ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ナンデ本ノガいいんでしょうね?。

最近はマッシュアップラッシュな感じで全然書いてなくてすげー書きたいから色々書くけど最近マスは凄くかいてる気がする。っつーのは抗鬱剤トレドミンからサインバルタに変えたんだけど、どっちも性欲減退はあるんだけど、トレドミンは物理的にEDになるっつーかちんちんの感度が無くなるんだけどサインバルタはそれが無いんだよね。それでも性欲減退はあるらしいから、だったら抗鬱剤を飲んでないときの俺といったら絶倫なのかもしれないなとか勝手に思ったね。そういう日々です。基本的には。ええ。


いや、だからこそナンパとかしてでもセックスしたいのかもね。俺は抗鬱剤飲んでるからそれが抑制されていてだからまぁオナニーで事足りてるみたいな。でも俺は街に出るぐらいの行動力が無いしっつーか行動力が無いとは思わんのだけど性欲がイニシアチブになってる行動力っつーのは基本的にネットのズリネタ漁りに行くからまず街には出ないよね。パソコンを捨て街に出よう!って肉体派っていうかセックス派のステートメントだと思うんだけど、それは俺にとっては書と同じでパソコンも捨てられないよね。俺にとってPCってのはオナニーマシーンだからね。あとはまぁマッシュアップ作るぐらいか。出力の機械だよね。それは精液の射出も含む出力ですがね。


イッた後のこと考えると面倒でしょうがないんだよね。そりゃ気持ちいいだろうけどイッた後もセックスの場合、女が横にいるわけだから相当な愛情が無い限り無理だろう。あと俺が仮に女性として愛せる人がいたとしたらクラフトワ―クじゃないけどセックスオブジェクトとして見れないと思うんだよね。それとこれとが全然別っていうか、俺の中で恋愛ってのはその人の才能とか知性とか人間性に惚れ込むっていう感じでさ、まぁ見た目は凄く重要な導入部分だけど見た目がどんだけ良かろうが頭悪かったらダメだよね。で、そういう惚れ込み方ってプラトニックじゃん?身体的じゃないよね。脚がエロいから好きになったとかってそれは身体的で動物的なわけで。


もういいや。この話は。なんつーかまぁスパーリングみたいなもんだね。最近全然書いてなかったから。んでも書く事と言えばそんなにないんだよね。とりあえず指を動かしたいっつーか書きたい!っていう衝動があるだけで特に書く事はないんだよねってあるんだけどそんなにあるわけじゃなくてさ、でも指を動かしたいから動かしてるんだけど、それだったら指だけ動かしてればいいじゃん!ってことでそれを昔やっていたらね、マンションの構造的に隣のアパートからリビングが丸見えだった所に住んでたわけよ。だからアパートに住んでた赤ちゃん連れの奥さんにそれがバレたのよ。もう恥ずかしいのなんのって。


とりあえず動かしたいっつーかまぁあれだよね、鉄拳のプロトタイプジャックの手の動きをずーっと部屋でやってたのね。そんぐらい昔の話なんだがさ、やっぱ俺って多動だよね。まぁ貪るやうに色々と調べたじゃん?まぁ結局あれだけどさ、なんか分からんけど、やっぱADDってのが一番しっくり来る感じだよね。で、ギフテットに関して言えばあまりに敷居が高過ぎて俺がそれだとは到底思えないけど、でもOEって意味だと全部当てはまるからさ、OEだけあるポンコツギフテッドかもしれないよね。だってギフテッドだったらもっと凄いはずなのに本当にたいしたことないんだよね。それに常にがっかりする日々でありますよ。


別に悪くないけど秀でてないし中途半端なんだよね。どっちかにしてほしいんだけどさ、どっちでもないのが中途半端過ぎるんだよね。だからまぁ向上心が生まれるんだと思う。素材は悪くないけど中途半端だから鍛えるっていうさ、まぁ英語で言うtemperって言葉はぴったりやと思うんですけど。俺が思うにさ、前にも書いたかもしれないけど特に理系とかで最初から秀で過ぎてる場合、自分の能力に依存してればいいからさ、向上心っつーかなんつーか鍛えるって感覚が無いと思うんだよね。あまりに能力がずば抜けてるからそれを頼りにしてれば神懸かっちゃうっていうさ、だから人間性とかがすんげー稚拙だったり杜撰だったりする人が多いんだよね。struggleが無いって意味で精神が磨かれないんだよね。で、俺は中途半端な素材の良いポンコツなんでその機会に恵まれたってことで神様に感謝せなアカンと思うわけですよ。まぁそういうポジティブな解釈でいいじゃん?


