ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

人生がむなしいです。その2。

まずは新作貼るです。



Plastics x Erik Satin - Copy (Baroque Mix)


Plastics「Copy」+ Erik Satin「Baroque」


DJ Bold Mushroom, 2011


では続きです。

No.8

回答者:toturenzu 回答日時:2007/04/03 21:30


子供の時にはあまりむなしさは感じませんでした。
大人になって感じることが度々あります。
簡単に払拭できるものではありませんが、個人的にこれをすると少し気分が変わる場合がありますので、書き出してみます。
睡眠不足もいけませんが、あまり眠り過ぎると気持ちが落ち込みやすい。
軽い運動、できれば外に出かけ、少し汗が出る程度に動く。
人と話す、笑うのが一番効果的。
人によると思います、参考程度にしてください。

<人は何のために生きるのか、考え込んでしまいます。
子供の時は何も持っていないのと同じです。
学び、世に出て働きお金を手にして様々な形のあるものを手に入れることができます。
本当に大切なものは目に見えないものです。



でも形あるもののほうが目標になりやすいので、ついつい形あるものに偏りがちです。
形のあるもの、数字をいくら増やしても実際の所キリがありません。
本人が足りていないと思えば、いくら持っても増やさなくてはならなくなります。
形あるものがいくらあったとしても心は埋まらないのです。
結局のところ人の心のむなしさは人でしか埋められない。
そして、これだけ大勢人がいる所をみると、一般的に言われている
「人は人のために生きる」この答えに落ち着くのではないかと思います。



でも、自分のお腹さえ満足に満たせないのに、人のことを考える余裕は生まれません。
最初の目標は自分のことが全て自分でできるようになること。
そして最初の目標をクリアしたら、自分は人のために何かできるのだろうと考える、そして計画し、実行する。
いくら素晴らしい考えでも独りよがりではいけません。
人に感謝されるものでなければなりません。
難しいですね。
わたしもまだまだです。
でも、人が喜ぶ事はどうしたらいいんだろうと考えるだけでワクワクします。
いろんな方の「人は何のために生きるのか」はとても興味があります。
様々な見方考え方を参考にさせて頂きます。


この回答への質問者の返信。


そうですね。
形あるものをいくら追い求めても、むなしいだけですよね。
そして、友達と楽しい時間をともにするのも、最高の体験だと思います。人に感謝されるのも「ああ良かった!」と思いますね。

しかし、そういう経験があってもなお、むなしさは感じ続けるのではないですか。
「どうせむなしいなら人のために」っていうならわかりますが。


そうなんだよね。これは「どうせむなしいから数学やる」みたいなもんでさ、まぁ数学で得られる喜びとか興奮って他になかなか無いもんだから最高の体験を得られるものではあるんだけど、でもまぁそれでむなしさが無くなるか?っていうと無くならないよね。最高の体験を得ても次の日とかに寝起きとかが辛かったりしてさ、まぁこれは日内変動だとは思うんだけど、でも嬉しさとか興奮とかって一時のもんだよね。セックスみたいなもんでさ、永遠とやってられるものでもないし、永遠と得られるものじゃないじゃん?オーガズムを得てまぁむなしさを感じるよね。


ディズニーランド現象だよな。これは。パフュームのやつがほぼ終わった頃とか本当に辛かったもんなぁー。ちなみにねぇとレーザービームも作ったんだけどブロックされたから無理でんでなんかveohにアップする気になれなくてお蔵入りになってるんだけどまぁそれはともかくさ、それで言うと微かなカオリ以外は全部やったってことだよね?恐らく録音物として出回ってるやつにしたらそういうことになるよね。で、まぁ「で?」なんだけどね。やってる時が一番楽しくてさ、終わっちゃうとまぁ寂しいよね。数学は終わりがないからそういう意味では良いんだけどさ、ただ死ぬほどハマるってほどではないのが凄く寂しいね。死ぬほどハマるつもりでいたからね。

No.9


回答者:noname#26235 回答日時:2007/04/03 21:46


むなしいと常に思っているわけではなくたまにむなしいと感じるくらいの私が参加する場所ではないのかもしれないですが、質問したくなって参加してしまいました。
「どういう人生を送ったら自分はむなしくないだろうか」
と考えてみたとき、むなしくない人生って思いつきますか?
と聞いておきながら私は、思いつきませんが。。(^^;)
でももしかすると、戦時中とか生活が苦しくて今ほど便利ではない時代に生きていたら、生きることにめいっぱいで、あまりむなしさは感じなかったかもしれないなあと思います。
(体験したわけではないのでわからない。逆にむなしかったかもしれませんが)



独断ですが、むなしいと思うのはそういうことを考えるだけのある意味ゆとりがあるからかなあ、と思っています。
むなしさを感じたときはお部屋を掃除します。
部屋を綺麗にしていくと不思議と爽快な気持ちになれるからです。
もっと哲学的なお話をされたいとお考えなのでしょうが、私は意外と生活のちょっとしたこと、人とのふれあいのなかからむなしさは消えていくものだと思っています。褒められると嬉しい、とか人から優しくされて嬉しい、とか。
私は結婚もしておらず先もみえない状態で、明日も仕事だ〜残業だ〜帰りに楽しみもない。。。と思うとむなしいですが、ちょっと人と笑い話を共有したりわかりあったりできる時間は、そのむなしさを忘れられます。



なぜ生きるか、と思うことは確かにあります。
どんな動物も自分の命を絶やさないように敵からは身を守るし生きていくために何かを食したり、人間以外の生物だってまあ不思議な存在ですよね。
でも自殺するのって人間だけなんでしたっけ?違ったかな?
もしそうだとしたら、やはり考えるがゆえの結果なのでしょうね。
恵まれてるがゆえの悲しい決断ですね。
なぜ生きているかはわからないけど、考えても答えはでないと思われるので、せっかく生きているなら自分が楽しいと思える人生にしたいとは思っています。
まとまらない文章でごめんなさい。


この回答への質問者の返信。


>「どういう人生を送ったら自分はむなしくないだろうか」
と考えてみたとき、むなしくない人生って思いつきますか?

全く思いつきません。

ka-mmyさんが言うように、こういう悩みって「衣食足りて礼節を知る」みたいなもので、食うや食わずで必死に生きている人には、こんなことを思い悩む余裕は無いかと思います。

しかし、そういった一般的に「不幸な」人々が、物質的な豊かさとそれに伴う精神の安定を手にしたその先に、この「むなしさ」に出会うとしたらどうでしょうか。
人間存在って、なんて厄介なんだろうと思いますね。

>なぜ生きているかはわからないけど、考えても答えはでないと思われるので、せっかく生きているなら自分が楽しいと思える人生にしたいとは思っています。

こういう誤摩化しの先にも、同じようにむなしさはおとずれるのだから、無意味な浪費ではないですか?


