あー辛いっつーかダルい。

あー辛いっつーかダルい。ダルいからこそウォール伝が更新されるわけで。リア充だと更新されないからね。やっぱり俺には心的な葛藤っつーか波が必要なのかもしれないなんて思ったりなんかして。ようは逃げ道だよね。普通にいると悲しくなったりダルかったり衝動的に死にたくなったりするから、だから逃げられる場所を探すっていうか。それが昔はまぁ音楽だったりあとはまぁノイズだったりしたのかな。叫んでみたり爆音を出してみたりっつーのでカタルシスを得つつ雑音っていう逃げ場を確保してるっつーかなんつーか。


今の所は数学が救いだねーなんて書いてたのがちょうど一年前ぐらいになるのか。いや、もう数学しか逃げ場は無いよね。マジで。哲学はもう自分の中で学科っつーか科目っつー感覚が無いからさ、逃げ場でもなんでもないんだよね。で、数学って未知な部分が多いから幻想を抱けるっていうかなんていうか、だからまぁ逃げ場になるのかもしれないねって言ってる割にそんなに勉強って観点から見るとはかどってないんだけどね。高校数学すらマスターしてないわけで。相変わらず受験の数学の問題とかさっぱり分からないし。なんかでもさ、意外と「何やりたいわけ?」って聞かれたら漠然としてて答えられないよね。だから結局、どうしていいのか分からないのかもな。


fukuさんとのやりとりにもあったように、まぁ学問をやれればいいわけだけど、社会的にやっていくって意味だと全然先の見通しがつかないわけでさ、だからまぁ学問と社会性を両立させようと思うんだけど、んでもそうなるとまぁなんつーか論文書いたりなんなりっつーさ、まぁ論文はいいのかもしれないけど、学会だのアカデミアだのってのに本当に興味無いからさ、だからどうしよう?っていう。日本って意味だとポストなんてマジでないみたいだし。そこをまぁ努力で可能にしろっていうことなんだろうけどさ、そういう努力はしたくないね。


その目的と手段がごっちゃになっちゃったようなさ、ようは「ポストを得る」っていうことだけに終始してしまったらさ、本来の楽しむとかさ、知的欲求を満たすっていうことができなくなるじゃん?まぁできなくはならないんだろうけどさ、まぁ甘いことを言ってるってのは分かるけどさ、なんでね、俺みたいに学問だけやりたいやつが食えないのかな?って疑問なんだよね。なんで雑事とかやらなアカンの?って感じだよね。むしろ大学なんて雑事から逃れて学問だけに没頭する場じゃないの?っていう。まぁ俺はどちらにせよ大学側にアピールできるだけの実力がないからまぁアレなんだけどね。


それにしてもこの鬱感ってさ、俺が恐れてた鬱感だよね。まぁ今は新薬の副作用で脳内のバランスが悪くなってるんだけどさ、そっからまぁネガティブな考えとかがうじゃうじゃ湧いてくるでしょ?それが大変なんだよね。だからこそどっかに逃げなきゃいけないってことでまぁ数学とかさ、読書をしてるのが一番ってことになるんだよね。かなりまぁネガティブな理由で本を読んだり数学やってるって感じだけど。散歩のときも無駄な事を考えずに数学だけ考えてればいいからさ、だからまぁ頭の中が楽なんだよね。音楽とか聞いててももう全然ダメなんだよね。もうほとんどが既知のもんばっかでさ、全然のめり込めないっつーかなんつーか。感性が無くなったのかな?まぁそうは思わないんだけどね。


感性が反応するようなものをもう大体聞いちゃったってことなんだろうけどね。ここでまぁなんかさ、一回り年上の友人の話を思い出すんだよねぇー。最近は友川かずきとかを押し入れから引っ張りだしてきて聞いてるらしいけど、彼が5年以上も前にもう音楽は聞くの無くなったっていうか、あんまり買わなくなったって言ってたけどさ、彼はまぁすげー音楽マニアなんだよね。で、すげーディープで色々買ってた人なんだけど、ちょうどまぁ年齢で言えば俺ぐらいのときなのかな?まぁ20代後半ってことなんだけどさ、まぁもうなんか聞いちゃったっていうかなんていうかまぁ今の俺と同じような感じだよね。


