ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

@さんとsuckerさんへの返信

@


2011/07/17 00:39


とにかくお勉強は良いこと、働くことは良いことだという考えに疑問があります。レールに乗って、学生なら勉強、社会人なら労働していれば何かを成し得たかのような人が多いですよね。多分、好きなことを仕事にしようだとか思ったことがない人がこういう考えになるんじゃないかなぁと。社会は厳しいんだとか言ってくる人はだいたいおかしなやつだと思いますが、労働して稼がないと物理的に生きていけないというならまだ分かります。


あと自分は、頑張るというのは嫌なものに対してとしか考えていません。無理してる感じ。「今日も頑張るか〜」みたいな軽いノリでつぶやくことはあるけど。ニートにも引き籠りにもステレオタイプでしか見れない人はいますよね。まぁ引き籠りになると、外に出てこないからなかなか分からないのかなぁ。日本はセカンドチャンスがないし、経済的にも終わっていくどころか、自殺する人ばっかで暗い国ですねぇ。


自分は小学生の頃から高学歴を目指してました。今思い出すとゾッとしますが。。塾はもちろん、習い事や資格は就活や将来のためだと言われ自分でもそう思い続けていました。高校から大学へストレートで入学したのですが、高校の頃は大学4年通ってその後はずっと労働するもんだと思っていて、死にたい気分でした。そのうち3年からは就活で髪型服装も不自由ですから。高校も私立で厳しかったので、こりゃもうどうしようもねぇなと。10代の頃は親と教師しか大人に接する機会がなかったので、視野が狭くこう考えていました。いや、言われたことは信じていませんでしたが、都会に出たこともなかったし本当に無知でこういう人生しかないもんだと思っていました。一応進学校だったので。


都内の中堅大学に通ってましたが、ハタチ前後以外の人はほとんど見かけませんでした。それで逆に、このレール外れたらやばいなと。興味や関心の方向が変わって学校を変えても年齢で遅れをとりますから。自分はそれで良くてもなんだか日本だと生きづらい。時間に穴が空いていると就職しにくいとか、そこをわざわざ突っ込まれるのがめんどくさくて何かをしていなければいけないとか。バイトが良い社会経験で就活で役立つと思ってる人もいるし。


大学なんて頑張るってより、いかに人脈広げて授業やテスト内容の情報交換しあったりだとか、自分にとってはくだらない場所でした。自分のことや愚痴ばっかりですみません。いつも共感することが多くて、初めてコメント書いてみました。


そうなんですよねぇー。それってもう完全にイデオロギーで、宗教批判になってしまいますが、クリスチャンとかがとりあえず教会行ってお祈りをすれば良いみたいな、儀式的な意味での満足感を与えるものが勉強であったり労働であったりするんですよねぇ。宗教の場合、カルトとかは別とすれば人畜無害で別にいいんですが、お勉強とか労働自体に価値の重きを置くという風潮は社会のイデオロギーというか、通念なって、結果的に多くの人を束縛するようなことになってしまうんですよね。


クリスチャンが教会に行くのはいいんですが、言わば労働とかお勉強を美徳として無理矢理強いるみたいなのって創価学会の高圧的な勧誘みたいなもんですよね。日本教というような勤勉教というか労働教にお前も入らないと「社会人」としてやっていけないぞ!みたいな。それって「社会人」の部分を「学会員」だとかにすればそのままカルトですよね。日本教というのは恐らく小室直樹が作った概念だと思うんですけどドンピシャ過ぎますね。


社会は厳しいんだってやたら言う人はまぁこれも洗脳された人ですよね。楽してお金を稼いでいる人というのは賢い人でいっぱいいるし、大抵の金持ちなんてそんなもんですよね。システム作ってあとはスキーム回しでいくだけみたいな。まぁその能力が凄いわけですが、まぁ尊敬するかどうかはともかくとしてひろゆきさんなんかは典型的にこういう人ですよね。ああいう態度で金持ちって個人的に最高だと思います。それこそ頑張るとか努力の否定の権化みたいに感じるんですよね。つまりはまぁクレバーであれば金は稼げるってことですよね。


