ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

上目目線ならぬイデア目線。


東京女子流 x DJ Tonka - ヒマワリと星屑 (Security Mix)


東京女子流「ヒマワリと星屑」+ DJ Tonka「Security」


DJ Bold Mushroom, 2011


良いのを見つけたんで貼るです。小冊子にして売れるレベル。


こことかいいね。

物事の理解、特に数学というすべて人間が規定したことによって処理される世界では情報完全性がなければ本当の理解も、当然それに基づいて現実にそれを適用して活用することもできない。学校教育はそもそも仕込もうとする量が大量であるため、情報完全性を損ない、Paper Testを処理できるだけの浅薄な人間処理機をつくる目的だけを残して、無理矢理教科書などに理解に必要な情報完全性を失った死知が大量に詰め込まれている。


http://sand-storm.net/wordpress/?p=5846


で、ここからがエントリー。


なんかさーもう数学系アレなんだよね、飽きたんじゃなくて色んな本読んでも既知のことがあり過ぎてダメになってきたっつーかそれこそ読む本が専門書以外無くなってきたんだよね。前は数学的な読書というかさ、数学史的なものがストーリー仕立てで描かれてるやつとかさ、ようは読書欲も満たせてたんだよね。知らない事だらけだったんで「なるほど!」ばっかだったんだけど最近はそういうのが無くなってきててわからないことといったら具体的な理論のディティールってことで所謂、literature的な数学の面はもう読み尽くしたのかさ、いや、なんかいつも同じ本読んでる感じになるんだよね。またユークリッドからオイラーまでの話か・・・っていうまぁ当たり前なんだけどね。


んでも正直さ、証明と定理だけ書いてある本だけ読んでてもつまらないんだよね。たまに戻ってくるといいんだけどなんつーかあれだけを永遠と「面白い!」と読める人は天才なんだと思うなぁー。俺には無理だわ。マジで。まぁテキストだからね。教科書読んでるみたいなもんなわけだから。最近数学書を読めてきたような気がするとかって前に言ってたけど最近はなんつーかその「読めてきた」というのに慣れてきてなんつーか悪循環の「全部隅々まで理解しないとダメだ」みたいな感じになってきてるんだよね。俺はこれを理解できているのだろか?っつーかそもそも数学の理解って何なんだ?っていうそういうことになっちゃうんだよね。楽しい!だけじゃダメでやっぱりさ、楽しい!って思えるのって当然わかりやすいところだけでどんな理論でも細かい理論でも難所みたいなのってあるじゃん?それを「楽しい!」ベースでやってるとやれなくなるんだよね。わからん!っつー感覚が強くなってきちゃってだんだん遠のいちゃうんだけどんでももう数学ぐらいしかやることないからそれやるしかないしやっぱまぁつまらない毎日の中では数学は輝いてるけどねぇーなんて言ってみたり。


諦められないんだろうね。まぁーいいやーで済ませられなくて色んな本を乱読してるっつってもやっぱりこれは癖なんだろうな。理解せねば!というプレッシャーを勝手にかけちゃってるんだよね。数学ガールで言えばテトラちゃんなのかな?俺は。それだったら結構良い才能だよね。確かテトラちゃんだったと思うんだけど「テトラちゃんのわからない力」なんだよね。「そうなんだー」で済ませられなくてわかるまで納得できないっていう。これって実生活だと支障をきたすことばっかりなんだけど学問においてはアドバンテージになるかと思うけど、でも正直、そうやって「うーん・・・」って思ってる時間が実は充実している時間なんだろうけど本人的には常に自己との戦いなんだよね。自分のわからなさっていうかやっぱり「俺バカじゃないのか?」っていうそれが出てきちゃうんだよね。ましてや数学者のエピソードとかそんなの読んじゃうと平気で飛び級だのなんだのって話が出てくるんで俺なんかが取り組んでいいもんなんだろうか?って思えてくるんだよね。