まぁ流れで言えばアレだよね。まずはまぁ若いときは新しいのから買うじゃん?で、ルーツだとかなんだとかっつってジャズだとかさ、まぁ俺の場合、モンドとかイージーリスニングみたいなのを掘り出すんだけどさ、そういうのもまぁすげーそればっかりやってれば20代前半ぐらいでもう済んじゃうんだよね。で、俺の音楽史の総括とかいってさ、ミックスとか作り始めてさ、んでまぁ最近だけどミックスとかも一通り作っちゃったっていう。もう他に作りたいのって無いもんね。今の所。まぁ正直言えば作ってるやつはあるけどっつーかまぁ色々と構想中なんだけどさ、なんかKing of Dickkin'シリーズって奇跡だよなぁー。マジで。よくもまぁあんなに作ったもんだよね。俺はすげー心配なんだよね。ウォール伝のペースが落ちたりさ、ミックスとかもあんま作らなくなったりしたらもうただの人じゃん?生きてても意味ないよね?そうなったらマジで死ぬしかないよなぁーってそれは言い過ぎにしても生きてる価値無くなるよね。マジで人間的に本当に意味なくなっちゃうよね。だからまぁなんか作り出せそうな数学っつーのにやれるかどうかは別として憧れを持ってるのかなぁー?まぁ分からんけどね。


帰国後こんなに辛いのは始めてだな。マジで。目に見えて辛そうで食欲も落ちてるから家族も心配してるし。変に薬とか変えなきゃ良かったかな。調子に乗り過ぎたか。っつーかトレドミンがあってたってことなんだろうな。分からんけど。トレドミンに戻しても鬱っつーか倦怠感が続くようならまぁ他の理由だろうな。それがまぁつまりはニューヨークにいないってことが原因だったりして?とかってさっきは思ったよね。今思えばやっぱニューヨークにいるってさ、あっちはまぁ散々酷く書いたようにつまらないんだけどさ、ただまぁなんつーか幻想を持っていられるんだよね。なんとなく楽しい街の感じに身を委ねつつさ、大学院とかに進んでアカデミックなところで職を得るみたいなさ、んで美人の奥さんの結婚みたいなさ、まぁそれが夢っつーかまぁビジョンだったわけだけどさ、それをまぁ軸にニューヨークにいるっていうエクスキューズを作ってさ、んでその夢に向かっていくっていうその「向かう」という運動体という意味でまぁ現在っつーあり方が担保されてるっつーか規定されてるっつーかなんつーかさ、だからまぁその先の夢とかが敵わなくてもその運動体が夢に向かって進んでいるということがすでにもう進化なわけでさっつーか得られるものがあるじゃない?


それがまぁ学問であったり語学であったり生活の中での経験であったりさ、まぁ色々あるじゃん?っつーかすげー久々にすんげー筆が進むなぁー。やっぱ辛いからだな。もうタイピングが止まらないぜ!こうやって書いてるときはやっぱハッピーだな。考えて書くってすげー苦手なんだよね。俺。克服したいとは思うけどさ、考えながら書いたりさ、例えばなんかのエッセイを書くにしてもなんかの要約を書くにしてもなんにしてもなんであんなにダメなんだろう?って絶望しちゃうよね。なんか整理するってことが本当にできないなっていう。


まぁいいや。あ、んでその運動体の話だけどさ、まぁそういうことなのよね。で、そうやって運動してるってのはいいことなのよね。生きるためだけに労働してるよりよっぽど先に進んでるよね。で、その進んでる中で何かを見つけてまた進むみたいなさ、そうやってずーっと進まなきゃいけないんだけど、今の俺はそういうある種の虚構としてのニューヨークでの夢みたいなのを失ったからさ、だからまぁリアルに「学問をやり続ける」っていうことを続けるということでまぁ話はいいんだけどさ、こうやって今生活してるとさ、まぁお金とネット以外は何不自由無い生活を送っているんだけどさ、ただやっぱ虚構が無いんだよね。それこそ美女と付き合うとか結婚するとかさ、市民権を得るとかさ、まぁ別に得てもハッピーになるかは分からないけど、でもそういうなんか明確な目標ってのがあっちではあったんだよね。だからくだらなくても学校とか行けたわけで。でも今って何も無いんだよね。


