ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Where Mathematics Comes Fromについて。

Where Mathematics Comes Fromって本なんだけどさ、数学はmanmadeだって主張してるわけよ。「数学ロマン派」みたいなのを定義しててさ、数学が自然の言語であるとか普遍的真実を記述するものであるとかさ、そういうのは全部間違いだって断言してるんだけどさ、いや、まぁ数学の神秘性だと思ってくれればいいんだけどね、でも著者は人々が思っているほど数学の神秘性はなくて実際は凄まじく人間臭い人工物だって言ってるんだけどさ、なんかおかしいんだよね。批判が。


ふんふん。そうなんだとか思いつつさ、その否定の理由を見るとね、数学が結局は文化的に依存しているものであるとかね、普遍性は無いとかね、ただポストモダン的な相対主義ってことではなくてさ、ちゃんとした分析的理由からそうじゃないって言ってるんだけどさ、なんつーか書くのが難しいんだけど、端的に言えば「数学は自然の言語だ」的な理解はね、倒錯だみたいなことを言ってるわけよ。例えばパイの無限性っつーかさ、floating pointだったかなんだったか、とりあえずまぁ色んな数学的な事はコンピューターが発達したから分かったのであって、それ以前には存在してなかったとかって書いてるわけよ。いや、洋書なんでね、読み違いしてるかもしれないからあれなんだけどさ、いや、犬の世話の時に読んでてあっちに本をおきっぱなしだからチェックできないんだけどまぁいいよね。おかしくない?計算可能になったからその数学なり数値が存在していて、コンピューターがなかった時代にはその数学なり数値は存在しなかった!とかって言われてもさ、それは存在してたんだよ。ただ人類がそれを解明する術を知らなかっただけで。


ようはcognitive science的な観点からね、数学ってのは主観ありきで人間がベースになって理解されている言語みたいなもんだって規定してるわけね。自然現象なんかも数学っつー人工的な言語で人が理解しているだけで自然自体が数学的現象であるってことじゃなくてそれは一方的な人間の解釈だとかって言うわけよ。おいおいちょっと待てよと。黄金比とかフィボナッチ数列とかさ、これってディスカバリーじゃん?自然界を読み解くための数学的分析をするためのアルゴリズムとかじゃなくてさ、フィボナッチが見つけて、んで研究でそれが色んなところに現れるってことが分かったわけでしょ?数学の神秘性ってこれじゃん?


なんでこんなところで数学と自然現象なり社会でもなんでもね、相関関係が現れるの?っていうさ、それは発見した人はただのアルゴリズムなり数列の法則性を発見しただけなんだけどさ、後年になってその数列が近代的な何かに関係してたとかさ、ネットワーク技術に使えたとかさ、素数の暗号でもなんでもいいんだけどさ、数学がmanmadeだったらさ、順番が逆になるじゃん?ネットワーク技術のためのアルゴリズムだとかさ、素数だとかね、でも素数の暗号なんて顕著でさ、RSAね、あれは素数同士の積の因数分解の困難さを逆手に取って暗号に使っちゃえ!っていうもんなんであってさ、素数同士の積の因数分解の難しさって数の神秘性じゃん?その神秘性を人類は利用させてもらってるわけだよね。


数学を人間が掌握しているというよりかはその不思議な振る舞いなり法則性を使わせてもらってるって感じだよね。使いこなしているとはほど遠い感じだよね。あとブラック・ショールズの方程式とかも伊藤清の確率偏微分方程式が元になってたりするわけじゃん?で、伊藤清金融工学の父とかって言われたりする場合もあるけどこれもちょっと待てよだよね。伊藤清は純粋に確率論の研究からその伊藤の定理だったか補題だったかを見つけたわけでさ、金融工学のために発明したわけじゃないよね。で、ブラック・ショールズが「これは使える!」っつって応用数学的に使ったわけじゃん?まぁブラック・ショールズの方程式が正しいもんかは置いておいてもね、そういうことじゃん?


