ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

文無し貴族の憂鬱。

出世欲というかさ、社会的地位とかね、名誉とかさ、そういう欲がないからだと思うんだよね。やっぱ。それが問題なのかは分からんけどさ、今の生活に疑問を感じないっていうかさ、今はまぁ選択肢がないからこれしかないってのもあるんだけど、んじゃあ今の状況にいなくてもいいよってなった場合、よっしゃー!ってことにはならんのよね。いや、だいぶ前に書いたけどさ、仮に何十億というお金を持っていても別に幸せにはならないっていうさ、いや、まぁ生活の心配をしなくて済むってのはあるけどそれだけじゃん?いや、マジで僻みとかではなくてさ、本当に俺は心の底から何よりも価値があるのって自由だと思うんだよね。まぁ自由っつーか自由時間か。


自分のために使える時間があるっていうことが最高の贅沢だと思うんだよね。それで生活の心配もしなくていいならまぁいいんだけどさ、でも金が無いってことでかかるリミテーションってあるじゃん?いきなり海外行ったりだとか出来ないしさ、欲しい物を片っ端から買えるということもないんだけど、でも結局、なんつーかこないだ数学書のコスパの話をしたけどさ、なんつーかああいう庶民的なね、1000円でこの内容か!的なお得感での満足感って金持ちには感じられない感覚だよね。


まぁ貧乏が染み付いてる人ならっつーか松っちゃんとかそうみたいだけどさ、なんかまぁ金の有る無しって生活が保障されているということ以外のファクターで言うと色んな物の値段がフリーになるってことだよね。孫さんがITバブルの時に個人資産が凄まじくなってデパートとかも買えるっていう感じにリアルになっちゃったからそのときに物欲が完全に無くなったっつってたけど本当にそうだろうなぁーって思うもんね。


だからこそ悩むんだよなぁー。金なり社会的地位なり名誉なりさ、凄い人だ!って言われるとかさ、そういうところにゴールがあるっていうか、そういうのを求めてる人ってそれがエネルギーになって動けるもんね。それに必死になれるっつーかなんつーか。羨ましいとは思わないけどさ、でも無さ過ぎると本当に社会性無くなるんだよね。で、自由な時間を一番の価値とするという感覚でいると結局、自分一人の時間というのが何より素晴らしいものになるわけだから結局なんつーか隠居っぽくなっちゃうんだよね。俺はだいぶ前からそうだけどあっちにいた頃は学校に行くだとか学歴だとかあっちで職を得る!みたいな目標があったからバランスがとれてたんだよね。


本来は隠居っぽいマインドだけども、その一方で普通の人っぽい学校の行き方をしてたっていう。でも今はそれがなくてさ、んでかといっても仕事してないか?っていうと一応仕事はあるじゃん?仕事とは思ってないけど俺がやることだよね。言わばこれを仕事に置き換えて考えるとさ、まぁー仕事ってそんなもんだろうなぁーってことになるよね。で、別にそれ自体が凄まじく好きなことである必要性はないと本当に思うよね。無理なく自分でこなせる仕事でなおかつ困らない収入があるっていうさ、まぁそういう仕事今は滅多にないんだけど、なんか仕事に固執する理由ってないよね。言わば俺がいいたいのは職業ってことなんだけど。


ようは問題は俺が人間として何をやってるか?ってことが問題なわけでさ、そう考えると分からないよね。知的好奇心を満たしてるだけって感じになるけどさ、そんなのオナニーと変わらないじゃん!ってことになるんだけど、でもそれ自体が好きでやるって結局はオナニーと一緒なわけじゃん?大学のポストとか本当に考えれば考えるほど意味無いなぁーって思うんだよね。別にそれやらなくたって自分で出来るんだったら仕事なんてなんだっていいわけで。やれるやつならね。あと大学の仕事って人減らしもあってすげー忙しいらしいし、それこそ肩書きとか名誉以外で考えると何の価値もないんだよね。別に普通の労働者と変わらないわけじゃん?


