いやぁー受験なんだけどねぇー。

受験の話なんだけどさ、なんつーかもう「やめてくれ」っつー空気が支配している感じになってるよね。いつも実家はそうなんだが、留学のときもこうだったし、留学後にしても俺が具体的なプランを立てても支援するという風にはなるんだけど俺が無理矢理やらせているみたいなムードになって、なんつーか「もう働いてくれ」みたいな雰囲気満載なんだよね。親がどれだけ俺の病気を理解しているか分からないけど、やっぱりまぁレギュラーに働くというか、まぁレギュラーにどっかに通うということが気分障害とかがあるといかに大変か?ってのがそれが当たり前の人にはやっぱりどうしても分からないんだろうなと思う。まぁかといって大学行けばいいって話じゃないし、歳も歳だし研究職なんて難しいだろうしさ、まぁそれは最初から分かっていたことだけど、んでもよくよく考えてみるとなんつーかこの3年ぐらいの差ってすげー30超えてから出てくるなとかって思ってて。


っつーのはさ、オリジナルプランで行くとまぁ恐らく今年の8月ぐらいには4大に転入してっつーかまぁニューヨークにいたらの話ね。で、まぁそこから2年か2年ちょいでバチェラー取って・・・っていう風になるのとさ、今からまた4年っつーか実質的に仮に入ったとしても今からカウントすれば5年じゃん?まぁ年齢なんて学問には関係無いと思うけど、まぁなんのために大学に行くのか?っつーとやっぱアカポス取ろうとしてるわけじゃん?俺がやっていけるかはともかくとしても、まぁ恐らく一番俺がやっていけるであろう道はこれしかないだろうなっていうことなんだけどさ、まぁ日本で言えばポスドク問題とかがあって全然リアルさに欠ける話かもしれないし、だからまぁ院からとかはまたアメリカに戻るみたいなことも考えてたんだけど、なんつーかさすがに自分が敷いたレールだったとは言え一旦外れると軌道修正が難しいよねっていう。もうすっかりニート体質っつーか引き蘢り体質が身に付いちゃったし、かといって別にレイジーになったわけじゃなくて、読書という意味でははかどってはいるんだけど、んでもさすがにやっぱこれだけやってるっつーんだと精神的に参ることは無くも無いよねっていう。


まぁようは刺激がないってことだよね。病院の先生にも言われたんだけど、やっぱ人と接するとか何かやるってすげー大事なことらしいんだよね。まぁ話せる人があまりいないけどさ、んでもまぁいるかはどうかはともかくとしても大学進学とかの話を先生にするとまぁ俺の病気という観点から見るとそれは良い療法になるってことらしいんだよね。ようはまぁ引き蘢らないで外に出るっつーか人と接するとか、それがある程度強いられるという状況だよね。


コミュ力とかさすがに半年ぐらい引き蘢ってると相当落ちてるだろうなって思うしさ、外で外と接してもっつーか友達とかじゃなくて店員とかなんだけどすげーギャップを感じるよね。俺があまりに定型の振る舞いをしないもんだから相手が対応に困るっていう。まぁ俺的に言えば定型のフォーマットでやりとりするなんてバカバカしいじゃん?ってことなんだけど、なんか俺だけそれを実践していてもアカデミー賞の司会をやったアン・ハサウェイみたいな感じのKY感が凄いんだよね。まぁそんなの関係無いとは思うんだけど、本当にもう戻れないところまで来たなぁーって感じはするよね。


それこそ俺の特性をそのままにして得意分野でやっていくみたいな方向性じゃないとリアルにやっていけない感を日本にいると特に感じるよね。まぁかといってもアメリカでも同じだったんだろうけどね。日本の大学は今はゆとり世代ばっかが院とかに来てるからKYなエキセントリックなやつを求めているらしいって叔父さんが言ってたけど、それがマジなら行く動機付けはバッチリなんだけどねぇ。実力はともかくエキセントリックさでは他者に負ける気がしないし、俺より変なやつに会ったことないからさ、そういう意味だと抜群の個性と威力を持っているのは自称してるけど、やっぱ学問の世界だとんでも実力がないと意味無いじゃん?で、やっぱり数学やっててもとても俺に才能があるとは思えないんだよね。


いや、一流基準で見たときね。ようは東大とか京大の狂ったように自然に息をするかの如く計算をするようなトップ大学の中でのさらにトップみたいな連中に敵う気がしないんだよね。まぁそれ言い出したらみんな敵わないんだけど、でも数学ってそういう敵わないやつらで成り立ってる世界っつーイメージがあるよね。元々競争率が激しいっつーかさ、色々調べてみるとアカポスとかだと特に最難関のレベルらしいんだよね。そんな世界で俺が通用するのか?ってさ、まぁ今まで積み上げてきたものがあるならまだ別にしても高校数学とかまだやってるっつーレベルでこの歳でどうなのかな?っていうのはあるよね。それは別に俺が物理学やろうが一緒なんだけどね。となるとやっぱ物理とか数学は趣味に留めておいて本業は・・・みたいなありがちな話になるよね。そういうところに落ち着いちゃう。そうなると大学なんて行く意味なくなるよね。


とかって思ってたのがここ数ヶ月だったんだけど、んでもやっぱ特に最近は金融工学とか物理学とかにもよりいっそう興味が増してきた中でやっぱり数学って言語だなっつーか全ての基盤だなって気がしててさ、気がしててっつーか実際そうなんだけどね、それは経済学にしてもそうだけど、俺が最終的に行く着く先ってやっぱ政治ではあるとは思うんだけど、でもやっぱりただの政治哲学者とかには絶対なりたくないんだよね。数理極めてる政治哲学者っていれば最強だと思うんだけど滅多にいないじゃん?ようはさ、哲学者ってようはヒューマニズムとかイデオロギーから「こうあるべきだ」みたいなモデルを提唱するじゃん?でも数理的な知識があったら到底ワークしない社会モデルってーのもかなりあるじゃん?


