橋下市長について。

橋下市長関連の動画をまとめてみててさ、んでやっぱポピュリズムだのファシズムだのって批判があるんだけど、あんま正直詳しいことは分からないからなんとも言えないけど特に橋下市長が間違ったことを言っているわけでもなく、強硬的な態度で変革を求めるというその姿勢に批判が行くんだったらさ、そもそも政治なんて無理じゃん?


森永さんとかが論破されまくって、んでファシズムは正しいところから始まるとかって言ってたけど、そりゃー何が正しいことなのか?ってのを市民が常にチェックしていれば良い問題なんであって、それが強硬的だろうが独裁的だろうが橋本市長の判断なり動きが正しかったら評価しないとダメでしょ。ポピュリズムだなんだって批判が色々あるけど橋下市長の詳しいことは分からないけど、俺が求める政治家全般の理想像とまではいかないけど、あれでいいんだよねっていうのに凄く近いよね。元々そんな好きじゃなかったんだけどあの強硬さとか「独裁が必要だ」って言えちゃうところとかがいいよね。いや、全くその通りだからね。


ファシズム云々の話は本当にお門違いだよね。本当にマズいことを強硬的にやり始めたら徹底的に批判すればいいわけだ。妥当なことを政治家がやって何が悪いんだ?って話でしょ。前にも書いたけど権利だのなんだのっていうそんなことばっか気にしてて改革が進まなくて国ごと沈没なんてことになったら国民全員の権利が失われるわけだよ?権利云々とか言うやつはね、本当に危機感が足りないと思うよ。本当にヤヴァいんだから誰かが強引にリセットとか改革への道を進めてくれないと大阪に限らずもうダメじゃん?


なんかあれだろうなー、インテリとか橋下支持できないだろうな。泥臭くてダサイイメージがあるし、ましてや大衆の支持を得てるから批判してナンボとかさ、ブランド的にダサイみたいなさ、それは分かるけど妥当なことをやってるならちゃんと評価して支持しないとね。いや、改革が必要なことに関して妥当なやり方で変えようとしている人がフセインだろうがブッシュだろうが関係ないのよ。それはそれで評価できるじゃん?まぁ人間的に信用出来ないからっつーんでフセインとかブッシュに任せられないってのはあるにしても橋下知事はそこまで酷いわけじゃないじゃん?ポピュリズムでしか政治家になれないって世の中の構造があるってのはもう認めなきゃいけないでしょ?


で、そんな中で愚劣なポピュリズムで市長になれた橋下市長が妥当なやり方で改革を進めている分には全然いいじゃん?結果良ければ全て良しなのよ。暗殺で市長になったやつだろうが裏で違法なことをしていようが、その違法行為も目的が政治のためならいいんだよね。それでもちろん結果出さなきゃダメだけどね。そりゃもう失脚しちゃう。いや、あと法的に違法なのと「悪い事」は別にしないとね。法的にアウトなことをやっていてもアウトプットが政治的に良いことだったらまぁいいわけじゃん?まぁーアホみたいなロジックだけど実際そうなのよ。で、例えば暗殺とかもさ、仮に本当に権利だなんだってギャーギャー騒ぐやつがいてさ、それが法的に妥当であってもその権利主張が市やら国にとって凄まじい損害を被っているって中でそいつを仮に暗殺したとしても、大量の公費の流出がその暗殺によって止められたらそれは政治的に正当なんだよね。


例の大学教授の件にしても俺が前に仲正昌樹のダメさ加減で批判したのと同じ構造でさ、ようは思想なり教育でもそうだけどやっぱりアウトプットが実践じゃないと何にもならないじゃん?なんか学者の欠点とかダサイ部分を完全にあの山口って人は露呈させちゃった気がするね。俺がいつも抱えているジレンマなんだよね。ようはこれって。思想とか読んでる割に何もしてないっていう。で、これまた前にも書いたように数学はやるってことがそのままやるってことに直結するからダイレクトなんだよね。


あとやっぱり政治にしても教育にしても実践して現場にいる人の現場じゃなきゃ分からないデータとか経験にさ、それこそ部屋に籠って本ばっか読んでるやつらはまず勝てないっつーかさ、いやね、最近本を整理してたら宮台真司仲正昌樹の対談本が出てきてさ、再読したんだけど、なんかまさしくこの構造なんだよね。宮台さんは実際にロビーイングだと過去にはフィールドワークだの会社だの色々やっててなおかつ映画監督とか小説家とか風俗嬢とか漫画家とか人脈が豊富でなおかつあの地頭じゃん?


