「好きな事」について。

まず新作を貼るですね。



Pizzicato Five x High Contrast - I Hear A Symphony (Racing Green Mix)


Pizzicato Five「I Hear A Symphony 」+ High Contrast「Racing Green」


DJ Bold Mushroom, 2011




べーこく時代の洗脳が強いのかなと。いや、英語力のこともあってさ、とにかく活字を読む!っていうか読め!っていうさ、で、これでもか!というぐらいの博覧強記というか博覧凶器になれ!みたいなさ、その擦り込みが強いんだよね。だから数学の本とか読んでいる時も「活字を読まなきゃ」とか思ったりしてさ、なんつーか自動的に読書=学問みたいな図式があるのかな?って思ったりしたんだよね。でもショーペンハウエルが言ってたように思索なき読書なんて意味無いわけだよね。ただの活字を追うだけのコンピューターになっちゃってさ、物事は知ってるけど歩くウィキペディアみたいなのになるっつーのには全く興味がないわけじゃん?やっぱ思想だよね。膨大な知識量と深さに裏付けされた思想っつーか。


で、そのためには読書も必要だけど数学とか物理も必要なんだからそこはなんか線引きしちゃいけないなーって思うんだよね。それこそ俺が普通に読書するような感じで数学に向かえないと恐らく極めることはできないだろうなって思うのね。所詮趣味になっちゃうと思うんだよね。だからまぁべーこく時代の洗脳のような洗脳が必要っつーかまぁ上書きすればいいのか。「数学や物理もやんなさい」っつー上書きをすればいいんだよね。活字を読まないと落ち着かないからどこにでも本を持っていくみたいなのが数学にもあればいいわけだよね。でも数学の場合、本がいらないから数式いじったりするってのがまぁ片手間にできるっていうかまぁそんぐらい自然にならないと無理だろうな。と思うね。本当に。学科としてやってたって秀才なんていくらでもいるしさ、それこそ生まれつきの天才とかにも絶対勝てないじゃん?


まぁ別に競争とかじゃないんだけどさ、ただやっぱ俺は俺なりにやればいい的な緩い感じは嫌でさ、やっぱ極めたいんだよね。それで俺が勝てる要素は?といったらやっぱり好きになることしかないよね。マッシュアップ聞いてて分かると思うけど「最近は音楽あんまり好きじゃなくなった」とか言いつつも凄まじい音楽愛があるでしょ?自分で言うのもなんだけどさ、いや、「俺ってシネフィルだからさぁー」とかって自分で言うなよ!的なことになっちゃうけどさ、いや、俺が言いたいのはこの「好き」って感覚ね。しかも尋常じゃないレベルの好きさ加減ね。


これだったらやっぱ勝負できるよねーっつーか好きなことに対する好きな感覚としてはやっぱ他人に負ける気がしないもんね。俺より音楽好きなやつに会ったことないし、あ、まぁ数人いるか。俺より学問が好きなやつにも会ったことない。それがまぁ「なんだ・・・」っていうガッカリ感を産んできたのは確かだけどさ、んでもそれはそれだけ俺の好き度が高いってことだと思うんだよね。それこそ逸脱してるレベルなんだと思うんだよね。


だからそれをやっぱ数学とか物理にも適用しなきゃなっていうかさ、そこがやっぱイマイチハマりきれてないんだよね。好きにはなってるし最近は前にも書いたように分かるようになってきてるから単純にそれこそ哲学書とかを読むときみたいな知的刺激が数学で得られるようになってきてるってのはあるよね。そこはやっぱやめないでやり続けたっつーか一時のマイブームで終わらせなかった俺はエラいよねってこれこそ自分で言うなよだけどさ、ようは好きってことにもやっぱ膜みたいなのがあるんだよねぇー。層っつーかな?strataだよね。好きになればなるほどその度合いが増してくるっていうさ、だからそういう意味で最初から大好き!ってわけじゃなくて、その好きの度合いがどんどん上がってくるんだと思うんだよね。


で、それこそ底なし沼にでもハマったぐらいドープになっちゃって他の普通にたしなんでる人とかと話が合わなくなるみたいなさ、それはいいんだよね。まぁ「そんな俺ってクールだぜ」みたいなナルシズムとか自己愛になったらダメっつーかそんなの馬鹿だけどそうじゃなくてまぁあんまり人と話が合わないとか音楽の話が出来ても深いところであまり話ができないとかってのもまぁ別に寂しがることはなくてさ、優越とかじゃなくてやっぱそれは明らかにこっちが深過ぎるからなんだよね。だけど別にたしなんでる人のレベルを批判することもないじゃん?それは俺の度合いが異常ってことなんであって。


で、それってまぁ思想とか哲学とか政治学とか社会学系っつーかまぁ今まで俺が読んできたようなものに関してはそれこそその音楽ぐらいドープに好きになってると思うんだよね。それこそ「好きです」って言わなくなるぐらい当たり前のものになったわけだ。本当に好きなものなんて好きなものの欄とかに書けるようなもんじゃないよね。いや、この「好きなもの」とか「趣味」の欄に入れるぐらいのがまぁ一般的なたしなみだと思うよね。で、俺の今の数学のレベルってドープなところで哲学とか思想とかがありつつも「趣味」として「数学」があるぐらいのレベルなんだよね。それがダメなんだよなぁ。


stratumを破れてないよね。処女膜がまだある感じだよね。血が出るほどそれを愛してないよね。だからやっぱりそこは熱意というかそれこそパッションの欠如だよね。俺がこのぐらいこれを愛したい!って思ってる理想のレベルとの落差があるわけだよね。そこに凄く違和感があるわけだ。そこで落ち込んだりもするしさ、やっぱこれってそこまで好きになれないって時点で才能の欠如かな?とかって思うわけだよね。そんなに人工的に好きになるようなもんじゃないだろっていう。


