理解度の非線形性。

マンデルブロのやつは読み終わったんで色々な本を読みつつもブラックスワンも読み始めてるんだけど、本当にこれは哲学書という感じでっつーか良い意味で哲学書って感じで、ただの金融恐慌の話じゃないっていうさ、ブラックスワンっつー現象を題材にした哲学エッセイとでもいうのかな?まぁ科学哲学って感じだな。だからまぁただ経済学とか金融工学の観点からこれを読むなんてつまらなさすぎるし、まぁそもそもそんな狭い視野の本じゃないってことだね。それこそタレブ自身の幅広い知識が活かされて色々なトピックに触れられてるっていう、まぁ凄く刺激的な本だなと。


んでまぁちょっと思った事があってね、ブラックスワンの中に物事の非線形性みたいなことが書いてあったんだけどなるほどなぁーって思ったのはさ、まぁ比喩的に言えばなんつーか線形性って例えば何かを習っていたり学んでいたりして日増しにそれが上達するとか知識が増えているのが実感できるみたいなさ、まぁ常に日増しにプラス1とか2みたいなペースで上達が見えてくるみたいな、まぁダイエットにおける体重みたいなもんか。んでも実際は習い事にしても学問にしても非線形的なことが多くて、例えばタレブの本で語られてるのだとテニスをやり始めてプロを負かすことなんてできるわけないんだけど、んでも何となくテニスを始めて楽しいから毎日やってたらプロを負かしちゃったみたいなさ、そのある日突然的な感じだよね。言わばまぁそれは可視化されてないっていうかさ、英語の上達とかもそうなんだけど、上達してるか?なんて自分で分からないんだよね。それこそある期間あたりから急に喋れるようになったとかさ、まぁ日増しというほど線形的ではない気がするね。


まぁ語学はともかくとして、その非線形性みたいなのを凄く感じるのがまぁ今俺が取り組んでる数学とか物理学なんだよね。いや、最近結構鬱っつーかどうしていいか分からなくてさ、まぁ大学に入る云々っつーよりも、そもそも数学とか物理プロパーでやっていける気がしないっていうかさ、まぁ単純に学びたいからやればいいんだけど、んでもやっぱなんか極めなきゃっていう意識が強過ぎてさ、超一流とかの存在とかが見えてきたり分かったりするとなんか本当にやっても無駄だなっていう気がしてくるのね。まぁ知的刺激を感じるためだけにやればいいんだけどさ、まぁそれはともかくね、まずなんつーか読んでても分かるって感じがしないよね。いや、文系ってそうでもないんだよ。


哲学なんかはコツを掴んじゃうとあとは読んだ分だけ知識が増えていく感じになるんだけど、数学とか物理って掴むまでに異様に時間がかかる気がするね。で、実際に読む量は少ないんだよ。それこそ理解しなきゃいけないものが数ページの数式なり概念で書かれているから量的にはさっぱり大変じゃない。まぁ基礎から中級ぐらいのレベルの話ね。んでまぁ理解できないわけだよね。かといって暗記とかしてもしょうがないし、だからまぁ永遠に分からない感じが続いてつまらなくなってやめちゃうわけだ。まぁ俺はすでにもうそれを何回も経験してるけど面白い事にさ、例えば三角関数がイマイチまだ分からなくてさ、色々本を読んだけどなんかモヤモヤするんだよね。明確に分かった気がしない。


で、ずーっと放置しててこないだ何の本だったか忘れたけどたまたま三角関数の公式が書いてあってさ、んでそれを見て「そうか!!!」って凄まじいプラトニックスパークがあったんだよね。なんか一気に全部が分かった感じっつーのかな?かといっても別に全部の計算ができたりするようになったわけではないんだけど概念的にはほぼ掴めたっていう感じがなぜかその時に起こってさ、んでそれが何なのかさっぱり分からないんだけど、まぁポアンカレーだと思うんだけどね。実際は無意識の中で情報を処理していて常に理解しようとしているっつー感覚が常に働いていて、んである時にそれが一気にまとまってパッ!と理解できるようになるっていうまぁ無意識化での知識の熟成ですな。