テストの採点とかやるのか分からないけどあんなの絶対やりたくないもんね。だからやっぱ大学も違うんだよな。やたら盲目的に大学だ!って考えてたけど考えれば考えるほど大学の価値ってないんだよね。あと忙しくなってるってことで美味しさもないでしょ。昔の大学教授っつーと閑職みたいな感じで優雅なイメージがあるじゃん?で、それでいてみんなに先生って呼ばれるとかさ、近所でも「あそこは先生のお家よ」とかって言われるだとかなんだとか、まぁ所謂昭和的なっつーかレトロな世間体のテイストだよね。でも今ってそういうのないじゃん?大学の価値も完全に失墜したし、そういうのをみんな分かっちゃってるから社会的名誉みたいなのもないもんね。そうなるともう本当に価値ないよなぁー。頑張って目指すほどのものではないっていう。


もちろん現場にいなきゃいけないっていう学問のジャンルなら別だよ。測定器がいるとかさ、デカイ機材がいるとかさ、そういうのだと物理学とかね、やっぱ科学系は大学必須だよね。それは間違いない。でもまず哲学はいらないよね。大学。まぁ学部としてあるのはいいけど大学というものと非常に矛盾するのが哲学だよね。自分でやるもんだから。で、数学も極めてそれに近いんだよなぁー。自分でやれるから大学を目指す理由が無くなってしまうしさ、あとは大学ならではの美味しさとか社会的地位とかも興味なかったり美味しさがなかったりしたらもう何の魅力もないでしょ。だからどうしていいか分からないんだよね。今。


今まではなれるかどうかは別として研究者になりたいんです!とかって言ってたり思ってたけど、別に今勝手に自分で研究してるわけでさ、在野でやるのか大学でやるのかさ、んでも大学でやるとなると雑用がめちゃめちゃ多くてそんな研究の時間なんてないよとかって言われるとむしろ在野がベスト!ってことになっちゃうよね。まぁ自分でやれる人に限るけど。でもそういう人の場合、なんつーか社会的イニシアチブみたいなのが無くなっちゃってさ、それが最初に書いた隠居モードってことなんだけどさ、必然的にそうなっちゃうんだよね。


で、やっぱ俺はそれはどうかと思うわけよ。まぁ前はそれでいいって思ってたけどここで色んな人とやりとりをしてそれはダメだなってやっぱ思ったしそれは変わらないんだよね。社会なんてどうでもいいってことにはならないわけよ。んでも自分の性格というか人格というかマインドと社会の相性が最高に悪いんだよね。地位とか出世とか金を求める人と社会との相性はいいってことになるよね。まぁ何を社会とするかだけど所謂まぁみんなが納得するような社会っぽい感じってビジネスやるとか仕事するだとかさ、そういうことじゃん?で、それもお金を稼ぐためとかね、社会的地位とかさ、社会の中でやりたいことを達成するためとかさ、まぁなんつーかゴーサインが出そうな感じのことだよね。でもんじゃあそうじゃない人はどうすればいいのかな?ってことだよね。


それが残るなぁー。俺には。数学でやっていけるかどうかって悩んでたのは進学するつもりでいたからじゃん?帰国後の一年半ぐらいね。でもだんだんと今の俺みたいな考え方になってきてからさ、数学とか学問と将来が結びつかなくなっちゃったんだよね。別にそれで身を立てるためにやってるわけじゃなくて好きでやってるからなんだけどさ、んでもあと好きでやるなら好きでやってるのが一番!ってこともあるじゃん?そうすると今の俺みたいな状況がベスト!ってことになっちゃうんだよね。これでいいのかな?今俺が気にしなきゃいけないのは将来的なお金の問題だよね。


