人生がむなしいです。その3。

続きではないんだがちょっとイレギュラーなことが起こったので書くねっつーのがまぁ部屋のクーラーが壊れたってことなんだけどね。節電ムードでKYだが俺は容赦なくクーラー使うんだよね。まぁ部屋が物理的に暑くなりやすい場所で風通しが悪いんでしょうがないと言えばしょうがないんだけど、節電っつっても程度があるよね。


まぁいつもの持論でさ、個人個人が地球に対して何かをしたって自然のパワーに比べたら微々たるもんだからあんま意味無いっつーか自己満足で終わるっていうさ、まぁ節電も同じだと思うんだよね。個人個人がクーラー我慢した所でしょうがない。やってる家もあるんだろうけどさ、こういう節電ムードの中だったら仮に家で使っててもなんとなく言えないじゃん?「昨日暑かったよねぇー。寝れなかった・・・」「あー・・・俺も」なんて会話がありそうだよね。前者はガチで節電のやつで後者は節電のフリをしてるやつね。こういうやつは絶対いるでしょ。ちなみに俺は噓をつくのが嫌だから「クーラー使ってます」って言うんだけどね。


ただでもすげーボロいクーラーで効率悪そうなやつでさ、んでまぁニートのくせに親に話したらすぐクーラー買ってくれてさ、ダメ息子の典型みたいな感じだけどさ、まぁそれはともかく使うにしても省エネってのはあるよね。それは節電という意味ではなくて電気代って意味で省エネをやる価値はあると思う。俺の功利主義的な動機が結果的に世の中のニーズにも合うっていうさ、ここだよね。でも節電節電っつったって部屋で汗だくでいるとかさ、作業とか何も出来ないじゃん?頭が痛くなってきたりするしさ、インフラとしてのクーラーってのは当然だよね。ただ設定温度は高めにっつーのはさ、これまた俺的には節電ではなくて単純に体のためということがあるんだよねっつーのがキンキンに冷やしてるとさ、普通にリビングにいたりとか、たまに外に出るだけで倒れそうになるんだよね。普段居る場所と普通の場所の温度差があり過ぎて外ではやっていけなくなるっていう。これって自律神経とかぶっ壊れたりするから本当にダメなんだよね。


・・・・ってことで俺はあんま正義としての節電って偽善っぽくてエコっぽいから嫌いなんだけど客観的に自分の利己的なクーラーの使い方を見て理にかなってるっていうかさ、結果的にベターな使い方になってるなって思ったんだよね。究極的に言っちゃえばまだ使えるクーラーでもバカみたいに電力を食うやつなら高くても超省エネモデルみたいなやつを買うってのが一番いいよね。国が補助金とか出して買い換えを促していいレベルだと思うね。クーラー使わないなんて無理なんだから。で、節電で意味あるのはやっぱデカイところだよね。ビルの無駄な照明だとかさ、パチンコ屋とかなんて最たるもんっつーかあれはそもそも省エネ以前に無くさなきゃいけないんだけどさ、こればかりはファシズム的な節電ムードに乗じて「パチンコ屋を潰せぇー!」なんて運動があってもいいんじゃない?って思うけどね。


結局まぁ温暖化だとかなんだとかっつーのもさ、中国とかインドみたいなどうしようもないぐらい大気汚染とかやってる国がなんとかしなきゃいけなかったりさ、そこをピンポイントでなんとかしていくっていう巨視的で政策的なレベルじゃないと無理だよね。個人が地球の為に!なんて偽善とスレスレだしさ、そもそもワークしないと思うんだよね。あとここにいるじゃん?節電!って言われてるのにクーラー使ってるやつ。まぁ俺はクーラー使うのは全然いいと思うんだけどね、まぁさっきも書いたように普通に電気代ってことを考えて省エネモデルにするってのは本当に必要だと思うね。金かかるけど逆に使うならこんぐらいのことはしなきゃねぇーって親に買ってもらっていうのもアレなんだけど。