実際、そういう様々な人とのコミュニケーションで得られる知ってあるでしょ?社会学の本ばっか読んでても分からないような知を風俗嬢とか映画監督とか小説家は持っている可能性があるわけじゃん?それに比べて仲正昌樹の狭さといったらないよね。本当に。本当にこの人部屋で本ばっか読んでる人なんだなーってのが完全に露呈しちゃってるし、思想とか哲学の一番ダサイところを見事に体現しちゃってるよね。俺もある意味似たようなもんだから反面教師的にあんな風になったら最高にダサイから気をつけないとなぁーって思ったよね。



あとはなんかさ、橋下市長って本当にインテリが語る事を避けたがる人だと思うよね。それこそああいうことを言っていたり実行していたりして大失敗したら支持してた時の発言とかが残っちゃうから活動しているあいだは下手に何か言えないっていうさ、それこそインテリなら反論してナンボみたいなさ、こういうところもインテリならではのダサさだよね。自分の地位を気にする感じとかさ、「これだっ!」っていう普段からズバッと言ってないってのが出ちゃうんだよね。大抵「何々によれば・・・」的なさ、そういうことばっか言ってるからアクチュアルなことに何も言えないとかね、あとは意見があれば言えばいいのに怖くて言えないみたいなさ、橋下市長的な存在は試金石になると思うね。マズくなりそうなのであれば今から分析して何がマズいのか?ってのを言ってれば自分の地位を気にするにしてもどの道ベネフィットになるからね。


この人は4年前からこういうことを言っていて、実際そうなっていたから批判は当たっていたとかさ、こういう山口みたいな脊髄反射的な批判なんてどうでもいいんだよね。それこそいかにもな学者らしいダサイ空論ばっかで、ああいうのがいると逆に他の学者まで恥をかく事になると思うんだよね。教育学とかやってるならそれだけで信用されないだとかなんだとか、それこそ人文系の学者の地位が大暴落しそうだよね。でも実際、文系ならではの書斎に籠ってそうなダメな感じってのをあれだけ露呈させちゃったら元も子もないよなぁー。橋下市長はそういう籠ってそうな感じが大嫌いだからとにかくフルボッコにしたかったんだろうな!っていうさ、ポピュリストとして一流過ぎるな。ありゃ。


それこそ「一般」の人が学者に抱くステレオタイプなダメなイメージをそのままディベートによって抽出させてさ、んで生放送でそれを吊るし上げのショーとしてやるっていうさ、そういう公開処刑になったわけじゃん?ありゃ教育についての意見がどうって以前に公開処刑として最高のショーになってるから橋下市長の権力者としての手腕が凄いな!って思ったね。所謂、ゲッペルス的な大衆のツボを押さえてるっつーのかな?ただまぁどんだけ強硬だろうがさ、別にあれはファシズムでもなんでもないからね。批判があればいくらでもいいですって公言してるわけだから何がなんでも抗いたいって人はまぁ意見を言えばいいわけだ。で、妥当な意見ならいくら橋下的なポピュリズムに支配された世論でも「ハッ!」とさせることなんていくらでもできると思うんだよね。むしろ隙があればいくらでも突いてこいっていう姿勢なわけでしょ?


ファシズムとか言ってるやつは寝言抜かすな!って話だよね。これが俺の嫌いな上辺だけの民主主義者の論理なんだよなー。ようは橋下的な手腕にかかればみんな催眠的なポピュリズムに引っかかっちゃって批判力とかを失うっていうさ、それってまぁ逆に言えば有権者の判断力とかを信じてないって発言だもんね。ファシズムとか言ってるやつらは基本的にそうなんだと思うよね。だって一人一人がしっかりしてればまずファシズムにはならないじゃん?それこそ凄まじく妥当でクリティカルな批判があればブログとかに書いたってそりゃ見る人いっぱいいるわけだからさ、それこそcheck&balanceが働くわけじゃん?そこで働いてないとファシズムになると思われがちだけど、そもそもファシズム的なものを見抜けなかったらそれは民主主義だろうがファシズムだろうが関係ないんだよね。だって民主主義とファシズムの違いを指摘できないやつがどうやってモノを言うの?って話でしょ?


