ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

独学ハウス。その1。

そっかー。欲については前にも書いてたんだよねぇー。いや、でも本当に人間って欲がないと生きていけないんじゃん!って思うよね。こんなに自分の中で社会的なものってのが重要だったとは思わなかったんだよね。思えば真面目に学問をやり始めたのもやっぱ将来ってのがありきだったからなぁー。こんなんじゃダメだ!ってのもあったけど、なんつーかそれはやっぱり社会的なコミットメントだったんだよね。自分なりの。それが今思えば最初からセットだったんだよね。学問やろうと思ってアメリカ行ったわけじゃなくてあっちでやろうって思うようになったわけだから。


だから今凄く空虚感があるってのはやっぱり社会的なコミットメントの不在なんじゃないかと。いや、数学もあっちでメジャー変えたときもこれでやっていこうって思ってたわけだし、帰国後も進学するつもりで居たわけでさ、進学のつもりが無くなったってのが割と最近だからね、だからこれは新たな空虚感なんだなと。自分が数学なり学問をやるっていう動機づけの結構な部分を担ってたものが無くなっちゃって、いつも書くように自発的にそれ自体をやることってのになるとさ、よく分からなくなるんだよね。


それがいつも書くような数学ぐらいしか面白いことがないからやってるのかさ、好きでやってるのか分からなくなる。で、別に例えば映画だとかなんだとかっていう代替のものがあればそれは代替になりうるんだけどすぐに馴化が来るんだよね。毎日映画見てばっかじゃ飽きる。でも数学は飽きないっていうそれだけなんだよね。それだけ自分がやっぱりそれが好きなのか?とはやっぱり思うんだけど、それで「はい。好きです」になるとなんかロマンス映画とかの告白でのエンディングみたいになっちゃうんだよね(笑)俺が「好きです」って告白して終わりみたいな。んでも現実問題、んじゃあそれからどうすんの?ってことになるからね。


いや、だからやっぱ欲ってことになるんだけどさ、欲がありまくりの頃なんてこんなこと感じなかったからね。そりゃ人生自体は虚しいんだけどやりたいこととか欲しいものとか集めたいものってのが山ほどあったんだよね。まぁ主にレコードとかなんだけど。で、まぁこれまたいつも書くようにそれを一通りやっちゃったって感じなんだよね。欲しいものがあるっつっても大抵は実際はいらないもんだったりするんだけど、んでも「あれ欲しいなぁー」とかって思ってるときとかってやっぱ楽しいんだよね。それの無限ループで色々とモノが増えていくってことだしまぁ消費も促されるんだろうけどまぁそうじゃない人も増えてきたんだよね。


まぁ消費の話はいいか。いや、今の俺は何なのか?っていうかさ、ある意味での危機は何なのか?っていうとさ、これは本当に今までなかった危機なんだよね。精神的に落ち込んでいて無気力になるとかってのは常にあるし、あとは一時期は将来に絶望したりだとかなんだとかってのはあったにせよさ、それをなんつーかこれじゃダメだ!と思って変えようとしてきたってのがあるわけでしょ?で、その変えるってことに力を注いだりだとかってことなんだけど、今は取り立てて鬱でもないし、まぁ薬をほぼマックス飲んでるからってのはあるにせよさ、生活に何の不満もないんだよね。


毎日が同じ症候群はどこに行ってもあるから文句言ってもしょうがないし、環境を変えても2年ぐらいすればその環境に飽きてくるの繰り返しでキリがないわけでさ、それはまぁしょうがないとしてっていうか大抵のサラリーマンなんてそうなわけでしょ?毎日がエキサイティング!なんて人が世の中にどれだけいるってーんだ?って話なわけで。そこはエキサイティングを求め過ぎているからこその無いことの不在感というか憂鬱感があるわけじゃん?


だったらまぁそんなのドラッグでもやって毎日パーティでもやってない限り無理っていうか、フィッツジェラルドなんかはそれで文無しになったんだよね。しかもドラッグ中毒だったかアル中だったかになったっていう。日常に耐えられない人はいくらでもいるわけだ。作家ってそういう人が多い気がするね。だから書く!みたいな感じがする。イッセー尾形なんかは日常に耐えられないから演劇とか小説書いたりしてるんだっつってたもんね。俺の数学とか学問も言わばそうなんだよな。


で、なんつーかさ、んじゃあ虚しいから何か目標を作ろう!とかね、こうすればいいんだ!的なビジョンがさ、色々と知ったことでなくなっちゃったんだよね。アカデミアも進む価値があるほどのリターンがないってのは日本はもう自明なこととしてもアメリカでもそうだし、それこそいつも書くように研究をしたかったら自分でやればいいわけじゃん?実験器具とか装置が必要なジャンルならともかくね、あとは機材を作らないといけないから大量の予算がいるとかさ、そういうのじゃないわけだから別にどっかに属するというメリットは金銭的なもの以外ほぼないんだよね。