まぁ別な言い方をすれば完全に自由ってことなんだが、こないだのfukuさんが言うような感じと一緒でさ、学問をやるということに関して言えばもう叶っちゃってるんだよね。そもそも本を読めて時間があればもういいわけでさ、これ以上望むものはないじゃん?なんだけどさ、んでもその先に例えば美人と結婚とかさ、まぁ学問とどう繋がるの?って話だけど、まぁそれがニューヨークファクターだよね。あとまぁ街を歩いてるとやっぱ気分が良かったんだなぁーとは今更ながら思うよね。こっちでは街から何も感じないからね。かといってニューヨークやっぱ好きだぁー!ってことでもないんだけどね。あっちはつまらんから。食うの無いし行くとこないし。食うのと行くとこなら東京のほうがよっぽどあるもんね。でも街の雰囲気が好きじゃないっつーかなんつーかまぁ歩いててウキウキしないっつーか。


まぁようはだから虚構なんだろうね。俺にとってのニューヨークって。摩天楼ニューヨークっつーよりかは蜃気楼ニューヨークだね。砂上の楼閣っつーよりかはアスファルトの楼閣っつーかなんつーか。まぁそうやって今でも世界から人が集まるんだよね。ところで帰国前にあっちでの恐らく唯一の友達であったと言えるダレルっているじゃん?香港のやつね。彼からメールがあってさ、驚いた事に彼も俺と全く同じようなことになっちゃって、今年のクリスマスの後に香港に帰るらしい。でもIt's fineって書いてあってさ、ようは彼も俺と同じで別にニューヨークにいる理由ってのが特に無いってのが分かっちゃってさ、んで無駄に金も使う必要は無いってことでまぁ帰るのも別に悪くないってことになったんだろうね。まさしくまぁ同じような状況と心境だよね。で、俺は残念だって思わなかったね。全然なんか不幸だとも思えないっていうか、まぁそれはそれで良かったんじゃないかな?って感じだよね。まぁまさしく俺が俺に語りかけてるような感じだよね。ダレルも別にあっちで大枚叩いて学校行く必要があるようなやつじゃないし。なんつーかあの人も自分で勉強できる人だからね。


ところでさ、美女なんだけど、んじゃあ日本に俺好みなガイジンがウロウロしてればいいのか?っていうとどうなんだろうね?とは思うよね。もう日本市民なわけで市民権で葛藤する必要は無いじゃない?だからあとは美女だよねっつっても別にニューヨークにいてもアプローチできてたわけじゃないんだけどさ、でもまぁ夢があるよね。もしかしたら!っていうのがあったりしてっつーかリアルにあったからさ、あのままいけばよかったのになぁーってのは恋愛面でのみ思うけど、そんなののために何百万も年に払ってられないからね。恋愛のためにニューヨークって笑っちゃうよねぇー。あとやっぱ英語は悔しいかな。中途半端なまま終わっちゃったもんな。学校とかで教えるつもりでいたからさ、まぁTAとかをやるっていうつもりでいたからなんつーかまぁ教える時のイメトレとかしてたんだよね。教えるに足りるぐらいの英語のスピーキング力をつけなきゃな!ってことでなんかさ、例えばルディとかに発音矯正してもらったりとかなんとかまぁあのときはあれが当たり前のように起こっていたけど、今こうやってずーっと実家で暮らしてるとなんだか夢のように感じられるね。まぁみんなそうなんだろうな。


あれはあれで楽しかったんだなって今ぐらいになってまぁ分かるよね。かといってんじゃあ今の俺の体がそのままタイムスリップしてさ、あの時に戻れるだとか、あとはまぁまた戻って勉強できるようになったみたいなことになってさ、んでまた行くか?って行かないよね。多分。そればこないだも書いたようにもう家族と離れたくないってのはあるしさ、んまぁでも普通離れるのか。自立したら。


