ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

今回の災害で思うこと。

地震や災害に関して言えば予想通り色々とまぁ色々なところに影響があって、ようは爆発だけは逃れることができたなんつって安心していられないっつーかそれはパニくるということではなくて、長期的な目で日本を見ていかないと前に書いたように近視眼的な行動を取る人が他人に迷惑をかけたり自滅していったりとかロクなことにならないから、だからまぁゲマインシャフト的というか有機的連帯が必要だって書いたけど、なんつーかまぁ言い方が難しいけど、こんな大変な時期になる前に日本に帰って来れて良かったと本当に今は心から思えるね。この状況を海外から見ているのと日本で見ているのとでは全然違うし、それこそうちは海から1分ぐらいのところに住んでるんで地震というよりかは津波が来たら完全に終わりな場所なんだよね。そんな中で家族といられるというのがまぁ凄く良いなぁーというかね、日本人にとってこの災害を直じゃなくても日本で経験した人とそうじゃない人って結構差が出てくると思うんだよね。少なくともまぁ俺があのままアメリカにいたらまぁここまで色々書かなかっただろうし書けなかったと思うよね。


書いたとしても書き方が違うと思う。今は完全に当事者として書けるからなんつーかそれが凄く良いというか、日本人として良いことだなと凄く思えるね。海外にいたら海外メディアも含めて色々なところから情報を得てっつーかなんつーか見方が嫌でも相対的になると思うんだよね。それは別に海外にいるから親身になれないということじゃなくて、自分も当事者だという感じがなくて、それこそアメリカから救援とかがあったりしたら、それこそ自国から日本へ救援が行ったみたいな感覚になるだろうっていうか今はそれこそ俺が体感的に日本にいるから海外から色々と救援があるとかっていうその受け取る感じってのも現地の日本人として感じられるじゃん?それはリアルに色んな意味で日本全体に影響があることだから、実際の災害の被害があったとかなかったとかは関係無いよね。どの道日本で生きていくしかなくなった今では日本でやっていくことのリアルさっていうかさ、それがあるからこそ心底「パニくるな!」って言いたくなるっつーのかな?


分からんけどね、アメリカにいたら高みの見物っぽい感じになってなかったとは言い切れないよね。当事者感があるのと無いのとではやっぱ全然違う。日本はヤヴァイから俺がアメリカで自分の生活を立てて家族で移住だ!とかってよりいっそう思ってたと思うし。でもなんか俺が日本人としてこういうタイミングで帰って来れたってやっぱなんか意味がありそうっていうかさ、少なくともそれは俺にとっては意味があることだよね。そりゃそうだよね。今の状況や家族といるということや日本にいるということも含めてそれが全部俺に影響をしている。だから意味が無いわけがない。ただ帰ってきたからどうのっていう運命的なことでもなくて、仮に運命的なことがあったとしたらそれは後付けで「運命だったんだね」って言えるんだと思うね。それは路頭に迷って家族がみんな死ぬとかにしてもっつーか最悪なシナリオにしてもなんつーかでもやっぱ共倒れするなら一緒がいいに決まってるよね。少なくとも俺は俺だけ生きようとは思わないっつーかそんなの辛過ぎるし耐えられないし、苦労があったとしてもましてや今みたいな状況では家族といたほうがいいような気がするし日本にいたほうがいいような気がするんだよね。そういう意味でまぁ凄く帰国は意味があったなって思うんだよね。


実際に俺が社会でやっていけるか?とか受け入れられるかは別としてもこういうことを経験したので、だからまぁなんかすげー社会っつーか日本の役に立ちたいってやっぱすげー思ったよね。まぁそれは前に理系が云々ってことで書いた事だけどさ、少なくとも生きられればどこでもいいっていうコスモポリタンな感じは無くなったね。それはまぁ海外幻想が消えたというのも大きいけど、やっぱり今回の災害は大きいよね。今後はそれが良い方向に向くか悪い方向に向くかは分からないとしても日本は変わっていくよね。それはもう変わらざるを得ないというイベントが起きてしまったからっていう必然性がやっぱり大きいと思う。そんな激動の中に自分もいることができるんだと思うと完全な楽観視はできないけど、でもやっぱそれも今後のことも含めて当事者として経験できるというのは日本人として良いことだと思うんだよね。


