昨日の続き。

で、まぁ東のエデンなんだけど、なんつーか俺みたいなニートっぽいんだけど所謂「社会人」みたいなやつに比べて社会に対する配慮というか「このままではダメだ!」という危機感を持っているっていうタイプのニートっつーか高等遊民みたいなのが出てくるとか結構重要なキャラクターとしているってのは良かったよね。「社会人とはだな・・・」みたいに曖昧な存在として語られる「社会人」も俺が普段から批判してるようなものそのまんまな感じでなんか元ネタがウォール伝か?って思うぐらいシンクロニシティがあったね。


言わば俺もone of themとしてなんつーか俺がここで言っているようなことの世界観が劇中に形成されていて面白いなって思ったのね。で、それは当然のことながらウォール伝は別に超有名ブログではないからそれ自体が完全なる世界観を形成するなんてことはなくて、言わば東のエデン的な世界観を形成する元ネタとなるような感じのブログの一つとしてあるってことだよね。だからまぁ東のエデンはそういう「現象」から要素を抽象してきてああいう世界観を作ったのであって、まぁようは俺のようなことを考えている人が少なからずいるってことが凄く分かるって意味でまぁさっき冗談で「元ネタがウォール伝か?」って書いたんだけどね。


言わばウォール伝のある種の説得力もこれだよね。全然別に実際はまぁエントリーにもよるけど当たり前のことしか書いてなくてさ、それが当たり前に伝達する場合もあるってのはまぁ少なからず言えるじゃん?必ずしもそれが思っているようには伝達しないというのがデフォルトでやっているわけだけど、んでも伝達する場合もあるでしょ?それをここ数年感じるわけね。実際にリアクションとかたまにメールとかもらったりするとそれを凄く感じるんだけど、そういうネット的な言論の派生ってのが抽象化されて描かれているのが凄いなと思ったね。社会人という概念に疑問を持っているとか、実際は役に立つニートも相当いるって思ってるとかさ、実際は社会で上手くやっているやつらなんてロクでもない連中が多いとかさ、まぁこれは行き過ぎにしても、まぁウォール伝のdecentな行き過ぎていない部分って言わば一種の一般の論理として通用するところもあるってことだよね。それが凄く東のエデンを見てて思ったね。


なんつーかある意味ですげー俺的な世界観じゃん?あれ。ようはシンクロニシティがあそこまであるってことはある種のある集団での一般意志みたいなのに近いものを俺は持ってるんだなっていうまぁある種のdecencyみたいなのを感じたわけね。理想は俺は冗談半分で言えばイデオローグになりたいんだけど、あそこまで世界観がキッチリしていてアニメ作品として出せるぐらいのものが形成されているっていう反映を見てさ、ようは俺がいかに当たり前のことしかメインポイントの大意の部分では言ってないんだなってのが改めて分かったのね。「いや、やっぱそうだよね」ってのがすげー分かった。


まぁ論理があまりにおかしかったり逸脱し過ぎていたらちゃんとした人達からメールとか書き込みもらえないわけだからそれは分かるんだよ。それは書き込んでくれている人達の失礼な言い方をすれば質を見れば逆に自分が分かるんだよ。彼らの知性を見て自分の知性にある程度の自信が持てるんだよね。まぁラカン鏡像段階みたいなもんかもしれない。で、それは言わばなんつーか一般性を持っているってことじゃん?まぁようは「そうですよね!」って思えるような何かを書いているってことでそれは別に俺のオリジナルというわけではなくて、俺っつー人間が生きてて普通に感じていることを正直に書いているだけだから、逆に俺が相当な狂人でもない限りまずそこまで激しい逸脱は起こらないよね。


まぁそれは分野にもよるし中にはおかしいのもあるんだろうけどまぁメインの部分ではそこまでおかしいわけじゃないし逆に正論しか書いてないところも多いわけでしょ?で、仮にそれが正論の部分も含んでいるんだとしたらそれはまぎれもない正論だよねっつーとトートロジカルだけども何を言いたいのか?っていうと俺がいいたいこととか言い続けてきたこととか思い続けてきたことみたいなのがあそこまでクリアに描かれている作品ってのを見るとようは少なからず俺みたいに考えている人間が他にもいっぱいいるんだなってのを感じられるわけじゃん?ある種の連帯感を感じたわけだよね。逆を言えば俺は世間知らず過ぎるのかもしれないけどね。ネット上の知り合い以外のブログは定期的には読まないし、基本的に読書かウォール伝ばっかだからっつー自閉的な世界なんだけど、でも全然それは別に自閉でもなんでもなくてやっぱまぁある程度のdecentな感覚なんだよなってのは分かるよね。