で、研究だけやってる人なんて滅多にいないっつーさ、教えることと雑事がメインなわけで、それに興味があるわけじゃないじゃん?教えるのはいいかもしれないけど雑事はイヤだからね。いつも書いてるけど採点だのなんだのってあんなのやってられないわな。なんか自分が思ってたステレオタイプな研究者ってかっこいい研究者でさ、中学生とかが思い描くような中二病的な研究者だったんだよね。全然現実に即していないという。そんなんで進学してたわけだから。しかも数学にシフトしてあれでやっていけるって思ってたのはある意味凄いよな。無知が成せる技っていうかさ、まぁやり初めだから数学業界の過酷さを分かってないってのがあるんだけど、今は痛いほど分かってるからこそ進学というのがリアルじゃなくなるんだよね。それこそ俺が俳優でやっていくみたいな突拍子もない話なわけだ。んでも仮に夢が叶ったとしても現実はそうは甘くないということも分かったわけじゃん?


研究者になれたからゴール!なんじゃなくてその研究者ってのが過酷を極めるもんだっていうさ、プリンストンとかにいれば別なんだろうけど、ようは研究だけでやっていくなんて超がつくほどの一流じゃないと無理ってことなんだよね。一流になれないとは思わないけど超一流はさすがにアインシュタインとかゲーデルとかああいうレベルになるわけでさ、そこはやっぱり自分と照らし合わせてみれば無理だなってのは分かるよね。近づくことはできるかもしれないけど、んでもそんな途方もないビジョンをベースにやっていくということはさすがに現実的じゃないよね。


大いなる勘違いとしての物語としては持っておいていいけど現実的な身の振り方で考えるとアインシュタインクラスになるとかっていうのはリアルじゃないよね。俺が売れっ子俳優になる!ってここに宣言するぐらい滑稽な話だわな。で、吉高由里子と共演してキスシーンがある彼氏役を演じるんだ!みたいな苦笑しかできないような世界だよね(笑)


まぁようは問題なのはさ、特に現状の生活ってのは酷いわけじゃないし、ましてや家族経営だけど俺でもやれる仕事があってそれをやれてるっていうさ、すげー好ましい状況なわけでしょ?まぁ恵まれてるわな。数学もやろうと思えば好きなだけできるわけだから。逆にこれ以上の何を求めるんだ?ってぐらいだからこそある意味もうゴールしちゃっててさ、定年後みたいになってるってことだよね。自分としては切磋琢磨して頑張って研究者になって経済的自立をする!みたいなことが一つの目標だったわけだけど、それこそ研究という観点から見れば研究をすることが目的なんであって経済的なことなんて二次的なことじゃん?それが一番の理由になってたのが問題なんだよね。それで身を立てる!みたいな。別にそれで収入を得るということに固執しなくてもいいのに固執してたわけだ。


ようは今の俺に必要なのはやれる環境なんであってそれは十分に整ってるわけね。それは先生にも言われたよね。変に足を引っ張られたりしがらみが無いところでできているわけだから理想的なんじゃないか?的なことを。そうだよなぁー。大学なんてちゃんとしたところでも行かない限り足引っ張るやつが腐るほどいるだろうからさ、むしろ無駄なストレスしかなさそうだよね。そう。メリットがないというのが本当に痛いんだよね。たださ、大学に行ってキャリアアップして・・・的なことってなんかどの国でもなんつーか社会への正攻法みたいな感じがあるじゃん?俺もそれに毒されてたんだけど実はそうでもないというかそうでもなくなってきているというのが如実に表れちゃってるんだよね。


幸か不幸か情報がダダ漏れなんでネガティブな情報ばかりが入ってくるようになる。ニートが増える理由の一つはズバリこれだよね。単純な怠惰からニートになってるやつもいるけどネガティブ情報とかブラック情報がダダ漏れなんて社会に出るとか就職をするということのメリットが何もないということが分かりきっちゃってるんで損得で考えると明らかにフリーターとかニートやってたほうがいいっていうさ、合理的判断としてそれが選ばれちゃってるってことがあるよね。そこはやっぱ一緒くたにするべきじゃないんだよね。賢いニートは合理性からニートになってるわけでさ、ニートでいるってことが合理的な選択になっちゃってるのが問題なんだよね。人間は合理性で動くわけで社会にメリットがなければ合理性からそれを選ばなくなるのはむしろ人間的に自然なことだよね。


怠惰なニートは俺は一番嫌いだよね。俺もまぁ怠惰だけどでもやることはやるし何より自己鍛錬に余念がないわけでさ、ようはメンタリティ的に山ごもりしてる格闘家みたいなもんなんだよね。社会的にはニートと言われるかもしれないけど全然違うよね。まぁ強制選別みたいなのでニート扱いされるニートだよね。


