ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ミネルバモードで覚醒。

ミネルバモードになってからっつーかまだ数日だけど明らかに精神状態が良くなってるのが本当にウケるわっていうのはさ、ようはあっちの世界に行ってる時のほうが楽なんだよね。数学やってたり本を読んでたりするほうが。はっきり行って帰国後本当に調子が落ちたなぁーって思うしなんかイマイチ冴えないしさ、このまま低飛行モードで終わるんじゃない?って感じるぐらい虚無感とか無気力感に襲われることが多くなったけどさ、いや、特にここ数ヶ月はなんやかんやで色々あってすげーストレスがあったんだろうね。で、ミネルバモードになるとさ、あれなんだよね、パソコンもないって環境が凄く良くてさ、本しかないから読むしかないでしょ?で、それしかないからもう集中しちゃうんだよね。毎日最低12時間はそこで過ごさなきゃいけないんだから。


そうなると脳が半ば防衛機能的にハマるモードになるのかさ、とにかくまぁ集中出来るんだよね。まぁあと夜中モードじゃないと毎日朝起きなきゃいけなくてんで帰宅後も寝不足でダルいとか睡眠の不足分を補うとかでさ、なんか生活のリズムが悪かったんだよね。んでもやっぱ深夜モードは俺にあってるんだろうな。とにかく昼間が嫌なんだよな。外が明るくて人が活動している感じが俺にとっては凄く鬱な要素になるんだよね。で、暗くなって人通りも少なくなると元気になるんだよねってまぁ単純な鬱の日内変動なんだけどさ、んでもまぁ起床後デフォで暗いとかって逆に落ち着くんだよな。外に出ても人と合う確率が低くなるし静かだし。


そんな感じでもう起床したらすぐ店に行かなきゃいけないんだけどさ、んでそっからもうミネルバモード突入じゃん?だからもう鬱ってる暇がないんだよね。とりあえずダルくても本読んでればいいやっていう。んでも日中だとできないのね。なぜか外が暗いっていうか夜だと出来るんだよね。あとテレビとかも見るやつがあるじゃん?飯とか食いながら夜やってる番組とかを見るってのもまぁ精神衛生上よろしいんだよね。まぁそう思うと必ずしも毎日12時間読書してるわけじゃないんだけど、でもまぁ大半が読書だよね。


なんかこのバランスがいいんだよなぁー。でもやっぱりふと疲れたなぁーとか思ってボーっとしだすとロクなことばっか考えることになるんだよね。まぁこれは昔からだけどいきなり過去の嫌な記憶が甦ったりさ、今後の生活の不安だとかなんだとかもう完全に不安だらけっていうか鬱要素ばっかなんだよね。でもこれは別に主観的なもんでさ、決して鬱要素に囲まれているからそうなるってことではないんだよね。まぁ逆に翻って見ると生活で見れば今のほうが断然楽だからな。


使える時間多いし通学とかないしまぁ家族とのストレスはあるけどでも思えば住居面でのストレスとか学校でのストレスとかそれこそもっとさかのぼればルームシェアしてたころのストレスとか考えるとどんだけ今は楽なんだ!っていう。刺激がないから脳が鈍化しそうではあるけど、でも色々な外的な要素が無い分、時間は使えるしまぁ比較的ストレスは少ないほうだよね。


でも別に毎日楽!ってわけじゃないのは見ての通りでやっぱり目標らしい分かりやすい目標を失ったみたいな喪失感があってさ、ようはそれがあったからあっちでもやっていけたんだよね。あんな過酷な状況でも。でも今は別にそこまで過酷じゃないけど心の依りどころになるような目標とかやることってのが無くなっちゃってるんだよね。全部自主的に「やるんだ!」って決めてやるしかない。それがまぁ狸さんとのやりとりでもあったような葛藤ということなんだけどさ、そこをまぁね、実存的に葛藤するんじゃなくてまぁネガティブな言い方をしちゃえば現実逃避としてあっちの世界に行っちゃうってのが楽だなって単純に思ったのね。


そもそも将来の事とか考えて数学やってるってなんかバカバカしいっていうかさ、それがあるから辛くなるんだよね。本来楽しいわけだし楽しいからやってるわけでさ、楽しめばいいんだよね。結局まぁこういう快楽ベースでやってたほうが結果的にハマれるしやるっていう敷居が低くなるからさ、自然とエロサイトに手が行くように数学書に手が行くようになるんだよね。


で、まぁ意識的にニュートラルでいると辛いだけだから余計なことは考えないでひたすら数学の世界にどっぷりハマっておけばその場は凌げるっていうさ、そういう実存的な防衛としての数学だよね。歩いていたり自転車乗ってたりするときですらも考えてれば余計なことを考える余地がなくなるし結果的に数学に接している時間が長くなるから目標に近づくことになるんだよね。結局はやっぱり俺の原則であるwant toベースがベストなんだよね。have toでは絶対上手くいかないな。