なんか今日はすげー嫌なやつモードだね。でも本当の事だからしょうがないね。結局まぁ個人がなんとかケチケチ電気代を抑えようとするってことが節電に繋がるんだよね。これは運動としてやるんじゃなくてさ、利己主義なね、電気代高いの嫌!っていう動機からでいいんだよね。これが結果的に節電に繋がるわけで。まぁ我が家でも使わない電化製品とかの主電源とか全部切ってるんだけど結構電気代違うんだよね。


あと俺は部屋の電気はつけないでデスクライトみたいなのをベッドにつけてずーっと基本的に横になってるんだけどまぁこれも省エネだよね。そもそも本ばっか読んでるってことで電気使わないから俺自体の生活がかなりエコだと言えるってまぁ偽善的だけど偽善じゃないのがさ、俺はエコでやってないじゃん?自分のスタイルを突き通したらエコだったってことでさ、これが究極的なエコだよね。エコからエゴへってスローガンは大間違いでエコとエゴのintersectionを見つけ出せ!ってのがスローガンだよね。これだったらどんだけ怠惰なやつでも利己的な理由からエコにならざるをえないじゃん?いや、結果的に経済的って意味ですげーいいんだよね。


ちなみにクーラーなんだけどさ、俺はずーっとつけないんだよね。部屋が冷えたらあとは消しておくんだよね。でも節電でやってるんじゃなくて元々のスタイルなんだけどね。ずーっとつけてるとさ、寒いかあとは温度キープみたいなのになってアイドリングみたいになるじゃん?で、そのアイドリングの時のやる気の無い風が凄く嫌いでさ、で、なぜかちょっとそのとき臭くなるんだよね。それが嫌で消してるんだよね。基本的に。だからまぁ結果的に本当に必要な時以外使わないってことになってるんだけどね。この節電とかでやらない自然体のエゴのエコが一番いいわけよ。それを意識的に方法論的にやるってことね。で、目的は節電!じゃなくて電気代を安くする!っていうゲーム感覚でやるのね。で、金あるやつは省エネグッズに出費を惜しまないことね。今回の俺で言えばクーラー壊れてよかったよね。10年以上前のやつだから最悪だと思うわけよ。


でも取り付けが混んでるとかでさ、8月上旬になるんだよね。えー!って感じなんだけどさ、んじゃあ一ヶ月どうすりゃーいいの??ってことで今日なんだけどさ、夜中でも日中でも物理的に俺の部屋には居れないんだよね。暑過ぎて。分かるでしょ?物が多過ぎるっていうかやたらレコードとか本棚とか狭い部屋にありそうなイメージあるでしょ?いや、その通りなんですよ。で、風通しも悪いので。っつってだからどうしてるか?っつーと宿直の人みたいにずーっとリビングにいるんだよね。でも母親が寝てるんだけどさ、台所のテーブルでデスクライトつけて読書ね。


ただこれがすげー効果あるんだな!っつーのはさ、部屋にいるとやっぱりダラけるんだよね。監視されてないからやりたい放題でオナニーに2時間とか平気でかけたりする時があるしさ、あとは無駄にまとめサイト読んじゃったりとかさ、無駄な時間が多くなるんだよね。でもリビングにいると俺を食わしてくれている母と父も隣の和室で寝てるんでとても時間を無駄にする気になれなくなるんだよね。食わしてくれている人の前にずーっといるっていう(笑)あと物理的にオナニーとかできないからエロサイトが無くなるしさ、あと誰にも見られないとはいえエロサイトとかまとめサイトをリビングで見る気はしないし動画然りだよね。音漏れするからありえないわけで。


だから結果的に読書しかなくなってすげーはかどるのね。で、親が起きる時間とかもさ、家族は朝食とかとってるんだけど俺は場所移動をしてずーっと読書なんだよね。なんたってこれしかやることないんだから。で、結果的に10時間以上かなり集中して読書できたりしてさ、すんげーはかどるんだよね。普段でもまぁ3時間ぐらいは最低読むけどでもさ、24時間時間がある俺にしてみれば3時間って比率的に見ればクソじゃん?働いている人が毎日3時間読んでるなら凄いと思うけど、俺みたいな身分のやつが2時間とか3時間ってそれはないよね。もっと読めよ!って話なわけで。


