ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

超長い雑談。

いや、何気に思ったんだけどさ、「学ぶ」ってことって何の前提もなしに良いこととされるじゃん?基本的に学校に行くのは良いことだとか勉強熱心なのは良いことだとかさ、まぁ俺の場合、ただの道楽とか怠けにしか見えないんだろうけど、「勉強熱心」と見られていたらまぁかなり気が楽だなと。


で、思うにこの世間的な「勉強」ってやっぱ実利ありきって気がするよね。学歴のためだとか資格のためだとか、まぁ基本的には立身出世的なさ、そういう目的の元で行われる学ぶという行為が良いとされるのは結局はなんつーか労働を美徳とするようなイデオロギーと結びつくんだよね。何の為の勉強か?っていうと労働のためだったり賃金のためだったりさ、社会的地位だとかなんだとかさ、んでも勉強というか研究そのものが目的みたいなものって一般的に嫌厭されるような気がするんだよねってまぁそうでもないか。社会的地位があるという元でやってる研究だと良くて在野だと好きな事しかやってないっていうさ、そこに賃金なり組織への帰属なりってのが無いと評価されないってのはつまりはやっぱり労働に美徳が置かれているからだよね。


いつも書くことだけどさ、同じ事を家でやってても大学に通ってるとなんつーか「いってらっしゃい」とか「お疲れさま」とかって言われるのってなんつーか身体性だよね。行って帰って来るっていうなんつーか「通学」という行為が評価されるっつーか、まぁあとは学校に行っているっていうイメージだよね。


独学のやつが家で籠ったら変人扱いだもんな。実際は学校行ってる大半のやつより家に籠ってそればっかやってるやつのほうが勉強時間とか長いのにね。バイトしながら通学に1時間半とかかけている学生が半年ぐらいかかりそうなものを一ヶ月ぐらいでやっちゃうみたいなさ、それって凄いことだと思うんだけど組織に帰属してないからなんかダメってイメージ無い?思えば今の俺もこのイメージの濫用だもんな。自分でできると分かった数学でも一応は進学するっていう名目でやっているし、それでやっていくみたいな理由でまぁなんつーか入学待ちみたいな状態でいられるわけだよね。


まぁこないだ「全然ポストが無くて食っていけないらしい」って親に言っちゃったんだけどさ、でも俺はポストのために数学をやるわけじゃないし、んでもやっぱ一般的なさ、「どうしていくの?」的な質問に答えられるのが「進学する」だとかさ、「アカポスを見つける」みたいなことになるっていうかさ、で、親とかは今の大学状況とか知らないから「そうなんだ」的な感じで思うじゃん?まぁ少なくともニートでいるよりかはいいっつーかさ、ようは社会に出るなり何かの職に就く為って言う目的があればいいっていうさ、でもこれこそがまさしくイメージなんだよねぇー。勉学を労働とすれば俺は24時間無休の労働者だよね。っつってもまぁそこまでやってないけどでもまぁ労働基準法を違反することはよくあるよね。


いやさ、なんでもなんか労働に結びつくんだよねぇー。やってる感っつーかなんつーか。そういう意味でのなんつーか勤勉さみたいなのを植え付けるイデオロギーに学びは良いことだみたいなさ、スローガンが使われることってなきにしもあらずっていうかそういう要素はあるよね。恐らく。良い労働者とか社会人になるために勉強するっていうさ、最終的にはお国のため的なさ、あとは労働だとかね、そういうのにテロスがある感じだよね。エロスとはほど遠いよなぁーそれって。


本来エロスによって希求されるような知識欲ってまぁ質の低い言い方をすれば性欲みたいなもんでさ、「あいつとヤリたい」とかさ、「明石さんみたいな人がいたらリアルに付き合いたい」とかさ、基本的にはwant toベースだよね。もっとも岸田秀なんかは人間はこのwant toベースみたいなもんが壊れているからwant toベースでやれることを作らなきゃいけないみたいなことを言ってたけどさ、まぁそりゃある意味言えてるとは思うけど、つまりはでも動物的にやるってことだよね。理性がそうさせるのではなくて、かなりプリミティブな「知りたい!」って衝動がそれに向かわせるみたいなさ、そういう意味でリビドーみたいなもんだよね。ユングが解釈するところのリビドーは性的なものだけじゃないから、つまりはこのエロスはリビドーそのものを喚起するものって言えなくもないよね。