今まではhave toベースのところもあったからね。ましてや受験とか考えてたからやらなきゃいけない!っていうさ、やらなきゃ身の振りようがなくなる!みたいな感じもあったからね。それがあったからやれた部分もあるんだけど、今はとりあえずもう無くなったじゃん?そうなると本当に前にも書いたようにそれそのものをやるってことになるんだよね。大学云々とかそういうんじゃなくて自分がやるっていうさ、そういう結果的に行為で言えば直接性が高まるんだよね。


でもここでリア充とかだったりさ、ゲーム好きとかだったらやっぱ他の事で自己充足感を得られるからさ、いや、それが人間関係であったり恋愛だったり娯楽だったりすれば数学なんつーケッタイなもんはやらないんだよね。まぁ本当に好き!って人はやるんだろうけど俺にはもうこれぐらいしか楽しめることがないってのが現状じゃん?そこまで好きかどうかは実際分からないんだけどでもそれ言い出すと本当にやることなくなるからとにかくのめりこんで好きになっていけばいいんだよね。いや、やっぱ分かるようになってきてるから楽しくなってきてるんだけどさ、でも仮に他にも楽しい事があったら数学やってるかな?っていうと微妙だよね。それこそ読書で現実逃避するような感じだよね。実際読書が好きかどうかはともかくとして実存的に読書をしてるほうが楽なんでその世界に埋没するっていう。


だからやっぱなんつーか哲学とか数学ってリア充向きじゃないんだよね。本当にそれが好き!っていう変態か物好きかあとは俺みたいにもうこんぐらいしかやることがないしついついやってしまうっていうようなアイデンティティクライシス型の割と消極的なやつだよね。哲学なんかは絶対そうだよね。好きっつーかもう考えちゃうっていう。それはもう自分が一番分かってるじゃん?もうやるやらないじゃないっていう。だから意識的に数学ばっかじゃなくて哲学書もたまには読まないと・・・・なんて思わなくてももう求めちゃうんだよね。あとやっぱり数学だけじゃ満足出来ない知的欲求ってのが大きいから所謂人文系の刺激ってまた違うからそれは常に必要なんだよね。


でもまぁハマるっていう意味においてはまぁあれだよね、両方変わらないよね。よく言えば三昧だけど悪く言えばそこに心を置いていないとっていうか志向性をそこに向けていないと嫌なことばかりに意識が向かってしまうから健全な意識のディレクションを保つためにハマるようにするっていうかそれを考えるようにするっていうさ、いや、楽しい事を考えたり出来るときはいいんだよ。でも最近は嫌な事ばっか考えるような癖がついてきてしまってるからさ、だからなんかすげー必要なのよ。魂の保全というかなんというか。その自浄作用みたいなのがあるのが数学だよね。でもそれは一般的に数学に自浄作用があるんじゃなくて今の俺にとって作用があるってだけね。


だからまぁ結果的に別に大学どうのじゃなくても続けてるんだと思うよね。まぁ才能無かったら諦めるって前にも書いたけどじゃあ諦めて何をやるのか?ってないからこれしかないって感じだよね。かといっても常に不安はつきまとうけどそれは杞憂だからしょうがないし不安を抱いてる暇があったら打ち込んでるほうが精神的に楽なわけだからそれをやってたほうがいいんだよね。結果的にまぁ三昧になるわけだ。だからやっぱ努力じゃないよね。努力って受験のため!とか将来のため!っつってやる感じじゃん?でもそれはやっぱ俺には無理なんだよね。そもそも受験っつーシステムがバカバカしいし大学にも価値を感じないし実際調べるとポスドク問題とか酷いわけだしまぁ学歴取れば職がありますよって世界ならいいけどさ、そうじゃないわけじゃん?


そんなリスキーなもんに時間をかけるのはどうなのか?って感じがしちゃうんだよね。結局将来のために数学やってるのかそれ自体をやるために数学をやってるのかってことでまぁ俺はやっぱ後者なのよ。で、前者も結果的に付随すればいいかなってところなわけで前者の割合が増えちゃったらそれは本末転倒なんだよね。そうだったから帰国後とかモチベーションがイマイチだったんだろうな。分かるようになってきた頃から楽しめるようになってきてんでまぁ今みたいな好サイクルに至ってるわけだ。


いやー全然思ったほどハマれてないなぁーってずーっと思ったけどこうやって客観的に見ると相当ハマってるよね。去年とか絶対無理よ。かなり無理して「読まなきゃ!」っつって読んでたところがあるからこんなストレス無しでそれこそそれが現実逃避になるぐらいハマれるって結果的にまぁ良いことにはなってるよね。理想像に近づいてはいるよね。それこそ去年とかなんてさ、読む癖をつけるためにうちの犬の散歩をするときにペンライトで数学書を読むっつーのをやってたわけじゃん?今思うと滑稽だもんな。まぁそんぐらい生活に数学がハマってなかったんだよね。最初だからしょうがないんだけど。