だからまぁ最近本当にダメだなぁーとか思いつつその無力感が余計に虚しさをエンハンスしたりするのかもね。でもさ、それでまぁその人生が虚しいについてなんだけどさ、結局まぁクーラーがこんな時にぶっ壊れてニュージャージーに住んでた頃みたいなクソ暑さを家の中で体感したわけだけどさ、そこからまぁなんつーか朝方にさ「クーラー壊れたー・・・あっちぃー」っつってさ、で、俺以外最近は飼い犬ですらも出勤してるんで日中は俺しかいないんだよね。で、最近は時間が逆どころかもう文字通りの逆でさ、昼ぐらいに寝て夜起きてるんだよね。


で、家族は8時ぐらいにみんな帰ってくるんでそれまで寝てるみたいなさ、あ、リビングでね。家族がいたらありえない話だけどみんな出勤だからこそ許される設定だよね。ダメ男設定っつーかなんつーか。でもリビングは俺の部屋と違って風通しがいいからさ、朝方とかクーラーいらないんだよね。で、寝る前にタイマーつけて寝る感じだよね。それでも設定温度が24度とかでも結構冷えるからさ、普通にタイマーで消さないと体壊すってレベルなんだよね。ちなみにリビングのクーラーはそこまで新しくないけどんでもまぁ俺のやつに比べたら全然ハイテクやつなんだよね。で、いったん冷やしちゃうと結構冷えが継続するんだよね。だから別にずっとつけてなくてもいい感じなのね。


あ、ようは何が言いたいのか?っつーとその落差ね。当たり前に使ったものが壊れてクーラーのありがたみっていうか電力そのもののありがたみを感じずにはいられないっていうさ、クーラーつかえねぇー!って中で、リビングでさぁー寝るかぁーって時につける当社比でハイテクなクーラーから出てくる優しい風のありがたみだよね。幸せを感じてしまうよね。これって結局まぁ労働の後のビールみたいなもんだよね。何もしてないでビールばっか飲んでてもあれだけど、なんか体動かすなり労働とかしたりすると「何かをやった」っつー満足感があってさ、それでまぁビールが美味しく感じたりするじゃん?で、生きてるなぁー!って感じるみたいな。


でもまぁ例のむなしさの件で言えばなんの解決にもならないんだけどね。結局こういう落差の中で大変な後のビールとかさ、そういうところに生きてるなぁー!って感じを求めるしかないんじゃない?みたいなさ、これってまぁマゾキスティックな快楽主義だよね。これも結局はまぁむなしさがどうにかなる話ではないんだけどさ、ただでもやっぱ快感って凄いよね。涼しい部屋で寝てるっていうことの快楽を落差で感じるっていうさ、そのときには頭はもう超ハッピーになってるよね。そんだけ俺の部屋が暑くてどうしようもなかったってことなんだけどね。


で、あとさ、最近こういうサイクルもあってか抜いてなくてさ、で、いつ抜くか?っつったら寝る前っつーか昼しかないんだけど、妹がバイトがあるのか無いのか?ってのが10時ぐらいにすげー気になりだすんだよね。で、出かける準備をしてると「よっしゃー!抜けるぜぇー!」っていう喜びね。これも落差だよね。今は部屋で抜けないからさ、しょうがないからリビングで抜くっていうさ、それでも抜けることのありがたみっつーのかな?それは全部が揃ってる俺の部屋では感じられないような喜びなんだよね。そういうのを今日すげー感じたわけよ。クーラーが壊れただけなんだけどこんなにもまぁ変わるのね。ただ不便になっただけなんだけどさ、その不便さから何かが得られるっつーかまぁリビングでの読書であったりね、寝る前だけタイマーかけて使うクーラーとかさ、で、また読書に関して言えば集中できるから楽しいわけだよね。だからむなしさとかが介在する余地がないっていう。


