義の否定とかアンチテーゼとしてあるわけではないってことね。むしろ民主的な社会にはそれを先導していくエリートが必要なんだってことなわけで。時期とかで見ればさ、民主主義しかないわけですよなんて言ってた時期もあったけど、それはエリート主義に目覚める前のものなわけで、そりゃ今と言ってることは違うよね。でもエリート主義に目覚めてから、んでもやっぱ民主主義、んでもやっぱエリート主義みたいな極端な波は無いと思うんだけど、んでも元相方曰くそんな波がしょっちゅうあるらしく、ずいぶんと忙しい心の旅だなぁーって言ってたけど、俺としては一貫性があるつもりなんだけど、元々のウォール伝の構成がまぁぐちゃぐちゃだからそう見えちゃうのはしょうがないのかな。まぁ見え方なんてどうでもいいんだけどね。


別に論文書いてるわけじゃないし、いつも書くようにウォール伝ってその時その時の思考のスライスみたいなもんだからさ、そんなもんは時とともに変わって当然だしさ、むしろ過去に言ったことに縛り付けられちゃって新しい事が言えないとかって最悪じゃん?過去の発言との整合性を保つために無理矢理過去の議論と今の議論とをくっつけるみたいなさ、そんなことはしたくないし、する必要ないよね。ただまぁ俺の衆愚観が強いのは確かだし、そういう意味で民主主義は嫌いだけど、んでもこれ以上のやり方が今の所無いわけで、だから民主主義みたいな擬制は保ちつつ、実際はエリートが統治するってのをやってほしいってことなんだよね。俺的には何の起伏も矛盾も無いんだが、そんなに激しい感情の起伏の波に見えるかね?結構あと今書いたことって前から書き続けてることだからさ、そんなに民主主義万歳!→エリート主義万歳!→民主主義万歳!みたいな波なんて無いと思うんだけどなぁー・・・。そんな風に見えちゃうのはまぁしょうがないけどねぇーってさっきも書いたけど。


だってプラトンだってそうじゃない?市民社会を担う市民を育成するための教育の重要性ってのは説いていたわけだしさ、philosopher kingとか言いながらも教育の重要さは説いていたわけで、基本的にまぁ俺のパラダイムもこれだよね。教育の重要性で言えばプラトンと同じくそれは政治に帰結するものであるってことでアリストテレスも重要性を政治的な意味で説いていたわけじゃない?いやね、エリートが統治するからっつって国民が馬鹿でいていいなんてことは絶対無いわけよ。


いや、さっき書いた波なんだけどさ、結局、まぁ自分で言うのもなんだけど、ウォール伝ってまぁ進歩が多いと思うんだよね。まぁ俺が色々と読んでるっつーのもあって、まぁ考え方が変わるっつーか、前の考え方は踏襲しつつも、もっと厳密というとアレだけど、まぁもっとちゃんとした確固たるものになっていくっていう。だから気分の波で「今日は民主主義」「今日はエリート主義」みたいになるわけじゃないのねっつーかそりゃー読んでれば分かると思うんだけどなぁー。まぁニューヨークに関して言えば唐突に変わった感はあるけどね。あれはちょっと極端だったよね。まぁ変わったのはいいんだけど別にそれでニューヨークを否定しなくてもいいじゃん!っていうのはあるよね。考え方っつーか見方が変わって一気に今まで盲点だったところがどんどん見えてきたとか、心の中に押し込めていたこととかがどんどん出てきたとかまぁそんな感じで決して変わったわけではないんだけどね。でもそんなの伝わらないんだよねぇ。まぁ俺的に言えば顕在化なんだけど。伝わらないっつーかその細かい部分を全然文章で表現できてないってだけだよね。