数理とか抜きにしてるから思想として言えるみたいなさ、その思想の勝手なところが凄く嫌でさ、背後にやっぱ数学的な裏付けがないとダメだよなって思うわけね。それはBIの議論なんかは特にそうだよね。あれはむしろ数理的な知識がないと何とも言えないでしょう。トイレ掃除を誰もしなくなるとかさ、誰もやらなくなるからトイレ掃除の賃金が高くなるとかさ、それも憶測じゃん?でも実際数理的なことを分かっている人だったらどうなるか?って分かるじゃん?まずそれがベースにあってさ、そこからの思想なんだよね。んでもニューマニズムから言えば・・・っていう思想が必要になってくる。逆を言えば数字だけじゃダメなんだよね。こうすればこうでこうでいいっつーただの合理主義とかになっちゃうからそこにやっぱ思想が介在してないと俺はダメだと思うわけね。


言わばまぁ両方極めるってことだよね。狸さんも言っていたことだけど、批判するとかさ、何の根拠もなしにこうあるべきだ!って言うだけなんて簡単じゃん?それこそリアルにこうやっていけばこうなりますよっていうモデルを提唱できないとリアリティに欠けるっていうかさ、いや、完璧なモデルは存在しないよ。ただまぁ哲学とか社会学とか数理系全般の知識に裏付けされた社会モデルとさ、ただのヒューマニズムのみの社会モデルって全然違うわけじゃん?やっぱ俺的にどっちもダメだなっつーか逆をそれで政治哲学とかばっかやってても本当に意味ないなってのは本当に最近は感じるね。あとはもうもっと詳しくホッブズがなんと言っていたか?とかシュミットとホッブズの関係は?とかさ、そういう重箱の隅系の話になっちゃうんだよね。アクチュアルな問題に常にオルタナティブを提唱できるみたいな感じにならないっつーかさ、象牙の塔に籠る感じっつーか、そういうのには本当に興味無いってのが心底分かったんだよね。


それでもまぁ趣味としてやっぱシュトラウスを原型とするような、そこから派生する政治哲学系のことって俺の中で面白いことだから勝手にそれはやっていくけどさ、んでもメインではないよねっていう。それは好きで読むものなんであって、実際に社会をどうしていくか?ということについて考えるなら別にシュトラウス研究なんてどうでもいいことだからね。まぁある程度は役に立つにしてもシュトラウスのマイモニデス解釈が云々・・・みたいな細かい話になるともうどうでもよくなるよね。そんなのもうアメリカの研究者で凄まじく細かい研究をやってる人がいるし、別に俺がやることでもないし、そもそも興味無いからね。まぁ読むのは興味あるけど俺が研究しようとは思わないよね。研究結果とかは読むけどね。


そういう意味でのまぁ純粋な知的刺激という意味でもそうなんだけど、やっぱ社会とか政治にとって不可欠なものとしての数学の知識の必要性ってすげー痛感してるわけよ。いやーもし学校が面接だけで入れたら俺絶対東大入れるよね。自分で言うのもなんだけどこんな志を持って学問をやってる若者なんて今時いないだろうっていう。え?自分で言うなって?いや、それ以前にもう若者かどうかも分からんのだけど。昔はデフォだった気がするけどね。それこそエリートとかだけが大学に行ってたころは志はみんな高かったんだろう。ただまぁ大学ってのが大衆化した世の中では逆にこんなやつ滅多にいなくなるのは必然だよね。


むしろそれを大衆に求めること自体に無理がある。そういう意味での志はバッチリなんだけどねぇー。んでもまぁ学力だなんだっつーさ、まぁ数学やるなら基礎ぐらいは知っておかなきゃいけないけど、んでもなんか大学数学の本とかもうすでに読んでる俺としては微妙な気分だよね。別に今読めてるしこれやっていけばいいだけなんだけどさ、かといっても受験数学をクリアできるほど解く力はないとかさ、数学って危ないんだよね。分かった気になってやってるだけかもしれなくてさ、やっぱ演習ってすげー必要なんだと思うんだけどってまぁそんなの自分でやればいいだけなんだろうけどまぁなかなか問題なんて説こうと思わないよね。数学的アイデアさえ分かってしまえばいいし、逆に本当に理解できてれば色々分かるようになるからね。そういう意味で俺は結構金融工学の入門書とか読んでも分かるようになってきてるわけよ。物理学然り。


でも理系って全然縁がなかったし分からない世界だから理系をやってる人達の中に入るってやっぱすげー重要だと思うんだよね。逆に思想とかだともう今の日本の若者なんてダメだよね。んでも理系の場合、必ずある人口の中に絶対いるっていう超絶的なやつってのがいるじゃん?そういうやつを身近に見るっていうかさ、それでまぁ諦めるっていうと変だけど、自分の実力とか分かるじゃん?今の俺ってよく言われるようなたまにいる東大とか京大の超人的な理系には敵わないってイメージで思ってるっつーレベルだからまぁ実際会ってみたいっつーかさ、打ちのめされたいってのはあるんだよね。んでもそのためには東大とか京大はともかくとしてもまぁやっぱそこそこのところに行かないとそういうやつには出くわさないだろうからさ、やっぱまぁ受験勉強っつーか受験数学やらなきゃいけないわけだよね。でもどうしてもつまらなくてやる気が起きないんだよなぁー。


それでもまぁ日本的な受験カルチャーを馬鹿にしくさってた俺にしてみればだいぶ変わったと思うよ。それこそ秀和システムの本とか駿台文庫だとか買って読んでるからね。やっぱりなんつーか知識欲だけに任せて数学をやっているだけでは特殊過ぎる受験数学っつーのはクリアできないってのが本当によく分かるよね。まぁそれでも高橋洋一みたいな人とかはすんなり解いちゃうんだろうけどね。なんかでも理系への憧れって急激に強まってきてるよな。まぁ別に哲学を究めたというほどではないんだけど、ひたすら人文系ばかりだった俺としてはやっぱりある程度人文系の「大きな声で言っちゃえばいい感」ってのにうんざりしてるってのはあるんだよね。それこそトレンドみたいになっちゃえばいいっつーさ、科学的態度がないんだよね。本当に。社会学とかも極端に言っちゃえば似而非科学だしね。Political Science然り。あんなのサイエンスでもなんでもないよね。ファインマンがそんな批判をしてたけど実際の科学の厳密さから言うとそりゃ当然のことだわな。あとマンデルブロとかタレブによる金融工学への攻撃っつーのも言わば「あんなもん科学じゃねーよ!」ってことだと思うのね。んでも別に使えない理論ではないっていう。社会学と一緒だよね。役に立つツールではあるけど科学ではないっていう。ちなみに茂木さんが提唱しているクオリアがオカルト扱いされるのもそういう理由だよね。俺は別に否定的ではないけど、あれは科学ではないというのは明白だよね。何しろ存在が特定できないイデアみたいなもんじゃん?あれ。