なんつーのかな、犬っていう存在があってさ、それは恐らく犬が存在する場所だったらその国の言葉で犬に対応する言葉って絶対存在するでしょ?英語ならdogとかっつーか他分からんけど。これはまぁ犬なりdogってのが犬の概念を指しているわけだよね。で、分かんないけど例の本の著者達の言い分だとさ、数学ってのがね、物理学にしても自然科学にしても電磁気でも引力でもエントロピーでもいいんだけどさ、その数学を介してその現象を指しているのが数式だっていうわけよ。逆じゃね?っていう。言語の場合と真逆なんだよね。だからこそ数学の神秘性があるわけよ。


ようは現象そのものが数学への対応関係を指しているんだよね。黄金比にしてもそうだけどなぜか「いいなぁー」って思っちゃう比率ってのがあって、それは人間が発明したものじゃなくて元々存在する比率なんだよね。だから黄金比って発見なんであって発明じゃないじゃん?もちろんその比が認識されるのは人間の脳だけどいちいち数式で理解するわけじゃないじゃん?ビジネスカードの大きさのバランスの良さって数学全く知らない人だってなんとなくまぁ整ってるなぁーって思うわけでしょ?それがなんで黄金比っていうもんでさ、それこそ昔から絵とかに使われてるんだけどね、色んな自然への繋がりがあったりさ、認識的な繋がりがあったりさ、それが謎なわけじゃん?それが神秘性なんじゃん?


だからなんつーか人間が発明してるっつーよりかは発見してるんだよね。数学を。まぁもちろん発明みたいな数学もあるけどね、でも自然科学で言えばそれは対応関係だと思うんだよね。それを人間の認識で理解可能にした式ってわけではなくて、その自然現象に対応した式ってことなわけじゃん?それは自然現象ってのが大前提にあるからさ、自然現象を記述する数式を人間が発明するわけないんだよね。自然現象を分析にして数式にするわけだから、あくまで最初はやっぱ自然現象なのよ。ホント、頭に来てるんだよね。前にオススメで貼っちゃったかもしれないけど、ある程度知識が出てから読むと内容の理解が深まるってことで、その内容なり仮説のクズ加減ってのが分かるわけだよね。これはあまりに酷いんだよね。なんかズバリ言えば書いてるやつらの頭が悪い。


彼らが言っているのは数学的唯心論みたいなもんだよね。全ては心ならぬ認識で受け止めるわけだから、数学もそうだろうってことになってかなりやっかいな独我論というかさ、認識で受け止めるから数学は認識的なものだっていうのも酷い飛躍だよなっていうかなんともまぁ酷い仮説だなって思うよね。だってさ、もっと宇宙とかスケールのデカイところでさ、まだ分かってないパターンとかね、それこそ宇宙が始まる以前の状態とかさ、そんなの発明できるわけないじゃん?あると思われる現象を仮定して数式を組むわけでさ、宇宙に対する数学は宇宙の現象無しには作られないでしょ?なんかさ、この著者の数学や物理全般の知識がなさ過ぎると思うんだよね。そんな中で書いてるからグダグダなやつができちゃうっていう。あとやたら本が長い割にたいした内容じゃないんだよね。ああいう内容ならあの半ページぐらいでいけたと思うね。


いや、俺が言いたいのはさ、久々に頭に来る本を読んでしまったなと。買ったのは一年前ぐらいでさ、当初はあんま分からなかったからスルーしてたんだけど、色々分かるようになって読んでみてさ、そのダメさ加減に呆れたのね。なんか内容にもかなりの数学的誤植があるらしくてなんかだもう読むのやめようと思って。


んでもまぁ面白い事に気がつけたのはいいよね。言語が犬やら猫やらっていうものを指すものであるその一方で数学は逆で自然現象なり電気工学的なこととか物理学的なこと自体が数学を指しているんだよね。言語の場合、猫って言われれば猫なんだなって分かるけど、数学の場合、自然現象に限って言えばね、自然現象自体が数学を指しているので、人間はその数学を介してその現象の構造なりルールを理解できるようになるんだよね。そういう意味で俺の認識としてはさ、どっかからのメッセージなんだよね。数学って。自然現象そのものを理解するには科学的知識が必要だけどさ、その自然現象自体が物理学のルールとかね、数学的な構造を成しているんだよね。


そういう壮大なものに向かって行くのが数学っつーか科学全般だと思うんだよね。


ってことでした。最低の本ですね。本当に。