でさ、これがすげー根深い問題なのよ。俺みたいに色々な経験をして元々は引き蘢り気質だったやつが社会に出て活躍したい!って思うようになったわけだよ。あとはネット上でのコミュニケーションの結果もあるけどね。それで俺の考え方がだいぶ変わったってのはあるけど、それはやっぱり俺的には良かったことだし、それは良いんだよね。んでもそんな俺が所謂社会というのに合理性から考えて何のメリットも感じなくて自分が本来的にやりたいことというのをやるためには・・・ってことになると現状がベスト!ってことになっちゃうのが問題なんだよね。


まぁ問題っつーと家族に失礼だけど、いやさ、俺みたいな健全な男子は進学するべきなんだよ。こんだけ向学心があるやつなんて滅多にいないし大学も大歓迎だろうと思うけどっつーかまぁ今の大学はそんな風には思わないのかな。まぁそれはともかくさ、そういう向学心があるやつが大学に行かないということを能動的に選んでしまうというのは本当に問題だよね。色々なことから何のメリットも感じないってことで進学しないなんつーのは本当にマズいと思うんだよね。まぁでも実学以外だと景気もあるからしょうがないといえばしょうがないんだけど。金にならないものにはなかなか金は流れてこないから
ね。


んでも結果的にある意味で社会にコミットしないニートみたいなのと同じ構図になってると思わない?やっぱなんらかのrewardなりさ、将来の安定とかさ、そういうのがあるからやっぱ仕事する!ってことになると思うんだよね。まぁ選択の余地無くやらざるを得ないという人が多いのは当然としても今の所別にやらなくていいって選択肢がある人もさすがに将来を考えれば進学して学位を取るだとか仕事してキャリアを積むとかってことをやったほうが合理的だっていうさ、それがあればまずやろうとする人間は合理性からそれをやろうとするよね。でもそこに合理性どころかリスクしかないとかってなるとそりゃ選ばなくなるよね。ましてや学校なんて学費かかるしかかっただけのリターンが得られないということが明白ならそりゃ進学しなくなるわな。


新卒システムなんてのもほとんどワークしてないじゃん?今の会社を辞める若者は感覚がまともだから辞めるんだよね。新卒ブランドもクソみたいなサラリーマン生活のドロップアウトということにより無くなるわけだから、そういう人が多いし、それは情報だけじゃなくて実際そうなんだろうなというのが容易に想像がつくからさ、いやね、こうこうこんなことだからどうしようもないんだよ!っていいわけにも出来るけど、いや、実際は社会に出たいんだ!って人もこんな現状があればもうどうしようもなくなるじゃん?どうしていいか分からなくなるよね。今の俺がそうなんだけど。


で、そこでそこまで社会というものにこだわる理由は?っていうと特にないわけでさ、余計にイニシアチブが無くなるよね。今の若者は夢を持てないんじゃなくて夢らしきものを描けるような材料がないってことなんだと思うよね。何かに憧れるとかってロールモデルなりさ、実際それで成功してる人とかさ、そういうのが必要なんだけどもうそういう時代じゃないんだよね。だからこそ夢というと突拍子もないものばかりになっちゃうわけだ。


俳優になるとか歌手デビューするとかさ、いや、仮にデビューしたところでやっていけるかどうか分からないし、売れている人ですらそれは分からないって話なわけで、そんな憧れの職業ですらも憧れの対象にならないっつーかなんつーか、そこはみんな経済的に厳しいという情報がダダ漏れだから現実的になっちゃうんだよね。夢ってある程度無知じゃないと持てないんだけど情報があり過ぎて逆に夢を見たくてもそれを打ち壊されるような情報が氾濫してるからリアリストにならざるをえないっていう。


海外旅行やらなんやらってのも余裕で色んな画像が見れちゃうおかげでなんか夢が無くなるじゃん?ずーっとパソコンやってれば世界旅行できちゃうわけだから。いや、そんなの味気ないって思うかもしれないけど臨場感を感じられる感性が高いやつほど高画質の映像とか画像を見たらその場にいるような臨場感を得られるわけだからそれで満足しちゃうよね。行かなきゃ分からないってことが多かったのに今は行かなくても分かることが多くなり過ぎたよね。その結果、なんつーかそういう海外とかさ、どっかに旅行とか旅みたいなロマンが無くなるっつーかなんつーかさ、これも情報のおかげで夢が壊されるってことだよね。別に俺はそれが悪いことだとは思わないんだけどね。別に見れるに超したことないんだし。