それをこないだは明確な形で経験したけど、んでもこれって体感的にすげー非線形的なんだよね。それこそグラフで見ればずーっとモヤモヤしてますみたいな低空飛行が続いててさ、んで放置してからもグラフは変わらずで、んでそのプラトニックスパークが起こった時に一気にグラフがドーン!と突き出るみたいなさ、それまでの理解のパターンとか俺の数学の理解のペースとかが全然関係無く見えるぐらい一気に飛躍的に色々分かるようになるみたいなさ、いや、それ以降なんだよね、一気に幾何とかが分かるようになって、んで今はすげー面白いんだよねっつーか三角関数にしても幾何にしても実は超シンプルだなっていう。ただ分からない時はもう超難しく見えるんだよね。でも分かるようになるとすんげーシンプルに見えるっていう。まぁ厳密な証明とかはすげー時間がかかることだし面倒なことなんだけど、でもそれってまぁ細部の事じゃん?大枠が分かるようになるとそれって特に問題じゃなくなるんだよね。逆を言えば大枠が分かるようになるからこそ細部にも目がいくようになるっつーのかな?森を見てから林って感じだよね。なぜ林がこう並んで森になっているか?というのが森を理解して分かるようになる感じなんだよね。


で、まぁ結局三角関数とかって角度やら比率やらっていうことも色々と含まれているし、まぁ幾何然りなんだが、そうなると物理学の理解が飛躍的に進むんだよね。俺がやってる高校物理なんて本当にシンプルでさ、なんかあれだけ見てれば全然俺でもやれそうな気がしてくるぐらいスラスラ分かるようになるんだよね。でもこれってのは実際は俺がある程度数学に取り組んで理解してきているからっていうことなわけでさ、あとはまぁ物理学の基本概念全般然りだけど、まぁようは英文と一緒でさ、5年前ぐらいは英文を読むのに四苦八苦してたけど、今は全然問題なく読めるわけじゃん?モノによっては英文のほうが読みやすいっていう。まぁ本当にこれだよね。分からないからこそ何もかもが難しく見えるんだけど、分かるようになると凄まじいぐらい全てがシンプルに見えるようになる。make senseとはまさしくこのことだね。


結局、高度なこともこれの繰り返しなんだろうなと思う。んでも物理にしろ数学にせよ上級のレベルのあるレベル以上とかになるとまた一気に分からなくなるみたいな時が来るんじゃないか?と思うね。まぁそんな人が結構大学院とかにいるらしいけど、それはすげー分かる気がするな。それはまさしく俺が低いレベルで経験していた高校数学レベルのつまずきなんだよね。レベルは違えど結局そういうことなんだと思う。なんつーかようは数学も物理も全部細かく分断しちゃえば結局は基礎的なことの繋がりでしかないじゃん?あとはその応用でしかない。だから極論を言っちゃえば基礎さえ完全に理解できていれば理解できないものなんてないんだよね。んでもそうはいっても上級レベルになるとそうはいかないっていうレベルのものが出てきて、それに関して言えば恐らく時間がかかるっていうか、基礎を理解したからすんなり行けるというレベルではなくなったということで、長い取り組みなりまぁプラトニックスパークが来る瞬間を待つしかなくなったりするんだと思うけど、でも職業で言えばそれこそ論文を書かなきゃいけないとかさ、期限的なことがあったりして、挫折しやすいんだと思うね。


でもストレスフリーで取り組んでいれば実際は理解できたりするんだと思うけどリアル社会ってそんなに楽じゃないっつーかさ、少なくとも俺みたいな環境にいられる人は少ないわけで。まぁ俺も生涯安泰ではないんだけどね。んでもまぁいかに今の環境が恵まれていることなのか?っていうのを理解しなきゃいけないよね。当たり前のものとしてあるけどストレスフリーでやりたいことだけやれるということがどれだけ学習ということにおいてよいことであるのか?ってことだよね。


思えば物理なんてさっぱり分からなかったんだよね。少なくとも「興味が出てきた」とかって言ってた半年前ぐらいでは全然何も分かってなかったと思う。んでもかといってみっちり勉強をするというわけでもなく、本当にマイペースで色々と読んでたら客観的に見ると明らかに昔より理解できるようになってるんだよね。んでもそれに自分は気付いていない。そんな中でタレブの非線形性の話を読んで「あ、そっか」と思ったんだよね。いや、俺ってまぁ分かるようになってるじゃん?っつーか少なくとも普通に数学書とか読めるぐらいになってるわけからさ、それこそもっと前の一年前とかで言ったらもう何もかも分からなかったわけじゃん?数式とかさっぱり分からなかったってレベルなわけで。そう思うと今は凄いよね。凄い分かるようになってる。だからこそ難しいものが難しいと分かるようになってるんだよね。


