ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

人生がむなしいです。その8。

むなしさってのが一種の気づきなのは間違いないよね。そこに現前している心的現象としてのむなしさというかさ、それは常に現象しているのか、前に書いたように身体化されているのは分からないけど、結局はawarenessなんだと思う。awarenessの精度が高い人は恐らく文化とか関係無くむなしさってのに気がつくと思うんだよね。宗教はそれを救うよね。


それだけじゃないけど元々意味が無い人生ってものにフルな感じで意味を与えてくれるから便利な物語機構だよね。それは信じるというよりかは思い込むっていう主観的な妄想の世界でさ、もちろんむなしさってのもその一種である可能性はあるけど、逆にここまで何かしらの形で人が感じたりさ、少なからずそのむなしさを埋める宗教ってのがあったりね、あ、何回も書くように宗教ってのがむなしさを埋めるためだけにあるんじゃないし、それは人それぞれだからいいんだけどさ、ただやぱこの重い実存ってのを神なり物語なりに従属させることで重さを緩和させるとかさ、重さを神に託すなり試練だと思うなりさ、意味論的なものが与える安らぎってのは凄いよね。


最初から宗教なりなんなりを教え込めばそもそもむなしさが介在する余地がないっていうかさ、教育としての宗教ってのもあるよね。それは一概に悪とは言えなくてさ、宗教があるからこそ無意味に耐えられるというかさ、まぁ無意味っていう意味を無くすことができるっていうかさ、全てを意味に変えられるじゃん?全てが神に従属する記号みたいになるっていうかさ、まぁ意味するものとしてはそういうことだよね。で、全くそういうものがない無意味な世界っていうね、それはニヒリズムとかではなくて客観性としての無意味さだよね。


それに耐えられないのが実存ってもんなんだと思うんだよね。だからそれを埋めるために体を動かしたりさ、あとは必要性っていうものに動かされて考えるということを介在させないとかね、まぁようは動物化させるってことだよね。むしろ認識が介在せずに動物的に生きたほうが気が楽だっていう。あとは認識が介在しているけど方法論的に動物みたいになるっていうのもあるよね。でも思うにいったんこの深いむなしさを知ってしまうとさ、なかなか立ち直れないっていうか克服できるようなもんじゃないよね。今まで気がつかなかったけどありましたっていうことだからさ、つまりはそれが気づきだってことなのね。


もしくはまぁなんつーか今までは意味があるとされていたものが色々と知ることによって虚構だって分かっちゃったりね、すげーくだらないとかさ、パラダイムシフトが起こるってことだよね。でもそれはまぁ認識的に言えば前進だと思うよね。でもまぁそれは同時に重さとか意味がないことによる辛さってのを引き受けることになるじゃん?それに耐えられないのが目に見えているから騙されていたほうがマシだっていうか、まぁダマされるって言い方は悪いけどさ、まぁ色んな物語を信じるっていうね、信じるものは救われるってこういうことだよね。ようはただの心の持ち様みたいなところがあって。


で、俺の場合は方法論的に不可能そうなことを強く願って成就させるっていう客観的に見れば愚かな勘違いを愚直なまでに信じ込んで実行するっていうさ、それは完全に諦める人生の可能性がゼロパーセントなら、勘違い人生はそれよりかは幾分多いでしょ。で、勝てば官軍でどんな形であれ近い形で成就しちゃえば成功話になっちゃうんだよね。終わりが意味を規定するみたいな。意味が先行してるんじゃないんだよね。結果的に意味がついてくる感じね。で、それを与えるのは自分しかいないわけ。俺はまぁ正直、ニューヨークから帰ってきて色々と神話が崩壊して以前みたいなパワーが無くなってる気はするけどさ、でもまぁ今は今なりに色々とやってるなぁーとは思うよね。そんなに停滞はしてないよね。思ったよりかは。


んでも望むって言ってもさ、夢とかって無知が故に抱けるってのはあるじゃん?今はネットで調べると色んな情報が出てきてさ、で、自分で思ってたような道は意外と楽しくないっつーか辛いだけとかさ、まぁそれは入ってから気がつくよりかはいいんだけど、全てとは言わないけど情報収集で分かることが多くなると、そもそもコミットの価値がありそうなものってのに能動性を持ち辛いっていうかさ、ようは幻想が抱けないんだよね。勝手に思い込んでいたり期待していたことが色んな情報で分かっちゃうわけじゃん?実態が。で、そんなの最悪やなぁーっていうことになってさ、ようはコミットする前からリスク回避がしやすくなっている結果、何もリスクを取らないということが最大のリスク防止ってことになって結局引き蘢りみたいになっちゃう人もいると思うんだよね。


かつてはこういうこんな感じのプロセスで進んでいって最終的にはこうなる・・・みたいなビジョンがさ、時代もあってそう思って何かに進んだ人が結果的にフリーターみたいになってるとかさ、そういうのって結構あるっていうか生々しい情報として入ってくるよね。いやさ、アカポスを得る大変さってのが大変だとは思ってたけど予想以上なんだよね。研究生活送りたいならやっぱニートが一番ってことになっちゃうんだよなぁー。ニートっつーかまぁ引き蘢りか。アカポス得ても雑用とか凄まじいらしいからね。


金銭的に余裕があれば貴族みたいな感じで学校に行けると思うんだけど、今は人生かかっとるからね。で、大学出たところでそんなに状況は変わらないかもしれないっていう確立が高いっていうか、ポスドク問題とかって調べれば調べるほど鬱になるぐらいヒドいんだよねぇー。あ、むなしさの話からだいぶ逸れたけどさ、なんかあまりに何もかもが職に結びつかない感じがして、どう学問と仕事ってのを両立させていけるのかが分からなくなってるよね。ホントに。


でも数学って職業とか関係無しにやっていくと思うよね。ジャンルにもよるけどさ、なんかでも数論がイマイチダメみたいなんだよねぇ。イマイチ面白さが掴めないっていうかさ、で、好きなのが解析学と位相と確率論なんだよね。無限が関わってくるやつと連続性の話とか集合論系のやつがすんげー好きみたいで。ところで数学者って全部の分野について知ってるわけじゃないよね?どれもそこそこ出来るもんなんだろうか?ってーのは思うよね。組み合わせ論とか問題見ただけで頭がおかしくなりそうだけど、高度な偏微分の研究やってるとか。あとあれだ、代数はもっとちゃんとやりたいんだよね。うん。体とか群とか環ね。


っつーかもう寝るわ。今日は色々と考えすぎてかなり疲れたんで。