人生が鍛錬という行為自体で埋め尽くされるというのは凄く幸せなことなんだと思うんだよね。鍛錬できる環境然り、元の素材の良さ然り。あと基本的に俺は育成ゲームとかレベル上げが好きだからそういうゲーム感覚ってのもあるよね。ドラクエとかでさ、あえて進まずに序盤ですんげーレベル上げしてんで中盤とか余裕でスイスイ進んじゃうってのが好きなんだけどさ、まぁそういう感じだよねっていうかまぁその経験値稼ぎ自体を楽しむって感じね。


で、学問の場合、特に最近やってる数学だとっつーか哲学もまぁそうだけど色々と知れば知るほどもっと色々と知る事ができるようになるんだよね。ようは難しいと言われているものでも基礎知識がある程度溜まると理解できるようになるんだよね。まぁそれは凄く深い理解でさ、それは読んだだけじゃダメで自分で考えて納得するってプロセスが必要なわけだけど、んでもまぁ結局は基礎の積み重ねだからね。まぁポストモダンみたいな文体自体が意味分からないようなのは別として、ちゃんと書かれてるやつで難解なやつってさ、例えばハイデガーでもホワイトヘッドでもフッサールでもいいんだけど、自分の頭の中で変換できるんだよね。


わけワカメなわかめ酒の匂いがプンプンするような言葉でもようはそれ自体を変換っつーかあれだよね、概念として半ばオートマチックに理解できるようになるからスラスラと読めるようになるんだよね。これもようは経験っつーか読書量がモノを言うよね。だから結局は努力ってことになっちゃうのかな。まぁ俺は努力してるつもりは一切ないんだけどね。


でもまぁ知識を貯えたほうが人生楽しくなるからそういう快楽原則でやってるだけで、この快楽原則ってのは俺の中であらゆるところで一貫してるよね。マッシュアップもそうだし学問もそうだしオナニーもそうだし基本的に楽しくて気持ちいいからやってるわけでさ、何のためとかないよね。まぁ結果的に何かの役に立ったり社会に還元できればそりゃいいんだけどさ、んでもそれは極めれば勝手に後からついてくるもんだと思ってるからまずは極めることが先決なんだよね。


だいぶ自動書記っぽい感じで書こうと思ってたことじゃないことを永遠と書いてる感じになったけどさ、あれなんだよね、今日書こうと思ったのはあれなんだよね、電子書籍っつーかさ、またか!って感じだけど、ようはなんつーかね、音楽をmp3で聞くってことと本を電子書籍とかpdfで読む事の違いってところなんだけどさ、俺の中ではこの二つってすげーシンボリックなんだよねっつーのはさ、俺の中でプライマリーなインタレストとしてはやっぱり音楽と学問なんだよね。映画とかはそれよりかは低いわけだけど、この俺の中の軸と言ってもいいこの二つが電子化されてるってさ、俺の中ではすげーデカイことなんだよね。で、音楽に関してはもう電子化に馴染んじゃったっつーかもうここ数年でドヤ顔でmp3とか平気で買うようになったし、別にレコードへの愛着も無くなったっつーかモンド系に関して言えばまだあるけどそこにお金は使えないから自制してる感じだよね。