この質問者の回答って凄いよね。本当に核心を得てるっつーかさ、そこなんだよね。俺なんかがそうじゃん?まぁ衣食住は満たされてはいたけど10代の頃は精神状態が本当に酷くて暗黒期だったわけだよね。それでもまぁ良いこともあったしさ、10代の後半ぐらいには症状は結構マシになってたけど、一時期は地獄みたいだったからね。で、そんな頃に比べれば今なんてまぁ天国みたいなもんなんだけどさ、あとはバイトとかやってないからパニック発作とかも起こらないしさ・・・っていうところだよね。ある程度の安定を手にした後に感じるむなしさね。前にも書いたけどむなしさを感じている俺が大変な境遇の人を見て「俺はなんて贅沢を言っていたんだろうか!」って思うのは最高におかしいってことなわけじゃん?


そういう比較は意味無いっていうね、あとなんか思うに老人とかって中には虚しさを抱えながら死んでいく人って結構いるんじゃないかなぁー?って思うよね。別にそれは露骨に孤独とか大変な境遇にいるとかじゃなくてね、普通にしてはいるけど心の中では毎日虚しさを感じていてさ、ただお迎えが来るのを待っているだけっていうさ、それで言うと人生自体が無駄な浪費って思えてくるから余計に寂しいよね。いや、なんかね、俺が言いたいのはさ、フランス語やってて日常生活が変わったー!的な意味ではないね、根底的に自分の実存ってのを肯定できるっていうことは何によってなされるのか?ってところなんだよね。それは社会的に機能するということなのかさ、誰かに感謝してもらうとかなのか分からないけどさ、まぁでも金じゃないのは明らかだよね。まぁあるに超した事はないけど処方箋にはならないよね。

No.10


回答者:bagnacauda 回答日時:2007/04/03 21:50


『語り得ぬものについては沈黙しなければならない』

by ヴィトゲンシュタイン





50歳を越えた僕にとって、人生の「空しさ」に対する対応はこれしか思い浮かびません。



この回答への質問者の返信。


ヴィトゲンシュタインの考えは、全体としてとても興味深いです。
ですが、沈黙すればむなしさに対応できるのか……そうは思えません。

これって、言語上の混乱に囚われて悩んでるんじゃないよ、っていう意味なんですか?
言葉を離れて、意味世界から抜け出せればこのような悩みはないのかもとは思います。でも、この想像には全く実感が伴わないので、わけわからずです。

ところで、皆さんに真摯な回答をいただきながら「むなしい」を繰り返してさぞ不愉快なことと思います。

私はこの質問を置いて、この「むなしさ」をやっつけた超人を待っているものの、おそらくそんな人はいないという予感があります。
だから、この「むなしさ」と皆さんがどう格闘しているのか、どのような切り口があるのか、そういったものが聞ければ嬉しいです。
ヴィトゲンシュタインの著作と付き合っていく、というのも、そうした格闘のひとつになりえるのかもしれないですね。


ウィトゲンシュタインは悩みまくりだったよね。前にも書いたけどこういう根本問題を解決できた哲学者っていなかったと思うし、そういう意味ではもう人類のアポリアなんだと思う。で、仏陀がそれを克服したといってもhow to的に「どうやれば?」とか「なぜ?」みたいな分かりやすさがないでしょ?だから「悟り」と言われてもイマイチピンと来ないわけだ。俺は自分なりに仏陀の言葉を理解してきたつもりだけど、かといってむなしさが無くなるか?というとズバリ無くならないよね。


中観派的な世の見方をしたってさ、それは真理だとは思うけど個々の魂を救えるか?ってそれは別じゃん?そこを救うのが宗教でさ、だからまぁやっぱ宗教ってなくならないんだよね。宗教ってのは人々の実存の危機を神話なり物語で救うっていう体系だもんね。本当は根本は哲学だったり道徳だったりするんだけど、世俗的なデマンドは所謂「救い」なので宗教もそのニーズに応えるような形で世俗化が進んだわけだよね。だからまぁ結果的に本質とは凄く乖離した形だけのドグマが恣意的に解釈されて利用されるっていうことになるわけだよね。ところでまぁニーチェだって別に超人になれたとは思えないからね。超人の概念を生み出したのはニーチェだけど本人がそれになれたか?っていうのは全く別の話だよね。

No.11


回答者:mousou 回答日時:2007/04/03 22:14


貴女に一言、回答者は選べるものではありません。この質問に答えたい人が、答える。それでいいではありませんか。世界で毎日、6億以上の人々が今日の食べ物がなく、4万人以上のほとんど子供が死亡しているのを知っていますか。あるアジアの少女の夢は「大人になるまで生きる事」ウランバートルマンホールチルドレンは2000名ホームレス。12歳の子の夢「早く、人間を終わりたい」「僕は次に生まれる時は犬になって生まれたい」カンボジアの少年の夢「一度でいいからお腹一杯食べてみたい」生きるのに必死です。この子供達はもう死んでしまったそうです。生きる意味ない人々、この子らに命与えて、日本に連れて来たいと思えてなりません。


この回答への質問者の返信。


ダメです。不毛な議論は時間の無駄ですから。
はじめにきっちり告知しておくという手段も許されるべきだと思い、このように質問を立てました。

食うや食わずの貧しい人々、幼くして死んでいく命。とても悲しいことだと思います。
しかし、そういう不幸な人々を例えば日本なり何なりに連れてきて、「衣食足りた」状態が実現したとする、その先に待つのがこの「むなしさ」です。
物質的な欠乏、命の危機、そういった極大的な不幸とは比べようの無い、根源的な不幸があるのだと思います。


最初に書いたまぁよく言われるロジックの典型がこれだよね。下と比べる感じね。まぁこれについては散々書いたからいいよね。まぁこれはある種のすり替えなんだと思うよね。問題は物理的な充足や環境にあるわけではないのに話のコアをquality of life的な物質的なものにすり替えて「こんな人と比べたらあなたは恵まれていますよ」と言うロジックだよね。物質的に恵まれているか?ってのと実存は関係無いじゃん?関係があって物質的なもので解決できる人もいるとは思うけど、少なくとも俺や質問者は違うよね。ましてや質問者なんてリア充っぽいしさ、頭が良い人だから良い仕事に就けてそうだし奥さんも綺麗な人だろうなぁーって勝手に思っちゃうよね。客観的に見れば「何に不満があるわけ?」とでも言いたくなるぐらいの充実っぷりだよね。