今は実家暮らしで手伝いもしてるからとりあえずは現状維持ってことになるわけだけどさ、んでも何かやりたいことがあって、んでも今は出来ないから今はしょうがないってことならなんかまだアレなんだけどさ、いや、最初はそうだったんだけど、今はさっきも書いたように別にこれが無くなったからといっても自分の生活が変わるわけじゃないし、何か新しく動けるようになるってことでもないんだよね。大学を目指すっつー目標が無くなっちゃったから本当に社会性ってのを自分の中でどう維持していくのかが本当に難しい問題になってるよね。


別に毎日楽しけりゃーいいやーって考えなら別にいいんだけど俺はやっぱ変わったんよね。なんかやっぱり社会的なものが介在してないとダメだなっていう。本当の隠居みたいになっちゃうからなぁー。マジで。そこをなんか人工的な力でまだ若いんだから何かやれよ!っていう風にしていきたいんだけどそれが何なのかが分からないんだよね。まぁそりゃそうだよな。ずーっと何年間も目標にしてたものってのが無くなったわけだから。で、別にその目標を取り戻してやればいいじゃん!っつってももう無理なんだよね。色々と悩んで調べたりもした結果、こうなっちゃったわけで、これは言わばニューヨークに特に滞在理由を感じなくなってしまった頃の自分みたいな感じなんだよね。


別にこれは大学に行っても変わらないっていうか大学に行けばより顕著になっちゃうと思うんだよね。もう本当に意味無い世界だなって思えてくるのが目に見えてるから結局中退だのなんだのってことにもなりかねないからね。やっぱそこに行かなきゃ出来ないこととかさ、大学にいなきゃ出来ないというような特別なことがないともう行く理由がないよね。純粋に学習が目的なら自分でやるのが一番いいわけでさ、だから結局、まぁ隠居みたいな生活になっちゃうんだよね。まぁすんげー勤勉な隠居だよね(笑)学問メインでしかも仕事らしきものも毎日やってるっていうさ、文句無さ過ぎなのが笑えるよな。いや、別に俺自身は変わってないんだけどね。


今は仕事してるなんて感覚もないし、別に仮にどっかに就職とかしてもそれは変わらないと思うんだよね。別に就職すればそこで社会性が担保されるのか?ってむしろより疎外されるってのがマルクスの理論だけどさ、そういうのに悩んで脱サラしたりまぁ辞めたりするケースが後を経たないわけでさ、なんかこのサイクルが異常なんだよなっていうか健全な社会生活を求めようとすると既成の社会との折り合いがつかなくなってしまうっていうさ、まぁそれで言うとまた弱者の理論だの書生論だのなんだのって言われそうだけどね。


要約すると結局なんだかんだ言って「社会が悪いんだ」って言ってるヤツってことになるよね。まぁそんな単純なことじゃないし自分でもそうはもちろん思わないんだけど、なんかでも俺ってそういう世間体すらも完全に気にしなくなっちゃったらさ、もう完全なるフリーマンになっちゃうよね。今でも十分フリーなんだけどさ、浮世離れ度が凄まじい勢いで加速しそうだよね。そう思うとやっぱりあっちにいた頃に学校に通ってたってのは俺の中に適度な社会の感覚とかさ、人と接するってことを必要とされるからそういうのにも神経を使うっていうさ、それがあったじゃん?でも今は完全に無いからね。完全に無くなってから1年半経つけどさ、特に隠居書生度が上がってきたのはやっぱり店の手伝いをし始めてからだよね。適度に仕事があるから自分が機能してる感みたいなある種の自己満足も得られるしさ、タダ飯食ってるみたいな罪悪感もやっぱ無くなるわけよ。


