「理解することの重要性」みたいな感じかしらね?

mimisemi2010-10-17

数学の重要性って上がってきてると思うんだよ。っていうのはさ、いや、計算なんて前にも書いたように機械がやれる時代じゃん?必要とされているのは数学的概念を理解しているつまりはコンピューターに計算をやらせる人間だよね。リーマンとかオイラーがやってたような煩雑な計算とか今はやらなくていいわけで。いや、まぁ計算の重要性ってあると思うけど俺はイマイチなんつーか今数学やっててっつーかまぁ色々読んでてさほど感じないんだよね。


重要なことは概念なんであって計算というのはプロセスだからつまりはアルゴリズムってことじゃん?むしろそういう計算法みたいなのを導きだすのって数学の理解が必要なわけでさ、つまりは概念の理解が必要なんだよね。例えば「マンガでわかる微分方程式」の主人公がさ、最初のほうで計算はできるんだけど何をやってるんだか分からないみたいなことを言うけどさ、これじゃー意味無いんだよね。これじゃー意味ないからこそ主人公は学ぼうとするわけだが。


計算ってだから筋力なのかもしれないよね。腕力っていうかなんていうか。例えばロボットとかさ、全自動系の何かってのが発明されたり低コストでリアルに現場とかで使えるようになるとさ、すんげー力がある人とか必要とされなくなるじゃん?前に書いたかもしれないけどさ、昔は力持ちが重宝されてたと思うんだよね。需要があったしなんつーか尊敬されてたと思うんだよね。俺みたいに知的に秀で過ぎているほどでもない中途半端な知的組みたいなやつらなんてのは使い物にならなかったと思うんだよねって今もそうか。今の俺がそうだもんな。


まぁそれはともかくだな、力だよね。うん。力だね。カムイ伝とか見てても分かるようにやっぱ体力があって力があるやつが重宝されてたと思うわけね。でも今ってその昔必要とされてたような力とかってのが機械によって代替可能になってるものが多いわけじゃん?全てがそうとは言わないけど、でも「怪力募集」みたいなのって見ないよね。怪力を必要とするようなのはそもそも機械がやってるんで人は使わないっていう。


これと同じことが計算にも言えてさ、計算がやたら速いとか得意っつーのは恐らくもう昔の怪力みたいな存在になってると思うんだよね。そんなもんコンピューターがはじき出せるから別に高い計算力なんてさほど必要ないっつーか別に計算なんて電卓でやればいいわけで。いや、かといってアメリカの学生みたいになんでも電卓じゃダメだと思うし、それは日本なりのさ、なんか妙に計算を重視し過ぎるがあまり計算ができるやつが多いみたいなのってまぁ少なくともアメリカとかに比べればあると思うんだけど、そういうのはいいと思うんだよね。


ただ数学みたいな学問の中で計算力みたいなのにウェイトが置かれ過ぎてるのはおかしいってことだよね。いや、昔だったらそれはある程度は必要だったし重要なことだったかもしれないけど今なんてさ、苫米地さんが知識についてグーグルを引き合いにだして言ってたけどさ、例えば歴史の年号がどうのとかさ、いつ誰がどうした?みたいなことなんて検索すれば出てくるんだからさ、そんなの必要ないっつーかあっても所詮雑学程度のもんになっちゃうんだよね。それこそモバイルとかで一瞬で検索できちゃえばある種のユング的なさ、集合的無意識みたいなののデータベースバージョンみたいなのが普遍的に世の中に存在することになるわけじゃん?


言わば情報のデータベースっつーのは集合的知識だよね。だから年号とか計算とか別に昔ほどありがたがられないし、まぁ名残として「よく知ってるねぇー」とか「インテリだねぇー」みたいに思われるステータス的なものとしての知識っつーかアクセサリ的な知識っつーかトリビアっつーか雑学ってのはあると思うけどさ、それこそなんつーか雑学とかって流行ってるっつーかなんつーかそういう番組とか多いじゃん?って今に始まったことじゃないけどさ、データベースで取得可能な情報なんてつまりはそれが高次のものであれ低次のものであれ差はないんだよね。


まぁ本質的に知識ってそういうもんでさ、例えばスポーツネタとか芸能ネタみたいなのに混じって政治ネタとか歴史ネタとかさ、いや、クイズ番組とかでランダムで問題が出たりするのを見てると本当にああいうただのデータ的な知識って差は無いよなって思うんだよね。人間がなんとなく歴史とか政治とか科学は高尚で芸能とかスポーツは下世話とまでは言わないまでも俗っぽいみたいな決めつけをしてるだけでさ、グーグルで検索可能な程度の知識って意味だとほぼどれも一緒だよね。


