ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

行動ということが無い自然な行動=持続力。

シコウヒンTVってのがあって色々な著名人が自分の好きなものを紹介するっつーかそれがスニーカーだったり時計だったりするんだけどなんつーか見てて思ったのがさ、まぁ俺が見たのは常磐響さんとFPMの田中さんなんだけど昔からのファンとしては「そうだろうなー」っていうお馴染みの感じなんだけどさ、思えば俺もいい歳で彼らもおっさんだよなーとか思ったりしたんだけど、なんつーかね、ああいうガジェット感覚っつーのかな?50年代の美人なジャケが良いジャズボーカルをオリジナルのファーストプレスのやつで聞くとかさ、良い真空管のオーディオで聞くとか贅沢の極みだよね。常磐さんにしても乗らないスポーツカーを持っていたり聞く目的じゃない8トラックテープのコレクションとかさ、ああいうので言うとまぁNigoとかもフィギュアとか凄いんだけど、まぁ彼らは成功者だから分かるんだけど、んでもなんかね、俺の印象としてはなんつーか本当に世代が違うなぁーって感じがしてて。


http://www.450hin.tv/


彼らの景気が良い感じっつーか金遣いが良い感じって俺らみたいなゼロ世代にはないよね。まぁ俺はともかくとしてまぁ一般論として世代で見れば景気が良かった時代ってのを青年期で経験してないっつーかさ、バブルって何なの?っていう感じの世代じゃん?今の一つまた下ぐらいの世代だともう元々景気が悪い時代に生まれてきたから景気が良いって感覚すら分からないっていうさ、で、まぁそういう世代の人達全てがそうとは言わないけど、んでもまぁ総じてケチというとあれだけどすげー節約世代だと思うんだよね。将来への不安もあるから貯金とかってのもあるのかもしれないけどお金を使いまくるって感覚がそもそも無いし、あとはもっと言っちゃえば物欲が無くなってる人達とかも結構いるんだよね。


一昔前だったらまぁパソコンでもさ、大枚はたいてメモリ増築したりとかHD増やしたりとかさ、そういうのがあったけど今って2テラのHDが9000円とかで買えるじゃん?90年代中期からパソコンとかネットやってた俺としてはもうとんでもない話だよね。俺はそんなにおっさんではないけどネットをやり始めたのは割と早かったからパソコン感覚は古いんだよねっていつも書くけど。144がネットの速度の時代なんで288とかがすげー贅沢に感じられたりさ、そのリッチ感が半端じゃなかったよね。


んでも今って速度が頭打ちっつーかもっと速くなるんだろうけどもう全てにおいて事足りてるじゃん?速度がメガとかハードディスクの単位がテラとかなんなの?って話だしさ、少なくとも日常生活で使う感じで言えばもう本当に別に良い機種買わなくてもその辺にあるのでも逆に高性能過ぎるぐらいだよね。なのでまぁなんつーか事足りてる感ってのはあるよね。最近妹がようやくパソコンを買ってさ、まぁMacbook Proなんだけどまぁスペックが3年前に買った俺のマックの2倍とまではいかないけどまぁ全体的に見て1.5倍ぐらいって言えるのかな?


デザインもかっこいいし速いしさ、「すげー進化だな」って思うんだけど面白いぐらい羨ましくないんだよね。「俺も買い替えたい!」ってさっぱりならないわけよ。ってのがもう今のマックで十分だからね。まぁ問題はハードディスクの容量だけどこないだ大量にズリネタ系のを削除したら外部HDDの容量が結構空いたしまぁ余裕が無くはないよね。それでもまぁ空容量が10ギガ未満だけどんでもまぁ困らないよね。妹のやつは500ギガとかあるわけだけどあんだけあるとファイルとか整理しなくなりそうだよな。重複するデータをこまめに削除とかしなさそうだよね。