でもやっぱだからこそここが問題なんだよね。そうであってもむなしさがあるということなんだから、つまりは物理的なことは関係無いってことなんだよね。少なくとも俺や質問者のベクトルで考えればそれは関係無いと言い切れる。もちろんさ、例えばね、方法論的に生活の質を落としてみるみたいなことはあるかもしれないよね。で、かつての自分は幸せだったのだと相対的に感じるみたいなさ、でもこれって物理的な温度差みたいなもんで哲学的な話ではないよね。つまりは生活の質がどうだのあなたは恵まれてるだのっていう類の話は抽象度が低い哲学的ではない話ってことになるよね。だから全く議論が成り立たなくなるわけ。そういう人多いと思うけどさ、そういう人とは話は通じないよね。「不毛な議論」とはまさしくこのことだと思うよね。

No.12


回答者:qwert21 回答日時:2007/04/03 22:28


No.3です。
本当の勝利とは何か。
人間は本来、誰でも自分が持っている力をすべて出し切って生きたい・・という本能を持っています。石川啄木も
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」と歌っています。自分はこの為に生まれてきたんだ!それがわかれば命がけでやるのに・・みんなこう思ってるんです。でも、それが見つからない。分からない。あなただけじゃないんです。そう悩みながら、一生終える人だって多い。厳しいけれど、それが現実です。
どうすればわかるのか。目の前の現実から、目をそらさずに乗り越えていくことだと思います。


避けたり、逃げたりしてどんどん流されていってしまう現実に立ち向かうこと。苦しくても、いやでも、笑われても目の前の課題から逃げずに乗り越える。
たしかに、今の社会は、悪いところはいっぱいある。でも今の日本は、実は「やる気になればなんでも出来る」時代とも言えます。
世界に目を向けてみて下さい。勉強したくても戦争や内紛でできない人々、食べるものにも事欠く人々がいっぱいいます。他の国の人々の目であなたを見たら、どんなにうらやましいか。そんなこともわからないで、むなしさに囚われて生きているとしたら、人間としてこれほど愚かな事はない。
人間として人格を磨くことです。それは、財産とか地位とか名誉とか、そんなものではなく「いい人間」「慈愛にあふれた人間」になることです。自分の人格の核がどこにあるかです。


この回答への質問者の返信。


あなたはもしかしたら、この「むなしさ」の経験が全くないのではないのですか?
それはとても幸せなことなのかもしれませんが……。

財産・地位・名誉などがこの「むなしさ」に太刀打ちできないのは明白です。
そして、優れた人格、「いい人間」「慈愛にあふれた人間」とのことですが、これってそれを目標に生きるっていうことですよね。
完全にいい人間にはなれっこないのだから、常に自身の醜さや深奥にひそむ「悪」を直視しつつ、それが現れるのを最小限にとどめようと頑張る。悪くない人生でしょう。とてもいいと思います。

しかし、それによって得られるのはなんですか?
「ああ、私は今日も良くあろうとした!」という自己満足ですか?
それとも「ああ、私の悪はなぜ消えないのか!」という苦悶の叫びですか?
どちらにもベッタリと、悪魔のようにむなしさが随伴していると思いませんか?


これまたまぁ言わずもがなだけど次元の違いがあるよね。質問者はそういう卑近な話をしているわけではないわけでさ、まぁこれはスルーでいいか。別に回答者がダメだとは思わないけどね。議論の次元が違うってだけで人によっては参考になるのかもしれないし。

No.13


回答者:noname#26235 回答日時:2007/04/03 23:28


NO.9です。
こうしても虚しい、ああしても虚しい、多分実際に行動に移さないで考えているだけでは人生なんて虚しいと思います。
また逆に質問ですが根本に虚しさがある人生は問題でしょうか?
虚しくてもいいのでは?
人生は虚しいものだと理解できているのだから、それがいやなら虚しくならない時間を作ればいいし、いやじゃないならそのままで良いし。
しかし虚しくない時間は想像だけではなく実際に行動しなくてはなりません。こうしても虚しいな、と想像するだけでは虚しいだけです。
行動して初めて心は動くような気がします。
考えることも大切でしょうけれど。
なぜ生きているのかの回答があるとして、それを理解できたときに虚しさがなくなるとは思えませんし。
でもきっと質問者さまは虚しさを回避したいのではなく、ここに回答したみんなに自分の哲学をぶつけたいのですかね。
ご自身は、どういう回答なら納得すると思いますか?
(喧嘩ごしになっているわけではないです、単純に疑問です)


この回答への質問者の返信。


こういう不毛な展開になるのがイヤで、質問時に口うるさく条件を付けたのです。
>ご自身は、どういう回答なら納得すると思いますか?
あまりにも愚劣な逆質問です。この問題に悩んでいるからこそ、ここでこの問いを投げ出しているのです。
ありがとうございました。

実存系あるあるだね。深い人が孤立する原因の一つがこういうことなんだよね。

No.14


回答者:aleycross 回答日時:2007/04/03 23:49


↓のほうで回答したものです。

色々見ていましたがあえていわせてもらいます。

あなたは哲学的知識が多少豊富のようですね。

ですがその豊富な知識で 一般レベルの内容を相手に意見を求めてもあなたの求めている答えが導いてこないのはわかっているでしょう?

余談ですが、あなたの求めている楽しさというのは相当なものだということが手にとってわかります。あなたがそれを手に入れることができた暁にはもうこの世にいないでしょうね。


この回答への質問者の返信。


ありがとうございました。


もう完全にスルーやな。質問者が求めているのは「楽しさ」じゃないんだよ。

No.15


回答者:toturenzu 回答日時:2007/04/03 23:57


No8.です、お礼のご記入ありがとうございました。
なぜかテストの答案が何点で返ってくるのか、待つ気分でした。

<この「むなしさ」と皆さんがどう格闘しているのか、どのような切り口があるのか、そういったものが聞ければ嬉しいです。
質問者様のむなしさが何に起因してるかに拠ると思うのです。
そしてそのむなしさは、今のままでは何か違う別の何かを探せという判断になっているのではないでしょうか。
ですので、遠い異国で苦難に満ちた生活をした方の話しを聞いても、同じ日本でとてもよく似た生活をした人の話しを聞いたとしても、質問者様の心が落ち着くことは難しいと思います。




格闘まではいきませんが、最近自分の選択が全て間違った方ばかり選んでいることに気づきました。
嫌だ嫌だと思う事を地べたをはいずるような気分でしてると、案外そんな毛嫌いするほどの事ではなかった、行って良かったと思ったり、自分こそが正しいと思うと直後に打ち砕かれたり。
つくづく愚かだと思うのですが、愚かな自分が楽しいのです。
いつまでも完成しないモノを作っているようです。
むなしさを抱える自分を認め、闘い続けることも生きる目的になりうると思います。

この回答はお叱りを受けるかもしれませんね。
全く問題の解決になっていません、申し訳ない。


この回答への質問者の返信。


>いつまでも完成しないモノを作っているようです。
むなしさを抱える自分を認め、闘い続けることも生きる目的になりうると思います。

率直に言って、涙が出そうになりました。なぜか。
あなたの、実感のこもった、真摯な回答に感謝します。

私はなんとなく、この「むなしさ」に関しては↓だと思っています。
・感じたことが無い人
・気付かない振りをして幸福追求にいそしんでいる人
・悩んでる人
(・克服した人)←いるのかな??

