ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

weatherさんとuさんへの返信。

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weather 2011/08/23 17:20


存在自体がいいといえば、自分も最近かまってちゃんを知って気に入ったんだけど、彼らの音楽が好きというより、彼らが支持されてヒットチャートに食い込んでる事態が世相を考えるとまともだなぁって思います。


耳蝉さんが以前今の時代に現状を肯定するような歌ばかり支持される日本が不気味みたいに書いててそうだよな〜とか思ってたけど、そこでパンク的なものの若い世代の代表が今は彼らなのかなーみたいな。パンクというよりルサンチマンて感じだけど、んでもなんか健全ですよね。


ヒミズが園監督で映画化されるとか、ペルソナ4がアニメ化するとか、そんな事もそういうまあポップだけど政治的な空気を持ってるという意味で期待してたりします。どっちも今一度出てくる意味のある作品な気がするので。どうしてもアングラになってしまうものより中間のバランスを持ったものを評価する感じってなんとなーく解る気がします。それって本気で好きというより立ち位置に対する評価って感じではあるんだけど。


あ、あんま本文と関係なくてごめんなさいね。


彼らが支持される世相ってまさしく僕が思ってたのってそれなんですよね。正直まぁ僕はああいう類の音楽は聴かないので実際興味はないのですが、なんていうかやたらAKBみたいなゲテモノが目立ちがちですけど、ヒットチャートに食い込むようなものでもちゃんとしたのがあるということの健全性ですよね。


音楽は終わったと言われても売り上げの絶対数が少なくなっていても彼らのようなアーティストが支持されるということがあればまだまだ大丈夫だなって気がしますよね。逆に音楽産業が活発でもゲテモノやゴミみたいなのばかりが売れていたら凄く不健全だと思いますし。伊集院光とかナイナイの岡村とかもAKB批判とかしてるみたいですけど、こうやってパブリックに言う人がいるのもいいですよね。凄く健全だなと思います。ようは売れてるとは言え良く思ってない人も大勢居るってことですよね。あとああいうのばかりが売れているわけではないという。


あと相対性理論なんかもいいですよね。まぁあえて聞くほど好きなわけじゃないんですが、ああいうのが支持されていたらなんか変な言い方になりますけど安心できますよね。ヒミズとかペルソナ4とかは本当にそう思いますね。むしろ若い世代の切迫した雰囲気というか、政治なんてどうでもいいって言ってられないような必然性の政治の表れですよね。それだけ日本がヤバくなってきている分、ヤバくなればなるほど人の意識も変わっていくし、中途半端に変なシステムが維持されるよりかはヤバくなりきって変革が起こったほうが長期的に見ればいいですよね。生きている人たちは大変かもしれないけどもっと後の世代のことを考えると絶対そっちのほうがいいですよね。

u. 2011/08/24 18:38


お久しぶりです、u.です。前回はuh.でした。


ちょくちょく、過去エントリー読んでます。でも、まあ、文章量と記事が結構な数なので、わりと失礼な読み方かもしれませんが、散歩する感覚で気が向いたときに、拾い読みするみたいな感じですけれど。


で、内容でモニターの前でリアルに笑ってしまいました。失礼な意味ではもちろん無くて、僕が普段考えている事とあまりのシンクロ率に面白くて。このシンクロ率なら、余裕で初号機どころか、弐号機も零号機も同時に動かせますね。ついでに、どっかの国にある3号機も呼応するかもしれません。


まあ、こんな一方的なシンパシーを感じられたら、mimisemiさんはどう思うかわかりませんけれど、僕だったら「うぜーし気持ちわりーな」ぐらいは思っちゃいます(笑)。


ジョークはさておき、遅くなってしまってあれなんですが、前々回のエントリーで受動的な生という事なんですけど、以前書いたコメントリプライされていたように、「とりあえず生きていれば良い」という人間ですね。これは、まあ、与えられた生に対して、動物的な生を全うしている人間であり、思考能力の欠如した人間だと思ってます。


動物といえば、人間で言う三大欲求と自己防衛本能のみで構成されているような生物じゃないですか。まあ、一概にそうとは断言できませんが、とりあえず、今回は便宜上、そう定義してます。


そういう人間が成長すると、認識は密になるどころか、どんどん散漫になっていきますよね。時間は無限ではありませんし、さらに言えば、現存している物体(有機体)に限っては、その時間がいつ止まっても不思議ではありませんし。