いや、まぁそうなのよね。事足りてる感ね。まぁ俺は色んなものに収入に見合わないぐらい金を使ってきたけどさ、もう無いもんね。リアルに買いたいやつがない。これってもうだいぶ前から書いてるけど最近だと本すらも無いんだよ。まぁ最近はようやく読めるようになってきた数学の本っつーか例えばPrime Obsessionとかやっぱ高校レベルの数学とか分かってないとさっぱり分からないから読めなかったんだけど最近読み始めてんで面白くてもう読み終えそうなんだけどさ、まぁ手元にあるこういう過去に買ったけど分からなくて読めなかった数学の一般書みたいなのを読んでるっつーのもあるんだけどね、でも特に数学系とかだと一般書の類の量が少ないんだよね。哲学とかって解釈によるっていうかさ、書いた数だけのニーチェがあったりさ、誰々のニーチェ解釈に関するなんたらとかってもう枝分かれして膨大な量あるじゃん?でも科学系って理論で言えば一つだしさ、いや、まぁなんつーか解釈の学じゃないじゃん?


例えばカントで言えばカント哲学ってのがあるけどオイラーオイラー数学ってのはないじゃん?まぁオイラーが紡ぎだした数学ってのはあるけどでもまぁ理論的には総合的な数学という体型に統合されるでしょ?っていうか当たり前なんだけどね。だからまぁなんつーか一般書の類って数学史的なものにならざるをえないっていうかさ、まぁ当たり前なんだけどさ、そうだとんでもネタなんて限られてるじゃん?リーマン予想についてとか素数についてとかさ、そんなにネタは多くないよね。だからまぁ結構簡単に揃っちゃうんだよね。あとはもうなんつーか数学書しかないよね。所謂理論のやつね。読み物というよりかは数学の本ね。関する本ではなく数学の本ね。


あ、んで何書いてたんだっけ?あ、事足りる感か。いやーまぁそういうことなんですよ。俺らの世代って恐らく比較で見れば例えばガジェット系に金使うとかさ、まぁオタクは別としてもそんなにメジャーじゃないよね。逆だよね。ベクトルが。reductionismだよね。いかにシンプルに生きるか?っつーかケチという意味ではなくて必要無いものは買わない的なさ、あとは機能主義だよね。古本マニアとかなら三島由紀夫のオリジナル原稿とか欲しがるのかもしれないけど、俺らの世代かその下ってもうそういうビンテージ系っつーかさ、そういうのに魅力を感じてないよね。別にそんなもん文字なんだから見れればいいっていうさ、それこそ青空文庫とかに入ってればネットで見ればいい的な機能主義だよね。それで言うと本当に事足りるよね。漫画にしたってブックオフで立ち読みだとか漫画喫茶に行くとかさ、買う必要が無いっつーかなんつーか。俺は漫画はかさばるから買ってないんだけどね。あとまぁ全然読まなくなったし。


あとはまぁ音楽にしてもmp3ダウンロードでいいとかさ、これって昔から見れば凄まじいコストパフォーマンスとリスク回避だよね。だってさ、俺はまだ余裕でそういう世代だったけど中身が分からないCDをジャケとかだけで判断してギャンブルで買ってたわけだから。んで2000円とか3000円出して中身がクソとかでさ、クソなもんだから売っても全然金にならないっていうさ、そのハズレだよね。まぁだから当たったときの嬉しさは凄いんだけど今ってそういう感じないもんね。mp3でダウンロードするやつなんて基本的に全部30秒ぐらい試聴できるじゃん?まぁ中には曲が始まる前のリズムの部分だけしか入ってないやつとかあるけどさ、んでもまぁ無いよりはマシだよね。あとはすげー好きな曲があってもアルバム全体としてみたら別にアルバム単位で欲しいとは思わないってことで好きな曲をピンポイントで買っちゃうみたいなさ、おかげで100円とか200円で済むもんね。