あーオナニーしたいんだけどなぁーっとか8時ぐらいまでしかリビングで寝れないから早く寝なきゃいけないんだよね。まだ書きたいことあるんだけど。いや、んで簡単に書くとさ、人生って色んなタイプの人生があるんだよね。人によっては軸がお金でさ、いかに稼ぐか?とか使わないか?とか節約するか?に命をかけてるみたいな人とかね、あとはまぁいかにモテるか?とかチヤホヤされるか?とかさ、まぁようは着飾ったりするのが人生って人もいるわけでさ、まぁでもその先にあるのはむなしさだと言ってもこういう人達はハマってるわけだからむなしさを感じないんだよね。俺はそんなの虚し過ぎる!って思うけど本人はそれが生き甲斐みたいに自然になってるんだったらまぁある意味でもうむなしさが介在していないという意味で最強っつーかもう問題ですらないんだよね。


で、例の質問者とか俺みたいなむなしさを感じ続けてしまう人ってのは語弊があるけどやっぱりまぁ精神的な意味で抽象度のレベルが高い人生を送ってると思うんだよね。だからこそあまりにも卑近で物質的過ぎるものとかにはさっぱり何も感じないっつーか一時はあるにしてもいずれはまたむなしさがやってくるってことになるんだけどさ、これの場合はアート型の人生を送るしかないと思うんだよね。それは芸術家になるってことじゃなくてさ、人生自体を磨くみたいな話だよね。芸術とかって金のためって人もいるんだろうけど純粋芸術みたいなのってやりたいからやるわけじゃん?


で、それやって何になるの?って言っても本人にとってそれは意味がある行為だったりそれが生きるってことだったりするわけじゃん?it's own sakeってやつだよね。そのためにやるっていうさ、意味が無いってのは当たり前でさ、自明なことなんだけどむなしくはないんだよね。なぜか?っつーとそれが好きでやってたりすることであったりさ、やること自体がまぁつまりは打ち込んでる時が最高に楽しいとかさ、それでまぁ作品なり何なりって形で残るわけでしょ?


これをまぁ金にならないようなことやってどうするの?そんなのオナニーでしょ?って言う人もいるけどさ、芸術ってそもそも個人的なもんじゃん?そういう意味で人生と一緒なんだよね。だからまぁちょっと言い方が臭くなるけどさ、人生っつー作品を生涯作り上げていくみたいなね、それ自体に意味とかはないんだけど、でも人生に凝るってことはできるよね。凝った人生を送るっつーのかな?それが結局は一時一時の強度を高めていくということだし、それは俺もずーっと書いてきたことだよね。


その強度の積み重ねが悔いの無い人生を送るっていうさ、トータルで見た時に手が込んでいて魂への配慮がいっている人生っつー作品を作り出すことになるっていうさ、その為のプロセスが毎日の生活っていう考え方だよね。芸術家は作品を作っている時には必死でむなしさなんて感じてないと思うんだよね。それしかやることがないとかそれしかできない的なまぁ不器用なことがあるにせよ、とにかく人はそういうところにおいて平等だよねっつーのが全ての芸術家にとって芸術が「それしかない」事かは分からんけど、少なくとも全ての人間にとっては「生きる」ということしかないじゃん?ドロップアウトの方法は死しかないよね。


で、人の人生を人生作りみたいなさ、生きるという事に手を抜かない人生っつーか、あとは逆に手を抜きまくるんだけどそれが生き方ってこともあるじゃん?人それぞれの人生だよね。ただそれは芸術作品と一緒で完成品が良くないと納得できないよねっつーかあえて駄作を作る必要も無いっつーかさ、つまりはまぁやるかやらないか?というよりかは生きることしか与えられていないという意味で、それをやるしかない。キャンバスに何かを書くしか行動の選択肢が無いみたいなもんだよね。だったら誰だって何かしらの絵を書くと思うんだよね。そもそもキャンバスを前にして永遠と何も書かないでいるって難しいよね。それが暇つぶしだろうが芸術であろうがやっぱ何か書くしかないと思うんだよね。


