はじめてのお留守番。二日目。

mimisemi2010-08-07

五日間って結構あるよねぇー。まぁいいんだけど。親戚が用意してた食材がもうほとんど尽きたね。親から金は若干もらってるから何か買いにいかなきゃいけないんだけど、このフリーター感が凄いよね。まぁ親戚だからいいんだけどさ、なんつーか普段無職だから機会費用なんかも発生してないし、まぁ別に家にいるのと変わらないから家にいるのと変わらない感じで家にいてくださいって感じだよね。別にまぁ労働ではないんだけどさ、ただなんかね、俺が別に不満あるわけじゃなくて、世の中的にさ、無職だから何言ってもいいみたいなのは本当にやめてほしいと思うよね。無職だからなんでも言えるみたいな。


別にそこにいるってことに俺が社長であるとかさ、無職であるとかって関係無いじゃん?そもそもまぁ人間を見る時に職業とかで判断するのっておかしいよね。まぁそうなりがちだけど、実は何にも関係無いわけで。だからなんつーか無職であるということを恥じる必要はないんだよね。別に無職でもお金なんとかしてればいいわけだしさ、お金なんとかしてるっつっても出会い系のサクラとかやってたら全然意味ないわけで。まぁ水商売全般そうだよね。いや、それはさ、アサルトガールズってのを見てすげー思ったんだよね。まぁ映画としてはイマイチだけど、まぁあのアヴァロン的な世界観はいいんだよね。もうちょっとまぁなんとかしてほしかったなっていう。


まぁそれはともかくさ、前のニートの話みたいになるけどさ、俺が意味ないっていう労働ってつまりはあのアヴァロンっつーか仮想空間での経験値稼ぎみたいなもんなんだよね。アヴァロンっつー閉ざされた一つの群みたいなところで行き来する経験値とかポイントみたいなのでまぁそれが成り立ってるっつーかさ、あれってまぁ世の中も同じだよね。それは前に書いたまぁさ、労働とかがコミュニティ貢献とかさ、いや、畑を耕すことでその村がやっていけるみたいなさ、そういうのってあんま無いわけじゃん?はっきりいってどうでもいい代替可能な仕事をしてる人達が大半なわけで、だから「何かやってる」っつってエライって無いよね。反貧困運動やってるとかさ、エライって言えるのなんて限られてるし、まぁそれだけじゃ食っていけないのばっかだろう。


だからまぁそのためにアサルトガールズっつーかアサルトガールだったかどっちだか忘れたけどまぁガールズだよね。まぁそれはともかくまぁそのために経験値を稼ぐわけだよね。ただまぁあの意味分からん砂漠の化け物を倒すということに何の意味も無いじゃん?ただあの架空世界で経験値がもらえたりポイントがもらえたりするわけでさ、ガジェットって呼ばれるまぁ移動用の飛行機とか馬とかさ、ああいう維持費っつーか使用料みたいなのもポイントから引かれるとかさ、まぁでも世の中ってそうだよね。登場人物の男みたいにさ、ポイント使いたくないっつってガジェットを使わずに徒歩とかでもいいわけだけどさ、リアル社会でそんな風になったら乗り物系のインダストリーが儲からなくなって大変になるよね。まぁ車ってそういうことだと思うけどね。


過去では持つのがデフォルトだったのかもしれないけど、そういうデフォルト感から良い意味で解放された今の若者達にとって車を持ってるなんてなんのステータスにもならないしさ、ただ維持費がかかるだけのやっかいなものって感じじゃん?まぁカリフォルニアみたいな場所に住んでれば別だけど、まぁ日本なんてどこも電車が通ってるわけだから、まぁ車なんていらないよねっつーかまぁ必要だとしても別にそんないい車とかいらないじゃん?まぁそうなってるから車が売れなくなってさ、んでエコだとかいってエコカーみたいなのを開発してるんだろうけど、エコっつーのもまぁイデオロギーだからね。