茂木さんが文系のエッセイを書く時のツールになってるだけっつーイメージがあるよね。斎藤環とかの批判が鋭いのもそういうことだよね。ちなみに最近知ったんだけど茂木さんって元々物理プロパーの人なんだよね。学位も物理学だし。だから脳学者ではないんだよねっつーか苫米地さんとか養老さん然りだけど、脳学者ってまぁ言わば哲学者みたいなもんだよね。脳について形而上学的に語る人達っていう領域を出られてないっつーかさ、まぁ脳学者っていると思うけどそれってBrain Scienceみたいなもんじゃん?恐らくこうであろうっていうようは予想を立てる位置にはいないよね。ようはひたすら研究するしかないっていう感じじゃん?分かってないことが多過ぎるからね。まぁメジャーな人で言えば生物学者の福岡さんみたいなもんだよね。ようは生物学みたいなもんだからひたすら研究するしかないっていうさ、福岡さんが形而上学的な生物学の仮説なんて書かないじゃん?それこそ宗教とか哲学とかをごっちゃにしたようなもんは書かないよね。だからこその科学者と言う言い方はアレかもしれないけど、んでも科学者ってそういうことだよね。まぁ科学者だから形而上学やっちゃいけないってことではないんだけどね。


いや、んで話を戻すとやっぱ俺って本来は引き蘢り体質じゃないと思うんだよね。それはあっちにいた頃もそうだけど、やっぱ多過ぎるとうざくなるけどほどほどのコミュニケーションってすげー求めてるんだよね。すげー喋れる人ってのを探してるし、ちょっとぐらいでも喋れる人がいるとすげー楽しいからね。そういうやつらと会いたいってのはあるよね。実際会えるかどうかは別としてもさ、んでもまぁなんつーかアリストテレス的な意味での政治的動物ってことだよね。まぁ逆に籠りきれれば凄いと思うんだけどね。今ぐらいの生活を永遠に続けてずーっと独学で何かやってたら凄いと思うね。んでもやっぱここ半年で思ったのはやっぱりそこそこのコミュニケーションがないと寂しいっつーかまぁやっぱ喋れる人がいればいいよねとは凄く思うんだよね。


まぁそういう意味で言うとネットでは昔に比べたらかなり盛んになってきたし、結局、アメリカにいた頃もリアルな話を出来たのはウォール伝経由ばかりだったから、まぁ実際のこっちの大学にいったところで状況が劇的に変わるとは思えないんだけど。んでもそれって経験もせずに何を言ってるんだ?っていうことになるじゃん?いや、俺が実際、日本の大学を出たりまぁ中退でも言った事があって経験から言ってるならまだしも色々と調べたり聞いたりしている範囲での憶測にしか過ぎないからね。そういう意味でまぁ大学に期待はしてないけど、かといって絶望するほどリアルなものは見てないっていう。んでもまぁこうやって書いてると本当に行く意味がないなと思うんだけどね。それこそ俺が行く理由って実力がないからどっかに所属して勉強しながらチビチビとアピるぐらいしかできないっつーかさ、まぁ実力がないから行くんだよね。全ての人がそうとは言わないけど、俺の場合、ある意味でもう自分でやれる基盤というのはあるはずなのにやれないっつーか大学的なものに何かを求めてるってやっぱ青二才な証拠だよね。それこそ実力がないからどっかに所属しようとするんだよね。まぁそう考えると激しくみっともないわけだが。


それこそ研究やりたいっつって数学なんて自分で勝手にやれることの最たるもんなんだから大学なんつー機関に所属する必要もないしね。哲学然りだけど。俺の二大巨頭っつーかメインのものってまぁ哲学と数学なんだけど両方とも別に実験機材とか必要しないっつーか神とペンがあればできるものだよねっつーか哲学にいたっては脳だけあればできるじゃん?哲学学者になるならともかく自分で哲学やるなら学校なんてマジで意味ないよね。むしろ行かないで在野でやってたほうが変な影響を受けないからいいかもしれないよね。そう思うとどんどん引き蘢りへの道を極めて行く感じになるんだよなぁー。それでもまぁ俺は学問を通じた社会性みたいなのをすげー獲得したいと思ってるわけよ。実務とかは無理だし騙されやすかったりするけどもんでもまぁ学術的なことなら結構喋れますよっていうさ、その特性を活かして何か社会でやっていけないものかな?とは昔から思っててさ、まぁそれはアメリカ時代から変わってないんだけどね。で、別に日本に帰国してしまったからといって別にそれを諦める必要もないしさ、行きもしないくせにやたら日本的なコミュニケーションとか大学みたいなのを批判ばかりするのもどうかと思うし。実際、喋ってみたら良い先生とかいるかもしれないじゃんね?まぁそれでもやっぱ大学関係の本とか読んでると悲惨な話が多いよねぇー。


なんかさ、学問の世界って常に一流じゃないとやってけない感じがあるよね。それは一流以外必要とされないフィールドだからなんだろうね。まぁサラリーマン的な研究者が必要な分野ならともかくとして、数学とか哲学みたいな世界はそれこそ人数いらないじゃん?少数の精鋭部隊だけでいいって感じがするよね。まぁ実際そうなんだと思うけど。そういう意味ですげー敷板高いよね。一流になる以外の道が開けていないという意味で。まぁ物理学とかもそうだろうけどね。結局まぁ俺は自信がないんだろうなと思うよね。まぁなくて当然という気はしなくもないっつーのがまぁ数学に興味を持ったのってここ1年ぐらいだしさ、それでまぁ百戦錬磨の連中と渡り歩こうなんて話が早過ぎるって気はするけどさ、なんかでも勝手な俺の理系のイメージとしてウィッテンぐらいの凄さがないと鞍替えなんて出来ないって気がするんだよね。俺の歳で言えばっつーかまぁ年齢のせいにするのはあれだけど、才能無くてもこれ一筋でやってきたっつー積み上げってのは揺るぎないと思うんだよね。


