哲学とかはまぁ本当に暗記しても意味無いジャンルですよねっていう。

いやさ、ヒルベルトがさ、「点・直線・平面という代わりに、テーブル・椅子・ビールジョッキということができる」って数学者の友人と酒場でこんなことを言っていたって数学エピソードとしては有名だけどさ、まぁようはそれはただの呼び名なんであってさ、呼び名が点であれビールであれそれが持つ基本性質を満たしていれば違いは無いってことで、なんつーかつまりは定理がその概念を規定するってことだよね。そこでさ、いや、犬の散歩の時に思ったんだけどさ、暗記型の教育が意味ないのってこれじゃん?いや、公理主義が意味無いっつーんじゃなくてね、例えば「神は死んだ=ニーチェ」なんていう暗記問題があったとしてさ、いや、ニーチェの部分が空白になってれそれを埋めるみたいな問題があったとして、まぁ分からんけどさ、んでもそういうのってあるじゃん?


っつーかまぁコミカレの時にそういう意味無いテストが散々あったからもう嫌になってたけどさ、数学的だったり物理的な定義の中でさ、例えば色々な定理の流れがあって空白を埋めるとかだったらいいんだよ。ここはこうなってるからこういう流れでここは自ずとAになるなみたいなさ、したがってAが答えだみたいな。でもそれが歴史とか哲学とかっつー意味論の学問の場合は全く意味を成さないよね。


「神は死んだ=ニーチェ」なんてのはナンセンスそのものでさ、これを問うなら何でニーチェは神は死んだと言ったのでしょう?っていう問題にするべきでさ、それはつまりはエッセイ形式の問題になるよね。穴埋めなんてしたって全く意味のない学科でしょ。今もやってるのか分からんけどさ、年号の部分を埋めるとかさ、「大化の改新」ってワードを選ぶだとかさ、これだって大化の改新って何ですか?ってそれを説明させるのが問題であるべきだよね。いや、俺は大化の改新って何の事か分からないけどさ、呼び名なんてどうでもいいじゃん?例えば明日から大化の改新をAと呼ぶことにしますってことになったら大化の改新の名称はAになるよね。で、その大化の改新=Aを規定するものは大化の改新の定義だよね。まぁ歴史的事実とかなんとかっていう。いや、そこが重要なところじゃん?


そこが知ってなければいけないところでさ、何年に何がありましたなんてことはどうでもいいんだよね。それは定義に内包されていることじゃん?歴史的なコンテキストの中で何年にこういうことがあったのは何々と呼ばれることで、それはこういうことである・・・みたいな感じで定義が続くっていうさ、何年に何々ってのは定義とセットじゃないと何も意味を成さないよね。すげー前に書いたウォール伝にしてはブクマ数が多かったamazonのエントリーのやつで書いたのと一緒だよね。名前なんてのは記号なんであってさ、その人を定義する何か?ってのが無いとそこに具体的な意味は生まれないよね。俺の名前とかは実名とかも書いてるけど俺のことを知ってる人じゃないと俺の実名にも意味は生まれなくて、あー耳蝉の実名なんだなってことだけで俺が誰だか分からないじゃん?


俺を個人的に知ってる人が俺の名前で検索した時に耳蝉ってのと俺の実名が一致するからまぁ耳蝉=俺ってことになって、なーんだ耳蝉ってあいつのハンドルネームなのかーってことになるじゃん?まぁそれはつまりは俺を知っている人でしか成立しないものなんであって、つまりはそれはさっき俺は書いた定義ってことだよね。俺の定義って言うと変だけど、つまりは俺を知っている人は俺の実名からそいつが誰なのかってことを知ることが出来るので意味論が生まれるっつーか名前に具体性が生まれるでしょ?つまりはそれがダイレクトに俺を指す名前だということになるわけだ。


でも俺を知らない人にとっては俺の実名だろうがハンドルネームだろうが関係無いよねってことをamazonのエントリーで書いたと思うんだけど、これがつまりは神は死んだ=ニーチェにも言えるわけよ。神は死んだ=ニーチェの定義をしなきゃいけないじゃん?定義というよりはなぜそういうことを言ったのか?っていう内容の部分だよね。それが無いと全く意味のない空虚な記号の組み合わせなわけよ。それ自体では何の意味も解さないナンセンスなものになるよね。1+1=2に意味はないけどさ、でもまぁ算術的な事実じゃん?これと同じ事を哲学とか歴史でやってもしょうがないってことだよね。まぁでもなら数学は算術的な事実の暗記をすればいいか?と言えばまぁ暗記で切り抜ける以外方法が無いっていう受験を控えた切羽詰まった高校生とかなら別だけど、まぁ学問的に言えばその算術的事実を理解しなきゃ意味が無いよねってまぁそれは前に散々書いたけどさ、だから計算法とか暗記してもしょうがないんだよね。まぁ暗記しなきゃいけないところもあるんだろうけど全部暗記ってことはないだろうっていう。