まぁ実際に稼ぐのは大変ですし、ひろゆきさんはやっぱ才能がある人なんでみんなああなれるとは思いませんが、でもなんていうかああいう態度っていいですよね。本人はいつも楽しそうだし。つまり努力=成功ではないってことですよね。それこそブラックスワン的にたまたま成功したってのが成功例の大半らしいですからね。タレブという人によれば。まぁ努力もファクターだとは思いますが、それ自体が目的化するということに非常に違和感を感じますね。なんか戦前の軍国主義的な精神論というか、そういうのって日本に根強く残ってますよね。


僕らみたいな世代はそういうものに対して徹底的にノー!って言わないとダメだと思いますね。そういうことをやらずに無理に頑張るということもせずに生きていくということが結果的に生き方としての、そういう辛くて大変な感じの努力だとか精神論に対する否定になると思うんですよね。僕らはそうならないといけないと思うんです。そうじゃないと不幸な人たちが永遠と増えるだけですからね。そもそも毎年自殺で3万人以上死んでいるのが12年横ばいとか狂ってますよね。実際は怪しい死に方をしていたり自殺だろうけど自殺と認定されてないのを含めるともっといくみたいです。


ところで@さんの簡単な履歴のサマリーを書いていただいて嬉しく思っています。というのは僕は大学的なものを批判している割に実際の大学生との接点がないので、大学生だった人の話とかが凄く参考になるんですね。で、やはり色々と聞いていると僕が批判しているような大学のあり方みたいなのはやっぱり大体あってるんだなって思いましたね。で、やはり大学に行く気がなくなっちゃいますね(笑)行かなきゃ分からない!とは言っても色々な人から話を聞いていると大抵がやはりくだらないということに尽きるんですよね。行く前から分かっちゃってる感じなんですよね。


で、僕は結局帰ってきちゃいましたけど、アメリカとは言わずに海外に目を向けることも大事だと思いますよ。日本が生き辛いと感じている人はいっぱいいますし、でもまぁ金銭的なこととか大変でしょうけど、結果が出るか出ないかは別としても海外に行くと変わることって絶対あるんですよね。少なくともめちゃめちゃ視野は広がりますよ。


こんなおっさんが物理学者目指してるのかぁー!とか日本じゃ考えられないような生徒とか学校にいましたし、日本みたいなstrictなレールって概念とかシステムがそこまで酷くないですからフレキシブルなんですよね。@さんの場合、中堅大学を出ているわけですから、語学さえしっかりしていれば割とスムーズに大学院進学とかできそうですよねって勝手な想像ですけどね。大変ですけどアメリカのマスターとかドクターって日本じゃ考えられないぐらいの威力と価値があるんですよ。だから何千万も借金して取ったりする人がいるんですよね。僕もそのつもりであっちでPhd取るつもりでいたんですけどね。


逆に日本の就職状況がここまで悪いとアメリカも悪いとは言え学歴さえあればチャンスがあるって意味でアメリカってやっぱりアリだと思うんですよね。帰国後もこの考え方は変わってませんね。あとあっちは当然日本教が無い国で、いかに怠けて自分の時間を作るか?ってことばっか考えてる連中が多いんで生活していて気が楽ですよ。まぁ@さんがアメリカに行くかは別としても、やはり僕は帰ってきて日本の閉塞した状況に本当に憤りを感じています。どうにもならない感が半端じゃないですよね。僕はもうしばらくは海外には行けないと思うのでやはり日本でやっていかなきゃいけないんですが、なかなかこれが鬱材料なんですよねぇー。


日本って文化とかが面白くて世界でも注目されているのに肝心の社会がクソってのが本当に勿体ないと思うんですよね。これは僕がいつも書くことですが、エクアドルとかみたいに完全に国として終わってるところなら見切りをつけますが、日本ってそうじゃないですよね。その勿体なさにまたなんとも言い難いような歯がゆい感じを覚えるんですよね。