ようはまぁ別に聞ければなんでもいいってことになってるんだけど、本も読めればなんでもいいのか?っていうとやっぱこれはかなり違うんだよね。なぜか本の場合、読む気がしてpdfだと全然読む気がしないんだよね。これはなぜなんだろう?って色々考えたんだけどやっぱ質感なのかなっていう。あとは長年のハビットっつーかさ、パソコンで何かを読むってのはネットの書き込みとかブログとかで本っていう感覚が無いからさ、逆になんつーかそれってパソコンで見るのはすぐ読めるやつとかさ、じっくり読むやつを読むっていう風に俺の中でなってないからね、だからあんま気が向かないのかもしれないっていうかさ、で、本は読むものっていう概念が俺の中で定着してるから逆にそんなに読みたくない本でもとりあえず買っちゃったら読破しないと気が済まないっていうさ、それは本っていう物質があるが故に出てくるある意味でのフェティッシュな特性っていうかさ、レコードでもスクラッチするDJならさ、溝がすり切れるまで擦りたいとかさ、そういうのってあるじゃん?今もあるのか分からないけど昔はあったよね。


本もすり切れるほど読むっつーかどんどん手汗とかなんだとかってことで物質的に劣化していくじゃん?で、それ自体をなんつーか所有欲というとアレだけど身体化させる感じっていうか、俺に馴染んでくるって感じだよね。スニーカーと似てるよね。スニーカーも最初はゴツゴツしてて足が痛くなるけど馴染んでくるとフィットしてくるしさ、すげー履きやすくなるじゃん?それって物質的なものじゃないと得られない感じだよね。


で、そこにこだわるのってかなりフェティッシュなところがあるよね。まぁ別にこだわってるわけじゃないんだけど、まぁ俺すげースニーカー好きだけどさ、やっぱ馴染んできてちょっと汚れてきたりした時のスニーカーって最高にかっこいいんだよね。逆に新品の時のダサさといったら!それが恥ずかしくてなかなか買ったばっかりの靴が履けないってのもあったりするんだけどさ、まぁスニーカーの話はいいか。んでまぁ本に戻るけどね、前に書いたのはまぁあとはその本だけだとその本しか読めないっていう良い制約があるってことじゃん?ようはPCで読むってさ、古い言い方をすればマルチワークステーションみたいなもんで、それで音楽も聴けるし映画も見れるしテレビの動画も見れるしネットもやれるしオナニーも出来るっていう夢のワークステーションじゃん?


その中に本も入れるっていうのに違和感があるっていうか、そこは独立させたいっていうかようは本にとって他の事はノイズでしかないんだよね。まぁそうじゃない人もいるんだろうけどでもやっぱ俺って本に集中できる時ってPCとかに気を取られないでさ、本当に本だけに集中してるっていう時なんだよね。んでも自分の部屋だと色々と本があるから色々とマルチ読みしちゃうってのがあるけど、店の手伝いで行く時に敷居が高くてあんま読む気になれないやつをあえて持っていってさ、それだけしか読めない!って状況を作って読むようにするっていうさ、それしかない!ってなるとそれを読むし、そういう環境で読むと面白いんだよね。本が。その現象が顕著に読み取れるのが佐藤優の獄中記だよね。で、佐藤さんが出所してからさ、読書する用に獄中と同じような間取りの部屋を都内に借りて読書スペースにしたけど、んでもなんかイマイチ獄中のときみたいに集中できないって書いてあったけどあれすげー分かるんだよね。


だからこそ本格的に獄中みたいな環境を作り出す必要があるってことでさ、あ、俺の話ね。まぁ俺は刑務所に入ったことないから分からんけど、んでもその密室感っていうか、これしかやることがなくてんで結構長い時間そこにいなきゃいけないっていう環境がまさしく店の手伝いだからさ、その時に限られた数の本を持っていくとまぁそれがすんげーはかどるしめちゃめちゃ集中できて楽しくなるんだよね。で、家に帰った後も読書を続けようと思うんだけどなんかいまいちそういう気になれないんだよね。で、日中はダラダラネットやったりオナニーしたりゲームやったりとかさ、そんな風になっちゃうんだよね。で、夜の手伝いの時はまたすげー集中できるっていうさ、でも俺的に言うと24時間そういう集中できる環境にいたいって思うんだけど、脳自体に馴化っていう作用があってさ、ようは飽きるようになってるんだよね。