それこそ10年みっちりやってきたっつー基盤があったとしたらそれは強い。で、同年齢で言えば数学をガチでやってるやつなんてそんなやつばかりだと思うから年齢で言えばとても敵うとは思わないよね。それこそ博士号とか取るような年齢じゃん?そんぐらいの年齢に高校数学からやり始めるって結構なハンデだよね。まぁ俺が天才だったら別だけどそうじゃないのは実際数学やってて俺が一番分かってることだからね。結構才能あるかと思ってたんだけどさ、いや、高校数学レベルなんだけどやっぱコミカレ時代のさ、復習無しでテストで98点とか取れてたのがやっぱすげー自信になってたんだよね。いや、だから俺って実は数学得意なんじゃね?とかって思ってたんだけどさ、まぁ実際、独学で色々やってるから苦手ではないのは自分でもよく分かったけど、かといって別に得意というほどでもないなっていう。


で、高校数学でいい気になってたやつがは大学数学の意味不明さに打ちのめされるっていうけど、俺が興味あるのはむしろ大学数学で高校数学っつーかまぁ受験数学的なもんなんてどうでもいいからさ、だからまぁ大学数学をちゃんと学びたいと思うんだけど、これがまぁ甘えなんだよね。だったら自分でやればいいのになんか場所的なものに何かを求めているっていう。別に講義とかYou Tubeであがってるし英語分かるんだからレクチャーなんて腐るほどあるから俺が言っていることが矛盾してるのは自分でもよく分かってるんだけどね。まぁ帰国当初はむしろ家族から大学受験しなよみたいなムードだったし、またアメリカに戻って頑張るんだ!みたいなのがあったけどまぁ一気に変わったよね。その辺が未だに微妙なのが現状だよね。


で、今はあんまもう入試とか言うなよみたいな空気になってるっていう。「は?まだ大学とか言ってるの?」みたいな雰囲気ね。こうやってはっきりと言わないで空気で押し通す感じは本当に日本的だなって思うね。で、こないだ母親がポロっと本音を言ったよね。「東大ならいいよ」的なことを。言わばまぁ国立でなおかつネームバリューがあって行く甲斐のありそうな大学ならいいってことなんだろうけど、まぁそうだろうなとは思うよね。親的にも「息子がアメリカから帰ってきて今は東大に入りなおして数学やってるんです」って言えるほうが鼻が高いっつーか金を出す気になるんだろうな。そんぐらい親の世代にとっては東大って超アイコンなんだよね。今もあるけど昔よりかは全然そうじゃないってのを思うと昔の東大ブランドって凄かったんだろうなって凄い思うよね。親を見ててすげー思うもん。親戚に京大出の夫婦とかいるんだけど態度が違うもんね。散々学歴なんてどうでもいいとか言ってるくせにやっぱ京大出の夫婦なんて凄いな!とかって思ってるんだよね。まぁ古い人だからしょうがないか。


東大コースは前にも書いたようにまずは入りやすい学部の大学に入って4年間やってみてやれそうだったら東大の大学院を受けてみるっていうさ、まぁ言わばアメリカではデフォである学歴ロンダだよね。学部みたいなレベルで受験がどうのって騒いでるのってバカバカしい話だと思うし、やることなんて一緒なんだからさ、あとは自分がどれだけこの分野でやれるのか?とかさ、それは場とか他の生徒とかを見て相対的な実力を理解できるみたいなさ、そういうまぁ言わば未知の領域に足を踏み入れるってそういうことだと思うんだよね。で、ロンダできそうな場所ってことで学習院の社会人入学で数学科に入るか、あとは理科大だなって思ってるんだよね。結構リアルでしょ?それこそ己を知ってるからこそ選択できる妥当な道って気がする。それでも可能性は自分次第で開けてるじゃん?


まぁ挫折のリスクもあるけどそんなのは承知してやらないとね。まずまぁ何より好きでやるんだからいいじゃん!っていう。学習院にしても理科大にしてもやるのは数学だけだからね。英語はさすがになんとかなるだろうって勝手に思ってるからさ、まぁアクセントとか意味分からない問題とかあるんだろうから対策はやっておいたほうがいいとは思うんだけど、帰国後に赤本買ってきて理科大の英語のテストを20分ぐらいでやったら8割ぐらい出来てたって前に書いたっけ?まぁアメリカ帰りが自慢するようなことでもないんだけどさ、そういう意味で英語という利点があるからそんなに不可能な話でもないんだけど東大入試とかになると一気に不可能さが増してくるよね。やること多過ぎだよ。あれ。東工大とかにしても国立ってセンター試験受けなきゃいけないわけでしょ?あれはないよなぁー。


まぁ実際ね、英語が出来るってアカデミックな領域では結構有利なんじゃないのかな?とは思うんだよね。それこそ英語のプレゼンとかをやるとかってむしろ問題ないわけじゃん?まぁあっちで散々やらされてまぁスピーチのクラスは二回ぐらい落ちたから上手くはないだろうけどやれなくはないって意味でさ、あとまぁ英作文も書けなくもないじゃん?文法エラーは多いけど内容が伝わるものは書けるからね。そういう意味で高校生がこれからやっていかなきゃいけないことってののある程度は逆にもう満たしてるっていう利点があるじゃん?まぁメインポイントが数学で英語力じゃないからさ、結局まぁ数学が得意じゃないと意味ないんだけど、まぁでも荒唐無稽な話ではないと思ってるんだよね。かといって別にアカポスが狙えるか?と言えば全く別問題だけど、エキセントリックなやつを募集してればまぁ俺は負け知らずだなという自信はある。まぁでも年齢が35歳までとかになるともう無理だけどね。だからこそまぁウィッテンぐらいのいきなり院からベーシック初めてもうこんなレベルまで到達したのかよ!みたいな凄さがないと無理だろうなとは思っていて、んでそれは無さそうだというのは凄く分かるよね。まぁあるわけないのが普通なんだけども。


んでもまぁこれがあるからこそ俺は社会性を保てているというか社会への繋がりというのを見つけ出せるような気はしていたんだよね。ようはまぁ学校から社会に入っていくみたいな感じだよね。そういう意味でめちゃめちゃ将来を気にしているわけで全然ニートじゃないと思うんだけどね。俺ってまぁ社会人とかを馬鹿にしてるから社会性ゼロかと思われてるかもしれないけど、んでも社会との繋がりがないとやっていけないってのは人一倍分かっているからこそ自分なりの無理のないアプローチをしていこうっていう方法を模索しているわけでさ、世捨て人じゃないんだよね。ある意味で普通の将来を気にしている若者という感じか。まだでも俺ぐらいの年齢って18歳から働きっぱなしでさっぱり人生を見据えてなかったなっていう人がやりなおすっていう年齢ぐらいっつーかさ、あとはまぁ脱サラして新しい道に進むぐらいの年齢ではあるから別に年齢的なことで諦める必要はないと思うんだけど、んでもあと5年とか経ったら結構キツいよなぁーとは思うよね。だからこそそういう自分に自信がないからこそどっかに所属して学歴でも取っておこうってなるんだと思う。まぁ実力のなさを自分でも認めてるってことなんだけどね。


