ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

組織的な腐敗って不可避なのかな?っていう。

物理なんだけどそれ自体は万物を表す科学として面白いんだけど所謂お勉強となるとクソみたいにつまらなくなることが判明したっつーかまぁ基礎レベルでってことなんだけどね。いや、全部あれ代数だよね。あ、高校ぐらいのやつね。何かを計るのに定数やら方程式があって、それを数式と物理現象の対応関係という風に見るとそれこそ哲学的で面白いんだけど、なんつーか学校っつー場所でやるようなさ、んでもまぁ勉強するからには避けて通れない問題を解くってことになるとなんつーか一気につまらなくなるね。煩雑な計算が多過ぎてかなり萎えるし、計算ミスが多い俺としてはなんつーかプロパーにするのは相当キツいなという感じがするね。まぁ高度なレベルになると数学にせよ物理にせよ立式するってことが重要になって出てくる値なんて恐らく近似値とかが取れればいいわけで、些細な計算ミスなんてどうでもよくなるんだと思うけどっつーか逆になんつーか厳密な計算なんて人間の手でやらないよね。まぁ所謂数値的な計算ね。


だから主に人間がやるのは記号的計算っていうさ、苫米地さんが「本当の数学は数が出てこないから」って言ってるのはこういうことだよね。良くない傾向かもしれないけどどうも泥臭い計算ってコンビニのレジ打ちみたいな下世話な感じがするんだよね。まぁコンビニの店員には失礼だけど、まぁ俺は元店員だからまぁ言えるんじゃないかと。こういう時に完全ニートよりかは若干マシだなって思うね。バイト経験ってやっぱあったほうがいいんだなっていう。そこから労働を選ばないというのと全く経験せずにやらないって見た目は一緒だけど中身は全然違うからね。


まぁそれはともかくなんつーか計算ばっかやらされる感がすげーあってさ、それはレベルが低い証拠なんだろうなぁーとは思う。早くそういう段階を抜け出せばいいんだと思うけど、計算って必要なのかな?概念分かってても計算苦手ってやつ結構いると思うけどなぁ。逆にちまい計算が得意なやつに概念を操作するような力量があるんだろうか?って気がしていてさ、なんつーか凄く両者って相反するイメージがあるんだよね。なんとなくだけど思索系っつーか思考系が得意な人ってあんま計算とか向かない気がするんだよね。一般的に言えば結構ボーっとしてるタイプっつーのかな?芸術家とかもこういうタイプってイメージがあるけどさ、まぁ類型的に考えればね、で、計算とか得意なやつはなんつーかナポレオン型っていうか経営者型っていうか所謂一般的に言う数字に強いとか計算が得意とか頭が速く回るっていうタイプだよね。ショートスリーパーのナポレオン型とロングスリーパーアインシュタイン型って分け方がベタだけど、んでもまぁ結局、数学者とか物理学者って理論を構築するような人って後者が多いと思うんだよね。


哲学者っぽいんだけど数学とか物理やってるみたいな。で、俺のイメージだとすげー逆なんだよね。哲学学者はやたら口八丁でなんつーかソフィスト系が多いっつーかむしろ哲学者ってイメージとかけはなれた経営者型みたいなのが多い気がする。だからまぁ得意とするのが文献を読んで類型にまとめるとかツリー状にするとかさ、サンデルとかってモロにそうだよね。まぁ結果的に積み重ねで哲学者みたいになったんだけど、んでも元々哲学者タイプというわけではなくて、なんつーかベタな言い方をしてしまえば左脳型っていうかさ、いや、実際の脳の機能は別として一般的に言われるような比喩としての左脳型ね。所謂論理的だったりなんだったりっていうまぁだから計算も強いし頭の処理能力もあるんだよね。


で、俺の中の哲学者型なんだけど数学者っていうのだとやっぱりまず最初にゲーデルが浮かぶよね。まぁ性格の暗さとかは別としても同じタイプのアインシュタインと親友だったというのは凄く納得が行く気がする。あとはカントールとかね、それで言えばシュレーディンガーなんかもそうだし、最近朝永振一郎の本を色々読んでるんだけど、この人も哲学者が物理学やってる感じだよね。いや、本当にそうだよな。前に書いたようにこういう科学者に実は本当の意味での哲学者タイプが多いっつーのかな?で、世の中に認知される哲学者というのは大体まぁ哲学学者だから哲学を実践してる人とかはアカデミックでもなんでもないしただの変人になるからあんま表に出て来ないっていうさ、そういう意味だとまぁ仏教者とかはまぁ哲学の実践者だよね。まぁ商売で坊主やってる人とかじゃなくてまぁガチの坊主ね。