私自身としては、この「むなしさ」を乗り越えられる自信が全くないのです。そもそも乗り越えられるようなものではない気がしているのです。
ですが、乗り越える乗り越えないではなく、まさに、この「むなしさ」こそを人生のテーマにするという発想はなかったです。


結局まぁショーペンハウエルなんかも幸福論で言ってたのは幸福とは苦痛からの逃避であるっていうか、まぁavoidanceなんだって言ってたよね。あれだけの大哲学者でも結局は逃走ぐらいしか言えなかったわけだ。結局はこれもまぁ誤摩化しだよね。まぁ俺はこれを実践しているしショーペンハウエルは師匠みたいなもんだけどさ、それでもまぁ結局は苦痛から逃れるといっても逃れた後に苦痛とは違うむなしさってのが残るんだよね。俺がどこに行こうが自分の体はついてくるみたいなもんでさ、つまりはもうむなしさというものが身体化されているっていうかさ、だからこそニューヨークに戻れば万事解決なのか?っていうとそうじゃないし、リア充になってもこれはついてくるしさ、最近冗談半分で彼女が欲しいとか言っているのも結局は虚しさ回避みたいなところだよね。それと向き合おうとしてないわけだ。誤摩化そうとしてるんだよね。逆に克服できれば仏陀みたいにずーっと横になったり瞑想していられるんだろうけどさ、そうじゃないからね。俺は。それは無理なんだってここ数年ぐらいで気がついたよね。

No.16


回答者:takuroudep 回答日時:2007/04/04 00:15


その傲慢なる問いかけ
そして鬱屈した精神。
哲学科出身の友人にはあなたのようなタイプが多いです(笑)

私の主観では「暇だからです。」

私は学生時代暇常にむなしさを感じていました。
これから仕事して結婚してセックスして子供造って…。
時間があったからそんなこと考えてたんだと思います。

定年後また同じ思考を繰り返すかもしれませんが…。
その時は様々な経験から思考パターンも変わるのではないでしょうか。
つまり先送りです。

逆にあなたに質問したい。
幸せとはなんでしょうか?

今の私は年齢的なものでしょうか
結婚して裕福になることなんです。
まさに学生時代むなしさを感じていたことなんです。
(awiudyfgha殿と同じぐらいの年齢だと思います)

人は楽しげに見えても実は内面は暗かったりすると思います。
皆むなしさを抱え乗り越え精神的な大人になっていくのではないでしょうか?

私の知人で未婚40歳過ぎの方が
「毎日むなしい。それでもお腹が空くからな〜」
と言って数日後命を絶ちました。

結婚して家族を支えるという命題は
鬱陶しくもあり、また生きる喜びを与えてくれるのではと感じました。


この回答への質問者の返信。


実は私も、「ヒマだから」っていうのは有力回答だと密かに思っているんですよねw
実際、今の職場に移る前は、毎晩遅くまで忙しくしてて、今ほどむなしいとか考えませんでした。
でも、じゃあ忙しくすればいいっていう問題でもないと思うんです。
この衣食足りて物入りで楽しい消費生活を捨て、地をはうような暮しになったとしても、それは「むなしさ」保留のまま生活上の心配事が増えるってだけの話じゃないでしょうか。

逆に、takuroudepさんが結婚して裕福になり、趣味のいいインテリアで自宅を飾り、充実した消費生活を送り、また、仕事の面では社会の役に立つ事業を成し遂げ、一族の自慢、人々の尊敬を得たとします。



それで「ああいい人生だった!」と死んでいけるようなものだと思いますか? やっぱりむなしいような気がしてならないのです。

とはいえ、欲望は欲望として「満たされること」望むわけですよね。
お腹をすかせて料理を前にさあ食べようとしている人に、「それ食べたってまたお腹が空くんだからむなしいよね」って言ったところで、言われた人は「ハァ?」ってなもんでしょうね。無論、おいしく食べるでしょうし。だから、私の「最後はどうせむなしい」というのも、だから何? って捨てておける局面も多いんだと思います。

でも、そういう充実した生活の積み重ねの中でむなしさを忘れていても、心の深いところで凝り固まっているむなしさがいつか目を覚ますのなら、本当に恐ろしいことです。

なんかわけのわからないお礼になってしまいました。すみません。


まさしくそれだよねぇ。つまりは物質的な充足などでは解決できるようなものではないってことだよね。あとなんでこの問いが傲慢なんだかさっぱり分からないね。いやさ、金持ちとかさ、超リア充みたいな人が自殺したりする場合もあるじゃん?特にトラブルも無いのに鬱になったりとかさ、そういうの見るとやっぱりそうなんだなぁーって思うよね。それってようはさ、置き換えれば前にも書いたけど今の俺の家が豪邸でお手伝いさんとかがいるような家でさ、空調バッチリで食事も最高でお金は使えないほどあって・・・って中でこうやってパソコンに向かっているってことじゃん?つまりはそのぐらいの物質的な充足があっても俺はパソコンに向かってこうやって書くわけだよね。いや、書くんだろうなって簡単に想像できるよね。それはまぁ結構前にも書いたよね。2億円とかあったところでどうにもならないって。で、ちなみに今の俺は満たされてるからね。質素ではあるけど衣食住困ってないわけだっつってもまぁ一生このままでいいってことではなくてまぁ当然自立しないといけないわけなんだけど、それとこれとは関係無いよね。仮に将来の心配とかをしなくていいってなっても何も解決されないって思うわけよね。

No.18


回答者:pi--co 回答日時:2007/04/04 05:43


はじめまして。
『人は何のために生きるのか。』
これはもう単純に「DNA(遺伝子?)がそうさせているから」と考えます。
そして人間は所詮DNAが生き延びる為だけの乗物でしかないと考えたとき、私には質問者様の叫びはそのままDNAの叫びのように思えました。
DNAは種を存続させるためだけにヒトからヒトへ宿主を変えながら今もなお生き続け、これからもずっと生き続けていくでしょう。
ゴールもなく目的もなくただ生きるだけ。ヒトが絶滅しないように。
質問者様をはじめ、人生がむなしい・・と感じている人は、古代から生き続けているDNAの血がそう感じさせているのかもしれないな、とちょっと思いました。