単純な生を全うする為に特化した野生動物だって同様にいつ死ぬか分からないのに、身体能力と本能で劣った人間が生きるというのは、非常に危ういバランスで生きているのではないかと思います。といっても、大した事無いその身体能力で生きていけるような社会が構築されているだけなんですけどね。


動物と人間の違いは、思考だと思いますね。当然なんですけど。もっと、僕なりの定義で言えば、具象から抽象の抽出能力、主観から客観視点への推移というか、あらゆるものから学び、独自の解釈と理解で様々な創造をしてきた、という技術みたいなものですかね。そのお陰で、原人という動物から人間という、一種族へと進化できた訳ですしね。


この技術を放棄した人間が、まさしく『とりあえず生きている』状態である、と考えています。


しかしまあ、考えるというのは、ぶっちゃけ人それぞれですからね。程度の差はあるかもしれませんが、どんな人間だって考えて生きてます。ただ、では、どこまでが思考という技術と呼べるのかと言えば、これが出来ていれば思考である、ではなくて逆に、展開されていなければ、思考という技術とは呼べない、と勝手に定義しています。


展開は、対象を構築しているものをルーツからファクター、具象、抽象に関わらず、とにかく自分の言葉と頭で再構築する行為、とこちらも勝手に定義しています。


だから、受動態で居る人間では、その展開は難しいでしょうね。バイクが突っ込んできたら誰もが本能的に危険を察知して、避けるか身を屈めるかするでしょうけれど、思考はその前後に行われていたはずですし。対象への自分なりの理論、という客観的な意識でも無いんですが、内在する概念と対象が接する事で生まれる価値を積極的に取り入れることが、これが能動である事かな、と感じています。そこから自分なりに表現できれば、アウトプットできている、と言えるかな、と。


だから、まあ、僕のコメントに対してsuckerさんが自分もそうかも、と考えていらっしゃいましたけど、mimisemiさんも否定されていましたが、受動態を受け入れて生きている人間はこの事で悩まないはずですね。完全に自分の役割を勝手に決め込んで、受け入れて、思考も放棄してしまっている、みたいな。まあ、ある意味では天才的な役者です。


質感へのフェティシズム、というか、特定のものに対して異常なぐらい拘りを持ってるの人間て大概、天才的ですよね。これはまあ一般的な意味での天才なんですけど。というか、本当に天才的な人間は、感情や本能に対して従順な気がします。すごく子供じみてるというか。


子供の発想て時々とんでもなく飛躍してて、奇天烈なものなんですけど、ああいうのが天才的な閃きなのかな、と最近思います。閃きに理論を付加させることができれば、紛れも無く天才なんでしょうけど。こちらは経験、というより、社会的な意識を要するので、単に子供じみているだけでは天才にはなれないでしょうね。


そういえば、抽象思考ができない人間は必ず自分の理論に適さないものを否定しますよね。中田ヤスタカが嫌いだから創った音楽も嫌い、っていう。


創ったものに限らず、外部にアウトプットした時点で、もうそれは別物だと思うんですよね。抽象思考は本人にしか理解できないもので、どれだけ忠実に再現しても、それに記号が用いられていれば、もうそれは抽象的では無いな、と。


数学はとてつもない学問である、と崇拝しているのはこれですね。抽象された記号という、僕が考えていた矛盾を残らず破壊している訳ですからね。もう、衝撃でしたね。学生時代の糞まみれの数学が完全に浄化された、純粋な数学に出会った時は。学問に対して、知識がある訳ではないんでけど、ただ数学だけは、他の学問とは少し違うな、と感じます。


ちょっと脱線してしまいましたが、まあ、外部にある記号(中田ヤスタカ)が本質ではないな、と思います。音楽というジャンルでは、中田ヤスタカが創った音が、中田ヤスタカの音楽の本質であって、そこに感情は介入しないな、と。


なんだかんだでパフュームは好きなんですけどね。国産ミュージックで唯一買ったぐらいのCDです。だって可愛いじゃないですか(笑)。


とんでもない長文ですみません。また、過去のエントリーを散歩読みしてきます。更新楽しみにしています。でも、体は大切にしてくだいねー。


勢いに任せて書いたので、誤字脱字あったらすみません。
それでは、お邪魔しました。


シンクロ率が高いのはおもしろいですね!というか結構そういう人がいるので僕も驚いてるんですよ。そういう度に色々と長々と書いてて良かったなって思ったりしますね。なんかうれしいんですよね。なんでか分からないんですけど。