社会のためにとか地球のためにみたいなことが全然普段できてないからさ、省エネだのエコだのってことでまぁそういうところでそのなんかのために役に立ちたいみたいなのに貢献させるっつーさ、エコっつーイデオロギーを利用したいいビジネスだよね。ある意味で空虚な大衆の意識をモロに掴んでるともいえる。すんげー小さいわけじゃん?人間の存在って。で、日々のアクティビティーなんてアサルトガールズの仮想空間内で起こるちょっとしたポイントの行き来とかさ、座標を埋めているという意味での存在だよね。その軸に存在してシステムの一部になりまぁダイナミズムにも関与しているってことなんだけど、まぁ個人個人が動かすなんてのは無理だからまぁつまりは疎外されてるわけだよね。だからまぁなにやってもダメなんだけどね。そういう意味でみんな無職みたいなもんだよね。


無職よりかはバイトしてるほうがまだエライとかさ、まぁそういうのもイデオロギーだけど、仕事で言ったってそうだよね。世の中の役に立つ仕事なんてほとんどないわけだからさ、だから無職=ダメなんてことはないわけだよね。むしろ俺が今すげー親戚にとってはすげー役にたってるよね。タダで猫の世話してるわけだからって別に恩を売るわけじゃないんだけど、俺が言いたいのは役に立てることなんてさ、こういうすんげーミクロな世界でしか発生しないよねってことだよね。でも俺が猫の世話をするということが別に社会的な波状効果みたいなのを生み出すわけでもないしさ、完全に小さい親戚とか家族っつー集合の中だけで動いてる何か?じゃん?


で、まぁ俺は親戚の役にたっていると。でもまぁそれだけだよね。でも基本的にまぁ世の中も大半が一緒だけどさ、でもまぁ大半の仕事はこんなまぁ俺みたいに役にたてることなんて無いよね。逆に俺みたいなっつーか今の猫の世話なんてボランティアなわけだからこれで食っていけるわけじゃないしさ、でもためになることってまぁボランティア的なものが多いじゃない?ビジネスっつーと大抵がまぁ無理矢理お金を動かすとかさ、生み出すっつースキームを作るわけじゃん?それが中間搾取であったりビジネスねつ造だったりするわけだけど、まぁ大半があってもなくてもいいような虚構だよね。そんな虚構の中に人々は生きてるわけだ。で、あーだこーだ言っている。まぁそれがつまりはアサルトガールズの仮想世界とほぼ一緒ってことだよね。生活のために砂漠の化け物倒してるみたいな。スカイクロラとかもまぁある意味で同じだよね。あってもなくてもいいようなもんの中で何かが動いてるっつー虚しさね。


だからといって何もかも諦めろってことが言いたいわけじゃなくて、そんな中で自分が社会に対してとか他人に対して何をやっていけるのか?ってことを考えるってことだよね。それは所与のさ、「社会人になる」みたいなわけがわからないイデオロギーに染まることなく、まぁ自分らしくなおかつ社会の中で機能できるような生き方を探すっていうかなんていうか。まぁ今の俺がそうなんだけど。今の俺って猫の世話をしている俺ってことじゃなくて今を生きる俺ってことね。


まぁなんつーか俺っつー函数を通して社会にどういう値を写像できるか?みたいな感じだよね。そういう意味でのまぁフィルターとしての自分っていうか。ただまぁ寝たり食ったりオナニーしたりっつー維持費はかかるからボランティアだけじゃやっていけないんだけど。それがまぁ食うってことだけど、食うってだけが目的になったらまぁそりゃー終わりなんだよね。維持が目的の何の機能もしないなぞの機械みたいになっちゃうわけで。そこでまぁ俺はその俺的な感覚での良い写像が欲しいんだよね。それがつまりは俺が社会に対して機能するってことだと思うわけ。まぁそれこそファンクションってことだよね。まぁ今の俺は家族と親戚っつー狭い群の中で「猫の世話」っつーボランティアファンクションをしているわけだよね。


まぁでもなんかさ、見つかると思うんだよね。最近はそれを凄く感じるね。陳腐な言い方なるけどさ、ちゃんと根に立脚した立派な信念を持っていれば道は開かれる気がするんだよね。つまりは写像できるきっかけみたいなのは自分の機能っていう信念を持っていればいずれは訪れるみたいなことだよね。だからこそまぁ信念って重要なんだよね。だからそういう意味で能動的だわな。希望って割とパッシヴだから。信念って自分で切り開いていく感じがあるじゃん?希望は訪れる感じだよね。そうじゃなくてまぁ自分で引き寄せるっていう能動性が必要なんだよね。その能動性にまぁつまりは希望っつー要素も包摂されてるわけだよね。