ちなみにアメリカのアマゾンのmp3販売は99セントとかだからもう買ってるっていう感覚すら無くなるよね。それでもまぁちりも積もればだけどんでもダウンロードし過ぎ!って思うぐらいダウンロードしても100ドルいってなかったりするからね。まぁそりゃそうだよね。100曲もピンポイントで買ってたら大抵のもん買えちゃうよね。コンピ然りなのよ。昔は一曲目当てでコンピとか買ってたわけだけど今なんてピンポイントだもんね。おかげでなんつーかコストパフォーマンスが尋常じゃないほど良いんだよねっつーか昔が悪過ぎたのか。だからまぁ音楽業界が潤ってたのかもね。過剰なほどの無駄とギャンブル性があったよね。今はみんなリスク回避できちゃうからリスク回避できなかった時代に比べて売り上げが下がるのは当然だよね。昔は無駄が多過ぎたわけだから。


それこそアルバムとかいってヒットシングルを軸に適当に何かを付け足したようなのとかいっぱいあったじゃん?クラブ系のやつもやたら質の低いコンピとかあったけど今はまずジャケとかで騙されないっつーかそもそも試聴できるからああいう詐欺的なもんが通用しなくなっちゃったんだよね。クソ曲を集めた安いコンピとか売れないじゃん?昔はそこそこ売れてたんだろうけどね。あとは洋服とかも一個上の世代とか俺の世代とかはまだブランド志向ってあると思うけど、んでもまぁ俺の世代か以下ってのは上の世代に比べてブランド志向が無くなってきてるってのはあるよね。こう見ると世代が若くなるにつれてどんどん賢くなってきてるって気がするな。まぁ消費=馬鹿ではないしさ、別にガジェット系のことに金を使うってのは低俗な行為じゃないんだけど、んでもまぁ「意味無いから」っつって買わないとかってかなりニヒルだよね。現実主義的っつーかなんつーか。


洋服とかも別に着れればいいってことでユニクロでいいとかさ、まぁ本当にそれでいいんだけどね、んでもまぁ動く金が少なくなるのはなんつーかこういう剰余っつーか無駄を排除した徹底的な機能主義だよね。あとはまぁ上の世代とかが消費とかしても別に全然幸せになってないとかさ、金持ちになっても別に幸せになれるわけではないとかっていうのを体現しちゃったんで変に夢を持つとかってのが無くなったってのもあるよね。目の前にあるリアリズムをひたすら直視するようになったっつーかさ、浮世離れしてるように見える引きこもりとかもまぁ俺に言わせればリアリストなんだよね。まぁ全員がそうではないけど現実逃避してるんじゃなくて何も無い感じの虚構の現実を知っちゃったんでもう何もかも意味ないとかって思って引き蘢ってるみたいなさ、んでもそういうのって言えてるっていうか、その考え方が強ち間違いでもないから厄介なんだよね。変にいえば合ってるからね。


上昇志向っつーかさ、こんなブランドの服買ってこんな車買って家を買って家庭を持って・・・みたいなのが無くなったっつーか別にそれって幸せになるための必要条件でもないし、満たされた所であんまり実際は変わらないとかってのも分かっちゃってる感があるよね。だから頑張る動機づけが無くなるっつーかさ、見せびらかし的な消費とかしてももうワークしなくなってるからなんつーか金稼いでどうのってのが無くなってる気がするよね。ヒップホップの成り上がり感ってあるじゃん?


やたら下品な宝石とか身につけるみたいなさ、あれってゲットーの連中の憧れを体現してるっつーか成功の証としての宝石だの車だの豪邸だのっていうまぁトニー・モンタナ的な感じなんだけど、まぁチンピラに限らずね、まぁヒップホップというと語弊があるけどまぁギャングスタ系のラップでってことね。あ、んでそのギャングスターに限らずまぁでも「立派になる」みたいな抽象的なわけのわからない動機づけってあったと思うんだよね。でも今って感覚が日々やっていくっていう日常にシフトしてるっていうか、それは日常すらも危うくなってるからなんだと思うけどね。