あとはまぁ色々と読む限りで言うとリーマンとかもモロに哲学者タイプだし、ガロワとかはなんつーかニーチェに近いと思う。まぁニーチェは思想が過激だけどまぁ普段は大人しそうな人っつーかむしろ負け組っぽい感じだけどガロワはなんつーか地でニーチェやっちゃってる感じっつーのかな?同じタイプだとグロタンディークだろうなぁ。人生の前半がガロワで晩年がペレリマンって感じだな。ペレリマンってやっぱ色々調べる限りなんつーかやっぱ例の悪徳中国系学者が原因な気がするね。まぁ本人のみぞ知るって感じだけど、なんか凄く感じるのは学問にとって名声とか地位って凄く危険なものなんだよね。


本当はそのためだけにやるのが健全だし恐らく効率もそれが一番良いんだろうけど、んでも実体を見るとなんつーかさ、結構酷い例ばっかだよね。なんだったかな?すんげー酷いのだと海外なんだけどさ、どっかの研究所の所長だかで年間に何百本と論文を出すもんだから怪しいってことで調べたら自分の部下がやっているプロジェクト全ての論文に自分の名前をトップに入れて発表してそれを自分の論文としてカウントしていたっていうさ、なんつーかこういう社会的な退廃っつーか組織的な退廃ってのが学問っつー領域に入り込んでくると本当に良くないと思うよね。まぁ今に始まった事じゃないんだろうけどさ、でもやっぱここ30年ぐらいなんじゃないかな?って思うよね。100年前とか50年前ぐらいでもすげーゆったりしてる感じがあってさ、そういうゆったりムードによって育まれた学問的な知ってあるような気がして。でも今って良くも悪くも資本主義的な競争主義だよね。


所謂、仕事ができるようなやつが評価されちゃうようになってるっつーかさ、ゆったりマイペース型の人達がやっていけないっつーか、それがまぁさっき書いた経営者型か芸術家型かってことなんだけど、やっぱダントツに言えるのは創造的なのはやっぱり後者に多いと思うんだよね。んでもスローだから今みたいな社会の構造でやっていけないからっつーんで勝ち残れないっていうさ、なんつーかそれは別に日本だけじゃなくて世界的に見てもなんつーか研究者っつー頭を使う仕事とかね、理論構築でもなんでもいいんだけどさ、そういう人達にも凄くサラリーマン的なブラックな感じのスピードが求められてるってちょっと違うだろって思うんだよね。スピードが求められたりするからこそなんか変な名声とか地位の奪い合いになったり不正とかが増えるんじゃねーの?っていうさ、スポーツマンシップってのがあるようにスコラーシップって奨学金って意味じゃなくてなんつーか宣言して法れるようなクリーンな感じが必要だよね。


まぁ昔でもクロネッカーみたいな嫌なやつっていたからまぁ今だけの話じゃないんだけどね、んでもなんか恐らく俺が思うにこういう競争社会だからこそクロネッカーみたいなタイプのやつが勝ち残れるようになってる気がする。だからカントールみたいな言わば現代で言うところのペレリマンみたいなのは嫌気が差して引き蘢っちゃうっていう。んでもあんな凄い人って並の数学者が束になったって敵わない類のものなんだからさ、凄まじい社会的な損失だよね。俺的に言えば業績を横取りしたり虚偽の発表をしたりするような輩はスコラーシップに法って吊るし上げでいいと思うね。