まぁでもあれなんだな、まぁ誰でも現実社会に絶望するのは分かるんだけどさ、でもその上で自分がどうしていくのか?ってことなわけで絶望ばっかしててもしょうがないからねぇ。俺もそういうのはわかった上で学問にコミットし続けるつもりでいるんだけどね。だから社会とかあんま関係ないわけで。何もかも社会の構造のせいにはできないよね。まぁ社会の構造が酷いのは分かるんだけど。社会がダメだったら別に俺は俺で自分でやるってことなわけで、別に志を社会の構造とかのせいにしてあきらめる必要は無いからね。むしろ俺なんて俺みたいな人間が社会に合致すると最初から思ってないから、まぁ社会になんか期待することは無いんだよね。大学然り。で、俺はなんにしても勝手に自分で極めちゃえば評価なんて後からついてくるもんだって思ってるから絶望することなんてある意味でないんだよね。だって社会に何の期待もしてないわけだから。つまりは自分次第ってことなのよね。


まぁそれでもやっぱり現実を垣間見るとまぁそりゃーひでぇーなぁーってことにはなるんだろうけどね。でも俺は元相方ほどは実際には経験してないけど、でもまぁ色々と読んだり聞いたりしてはいるから「やっぱそうなんだぁー」って感じで、まぁなんとなく知ってたことがマジだったっていうだけで、そういう点ではあんまりショックはないんだよね。「やっぱりかぁー」ってなだけで。


俺はやっぱ破壊者でありたいね。構造にムカついたらその構造の場で暴れるみたいな。「やってられるかぁーバカヤロー!!」っつって辞めるとか。まぁそれって社会不適応者だけど、まぁ俺はポリシーがあってやる分にはいいと思ってるんだよね。明らかにおかしいことにも「そうですね」って言わなきゃいけないなんて嫌だから。妥協して生きるなんてダサいからね。そういう妥協とか自分を殺すってことが出来るのが大人なんだとしたらまぁ俺は大人になりたくないね。


そんなこと言うけど現実はキツイぜぇーみたいな風潮にいかに「で?」って言い返せるかだよね。そんなの俺がコントロールしてやるぜ!ぐらいの意思が無いと何も変わらないでしょ。昨日、映画の蟹工船を見たんだけど、あれはなんつーか貧困層への自己啓発って感じだったね。意思があればなんでもできるっていうのはまぁ本当にその通りだと思うからさ、だからまぁメッセージ性がある意味で原作より強いっつーか現代へのメッセージみたいになってて良い映画だったなっていうのとあとはTKOの二人がすげー良かったっつーのに感動したね。あんなにドラマっつーか映画向きだとはね。


結局、いかに俺みたいな理想が高すぎるナイーヴな信念を持ち続けることができるか?ってことだよね。それがブレるとまぁ俺も現実に絶望する一人になっちゃうわけで。でも俺はそれが嫌だから自分の信念とか理想を持ち続けるんだよね。それが無くなったらマジで終わりだからね。現実を基準にして自分の尺度っつーかあり方を決めるなんて絶対嫌だからね。自分を基準にして現実を決めてやる!みたいな感じだよね。自分の基準とか目標をどんどん高くしちゃえば、それに現実が合わさってくるっていうそういうイメージね。ただまぁそんなことを人に言ってもバカ扱いされるだけだから、まぁ心の中だけで思っておけばいいことなんだけどね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。




この二冊はセットで買うといいと思うね。アダマールのほうはポアンカレを踏襲するような数学的インスピレーションに関することやらのまぁ分析っつーかそんな感じなんだけど、後者はいろんなトピックの数学エッセイの寄せ集めみたいな感じなんだけど、ポアンカレアダマールの系統を受け継いで議論が展開されてるようなところがあったりなんかしてまぁおもしろいですよね。ポアンカレアダマールも「数学者のアタマの中」も偶然同じ日に買った感じなんだけどまぁ偶然だとは思えんね。ポアンカレのやつはまだ読んでないけど。「数学者のアタマの中」はタイトルで見るとなんつーか数学者がどういう風に世界を見ているのか?みたいなことについて書かれてるような感じがするんだけど、まぁ実際は良質の数学エッセイなんだよね。数学者ってなんなの?とかさ、数学ってなんなの?みたいな数学にまつわるエッセイって感じなのねってさっきも書いたか。両方すげーおもしろいわけね。たまたま一緒に買ったからまぁすげー良かったなっつーかなんつーか。