まぁそんなのとは関係無く楽しむんだ!ってポリシーでやるつもりでいたけどさっきも書いたようにそれだけじゃダメなんだよね。それやると楽なところにばっか逃げるようになって結局、全然数学が身に付かないっていうか理解に関して相当な遠回りをしちゃうっていうかなんていうか。だから結局近道は永遠と悩み続けることなんだよね。でもバカの考え休むに似たりっていうかさ、なんか被害妄想みたいなのが出てくるんだよね。すんげー数学的に優秀なやつらが数学やっててさ、んで俺は50過ぎて急にちょっと学問に凝りだしたような素朴な感じでやってるっつーかさ、ダサいんだよね。プロフェッショナルじゃないんだよな。そこが凄く嫌だね。アマチュアってのが俺は基本的にやっぱ嫌いなんだろうね。まぁ何に関してもアマチュアだけどさ、なんかやっぱ嫌なのよ。極めないと気が済まない。


ただやっぱホントに当初立てた目標があまりにも無謀過ぎたんでそこはちょっと考え直さないとなぁーって感じなんだよね。とりあえず幾何と数論は全然興味が持てないんで無理にやらなくていいやって前にも書いたか。ようはさ、全部極めるっつーとやることが多すぎなのよ。結果的に全部やれればいいかなーぐらいのもんでまずは目先の目標を立てなきゃダメじゃん?そう思うとやっぱ学校的なものって便利っつっちゃー便利だよね。目標が立てられやすいっつーか。まぁ甘えだけどね。んーだからとりあえず今の目標をしては恐らく俺の得意分野であろう集合論とか群論とか位相とか解析とか確率とかってのを極めるっていうね、あれなんだよね、連続的なものとかさ、あとは関係性のものっていうか構造的なものとかね、あとはどれが何に属している属していないとかさ、そういうのってなんか頭で思い絵かびやすいっていうかむしろ俺の場合それでしか理解できないんだよね。


だから改めて思うのは自分は所謂数学が得意な人ではないんだなってことね。いや、結果的に得意ってことになるかもしれないんだけど、ようは一般的な意味での計算とかさ、数値がどうのとか値がどうのとかっていうさ、なんかそういうのが全然ダメなんだよね。結局フーリエの本とかも挫折したもんね。基本的に三角関数が分数になってどうの・・・みたいなのは頭でイメージし辛いんだよね。サインとコサインがどうのでだからこうなるって理屈ではわかるけどそれはただの公理じゃん?ルールだよね。だから俺は公理主義的なのがホントにダメなのね。ABCをビールとジョッキとテーブルに置き換えてもオッケーみたいなのはホントにダメ。基本的にやっぱあとルールが嫌いなんだよね。決まり事というかなんというか。


で、なんか計算系っつーかそういうのってやっぱルールがルールみたいなところが強いんだよね。それに比べて俺がさっき挙げたやつって大抵が直感的に理解しやすいんだよね。代数とかを直感で理解するって出来る人は出来るんだろうけど俺には無理だな。あれは本当に経験値を積むものって感じがするよね。それでだんだん直感も効いてくるっていう。でも連続系のやつに関してはイメージできればそれこそそんなに頭が良くなくても理解できるっていうかイメージで理解って一般的にも言われてることだけど脳の処理能力が飛躍的にアップするんだよねっていうかようは扱える情報量が増えるんだよね。メモリに下駄履かせるようなもんか。ってことはさ、離散的なやつがどうもダメってことはやっぱある意味ですげー向いてないんだよね。俺。もしくは並とかね。だから下手に並ぐらいの能力しか無いような分野に手を出すと凄まじい時間と労力の無駄になりそうだから自分の中でわかりやすいっていうか得意なんじゃないか?って思える分野のみをやっていこうと思ったね。そうじゃないとキツいんだよ。マジで。


かといっても別にそのさっき書いたような分野で全部がわかりやすいか?っていうと当然難しいことのほうが多いんだよねってまぁ理論のレベルによるけどまぁそんな簡単なもんじゃないよね。んでもさすがにこれは解析だからとかね、位相なんだからとかね、そこはやっぱりなんつーかさ、集合論にしたってそこはやろうよって話だよね。少なくとも数論とか幾何やるよりかは全然いいんだから。んでも数論が数学のキングなんだったとすれば俺は完全に数学の神から愛されてないよな。すげー見放されてる気がする。逆に無限の神からは愛されてる気がするからそこはいいんだけどね。あといつも書くようだけど論理学ってのは数学じゃねーなって言いきれるかはわからんけどあれは文系の数学なんだなってのがよくわかったねっつーかもう学問として終わってるよね。ある意味で哲学と一緒だよね。だからなんかさ、論理学系の本を書く人って哲学科とか出てたりするんだよね。