あと家にいる理由にも良くも悪くもなっちゃうじゃん?俺が必要とされてるってことだから。いや、かっこいい意味じゃなくて単純に労働力としてってことね。だからこそそこにハマっちゃってるんだよね。それで機能しちゃってるんだよね。で、なおかつ自分は殺してなくてやりたいことをやり続けてるっていうさ、でもやりたいことをやり続けてきた結果、色んなことに飽きちゃってもう数学ぐらいしかやることがないっていうさ、逆に数学無くなっちゃったらどうするんのよ?って気がするよね。人生の中身のコンテンツが詰んでる感じだね(笑)時間があるから映画とかも色々と見れるし二倍速で見るから大量に見れるわけよ。もう消費のスピードが半端じゃないよね。音楽では特にアメリカに行ってからはそれをやり過ぎてもう何もかも聞いちゃった感じになっちゃったもんね。


あと一時期ハマってた録音とかさ、サウンドスケープとかね、ああいうのもやっていくうちに分かっちゃうんだよね。で、「あ、そうか」ってことになってやらなくなっちゃうんだよね。相変わらず俺の考えって変わってなくてあの自然音のランダム性とかね、あとはそれは音だけじゃなくて山なら風が吹いて木が揺れているとかそれで葉が擦れる音が風と共に鳴り響いてるとかさ、そういうのを全身で感じるってことだもんね。だからそれは哲学とかと一緒で生活の中で自然にやるものじゃん?あー良い音だなぁーって感じることはもはやもう生活なわけだからさ、何か特定の趣味だとか活動ということにはならないんだよね。


んーまぁだから俺がやっぱり活動を欲してるんだと思うよね。で、今は唯一それらしいのが数学なんだけど、まぁ時間がかかるから3年〜5年ぐらいはやれそうだけどその先が分からないんだよね。まぁそんな心配をしてもしょうがないんだけどね。なんかやっぱ早いんだよね。時間を費やしてるから進むのが早くてだからこそなんかもう限界まで行っちゃうのが怖いんだよね。あとは自分で考えてくださいみたいな話になったときにどうすればいいか分からなくなりそうで怖いんだよね。その時に自分で何かを作り出せたら最高だしそれが一番望むところであるけどそれは訓練とかでどうにかなるもんじゃないから、そのときこそ才能だとかってことに悩むんだろうなと。


今はそういうレベルじゃないからいいんだけどね。あのファウスト博士の感じだよね。生涯を学問に費やしてきたけど結局は何も分からなかった!みたいなさ、まぁその分からないというレベルが高いわけだけど、なんか妙に臨場感あるんだよな。かといっても別にそれでイケ面に変身して遊びまくるのが全然学問なんかより楽しいことなんだ!ってことに気がついて悪魔とリア充契約するとかさ、でもそうじゃないからね、なんかだから空虚の闇が近いんだよね。これがダメだからもうリア充を目指す!とかさ、そういうのがあればまだいいんだろうけど完全に興味無いからね。本があれば充実してるやつはみんなそうだろうけど。


そこがなんかさ、リア充になれないから勉強に必死になった!とかさ、そういうコンプレックス的なものを原動力としてないわけじゃん?自発的に一番やりたいことが知的好奇心を満たすものなわけでさ、知的好奇心はまずそこいらの女と喋って満たせるものじゃないし人間関係でも滅多にそういうのはないよね。だからもう本に行っちゃうわけだ。で、本も読んでいくとこっちのレベルが上がってくるから圧倒的に読まなくていい本が大半なんだってことが分かっちゃうんだよね。恐らく9割ぐらいの本が読まなくていい本だよね。だから本屋に行ってさ、うわー!大量の本がある!とかって思っても9割が別に読む必要がないとかそんなに金出すほどでもないってものになるともうなんつーかこれだ!ってのは逆にすぐ分かるから手元にあるんだよね。大抵のもんが。


もうそういうのを何回も読んで血肉化しろってことになるから本屋に行く必要もなくなっちゃうよね。まぁ面白い本と出会えるからさ、楽しいことではあるんだけどね、なんかでもプライオリティを考えるとさ、やっぱもう専門書しかなくなっちゃうんだよね。で、数学の専門書なんてそれこそシュプリンガーだとかの600ページの大部のやつだったりするととにかく時間がかかるからさ、他の本を読んでる時間が無いってことになるよね。時間があっても足りないわけだから。だからやっぱり家にいるっつーか本を読むってことになるんだよね。だから今の生活がベスト!ってことになっちゃうわけ。