でもそれがあって「分かる」っていう楽しさがどんどん続くようになってきてるんで結果的に猿のオナニーみたいに永遠とそれをやるみたいなことになってるんだよねっていうかもっとハマりたいけどね、でもまぁ確実にやってる時間は増えてるし能動性が増してるんだよね。逆に帰国してきたほうが数学的には良かったんじゃないか?ってぐらい自分の数学における精神状態が未知の領域に入ってきてる気がするんだよね。学科としてやってたらこういう境地にはならないだろうなっていう。これにはまぁさっき書いたような複合的な要素があるじゃん?毎日つまらなくて辛いとか目標を失ったとかなんだとか。


まぁなんか運命愛を感じてるかな。今は。色々と思い返すと昔は物欲だのさ、ニューヨークに居た頃は学問以外にも色々あったからね。目標もあったし今思えば娯楽も色々あったなと。まぁ使える金があったから消費できたしさ、あとはまぁ移動とかやらなきゃいけないことだとかで時間が自然に過ぎていくっていう。で、帰国後もまぁ色々と本を買って読んだりとかさ、あとはギターにハマったり去年で言えばマッシュアップだとかなんだとか色々あったけど、今はもう本当に色々とやり尽くして無くなっちゃってるんだよね。それが俺の言う「他の何か」なのよ。今まではそれがあったんだけど特に今年に入ってからは本当に無くなったなぁーと感じるんだよね。もうだから数学しかないっていう削ぎ落とされて残ったものっていう感じでの数学しかない感じなんだよね。まぁ俺が継続しているものって哲学と数学だけだよね。音楽とか映画とかはことごとくピーク時に比べれば無くなってるもんね。


こうやって結局削ぎ落とされて残った物しかないんだろなぁー。それが昔のサラリーマンで言うとマイホームだの日々の仕事だのさ、そういうまぁ中心点みたいなのがあるわけよね。で、退職後とかにそれを失って鬱になるとかさ、結局まぁ俺は退職後のサラリーマンみたいな心境なのか?っていうさ、だから退職後の趣味としての数学なのか?って気がしなくもないけど、そこはまだなんやかんやで若いんだからコミットメントを深くすることはできるよね。もう身体的に不可能になってるならともかく全然まだ現役なわけだからっつーか脳は使い続ければ一生現役だろうね。まぁアルツハイマーとかになっちゃったら別だけど。


だからまぁそうやって脳をフル回転させることでホメオスタシスを保ってるっていうさ、そういう防衛本能としての数学というかまぁのめり込める何かってことなのかもしれないよね。それは今まで支えるものが色々あったんだけど本当に無くなったから数学に没頭するしかないっていう。で、下手の横好きなんじゃないか?っていう懸念がずーっとあったわけだけど、とりあえずそうではないなっていう最低ラインは超した感じがするからまぁ若干マシにはなったよね。でもまぁ目標のハードルがめちゃくちゃ高いから永遠に安心することはできないし、それこそその辺の大学生よりも数学が出来たり詳しかったりしてもそういうレベルじゃないから安心できないんだよね。


それはプレッシャーではあるんだけどでも俺はハードルをめちゃめちゃ上げるってことが性に合ってるんだろうね。もっと現実的になれよってぐらいドリーマーなんだけどでもそれは現実的なドリームなんだよね。めちゃめちゃ高いハードルを越えたことである程度満足出来る自分っていうことが夢なんであってさ、だから夢を見続けるということが結果的に日々の精進に繋がることになるんだよね。まぁこれはニューヨーク生活の頃に編み出した考え方だけど数学ならなおさらそれが言えるなぁーと思って、だから今の環境も悪くはないなと思ってるんだよね。ミネルバモードが予想以上に効果があったんで。ようは下手に暇を作らないってことだね。何かに没頭し続けるってのが自分にとって一番楽なことだってことなわけですよ。それをミネルバモードで実感したってことだね。時間があってもやることはもう無くなっちゃってるわけだから。


自己肯定のためじゃなくて結果的にそれが運命愛的な繋がりになってるってのがやっぱ俺らしくていいなぁーと相変わらず思うね。逆境かと思いきや一番それが最適な環境だったりするってことが多かったからね。それが続いてるってことはまだ終わってないってことだよね。ニューヨークからの流れは地続きなわけだ。自己肯定のために理由を無理矢理作ってるのだともう本格的に詰んでる感じだよね。そんなの自分が惨めになるから本当にできないからこれは主観的なように見え客観的に結果的にだけど予測できなかった形で良い流れになってるって思ったのね。かといってもまぁ別に毎日がハッピー!ってわけにはならないんだけどね。でも別に悲観する必要はないなって凄く思ったんですね。


ってことでまぁ今日はこんな感じですかね。