それこそなんつーかすんげー処罰が酷くて博士号剥奪とかさ、そんぐらいでいいと思うんだよね。とにかく厳罰化が必要だと思う。そうじゃないとアカデミックな世界の退廃って永遠に残り続けると思うね。ああいう世界なんだからこそフェアネスが無いとダメだと思うよね。凄い人材が嫌になって参加しなくなるとか最初から参加できないとかさ、そういう色んな意味でギスギスしたサラリーマンみたいな世界観を学問の世界に存在させちゃいけないと思うんだよなぁ。まぁかといっても日本の特に年配の老害みたいな先生方みたいにさっぱり論文発表しなくても無駄にテニュアみたいなので座に居座れるってのもまぁ人材の流動化が進まないし、便秘のクソが詰まったような腸閉塞になるから下剤を注入する必要はあると思うけどね。そういう意味での市場原理は必要だと思うね。そこは変に社会主義的で守られ過ぎると生まれる退廃もあるよね。イメージ的に日本のアカデミアは本当にそれが酷い気がする。特に大学なんつー機関だったら来るのは若者が多いんだから歳って意味じゃなくてね、世代のデマンドみたいなさ、それこそ旧式の講義をするような連中はいなくなるような若者のデマンドに見合ったような人材が教鞭をとるべきだよね。


今時自分が書いた教科書を棒読みとか平気でやる老人の教授とかいたりするってのを見て唖然とするよね。それこそ介入して流動化させろ!って思うんだけど。あれだけ閉塞してるんだったら人材はいくらでもいるだろうに。ダウンタウンみたいになんやかんやでやっぱ凄過ぎるから変われる人材がいないって意味でダウンタウンが大御所であり続けるならそれは実力主義ってことだから当たり前としても、なんつーかアカデミックなのってなんつーか落語とか漫才師みたいな縦社会な感じがあるよね。つまんないけどやたらキャリアが長いってだけで師匠とかって呼ばれるような先生方みたいなのが居座ってるっていうかさ、んで大抵まぁ人間的にロクでもなくて若手いびりとかつまらないくせに平気でやるみたいなさ、なんかこれって日本独特だよね。


なんか俺はそこに落語とか漫才みたいな世界の縦社会な雰囲気を感じるよね。師匠だからまぁ誰も批判できないみたいな。若手も必死に師匠をフォローしてあげるみたいなナーナーな感じの世界があるよね。つまらなかったら若いやつが「あいつつまらねぇからテレビに出すな!」とかって言えればいいのにさ、変につまらないくせに権力とか持ってるもんだから若手は萎縮しちゃって言いたいこと言えないんだよね。ヘタなことを言うと干されるし逆に気に入られれば師匠のコネで仕事が回ってくるかもしれないからっていう「食える」っていう生存権のために既得権を守ろうとしたり作ろうとしたりするっつーのかな?これは業界として考えると腐敗そのものだからすげーダメだと思うんだよね。まぁそれで言えば政治の世界なんてもっとそうなんだろうな。天下りやらなんやらって本当に酷いよね。組織ってやっぱああいう風になっちゃうのかね?あればかりはなんつーか日本的とかって言い切れないような組織のダイナミズムを感じるよね。


まぁ今日はそんな感じで。あ、んで相変わらず食事は二食で小食ですよ。もうあえて言うほど普通に習慣化してきた。


PS


書き忘れたけど最近大好きな数学者にヘルマン・ワイルがいるんだけど、それこそなんつーかこの人って俺が考える理想的な哲学者・数学者に一番近い人なんだよね。ゲーデルカントールが一番好きだったけど、今はワイルになってる感じ。著書を早速チェックしてるんだがどれも良い意味で敷居が高いのばっかでなんかまぁファンタスティックなウキウキな毎日ですよって感じですわね。明らかに俺の中の世界観で哲学を軸とした中に数学とか物理学というパラダイムが形成されてきていて、視野が凄く広くなってるのを感じるね。哲学もまた知識の部分にしか過ぎないってのを当たり前なんだけど凄くよく感じるね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB


PS2


本文で書いた計算の泥臭さってのはね、なんつーか印象として物理学の計算式って汚いのばっかなんだよねっていうかまぁ初学者が生意気言うのもなんだけどさ、物理学は現象としてみると数学が物理に対応しているということの美しさはあるんだけど式にすると汚らしくなるようなのばっかりなんだよねっつーか公式とかはいいんだけど値の計算とかをやると汚らしい公式の応用だらけの代数に成り果てる感じがあって凄く萎えるのね。それはなんつーかすげー美人と結婚して日常生活の中で段々冷めていくみたいなもんかな。ハーディが言っていた応用できる数学は醜いものばかりだっていうのが凄く分かった気がする。んでもまぁ俺は数学にせよ練習問題なんてやったことないから関係無いんだけどね。やっぱ大学は諦めたほうがいいのかな。計算嫌いってことでどの道合わない気がする。