で、状況としては何でそんな絵を書くしか無いような状況になっているのか?っていうさ、それは誰も分からないじゃん?何で生まれてきたのか?ってのは分からないっつーかまぁ被投性だよね。その中で何かをやっていくしかないんだけど、そこをまぁ楽しめる人ってのが結局はハッピーってことになるよね。別に良い絵を書いたり絵を書いている間に幸福感を感じてもそれ自体に究極的な意味はないじゃん?でも何もしないということもなかなかありえないしさ、いつまで続くんだ?このキャンバスライフは?とか思いつつもやめる方法が死ぬしかなかったらそれをやるしかないよね。だからそれをクソゲーみたいにならないように面白くするっていうかさ、その方法としてまぁ金儲けなり欲を満たすなりなんなりってのがあったりもすると思うんだよね。あとは思考停止的にまぁ金儲けだけが全てだみたいに考えてそれだけでやってきたみたいな人もいるんだろうけどさ、とにかくまぁ全般に対して「意味」は無いよね。本人が主観的に見出す「何か」しかないよね。


俺で言えばやっぱマッシュアップ作ってるときとかさ、ミックス作ってるときでもそうだし、良い音楽を聴いてるときとかね、あとは最近だと数学やってる時とかさ、気分の問題もあるけどノッてる時はこれが最高にハッピーなわけだよね。永遠と持続するわけじゃないけどようは心の底からハッピーになれることなんてかなり限られてるわけだ。あとはまぁ慣れだよね。何もかもが新鮮だった時期ってのは終わるわけでさ、これは感性の鈍化ではなくてただの慣れだと思うんだよね。


肯定的に言えば賢くなったってことでもあると思う。よくもまぁ昔はゲームみたいなもんに時間を費やしてたよなぁーとかって今思えるのは賢くなったってことだと思うんだよね。かといってもゲームが悪いとは思わないけど、ゲームほどむなしいもんはないじゃん?だからあんまハマらないっていうさ、まぁ相当面白いゲームなら別だけどさ、俺としては人生っつーゲームを面白くしたいことにフォーカスしたいからやっぱ逃げたくないっていうさ、そこでまぁずーっと人生やっていけるような何かを探しているっていうか、まぁそんな感じだよね。


だからまぁなんつーか人生ってのは終わりなきヴァーチャルリアリティだよね。で、たまにいきなり落ちたりするわけ。まぁ急死とか病死とか事故死とか。で、セーブできないんで終わったら終わりじゃん?だったらそのリアリティ内で何か面白い事をやるなりさ、そのリアリティを楽しめるような何かを探したり没頭したりするしか無いと思うんだよね。なんでヴァーチャルなのか?っていうのはまぁ仏教的な意味だよね。全部別にリアルでもなんでもなくてイリュージョンみたいなもんだっていうさ、でも「だからどうした?」だよね。これが自分たちのリアリティならやっぱそこで何かするしかないよね。それがバーチャルであれなんであれ。


それがようは「活動」ってことだと思うんだよね。これを命名するならずばり「リアリティのヴァーチャルさ」だよね。主観でリアリティを感じるしかないのならそこに主観というイリュージョンを作り出すインターフェースみたいなのが介在しちゃうわけじゃん?だから結局まぁそれはヴァーチャルでしか無いみたいなさ、あとはまぁセカンドライフ的なことで言えば金とか物質的なものっていうのもさ、セカンドライフの場合、現実の金に替えられたりするから話は違ってくるんだけど、まぁようはゲームの中の金だよね。ドラクエでいくら金を稼ごうがそれはゲーム内でしか使えないっていうさ、まぁゲームが終わったらそれは終わりだからね。


もっとも現実のお金の場合、あまりにこの不公平なゲームを公正なものにする活動とかさ、人類にとって有意義なお金の使い方って人によってはできるじゃん?まぁ大抵の小金持はしょうもなかったりするんだけどさ、でも「お金=意味ない」ではないよね。お金があれば解決できる事は多いけど、ただまぁ根本的な解決にはならないしさ、あと稼ぐ事自体が目的化するっつーのもおかしな話だしさ、何の為の金か?ってことだよね。これはまぁ金っつーマテリアルだから分かりやすいけど、でも結局は何にでも置き換え可能だよね。