長くなったんでこの辺でやめますね。今回の僕の返信に対してまた何か言いたい事があったら書いてください。なかったらいいですよ。全然無理強いとかそんなことはしないので。ただたまになんかのトピックで何か言いたいなぁーと思ったらまた色々と書いてくれるとありがたいです。

sucker


2011/07/17 09:05


どんな思考回路をたどっても最終的に死ぬしかないという結論にいたりました。もうくそみたいな世界でやってられません。私は22歳の女子大生です。まあ女子大生だったらそれらしく楽しんでればいいじゃんて感じかもしれませんが、なかなかそれも無理だって思い知らされてしまい。


こんなひどい世界で、mimisemiさんはどうして生きてられると思いますか?


結局僕もそのループが昔から続いてる感じなんですよね。それが留学によってだいぶ変わったんですが、でも根源的な人生への虚しさとか、結局は死ぬしかねぇーじゃん!って考えはいつでもありましたよね。今は身体的に学校に行くとか動くことがなくなったので死について考える割合が多くなりましたね。その思考回路を辿っても死ぬしか無いって結論に至るってすげー分かります。僕はいつでもそうなんですが、でもそれは不幸が故とかではないんですよね。


今は実家にいますし良い家族なので家にいる分には全然いいわけですし、あとはまぁ犬達がいるんで、客観的に見れば幸せなんですが、やはり内面的にはなかなかダメですね。正直、昔はそうでもなかったんです。それなりに楽しめばいいんじゃね?ってことで留学前のニート期間って結構長かったですし、あの頃はそんなに人生に対して問題意識を持っていなかったんですよね。


でも今は色々と考えるようになって、いつも書くように実存の重さというのを日々感じてるんですよね。そんな中でもなんで生きてられるか?というと正直言えばただ生きているという惰性と死ぬというほど物質的には追いつめられてないので死なない感じですね。まぁ抗鬱剤とかかなり飲んでるんでそれによって支えられてる部分が大きいんですけど、でも正直、生きている理由はやはり無いし、どうして生きていられるか?というと今現在は実家暮らしが許されていて衣食住整っているからっていうそれに尽きると思います。


で、親の理解があるので僕が無収入でも「書籍代」といって毎月いくらか使うのを許してくれているというのもあって本が買えるので、ただそれをひたすら読んで考えて読んで考えて・・・というループですね。でも数学やってて毎日が充実している!とか哲学読んでて幸せだ!なんて思わなくなりましたね。まぁ環境的に言えば幸せですが、内面的には永遠と悩んでいるような感じで、そこで気分障害とかくるともう本当に生きるのが嫌になるときがあります。


結局、僕はどうして生きていられるのか?とかむなしさについての答えが出せないまま、どうして生きられるのか?という理由なり目的を探す為に何かやっているというのはあると思いますね。哲学なんて答えが出ないようなもんですし、数学だってすぐ分かるようなもんではないですし、でも精神を何かに向けることでビジー状態にすることで実存の重みを感じなくしているというのを結局は生きる作法として実行している気がします。昔はレコードマニアとかだったんでレコードが買えるだけで幸せでしたし、あとはノイズ作ったりとか、それだけで幸せだったんですが、そういうのってまぁやっぱどんどんなくなっていくんですよね。


僕の場合、度が過ぎているので一気にやりすぎちゃうっていうことがあるんですが。そんな中で哲学書とかを読むようになって哲学を学ぶこと自体がとても楽しくなり有意義にもなっていたんですが、今はそれも無くなったんですよね。それは自分が哲学をやるということに感情がシフトしたからだと思うんですけどね。文献ばっか調べてあーだこーだ言うのもなんか違うなぁーと思っていて、かといってもやはり色々と知っていれば考える上で役に立ったりすることがありますし、そういう意味で読書はやめられないし、それ以前に読書自体が好きなのでやめられないというのはあるんですが、それで言えば数学もそうなんですね。とりあえず数少ない楽しいこととしてやっているわけですが、数学の場合、なんかやはり誤摩化しが強い気がしなくもないんですよね。