んーなんなんだろうな?結局俺は何がしたくてさっつーか何がしたかったんだろうね?で、今は何がしたいんだろう?っていう。それはやりたいことができているから感じることなのかな?してるってなんか具体的に仕事とかさ、毎日それで時間を追われるみたいなことじゃないとやってるっていう実感が無いんだろうな。いや、生活は全然変わってないんだよね。読書が基本なわけで。俺もホント、中途半端なやつだよな。奨学金もらって一流大学に入れるぐらいの地頭が無いっつーかさ、まぁなんつーか秀才じゃないからさ、だから全然ダメなんだよね。学力とかすげー低いからダメなんだよね。


まぁこれも思い込みかもしれないけど、でもまぁハーバードとかに入れるか否かって別に思い込みとか関係無いよね。なんか今数学の本とか読んでても思うのがさ、やっぱ俺って知的好奇心を満たすことしかできないんだよね。体系的に勉強するみたいなことができない。だから偏るんだよね。今は類体論と非可換類体論が面白くてさってまぁ全然理解してないとは思うけど、まぁやっぱ数論って基本的に面白いよね。なんかディティールっつーよりかは数学っつーデカイフレームワークを把握するのが楽しいっつーかなんつーか。枠組みとか思考法とかアルゴリズムを知るのが楽しいんだよね。だからあんま問題を解くみたいなことに興味は無いんだよね。まぁでも練習問題とかやらないと身に付かないんでしょ?多分。俺はこの練習問題っつー感覚が分からんのだけどね。


うん。まぁ鬱ではないわな。こんだけ書けてるわけだから。でもまぁ気分は死ぬほどどんよりだけどね。だからこそまぁこんだけ書けるわけで。書けるってことが楽しいんだよね。まぁ別にたいしたこと書いてなくてもウォール伝更新って楽しいよね。特にこうやって自発的に書いてるときは楽しいね。なんつーかあとはまぁあれかな、家族とあんま話したりしなくていいのかなっつーか最低限のはやるけどさ、ようは家族と話してるから話したい欲が解消されちゃってるんだよね。で、解消されない部分をウォール伝で書くわけじゃん?で、解消されない部分って今は色々と悩んでてあるからさ、だからまぁこんだけウォール伝が今回に限って言えばはかどるんだろうね。


いや、あとやっぱ鬱に関してはなんかあれだな、数学の世界が凄過ぎてさ、加藤和也にせよ望月新一にせよさ、なんかとにかく天才じゃん?彼らって。ああいう人達しかやっていけないっつーかさ、一流ってああいう人達のことを言うんだなって分かるじゃない?で、俺もやるなら一流を目指したいけどあまりにハードルが高過ぎて愕然としてるのかもね。リアルに良くて3流みたいな像が見えちゃったりしたから鬱要素に拍車をかけてるのかもしれないね。人文系ってそういう意味でないじゃん?そこまで特出してたいした事やってる人ってあんまいないからさ、なんか批評できたりするじゃん?自分は彼らほどの論文は書けないにしても、でもまぁそれについては語れるみたいな。


でも数学とかってレベルが高いのではもう高さのレベルが人文系とかっていうレベルじゃないんだよね。なんかすげー果てしないっつーかなんつーかさ、肩を並べられるのか?っていうさ、まぁ普通は肩を並べようなんて思わないんだろうけどね。そういうレベルだからね。でもやるならさ、憧れたり目指すなら彼らぐらいのレベルだよね。でもあまりにそれは高過ぎるっていう。だからまぁやり甲斐があるのかもしれないけど、でもああいうレベルになるともう才能がどうのって話だからさ、まぁでも才能どうのっつーのはまずマスターしてから考えればいいんだよね。マスターするのが先だろうっていう。