でも周りに「社会人」のロジックしか出さないようなやつばかりいたら自分の意見がマイノリティの意見のように思えてくるじゃん?でもエデンの東みたいなのを見ればある程度のディティールの差はあれど疑問点っつーか「ここがおかしいよね」的な大きなポイントは間違ってないんだなってのが分かるよねっつーか間違ってるって言い方はあれか。ようはそう思う人も結構いるよねっていう一般性を見出せるってことだよね。これってすげー示唆的でさ、自分がネット論壇みたいなのに属しているかなんてどうでもいいことだし、そもそもネット論壇と言われているものが何なのかあまり分からないんでなんとも言えないんだけど、んでもネット論壇のポイントって言わば大学に属しているような先生方が言う意見とは違うオルタナティブながらもそこまで素人臭くもないっていうものじゃん?


大学の先生方とか哲学者のドグマをそのまま使って学生運動とかやってたのが過去ならこの東のエデンで展開されているような動きってネット論壇的な言論による動きだよねっつーか運動だよね。そこには昔のような自覚的な能動性はないんだけど、んでも極めてまぁゼロ世代的な感覚で動いているよねっていうさ、そういう動きみたいなのを凄く感じたね。根本的に社会を良くしていこうと思うところは一緒でまぁだからそれはエデンの東の部室が全共闘だかの運動家達が使ってた部屋だったっつーのもさ、実際の繋がりはないけど「動き」という意味で繋がっているっていうことのメタファーだよねっつーかメタファーというほど隠れてもいないんだけど。


劇場版がイマイチだったとかそういう批判は色々あると思うしまぁ俺も惜しかったな!とは思うけど、んでもコンセプトは凄く良かったと思うんだよね。ありそうで全然無かった世界観っつーかさ、それこそゼロ世代的な言論が世界を動かす!みたいな話って無いじゃん?っつーのはゼロ世代の特徴って脱政治化だと思うんだよね。そういう意味でまぁ熱さはないよね。でもそんな中で今までとは違った熱さを持ったネット論壇みたいなものがあったりしてさ、で、それは学問とか学派っていうよりかはネット上で展開されるリアルな言論みたいな属性を持っているなんともまぁまとめようがないようなものを上手く世界観にまとめたなっていうのがエデンの東って気がしたんだよね。


んでも例えばウォール伝みたいな形態って痛くなりがちじゃん?思想とかに傾倒していて読書ばかりしているニートみたいな生活をしていてんでたまに即興演奏とかミックスとかをアップしていて・・・っていうこの属性そのものがヤヴァさを醸し出すっていうかさ、勘違い感が凄いじゃん?なんか自分を特別だとでも思ってるのか?こいつ?的なKY感がすげー出やすいっつーかさ、んでもそこのギリギリのエッジーなところを生きつつもエッジを超えるみたいなところが自分でこれ書いてても好きだしそれが自分の生き方なんだけど、別に思ったよりエッジーでもねぇーなっていうさ、それは別に自分が自分の事を特別だと思っているから「発信せねば!」と思って書いているというよりかは日々思った事をただひたすら書き続けるって感じなんだけど、これもまぁヤヴァ属性たっぷりじゃん?電波感があるっつーか。


んでもそれは色んな人のリアクションによって痛いもんじゃないなって分かるし、あとはまぁミックスに関して言えば言わずもがな良いよね。あれは。で、文もまぁ日によって差はあるけど基本的にまぁ面白いと思うんだよね。でもそれだけじゃなくてやっぱ言いたいことってのがすげーあってさ、んでその言いたいことがすげー最近色んな人に伝わってるな!ってのを感じていた矢先にエデンの東を見てさ、んでそれはようは別にウォール伝とウォール伝読者間の間で起こっていることではなくて、一般的にある程度まぁ他でも恐らく散見されるような現象なんだろうなというのを感じたわけね。そうじゃないとあんなアニメはできないからね。俺だけが「社会人って何なのさ?」って言ってたらあんなアニメはできない。んでも「社会人って何なの?」とかさ、今の社会に対して「おっかしいよねぇー」って思ってる人がかなりいるってのがあれを見て分かるじゃん?言わばそのね、おかしいよねぇーっていうその質感がネット的なゼロ世代的な感覚で言うところのおかしいと感じる雰囲気ね。