『あなたはむなしさを感じながら、どうやって生きているのか』
主語が「あなた」なので私の独断と偏見に満ちた意見を述べます。
人間には他の動物にはない「自意識」または「心」という素晴らしく厄介なものがあります。



むなしいと感じるのもまさに心があるからで、このむなしさを少しでも忘れさせるのもやはり心(感情)しかないと思います。
ヒントとなったのは散々「むなしい」を連呼していた質問者様の一言です。

>率直に言って、涙が出そうになりました。なぜか。

「なぜか」と書かれているように質問者様はこの時自分がどういう気持ちになったのかうまく説明はできないと思います。
でも涙が出そうになるほどの激しい感情が一瞬にして沸きあがった。
一瞬かもしれませんがこの時には「むなしい」なんて感情は消え去ったのではないでしょうか。



楽しくなくても笑顔なんてすぐに作れますが、正体不明な涙なんて早々流したくても流れません。
この涙は一般的に言う嬉し涙とか感動の涙とかではなく、何と言うかもっと深く高尚な涙です。
このような涙が流せる場面に多く出くわせば出くわすほどむなしさからは少し離れられるような気がしました。

>でも、子どもができたら変化しそうな予感はあります。
私も子供はいませんが、その予感は間違ってないと思います。

専門外の身で好き勝手発言しました。あくまで参考程度に読んでいただければ幸いです。
気を悪くされましたらすみません。


で、ここらへんから質問者の回答が無くなってるんだよね。諦めたのか分からんけども。まぁ結局さ、この回答も本質は突いてないよね。あとむなしさは言葉とか主観でもないんだよね。それは腕が普通にあるようにむなしさも普通にあるわけだ。鬱とかそういうのではなくてさ、そういう意味でさっきも書いたけどそれは身体化されてるってことなんだよね。ハッピーなときも辛い時も腕は腕じゃん?むなしさ然りなんだよね。だからどんなにハッピーになろうがさ、楽しい事やってようがさ、パフュームのマッシュアップ作ろうがさ、それが終われば俺はまたその腕の存在に気がつくわけだよね。打ち込めることを見つけるとかさ、家族を作るだとかね、そういうことってつまりはそんなことを感じる暇を無くさせるっていうbuzynessみたいなもんだよね。これはようは物質的な誤摩化しだよね。向き合うのではなく向き合う時間を作らないというやり方だよね。んでもまぁそれじゃあダメだって質問者は言ってるんだろうしさ、あとはここまで打ち消せないぐらいのものを他の人達はどうしているのだろう?ってことが知りたくて質問したんだと思うんだよね。んでもまぁ満足のいく回答が得られてないんだろうけど。

No.19


回答者:gcat 回答日時:2007/04/04 06:56


回答ありがとうございました。私はむなしさに直面し感じながら生きています。なぜこんなに給料が低いのだろう。なんで人のために仕事をしたり正論を言っても理解されるどころかいじめられるのだろう。なぜ勉強してもお金持ちにならないのに、勉強しない人がお金持ちになっているのだろう。そしてそのむなしさというのが楽しさや多幸感と表裏一体であり、本質的には同一のものであるという真理に気づき、よりいっそうむなしさから永久に逃れられない。つまり「あの世」にいけば「無」むなしさの世界が広がるという諸宗教の教えが正しいのだと気づき、人間の哲学思考が神を超えられないという真実に再びむなしさを感じるのです。現世での人間の存在そのものがむなしさなのです。


これはむなしさじゃなくてルサンチマンというやつだよね。そういうのを救済しようとするのがキリスト教だってニーチェは批判してたんだよね。あれは奴隷のための宗教だと。あと感情は関係無いと思うんだよね。多幸感で消せるようなもんじゃないからね。多幸感で腕はなくならないでしょ?そういうことだよね。

No.20


回答者:marpull40 回答日時:2007/04/04 09:08


>人は何のために生きるのか、考え込んでしまいます。
人は他人に必要とされることにより、その存在を認められます
不必要と判断されれば、存在を否定されます。
よい例が死刑です
あれは、その人間を不必要と判断し処分します。
生と死については、人生はゲームと違うのです
リセットが出来ません、かならず今の時点からの始動になります。
死は終了ですその後は何も感じません(無です)
ですから人間は、社会に貢献しようとします
自分の存在を示すため、周りの人に自分がいなくなったあとも
覚えてもらうために生きている間に
と思います。


まぁこれは一つかなぁーとは思うけどさ、でもそれもまぁ存在を求められるということで満足感を得るということだよね。でもこれも次元が違う気がするんだよね。社会の為に生きるとかさ、それっていいと思うけどでもそれと実存は究極的に言えば関係無い気がするね。もちろん関係性の中で見えてくるものってのはあるんだけどさ、でもやっぱ根本的なむなしさってそうじゃないんだよね。目標を作ったり目的があったり守るものがあったり・・・ってことで解決されてしまうむなしさはそれはレベルは違えど金持ちになれば万事解決的な物質的なものだと思うよね。

No.25


回答者:never-ness 回答日時:2007/04/04 23:29


いつもなら、自分で選んだ「テーマ」について繰り返し考え、その結論部分を、読む人によく伝わるように言葉を選びながら「拙い文」を綴るのですが、どうも今回は考えがまとまらないようです。意図しない失礼がありましたらお許しください。

 「むなしさ」について・・・
 大学生のころですからもう随分昔の話です。目の前にぱっくりと口をあけた漆黒の暗闇のような「空虚感」に悩まされていたものです。「いたものです」と過去形で書いたものの、すぐ後で述べるように「現在形」でもあります。
 その「むなしさ」は何であり、それを解消するにはどうしたらいいのか、ということをその時の自分のレベルで必死に考えたものです。

 


好きな読書に熱中していてふと気がつくときがあります。友人と談笑していて言葉が途切れたあわいにふと気がつくことがあります。春の麗らかの一日、緑が萌え文字通りの「薫風」を頬に感じ、身の回りの総てが春を「謳歌」しているようなとき。ふと自分の後ろに、背中にペタリと貼り付いていて息を潜めている「むなしさ」に気づくことがあります。夜中に目覚めて真っ黒な深淵の中に落ち込んでいく恐怖に声を殺してただ耐えて、時間をやり過ごし、へとへとに疲れきって泥のような眠りにこれもまた「引きずりこまれていく」。
「むなしさ」はいつも自分の呼吸のように、気がつかなければやりすごし、気がつけば自分の皮膚のようにぺったりと意識に薄いベールとなってはりついているようです。

 子供のころからどうも現実感覚が希薄だったようです。現実と上手く折り合いをつけられない自分がいました。


人はなぜ、あのように楽しそうに笑い、目標を持ち、何かに熱中し、このやりきれない「時間」をすごすことが出来るのか。いつも不思議に感じていました。他人にこのことを率直に尋ねても、だれも「納得させてくれる回答」を与えてくれませんでした。