で、そのリアルな感じってのが染み渡っちゃっててそれがデフォ感覚になってるんでだから高校生とかが将来地位が安定している公務員になりたいとかって言い出すんだよね。でもそれは全然高校生を責められないよね。まぁ前は批判したこともあったけど、んでもリアルムードがそういう風にさせるってすげー分かるよね。ロックスターになってやる!みたいなやつとか出てこないだろうな。まぁだからなんつーかそういう印象を受けるわけねっつーのはさっき書いたFPMの田中さんとか常磐さんみたいなまりんとかコーネリアスとかDJクラッシュだとか卓球だとかっていうああいう世代までが持っていた金遣いの良い感じっていうかさ、豊かな感じってのに完全な断絶があるなって思ったわけね。


別に田中さんとかってまだ40代前半とかだし別にそこまで世代が違うというわけでもないんだけどんでも年齢差がそこまで激しく無い割に凄いギャップがあるなっていうさ、なんか別の世界の人みたいだもんね。まぁ成功してる人達だからそう見えるのかもしれないけどさ、んでも逆に俺ぐらいの世代の人達がこういう感覚を持ったまま仮に金持ちとか小金持ちになってあんな洒落た金の使い方が出来るか?っていったら出来ないと思うんだよね。まぁ俺は自分個人としてはできないと思うね。ホントに何に金を使っていいか分からないもんね。生活費だけあれば十分って人が結構いるみたいだけど、これって今の世代の独特の感覚なのかもね。リアル世代っつーかゼロ世代感覚っつーかなんつーか。80年代とか新世代だったか新人類だったか忘れたけどああいうギラギラした感とは正反対のニヒルな感じっつーかリアルな感じっつーのかな?「なんとなく、クリスタル」みたいな極端なぐらい馬鹿らしいああいう感じの正反対の悪くいえばつまらない感じっつーのかね?


別にこのつまらなさって批判じゃないんだよね。俺が漠然と感じていることとかがさ、いやね、特にちょっと下の世代っつーか俺より一回り下の世代ぐらいの人達ってモロにそれがデフォな感じがするんだよね。だからなんつーか変な言い方になるけどリアリスティックで賢く見えるんだよね。馬鹿なものに踊らされてない分、リアリスティック過ぎて夢が無さ過ぎるっていうか。俺の世代はまだギリで上の世代にあったブランド志向だのなんつーか金遣いが良い感じとかね、天下を取る的な夢みたいな感じとかさ、90年代とかってまだそういう雰囲気あったからやっぱ分かるんだよね。そういうのが。


で、大人になっていくにつれてどんどんそういうのが崩壊していったっていう感じだと思うんだけど、今の俺がいう一回り下の世代っつーのはその崩壊すらも経験してないわけじゃん?それがさっき書いたデフォで景気が悪い感じね。だからまぁ最初からリアルなんだよね。無駄に金を使うということが選択肢にないっつーかなんつーか。車離れとかアルコール離れとかもそれもあると思うんだよね。端的いっちゃえばこの両者ってはっきり言って無駄じゃん?外食とか飲み会なんてくだらないものの極地みたいなところがあるしさ、それでさらにはしごでカラオケとか下手すれば一晩で一万とか飛ぶ場合もあるでしょ?まぁそれは付き合いで必要なところもあるんだろうけど、そもそもそういう感じがないっつーかさ、俺は元々デフォでそういう人だったけど、下の世代はその人の性格云々に限らずデフォでそういう感じがあると思うんだよねって実際分からないけど、んでも景気が良い感じのばか騒ぎとかって昔ほどしてない感じがするね。


景気が良い感じのばか騒ぎをするような最後の世代がある意味で俺ぐらいの世代なのかもね。んでも中には俺みたいにっつーかさっきっから俺俺書きまくってるけどさ、まぁそれはともかくまぁそのなんていうか人によってはもうそういうのに付き合わないとかさ、無駄さが分かっちゃってるとかさ、「何なの?それ?」みたいな感覚を持った人がいてさ、で、さらに下の世代になるともっと冷めてる感じがするんだよね。もちろん俺はそういう世代に近いものを感じるけどね。