むしろ今後はインテリさん達の橋下批判ってのが見物になるよね。ダサイのばっかだと思うけどね。あとはチキンなやつらは乗らないとか何も言わないっていうのを通すだろうなー。それこそみんなチェックしないと!俺はもう政治における田中角栄的なものを支持するからさ、どんだけ頭が良かろうがなんだろうが何も変えられなくて何も出来ないやつなんて全く問題外なのよ。頑張りましたとか努力しましたとかそれこそ政治で言えば究極的にナンセンスね。手法はどうあれ必要な変化をもたらしたという結果によってのみ政治は判断されるべきなんだよね。だからそのプロセスで違法なことがあろうがそれが共通善みたいなのにプラスになってればむしろそれは民衆は評価しないといけないのよ。ちなみに橋下市長に正義感はなくて野心しかないとか言う人がいるけどそれは正しいだろうね。むしろそういうほうがいいじゃん?正義感があるだけじゃ何もできないんだって。マジで。狂ったように「改革だ!」って思えるぐらいの強さがないと政治家としては無能だよね。


まぁー教育にしてもなんかまぁ橋下市長が結果出したら首相確定だな。ありゃ。良いか悪いかは別として。まぁ確かに危なくもあるんだけどさ、笑っちゃうのがさ、コンテンツはともかく何かやってくれそうな人ってのを支持するって人が恐らく多いだろうというところだよね。そんぐらい他の政治家が無能で何も出来ないってことなわけだ。まぁやってる人は極めて少数っていう。そういうのをぶっ壊してくれればとりあえずオッケー!って人は相当いるんじゃないかな?まさに今みたいな色んなもんが疲弊しきっていてぶっ壊す以外無いんじゃない?っていう中で出るべくして出た人って感じだよね。とにかく「ぶっ壊すべき」っていうのは民意なのは間違いないよね。


あらゆるところでそれがダラダラしてて何も出来てないってことがあるんだから勢いで色々やってほしいって人はいっぱいいるだろうな。そういう民意を利用して勢いで色んなことをどんどんやっていくんだろうけど、まぁそれは見た目は完全なポピュリズムだし強硬的なのであればそれはファシズムに見えるけどさ、「とりあえず橋下さん、何かやってくれよ!」って思う人がいればそれはある意味での全権委任だよね。でもこれは不可避でしょ。こういう構造の中でヒトラーが熱狂的な国民の支持によって全権委任されたのは言うまでもないよね。カリスマってのはこういう疲弊した時代に出てくるもんだし、群集心理としてもこんな現状でカリスマに「何かやってほしい!」って思うのは妥当なわけで。


そんな中ではもはやどんな批判も無効のように思えるよね。特に教育学者が言うような理念的なことなんてそれこそどうでもいいように見えちゃうよね。変えなきゃいけないのはまず「構造」という政治matterなんだって橋下市長は言ってるけどさ、まぁこれにはもうどんな批判も通用しないよね。これの変化無しにはどうしようもないという現状が客観的にあるならもうこれについて言っていてもどうしようもないわけだ。それを危ないだのなんだのっていうのをむしろ民主主義的な人とかさ、左翼的な人とかがギャーギャー言うのってね、実はこれが凄まじくタチの悪い保守主義なんですよってのをさ、よく分かってほしいよね。自称ラディカルなインテリ達はこぞって橋下市長を批判するだろうけど、実はそれは一番ラディカルさとはかけ離れた保守主義なんだってことね。


ラディカルってのは変化ってことなんだからさ、そういう意味でネオコンが起こしたイラク戦争は良い意味でも悪い意味でもあの辺一帯に変化をもたらしたよね。だからそれは結果的にラディカルになっちゃってるのよ。俺がネオコン的なものが好きなのはまぁ結局は根本的な元の俺のラディカリズムだよね。ロマン主義の革命家がネオコンに目覚める的な典型的な構図だけども。いや、俺が考えていることもすげーベタなありがちな流れなんだよってのを俺は自分で理解してるからね。だからこそ逆にやたらに変化を求めるというのに気を使わないといけないんだけど、とりあえず現状の橋下路線はゴーサインを送るしかないよね。ちゃんと政治をやってくれるファシズムなら俺は大歓迎だから逆に俺は橋下市長がそれこそ独裁者になれるぐらいの政治家としての素質があることを望むよね。やるならそんぐらいやってほしいし政治をやっていく中でそういう人になってほしいよね。あーなんか書いててネット系にありがちな「極論」なんだろうなーって自分でも思えてくるわー。