つまりは誰がどうしたとかいつこうしたとか発明したとかってただのトリビアなんよね。例えばそれをさ、誰がこうしたんだけどこういう意図でこういうことをやって物理学的に言うとこういうことをこういう時代にやったんで凄いみたいなさ、そんぐらいの深い知識だったら知識だよね。まぁゲーデル不完全性定理とかでもいいんだけどさ、知ったかぶって「ゲーデルが・・・」みたいなことは言えるけどさ、それがなぜ凄いのか?とかさ、ヒルベルトからの公理主義からの歴史とかさ、そういう文脈と数学的知識ありきで説明してたらそれはデータベースというよりかはその人の理解なわけでさ、それはなんつーか価値のある知識だと思うんだよね。


ただ何年にゲーデル不完全性定理を証明しましたみたいなさ、ヒルベルトが公理主義の夢を熱く語った三日後だか三日前に発表されましたみたいなさ、フレーゲラッセルみたいな話だけど、それはなんつーか年号とかいつ?みたいなさ、誰?とか名前みたいな話ではなくて意味をコンテキストの中で語れるってのが知識だと思うんだよね。山田五郎の美術への造詣みたいなもんだね。これは何年に誰が書いた絵ですっつーのはデータベース的だけど、おぎやはぎとやってる番組で披露する山田五郎の美術の知識ぐらいになるともう意味じゃん?


なぜその絵がこの時期に書かれたのか?とか時代の繋がりとかなんたら派みたいなさ、つまりはそれが理解ってことであり本質的な知識ってことだよね。だからようは空白埋めみたいなさ、絵のスライドが出されて誰の絵でしょう?みたいな質問に答えられるみたいなさ、そういうデータベース的な知識ってどうでもいいんだよね。そういうのがテストに出たらさ「せんせぇーい、検索してもいいですかぁー?」とかで言いわけだよね。別にそんな誰の絵でしょう?程度の程度の低い問題なら検索だろうが暗記だろうが変わらない。そんなもんただのデータで知識じゃないからね。


つまりはアルゴリズムってのもそういうことだよね。こうこうこうすれば解けますっつーのはそれこそデータっつーかプログラムなわけでさ、それを知っていることは数学をやる上で重要なことだけどコアではないよね。コアはそれこそ哲学だと思うのよ。抽象的な概念を考えるってことだよね。


そういう意味で哲学とかの思考法と数学のコアの部分は似てると思うわけ。それが哲学の場合、出力は文章で数学の場合は数式っていうさ、つまりはそういう言語とかメソッドとかの違いなんであってさ、形にならないようなあやふやなものってのを具体化するってプロセスにおいては一緒だよね。程度の低い数学だと「楽な計算法」みたいなことになるんだけどshort cut math的な数学なんて算術なんであって数学ではないよね。本当に思うんだけど高校数学までは算術だと思うんだよね。だからまぁ計算にウェイトがかかっちゃうのはしょうがない気がするんだけど、ただなんつーか将来的にそういうのを駆使して抽象的なものを考えだすとか使って何かを解明したり研究するみたいな仕事に就く人以外は別に面倒な数学なんてやらなくていいと思うんだよね。


微積分なんていらないと思うんだよ。プロパーな連中だけやればいいわけで。三角関数もそうだね。あんなの考えても分からんから暗記になっちゃうのはしょうがない。和田なんたらの暗記数学に一定の説得力があるのはつまりはこういうところだよね。理解はできないが落ちぶれてばかりもいられない。システムがこうなってるわけだから対応してかないと落ちぶれてしまうからメソッドを何か考えようっつってその帰結の一つとして暗記数学ってのがあってもおかしくないと思うんだよね。それは無駄な大量の煩雑な算術をやらせ過ぎている数学教育に問題があるわけで、俺はなんつーか和田なんとかって人は別に暗記数学を推奨してるとは思わないんだよね。


システムにしょうがないからアダプトしなきゃいけないからっつーのでまぁ攻略法みたいなもんだよね。これはつまりは現状の数学教育みたいなシステムがあるからこそ出てくるような一つのそういうシステムに対するシステムに組み込まれてる側の対策なんであってさ、暗記数学が問題だというんだったらもっと根本的なことを批判しなきゃいけないよね。つまりはそれがまぁようは暗記じゃないとクリアできないような煩雑を極める算術ってことなんだけど。


高橋洋一さんが国策捜査っつーか国策で捕まった理由の一つにさ、高橋さんが官僚に対して「計算ができないんですよね。みなさん」的なことを言ってしまったっていうのがあるよね。直で言ったかはわからないけどまぁそういうことを言ってしまって官僚の耳に入ることになって捕まったみたいな。まぁ実際のところは分からんけどね。でも高橋さんの本を読んでるといかに官僚が数学音痴なのかってのがよく分かるよね。それこそエリートなら理解してないといけないだろうっていうラインの数学すら理解できてないっていう。