まぁそう思ってたんだけどやっぱ取り組むってことは必要でさ、数学は本当にそういうジャンルだよね。あえて言えば文系とかって知らないこととか面白いパラダイムがどんどん入ってきて知識欲をどんどん満たしてくれるじゃん?でも数学とか物理ってまず分からないんだよね。そこから入るわけ。数学史的なこととか本当の基礎とかはまぁ文系ぐらいの勢いでガンガン入ってくるけどやっぱりちょっとアドバンスな理論とかになってくると躓きがあるんだよね。


そこで諦めちゃうとダメでさ、あと才能とか気にしだすのもダメでそこはやっぱ分かろうとしないといけないっつーかさ、で、それってあまりに不可解なことだからそもそも知識欲が刺激されないってのがあるんだよね。「なんだこれ!ちょー謎!ちょー知りてぇ!」ってならないのね。それこそ暗号みたいなレベルだからさ、何が書いてあるのか何を言ってるのか分からないからそもそも刺激されないんだよね。で、それを分かるようになるためにもっと基礎から・・・ってなると泥臭い勉強みたいになってきてつまらなくなってくるんだよね。


ここがまぁここ半年ぐらいかねぇ。で、最近その処女膜が破れたかは分からんけども、ただ分かるようになってきたから感じられる「ほうほう!なるほど!」的な知識欲が刺激される感じは凄くあるよね。それこそ前にも書いたけど1年前とかに買って分からなかった本とかさ、思えばprime obsessionとかですらあまりに基礎が欠落してたから読んでなかったんだよね。分からなくて。


そういう未読の数学の一般書とかもある程度分かるようになってきたから面白く読めるようになったんだよね。そうなったらもうこっちのもんじゃん?単純に楽しいことを続けるだけなんだからその本を読破するのに努力はいらないよね。まぁ面白い本ならね。Mario Livioみたいに教科書みたいな本を書く人もいるからさっつーか意外と英米系ってこういう人多いよね。やたら分量あるんだけどただの歴史的な記述とか客観的な事実を述べるだけで全然読み物としての面白みがないっていうさ、ああいうのって所謂リサーチペーパーの宿題としてやらされるわけよ。その延長みたいなクソ本を書いてるやつらが意外と多いんだよね。


数学的な話の中にちょっと歴史的なバックグラウンドも入ってるぐらいの分量があるのにやたら歴史ばっか語ってて理論的なところがあんまりないとかさ、まぁ元々そういう歴史系の本だったらいいんだけど理論系の一般書みたいな売り出し方で出しててんで内容がウィキペディアみたいなのってガッカリするよね。表紙とかすげーいいのにクソつまらないんだよね。で、それは俺の知識不足だからなんだなって今までは思ってきたんだよね。特に科学系はね。で、ある程度分かるようになってんでもやっぱつまらないもんはつまらないんだよね。で、アメリカのアマゾンのレビューとか見るとやっぱ同じように感じてる人がいてさ、「あ、やっぱつまんないよね。これ」って思うんだよね。別に知識不足以前に単純に本としてつまらないんじゃん!っていう。


そう思うとチャイティンのThinking about godel turingなんかは理論的なことは分からなかったけどすんげー面白かったもんね。学校の図書館に半日ぐらい籠って一気に読破したんだけどまぁそんぐらい面白かった。で、結構読んでるから本がボロボロなんだよね。ペーパーバックだから。で、また色々と分かるようになってから読んだらもっと面白いんだろうな!って思うとワクワクするんだよね。


数学の本とかも色々と買ってたけどやっぱあまりに基礎知識が無さ過ぎて分からなくて面白さが感じられなかったって本が結構あるからさ、だからまぁそういうのを今読み返してみれば面白いだろうなっていうかまぁ結構実際面白いのとかが結構あってさ、本当にまぁ自宅ライブラリーでウキウキ状態が結構続いてるよね。最近は。これも数学のおかげなわけですよ。余計な不安とか杞憂をなくしてくれるのはやっぱ無駄なことを考えたりしないで打ち込めるようなさ、そののめり込むっていう好きなことだよね。没頭することってのが俺にとってのメンタルヘルスなんだと思うよね。だからマッシュアップラッシュの頃とかも相当精神的に安定してたっつーと変だけどまぁあんま鬱っぽくならなかったからね。


恐らくこの「好き」って感覚に相当なパワーがあるんだと思うよね。だからまぁ「恋人でも作ったら?」ってよくまぁ悩んでる人とかさ、落ち込んでる人に定型みたいな感じで言うっていうフォームがあるってのもようは狂えるぐらい好きな人と恋愛しろ!そしたらすんげーpower of loveがあるぜ!ってことなんだと思うよね。で、それは物事全般そうなんだと思うんだよね。まぁ異性に対する愛と学問に対する愛はまぁ種類は違うけどでもやっぱ好きな人とか好きな事をやってる時って絶対ハッピーじゃん?そこに苦痛があっても必要な苦痛だしそのために我慢しなきゃいけないってこともあるじゃん?だから耐えられるみたいなさ、まぁそんな感じですよね。


ってことで唐突だけど今日はこの辺で。書きたい事書けたからもういいや。