で、これってのは労働とはほど遠いもんだよね。まぁね、理想的なことを言えば趣味と実益みたいなもんでさ、好きな事で食えるようになれば一番いいじゃん?まぁ一方で本当に好きな事は仕事にしちゃいけないつーけど、それは好きな事を強引に仕事にしてる場合でさ、好きな事が仕事になっちゃってる人はそんなことないよね。リビドーがそのまま実益に重なるっていう最強構造だよね。んでも一般的って言い方はなんかさ、自分を棚に上げてるみたいでっつーかいつもそうだけどさ、まぁそれはいいか。いやね、その通念としての「お勉強」の良さってのはやっぱそういうリビドーじゃなくて努力的なもんだよね。頑張る!的なもんでさ、勤労が美徳とされている世の中ではそのまま勉学も勤労の象徴として美徳とされるんだよね。儒教の影響なのかなんなのか分からんけどさ、二宮尊徳とかが一般的に解釈されているのもそういう感じだよね。実際は合理的な資本主義の人として凄いっつー理由なんだけど、勤労を美徳とするような通念からは薪を背負って読書だとかさ、その勤勉さが美徳として評価されるみたいな感じだよね。


いや、別にニートを正当化するつもりはないんだけどさ、ニートにはバカなやつもいるけど賢いやつもいると思うんだよね。それこそ超合理的なやつが。それこそ普通に労働したってたいした金が入ってこないし、無駄に時間と体力が削がれるだけっつーんでニートでいるみたいなさ、問題はニートでいるということが合理的な選択になっちゃうっつーシステムだよね。労働環境が酷過ぎて働くイニシアチブが無くなったらそりゃ誰も働かなくなるよね。


それこそ親の遺産とかで食えるような人はイニシアチブがない限り働かないと思うんだよね。いや、それが膨大な額じゃなくてもさ、皮算用的に考えればなんとかいけるってなっちゃったらアウトだよね。だからこそ常にキャリアへの道って開かれてなきゃいけないんだよね。年齢とか学歴とか関係無しに。一回落ちちゃったらダメとかっつーんだったら合理性からニートになるやつが増えるのは当然だよね。で、いつも書くけどさ、所謂ニートらしいニートってそんなに多くないんだよね。何かでも見たけどさ、思うに一般的なニートのイメージに合うようなニートって昔からいた類のニートなんだよね。基本的にゴロゴロしてばっかりいる怠け者ってどこにでもいるじゃん?それって別に普遍性があることだし変わらないと思うんだよね。


ニートが増えてる国って大抵経済的にダメになってたりさ、就職が大変だったりとか余裕が無い社会じゃん?で、まぁんでもね、スケープゴートとしてニートが攻撃相手にされてるってのがよく言われるけどこれは本当にそうだよなって思うよね。格好の的なんだよね。だからやたらニート批判するやつって分かってねぇーなぁーって思うんだよね。あとはまぁ実家暮らしでさ、小遣いぐらいあればいいからっつーんで月10日ぐらい働くとかさ、こういうのって普通に主婦とかでも多いと思うんだよね。それにしても家事手伝いって言葉ってのは本当に女性を保護する強い言葉だよねぇー。ニートと言えば坊主頭の男っていうのって本当にメディアのねつ造じゃん?実際はニートって女性のほうが多いのにねぇ。


かといってもね、イニシアチブが発生するぐらいやり甲斐のある仕事とかさ、やりたい!って思わせるような仕事をインフラとして配備しろなんて思わないわけよ。もう単純に世界的に労働力が以前と比べてあんま必要とされてないわけでさ、それこそ必要なのって雑用をやる奴隷かあとはもう高級なことをやるエリートだけって感じだよね。まぁそれは言い過ぎだけどでもワーキングプアって言葉を作ったイギリスの学者だかライターだかが昔からそういうサービス業と弁護士とか医者みたいな高級な仕事に二極化するだろうみたいなことを言ってたけど本当にそうだよね。話は飛ぶけど俺が数学に感じているのもこれだよね。昔ほどの余裕がないからもう本当の天才とかエリートぐらいしか求められてない感じがするんだよね。そういう意味で異様にレベルと倍率が上がっちゃってるっていう。