俺は俺の同世代の人間よりもちょっと若いぐらいの冷めた感覚の人達と合うっていうか近いんだよね。3年前とか4年前とかって顕在化してなかったわけよ。言ってる意味分かるべ?ようはそういう冷めた彼らが10代後半とか20代前半とかになってブログとかやり始めたからそういうオピニオンっつーか感覚が顕在化してるわけよ。ウォール伝上でやりとりをした人達の中にもそういう感覚を持った若い人とかいるけど凄くなんかやっぱ同世代の連中と違う感じがあるもんね。なんか同世代ディスみたいになってしまうが明らかに彼らのほうが賢い気がするわけ。だから逆に期待できるんだよね。その冷めた感じに。俺が昔から言ってた「今の若いやつは・・・」って同世代かちょっと上の世代ぐらいのやつらのことだったわけで、今の18とか20そこいらの人達って全然含まれないんだよね。あの妙な冷めたクールな賢さがあるんで全然批判対象にならない。まぁそれでも馬鹿はいるけど、でも世代独特の馬鹿さ加減って無いんだよね。


あと恐らく「若いんだろうな」って思うものにさ、まぁまとめサイトとかなんだけどね、残業とかがクソだって普通に思ってる人とかが結構いるんだよね。俺の世代なんてまだやるのがデフォっていう感覚が染み付いてたり嫌でもノー!って言えないみたいな感覚があるけど、もっと若い世代になると「クソだな」って思ってるし「なんなんだよ!」って素直に思ってるんだよね。ヘタなイデオロギーに囚われてないっていうかさ、それってまぁ脱ブランド志向とも結びつくんだけどね。いや、だからどんどんそういう世代とかがサービス残業とか強いられてても「帰ります」ってKYな感じで帰っちゃえばいいと思うんだよね。その俺は気にしない感っていうか良い意味でのKY感に凄く期待してるんだよね。


社畜であることが恥だと思えるような感覚って凄くdecentな感覚だと思うわけ。なんか別れるんだよね。凄く。俺の世代はやっぱ一個上の世代とかもっと上の世代とかの影響があったりするから、それこそ日本人的な「働かねば!」みたいな感覚があるっていうかさ、あとはまぁやたら働く事に意義を見出すみたいなね、そういう不可避の影響があったと思うのよ。で、今まぁ俺が今回書いてるもっと下の世代で言うと彼らはそういうのが崩壊してたり、あとはちょっと上の世代でも「そんなのおかしくね?」とかって言ってるまぁ俺もそうだけどそういう人達の意見をネットで読んでたりさ、あとはそういうのが社会問題として可視化されていたりするってのを日常的に見てるんで変な影響が無いってのはあるかもしれないよね。むしろ「おかしくね?」って思えるちゃんとした感覚を持ててるっていうか。恥っつーと語弊があるけど、まぁなんつーか言いたいことは少なからずそれで良いとは思ってないっつー当たり前の感覚ね。「ただの奴隷じゃん」っていうまぁマルクスで言う虚偽意識から解き放たれてる感じね。それを凄くまぁ感じるわけだ。


だからホント頑張らないでほしいんだよね。そこそこやってほしいと思うよね。あと頑張れニッポン!ってのはおかしいよ。それは古いスローガンだよね。それこそもうスローライフでいいんだよ。もちろん経済は回さなきゃいけないけど個々があくせくしたところで別に必要とされる人間の絶対量って少なくなってるわけだしさ、頑張るっていうよりかはいかにやってくか?っていうか生きていくか?っていうね、そういうところにフォーカスするべきだよね。頑張れ!ってのは凄く危ないんだよ。それで挫折とか疲れたりダメになると一気に振れ幅があるっていうかさ、それで鬱になったり疲れ過ぎちゃったりね、気張り過ぎているのがデフォになるんで生きるのが疲れちゃうとかさ、そうじゃなくてリアルにやっていける道でそんなに力まなくても自然にやっていけるぐらいの勢いでいいんだよね。そうじゃないと逆に無理だと思うよ。ACの宣伝とか見てると本当に空元気を無理矢理出そうと必死だなって思っちゃうんだよね。