だからこんなもんが理解できる日が来るのだろうか?とかって逆にどんどん難しいほうばかりに考えてしまっていて自分に絶望しちゃうんだよね。恐らくは体感的には非線形的にある日いきなり分かるようになったように感じているのかもしれないけど、歩みという意味で言えばそれこそ線形的に積み上げでやっていけばある時分かる時が来るっていうさ、まぁそういう意味で線形的な積み上げの結果が非線形的に現れるって感じだよね。んでも理解という意味で言えば線形的な積み上げは必ずしも理解度という意味での線形性には直結しないわけだ。積み上げで見れば日々コツコツで線形なんだけど、理解で言うとある日突然っつー非線形的な感じなんだよね。


それをまぁ最近感じたわけですわよね。だからあれ以来また結構復活してきてるんだよね。数学熱と物理熱が。もう完全に俺はやっぱ馬鹿だなって諦めてたところもあったんだよね。楽しいとは思いつつも分からなさ過ぎる自分がいて凄く自分が馬鹿に思えてくるっていうかさ、それこそこんな歳して何やってるんだ?って気になってきたりするんだけどさ、いや、そうでもないんだねぇー!っていう。あとはまぁ数学的なものを現象的なものによってより理解を深めるというものとしての物理ってのは凄くあるよね。一見抽象的に見える数学も物理現象でそれが表れていたりするとまぁそれも抽象的ではあるんだけど少なくとも数式だけの世界よりかは具体性があるんだよね。


で、それって相互的な理解なんだよね。数式を理解しているからこそ現象が理解できるようになるし、現象を理解しているからこそ数式も当然理解できるっていうさ、まぁアインシュタインとかの場合、現象が先立ってたらしいけど、まぁこういうのを天才って言うんだろうね。なので優れた物理学者が必ずしも数学的な天才である必要はないというのは凄く分かる気がしたね。別に変な話、数学なんて苦手でもいいと思ったね。それこそそれを駆使して発想力とか創造性を使って何かを作れるか?っていう創造性が重要なんであって、一般的に言われるような数学得意!みたいなさ、なんか必ず日本のアニメとかに出てくるやたら数学が得意なキャラとかっているけど、ああいうのって別に必ずしもああいうのが数学の天才性ではないんだってことだよね。計算は数学じゃないっていうのが本当にやっててよく分かる。それこそ数学理論とか物理理論なんて計算が得意だけじゃとても構築できないような代物が多いからね。逆に計算だけで理論が構築できたら機械が理論を構築しちゃうよね。でもそんなことはないわけで。


まぁそれでも数学が得意に超した事はないんだけどね。それこそチューリングとかノイマンみたいなレベルになればまぁそりゃー鬼に金棒だろうなとは思うけど。でもなんか俺が思ってた天才に敵わないっていう思い込みは結構間違いがあるなと思ってさ、それってーのはようは俺がいつも言う敵わない天才って飛び級するようなタイプの天才なんだよね。14歳で大学入っちゃうような天才ね。でもそれって年齢の割には一般課程とかを他よりも早く理解して終わらせることができたというだけでさ、凄まじく頭が良いのは確かだけどかといってそういう人がんじゃあ理論を構築できるのか?っていうと別問題じゃん?例えばアインシュタインとかダーウィンなんて子供時代はダメダメだったわけだしさ、まぁダメダメというほどではないんだろうけど、んでも彼らは理論を構築する創造性には凄まじく長けていたわけだよね。