人間が自己防衛本能で構成されているというのは生物学的にそうですよね。結局はまぁ生き延びるということと子孫を残すということですからね。DNAのアルゴリズムというかなんというか。で、uさんも書いているように結局は人間が思考を持っているので自分たちの生存に便利な社会というのを作り上げるわけですよね。それは身体的な強さではなく構造的な強さを人為的に作ってしまうという、おそらく自然界を見ればそんなことをするのは人間ぐらいだと思うんですけどどうなんでしょうね。


具象から抽象というのは本当にその通りで幾何学なんてのが最たるもんで、もともとは古代エジプト時代にナイル河の氾濫で土地の区別がごちゃごちゃになってしまったのをちゃんと土地を測定しなおして土地を区切りなおすために発達したらしいのですがまさしくこれって具象から抽象ですよね。


三角法なんかは航海によって発達したらしいのですが、土地の測量法だとか航海の測定法だとかなんだとか、具体的な物事から抽象化された理論そのものが独立した客観的というか科学的な知識になって他でも応用されるとかなんとかっていうのはまさしく人間特有の技術だと思うし、そういう意味でuさんが言うように数学なんてのは最たるもんで、他とは違う感じというのは凄く分かるんですが、でも今というのは個々がとりあえず生きるだけだったら受動的でも生きられるようになっているし、科学史とか数学史を読んでいたりなんかすると理論の発見の必然性というか必要性があったようなのも多かった気がするんですね。


で、それっていうのはいわゆる好事家の趣味的なものではなくて時代精神的な産物というか、それが非常に生存ということと深く関わっていたり、生きるということに関する知という意味で発展してきた科学というのはいっぱいありますよね。


ちょっと説明が難しいのですが、高度に発展した文明だとシステム自体がかつての人間が知恵を絞って悪戦苦闘していたようなところを全部オートメーション化してしまうというか、別に苦労しなくてもそれをお金を払えばもらえるだとかサービスが受けられるとかなんとか、高度なシステム化がもたらす動物化というのは絶対あると思うんですよね。ネット中毒の人たちなんかもそうですよね。


ネットというシステムやインターフェース自体は凄く高度なものなのにそれを利用する用途は高度なテクノロジーを利用したただの暇つぶしというかなんというか、文明化=人間の高度化ということではないなというのは凄く感じますよね。まぁネットも使いようなんですが、日本って異様にネット人口が多い分、本当にどうしようもない人間が目立ちますよね。それはなんかある意味で文明の成熟度を表していることなのかな?って思ったりするんですよね。


自己防衛が守られていてなおかつ思考の技術を展開させるような必然性も必要性もないような環境から生まれてくるのは必然的に飽和という気がしますね。そんな中で最近の数学ブームとかは中高年がそういう飽和状態に飽き飽きして何か明らかな形で能動的になれるものを探していて見つけているようなものって気がしますよね。


確実に積み上げであるので定理を一個一個理解すれば高い境地にまでいけるという確実な登山的な感じとか分かりやすい「数学的真実」ということであるとか、必要性に駆られてやるわけではないけども、思考という技術をアイドリングさせないでどこかで動かし続けたいみたいに感じるのはある一定の知性を持った人間の言わば生きる本能なのかもしれないですよね。それで何かをするとか新しい理論を作るとかではなく、アイドリングさせないために思考という技術をまわす方法というか、言わば運動ですよね。


数学の理解は必然的に理解して頭で再構築しないと達せられないので、uさんが定義する技術の定義そのものですよね。実際に数学が流行っているのかは分かりませんが、思考をしたくなるというのは本能的なところであったりするのかな?って思ったりもしますね。僕はそこがメインで他は全然ダメなんですけどね。だからまぁ全然高尚なことを考えているとかやっているって意識は全くなくて性欲とかと同じ次元なんですよね。オナニーも好きだし読書も好きみたいな感じです。


で、天才の定義になるんですけど天才って色々な天才があるんですよね。でも一般的に言われるのは社会的に褒められるというか、認められる秀でた能力とか才能ってことになりますよね。だからまぁ凄まじく相対的なんですよね。でも天才性そのもので言えばそれが物理であれ数学であれ科学であれフェティシズムであれ差はないはずなんですよねというか逸脱するぐらい凄いという意味で言えばそれ自体が言わば天才性じゃないですか?