何の為の幸福か?とか人生か?とか快楽か?とかさ、そんな意味付けいらないのかもしれないけどさ、まぁ今回の人生=アートみたいな考え方だとさ、人生の質を上げるものっていうか、まぁ人生作り自体に価値を与えるものってことだよね。クソゲースパイラルとか無理ゲースパイラルに陥ってる人とか一杯いるわけで、まぁ酷いゲームなんだけどね。それはやっぱり許せない!ってのがまぁ俺なりの正義感だよねっつーかそれはどんなにむなしかろうがさ、数学に没頭しようがあるよね。それは一生無くならないと思うんだよね。だから数学に没頭したからっつって政治がどうでもよくなるとか政治哲学がどうでもよくなるってことにはならなくてさ、やっぱそれはテーマだよね。


俺の人生が安泰だろうが幸せだろうが全然関係無い俺の中で普遍的なテーマね。不公正さってのは本当に嫌だよね。所持金同じからスタートってのは無理にしてもいつも言うように機械の平等はどんな年齢の人にでも開かれているべきじゃん?常にチャレンジできる環境であるべきっていうかさ、つまりはやっぱ全ての人にとって魅力的でいられるようなゲームのインターフェースを作る必要性だよね。自分だけ良ければいいのか?って俺は良くないもんね。自分だけ良かったらこんなに色々と悩まないし鬱とかにもならんだろうしね。


そういう意味でそれを背負うならやっぱ本質的な意味での幸福は訪れないよね。現実ってのは常に過酷だからね。俺の人生が安泰でもそれは関係無いじゃん?完全にハッピー!なんてバカにしかできない技だよね。色々と知れば知るほどデプレッシヴになるのはもう必然的だからね。ポジティヴで居るってことが難しいぐらい過酷だよね。だから何でそんなに過酷である必要があるのか?って常に思ってなきゃいけないしそこから逃げちゃいけないと思うんだよね。そんな中でもまぁ俺は俺なりのアジェンダがあるからさ、人生っつーヴァーチャルリアリティの中で数学っつーゲームを楽しんでるのかもしれないしさ、まぁ逆なんだけどね。これで言うと。そもそも人間が数学って感じているものがイリュージョンでさ、実際の数学って人間には不可知なんだよね。でもその不可知の領域にセオリーで迫るのが数学って気がするんだよね。ある意味での神への挑戦っつーか宇宙への挑戦っつーか。


そういう世界観を数学から感じられるだけでウキウキするしさ、色んな事を知りたい!って思うよね。あとはまぁ数学の単純な知的刺激とかAha!体験はやっぱ強烈だよね。何にも代え難い快楽がある。だからやり続けちゃうしちょっと躓いても戻ってきちゃうんだよね。つまりはまぁ好きってことなんだろうけどね。だから最近マジで大学とかどうでもよくなってきてるんだよね。まぁ哲学と同じパターンだな。それ自体をやることなり考える事が俺のメインテーマなんであって、それで食うとか食えないとかどうでもいい話になっちゃうっていうさ、でもまぁなんとか食っていかなきゃいけないし社会との接点を持たなきゃいけないから、やっぱ自分の得意なところでやっていくしかないよなってことになるわけだけど、これはまぁ俺が体を持ってるっつーか物理的に食っていかなきゃいけないからっていう体のニーズから来る必要性だよね。だからまぁwant toベースではないよね。


大学教授になりたいがために学問やってるわけじゃないんだから。まぁ絶対俺みたいなのが大学にいたほうがいいと思うからさ、それこそ俺が思うような変革なり変化なりを求めるならやっぱ俺が影響力のある場所なり影響を与えやすい場所にいて何かを発信し続けるってのがベストなんだよね。でもこれってまぁ矛盾でさ、本来大学ってどこでも組織的に保守的だから俺みたいなのが合わない場所なんだよね。まぁそれ言ってもしょうがないか。


ただやっぱまぁ影響を与えたり変化を与える場所として大学ってすげー良い機関なんだよね。そこが凄く魅力を感じるね。でもその前にやっぱ俺が伝えたい事っつーかまぁ俺なりの考えなり思想をある程度成熟させておく必要があるからさ、だからまぁやっぱ精進あるのみ!っていういつもの帰結になるんだけどね。なんのためにそれをやるの?ってまぁこりゃー社会的なイニシアチブがめちゃくちゃあるからさ、むなしさとはほど遠いよね。


