ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

生の刺激剤。

やっぱりニーチェが言ってたような生の刺激剤だよね。いつも書くけど自分にとってもはや哲学は刺激ではなくなってさ、まぁようはもう生活との境が無いわけだよね。それはもうだいぶ前からそうだけど。いや、だからこそ数学が心の支えになってるんだよねっていうか数学に出会ったときに「これだ!」って思ったんだろうね。心の依りどころみたいなのが欲しかったわけで、まぁー迷ってたねぇー。今も迷ってるけど。


思うにでもさ、自分ってのはやっぱり自分の事しか考えてこなかったんだよね。まぁ当たり前のように聞こえるかもしれないけど、ようは学問らしい学問ってやってこなかったんだよね。哲学とか政治哲学がそうだと思っていたけど、でもこれって直なんだよね。自分が気になるとか知りたいとかっていう完璧な内発性から生じているものでさ、知的刺激というのもあったけど、んでもなんか学問としてやるならやっぱ体系的にやるとかメモとか取って厳密に理解するだとかなんだとかさ、んでも自分って全部自己流だからね。解釈も全部自己流。まぁ哲学はピッタリなんだよね。


もう俺みたいな人間には最高に向いているけどでも一般的に言われるような学問性は無いよね。だから哲学って学問じゃないんだよなぁー。inquiryなんだよね。探求とでも言うのか。学問としての哲学はやっぱり哲学史だと思うんだよ。誰々はこういいましたが一般的にはこんな風に解釈されて・・・って講義できるようなのが学問としての哲学で、実践者とかはそんなことどうでもいいだろうし、文献的な知識で言えば四六時中文献ばっか読んでる学者に比べれば少ないよね。その分まぁ自分で考えてるわけで。だからリサーチじゃないんだよね。inquiryなの。


そういえばさー来月誕生日なんだよねー。で、年甲斐も無くママンに「来月の書籍代は1万プラスでいいでしょ」とか言ってゴリ押ししてみたり。凄まじい数学ニートっぷりだ。で、買ったのはっていうかまぁあれだな、そのプラスの1万分で買ったようなもんがArtinのAlgebraね。面白いし分かりやすいと評判の本なんだけどファーストエディションが中古で安く売ってるんだけど最近出たセカンドエディションはファーストエディションを出してから色々とフィードバックなんかがあって、それを活かしてアップデートしたやつらしいから高いけどそっちを買う事にしたんだよねっていうかまぁこれが誕生日プレゼントだ!って感じで。まぁ実際でもPDFとか恐らく落ちてるわけですよ。ネットとかに。


本の検索をするとフリーのpdfとかゴロゴロしてるんだよね。でも前に書いたようにまず対価を払わないとやる気が出ないっつーかフリーのものってさ、それこそブログとかまとめサイトみたいなもんでさ、なんかやっぱタダ感があるじゃん?1万払って大層なハードカバーの本が送られてくるっていうそのプロセスだよね。あとはこないだのアメトークでも再確認したように又吉みたいに本自体が好きっていうさ、それは俺もあるわけよ。数学書には数学書独特の良さってのがあってさ、まぁ逆にすんげーつまんないやつとかなんの愛着も湧かないんだけどさ、まぁそういうのってあるじゃん?


太宰で言えば又吉はなぜ読み辛い太宰の初版を持ってるのか?とかさ、いや、別にネットに文章ならあるでしょってそういうことじゃないんだよね。いやましてや数学なら個人で買うのは大変だから図書館を利用するとかさ、まぁ今は無理だけど仮にあっちの大学に行ってたとして、まぁ大学の図書館を使うとかさ、それもあるけどやっぱ違うんだよなぁー。自分で買ってそれを所有するっていうさ、で、数学書にも相性があるわけだからさ、で、相性バッチリのに出会ったらやったぁー!って感じで枕頭の書にするわけよね。それこそベッドで読んでいて「あー面白かった。明日も続きが楽しみだ」なんつって本と一緒に共寝するような感じって人の本とかじゃありえないじゃん?それこそ図書館の本とかなんてありえないでしょ?それと同じなんよね。


それで言うとまぁレコードもそうなんだけどね。mp3がいくらあろうがやっぱ俺はジャズとかモンドとかっていうああいう古い音楽はオリジナルで聞きたいわけよ。そのこだわりね。んでも本の場合、別にオリジナルだからって質感が違うとかってないからこそ、それこそ文字っつーデータなんだからそれが図書館の本だろうが借り物だろうがネットで拾ったものだろうが関係無いじゃん!ってことになりそうだけどやっぱ違うんだよねっつーか図書館とかでいいって人は信用出来ないよね。いや、絶対それに対して愛着無いだろっていう。俺的に言えば考えられないんだよね。哲学にしたって例えば今はハイデガーニーチェを読んでるけどあんなの一生持っておきたいじゃん?図書館でレンタルで読んだら返すとかさ、どんだけ思想に愛着無いんだ!って感じじゃん?