 ふと、思いました。これは「決して癒されることのない宿疴(しゅくあ)」ではないのかと。

 生きている限り、この骨と肉と出来、皮膚でつつまれた身体の中に閉じ込められた「こころ」の足掻きは、自分の本当の顔を仮面だと思い込み、必死で顔から引き剥がそうと顔中血まみれにしているようなものではないかと。この「こころ」は何によって満足を与えられるのか。


何によって「安心し、その奥底から本当に安らぐことがあるのか」と、眠れないまま幾晩も輾転反側し答えの出ない問いを延々と繰り返していました。

 この「むなしさ」から開放される手段として、(ありがちなことですが)「自殺」も魅力ある一つの手段だと思いました。この身をすぐにでも滅ぼさないではいられない、という緊急性のない「悩み」(その意味でわたしの病は軽かったのかも)でしたから、自分の手で自らに手を下すという、実に「魅力的な手段」はいまだ採用せずに現在に至っています。

 


さて、お示しの「むなしさ」は、わたしとって自分の人生の全篇に亘って幽かに響き渡る『通奏低音』なのだと諒解しています。つまり、このろくでもない人生の基底にあたる「寄って立つ安定しない大地」なのだと。だから、見たくなくても、「むなしさ」はぱっくりと黒い口を開けている奈落のようにいつも側にあります。「ある」という「感触」だけで十分です。
そして若者にありがちな「結論」へと自分を導いていきました。すなわち、「わたしの心はこの世では満たされることがない」と。

 では、そのいてもたってもいられない不安とどう折り合って生きているか?

 ただ時を「やり過ごす」だけがその方法です。


自殺しない身であるならば、この脱出不能の牢獄たる肉体が朽ちるその日まで、何かに気をとられ、何かで気を紛らわし続けるのみなのです。

 しかし、人間とは「不遜」なものです。生き続けていると、他人と交わり、好きな人が出来、すきな事ができ、物を集めることが楽しみになり、その集めた物への拘りが、すなわち自己目的たる「やり過ごし」に大きく貢献し、それに気づいて「苦笑する」自分を見出します。



ですから、質問者さんへの「アドバイス」などありようもないのです。延々と無限に続くかと思われる時間を「創意と工夫」でやり過ごすのです。

 その昔、解答を示してもらえるだろうという期待から「宗教」への帰依も大真面目に検討しました。生来の「なまけもの」だったのか、またそういった「負の情熱」ではこられた「宗教」も困るのか、はたまた、単に出会いという「縁」に恵まれなかったのか、自分の日々衰え続けていく拙い脳細胞で考え続けるという道を選びました。

 はっきり申し上げて、「有意義な人生」などという「まやかし」を期待されているだけこれからの苦労も多いのでは、と思います。でも、ひょっとして何かの拍子に、「あっ、これだ!」というものに巡り会う僥倖が訪れないとも申せません。


しかし、直面すれば一歩も身動きのとれぬ呪縛たる「むなしさ」は、「有意義」などという薄っぺらな価値観を吹き飛ばすような「純粋な負のエネルギー」たるものです。あるいはもっともデリケートな部分を非情にも蝕み人生の蓄積も歴史も奪い去る「がん細胞」のようなものです。

 「有意義な人生」を諦めることはないでしょうが、「期待」もしないほうがよほど賢いというものです。でも、思わず「期待してしまう」のも人生であり人との関わりですから、悪戦苦闘の果てに何があるか追求するのも「一つの人生」ではあるかも知れません。その努力に見合う「何か」が見い出されれば、是非ともこういった場でご紹介して頂きたいものです。




「むなしさ」は現在形です。気を許せば落ち込んでしまう奈落です。そして多分、気を許して落ちてしまうことを許されない「宙吊り状態」が「むなしさ」の実態なのでしょう。

 ただ、最後に一言。「むなしさ」は「絶対無への脅威」ではありますが「絶対無」そのものではありません。考えに考えることで、「むなしさ」を直接克服するという「特効薬」は見つからないものの、世の中を自分なりに解釈する手立てを生んでくれるものだと思います。



そして、「むなしい、むなしい」と呟き呪詛し続けることからは何も生まれないようです。それはさんざんやりつくした人間である当方が自信をもって「断言」します。

 ですから、「グッドラック」としか言いようのない気分ですね。「そのうちいいことあるよ」てなもんです。太宰治の『トカトントン』に出てくる主人公を悩ませるあの音のようなものです。
 ご自愛くださいますように。

 哲学カテということですが、「文学的」な表現を撒き散らしました。意図あってのことです。お汲み取りください。


これは結局は人生ってのは暇つぶし的なことだよね。文学的な表現とかセンスで隠されているけど結局はロジック的にはそうだよね。つまりは誤摩化していくしかないということだよね。でも問題はその誤摩化しができないぐらいむなしさが強い人間はどうしたらいいのか?ってことだよね。恐らく質問者はここで質問してみて人によって感じるむなしさは違うんだなってのに気がついたと思うんだけどさ、だからこそ自分と似たようなむなしさを抱えている人が実はあまりいないということも逆説的に分かっちゃったんじゃないかな?となんとなく思う。

No.26


回答者:orient_rum 回答日時:2007/04/05 00:32


私の結論は
『自分の人生に意義、意味、結果、成果を見出さない』です。

私の『人生』は私で構成された私の世界です。
一方『意義、意味、結果、成果』は、私の世界を外側から見た
顛末の評価だと思います。

終結してないものを評価しようとする行為に無理があるのでは?
と思うようになりました。

この理論を展開していくと
『今は意味が見出せないけれど、結果的は未知数である』
となり、『むなしさ』も時に、『心の拠所』に感じるように
なりました。空回りの自分を許せるようになりました。

もう刹那の幸福の隙間で『むなしさ』に悩ませされることは
ありません。


わたしも、質問者さまと同世代です。
少しでもお役に立てれば幸いです。


いままさしくここなんだ!的なことだよね。これは一つの回答だとは思うけど多分この種のことは昔から言われてきたことだし質問者もとっくにその類の本を読んでると思うんだよね。まぁ少なくとも俺はそうなんだけど。

No.27


回答者:hir_o_mi 回答日時:2007/04/06 23:27


こんばんは。

私は、自分がなにか外れていると感じるとき
むなしさを感じます。
というか虚しさを感じるとき、自分が自分からずれていることに気づきます。

私は30代半ばです。
人生で自分が望んでいたのは、「自分自身でありたい」
ということだけだったように最近感じています。

人間の活動には、虚しさからの逃避ではない、
もっとナチュラルなものもあると思います。
無知だから博学になりたいとか、
醜いから化粧したいとか、
まずいものにごってり調味料をつけるみたいのではなく、
もっと軽く素直に、
ただ、知りたいという気持ち、
ただ、美しくなりたいという気持ち
ただ、おいしくしたいという気持ちって、
あると思います。
「感動から始まる追求」のようなものが。
それは自己否定に立脚していません。