それってある種のアート的なセンスだと思うんだよね。それこそアート的なセンスって10歳でダリの模写ができるからといって天才じゃないのと同じじゃん?「子供の割には」というのがついてまわるのであればそれは年齢から見た相対的な早熟度でしかないわけで、その人の真の天才はむしろ業績というかさ、何かを作り出すということに出るわけだよね。だからまぁ何かを学ぶことの速さというのは結構どうでもいいことなんだよね。理論を構築するようなレベルの人は元神童ばっかだったらまぁ絶望的な気がするけど、んでも「10で神童、15で秀才、20歳過ぎたらただの人」と言われるように20歳過ぎたらみんなただの人だと思うんだよね。元神童属性はむしろ関係無くなる。その人の天性みたいなものは大人になってからの業績で判断されるわけだよね。いや、だからといって俺が新体系を打ち立てる!みたいな野望を持つということではないんだけど、ただ理系の神童みたいな人には敵わないという理由で絶望するのはどうかな?ってことなんだよね。速さはないかもしれないけどずーっと取り組めればそんなもん分からないじゃん?少なくとも俺は取り組める環境にあるんだから長く自分のペースでやってけばいいんじゃないかと。


例えばまぁすげー乱暴に言っちゃえば文系で理解不能ってことはもうあまり無くなってきてるんだよね。ただまぁあまりに読むのが面倒だったり西田幾多郎の哲学みたいに長くて読み辛いみたいなさ、まぁウォール伝も違った意味で同じだから人のことは言えないんだけど、んでもまぁ理解できない概念はまずないなっていうのは凄く思うのね。それは過去の自分と比べてだけどね、ちゃんと哲学書とか読むようになる前は分からないことだらけで多分俺なんかがやっても無理だろうって思ってたんだけど読み始めてみると楽しいし別にそんなこともないなっていう、それこそ新書レベルから始めてステップアップしていけば理解できないことなんてないんだよね。でも理系には壁があるとなんとなく思っててさ、文系の事柄のようにはいかないだろうって思ってたんだけど、それが今回書いているような線形性と非線形性の話なんだよね。文系で言えばそれこそ対応する概念というか固有名詞とかが増えてくるようになると途端に分かるようになることが増えるじゃん?つまりはまずは広く浅くつまみ食いをしていれば色々と分かりやすくなるようになるってことだよね。


だから実質的に文系で理解できないようなことなんてただの俺の知識不足なだけでそれは別に知識を得れば理解できるだろうってことばっかで、実際そんなことばっかりだったからだから一切の不安はないんだけどさ、でも理系には凄くあるんだよね、でも理解はその非線形性の理解度が故に「やっぱ無理だ」って諦めがちだけど、積み上げていく感じは別に文系のそれと変わらないだけで、まぁ文系のものほど理解度が線形的に分かるようにはならないかもしれないけど、んでもそれは非線形的な形でいきなり出てきたりランダム過ぎて分からないもんなんだって思っておけば別にそんな杞憂する必要はないなと。何も俺は文系の壁にぶつかったから理系にシフトしようとしているわけじゃないわけでさ、そういう意味で絶対的な挫折はなかったわけだよね。経験的にそれがあればやっぱ地頭の限界か?って気がしなくもないけど、それはなかったわけだからもっと楽観的にいればもっと学習が楽しくなるのになぁーとは思ったね。


何をまぁデプレッシヴになっていたんだろうな?と。まぁでもやっぱ辛いんだけどね。なかなか分かるようにならないっていう経験はある意味でしてきていないから数学とか物理学は本当に自分が馬鹿になったような気がして凄く辛いし精神的に結構来るもんがあるんだよね。数学系で自殺が多いのもなんか分かる気がするよね。んでもまぁ少なからず俺は壁にぶち当たるレベルがあったとしてもそんなレベルにまず行ってないわけだから基礎がためはできるし、こんな感じでやってればまずは基礎はなんとかなるだろうなって気はしたよね。別にそこまで自分を馬鹿扱いしなくてもいいじゃないかと。


まぁそんな感じですわね。今日は。




タレブが言うリムジン哲学者ってのにすげー憧れるな。別に大金持ちではないけど金には困ってないので必要なぐらいの量の仕事をして、あとは貪欲に読書をしたり、カフェで読書をしつつ思索したり・・・っていうそんな生活をする哲学者ね。まぁ俺のニューヨーク生活ってリムジンではなかったけど、こういう感じだったと思うっつーか例のSOHOのスタバの俺の席での読書ってそういう感じだったよね。あれで金さえなんとかなってればリムジン哲学者だったよなぁーとかって思ったり。まぁやっぱ金だなぁー。金。金さえなんとかなればねぇ。そこは変に清貧みたいなものに安住せずに貪欲に求めていきたいもんですな。それがないと本当に世捨て人みたいになっちゃうからね。