だからまぁそれは物理的に無理だし、あとは読むだけが読書じゃなくてさ、読んでないときにも脳は情報処理をしてるし反芻してるっつーか、むしろそれが必要なんだよね。前にギターについて調べてた時にさ、毎日練習するよりもある程度の時間練習してんで一週間だか置くと結構上手くなってるっていうのはさ、脳が情報処理してるかららしいんだよね。まぁ毎日練習もいいんだけど、んでも練習時間がそのままイコール訓練になるってことじゃなくて、やらない時間に脳に情報処理をさせるっていうことも必要ってことだよね。だからまぁ適度な休息っつーかリラックスタイムが必要なんだよね。


で、本に話を戻すとさ、結局PCとかって無限ページの本を読んでるようなもんなんだよね。無限ページの本の中に一つの本が入ってるって感じでさ、ウェブも含めればね、いや、活字って意味だともうデータベースにそのままアクセスしてるようなもんだからさ、ようは図書館の本が全部オープンになってる状態で特定の本を読むって難しいんだよね。だって全部開いてるんだもん。そうじゃなくてやっぱ密室みたいな場所でそれしかないっていうさ、まぁ中世とかの頃の読書の感じだよね。ああいうアナログな感じが実は読書に一番最適な環境なんじゃないかと思うんだよね。だから俺的に言えばPCも電子書籍も読書には向いてない気がするんだよね。


電子書籍は無限じゃないけど、でも買った本がそこに全部入ってるっていう便利さあは逆に仇となる感じがするんだよね。それこそなんつーか俺がさっき書いたような「それしかない感」が
得られないじゃん?どこいっても自分が買った本が全部入ってる端末を持ってるってそりゃ便利だけど、でも一つの本に集中するという意味だと少なくとも俺にとっては凄くマイナスなんだよね。利点があるとすればそれを考えても電子書籍にしたほうが得られるものが多いっていう意味でのまぁ利得で考えた時に電子書籍がずば抜けているってことになったらそっちになるだろうけど今は全く必要ないよね。むしろいらないよね。端末タダでくれるっつってもマジでいらないもんね。欲しいのは本なんであって端末じゃないわけ。


最近doverの数学関係の本を結構大量に買ったけどやっぱああやって大量に本が送られてきてさ、それが部屋に積まれてるっていいよね。凄い読むのが楽しみだしさ、いや、実質的にファイルでも一緒なんだよね。pdfのファイルがデスクトップに大量にあるっていうのでも同じはずなんだけど全然ワクワクしないんだよね。んでも本だとワクワクするのはやっぱりなんつーか経験なんだろうな。長年そういうワクワク感を感じてきたから本自体にワクワク感を感じるようになってるっていうことだよね。でもそれって俺の知覚とか経験も含めたインターフェースだからそれってすげー重要だよね。だからまぁちょっと高くても俺は本を買うよね。あとネットに置いてあってもそんなに高くない本なら俺は本で買うよね。それは本当にレコードと同じような感覚なんだとは思うけどね、mp3で1000円でレコードも1000円だったら俺は絶対レコードのほうを買うからね。


まぁ結局それは前に書いたクオリアみたいな話なんだよね。質感を味わう知覚が求めてる快楽っていうさ、その快楽の質感だよね。それは快楽であるからこそ凄く質感というものが重要になるわけだ。逆にただの情報なら読めればなんでもいいってことになるんだけど、だからまぁ新書とかなら別に俺は電子書籍でもいいって書いたよね。ようは別に味わう類の本じゃなくて週刊誌みたいな感覚で読むっていうさ、そういう情報的なものはなんでもいいってことだよね。でも味わうものはやっぱ本じゃなきゃ嫌なんだよね。特に哲学書とか数学書なんて何回もじっくり読むもんだからこそ本当に本という媒体がピッタリなんだと思うんだよね。俺はいまだにジャズをmp3とかCDで聞く事に違和感を感じるけど、それと同じ違和感が哲学とか数学にあるんだと思うんだよね。


ということでした。んじゃまた。あとさ、数学好きのオナニストのことを「マス魔手者」って呼ぶ事にするわっつーか俺の肩書きはこれにするわ。