んでもアメリカとかって厳しいながらも一応年齢差別とかないしさ、いつでも開かれているっていう感じとか労働力の流動性があるから基本的にドロップアウターとかでも大学に行きなおす人が多いんだよね。30過ぎとかも普通に多いし。40過ぎのおっさんとかも普通にいるからね。それはなんでか?っつーと単純に学歴を取ればキャリアが上がるっつーかもっとまともな職に就ける可能性があるからだよね。そういうイニシアチブがあるからチャレンジできるっていうかさ、それってすげー重要だよね。日本の場合、それがないから20代前半とかでもさ、高卒でちょっと空白があるってだけで勝手にもう自分はダメだとか負け組だとかって思い込んじゃってる人が多いよね。


基本的にんでも体力はともかく頭脳で言えば40ぐらいまでなら何にでもチャレンジできると思うんだよね。本格的に衰えてくるのって50代ぐらいからだと思うわけ。ちなみに俺もいい歳になっちゃったけど衰えは一切感じないよね。それどころか色々と読んでいることでパラダイムが増えてるんで色んな事が以前より広い視野で理解できるようになってるっつーのかな?そりゃーまぁ語学だとかさ、幼少期にアメリカに長くいるとネイティブみたいに話せるようになるみたいな、そういうクリティカルエイジとかはとっくに超してるしさ、それはまぁ幼少期からやってなきゃいけないみたいなまぁピアノだとか楽器だとかさ、そういうのはまぁさすがに不可避っつーかあるだろうなって思うけど知識とか学ぶってことに関しては全然余裕だよね。それって結局普段から頭を使ってるかいないか?って話だと思うんだよね。普段から頭毎日使ってて睡眠が十分にとれてれば一生現役でいられると思うんだけどね。脳なんて筋肉みたいなもんなんだから。


そういう意味での筋力としての脳っていうかさ、それを増強する為の学びならなんつーかアプリオリに良いとされててもいい気がするんだよね。筋トレとかスポーツが基本的に体に良いのと一緒で何かを学ぶとか頭を動かすって脳に良いしそれこそボケ防止だとかさ、脳の老化防止とかに役立つわけでしょ?でもやっぱねぇーあれですよね、最初に書いたようなさ、労働的なものに繋がるものとしての勉強っていうさ、あのはちまき巻いちゃう感じね。予備校的な感じっつーかさ、ああいうのってもういらないと思うんだよね。ホントに。やりたいやつは勝手にやればいいしやりたくないやつはやりたいことだけやればいいと思うんだよね。んでももう子供の頃から将来がなんだっつってもう大学良いところを目指すとかさ、そもそもこれがイデオロギーなんだよね。すでに奴隷育成になっちゃってるっていう。


いきなり量子力学に興味を持つとかさ、素粒子論とかガチでやろうとするやつなんて勝手に本とか読み始めると思うんだよね。中学とか高校のときとかにね。だからそんなやつ放っておいても勝手にそれを極めようとするじゃん?で、勝手に学者になっちゃうんだよね。んでもやっぱさ、なんかの営業なりサービス業なりさ、なんでもいいんだけど、一応大学っていう基準があるからさ、そのために古文やるだとか歴史やるだとか物理やるだとかさ、おかしいよね。本当に。なんつーか学科としての学問って本当にやめてほしいって思うんだよね。


俺が一番いいと思うのはまぁ何でもアメリカになっちゃうけどさ、むしろ社会人の為に開かれてるような大学だよね。10代は遊び倒してたとかさ、暴走族だったとかクラブ通いしてたとかさ、んでもバイトでやってきたけど20代中盤ぐらいになって生物学に興味を持ち始めたとかさ、社会学でもなんでもいいんだけど、そういう本当の意味での学問に目覚めた人がやり直すって感覚じゃなくてピチピチの高校生が進学する感じで大学に行ける感じっつーのかな?で、年齢とか関係無く全然頑張ればその道でキャリアがあるみたいなさ、まぁそれは俺がこういう歳になって余計に思うようになったよね。まぁそれは俺がどうこうって話じゃなくて一般的にって話ね。アメリカだったら俺ぐらいの年齢で大学に行くとか普通なのに日本だとやっぱ異様な感じがあるんだよね。あと激しい年齢差別があるからもう無理的な空気があるっつーか。