ベストなのは諦めムードでもなく頑張るぞ!的な気張りムードでもないっていうさ、それが一番安全なんだよね。頑張りたい人は頑張ればいいけど頑張れない人は頑張れないなりにやっていけるっていうそういう社会じゃないとね。みんな頑張る!みたいな雰囲気がでてきたらアウトだよね。それが必要なように見えて実は違うんだよね。そんなの持久力が続くわけないんだからさ、今後なんてましてや長期戦なんだからそれこそ世界一周マラソンを達成するぐらいの走る速さとか無理の無さでやっていくしかないよね。だって世界一周するのにさ、凄まじいスタートダッシュ切らないでしょ?むしろいかに世界一周を達成するために身体を壊さないでいるとかさ、やっていける距離を毎日走るとかね、そういう持続ってことだよね。それこそが今一番必要とされてるものだと思うね。


で、それはなんつーか冷めた世代が得意なことだと思うんだよね。やたら無駄に頑張ろうとする風潮があるのは恐らくオールドジェネレーションだと思うわけ。むしろポテンシャルがあるのは冷めたニュージェネレーションの持続力だよね。たいした期待もしてないから酷く絶望することもないし脱落することもないみたいな。まぁそこまで理想的じゃないにせよさ、んでも持続力は彼らのほうがあるような気がするね。底力的な概念って高度成長期の概念だからね。今は完全に違うと思うんだよね。


システムが高度化してるから精神論とか昔以上にいらなくなってるし合理性が是が非でも必要とされるし気の持ち用でどうにかなるほど社会が単純じゃなくなったっていうね、だからなんかその「底力」的な概念に俺はおっさん臭さっていうか古さを感じるんだよね。そうじゃないだろーってすげー違和感を感じる。「ニッポンの底力信じてる」とかって本当に空元気だよね。底力を知らない世代がいっぱいいるっつーのにあんあおっさん世代向けのメッセージ配信してどうすんだ?っていう。やたらそういうメッセージ出すから余計「本当にヤバいのかな?」なんてメタ的な見方とかしてる人は昔より明らかに増えてると思うんだよね。


なんつーか「頑張らない」ってことが意外に持続力に繋がって塵も積もればで短期的には結果は出ないかもしれないけど長期では凄いかもしれないっていうさ、そういう可能性も考えないといけないよね。でも頑張らないって怠けるとかってことじゃなくてさ、俺の読書とか数学みたいに気が向いたらやるぐらいの感じでいいわけね。まぁ仕事になるとそうはいかないんだけど、だからまぁ仕事って耐えられなくなるんだよね。でも耐えないで何かをやるってことは結局それは苦痛にならないってことだし、それが楽しい事であればなおさらそりゃー続くよね。「よし!数学やるぞ!」なんて三日坊主になるのは目に見えてるけど「面白いよねぇー数学」ぐらいの感覚で面白いからやるし知識欲にドライブされるっつーかさ、分からないことだらけで知りたいことだらけになるし、んでも読んだからってすぐ理解できるほど簡単ではないっつーんでまぁやり甲斐があるっつーのかな?やるという行為自体に面白みがあって最終的にそれは数学的知識とかっていうある種の技能でもあるような知識に繋がるっていうまぁ言わば実学的な面もあるよね。


んでもそれは役に立つからとか必要だからっていうことでやるのではなくて好きだからただやるんだよね。好きこそ物の上手なれってことを最近は凄く実感してるね。数学に興味を持ち始めたのが1年半ぐらい前で、んでそっからずーっと興味が持続しているどころか結果的に知識が増えたことで面白みがどんどん分かるようになってハマってるっていうさ、これってもうすでに努力いらないじゃん?数学やろう!なんつー動詞的な意味合いが無くなるっていうか、なんつーかもうdoよりかはbeingなんだよね。俺があることで数学をやるという行為が生活から自然に生まれてくるっていう。これはもうやるやらないの次元じゃないんでやってるという感覚すら無いし机に向かうだとか勉強するなんて感覚もないよね。いや、そんぐらいになってきたのよ。最近。だからホワイトボードとかも欲しくなったわけで。正直まぁ帰国後だけどね。本当にハマり始めたのは。