逆に最初から無理って分かってればやらないっつー手もあるんだけど、そこはやっぱ俺は単純に興味があるからやりたいんだよね。なにやらp進数って恐ろしく面白そうじゃん!っていうさ、「知りたい!」って思うものに関して進んでいくっていうまぁさっきの運動体の話と一緒でさ、それが楽しいんだよね。簡単に理解できるもんではないからさ、色々な基礎の積み上げとかがあるんだけど、その先に望月新一とか加藤和也の論文を完全に理解するとかさ、フェルマー定理を完全に理解するとかさ、そういうのがあるじゃん?まぁニューヨークで言えば美女と市民権とか仕事だったのが、まぁ数学で言えばさっき挙げたことがまぁ向かう先なんだよね。そういう意味でまぁ夢があるっていうかさ、具体的な目標があるよね。かといって俺は猛勉強!っていう風にはならなくてさ、気ままにまぁ気が向いたときにしかやらないからスローなんだけどね。全く数学やろうって思わない日とかも多いし。ただ数学系のものを読みたいなぁーって思う日とかはすげー読むんだけどね。それはまぁ他のジャンルでも一緒だけどね。政治学の本ばっか読んでるともう政治系とか飽きてきちゃうっつーか読むのが嫌になってきちゃったりするし。


で、話は違うけどさ、あまりに猫を飼いたいってしつこかったから親父に怒られたね。「現実的に考えろ!」って。もうすげーショックで。まぁ当たり前なんだけどね。俺が戯れ言言い過ぎなんだけど。なんかやっぱちょっとおかしくなってるのかな?俺。正気を保ってないっつーかなんつーか。すんげーアンバランスだよなぁー。最近。思えば猫の世話の時もずいぶんと体が重かったよな。あれって結局やっぱサインバルタに変えてたからなのかな?だからコンビニ行くのにも一苦労で。でも猫がいたから楽しかったみたいな。まぁ本は読めてたんだけどね。あの体が動かない感って凄いんだよねぇー。本当に。まぁ新薬がトリガーになったのはほぼ間違いないんだろうけどさ、でもまぁこうやってEXニヒロに飲み込まれそうになると結構思考がはっきりしてくるんだよね。「なぜ?」っていうプリミティブな疑問が浮かび上がるっていうか。こういう感情を感じている俺は何なんだ?っていう。


そっから内省みたいなのが始まってさ、んでそれがウォール伝になるみたいな。まぁニューヨークに関してはまさしくそうだよね。それが虚構であれなんであれまぁ夢があったからウキウキしてたしなんか生きる気がしてたんだよね。で、今はその虚構装置が無くなっちゃったらどうしよう?っていう。これってお金がどうこうじゃないんだよね。仮に俺の口座に1000万とか入ってても辛さは多分変わらないね。何をやりたいか?とかどこに向かうか?って別に所持金は関係無いからね。何をやりたいか?っていうのを問うのに所持金関係無いじゃん?まぁそのやりたいことって結局まぁお金に関わることでさ、趣味と実益を両立できるようなことをやりたい!ってことがあったとしたらさ、それってまぁ動機としてはまぁお金もあるじゃん?その両立させるっていうトリッキーなところにやり甲斐を感じるっつーかなんつーか。


でも生活に困ってなかったらさ、お金っつー動機は生まれなくなるよね。まぁ俺にそれが無いわけじゃないんだけどね。お金っつー動機もあるからこそまぁ進みたい場所ができるわけでさ、かといってでもまぁそれが全てではないから、もっと根源的に何を具体的にやりたいのか?ってのを問いなおす必要があるよねってまぁ結局研究なんだけどねぇー。でもまぁこれって職業じゃ無いから・・・ってが問題なわけで。ん?でもそうなのかな?それがまぁさっき書いた1000万だよね。口座に1000万ぐらいあってもなんつーかまぁ向かう先っていうことにはあんま関係してこないだろうっていう。でも向かう先って何かしらでお金が関わってきてるからさ、だからまぁ関係無くないんだけど、でも進むための動機が必要だからってことでやっぱお金も含めたやりたいことを見つけるっつーかやるっつーか。まぁお金がついてきてないだけで今はやれてるんだけどね。でも一人でやってるからまぁやってるっていう実感が無いっつーか、そういう意味で学校ってやってる感とかを与えてくれるんだろうね。