実際の競争率は高くてもさ、開かれてるってだけでイニシアチブって全然違うと思うんだよね。ようは競る段階になって年齢とか学歴が問題なんじゃなくて本人の実力やら実積が問題になって他と競ることができるっていうさ、高校からストレートのやつが明らかに有利っていう中では完全に大人が不利だもんね。実際は大人のほうがいいと思うんだけどね。そこそこ年齢いってからの学問への目覚めってガチだと思うんだよね。それこそ遊び倒して遊びに飽きたってやつならなおさら没頭すると思うんだよね。10代後半なんて遊ぶ時期じゃん?そういう時期に勉強ばっかとかさ、将来のポストを気にするとかって異様だよね。遊び倒して遊びに飽きる時期だと思うんだよね。


逆にそれやっておけば大人になってから遊びに夢中になってダメになっちゃうみたいなことが無くなるじゃん?いや、無くなるとまでは言わんけどさ、例えば無茶な飲酒はしないとかね、タバコはもうやめてるとかさ、ドラッグもやらないとかさ、それって大人がそういうのを経験したからこそ回避できるもんだと思うんだよね。だからこそ遊ぶ理由ってのが無いっつー大人が大学行けばそりゃ学ぶ目的でしょっていうさ、そういう意味でなんつーか社会人って言い方嫌だけど高校生じゃないね、20代過ぎた人の入学ってもっと推奨されるべきっつーか待遇されるべきっつーかさ、20代前半とかで「もっと勉強しておけばよかったなぁー」とかって言うのっておかしいじゃん?


全然やり直せる歳だしさ、進学コースにいないからっつーんでも試験が割と楽で面接とか入学動機を聞かれるようなエッセイとかに入試の比率がおかれるようなさ、それは一流大学が用意しなきゃいけないもんだよね。まぁ確かに学力低下とかに繋がるかもしれないけどこれっておかしいのがさ、低下っつってもそいつは落とせばいいわけじゃん?有名校に入ったはいいけど全然成績がダメとか地頭が足りなさ過ぎるとかだったら単位とれなくすればいいんだよね。単位あげちゃうからダメなんだよな。


一定の学力がないと留年するってことにすれば別に学力低下なんて実質起こらないんじゃね?って思うんだけどね。だってそこの大学が決めている基準に満たない場合、成績すらつかないわけだから学力として扱われないじゃん?数値に影響が出ないんだよね。満たないやつとかにもD評価とかで単位あげちゃうから激しく学力が下がるんであって。だから下げてるのは単位を簡単にあげちゃう大学なんだよね。一般的な学力が下がってるならさ、早慶とかマーチを卒業できる学生が少なくなったってことになるわけで大学自体の学力低下ってことにはならないと思うんだよね。まぁ先生の質とかが下がってれば別だけど。


んーでもそうなるとアレだよなぁー、今ってさ、誰にでも学問に求めればアクセスできるようになってるじゃん?それこそ昔は貴族だとか特権階級にしかアクセス権がなかったような高尚な知識に関して誰でもアクセスできるようになってるっていうさ、んでも大学側は経営の事があってそんなに人は雇えないってことで少数精鋭になるっつーかエリートにしかポストはないですよっていうさ、いや、数学に限らずね、そうなると時代が逆行するというと変だけど結局は昔みたいになっちゃうよね。


中途半端なやつは趣味で済ませておけっていうさ、研究者としての道が開かれてないっていうさ、東大か京大以外いらないみたいなね、それってアメリカで言えばアイビーリーグ以外学問やる資格なし!みたいなことなんであってさ、んでも一概にそれは大学を批判もできないよねっつーのはこんな状況ならそうなるのはしょうがないって気がするもんね。んでもだからこそ結局は学問なんてものは一部の人にしか開かれていないエリートの世界なんだっていうさ、エリートっていうと語弊があるか。あとはまぁ天才タイプね。化学だけ異様にできるみたいなやつね。