なんか数学に行けなかった数学崩れの哲学者がやるっていうダメなイメージしかないな。実際凄まじくつまらんし。不完全性定理とそれに関連するようなZFC公理とか連続体仮説とかは面白いから読んでるし理解しようと思うけど逆を言えばこんぐらいなんじゃないの?面白いのやつって?って思うよね。まぁ完全な論理学ってわけじゃないんだけどまぁ関連するじゃん?思うにゲーデルはよく論理学者と言われるけど彼は集合論の天才だろって思うんだよね。論理学者っつーとラッセルみたいな比較的レベルが低い人達なのよ。ゲーデルは絶対違うよね。あとさ、なんつーかよく本屋とかでさ、一般向けの論理パズルみたいなのがあったりするけどすんげーくだらないよね。こんなの誰が好き好んでやるんだろうか?っていうさ、基本的にパズル系は俺は大嫌いなんだよね。なんつーか凄まじくばかばかしいんだよね。


あと確率にしてもカードのシャッフルがどうのとかさ、卑近なものにまつわる確率論って大抵がクソだよねっていうか本当につまらない。どうでもよすぎるんだよなっていうか恐らく別にその偉ぶるわけじゃなくて俺は徹底的に抽象的なもんが好きなんだろうねって思ったね。身近にも数学がこんなところに!って一般向けの本とかだとよく書いてあるけどあんなもん数学でもなんでもねぇーよって思うな。ゲーム理論とかもやろうと思ってたけどあれも全然文系の数学だなって思うね。全然やる価値が見出せないね。理論的な面白みが皆無に近い。まぁ文系とか理系って便宜的に使ってるけどさ、別に文系が下ってことじゃなくてね、文系が好みそうな数学っていうとまぁ低いものってイメージが形成されてきてるし結構一般的にもそうなんだよね。


で、数論がキングオブマスなのもわかる気がしてきた。すげー深遠な世界だもんね。まぁジャンルでのランクづけなんて意味ないけどさ、でも格別なんかちょっと数論だけなんか違う感じっつーかさ、なんかすげー玄人っぽいっていうかキングな感じって擦り込みとかじゃなくてわかるんだよね。いやーそうだろうなーっていう。いや、ようはなんつーか素数についてとかだよね。数論がキングっつーか数論がキングなんだよな。あいつが何もかも握ってやがるんだ!なんかそれが俺としては凄く気に食わないんだよね。全然俺に懐こうとしないみたいなさ、手なずけられない俺が悪いんだけどね。いや、悪くはないか。ただあいつは生きてるね。完全に。素数はもう生き物だよ。すげー嫌なやつだね。俺には捕まえられないんだよなぁー。


そこが悔しくもありなんか数学の神から見放されてる気もあり。ただまぁアレフ神みたいなのからは愛されてる気がするんだよなってさっきも書いたけどそれは間違いないね。んでも実はその素数と無限ってすげー近い関係にあったりするんだよね。リーマン予想なんてのはそういうもんなんだから。で、俺は両方やりたいのに片一方しかダメっていうかイマイチ素数に愛されないんだよね。フェルマー予想とかも理解するの諦めたほうがいいかな。向いてないと思うもん。俺。ただなんで微積っつーかあとは写像とかさ、体とか群とかそういうのが好きなのかな?ってそれはわからんね。とりあえずそういう神に愛されているからっていうそう解釈してるけどね。


なんで好きか?っていうのに理由が無いんだよね。そこが面白くもあり悲しくもあるんだよね。ようは好きなのがあるってことはそうでもないものが好きなものと比べて目立つようになるんだよね。ようは差だよね。その差によってそうでもないものがあんまり好きじゃないからどっちかと言うと嫌いだとかさ、そういう風なベクトルに言っちゃうんだよね。あ、ベクトルはいいよね。凄く。物理を理解する鍵だわ。あれは。だから俺は恐らく物理は向いてると思うんだけど、んでも物理には物理なりの細かい計算ってのがあってこれがダメなんだよなー。工学寄りになればなるほど数式がグチャグチャになっていって見ていられなくなるんだよね。恐らくフーリエとかがダメだったのも恐らくそういう工学的理由からなんだと勝手に思ってるけどね。