単位だのテストだのっていう分かりやすい満足感とかさ、そこの建物でやってるってことで満ちてくる満足感みたいなさ、まぁこれも虚構だけどね。でも大学って建物は大事だよね。勉強だけやってればいいところがあれば是非行きたいと思うんだけどね。あ、学生でってことじゃなくて勉強員としてね。まぁこれって研究員ってことでしょ?で、なんでその研究員が雑事ばっかやるのか全然分からないよね。ただなんかさ、publish or perishみたいなサバイバル感って好きじゃないしさ、なんか居場所が無いよね。まぁだから自然にpublishできるぐらいの才能が無いとやっていけないかまぁ書けそうな無難な論文ばっか書いてやっていくことになるんだろうな。まぁどの道、音楽とか芸術と一緒で才能が無いと悲惨なことになるね。まぁでもこれまた音楽とか芸術と一緒でコネだけでやってるようなやつもいっぱいいるんだけど。


あ、んでさ、語学として始めたさ、本を読むってことがさ、まぁあれだよね、チャイナタウンのデリであったバークリーの教授にアジられてから身に付いた読書だけどさ、それはもう染み付いてるんだよね。だからなんかとりあえず活字読んでないと落ち着かないっていうか。で、前にも書いたかもしれないけどさ、ちょっとアレンジしてね、活字と半分ぐらいの割合で数学も入れればいいんじゃないか?って思ってるんだよね。もう習慣となっている読書の中に数学を入れるっていう。で、それは数学系の読み物ということではなくて、具体的な数式だよね。それについて考えたりまぁ取り組むっていう時間を必ず設けるようにするっていうか。なんかのまぁ地味な定理でもいいし基礎の公式でもなんでもいいんだけどさ、それを習慣付ければ多分将来的に現在の読書と同じぐらい自然な感じで数学も生活の中に入ってくるだろうね。逆にもうその頃には新鮮味が無くなって当たり前のことになってはいるんだろうけど。


思えば真剣に哲学とか読み出したことはやっぱ楽しかったよね。未知なることが多かったから。まぁ今後も深めていこうとは思うんだけどねっていつも同じ事書いてるね。でも俺ってやっぱつくづく秀才じゃないなって思うよね。数学の本読んでて。いやさ、理解が早いとかって勘違いしてたんだけどさ、じっくり考えないと分からないことだらけだよね。それは別に数学のレベルとか全然関係無くね、基本的にまぁ全体的になんつーかよく考えないと分からない。でもさ、こないだ貼った柘植俊一の反秀才論にも書いてあったことだけどさ、秀才ってのは頭が速くて、反秀才ってのは頭が強いんだよね。ようは頭が強いってやつは知的好奇心が強いってやつなのよ。


で、俺はやっぱ後者だなって思うわけ。秀才に憧れるっつーと変だけどさ、秀才ばっかな気がするんだよね。アカデミックな世界って。で、俺みたいな反秀才がやっていけるのか?っていう懸念があるっていうのがまぁようは今日言いたかったことだよね。でもまぁそれは頭がどれだけ強いかに依るってことだろうな。つまりは知的好奇心が強ければまぁ大丈夫なんじゃないの?って楽観視でもしていかない限りやっていけないよな。秀才じゃないって時点でもう無理なんて絶望的過ぎるし、まぁ実際、そんなことは無いと思うしね。別に反秀才が劣っているというわけではないんだから。頭の速さは分からんけど強さには俺は自信あるよね。まぁある意味でそれだけだよね。俺って。


まぁそんな感じかな。今日は。まぁとりあえず猫より数学だよね。受験勉強なんてしなくても自然に数学に接してたら受かっちゃったぐらいの生活感になってるっていうのをまぁ目先の目標にしてるわけだからこれはまぁ実現したいよね。でも毎日ずーっとやるのは無理だからやっぱマイペースでやっていくことにはなるんだけどね。それはまぁ他の事でもなんでも俺の場合そうなんだけど。受験ってまぁテストは来年の2月とかだよね。その頃にはもう「余裕」になってるのかしらね?ウォール伝に「余裕でした」とかって書きたいね。まぁ別に受験のために数学をやるつもりは河童だけにサラサラないんだけども。なんで河童なのかは不明だけどね。


ってことで今日はこの辺で。




いやぁーこりゃ久々の俺的ヒットだわ。なんつーかもう音の質感が分かってるなぁーって感じ。これは絶対的にオススメですね。マジで。



Ricky-Tickいいね。