だから希望を持って生きるってのはまぁなんもないカオスから光を待つみたいな身もふたもない話でさ、信念を持つってことが重要なわけね。その信念が社会に写像された時に始めて自分は社会に対して機能を持っていると言えるようになるわけだ。だからまぁそれは職業とかお金とかって関係無いわけね。まぁ俺はどの道リッチになりたいけど。職業なんてのはさ、それだけでは別に偉いともなんとも言えないようなつまりはジェンダーとか民族みたいなもんだよね。日本人だから偉くてアメリカ人だからダメなのか?ってそんなことないじゃん?無職と労働者然りだよね。別にそこにエライだのエラくないだのっつーヒエラルキーは無いわけだ。まぁようはステータスだよね。


ステータスっていうと一流ブランド品を身にまとう事がステータスみたいなポジティヴな意味で使われることが多いけど、ようはRPGとかでのさ、ステータスが毒なのか石化なのか暗闇なのか正常なのかみたいなそんぐらいの差だよね。そこにエラさなんつー概念は介在しないわけで。だからまぁあんま慌てないでじっくり人生に取り組んだほうがいいよね。目先の事に足を奪われて目的や信念を見失っちゃうっつーのが一番最悪だから。まぁ目先の事だけで手一杯な人が多いのが現状だからこれがやっぱり難しいなぁーっていつも思っちゃうところではあるんだけど。


まぁ今日はそんな感じだわ。ところでHavocっつーアン・ハサウェイが出てる映画を見たんだけどさ、蛇にピアスってのも最近見たんだけど、若者の空虚な感じが両者ともすげー描かれてるよね。両方ともちょっとしたギャングっつーか危ない世界がらみっつーかなんつーか、蛇にピアスの主人公もおそらくはまぁ普通の女の子なんだよね。でも日常の空虚感を埋めるためにちょっと刺激的で危ない世界に踏み込んじゃうっていう。まぁそういう実存的な葛藤が無い人がこの両方を見てもただ馬鹿な若者が向こう見ずの行動をしているだけの陳腐な物語ってことになるんだろうけどさ、いや、辛いのよね。Havocだって主人公と主人公の友達なんてすげー良い家に住んでるじゃん?でも空虚なんだよね。だからドラッグに手を出したりギャングとつるもうとしたり。


Havocはあの主人公とかがリアルなギャングとかに憧れるダメな感じがすげー良く描かれてて良いなぁーって思ったよね。あとは主人公の友達のギャングかぶれみたいなダメなお坊ちゃん達然り。リアルな怖いお兄さん達とのギャップがすげー良かったよね。それとアメリカ独特の差別的な感じっていうかさ、チンピラっぽいヒスパニック系のやつらが高級住宅街を運転してるだけで警察に止められるみたいな。まぁDVDアフィっておくわ。んじゃまたね。



映画としては別にマスターピースでもなんでもないんだが、蛇にピアスに似た空虚な現実に刺激を求める若者達みたいなさ、それとまぁアメリカ的なすげーDivideされている社会っつーかなんつーかまぁそういう意味で社会派映画なのかしらね?



吉高由里子は本当にいいな。和製ジェニファー・コネリーになるかもしれん。不幸系をやらせればピカイチみたいな。まぁそれだけじゃないんだけど。



広田レオナが一瞬出てたり、あとは吉高由里子のはじけ具合が最高だね。所謂、イイ映画。



押井守の実写のやつってどれも惜しいのばっかなんだけど、この惜しさを楽しむのが押井実写映画って感じだよね。決して悪くはないんだけどね。これはこの微妙なフォーマットとかさ、あえて実写でやる意味が分からない感とかはバッチリいいんだけど、ストーリーに山が無いっつーか、1時間半以上のちゃんとした映画になってればよかったのになぁーって感じだよね。ショートフィルムを伸ばしたような感じがするんだよね。だから残念なわけだ。まぁそれでも面白いけどね。