まぁ年齢は関係無いんだろうけどでもまぁ20代に英語がある程度できるようになってんでなおかつ数学にも興味が出てきたっつーかやってるってことでいい線いってるよね。結構。まぁ歳は関係無いにせよでも言語的なことととか数学的なことってやっぱ老いても無理はないけど若いに超した事はないみたいなジャンルじゃん?まぁ10代とはいかんけど20代で結構年齢的なことが関係しなくもないことの入り口には立てているという意味でまぁ良かったなって気はするよね。そういう意味でまぁ留学は本当の良い経験値になったよね。で、今はんじゃあそっからどうすんのか?ってのが問題なんだよね。あ、んで脳なんだけどさ、脳年齢ってのがまぁあるぐらいでさ、実際は関係無いと思うけどね。


30代とかでくたびれてる人ってそれこそやりたくないことばっか毎日やってて睡眠不足で憂さ晴らしに酒ばっか飲んでて脳細胞がガンガン死んでるだけって気がするんだよね。大抵の人はこういう生活を強いられるから脳がどんどん衰えていくっていう。その結果がまぁ会社人間みたいな俺が批判する脳が萎縮した自分で物事を考えられないって意味での社会人に没落するってことなんだけどね。でも俺は少なくとも今みたいなストレスフリーの生活が続けられて読書も続けられれば全然脳年齢は若いままで維持できると思うよね。まぁ気にする歳でもないんだけど記憶力が落ちてきたとかそんなことは一度も感じた事ないよね。まぁADD的なもんで記憶力がある分野において異様に良いという特性もあるかもしれないんだけど。


あといつも思うのがさ、俺がセンター試験とか無理だなって思う理由の一つにパニック発作があるよね。あんな緊張した場所で大人数が集まっている中でテストをするなんて不可能だよね。安定剤を多く飲むしかないけど、そうなると頭がボーっとしてきちゃうしさ、んでもまぁ私大の入学試験とかだとなんとかなる場合もあるみたいね。ようはまぁちょっと障害的なものがあれば早めに言えば対応してくれるらしい。でもセンター試験がデフォで設定されてるって最初からパニック発作の人とかもう完全に外してるよねっつーかバリアフリーじゃないよね。いや、分からん。センター試験にも特別措置はあるのかもしれないけど、まぁそれだけが理由じゃないからね。俺は。まぁこれも理由の一つだけどまぁ東大に関して言えば学科が多過ぎるし難しいから無理っていうのがあるよね。それプラスパニック発作とかもう終わってるだろっていう。んでもこれにはあっちの大学でも苦労してたよね。


だからまぁそんなに気張らずにあんなもんシステム的なもんだから適当にやっておけばいいんだ的に思って気を紛らわしていたけど、んでもあれは本当に不利だよね。世の中のパニック発作の人ってどうしてんのかな?っていつも思うよね。アメリカとかだったらすぐ診断書とか出してオッケーになるんだろうけど日本ってちょー遅れてるからみんな安定剤とか飲んで頑張ってるのかな?ホント大変だよね。逆にパニック発作が原因で大学に行けない人って可哀想だよね。まぁそういう人は通信制とかでやってるんだろうけど、でも大学は絶対バリアフリーにしないとダメだよね。パニック発作とかがあるってだけで良い大学にいけないとかって社会的にも損失だからね。まぁ通信制がクソだと言うつもりはないけど、でも東大に入れるぐらいの地頭は持ってるのに持病があって行けないって人結構いると思うんだよね。ああいうのって馬鹿はならない病気だからこそまぁ繊細な人に多いからバリアフリーにならないことで失われているというか出てこれない人材ってすげーいると思うんだよね。


なんかだからまぁ僻というわけではないんだけど、やたらエリートっつーかおぼっちゃま育ちっつーか進学校みたいなのでストレートで東大入りました!みたいな優等生タイプばかりが幅を利かせているってのがすげー嫌なんだよね。何もかも健全!みたいな人だけが幅を効かせる社会って病んでるよね。それこそ病んでる人もやっていける社会が健全なわけだ。入れ子構造みたいなもんだわな。いかにその構造を深く複雑にしていけるか?ってのが社会成熟度の一つの指標になるんだと思う。だから健全!みたいな人ばかりしかやっていけない社会って単純構造で排除の原理が働いていて未熟なんだよね。非常に。まぁまたアメリカになっちゃうけど、アメリカはそういう意味でのこの入れ子構造が完全にワークしていてフェアかどうかはともかくとしてもまぁ入れようとする姿勢はあるよね。その試行錯誤の歴史がここ50年ぐらいのアメリカ社会の歴史だったとも言えなくもないと思う。


ところで話は変わるんだけど今って就職とかでさ、その人の名前を検索してその人のブログとかを読むんだってね。それで決める場合もあるとか。そうなると俺の場合どうなんだろうな?まず読み尽くせないっつーのがあるよね。でもエキセントリック度では類を見ないだろうからまぁブログ入学みたいなのがあったらまぁ俺はエキセントリック度でどこにでも入れそうな気がするってジョーダンですけどね。かっこ笑いを使いたいところだけどずーっと使ってこなかったらなんかここだけ使うってのもあれかなと思って。でもまぁやりとりでは必要だよね。だからやりとりでは最近使うようになったなぁー。一時期封印してたんだけど必要性を凄く感じるようになって。まぁ思えばwみたいなさ、2ちゃん的なニュアンスってあるじゃない?テラワロスwみたいなさ、テラワロスとかってもう古いのかな?