あとは有閑階級か。俺は実家は金持ちじゃなくなったけど有閑スタイルだけは換骨奪胎されて残ってる感じだからさ、あとはまぁなんつーかエリート以外はそれだけしかできないようなやつとか実家がサポートしてくれるんでたいした才能が無くても続けられるみたいなやつに限るってことになるよね。つまりはまぁ大半の人には無理ってことになるよね。それでいいのかなぁ?でもそうなるとマジで文学部とかさ、応用とかじゃない物理学科とか数学科とかさ、それこそ学者になるぐらいしか道が無いような学部の存在意義が無くなるよね。ああいうのって一般人にも開かれているから価値があるんであってさ、一部の特権階級か有閑階級か天才か秀才にしか開かれていない世界なんだったら日本で言えば最低ラインが早慶ぐらいだよね。デフォで東大か京大ってことになって本当に一般人には縁がない話になるよね。でもまぁそうなりつつある感じがするよね。


学部でやった内容と職業が全然関係無いっていうさ、ただでも大学の名前だけで就職先が受け入れてくれるみたいなのって結局はなんつーかそのね、その人のやる気っつーか何かに取り組む力とか取り組んで結果を出す力ってのを学問っつーかまぁ学科っつー道具を利用して評価してるに過ぎないよね。それこそシュトレーバー的に努力してどの学科でも良い成績を修めるってことがなんつーか勤勉っつーかさ、あとはまぁそこそこの地頭の持ち主だって誇示もできるし、いや、むしろそれが酷いのがアメリカの大学って気がしたんだよね。Bになりそうだからドロップしてさ、Aになるまで成績を残さないで何回もそのコースをやり直すっていうさ、あとは課外活動としてのボランティアとかさ、ぜーんぶ就職のためって感じがするもんね。その露骨さが凄かった気がするよね。


何気にシュトレーバーがすげー多いの。まぁコミカレしか行ってないしコミカレが地から這い上がるシュトレーバー達の巣窟だと言えばそれまでなんだけど、でも色々と読む限りでは割と一般的に言えるみたいだよね。たまにファインマンみたいにできるのとできないのの差があり過ぎて学部で苦労するってやつはいるみたいだけど、まぁそれはどこにでもいるよね。でもアメリカはそういう異端者をピックアップするのが上手いんだよねぇー。普通よりかはちょっと偏った変人のほうが目立つっつーかまぁアピールできるっていうかさ、そういう意味だとアメリカってやっぱ俺向きなんだよなぁー。


エキセントリックさと偏りではダントツだもんな。絶対俺のことを気に入るプロフェッサーがいるだろうなって異様な自信があったもんね。実際色んな先生に気に入られてたし目立ってたからね。嫌われる場合極端に嫌われるんだが。だからこそ数学選べたんだと思うしっつーか学問の道を選べたんだと思うんだよね。今はそれが無くなっちゃって、やっぱ日本か?と考えると本当に詰んでる状況なんだよねぇー。日本にいたい気持ちは昔よりかはあるし、アメリカへの憧れも無くなったんで場所はどうでもいいんだけど、ただなかなか将来性が日本だと無いよなぁーって現実的に思っちゃうよね。


数学に関して「俺ってやっぱダメなのか?」とかって考えるようになっちゃったのも無意識にデフォが東大大学院レベルっていう射程ができちゃってるからってのもあるんだよね。事実はどうあれ自分は現状をこのように分析していてそれと照らし合わせるとましてや数学の世界なんて秀才ですら食えないような状況らしいからさ、そこはやっぱ現実的に受け止めなきゃいけないじゃん?数学者になりたい!なんて言ってられないよね。それでもまぁ数学の勉強は続けるけどね。まぁ全部じゃないけど楽しいからね。っつーかでもあんま数に関しては得意じゃないんだろうなって思ったよね。最近。


数論とかホントダメなんだよね。んでも解析とか確率とか位相とかは得意っていうと言い過ぎだけどいつも書くようにビジュアル系の数学は手に取るように分かるんだよねっつってもまぁそれは言い過ぎかな。でもまぁ実際手にとったような感覚がある数学のジャンルはめっちゃ限られてるよね。それで言うとうちの親父がそうだったんだよね。数学と物理と化学だけ異様に出来た人でさ、で、まぁビジュアルが浮かぶっつーんだよね。なんだ遺伝かと思って。最近は俺のこのもしかしたら?の数学の才能だと思ってたのが親父譲りのもんだと分かった気がしたんだよね。すげー勉強できるやつから「勉強法教えてくれ」なんて言われてたらしくて、偏り方が学生時代のたけしに似てるんだよね。あの一部分だけ異様にできる感じね。でもまぁ親父ってそんなに別に全体的に頭が良いわけじゃないからね。そりゃ一般的なおっさんから比べれば全然頭は良いけど学者でやっていけるほどではないわけね。