んでもなんでもネットで済むからみんなそりゃー金使わなくなるよなぁーっていう。使い道無いもんね。マジで。映画館に行く人も減ってるっつーけどある意味これも家での世界旅行と似てるよね。家のほうが快適で見やすいし面倒じゃないから寝転がってパソコンで映画ってのが良いってことになっちゃうわけだよね。あとは工夫次第で映画館並の臨場感とかを得られるようになっちゃってるから映画館に行く意味がなくなっちゃうっていう。まぁだからそういうのがコミュニケーションツールになっちゃうんだよね。旅行にしても友達と近場に行ってもしょうがないからどっかに行くか!みたいな感じとかさ、映画館とかもそうなんだよね。


それは昔からそうだったとは思うけど、今は一人で行く理由が特に無くなっちゃったからもうそういう用途でしか機能しないっていう。まぁ断定はしないけどね。まぁ家カルチャーだよね。ハウスカルチャー。色々なものが便利になり過ぎて家で事足りちゃうことが多くなり過ぎてるんだよね。そのうち物理の実験とか生物の実験なんかも家でできるようになるかもね。まぁ倫理基準とか危険性とかの話は別として趣味として実験ってのがありえそうだよね。ポータブルブラックホール作成装置とか、そのブラックホールを作るまでのプロセスを楽しむ!みたいな(笑)RCAシンセからソフトウェアシンセに変わるまでのプロセスってこんぐらいデカイもんでしょ。どっかの機関にしか無いものがデフォルトでパソコンとかについてくるみたいな。それによりハウスカルチャーが栄えるんだよね。


完全に今の俺の生活なんてハウスだもんなぁー。これから自分のことをハウサーって呼ぼうかな。まぁ結局、外的な何かに依存したり何かを求めるということが不可能ということだね。そもそもそんなものを期待するのが最初から間違ってると。だったらどうするの?って話だよね。だからなんつーかミッションみたいな、合理性やら将来性やら投機的やらっていうさ、そういうものじゃない内発性の何かってのを作るなり見つけないといけないんだよね。そこのバトンタッチが上手くいってないんだと思う。あ、俺ね。動機づけという意味での将来性だの職業だの社会だのってことが無くなりましたよってことでんじゃあどう数学をやっていきますか?っていうさ、ようは内発性でやるしかなくなってるんだよね。


哲学然りだけどんでも哲学はある意味最初から内発性だわな。内発性そのものみたいなのが哲学なわけだけど数学は違うだろうって思ってたわけじゃん?あまりにも内発的過ぎる哲学に比べたら数学はより実学寄りだなって思ってたら少なくとも自分がやっていくという道で言えば哲学とさほど変わりないってことなんだよね。それをマスターした所でどうなるものではないっていうさ、ようは実益がないんだよね。実益が哲学よりかはあるだろうと思ってたけどまぁ特に純粋数学なんてまぁ同じようなもんだわな。まぁ自分が興味を持つものに関する実用性のなさといったら自分でも呆れるぐらいだけどね(笑)2年前の俺に今の自分を見せてやりたいな。「数学か!そうか!これを専攻にすればいいんだ!」なんて思ってた頃の自分ね。


まぁそれだけ進歩したってことではあるからポジティブなんだけどね。常に。何かが退化したり意欲が失われたわけではなくて、やっている中で気がついていって考え方が変わってくるってことだよね。んでもそうなると分かりやすい夢ってのが無くなるよなぁー。アメリカ時代の例の研究者になってアメリカ人の美人と結婚して・・・的な妄想っつーかさ、馬鹿げてるけどエンジンとしてワークするからオッケーみたいなのが無いんだよね。こういう状態が続いていくっていうさ、いや、続いていけば御の字なんだよね。続くかは分からないんだけど。


なんつーかまぁ仕事に慣れてきたサラリーマンみたいな感じだよね。10年後はまぁこんな感じで・・・っつー可も無い不可も無い感じの人生ってのが先まで見ちゃうんだよね。かといってもそんなの嫌だ!なんつって退職するほどのパワーも無いっていうさ、いや、それが凄まじいリスクだからやらないんだよね。あと退職した所でこんな景気だし余計に既存のなんつーかつまらなくても安定したものにすがることになるよね。それにすがれているだけまだマシだぐらいに思えてきちゃう。


・・・ってことで久々に書いたら凄まじい長文になったにも関わらずまだ書くことがあるので分けます。まぁそのね、一筆書きの良さってあるけどさ、でも一筆が長過ぎたらアレだよね、まぁこの分ける基準ってないんだけど、まぁ度を超した時だけだよね。今回は度を超してますね。いや、書きたいときにパソコンが無いっつー環境が続いてて、んで今回はたまたまパソコンが近くにあるときに書こうかなって思った結果、今まで書いてなかったやつとかが色々と出てきてる感じだわね。やっぱり常に書いてたほうが精神的には楽だな。あんまり溜め込み過ぎると狂うからな。回路が。


ってことで続きはまた明日。