なので上履きをコピーするフェティストとか数学の天才とか音楽の天才とかいろんな天才性があるんですよねというかそれは逆にシンプルに天才ってことで括れるはずで、むしろ定義をややこしくしているのが社会的な価値観ですよね。何を天才とするのか?ということで結局、社会に蔓延するティピカルな天才観というのは実際とは大きく違った俗流の天才観になってしまうんですよね。日本の場合、秀才が天才扱いされるのが多いですよね。


それによって失われている天才たちの能力というのが凄くあると思うんです。アメリカとかはそれを汲み取るのが上手いですよね。だから世界から凄いやつらがアメリカに集まるんですよね。結局はシステムの問題というか天才を活かすインフラがあるかないか?ってところになりますよね。


まぁ上履きをコピーするほどのフェティシズムの才能を活かす場所はどこにも無いと思いますが(笑)まぁでも僕は凄いクオリアの持ち主だな!って感心しますね。明らかにバレるのにコンビニでコピーしちゃうあたりも子供じみた感じで天才の定義にピッタリですね。剥き出しの天才性とフェティシズムと研ぎ澄まされたクオリア。それが彼を衝動というものに導くわけですよね。根本的にこれは天才の構造と同じだと思います。


あと外部にアウトプットの話になりますけど、これは本当にそうですよね。デリダの散種みたいな話になりますが、アウトプットされてしまったらそれはもうコンテキストとか関係なしにそれ自体がそれ自体として様々な解釈なり誤解をされたり、つまりは解釈によってそれが誰かに再インプットされるということなので、その辺の解釈がどうのとか認識がどうのだとかっていうのは作者が介在する余地がありませんからね。


バカが自分の感情とそれそのものをごっちゃにして考えてしまうのも思考の階層が全て低いところでごちゃごちゃに行われているからなんだと思います。だから全く関係ないもの同士がなぜか繋がっていたりなんかして、まぁ大衆操作する側はそういった大衆心理をよく理解して思考の階層の低さを利用して思考そのものをコントロールしようとしますよね。ゲッペルスは間違いなくこの大衆操作の天才でしたよね。褒められるような天才ではないんですが天才は天才なんですよね。


それそのもので見ればヒトラーゲッペルスも間違いない天才ですよね。そこをまぁ例の色々とごっちゃにする人たちはそんなことを言うと「ナチだ!」とか言って騒ぐわけですが、そういう人たちが一番ファシズムを担ってしまうんですよね。歴史がそれを証明しているのに常にそれは無自覚なままというかそれが民主制の病理ですよねってちょっと話が飛躍しすぎました。


ようは中田ヤスタカが個人的に好きかどうか?というのと彼の音楽は関係ないってことですよね。当然ヒトラーゲッペルスも人間的に尊敬できるような人たちではありませんが彼らの天才性はそれそのものなんであってナチスがどうのとか関係ないわけですよね。そこをごっちゃにするようなのが先ほど書いた思考の階層の低さの一つの例ですね。


まぁでもアメリカとかって一番ナチス的な手法を使っている国家だと思うんでナチスの後継者って僕はアメリカだと思っているんですけどね。むしろ反ナチの観点からナチス的な天才性を扱える人間たちが素晴らしい国家を作れるんだと思います。それに自覚的じゃないやつらが手法だけナチス的なものをを使うととんでもないことになるのがアメリカみたいな国家の例なんですよね。


あ、んで最後にパフュームになりますけど、僕もあれですね、可愛いって凄く分かりますね。彼女たちのキャラクターの良さは過去にやってたテレビ番組とかを動画で見て知ったんですけどそれで異様に愛着が湧きましたよね。あと余談ですけどネットでかしゆか篠原ともえとKayoが女子会やってる写真があるんですがそれを見たときに死ぬかと思いましたね(笑)なんという美しいテクノでポップな三つ巴なんだと感動しました。3という数が持つ魔力もありますが、ああいう感じが日本のいいところですよね。絶対他の国ではありえない感じがいいですね。


というわけで今日はこの辺で。