まぁでも橋下ロジックには今の所誰も立ち向かえないってのは確かだよね。俺のファシズム決断主義的な考えはともかくとして、橋下市長は見掛けは民主主義者として振る舞っていて的外れな批判を見事に「それは有権者を信用してないということだ」ってかわしているし、実際、インテリの批判とかも根本的には民主主義者として普段はやってるのにも関わらずこういう時にファシズムだのハシズムだのなんだのって言うわけだからいかに民衆の政治的判断を普段から信用してないか?ってことになるんだよね。こういう状態になると俺みたいな泥臭い洗練されてないやつがやたら色々と言えて高尚な先生方は何も言えなくなっちゃうっていうさ、情けないアイロニカルな状況が生まれちゃうよね。普段綺麗ごとばっか言ってる人達がどんなことを言っていくのか?ってのが見所だよね。あとはまぁチキンさ加減ね。今色々とやっている人だからコメント出来ない的なチキンさ加減ね。そういう意味でさっき試金石って書いたよね。


ようは橋下凄い!じゃなくてさ、やれそうな人が政治家になってないし誰も何もやれてないみたいな見た目があるからさ、それがポピュリズムによるものであれなんであれとりあえず変化をもたらしてくれそうな人に希望を持つってのは自然だよね。あの人いなくなったら他にやってくれそうな人がいるのか?ってことじゃん?いないからこそあんだけ支持されてんでしょ。危険なのは橋本市長なんじゃなくてまさしくこういう政治状況にあるわけよ。区別しなきゃいけないのはファシズムが生まれそうな土壌と実際のファシズムの違いね。ファシズムが生まれやすい土壌なのは恐らく世界的にどこも同じようなもんだよね。ポピュリズムの台頭なんて語り尽くされているぐらいで。


で、実際にファシズムなのか?ってのは完全に政治をウォッチして分かる範囲で完全なデータを集めて判断しないといけないわけで、まぁ素人には無理だよね。データ量が膨大過ぎるしとてもcatch upできるもんじゃないわけだから。だからある意味では監視機能が適切にワークしないということを意味するわけで、だからこそそもそもの民主主義的なものってのの虚構さ加減がいつも書いてるように露になるんだよね。そもそも無理な話なんだよね。


俺も分からんからだからこそ橋下市長には田中角栄ぐらいになってほしいって勝手に思うのね。理屈で動いてる人とは違う馬力があるからとにかくやりたい放題やってほしいと思うんだよね。ホント、学者ってのは無力ですなー。権力の前には本当に無力だわ。ただね、あれなんだよ、田中角栄の二の舞になっちゃいけないから、例えば仮に違法だって分かったことでもそれを全体で理解してそれが改革に本当に必要なことだったんだったらそれを許すっていう民度を持たなきゃダメだよね。


そんなんで橋下市長を裁くよりも改革をやってもらったほうが社会が良くなるんであればそんなことなんて些細なことなわけだ。まーこういうこと言うと先生方がまた黙ってないんだろうけどねぇー。今の橋下市長が何を考えていてどういう理屈で動いているのかは分からないけど、とにかく現場にいてああいう「変える」って立場でやってるからさ、それこそ本とかじゃない現場での叩き上げの政治家になってほしいって思うよね。なんかあんま覚えてないけどさ、公明党を支援とかってのもこいつらが創価学会だとかは置いておいてとりあえず現状でこいつらの支援をしたほうがいいから支援をやってるわけじゃん?