でもまぁ俺の時代っつーとあれだけど90年代後半とかはまぁひろゆきとかも言ってるようにまぁ結構頭の良い人しかネットをやらなかったんだよね。だからまぁネチケットみたいなのがあったし悪い意味での2ちゃん的な衆愚性とかもなかったよね。あとハッカーのサイトとかも異様にかっこいいのがあったりさ、クラッカー然りだけど、ああいうクールさって今は皆無だよね。あの頃ってある意味でアングラなものがもっともアングラなものに見えた時代だったと思うね。ネット回線が遅いというのもあって表示されるドキドキ感とかさ、イリーガル感っつーのかな?それが実際イリーガルだったかはともかくとして、なんかダークなイメージとしてのハッカーとかクラッカーみたいなのがあったよね。でもwarezとかはすぐにp2pとかで大衆化したしさ、それこそ2ちゃんで言う割れ坊みたいなのに成り下がったよね。でもね、俺が言いたいのはそれはただ大衆化しただけで成り下がったわけじゃないんじゃない?ってことなんだよね。


大学然りなんだけど、ネットが大衆化しただけでさ、昔はまぁ(笑)とか(悲)とかだったのが今はまぁ2ちゃん的なものになってるっつーかさ、でも記号としての役割は同じなんだよね。むしろツイッターみたいな過剰な1センテンス化が進むと言葉の記号化ってのは凄まじく促される気がするよね。一行でニュアンスを出すにはやっぱワロタwとか吹いたwとかって有効だもんね。セックスなうとかいってハメ撮りの写真とか載せたら本当にそのままだもんねってまぁそんなことやるやつはいないかっつーか捕まるか。


ところでさ、また話は変わるんだけど最近アニメ漬けなんだよね。とあるシリーズの禁書とかレールガンとかあとはひぐらしとかもそうなんだけど2倍速で見ると一晩で全部見れたりするんだよね。あれって実質的に20分ぐらいだから1エピソード10分ぐらいで見れるから2時間あれば12エピソードで終わるやつなんかはそれこそ全部見れちゃうんだよね。デュラララとかも見たね。まぁ攻殻機動隊とかハルヒとかけいおん!ほどの面白さはないなんつーかまぁ中程度のアニメも結構見てるってことだよね。まぁこれって俺の中のロックとかと一緒で一切チェックしてこなかった分野だからね。「あんなもん見ない!」っていうさ、まぁエヴァとかは見てたけど萌え系みたいになるとさすがに抵抗があるから見なかったけどだいぶ前にエルフィンリートでそんなことねーじゃん!って思って、まぁそれがハルヒとかで一気に変わったわけだけど、中程度のやつも結構面白いよね。まぁ気分転換にはなるよね。それこそもう今ってやることないんだよ。マジで。


息抜きになることが無い。だから最近はもっぱらアニメなんだよね。そのうち自然な感じで見てたら普通にアニオタになりそうな気がしてきた。でも俺の場合、没入する感じじゃなくて生活の中で時間があるから大量に見る事になると自ずとオタク並に詳しくなっちゃうってことなんだけどね。あとゼロ世代の声優ってすんげーニュータイプだと思うわけ。まぁ結構みんな繋がってるじゃん?レールガンとけいおん!なんて3人ぐらい一緒じゃん?んであの辺の特にけいおん!とかもそうなんだけどアニメもそうなんだけどやっぱ演技力で見せてるよなっていうさ、90年代のアニメとかって特にドラゴンボールとかだとまぁ声優もそうなんだけどやっぱストーリーで見せてるっつーかさ、んでもまぁ鳥山明ってシナリオ作りとか最悪に下手だと思うんだけど、それでもまぁエピソードで見せる感じじゃん?え?クリリン君死んじゃうの?的な感じね。


でもゼロ世代のアニメってニュアンスとか雰囲気だよね。それこそあのぐらいのゆっくりテンポでキャラクターの動きとか表情とかで見せてるっていうさ、そんな中でまぁアニメ的な擬音とか目がグルグルになるとかさ、ああいうのももはやメタ的だよね。使用法が。「アニメ的な手法」とかっこに入れた形でメタ的に使ってる感じがあるよね。けいおん!は地な感じで見せるけどメタ的な見せ方は東のエデンとかだよね。でも両者共に根本的に使い方は一緒なんだよね。日常を描いていて面白いアニメってやっぱ凄いよね。そういう意味で俺はけいおん!ってのは国民的アニメだと思っているわけだけどね。ちびまる子ちゃんとかクレヨンしんちゃん系の日常をスライスしてるんだけど、ニュアンスで面白さを出すみたいなさ、特に何も起こらない感っつーのかな?で、それをゼロ世代の声優が担っているんだけど、本当にニュータイプな声っつーかさ、演技力が凄いし、よくもまぁあんな声が出るもんだなっていうかさ、声自体の魅力が凄いよね。ようはまぁ質が高過ぎるんだよ。本当に。サブカルチャーというには質が高過ぎるぐらいなんだよね。


海猿とかさ、分からんけど日本のくだらない映画あるじゃん?織田裕二とかが出てるようなやつっつーのかな?ああいう大衆映画で日本が誇れるのって無いじゃん?ゼロって言い切れると思うんだけど、アニメがその代役って気がするね。大衆的でなおかつ質が高いっつーさ、エンタメ性と大衆性の両立って凄いと思うんだよね。でもイノセンスとかアキラとかみたいにシリアスにならないっつーかさ、千年女優とかもそうだけどっつーか監督死んだとかありえないよな。ああいうアニメってまぁジブリ系っつーかさ、いや、それはリテラルな意味でのジブリじゃなくて、ジブリ的に世界に出せる映画って意味でのアニメ映画なんだけど、ハルヒとかってサブカル臭強過ぎるじゃん?ジブリクラスではないんだけど、でもそのぐらいで出しても恥ずかしくないぐらいの質があるっていうさ、その凄さだよね。実際世界中で評価されてるわけだし。日本のアニメの哲学構造って凄いと思うね。千年女優にしても大抵のもんはすんげー哲学的な含蓄があるじゃん?