それは数学も一緒なんだよね。過去の数学者が苦心して初学者のために分かりやすく書いた本とかさ、それってもう作品なのよ。逆にまぁ無味乾燥な定理と証明だけの繰り返しのやつとかまぁ本当にあんなのネットで拾えばいいやって感じだけど、著者の力が入ってるやつってやっぱ作品なんだよね。解説が秀逸であればあるほど作品感は増すわけだ。だからそれが仮に初等的でもうある程度マスターしちゃってもさ、なんかやっぱ思い出の本として持っておきたいじゃん?ただのステップアップのための道具としての参考書とかなんて使っちゃえば売るなり捨てるでいいかもしれないけど、数学者とかが苦心して書いたやつとかってやっぱ作品だからさ、それ自体に価値があるよね。


んでもそんなもんはただのフェティシズムだろって言われたらそれまででさ、まぁ去年とかずーっとそう思ってたんだよね。ただのデータじゃないか!って。でもやっぱまぁ違うのよね。つまりは俺がなんで本が好きなのか?ってところに行き着くわけで、やっぱそれでいいんじゃん!ってのはアメトークの読書芸人のやつの又吉を見てて思ったよね。ああいう愛って俺も持ってるわけだからさ、又吉は本自体への愛とあとは文学とか文学者への愛ってのがあるわけでしょ?で、俺も哲学者への愛もあるし数学者への愛もあるし哲学と数学への愛もあるわけじゃん?言わば愛知だよね。だからまぁーそれでいいじゃん!っていうさ、そこを別に冷めた目で見なくても俺が好きなんだからいいじゃん!って話なんだよね。


だから今後も高くても数学書は買っていこうと思ってるんだよね。ましてや使える金が限られているということが凄くまぁ慎重に本を買うってことに繋がるし、まず大枚はたいて買ったやつだから読み込まないと気が済まないっていう貧乏性が出てくるでしょ?金持ちがガンガン本を買って雑に多読していくのとはわけが違うんだからさ、だから特に数学なんてのはすげー高い本を買って「これは1万円もした本なんだ」って大事に読むっていうさ、バカバカしいかもしれんけど、茂木さんだかがマイクロソフトのアホそうな人に切れたやつあったじゃん?ニコニコでのジョブズの追悼番組なんかでさ、ようはデザインとか触るってこともcomputationなんだって言っててさ、「あーそれだな!」って思ったんだよね。


ようは又吉とか俺にとっては本を手に取って匂いとか触り心地とかも楽しみながら本を読むっていうそういう身体的なものも読書の一部でcomputationなんだなと。ようはOSと人間って間にcomputationが介在すると思いがちじゃん?OSと人間との関係性とかそこで発生する人間側のcomputationね。でも茂木さんが言ってたのは恐らくデザインとか触り心地とか、そういう外的なものが人間に触れられているという時点でもうそれはOSに組み込まれてるっていうか、それはもう人間にとってはcomputationなんだってことなんだよね。そういう意味でwindowsは色んな意味で最悪ってまぁそれは同意せざるを得ないって感じだけど、それで言うと音楽よりかは本はよっぽど身体性あるよね。まぁレコードの場合、A面B面で変えなきゃいけないってのがあっても聞いてるときは身体性はないじゃん?でも本って常に触れてるからね。それでボロボロになっていったりとかさ、まぁ洋服とかと一緒だよね。あとはスニーカーを履きつぶすみたいな感じか。


ボロボロになるまで読むぞ!ってすげー大事なんだよね。電子書籍じゃそうはいかないわけだから。無味乾燥になりがちな数学っつーもんがより無味乾燥になるよね。なんかやっぱあとさ、さっきのartinの本じゃないけどこういう詰んでる精神状態の時にさ、限られた金で大枚はたいて買った本とかって一生思い出に残るじゃん?なんつーか強度に繋がるよね。あんだけ高い本だから積読ということはありえないし。


で、ミネルバモードでさ、気がおかしくなりそうなぐらい孤独な時間を何十時間も過ごしながらそういう環境でただ永遠と読み続けるっていうさ、いや、あんだけ長時間そこにいなきゃいけないとかってことはなかったからね。ニューヨークの地下時代もまぁ別になんつーかパソコンとかは手許にあるわけだし、あとはゲームとかもあるじゃん?でも本しかない場ってのはなかなかないよね。佐藤優の獄中記的な方法論だけども。そこでまぁバカ高い数学書を大切に読むってまぁなかなかの強度だよね。いや、取り寄せだから2週間ぐらいかかるんだけどね。


なんつーかだからいかに強度を出すか?だよね。一見非合理的に見えても強度があるならそれを選択するべきなんだよ。合理性とか経済性から見たら全然損なんだけど強度があればそれを選ぶべきなんだよね。なんでも合理性だの経済的だのなんだのってそんな尺度で物事を決めてたらつまらないじゃん?それこそ全然強度がない人生になっちゃうよね。まぁ俺にとってはあとはさ、数学書を買い込むってやっぱ強度に繋がるのよ。もうすげー金を払ってるわけだから放置ってわけにはいかないんだよね。こういうのもコミットメントを深くする良い方法なんだよね。


もちろん読みたい!って気持ちがあるから買うわけだけど、そこでそれなりの対価を払うとかさ、それこそあれだよね、ガッツリやるぞ!っつって高い授業料払うようなもんなのよ。で、高い金払ってるからそれなりのものを得ようとするわけでしょ?そういう動機づけのトリガーの仕方って重要だよね。それを繰り返してるとまぁいつのまにやら数学マニアになってたりすると思うわけよ。まぁ俺の哲学の場合はそうだよね。気がついたらまぁ結構な数の哲学書があるわけで。別に集めようと思ってたわけじゃなくて増えちゃうんだよね。当たり前だけど。


ってことでもういいです。んじゃまた。