だから遺伝で考えるとそんなにたいした事ない感じはしてきたね。所謂ただの偏り型なんだってのが分かった気がするんだよね。そうじゃない!って思いたいんだけどビジュアル系の数学ばっか好きでさ、数論とかが全然ダメなのも本当に親父に似てるんだよね。親父も計算自体はそこまで得意じゃないし算術的なのはむしろ苦手だったっつってたからね。まぁ逆を言えば理系の血はひいてなくもなかったと肯定的に捉えることはできるよね。逆になんで一気に位相とか確率論とか解析までいっちゃうのか?っていう偏りも分かったしね。


あとはまぁ集合論とか無限系のやつね。構造的という意味だと抽象代数なんかも数論に比べたらかなり分かりやすい気はするよね。数論は実数論とかは好きなんだけど整数論とかが全然ダメなんだよね。あんま苦手意識持たないほうがいいしもっと取り組んでからやればいいんだけどさ、なんかやっぱ得意なのばっかやりたくなっちゃうじゃん?だからもうかなり偏ってきてるんだよね。逆にその偏りがエクストリームなレベルだったらいいんだけどよくいるレベルだったらまぁダメだろうな。そこまで地頭良いわけじゃないし。


まぁでも完全に向いてないってことじゃないから絶望するのは早いよね。いやさ、で、数学ネタなんだけど自分の中で解析と確率論が完全に繋がったのがコルモゴロフの「確率論の基礎概念」なんだよね。確率論って基礎は数学できなくても1からできるじゃん?そういう意味で集合論とかと似てるんだよね。でも解析とかと混ざるようになるとある程度の微積の知識が必要になるから分からなくなるじゃん?まぁ俺は分からなかったんだよね。1年前ぐらいに確立をやるつもりで買ったこの本が途中からさっぱり分からなくなったのも微積が分からなかったからなんだけど、今はある程度掴めるようになってるから以前分からなかったことが手に取るように分かるようになって、ましてや無限次元とかが出てきてさ、自分の中の好きなジャンルが凝縮されたように感じるんだよね。


なんかすげー手応えがあるっつーかなんつーか。っつっても相変わらず憧れは数論にあるんだけど本当に俺は計算が嫌いだからダメっぽいね。どことどこ以内に数値の存在が確認できるとかそういうのが好きで値の計算とかは全然ダメなんだよね。高校数学ってそういうのが多いから受験数学とかも全然ダメなんだよね。正直さっぱり受かる気がしない。まぁ対策してないってのもあるけど、高校数学の本は色々買ったけどやっぱつまらんのよね。あまりに低次元でやってることがくだらないっていうかさ、しかも数学っつージャンルをやる上でなんであんなに日本の高校数学みたいな恣意的な線引きをして大学受験の準備をしなきゃいけないのかさっぱり分からんよね。基礎定理だって大学レベルの数学で学んだほうが理解しやすい高校レベルの数学っていっぱいあるじゃん?むしろ微積分なんて大学に入ってから解析としてもっと厳密にやるわけでしょ?


でもさ、人によっては最初から解析学的なところから入ったほうが理解できる人っていると思うんだよね。逆に変なリミテーションがかかってる高校数学としての微積分が苦手って人も結構いると思うし、煩雑な計算が多過ぎるでしょ?時間内にやらなきゃいけないみたいな技術的な面が多過ぎるしさ、まぁ基礎体力としての計算力を否定はしないけどさ、でも別にそんな手で計算しなくたってさ、それこそアメリカの試験みたいにテキサスの電卓で計算可とかでいいと思うんだよね。なんでそんな計算で時間を取らせて点を取らせ辛くしてるのかさっぱり分からんね。東大の数学の試験とかそんな感じだよね。クソみたいに煩雑でエリートのイメージとはほど遠いB級の学校の試験みたいな感じがするもんね。で、すげー数学的だな!って思ったのが東工大のAO数学試験ね。