んじゃあお前だけが「社会人って何なの?」って思ってたのか?って言われると返す言葉もないよね。俺は他の人の意見知らなかったからね。実際、俺みたいに考えている人が結構いるんだ!ってのをいや、まじで素で感じたわけよ。だからそこに言わばね、さっき書いた言葉で言えばウォール伝のちょっとした一般性っつーかdecencyみたいなのを感じたってことなのね。勝手に俺は少数の意見だろうなって思ってたけど意外とそうでもねぇーなってのを良い意味で感じられたってことね、で、俺的に言うとそれこそ狸さんが言ってたような美意識の話になるんだが、議論のレベルをやっぱりプロレベルっつーとアレだけど、リアリスティックなレベルに上げていきたいんだよね。


それこそまぁ狸さんとの議論でもあったような「政治戦略性」があるような議論っつーのかな?でもそれをやるにはすんげー色んな知識が必要なんだよね。で、まずそれは哲学とかだけやってても到底無理な話だし、哲学者に具体的な政策とかが提案できないのも頷けるよね。そういう意味での政治哲学は全然興味無くてさ、あくまで善き社会を構想できるような材料の一つでしかないよね。で、他の必要とされるものってまぁ多岐に渡ると思うけど、まぁそれこそ数学とか経済学とか金融工学もそうだと思うんだけどさ、ハイパージェネラリストにならないと無理だよね。


やたら人権に偏った思想を持っているやつが言う「必要性」なんて結局はイデオロギーの産物にしか過ぎないわけじゃん?そうではなくてそれこそ例えば貧困の話でも人々が飢え死にするような世の中は良くない!なんて言えるのは簡単でさ、それだったらどうすればいいのか?ってのを具体的に言えるぐらいじゃないとやっぱダメだよねって思うんだよね。そういう意味で俺はすげーハイパージェネラリストになりたい!って凄く思うのね。それは狸さんからの的確な批判があったから余計にそう思ったんだけどね。政治思想とか政治理論だけ学んでて世の中が見えてきたり語れたりするか?ってまずそれはないじゃん?だからまぁあんまり重箱の隅を突くような哲学研究みたいなのはもう辞めようかなって思ってるんだよね。


まぁそれもプラトンとかマキャベリとかシュトラウスとかは読んでいくけどさ、んでもマキャベリにしてもプラトンにしてもシュトラウスにしても全部の文献漁ってたらキリがないわけだよね。それこそそれを専門でやっていくなら言わば研究者になるわけだけど、俺はそういうのには全然興味無いんだなって最近凄く思ったわけね。ようは社会変革というと大げさだけど、社会に対して凄くアクチュアルなことを言えるとか分析できるとかね、提言できるみたいなそういうハイパージェネラリストになりたいってのが理想でって何回も書くようだけど、それにはまずまぁ色んなジャンルのものをマスターしなきゃいけないってことでさ、だから細かい哲学研究なんてトリビアルなことになるわけだよね。本当にどうでもいいことだよ。それは。趣味でやっていればいいわけだから。


そういう意味でまぁ俺の本業の部分はかなりシフトしたよね。そんな中でまずは数学と経済学と金融工学をマスターしたいなって思っててさ、まぁ物理学は趣味的にやっていくけど、まず経済学と金融工学は必須だなって気がしてきたね。理王もいいけどやっぱついてまわるのは財源だとかそのモデルで実際社会でそれがワークするのか?っていうプラクティカルなものが必要なわけで、だからまぁプラグマティックな学問をやっていくしかないなって気がしてるんだよね。


なんつーか数学全般って知識として体系的にやっていくってまぁ凄く価値があるなと思って。数学をマスターしてれば数式が介在するものの理解度なんて飛躍的に増すじゃん?それが前にも書いたなんつーかその重箱の隅を突くような数学研究よりかはもっと視野の広い数学を利用したものをやりたいなって思っていて。ただもちろんそれは政治学とか社会学とか哲学の知識とかも含めた体系的な知識の中での一つなんであって、個々がそれ自体の目的を持っているわけではなくて、全てが揃って一つって感じなんだよね。それは凄く大変だけどまぁ今の所時間はあるからやれないことはないからやれるうちにやっておきたいよね。


ってことでした。