まぁ今の生活はあれだよね、学校とか行ってたら絶対読まなそうな時間がかかりそうな本とかも平気で読めちゃうっていう強さがあるよね。むしろ分厚い本のほうがいいんだよね。まぁコスパがいいからなんだけど。んでもこんなスピードでやってたら読むのは底をついちゃうんじゃないかな?って気がしなくもないんだよね。だからなんかやっぱ物理もやろうかなって気になってくるよね。まぁ今はベクトルとか電磁場の話からさ、場の理論だとかね、あとは多様体とかさ、ああいう系統のが好きになってきてるから物理系にはもうある意味乗り出してはいるんだよね。


なんかでもさ、結局、数学も膨大な量があるけど自分にとってつまらないもののほうが多いわけだよね。面白い!って感じるものなんて全体から見たら本当に一部でしかない。だからそれが固まっちゃうともうなんか固定化されてさ、んでその固定化された世界観の中でやっていく・・・っていう姿がなんか見えてきてるからさ、だからなんつーかもっと貪欲に色んなものに手を出さないとダメだな!って思ってるんだよね。だから確率論とかも考え直してやっぱりもっとちゃんとやろうかなって思ったりしたからね。なんかようは物理と数学の間とかね、あとは数学よりの物理というかさ、数学もものによるけどあまりに数学的過ぎるとただの論理ゲームになっちゃってすんげーつまらなくなるんだよね。その分、物理は計算がややこしくても実体があるっていうか、イメージできるじゃん?実際の場ってのがあって作用素がどうのとかベクトルがどうのとかっていう動的な感じだよね。


あとね、意外なことに幾何が割と面白いなって思うようになってきてさ、いや、俺が嫌いだったのはユークリッド的な公理的な幾何なんだよね。そうじゃなくてgeometical methodsみたいなね、幾何学的表現みたいなのが凄く直感的で分かりやすいなーとか思っててさ、アーノルドの本とかなんかそうなってるじゃん?だから来月買うつもりでいるんだけど。ようは角度がどうのこうのっていうああいうつまらないことじゃなくて何かの抽象概念を幾何で記述するということになると途端に面白くなってなおかつ直感的で分かりやすくなるんだよね。あと論理ばっかでゴテゴテし過ぎるっていうハードコアな数学の難点みたいなのも緩和されるっていうか、より実体があるものになるっていうか。いやー幾何ってそうだったんだなーとか思うとさ、いや、もう本買ったんだけど位相幾何とか微分幾何とか代数幾何とかって全部面白そうだよね。すげー俺に向いてる感じなのよ。


あ、んであれなんだよね、話は変わるんだけどさ、こないだ病院に行った時にこの話を先生にしたんだよね。まぁ先生ぐらいにしか話せないってのはあるんだけどさ、ようはその社会性っつーかさ、大学っていう目標があったのに無くなっちゃったとかね、それはネガティブに選択肢が無くなったということではなくて利点が全く無くなったってことね。で、なんかすげー呆気ないし味気ないんだけど今の生活が研究にはベストっていうのがなんか凄く肩すかしを食らった感じで・・・ってことを話したら凄く「お!そうか!」と思ったことを先生が言ってくれてさ、それは短期的にそこだけで見ればそうかもしれないけど、自分で研究やれるだとかなんだとかっていうのは俺が色々やってきた結果、色々と築き上げてきたものの結果、そういうことが出来るようになったわけだから全然ネガティブに捉える必要はないってことなんだけどさ、いや、本当にそれはそうだよねっていう。