まぁ別に俺は家にばっかいるけどさ、でもやっぱ違うじゃん?やっぱりそれは物理的になんつーか津波が来るかもしれないとかさ、リアルになんつーかな、停電があるからっつーんで妹がバイト休みになってるとかさ、それを目の前で見てるのとスカイプで聞くだけって全然違うよね。母親から「納豆が全然ないのよー」とかって聞くってことも全然違うしさ、ようは体感だよね。で、今後も体感は続いていくわけだ。まぁ死んだら何にもならない気がするけど、そのときはそりゃー家族だって死んでる時なんだから死ぬ場所とか死に方としてはベストだと思うよね。まぁそんなに酷い話にはならないとは思うけど、まぁ仮にってことでね、そういうことがあったとしてもそれは全然運命として受け入れられるっていうのかな。自分だけ事故とか病気で死ぬのは嫌だけど地元や家族も含めてほとんど死んじゃうみたいなことがあったとしてもようはそれも運命として受け入れられるってことね。まぁそんなのは望まないけどあったとしても受け入れられるし、「アメリカにいてラッキーだった!」なんてアメリカにいたところで全然思えないどころかアメリカにいたらそれこそ悪夢が永遠と続くようなことになっちゃうよね。


可能世界的なさ、あのまま帰国しないでアメリカにい続けた俺がどう思考しているか?って分からないけど、少なくとも俺は考える人として今の日本にいる自分として自分があることが凄く自分にとって良いことなんだっていう気がしてるんだよね。それがまぁ今まで書いてきた当事者であるとか日本人であるとかってことも色々と含めた俺ね。そういう環境的な影響を受けている俺ってのがここにいるってことがアメリカにいる俺よりも良いって気がするわけ。5年近くいてさ、で、やっぱり半年ぐらいいるともう俺は日本にいるっていう自覚ってのを嫌でも感じるんだけど、そういう時にこういう災害とかがあるとさ、感じ方が違うよね。遺体を見るにしてもしばらく日本を離れていてアメリカで生活している俺が写真かなんかで遺体とか遺族の悲しみを見るのと日本にいて同じ日本人としてそれを感じるのってもう全然感じ方が違うよね。


まぁ別に在米の日本人は共感が低いなんて言うつもりはないけど、でもまぁやっぱダメージは軽いと思うわけよ。心的なダメージね。軽いというよりかはこっちにいて感じる体感が重過ぎるから相対的にアメリカでそれを感じるということが軽く見えてしまうという意味での軽さね。あくまでそういう意味での軽さだよね。しかも津波が来てヤヴァイかも?ってことが無いとも言い切れないみたいな場所で家族と一緒にいるっていうさ、そんな中で津波で亡くなった方達の変わり果てた姿を見るとかさ、やっぱ感じ方違うと思うんだよね。それは辛い事だけど俺はこの辛さを感じることが今後の自分にとっては良い事になるだろうって気がしてるのね。


なんていうかそれは日本人として調子が悪くなるぐらい心的なダメージが大きいということを自分も当事者として感じられるのとそうじゃないのって全然違うじゃん?アメリカにいたから共感度が少ないということはないけど、でもやっぱこっちにいてしかも半年とか経って自分の中でアメリカムードが無くなっている中でこういうことが起きたってやっぱ当然100パーセント日本人として今回の災害の辛さを経験しているわけだよね。今後の日本の不安とかも含めて。でもアメリカにいたらさっき書いたように「日本がダメになっても大丈夫だ!俺が頑張れば!」とかって思ってたかもしれないんだよね。でもそれは今の俺から見ると全然好ましいとは思えない思考法なんだよね。まぁ可能世界的にアメリカにい続けた俺は合理性からそう考えていたかもしれないから、そんな別に俺を今の俺が批判することはできないけど、でも今の俺が両者を比べて今の俺のほうが良いって思えるのは間違いないってことだな。それは本当に間違いない。


とまぁそんな感じですね。今日は。