とりあえず諦めて本を本だなに入れてしまうってのも勇気だよね。それが必要な時もある。いや、数学は時間をそば屋の水の如く使うって言われるけど本当にそうだね。俺は没頭しているというよりかは全然はかどらないという感じだけどね。普通の本とかだったらとっくに読み終えてるのがさっぱり読み終わらないんだよね。ただやっぱ進みたくないってのもあってさ、なんかRPGで言えばそのステージのアイテムコンプしないと先のステージに進む気がしないとかさ、そういう感じなんだと思うよね。進めればいいって感覚じゃないのが余計にノロさに拍車をかけてると思うんだけど、そこをまぁ俺は勝手に楽観的に「わからない力」として解釈してむしろ長所として捉えてるんだけどね。概念を把握したときの掴みの強さでは誰にも負けないだろうって感じがするからね。


でも結局なんつーか時間は有限なんだし全部やるってのは無理なんだから狭い範囲でも理解が深いほうがいいよね。数学は広く浅くだと本当にダメだなって思ったよね。広く深くが一番好ましいんだけどそれはなかなか大変なことなんだよね。やっぱりでもなんつーか自分の器を知るっていうかさ、それやらないとダメだね。「俺には出来る!」だと「俺はアホだ!」っていう帰結に真っ逆さまに落ちていくだけだから俺みたいなやつはそういう無茶な野望は抱かないほうがいいんだなと。んでもむしろ得意分野があるんだからそれはもう儲けもんだからやれるところは極め尽くしちゃえ!ってことだよね。


で、その分野は今の所自分の好みっつーか直感で分かってるからそれは恐らくあってると思うんだよね。俺は人を見る目とかさ、現実世界での直感とか判断って全然ダメだしそれで失敗ばっかしてきてるから全然信じてないんだけどイデア界での直感に関しては信じてるよね。そういう直感っつーのがイデア界に取られ過ぎてて現実だと全然使えないやつになってるんだけどイデア界だとバリバリエリートレベルだぜ!っていうさ、いや、むしろイデア界で活躍できるならまだいいじゃないですかってことだよね。両方でダメとか考えただけでも恐ろしいからまぁまだ全然いいじゃん!っていう。


だからまぁ全部説明付くよね。身近にある数学!みたいなのが一貫して大嫌いで抽象的な数学ばっか好むってのはようは俺の住処がイデア界なわけだよ。数学が現実に近くなればなるほどどんどん嫌いになっていくっていうさ、まぁ結果的に応用できるやつとかもあるんだけどそれはプラトンの話にもあるように現実界イデア界を模倣してるからなんだよね。だからイデア界のものが現実界でも使えることがあるというのは当たり前なんだよね。んでも逆にイデア界でしか使えないものもいっぱいあるんだけどそれを扱えるのが一部の数学者なんだよね。それは数ある数学者の中でもホントに一部だけだね。そんなに多くないよね。


んでも現実がイデアに追いついていくっていうかさ、イデア界でしかまだ使えないものが多いってのが正しいかな。結果的に全然今では考えられないようなことに対して今わかっているイデア界にのみ存在する数学が現実界でも使えるようになったりするんだよね。で、そこは俺はあえて政治学とかでもイデアを信じるよね。それは方法論的にだけどね。相対主義に陥るといつも書いているようにズボズボになってグダグダになるからやっぱどっかで絶対的な価値ってのを作らなきゃいけないんだよね。で、それはどっから来るんだ?っていうともうイデアなんだと言うしかない。つまりはそれが正義であったり善であったりするんだよね。まぁ危険思想だけどまぁ俺にはピッタリな思想かなと思うけどね。下手すりゃ有害ですらあるわけだから。まぁプラトンが言うのはそういうイデアを知るものとか俺が今回書いたことで言えばイデア界の人達が世界の統治をしろってことなんだよね。