で、まぁそのなんつーか世界に羽ばたく感じのがモロにゲーム性と融合したのがペルソナシリーズだなと思っててさ、アメリカですんげー評価が高いっつーか特に4が評価高いけど分かるよね。あれってまぁ日本的なアニメと世界観と日本的なRPGの融合じゃん?元のペルソナってもっと硬派だったけど良い意味で3ぐらいから軟派になってそれが大成功した気がするよね。こんな絶望的な何もない世の中のなかでやたら輝いてるのあアニメって気がするね。まぁそれは俺が日本に今住んでるから社会との繋がりはないけどんでもまぁ雰囲気的に感じるものなのかもしれないね。唯一進化していてクオリティ高くて多くの人を救っているっていうさ、すげー存在だと思うよね。けいおん!が終わったら自殺しようとかって書き込みを見たけど分かるよね。そんぐらいの救いがある。なんかこういうのってラカン象徴界とか想像界とかで説明できそうな気がするけどありがちなサブカル批評みたいになるんで止めとくわ。サブカルをポストモダン系の哲学で読み解くっつーのも日本独特のカルチャーだよね。まぁ両者が異様に親和性が高いから無理もないんだけど。


あとさ、すげー驚いたのがPacific 231蓮実重臣がサントラやってる「ささめきこと」っつーレズアニメなんだけどさ、あそこまでガチのレズアニメがあるっつーのも驚きだったし、蓮実重臣の音がかなり違和感無く百合の世界にとけ込んでるっつーのがすげー面白かったね。なんか大正時代のレズものとかみたいな世界観だよね。いや、蓮実重臣って戦前っぽい音が得意じゃん?あの頃の雰囲気を出すのが得意で、だからなんつーかそれこそレールガンの黒子みたいな口調で「お姉様」とかって呼ぶような時代背景の女子校とかの禁断の恋物語みたいなのをガチで出来るなと本当に思ったよね。あそこまで親和性が高いとはね。ショタ系ってKOFのクリスとかパオとかみたいに「ショタッ子」として出てくるじゃん?でも恋愛的な要素がないという意味で物語は成立しないんだけど、レズっつー関係性は物語にとけ込むのが凄いよね。けいおん!の沢庵なんかも最初はレズっぽかったもんね。沢ちゃんのことが好きそうな感じだったじゃん?もはやレズキャラってもうある種のデフォ設定なのかもな。


そう思うとペルソナ4の完二って思い切ったよなぁー。ちなみにショタで言えば勘違いしてるのがさ、ショタの良さってあくまでボーイなところなんであってさ、最近はやたら女装させようとするじゃん?ささめきこととかでも出てくるけどああいうのは一切効果無いっつーか逆効果なんだってのを作り手は知っておくべきだね。「学校の怖い噂」っつー漫画があるけどさ、ああいう雰囲気をショタと言うんだよね。んでなぜかショタ好きなやつってああいうのに反応するんだよ。俺は当時中学ぐらいだったと思うけどすでに反応していたからね。かといっても別にゲイではないっていうそこがポイントなんだよな。でもショタに女装をさせたりして女の子っぽさを出したりするとショタとゲイの境界線みたいなのが無くなってさ、ショタ度が下がるんだよね。凄まじく。ああいうMixupな感じは本当にダメなんだよ。


それこそコナンとかヒカルの碁ぐらいのさりげない感じが最強なんだよね。あんまり押し出し過ぎたらダメだよね。インフィニット・ストラトスのシャルロットみたいなのが流行ってるわけだけどああいうのはもうショタでもなんでもないってことね。あれは全く別ジャンルでショタ系の人には一切支持されないよねっつーかすでにアニオタトーク全開でかなりキモイことになってるよね。しかもレズとかショタを語ってるあたりが凄いよな。リアルプラトンって気がする。まぁジョーダンですけどね。でもまぁ数学も政治も学問も少年愛イデアも同等に語るのがプラトンだからね。まぁ大学にいないよね。こういうやつは。それだけはすげー言える。そこがまぁ優等生のつまらないところなわけだ。


ところでまぁアニメばっか見ててリアル社会との接点がないとゲシュタルトが崩壊してくるってのを今日経験したんだけどさ、今日は病院だったけど、地元の本屋に寄ってさ、まぁ受験は無理だと思いつつも実際にやるかはともかくとしてもう1カルチャーとして興味が出てきてしまった受験カルチャーなんだが、特にまぁその受験数学ってのが特異で異様でしょ?でもなんとか攻略したいなってのがあって受験数学の本とか最近読むのが面白いんだけど、まぁそういうのってデカイ本屋に行かなくても置いてあるじゃん?で、まぁ2冊ばかり買ったんだけどさ、ちょっと雰囲気がけいおん!の澪っぽい人がいて「お!澪みたいだ!」とかって思ってる俺がいてさ、ようは世界がアニメデフォになってるんだよね。


で、リアル人物をアニメ人物によって認識するっていうゲシュタルトの崩壊だよね。まぁなぜ現実に即していれば崩壊になるのか?っていう価値判断は置いておいてもさ、まぁでもこれって結局数学ばっかやってる人が何でも数学に見えるのと同じ事だよね。何でも数列に見えちゃうとか面白い形見たらすぐに面積出しちゃうとか計算しようとするとかさ、それが数学とかになるとなんつーかまぁ数学だねぇーってことになるんだけど、アニメとかになるととたんにキモくなるんだけど、んでもメイド喫茶とかって言わばそれが現実界に表れてきたってものじゃん?けいおん!の声優がライブやって横浜アリーナ満杯!みたいなのもまぁイデア現実界に出てきてるって話だよね。だからもはやもう差なんて無いのかもなっていう。リアルだけどAKBなんかもそんなようなもんだよね。ようはアイドルとかもまぁ言葉遊びをしちゃえばidolっつー偶像崇拝じゃん?キリストの像とか仏陀の像を拝んでるのと同じなのがまぁAKBとかだよね。仏陀グッズとかキリストグッズが売れるのと一緒でAKBグッズも売れるっていう。まぁAKBはエグいんだけどけいおん!は許せるのはなんか不思議だよね。けいおん!は魅力で惹き付けているのにたいしてAKBはメディア戦略的なコントロールで洗脳してるっていうまぁそういう違いかな。


ただでも俺的に言わせてもらえばさ、そもそもアニメキャラとリアルキャラって差があるはずなんだけど、なんつーか今ってリアルの世界の人達がアニメキャラに近づいてる気がするんだよね。それこそ今日の澪じゃなけどさ、デザイナーズフレームのメガネしてたんだけど、赤い感じのお洒落メガネですげー似合ってるんだけど、なんかアニメキャラっぽいんだよね。それはアニメキャラが現実の女の子に似せてキャラを作っているのか現実がアニメに似せているのか分からないんだけど、すげー距離が縮まってる気がするんだよね。二次元っぽさがある人で言うとポリシックスのkayoだよな。あの人もすげーアニメっぽいよね。普通にけいおん!のメンバーになれそうな感じだよね。