微々たる影響でも与えられたら最強じゃん?それはネットで「影響を受けました」って人が実際いたりしてすげー嬉しいしさ、なんつーか俺が何をやれるか?っつーよりかはもっと単純なことでこんなんでいいんだぜ?っていうさ、一般的に言われているこんなことなんて噓だぜ?とかさ、まぁ脱洗脳だよね。洗脳をする教育機関に脱洗脳をする人がいるってのは絶対いいと思うんだよなっつーかそういうのがいっぱいいなきゃいけないと思うんだけどね。だからまぁ俺はその一人のエージェントだよね。俺が全部変える!とかじゃなくて少しでも何かが変えられるならやりたいからエージェントとして動きたい!って思うわけだよね。


既存の封建的な体制とかさ、日本独自の嫌な保守感ってあるじゃん?なぜか根強い保守感ね。それをぶっ壊したい!って人が少なからずいるんだなってネットを通じて分かったし、でもそんな彼らもリアルでは孤立してるっつーま周りにいるのはバカな教授とバカな学生だけだっつって大学やめちゃうとかさ、それはその人が頭が良いからが故なんだけど、そういう逸材が大学に失望しちゃうっていうこの状況が良くないよね。そういう逸材が育って大学を担っていくとか社会を担っていくみたいにならないと絶対ダメだよな。だからそういう意味で俺は秀才が大嫌いなんだよね。秀才って与えられたものをこなすことに長けてるじゃん?で、世渡りも上手かったりするんだけど、それはこうやればこんな感じで自分の地位が高くなって・・・とかっていう計算に長けてたりもしてさ、ようは保守的な体制をそのまま引き継ぎ的に担うっつーよりかはポストがあればやっていけるからさ、変革とかどうでもいいっつってまぁ穏便に何でもやるっつーかなんつーかそれがくだらない停滞する保守性を生み出すわけだよね。


そこからは本当に何も生まれないし、むしろそれは損失だと考えなきゃいけないよねっつーのがようはそういうのを分かっちゃって「くだらねぇ」ってやめちゃう本当のポテンシャルを持った若者が愛想突かしちゃうってことなんだよ。で、結果的に残るのはバカばっかになっちゃうよね。そういう悪循環なんだよな。あとは海外行っちゃうとかね。まぁ俺はそれであっちの大学でやっていこうと思ってたんだけどさ、日本に帰ってきて震災とかもあって色々と考えが変わったってのは前にも書いたよね。だからやっぱなんかすげー日本の為にやりたい!ってのがあってさ、だから大学破壊っていいんじゃないかな?って思ってるんだよね。


それはテロとかじゃなくてね、武力とかじゃなくて知力のテロリズムだね。保守的な老害とかをどんどん追い出すっていうさ、そういう知的テロをやるやつがそこにいるだけで凄まじいカンフル剤みたいになるみたいなさ、まぁそれは学科っつーか業界にもよるんだろうけど、でもそれは日本に限らずどこにもそういうやつはいなきゃいけないよね。で、割とそういうやつにウェルカムなのがアメリカの大学なんだよね。ちょっと面白かったり奇抜なやつのほうが面白い事をやったり能力値が偏ってる天才タイプだったりするかもしれないんで「もしかしたら!」っていうのに賭けるっていうか、そういう人材を大事にするって感じがある気がするね。


なんか話がズレてるけどさ、まぁ少なくともこうやって社会の事とか変革のことを考えている時はむなしさなんて感じないよね。それは必要なことだしリアルタイムに人材が失われていたり負け犬のレッテルを貼られたりしているとかさ、そういうのって許せないじゃん?放置できないよね。あとはまぁ凡人のマインドセットだよねっつっても最近まとめサイトとか見ると俺と同じようなことを言ってるやつとかが結構いたりして「結構やっぱ変わってきてるのかな?」とかは思ったりするけどね。特にブラック企業批判とか内部告発的なのとか結構あるじゃん?ああいうのもっとどんどんやってほしいと思うよね。ちゃんとしたやつが切実にブラック企業にいる辛さを語ってたりさ、それってすげー有意義なんだよね。