カダフィが死ぬのもイデア的に言えば当然だっていう。まぁ危険だし単純思想に繋がることはわかるけどさ、そこで俺がいつも書く事じゃん?やっぱ。相対主義とかそういうのを超えてイデア主義なんだよね。いきなりイデアだと「これは全て神の思し召しだ!」っていうバカな宗教の考え方になるけど紆余曲折あった中での最終地点としてのイデアなんだよね。まぁそれすらもイデアから見れば初歩でしかないんだろうけど、それを無理だとわかっても目指すのがエロスだよね。だからやっぱり諦めないんだよね。「これが現実だ」っつっても現実なんてクソなのは決まりきってるんだし明らかにイデアより劣る俗悪なものなんだから全部は無理でもちょっとでもイデアの光を当てて良くする必要があるよね。それは不可能なことじゃないんだから。完全にイデアは無理でもちょっと光を与えるぐらいは可能だもんね。まぁプラトンで言えばgoodってやつだわな。これの場合。


例えばイデア的に確実に言えるのは年に3万人以上もの人が自殺する国ってのがgoodなわけないってのは自明でしょ?なんで自明なのか?ってそれがイデアだよね。当然過ぎるしまず言いわけないし「別に悪くない」なんてまず言えないってのがイデアの力なんだよ。数学の証明と同じぐらい絶対的なものだよね。これが証明するのは誰にでもイデアを見る力は程度の差はあれちょっとぐらいはあるってことだよね。「そんなの良いことなわけがない」って思えるのがすでにもうイデアの反映なんだから。


だからさ、俺がそれでもいいとかどうでもいいとかって思う考えそのものを徹底的に悪と看做すのもわかるでしょ?ちょっと強過ぎるけどまぁ俺は極端なのが好きだし極端な人ってあんまりいないからロールプレイ的な意味でもやっぱエクストリームじゃないと色んな意味でイデアには近づけないよね。さっき書いたさ、紆余曲折あるってことなんだけどだからまぁ「俺はイデアの使者なのだ!」とかって誇大妄想にならないってのもわかるよね。そういう次元のイデア主義なら狂信者とかと変わらんけど紆余曲折ある場合は大丈夫なんだよねっていうかむしろなれないよね。散々哲学とか読んできててそんな風に思えるなんてバカの才能が凄過ぎるだろっていう。俺が言ってるのって形而上学かもしれんけどでもプラクティカルな形而上学だよね。


だから俺は他人の意見を認めないんだよね。有用なもんは認めるし聞くしむしろ学ぶけどなんつーかあの例のさ、「それも意見ですね」っていう大衆レベルの意見も意見と看做すみたいなことを一切しないってことね。上目目線と言われようがそれはイデア目線なんであって俺は関係ないんだよね。あくまで基準はイデアなんだから。そんなのを認めるのは時として悪にも繋がるってのが俺の普段から言ってることだよね。だから民主主義ほど危ないもんはないって思ってるわけで。まるでプラトンの意見そのものみたいだけどまぁそうなるわけよ。別にプラトンの影響受けなくたって民主主義なんてむしろ哲学の歴史で言えば不評の嵐で価値が見出されたのなんて18世紀とか19世紀ぐらいのことなんだから。


それを手放しにアプリオリに良いものとして認めさせてるってのが問題なんだよね。民主主義の良さに根拠なんてないわけだから。まぁチャーチル的な根拠しかないよね。資本主義と同じ道理でそれが良いわけじゃないけど他にマシなのがないからそれでやっていくしかないっていうもんなんであってさ、それは俺が思うに資本主義と同時に壊れなきゃいけないもんだと思うんだよね。資本主義とか民主主義=悪とは言わないけど良くはないし世界の現状見たっていいことになってないしむしろそれが良かったら世界は良くなるわけでしょ?イデア的に誰が見たって良いって思える理想的な世界が作られてるはずなのにそうなってないわけだからやっぱ違うのよ。だからやっぱそれを基盤として看做すのはもうやめたほうがいいよね。相当欠陥があるもんだってのが歴史的に明示してるってことを歴史を見ればわかるし現代を見たって世界自体がそれを明示しているわけで。


なんか俺の中でキーなんだよね。資本主義と民主主義って。結局なんか悪の根源ってこの二つにある気がするんだよね。だからなんかやっぱ民主主義に関わるものに異様に興味があるんだよね。もちろん絶賛してるのなんてどうでもよくてまぁ分析されてるやつだね。資本主義然り。今はシュンペーター伝とか読んでるけどね。この人はなんとなく近い気がするんだよな。考えが。まだわからないけどね。


ってことでした。んじゃまた。