結局大学云々もあっちで通ってた時期があるからこうやって考えられるわけだし、あとは英語の本を読めるようになったっつーのもようは積み重ねだよね。別にあっちにいただけで読む癖をつけてないと英語の本なんて読まないって人も多いだろうけど俺はやってたわけで、そういうのが地味ながらも今凄く結実してるんだってことだよね。そう考えるとまぁ確かになんでそんなことで悩まなきゃいけないの?ってことにはなるよなぁー。


客観的に大学のポストにもメリットが無くなってきているという現状があるわけだから、なんつーか不平不満を言うのではなしに、もしくは無い物ねだりをすることなしに、今の自分で自分がやりたいこととかやれることをやっているってことで十分なんじゃないかっていうね、俺的にそれは凄く呆気ないんだけど、んでもあんまり社会性ということを重視し過ぎて「こうあらねばならない」みたいな縛りをつけるのは良くないって言われたんだけど、それは本当にそうだよね。俺が普段から言ってることでもあるのにこうやって自分のことになるとやっぱダメだね。知らないうちに自分の考えを束縛してたりするわけで。


まぁそんな感じでさ、凄く先生には感謝なんだけど、まぁでも別に変わらないんだよね。気持ちは。金無し貴族の憂鬱ってぐらいの贅沢な悩みなんだろうけどさ、でも悩みは悩みなんだし、あとはやっぱ将来的な収入だよなっつってもそりゃーなぁー・・・。それこそ分からないからな。今正社員で働いている人達ですら分からないわけで今から設計!とかバカバカし過ぎるよね。それこそ古い設計の仕方で自分を縛って将来詰むとかダメだからそこは社会の変化とかと照らし合わせて臨機応変にやっていかないとダメだよね。んーでもなんかやっぱ凄く納得したよねぇー。


自分で積み上げてきたものってのは見えないじゃん?端から見たら凄い!ってことでも自分にとっては凄くも何ともないじゃん?別に今まで通り普通にやってきたってことっつーかそれこそ日常的なことなわけで何か特別なものじゃないでしょ。でもなんかやっぱそれは考えてないとダメだなとは思ったね。自分をある程度評価しないとね。凄い!って思う必要はないんだけど、でもこういうやり方でやれていて呆気ないと感じてもそれは色々とやってきた結果、独学でやれるっていう能力みたいなのが備わったわけでさ、それは凄いことなんだって評価しないとダメだよね。


逆にそういうのを評価しないとそれこそ社会性だなんだってことに振り回され過ぎて大学入ったはいいけど先生とか他の生徒とか授業に失望・・・ってことになるじゃん?そうなるのは目に見えてるもんね。独学と比べて学校にメリットがあるなら行くってことにしないとダメだよね。そこのなんつーか評価基準ってのはやっぱり自分の形成してきたものってのも組み込まないと評価できないんだよねっていうか評価がおかしくなっちゃうよね。


ってことなんですよねぇー。ええ。まぁ相変わらず病院とか行くと行きがけの駅とかで可愛い子に目が行くけどね。やっぱ可愛い子って刺激になるよなぁー。映画とか美術とかと同じようなもんでなんか心が豊かになるよね。かといっても俺はやっぱなんつーか自己中心的だからさ、リスクは負いたくないとかさ、時間を割くほどその子に価値があるのか?とかマジで思うやつだからやっぱ交際には向かないよね。結局学問のプライオリティが高いからそれより低いものに時間とか労力を割こうとしないんだよね。


そんなんじゃまぁ色々と無理だよね。まぁそれを活かして学問に没頭すればいいってだけの話で、だからまぁ今がベストってことになっちゃうんだよな。んーんでも本当に無味乾燥な感じだわ。味気ないっつーかなんつーか。でもまぁ日々の研究なんてそんなもんだよね。どこ行っても変わらないだろう。毎日がハッピー!なんてことはまずありえないって思わないとダメだね。ハッピー!って思える瞬間を得るためにやりたいことをやるって感じだよね。そのハッピー!っていう瞬間に出会えるならある程度つまらないことも我慢できるもんね。それがようは数学的視野を広げるってことに繋がるんだよね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。