そんなのが経済政策とかやってるんで国が狂うのもしょうがないだろうっていうさ、計算ミスもいいところなんだよね。そもそも数学を理解してないから出てくる大量のエラーなわけで。で、俺の仮説というほどじゃないにしてもさ、なんとなく思ったことの一つにつまりは官僚ってのも東大出身だのなんだのって言ってるけどみんな暗記で試験とかを切り抜けてきたただのパンピーなんじゃないか?ってことだよね。政治家ってそれこそジェネラリスト的っつーかさ、ある程度のリベラルアーツ的な教養って身につけてるはずでしょ?そういうのが無いってつまりはなんつーか学科とかを暗記でやってきたからなんじゃないか?って思うんだよね。


こんなに優秀な人がなんで?みたいなことってつまりはその優秀さを計る学歴だとか成績みたいなのが暗記によって生み出されたものなのであれば全部とは言わないまでも実質的にそいつは学問を理解してないってことになるわけでさ、だから政策とかに必要な数学すらも理解できないって納得がいくでしょ?こういう問題が出ますって言われたら多分やれるんだろうけど自分から作るとかさ、リアルタイムにそれを理解して政策に移すみたいな具体的な行動ができないっつーのはつまりは学問的な積み上げの多くの部分が暗記によるものだからなんじゃないか?なんて思ったりしたわけね。


そうなると学歴なんて相当胡散臭いものになるよね。元々胡散臭いって前から批判ばっかしてたけど、具体的に最近特に日本の大学とかについて調べるようになってから余計にその胡散臭さが増したっつーか調べれば調べるほどメッキが剥がれてくるっつーか本当に擬制もいいところだなっていう。凄まじい虚構だよね。


だからね、計算を暗記することではなくて数学を理解するということが昔以上に必要なんですよ。つまりはコンピューターに計算をさせる側のコンピューターを操る主としての数学的知識が必要とされてるってところなんだよね。それがつまりは最初に書いた計算なんてのはコンピューターがやれるからっていう昔で言う怪力みたいな人達の重要性なんて無くなってるわけだからさ、いかにつまりは数学的知識を使いこなして応用するか?とかさ、純粋数学でも新たな定理なり理論を生み出していくか?っていう、これこそがコンピューターにできない人間ができる人間らしい創造という行為だよね。


4色問題みたいなのでもコンピューターに計算させるっていう主が必要なわけでさ、つまりは計算は煩雑を極めるが実質的にこういうアルゴリズムでこういう組み合わせと順序でやっていけば答えが出てくるに違いないっていう予想ができるっていう人間の数学的能力が必要なんだよね。だからあれは計算は機械がやったわけでさ、んでも解いたのは人間なんだよね。つまりはその計算をさせた側が解いた人間ということになる。会社で言えば実質的に細かい労働をしてるのは労働者なんだけど、大半の利益やら業績みたいなのはスキームなり方法論なり何かを作り出したって人にいくみたいなことだよね。だから創造ってことに対する対価って高いんだよね。


ただの労働にはそれが仮にコンピューターを駆使するものであれ「これをやりなさい」って言われてる身分ならそれはコンピューター側に極めて近いじゃん?っつーかコンピューター側だよね。作業がキーボードを打つみたいなものに変わっただけで根本的にある種の単純さとかロボット感で言うと肉体労働と変わらないっていう。まぁつまりはコンビニの店員とかさ、土木作業員とかスーパーの店員とかと一緒ってことだよね。


合理がか進めばっつーかテクノロジーが進歩すれば今以上に必要となくなる仕事なんて多くなるわけでさ、だからこそ計算をやるというようなロボット的行為ではなくて数学を理解して生み出すみたいな創造性と知識が必要されてるってことなんだよね。逆にまぁそういうことができないとやっていけない世の中になるだろうってことだよねっつーかロボット的な人員すら必要とされてなくなってきてるわけで。


俺は例えば数学で言ってるけど物事全般的にそうだよね。奴隷的な労働に対する対価ってガンガン下がってきてるわけでさ、それがつまりは所得格差みたいなことでもあるわけじゃん?全てがそれで説明できるというわけではないけど、昔以上に発明したもん勝ちになってるよね。世の中は。昔は奴隷的な労働でもある程度ペイはされていたし、人間らしい生活はできていたんだろうけど今は結構厳しくなってるって現状がつまりは否応にも創造性の必要性ってのを生存に結びついてるっていうことなんじゃないか?って思うわけね。だってそうでしょ?