それで言うとハヤシもアニメっぽいっつっちゃーアニメっぽいよね。ようはポリシックスが独自の世界を築けるのもその浮世離れしたっぽいところにあるんだよね。ちょっとあんまりその辺にいなさそうな人っつー雰囲気なんだけどでも普通の良い感じの大学生っていうさ、んでもその普通の良い感じの大学生の雰囲気の日常をアニメ化できそうなデフォルメ感がすでにメンバーに備わってるみたいなさ、いや、生々しい人間っぽいバンドには作る事が無理な世界観だよね。まぁハヤシが文科系ロックって言ってるけどまぁそれが言わば体育会系のロックじゃない所以の一つだよね。体育会系はアニメ化不可能だからね。アメコミ化なら可能っていう。KISSのフィギュアみたいな感じでのプロレスラーのフィギュアみたいな意味でのフィギュア化が可能って言う生々しいものだよね。思うにアメコミ系って全部そうだよね。生々しいキャラばっかなんだよね。それこそ汗臭いっつーか背中のムキムキの筋肉のシワとかまで見れるみたいな世界ね。マッチョなんだよね。


で、文科系はそういうベクトルとはほど遠い世界にいるんだよね。で、まぁみんな草食系みたいな。イメージ上はね。あと「トイス!」みたいな独特の言葉作っちゃうみたいな。かといってもアキバ系のむさ苦しいやつらが「むむー!何々ですぞー!」とかって言ってるとそれはイデアに憧れている生々しいオタク達になるんだけど、こういう人達はむしろまぁアメコミ系だよね。リアルって意味で。絶対アニメ化できない。まぁ「オタク」としてアニメに出てくることはあるけどそれって一般的な特性を抽象した集合体みたいなキャラクターとして出てくるじゃん?でもハヤシとかkayoみたいな人ってそのままそれがキャラになりそうじゃん?そういう意味でのまぁなんつーかアニメ的な世界とリアル世界の距離のなさだよね。あと草食系で言うとさ、これって俺は進化なんじゃないか?って思ってるんだよね。


ようはもう人類はやることやりつくしたっつーか逆にもう対数的に増えていくみたいな世界観からはもう抜け出したっつーかそういう世界ではないっていう現実の中で産まれてくるもう子孫を残そうと思わないタイプの人間っていうかさ、アニメ化されてる人達ってなんかそういう雰囲気があるよね。まぁアニメっぽいからといって草食系とは限らないんだけど、なんかもうなんつーかアニメっつーかイデアに近づいて人間は終わるんじゃないか?みたいなさ、まぁこれは極論だけど、まぁなんつーか一般的に言われる人間のキャラ化なのかな?これはまぁ関係的な構造の中でもキャラ化したほうが便利っていうさ、まぁデフォルメがデフォだとやりやすいっていう関係の簡素化としてのキャラ化があるよね。「あの人は天然系だから」っつーともうそれで天然オッケーみたいなさ、逆にあんまりシャープな感じを求められないっつーのかな?固定化だよね。


まぁこれは多分ありがちな話なんで敷衍するのやめとくわ。んでもまぁアニメっぽい人結構いるよね。本当に。それこそ明治時代とかにはいない感じの雰囲気のアニメっぽい人って男女問わず多い気がする。アメリカとかだとレアなんだよね。そういう人は滅多にいないんだけど、日本って凄いよね。まぁアメリカに比べたらってことでまぁ別に格別日本が多いってわけではないとは思うんだけど、それでもまぁなんつーか現実がアニメ化されてるような気がするってのはあるよねってそれは俺がアニメの見過ぎだからか?でもまぁ芸人とか見てもそれこそキャラばっかじゃん?アニメ化できそうな人多いよね。まぁ売れてる芸人ね。あと女性とかでもキャラっぽいほうが受けたりするじゃん?


あまりに綺麗過ぎると面白くなくてあんまりウケないみたいな。なんつーか意識の志向性がアニメ的なものに向かってる気がするね。フッサール的な言い方をすれば。意識とは常に何かに対するものであるっていうさ、それがアニメであるみたいな。極論ですなぁー。でもそれが共同主観化してきたらそれが現実を作り出すよねっつーかそれが現実だと認識されるようになるよね。AKBみたいな世界観はまさしくそれじゃん?モー娘。から続くような昼間キャバレーみたいな世界観ね。まぁでもAKBって個々を見ると別にアニメっぽくもないし何ともないんだけどね。でも雰囲気としてまぁアニメっぽいっつーかまぁそれこそ偶像っぽい感じのキャラクターっぽい感じを出してるよね。あれはまぁ90年代中盤で言うところのルーズソックスの女子高生が「マジぃー?ヤバくなーい?それー?」とかって言いながら群を成しているだけで「おー!可愛い」って思うのと同じだよね。単体で見ていくと別にremarkableなもん無いっていう。女性の群が作り出す不思議な魅力だよね。あれは本当に面白い。群論だね。ってまぁジョーダン12.5ですけどね。その群の写像がAKBであるみたいな。勝間和代ひろゆきと喧嘩した時に使ってた意味での写像ってこういう写像のことだよね。恐らく。


なんか久々に金玉の皮伸び伸びな感じで書いててブラブラしてていいですね。ぶらりノーパン旅的な感じで。股旅的っつーかでも歩いただけでバチンバチン音がするから防音の為にパンツ履いてくださいみたいな。ぶらり旅なので途中下車ありで俺のアブストラクトな進路の話からノーパンのままアニメの話へみたいな。なら金玉を露出することはアリなのか?っていう。そうなんだよね。男がノーパンでいちゃいけないのは騒音があるからなんだよ。一人ならたいした事ないけどみんなノーパンだったら凄いことだよ。それこそラッシュ時に階段とかサラリーマンが駆け上がってたらバチンバチンする音が干渉しあって増幅されて凄まじい騒音になると思うんだよね。まぁこれは男における音の群論だね。「条件:ただし男は全員ノーパンであるとする」みたいな。吉田戦車の漫画であったよね。巨人の野球部の男が動くたびに金玉がバチンバチン音がして「うわー!うるせぇー!何の音だぁ!」とかってなってるっていう。つやつや担任だったと思うんだけど。


ってな感じで今日も相変わらず進路が決まらないのでアニメを見て寝ることにします。




時間があるとこういう本とかも苦無く読めるから凄いよね。



本文中で言及したウィッテンの鞍替えなんだけど、その超絶エピソードが書いてあるのがこの本ね。まぁエピソードってほどでもないんだけど。