私は派遣社員でメーカーに勤め、風呂なしの部屋に住んでいます。
余暇には整体や体操、発声の勉強をしています。
(まあ、ヨガや太極拳みたいなものです。)



学生時代は哲学的・観念的な探求を多くしましたが、
今は、探求の対象が身体になりました。
探求の対象として身体を発見したとき、これで10年は遊べると思いましたが、
今では一生遊べそうな気がしています。

「それが何になるのか」と問われれば、
返答に窮してしまいますが、
何にもならないからといって、無意味ではありません。
感じること、働きかけること、工夫すること、
変化すること、発見すること、表現すること、
響きあうこと、分析すること、統合すること、
解放すること、集中すること、自分と向き合うこと etc.
そこには私の求める活動の大半があります。




誤解を恐れずにいえば、私には虚しさは
「うっすら」張り付いています。

喜びのほうがかなり豊饒なので、
虚しさは相対的に存在感をなくしました。

念のため付記しますが(すみません、ちょっと借ります!)、
この喜びとは、「日常性に埋没し切ってて退屈だったけど、フランス語の勉強始めたら毎日が楽しくなったんだ!」 とかそういうのとは全然違います。誤解を招くかもしれませんが、もっと哲学的なものです。そして、「なぜ生きるか。なぜ必ず死ぬのに生きるのか」自分の全存在を賭けての答えです。
質というか次元の違う、圧倒的な安心感を伴う喜びの感覚があります。
これが自分だ!という感じです。

環境には恵まれてるのに虚しかった時期もありました。
少年時代は大体そうでした。



社会にルサンチマンを持ち、ほんとうに孤独だった時代もありました。
20代はおおむねそうでした。

あなたの言う「有意義」にあてはまるかどうかは分かりませんが、
意義は分かりませんが価値は感じます。
つまり、生きているということに、崇高な感動を感じます。
それは虚しさ同様、動かしがたい内的な感覚です。
そして世の中にそういう人はい〜っぱいいると思います。
何億人もの人が、大なり小なり、虚しさの影から逃れるすべを模索し、虚しさと向き合い、いろいろ見出している人もいると思います。

「世間的な成功や人格の陶冶は虚しさを克服し得ない」というのは
賛同はしますが、
「世間的な成功や人格の陶冶は本質的な生の充実とはそんなに関係ないっぽい」と考えるほうが素直だと思います。




そして、「生の本質的な充実はなにによってもたらされるのか」と問う方が有意義な気はします。

私は、自分のほんとうに大切にしたいこと、ほんとうにほしいものを少しずつ見つけてこれたことで、生が分厚くなりました。
やむにやまれぬもやもやしたものがあり、
形にならず、言葉にできず、ただ「違う!」という心の叫びがありました。どこにいても、水を得てない魚のようでした。
少しずつ自分の内と外との風通しをよくすることができました。

あなたの質問や応答をみていていて少し感じるのですが、
世界を分節化するマトリクスというか枠組みが、
仕事・勉強・趣味・遊び・夢・恋愛・結婚・子育てなどといった、
または成功、貧困といった、極めてステロタイプなものに思えます。




出来合いの服を着ているようで窮屈そうです。
自分にフィットするように、もっと換骨奪胎できると思う。

私は、老荘思想は虚しさを軽く超えていると思います。
身体的論の世界では、例えば野口三千三の思想は虚しさの先にあると思います。
岡本太郎の思想も、ラディカルですが示唆に富むと思います。
クリシュナムルティは虚しさの変容について突き詰めた究明をしていると思います。
李白シェイクスピアはそこを突き抜けていると思います。
哲学者なら、私はバートランド・ラッセルから多くを得ました(ちょっとバタ臭いですが)。

取り留めの無い回答になっていまいましたが、何かの参考になれば幸いです。


前にも書いたけどYahoo知恵袋とのレベルの差が凄いよね(笑)こっちこそ知恵袋であっちは玉袋という感じがするけどまぁそれはともかくまぁ結局は何が有意義か?ということを求めるとかさ、そういうことになるとつまりは意識の志向性をむなしさそのものには向けないようにするっていうavoidanceだよね。でも質問者はリア充っぽいし生活の事で悩んでいるわけじゃないわけだから余計にその重さが目立つわけだよね。普通に見れば成功者っつーかさ、良い線いってる社会人とかって見られそうなんだけど、それってのは本人にとっては関係ないんだよね。


ある程度充実している人だからこそ物質的な充足でむなしさが解決できるとかって思わないわけだし、それって説得力あるよね。こういう質問をするとさ、満たされるようなことをしなさい的な回答が来ると思うんだけど、俺がこの質問者に深さを見たのはさ、人間的にかなり優秀なほうで安定した仕事があって奥さんがいて楽しめる趣味もあって・・・っていうある種完璧!みたいな人が悩んでいるからなんだよね。これは俺が考えてるさ、職が見つかろうが奥さんがいようが家庭が幸せだろうがこれは変わらないだろうって思うってことの一つの裏付けになってるんだよね。だからまぁこうやってエントリーにしてるわけだけどねっつーのは今まで俺が書いてきたことと凄く関係があることだからなんだよね。

No.28


回答者:shift-2007 回答日時:2007/04/07 13:44


虚しさとは空のコップに例えることができるのだろうか。

空のコップに常にジュースやお酒を入れている人、或いは入れられる人・・・・・虚しさを感じにくい人
空のコップに時々ジュースやお酒が入るが、空の状態が長い人・・・・・虚しさを感じやすい人

こうしてみると、空のコップこそが本質なのだから虚しさも人の本質の一部ではないかと。
しかし、同時に疑問もわいてくる。

・空のコップは虚しいが、それはイコール人生のむなしさなのか。
・そもそもコップというものは空の状態で初めて役に立つのではないか。
・人生はむなしい、そう感じるのは事実だが果たして本当に虚しいのか。つまり虚しさを発している者がいなくなっても人生の虚しさは実在として残るのか。
・コップとは何だ

等々、
そこで、コップを壊したらどうなるのか、それは死ぬ事ではなく、コップなしに生きることはできないのかと。そもそも虚しさとはコップ自体が発しているのかもしれないし。