創造的にならないと生きていけないって自分の生存とか種の保存っていうのに繋がるじゃん?奴隷的なロボットは機械で代替可能だからいらないっていう風に社会がなってるってのはまぁ生物的なダイナミズムだよね。恐らく。残酷に言えば単純なことしかできないやつは死ねってことだよね。ワープアとかってまぁ本当にそういうことだよね。貧困層が増えてるってのもそういうことの一因はあるでしょう。まぁもっとも俺はそれが良いことだとは思わないけどね。


昔みたいな感じで問題なく単純作業の人も食えなきゃいけないとは思うけど経済的に難しくなってきてるんだったらもう創造する側に回るしかないじゃん?それは何も数学の定理を発見するだとかってことに限らずビジネスを作るとかスキームを作るとかさ、あとはまぁオルタナティブな生き方を模索するとかさ、まぁ俺はその一つとして海外移住ってのも前から言ってきてるけど別に日本に帰ってきちゃった今もそれは変わらないんだよね。んでもまぁ俺の印象としては基本的に社会構造みたいなのの大枠はまぁある意味で資本主義的というがグローバリゼーション的にどこも画一化されてるようになってきてるような感じがするからどっかに移住すれば問題は解決するのか?ってそうでもねぇーなぁーってのは本当に思うんだけどね。


日本っていう膜を破って外に出たらさらにまた大きな膜に覆われている「世界」というものがありましたみたいなある種のまぁ絶望的な話なんだけどね。でもまぁシステムによって社会が成り立っていたり回っているってのはつまりはそういうことだから俺が前から言っている「自分が構造化されない」ということってのはつまりはそんな膜を関係無く自分で世界を作っていくみたいなさ、そういうことなんだと思うよね。別に自分の国を作るってことじゃなくてライフスタイルを作るってことだよね。


膜の外への位置づけは難しいことではあるし、実質的には不可能かもしれないけどさ、んでもやっぱ創造っつーのが鍵を握っているのは間違いないよね。前へならえじゃみんな共倒れになるってのは分かりきっていることなんだから。共倒れでいいのか?ってことじゃん?明らかによくないよね?だからまぁ創造するしかないっつーかもう創造っつースキルを生きる術として磨いていくしかない。ような気がしますね。他と同じことやってて食っていける感じじゃなくなってきてるってのはつまりは社会っつーか生物的なダイナミズムがある種過剰に「個」みたいなのを要求しているわけだよね。


で、そういう「個」を社会で発揮した人には凄まじい対価が来るみたいな。だからまぁ他とは違うことをやったりinventした人が億万長者とかになってるわけだよね。あとはまぁイチローみたいな天才的な素質ってのはまぁいつの時代にもあることだけどってまぁ少数でね。まぁそのバランスは悪いとは思うけどねぇ。みんながイチローじゃないしビルゲイツなわけじゃないからさ、普通の人達が食えていかなきゃいけないだろって思うんだけどなんかそれが世界的にキツくなってるってどうなの?って気はするよね。


いや、俺が言いたいのはそれ自体はいいことだとは思えないってことね。でもそればっか言っててもしょうがないからなんつーかまぁ自分でやってける道を探すしかない。つまりはそれは創造ということだよね。あらゆる意味での「創造」ということがプリミティヴな「生きる」ということに繋がってる気がする。


ってことでした。久々にまぁ書きたいことが色々あったねー。最近あんま書いてなかったから。ポアンカレー状態が長かったのかなんなのか分からんけど。ってことでそんな感じで今日はこの辺で。


PS


本文中で言及した創造力ってのはまぁリテラルな創造ということだけではなくて、俺が言いたかったのはもちろんリテラルな意味も含まれるけど、あとはまぁ指導者っつーかリーダーっつーかさ、あとは何かをオーガナイズするとかまとめるみたいなさ、パワーを作り出したりまとめたり束ねたりディレクションを指示したりっていうさ、なんつーか単純な労働というのが横軸なのであれば俺が言いたい創造力っつーのは縦軸なんだよね。ウェーバー的な縦の力ってのもまぁ政治的にも言えるかもしれないし、それはつまりはヘゲモニーの分散ってことになると思うよね。縦軸が様々なところに存在することで存在そのものの多様性とかダイナミズムが生まれるみたいなね、そういう多様な縦軸の中での横軸ってのは当然あるんだけど、現在ってのは縦軸が少な過ぎるわけだよね。それを増やしたり作ったり育んでいくみたいなことがまぁつまりは今回言いたかったことね。それってまぁ数学にも政治にも社会にも言えることじゃん?創造ってのはつまりは縦軸そのものを作ってしまうことなんだなということだよね。




久々に良い物語読んだなぁーって感じ。小飼さんのブログで取り上げられていて読んだんだけど良かったですってことで貼ってみた。