政教分離とかの問題を出してきても今はしょうがないから支援がいいなら支援っていうことだよね。先生方とかインテリは「公明党なんてとんでもない!」とお考えになるんだろうけど、それで行くと橋下市長に「本当に現場が分かっていない人ですね」って言われて終わりなんだよね。だからこういう批判は無駄なんだってこともまぁ自覚しておいたほうがいいよね。そんなんじゃ彼に対しては何の攻撃にもならないっていう鉄壁なガードでいるわけだから。あれが強さなのよ。理念としての民主主義の強さね。これがなぜかアプリオリに良いものだとされているからこれさえ掲げていれば誰も太刀打ち出来ないし、俺がさっき書いたように民主主義者の大衆を信じていない感じが橋下市長を批判することで露呈しちゃうっていうさ、なんかギリメカラ的な反射っつーのかな?autoな今までのロジックでやってたら跳ね返されて知らないうちにゲームオーバーですからね。


まぁブッシュも似たような感じで支持されてたんだろうなーって思うよね。左翼ですら空爆とかを支持していたわけだし。まぁ俺は単純なやつだからテロリスト壊滅で何が悪い?って論理だけどね。俺は政治に関しては洗練された意見ってのがすげー嫌なんだよね。分からないじゃなくて知ってるけど嫌なの。自分の感覚与件とあまりにも異なった帰結なり理論が論理から導きだされたらそれに違和感を感じなきゃいけないって考え方だからね。


だから基本的に単純に厳罰とかって良いと思うって単純に思うしさ、それこそロールズ的な立場の入れ換えの可能性って意味でもこれは単純にうちの家族が殺されたらどう思うか?ってことでさ、やたら法の名の元に加害者の人権がやたらに尊重されるってものに関しては賛成できないよね。いくら法とは言えあまりにも人間的な感覚からかけ離れ過ぎたシステムって絶対ダメだと思うのよ。だからこそ人間らしい野蛮性みたいなのを残しておかないと絶対ダメだと思うのね。プリミティブなものが溜まり過ぎて爆発する可能性がある。だからまぁ俺は暴力とか大賛成なんだけどね。基本的に動物性オッケーっつーかなんつーか。


ちょっと押しただけで暴力になるとか頭おかしいって。こんな気違いじみたロジックで世の中が回ってて良いわけないじゃん?最悪なのはちょっと押しただけなのにそれが暴力扱いされて事件になっちゃってその人がどうであれ事件になったってことでその人の社会的地位が奪われるってことね。これもそれこそ立場の入れ替えの可能性から考えるとまずダメじゃん?家族なり恋人を守ろうと思ってやったことなのに加害者扱いされて社会的に抹殺されるとか完全におかしいでしょ。


こういうところからどんどんさ、システム化されるってことで本来の正義みたいなのとね、それが人間が考える絶対的ではない正義にせよ最低限の感覚すらも持てないっていうさ、そんな疎外を生み出す法のシステムなんていらないわけよ。完全にいらないとは言わないけどバランスが必要でしょ。それこそ殴り合いで済む話があれば殴り合いさせたほうがいいわけだし。「殴った」っつったって色々あるもんね。ただの暴力から正当防衛とは法的に見なされなかった実質的な正当防衛とかさ、それがもうニュースとかさ、「書類送検されました」みたいなワードでもうコンテキストっつーかその殴ったことの意味合いが失われて「書類送検」っていう意味に自動的に置き換わっちゃうんだよね。これはもう完全に制度の暴力じゃん?こんなの絶対ダメだって。


前にも書いたけどさ、普通だったら殴られて然るべきの人間が平然とやっていけるのもまぁ過剰にプロテクトされてるからだよね。普通なら袋にされて終わりってことも平然とやれるっていうかさ、みんな自分の地位を失うのが怖くて暴力という手段に訴えることが出来ないって超不健全だと思うんだよね。俺は暴力が行使されることの不道徳さというよりも私的暴力によって駆除されない不埒な人間の跋扈のほうがよっぽど深刻だと思うわけね。まぁ結果的にこれは政治家然りなわけですよ。だから本当に橋下市長がファシストみたいになってっつーか本当にヤヴァイ意味でのファシストになれば凄くシンプルな解決方法が市民に開かれてるって思ったほうがいいよってことなのね。


これはまぁロック的に言えば正当ですからね。みんな暴力ってのを考えないから論理だけのぐちゃぐちゃのやりとりになるわけよ。そういう意味で市民には常にオープンな手法ってのはあるわけだからさ、だからまぁいいのよ。別に。それはあるんだって思ってなきゃダメね。それが無いと思うことが本格的なファシズムを生むことになるわけだから。本当に国のことを考えるならそれはあるって考えなきゃダメ。


ってことで今日はこのへんで。