それはまぁコミカレ通ってたときに数学の先生が2人とも「数学においては暗記というのは最悪の考え方である」って言ってたからまぁ間違いないよねっつーか俺みたいな素人が言うのだと説得力無さそうだけど、まぁ博士号持ってるプロが言ってるんだから間違いないでしょってことね。ホントさ、計算至上主義ってなんとかならんもんかね?あんなのは方法なわけで数学じゃないじゃん?計算速いみたいなのが数学を得意とする条件の一つみたいに広く信じられてるけど数学って意味だと全くそれは関係無いと思うんだよね。


あーあとあれだ!いや、数学の話はもうよくてさ、あれなんだよね、研究者って30ぐらいまでに研究結果を残さないと大学でやっていけないみたいな、これもなんかさ、そういう風に言われる風潮があるけどこれが仮に事実だったとしたらかなりおかしくないか?そもそも学問に年齢は関係無いよね。まぁハーディが60過ぎたあたりから「もうアカンわ・・・」って感じたんだけど、んでもまぁ40歳ぐらいまでだったらさ、まぁ学問にもよるかもしれないけどなんか全然いいじゃんっつーか別に積み上げっつーか普段からの研究の積み上げとか思索があれば歳なんて関係無いよね。


それこそじいさんになっても現役って人だっているだろうに。この年齢制限って凄まじいことだと思うんだよね。例えば俺みたいにさ、アラサーで学問やろうと思って大学に行こうとするやつがいたとして、んでもうそいつには年齢の関係でもうかなりの制約があるっつーか年齢的に無理だろうっていうさ、まぁ30歳理論で言えばそうなるよね。で、そんな理由で諦めなきゃいけないとかってバカバカしいと思わない?まぁ俺はそんなの大学でやっていきたいとは思わないけどさ、でも学問って小飼さんとかも書いてたように年齢的に言えば大学卒業した後ぐらいから本格的な興味が湧くものだと思うんだよね。まぁ年齢で言えば23とか24ね。まぁ俺もそうだったしね。


で、そのくらいから学問初めてさ、んででも博士号取るころにはもう年齢的にびみょーみたいになっててアウトとかって一番あってはいけない年齢差別だよね。あくまで能力で計られないといけないよね。いや、あとさ、数学とか物理学は20代がピークってそんな統計出てないよね?まぁ過去の天才はそうだったかもしれないけどさ、普通の人の数学的能力なんて後天的に身に付くものだと思うんだよねって俺が身に付いてるかは分からないけど、でもまぁだいぶあれだよね、まぁ分かるようにはなってきたよね。


なんつーかまぁ俺が言いたいことはさ、社会人とか経験してさ、んで学問とかに興味を持ち始めて学問をやろう!という選択肢があるっていうことの重要性だよね。まぁ現状を見る限り空論にしか過ぎないのかもしれないけど、んでもまぁ何事全般にも言えるのがまぁ年齢差別なんてロクなもんじゃないってことだよね。マイナスの作用しか無い気がする。再スタートが出来ない社会が日本だみたいな言い方があるけど、一つの要素としてやっぱ年齢差別ってあるよね。これもまぁ立派な差別なんだってのを認識しなきゃいけないよね。日本って差別に関しては本当に先進国とは思えないぐらい酷いよね。島国だから公共性みたいなのが生まれにくいのかな?差別って結果的に無いほうが生きやすくなるのになんでそれを選ばないのかよく分からんね。


なんかもういいや。今日はこのへんで。


今日のオススメ書籍。



いや、なんつーか物理学ってリアルにSFみたいな世界だなって感じるわけですよね。だからワクワクするのね。SFのF無しでまぁ「サイエンス」ってことなんだけどね。リサ・ランドールの本とかも読んでみようかなっつーか「次元」に関しては歴史が古いんですよ。俺。いつも書くけど中学の頃に最初に学問らしきものを好きになったのって相対性理論量子論だったんだよね。まぁSF的な意味で。SFみたいな世界観を科学しちゃうんでFが無くなる感じってのにまぁ魅力を感じてたわけだけど、まぁ戻ってきた感じなのかな?そういう意味でまぁ別に新境地って感じはしないよね。