と、これまでのQ&Aを読んで思いました。


これ個人的に凄く好きな回答でさ、般若心経とかってつまりはこれだよねっつーか仏陀の教えで言えばそのコップがあるから煩悩やら苦痛が生まれてくるんであって、それ自体を無と捉えればいいのだっていうさ、まぁ色即是空的なね、感覚とか味とか色とかも全部噓だっつーさ、噓っつーかまぁ無だっていうことだよね。でもそれは頭で分かってるんだよね。俺も分かってるわけ。でもその中で生きていかなきゃいけないというところにやはり重みがあるんだと思うよね。アトラスに会ってゲーム自体が終わった後のmystみたいなもんだよね。終わりはないけどやることもないっていうさ、色んな時代にワープは出来るけど誰もいない・・・っていうさ、あの攻略後のmystって虚しさを感じる心的状況に凄く似てるよね。


いや、俺はあのmystの世界に行ってみたいとは思うけどさ、でも何年かしたらニューヨークと同じようなもんでやっぱりむなしさとかがついてくるんだよね。場所に飽きたりとかするわけでさ、仮にmystが現実の世界で今の俺の世界っつーかようは現実の世の中がセカンドライフ的な世界だったとするじゃん?そしたらmystがリアルの俺からしたらこのセカンドライフバーチャルリアリティじゃん?でもどっちがどっちということでも別に俺は俺であるからそれは変わらないんだよね。ようはこれが環境が変わったりしたって結局はついてくるもんだってことなわけね。この質問者は世間的な成功を収めてるような人でさ、まぁ成功というほど凄いものではないかもしれないけど、物理的に不幸な人が多くなってしまった世の中では目立つぐらい良い生活をしてる人だと思うんだけど、それでこのむなしさを感じてるわけじゃん?


一方でニューヨークに4年半もいて大変なことはいっぱいあったけど何不自由無く暮らしてきた俺がこの環境的な要素を語るわけじゃん?つまりはニューヨークに行こうがパリに行こうが同じだっていうさ、このダブルの説得力だよね。重ねあわせるとリア充で定職があって奥さんもいて海外に住んでた事もあるって人がむなしさを感じてるってことだよね。no exit的な実存の重さに耐えられないわけだ。これって強烈だと思わない?好きな事を見つけるとかさ、社会に必要とされることとかさ、そんなことが全部吹き飛ぶじゃん?この人は好きな事もあるし社会から求められているし守る家族もあるわけじゃん?それでもむなしさはあるんだよね。それに対して何が言えるか?ってことなわけだけど、それ自体を理解できる人があまりいないんだよね。でも凄く示唆に富んだ回答が結構あったりしてさ、それがまぁ前に書いたこれ自体が一種のコンテンツになっているってことなんだけどね。

No.30


回答者:shift-2007 回答日時:2007/04/13 01:07


続き、
コップの正体が分かったので報告します。

コップの正体は観念でした。
仕事、恋人、友達、家族、等々
観念がコップとなって、そこにジュースが入る事によって満たされた、或いは所有しているという感覚を生むようです。

awiudyfghaさんの場合は人生という観念がコップになっています。それが満たされないために虚しさを感じていると思われます。
人生が虚しいのと、コップが空っぽというのは違いますね。感じている当人には同じ事のように思いますがこの違いを明確にしておくのは大事なように思います。


例えば、花という観念と、今目の前にあるそれは同じではないですよね。それと同じで人生という観念と今この瞬間に生きている私たちの生は同じじゃないと思うんです。
また、今までこの”人生”というコップが満たされた事があったでしょうか、答えというジュースが手に入らないためにこの質問をしたはずです、とすればコップは今までずっと空っぽだったはずです。しかし、虚しさは常に感じていたでしょうか。ほかの人より感じやすいとはいえ四六時中という事は無かったはずです。言うまでも無く子供の頃は感じなかったはすです。という事はコップが空でも気にならなかったか、或いは観念がコップという形態に変化しなかったと思われます。つまり、コップが空でも生きていけるという事ですね。

つづく、


で、これなんだけどさ、問題はコップは満たされているってことなんだよね。だって世俗的に言われるような満たされるものはほぼ全部持ってるような人じゃん?だからそれ自体はコップの満ち足り問題で解決できるものではないってことだよね。楽しい事が見つからないとかそれこそジュースが見つからないなんつったら奥さんとか今の会社の同僚とかに失礼じゃん?「お前らは俺を満たしてくれない」ってダメ出しするようなもんなんだから。そうじゃないじゃん?満たされてるんだよね。世俗的な意味でね。その上での虚しさを言っているわけだよね。

No.32


回答者:tumaritouo 回答日時:2008/02/07 23:20


このむなしさは、貴方の心の在るものがそうさせています。その在るものとは、貴方の無意識の中に在るものです。今のまま、只生活してゆく事です。頭ではなにを考えていても良いと思います。やるべき事を、やる順番に。悩みが在りながら、人生は進んでゆきます。

貴方の悩みは、人生そのものに投げかけられた「問いかけ」と云っても良いように思います。或いは自分の存在そのものと言っても良いかもしれません。本当は誰でもが抱えている「問いかけ」です。悩みは、悩んでいるうちに、今度は、もっとハッキリしたものになるかと思います。

貴方の「問いかけ」は「永遠なるものの」憧れからおきているかと思います。貴方の中の「永遠性」のものからの問いかけが、貴方のむなしさと、悩みなのです。その答えを得る時に貴方は、その事が分かります。その時は、貴方が他の人達と心で繋がっている事が。人は決して「孤独」な存在ではない事を。自分自身をもっと掘り下げてみていく事です。


こういう回答が来るのも頷ける気がする。でも恐らく質問者は大半の回答者より自分で勝ち取った良い人生を送ってるんだよね。コップは満たされているし孤独でもなんでもなくて、孤独じゃないなんてことは全然分かっているわけで。ちなみに俺だって孤独じゃないからね。見た目は色んな意味でただのニートみたいなもんだからね。そんな全く違う境遇とか社会的地位にいる人が共通で持つこのむなしさとは一体なんなのか?ってことだよね。


で、質問者はどう考えるか分からないけど一方的に言わせてもらえば俺のむなしさと一番似ているものを持っているのがこの質問者なんだよね。だからこそ仮にここでベストアンサー的なさ、納得できるような回答があったらそれは俺への回答でもあるわけ。でも回答は無いんだよね。やりとりに意義はあるけどでも答えはない。あとちなみにまぁこの回答者も良い回答をしているけどこれはデリダの来るべき系の話だよね。決定不可能性からくる矛盾というかなんというか。来るべき民主主義がこの場合は分かる時が来るっていうまぁ来るべき認識になってるわけだよね。でもそれが来ないのは薄々感じているからこそ「どうすりゃいいの?」って思ったのが質問者だし俺でもあるんだよね。


今日はこの辺でいいかな。また明日続きをやるです。