そいつは大変だけど色々と書いているということでの影響って凄いからね。そこで「なんちゅー企業だ!」とか「なんでこんなのが放置なんだ!」って怒る人達が増えるじゃん?昔の人だと「会社なんてそんなもんだよ」とかって言うんだけどさ、そういうやつらに「お前バカか?」って言える若い人達っていうか若い感覚だよね。脱イデオロギーが凄く浸透してるなって思ってて、まぁまとめサイトだけじゃないんだけど、色々と見てると俺は若い世代に凄く期待が持てるんだよね。


別にウォール伝見たから「社会人って何なの?」とかじゃなくて自発的に「何なのこの概念?」って思える人達が結構いるんだよね。これは本当に心強いよね。奴隷体質なやつらはもう無理だから諦めて、やっぱ期待できるのはこういうフリーターとか疑問を抱いている学生とかだよね。社会的にはマイノリティとかさ、下手すれば負け犬のレッテルを貼られたりしているかもしれないけど、一番今後の社会を担う上で必要な人達が彼らなんだよね。まぁこの「彼ら」って抽象的過ぎるんだけどさ、でもまぁ言いたいこと分かるでしょ?


国がダメでもさ、こういう人達がいるなら望みはあるよね。逆に国は大丈夫でも奴隷みたいな連中しかいかなかったらそれこそが終わりなわけでさ、そうじゃないから日本大丈夫でしょって気がするんだよね。彼らが中心に国が動いていけば絶対いい世の中になる!ってのは言い過ぎだけどちょっとはマシな社会が出来上がる気がするんだよね。それは個々のマインドセットなのよ。経済とかシステムとかさ、そういうことはマインドセットの後についてくるわけよ。所産としてシステムが出来上がるわけでさ、脳化社会じゃないけど社会って人間の脳の現前みたいなもんだからさ、個々のマインドが変わっていけば社会は変わらざるを得なくなると思うんだよね。


どうせ老害みたいな連中はそろそろ死ぬんだしさ、若い人達の役目はいかにああいうやつらの引き継ぎをしないか?ってことだよね。やっとクソみたいな爺が引退したおかげでちゃんとした組織的インフラが組めるようになるとかさ、ああいうやつらがいなくなるベネフィットってあるわけで、それを最大限に活用するために準備をしておく必要があるよね。それでもそういうやつらの派閥とか太鼓持ちみたいなやつらは若い奴らで絶対いるからそこはもうantagonisticにやっていくしかないよね。でも老害太鼓持ちなら劣化したオリジナルみたいなもんだから打倒は簡単だと思うんだけどね。そういうやつらにまぁ権力を持たせちゃいけないんだよね。そいつらが重要なポストに就いたりしちゃいけないわけで、まぁなんとかしてそれだけは阻止しないとねって感じだよね。そんなことでやっぱ俺らは糞爺糞婆支配の時代を終わらせなきゃいけない。


ってかなり書いてて熱くなっちゃったな。いや、体温じゃなくてテンションが。そんだけやるせなすな感じの怒りがあるんだよね。知力のテロリズムって気に入っちゃったなぁー。そのために知力を鍛えておくみたいなさ、まぁそのためだけじゃないんだけど、知を鍛えておけばそういう時に役に立ちますよっていうことだよね。国家規模とかじゃないところだったら知力のテロリズムでダメなものをどんどん破壊していくって本当に必要だと思うよね。たまには過激な粛清も必要かもね。そこはもうしょうがないんだよ。綺麗ごとばっか言ってられないわけで。dirty handsだよね。


宮台真司が一時期「ダサい知識人達」を論破したりして腐った論壇を破壊するっつーかダメなやつらを引きずり降ろすってのをやってた時期があったけど、具体例で言うとあれが俺の言う知力のテロリズムに近いよね。まぁあんだけ頭が切れて知識がなきゃできないことなんで敷居は高いけどさ、でもやる価値はあるでしょ?あそこまでにならなくたって知力のテロを行使できるエージェントがいっぱいいればそれに超した事はないわけで。


とにかくまぁ知の鍛錬は色んな意味で必要なわけよ。頭なんて使わないとすぐダメになるからね。まぁ今日はそんな感じですね。