最初はまぁ受験だなんだっつってやり始めたところもあったけどやっぱ受験用のやつとかつまらなくてさ、んで一般書とかそういうほうが面白いじゃん?そこから「へぇーそうなんだぁー」的な感覚から地平が広がってくる感じね。で、気がつけばそれこそ他の学問で言えば哲学とか政治学の本ぐらいの感覚で自然に読めるようになってるっていう。もはや学問などというたいそうな代物でもなくなってるよね。普通の楽しみというかなんというかさ、楽しいからやるんだよね。ドラッグと一緒だわ。理解した時に面白いし「うわーすげぇー!」ってなる快感がたまらないからやるんだよね。


なのでやってるのは計算じゃなくて数学なんだよね。計算ってのは数学の中にあるものなんであって、言わばまぁ文法とかタイピングみたいなもんだよね。で、数学自体を楽しむっていうのは文字で構成されたストーリーなんかを楽しむ小説なんかと似てるんだよね。数式という言語で書かれた小説を読むような感じね。で、これは誰の定理で何々・・・みたいな特に有名なやつは物理学にしても経緯とか背後にストーリーがあったりしてさ、それが数学史とかにも繋がってきて、だからまぁなんつーかセットなんだよね。全部含めて面白いんだよね。で、オイラーとかガウスの尋常じゃない天才感ってのにただ呆然とするみたいなさ、それって凄い小説とか絵画を見た時に作者の天才に崇高なものを覚えるような感覚と同じだよね。だからそういう意味で数学ってすげーアートっぽいんだよね。


個々の煩雑な計算ではなくて大量のexampleから見えてくるパターンとか規則性みたいなのが凄くアートっぽいんだよね。それが見えた時に感じる美しさってのは本当に美しい景色とか絵画とか良い音楽を聴いてる時と同じような感覚を覚えるよね。あと幾何も実はすげーことなんだ!ってのに最近気がついてさ、もう幾何大好きになったね。特に代数幾何だよね。で、これが高度になるとスキーム論とかも理解できるようになるとかって思うともうイッちゃいそうになるよね。


なんか話がどんどん逸れた気がするけどまぁそんな感じですね。まぁ持続ってこういうことだよね。男が基本的にオナニーをやめないのと一緒ね。オナニーをするのに努力はいらない。気持ちいいからやるわけだし数学も楽しいからやるわけだよね。両方ともマスですね。数学をやるってことをマスカキって呼ぼうかな。で、数学の本とかをカキネタとかって呼んで数学者をカキタレって呼ぶとかね。ホワイトボードに数式を写生とかね、で、ティッシュで拭くみたいな。まぁホワイトボード用のイレーサーあるけどね。なんかでもインテリアっぽくていいんだよね。分からない数式をとりあえずホワイトボードに射精しておいて、んでそのザーメンを眺めるみたいなさ、まるで絵を鑑賞してるような感覚になるんだよね。


で、感覚が絵なんでビジュアル的に覚えちゃうんだよね。暗記とかではなく頭に入ってくる感じね。これを続ければ最強じゃね?って何気に思っちゃったね。まぁ俺の歳がいってるのがちょっと残念だけどまぁそれはいいか。で、分かったら消すのね。だから基本的に書いたやつは全部最終的には理解しちゃうわけだ。しかもニートらしく寝ながら眺めるみたいなさ、ベッドの上って最強ですね。本当に。マスターベーションもマスカキ(数学)もベッドの上が一番いいね。


・・・・というまぁ努力がいらない見た目には怠けてるようにしか見えない中で発揮している効率の良い生産性みたいなのの持続が最強なんですよってことが言いたかったってことで今日はこの辺で。