哲学は地で読んだり考えたりしちゃいますが、数学は心の隙間を埋めるために、頭をビジーにするためにやっているみたいなところがなきにしもあらずです。単純な知識欲もありますが、何か一生没頭できることを探したいんですよね。それが見つかればそれを一生やっていればいいわけで、極端な話、それをやることが生きていられる理由になるってことなんですよね。今の僕の数学はそんな段階ではないんですけどね。ちなみに哲学というとアレですが「考える事」というのはやることですらない、なんていうか朝食を食べるとかシャワーを浴びるとかそれと同じレベルにまで生活に馴染んでいるので、所謂なんといいますか没頭ではないんですよね。自然体なんです。


話が逸れていますが、つまりは天職といいますか、callingみたいなのが見つかればそれが生きる理由になったりするのかな?って思っているんですよね。社会的に無理なく機能できてある程度の収入があって自分の得意なことというか好きな事をやり続けられるっていうような。その中で大変なことがあっても、それは天職内での大変な出来事なので、こなせると思うんですね。いや、こうやって自分で書いてて思ったんですが、僕はcallingを探しているわけですね。


なんで生きていられるのかが分からないというか、それは冷静に分析してしまえば先ほども書きましたが「今まで生きてきたから」という惰性でしかないわけで、そういう惰性ではない人生を送りたいと思って、ようは強度のある人生を生きたいってことですね。でもまぁ「今時そんな仕事ねぇーよ」ってのが現実なので、リアリティが強烈なので夢を持ち辛くなっちゃいますよね。実際夢を持っていてダメになってしまった人とか少なくないわけで、まぁネガティブに考えだすとキリがないですが、そこはもう自分を誤摩化して「俺ならやれる!」っていう誇大妄想でやるしかないと思っています。


現実を見つめるとsuckerさんがおっしゃるように死ぬしかないって結論に行き着くのは自然なんですよね。で、今の僕のケースで言うと処方箋はとにかく実家暮らしで親のサポートもあるんだから成功失敗関係無くやりたい!と思った事を極めるというか、やりつくす感じですね。「俺なら絶対やれる!」という根拠のない自信を元にといいますか、誇大妄想をエンジンにして夢に向かって進む感じですね。それがまぁいつも僕が書いているwant to玉砕なんですけどね。だから死ぬのはwant toなことをやれるところまでやってダメになった時に死ねばいいと思っています。そうなると失敗した後の惨めな人生とか考えなくて済むので結構気が楽ですよ。生き地獄しか残っていないような人生なら死ねばいいわけですからね。でも今はそうじゃないからやりたいことを限界までやり通したいって思ってるんですね。


まぁまとめてしまうと哲学もそうですが、最近はなんだかんだで数学によって実存の危機が救われているという感じは凄くありますね。一般化してしまえばやりたいことがあって出来る環境にあるからそれが生きるという理由になっている感じです。


あと最後になりますがひどい世界に関しては何らかの形で変革に携われるようになりたいとは思っていますね。それはデモをやるとかなんとかというのではなく何十年単位のある意味で壮大な話なんですが、やはり僕は本当にこういう世界が許せなくてやっぱり何かしたいんですよね。まぁ学問を究めたところでどうなるかは分かりませんが、その辺は相変わらずのドンキホーテ精神で当たってくだけろな感じですね。とにかく知識は無駄にはなりませんから、変革も含めた色々な夢に向かってひたすら本を読んで考えるしかないって感じですね。


「こんな俺に何がやれるのか?」とか考えだしたらキリがないんで「もうやるしか生きる理由なんてねぇーんだよ!」って自分に言い聞かせてます。少なくとも今は色んな知識のインプットを無制限に入れることができる環境にいるので、この恵まれた環境を活かして勉学に励むしかないと思っていますね。それは消極的な理由ではなくてwant toベースで、それが僕のやりたいことだからです。で、ダメだったら死ぬって感じですね。なので死ぬのはとりあえず色々とやれそうなことはやってからってことにしてます。