まぁギャンブル性が強過ぎるけど、まさしくthinkingが必要とされるような問題ばかりでっつっても問題数が少ないんだけどさ、でも数学の問題ってそうだと思うんだよね。解けなかったら0点みたいなもんだと思うのね。途中までできて部分点がどうのとかってアホみたいな次元でしょ?完全に数学でやっていく気ゼロだよね。厳密な証明の学としての数学で部分点で点数を稼ぐとかアホだよね。下らなさ過ぎるよね。だから受験って全般やめたほうがいいと思うんだよね。ホント、中国の科挙と同じようなもんだから。数学に関しても東工大のAOとかみたいにしちゃってギャンブル性を高くして数学への道を無駄に閉ざすってのも建設的じゃないよね。一芸試験としてはアリだけどデフォでは無いよね。


おかしいんだよね。そもそも。あんなややこしいだけの煩雑な数学の試験をガリ勉で切り抜けてさ、んで大学入ってからイプシロンデルタで躓くとかおかしいよね。散々微積とかで点を取ってたやつがイプシロンデルタ理解できないなんて結局はそれって微積分を理解してないってことでしょ?だったらそんな中途半端な単元としての微積なんて最初からやらなきゃいいんだよ。もう解析をやりますって前提で基礎からやったほうがいいと思うのね。あの高校数学っていう恣意的な範囲に収める感じが余計に数学をつまらなく見せてると思うんだよね。


基礎を初等的な概念だけでやろうとするから難解になるって場合ってあると思うのね。一時期の昔のnew math movementみたいなのでそういうのがあったらしいんだよね。小学校の頃に集合教えるんだけど全然触りだけだからさっぱり分からないっていうさ、ただ混乱させるだけっていう。無限論ありきの集合論だからさ、むしろ数学全体を定義するための集合みたいな要素もあるじゃん?だから最初からそのつもりでやらないと全体としての集合論って見えるわけがないよね。そんなんで数学嫌いにしてなんのメリットもないじゃん?で、思うに程度の差はあれ高校数学とかも同じだと思うんだよね。無限を教えない集合論みたいにさ、数学にリミットがあり過ぎるから無駄な混乱と浪費を生み出してる感じがするんだよね。


ホント、もう高校数学ってもんに嫌悪感しか抱けないよね。あんなつまらんものは無いと思うぐらい嫌いだね。だからもう勝手に自分で数学の本読んでたほうが面白いから受験のことはもうあんまり考えないようにしてるんだよね。一応でもエクスキューズとしての「仮受験生」って体面は必要だから一応進学予定ってことにはするけどね、でもまぁ高校数学的な思考って百害あって一利なしだし、あんな変な思考の癖がついたら毒でしょ?だからやらないほうがいいと思ってやってないんだよね。数学って途中までってのが無いんだよね。


ある程度アドバンスのレベルまでマスターして基礎からの道から頂上とまでは行かないけど、ある程度の道を歩いてきたって言えるんだよね。そこで高校数学っつー変な断絶を作るから生徒も混乱するし大学数学との橋渡しができないんだと思うんだよね。橋渡しができてないって現実があるんだから考え直すべきだと思うんだけどね。まぁ俺はアメリカみたいに数学のレベルを下げるってことでいいと思うんだけどね。calculus 1からやるけど、でもそれはある程度のアドバンスコースをマスターして学士を取るって前提でのcalsulus 1だからね。そもそも道がアドバンスコースに行くためのcalculus 1なんだよね。受験数学みたいな変な解法とか数学的に怪しい解法とかマジであれやめたほうがいいと思うんだよね。あんなの本当に毒だと思うんだよ。あとなんか千本ノック的なドリルとかさ、数学をスポ根かなんかと勘違いしてるよね。


なんか受験全般業界自体が体育会系みたいなノリがあるじゃん?それは反インテリジェンスって意味での体育会系ね。炎天下でうさぎ跳びとか水を飲まないでランニングとかっていう非合理的でバカバカしい精神論の世界って意味での反インテリジェンスな体育会系って意味ね。数学なんてインテリジェンスの最たるものみたいなジャンルなんだから変な講師とか解法とかに生徒が毒されたらダメなんだよね。


ってことでもういいかな。今日は。書きたい事書いたし。んじゃまたね。