ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

独学ハウス。その2。

では昨日の続きね。


なんかだから結局今の俺みたいにバイタリティとかが無くなっていくんだよね。現実主義ではあるけど生気が無いっつーか活力が無いっていうか。俺はやっぱりエネルギッシュでいたいんだよね。身分を弁えないような途方も無い夢を持ってそれを常に追い続ける!みたいなロマンが無いとやっていけないんだよね。まぁ少なからずみんなそうだろうけど俺は特にその中でもそれが強いっていうか日常に本当に耐えられない気質だからね。だからなんかちょっと非現実的なぐらい途方も無い夢ってのを持ってないとやっていけないんだよね。そういう意味ではアメリカにいた頃は現実的かは別としてもまぁなんかニューヨークはああいう雰囲気もあるしやれそうな気がしてくるんだよね。あと日本と比べて年齢とかもそこまで関係無いからフレッシュマンな感じで居続けられるっていうのかな。


「もう歳だから・・・」みたいな逃避的なやさぐれ感が生まれてこないっつーか、それこそおっさんとかおばさんとかが普通に大学に通ってるからね。日本はそういう風土が無いんだよね。ストレートがデフォみたいな雰囲気がすんげー強いんだよね。ああいう軍隊みたいな就活とか宗教がかった全体主義的な儀式的な入社式だとかなんだとか。ああいうレールに乗ってないともうダメみたいな雰囲気があるからアメリカで言えば「は?」みたいに言われそうなさ、「そんなんでもう終わりだとかって考えてるんですか?」みたいに言われそうな理由でもう落ち込んじゃったりダメだと思い込んじゃったりして色々と諦めちゃうんだよね。なんかこのチャンスが無い感じってどうにかならんかな。すぐ諦めちゃうのも分かるんだよね。


ストレートで進学入学とか新卒でそこから地続きみたいなのがデフォ過ぎてさ、いや、それから外れる人なんていて当たり前なんだけどそれやっちゃうともうダメみたいなさ、だから就活生とか就活に失敗したりすると自殺したりしちゃうんだよね。たかが日本の企業ごときに入れなかったってだけで何で命を絶つのか?っていう。そんぐらい狭い価値観というか息苦しい価値観があるんだよね。俺もそれにやられつつあるよね。恐らくアメリカだったらやっぱダメ元で進学っつーか学校は続けてたと思うんだよね。でも日本で学部で1からっつーとやっぱりなんつーか年齢的なことが頭をよぎるんだよね。別に日本でやっていくっていう前提じゃなくてもいいんだけどさ、でもやっぱまぁなるべく日本でやっていきたいんだよね。


国としては日本のほうがやっぱ好きだしカルチャーは断然こっちのほうがいいし。ただ日本人とか社会は嫌いなんだけど。あとは前にも書いたように311以降意識が変わったっていうのもあるよね。まぁ物語的な捉え方だけど帰国後半年後にああいうのが来たっていうのはなんかやっぱ感じるよね。今もまぁ実際デカイ地震が来てたりするし、そういうのを家族と感じているということが俺にとっては凄く重要だよね。アメリカにいて「地震またあったらしいね」みたいなスカイプでのトークとかさ、いや、前にも書いたけどあっちにいたら「まぁいざとなったらみんなでこっちに来ればいいんだよ」みたいな感じでいると思うんだよね。んでも今は帰国後すぐにあんなことを経験したから全然日本に対する意識が変わったんだよね。クソみたいな社会だと思いつつも。クソだからこそ変え甲斐があると言えばあるよね。


だからこそまぁーなんつーか自分のやっていることが社会的なものに結実しなくなるというのが凄く惜しいというかイヤなんだと思うよね。だから凄く動機づけに関して悩むことがあるんだよね。知識欲があるからそりゃーデフォでやるんだけどプラスアルファやっぱ何かが欲しいっていうかまぁ今は無くなっちゃったからさ、なんかね、やっぱそういうのはあるわけよ。かといってもマズローじゃないけどさ、そういう社会性と自分の精神的充足というのを同じことで満たそうとするということはほぼ不可能に近いっていうさ、まぁそれだったらジョブズとか孫さんみたいになるしかないっていうさ、まぁ一気に敷居が上がるよね。


あと別に社会的なことにコミットしたところで精神的充足感が得られるとは限らないじゃん?全然本意とは違うところでやってるけど給料のためにしょうがない的なさ、まぁ大体そんな感じだよね。そこがまぁやっぱなんつーか趣味を必ずしも実益に結びつける必要は無いっていうさ、いや、趣味としてやるっていう感覚ではないんだけどね、でもそれに打ち込むためにあえてそれで実益を得ようとは思わないっていうコミットもあり得るからね。今は言わばそれしかない感じになってるわけよ。実益とか言い出すとややこしくなってしかも実現可能の可能性とか分からないっていうさ、それさえ求めなければ自分で続けられるんだったら自分で続けるというほうを選んでまぁ当然だよね。その結果、実益になればいいなってのがまぁ理想ぐらいでいいよね。俺がよく書いてる極めりゃなんとかなるだろっていう例のアレなんだけど。まぁちょっと書いてることと矛盾するところもあるんだけどね。


なんか結局、音楽続けたいなら趣味で続けなさい的なよくある話になってるよねぇー。仕事をしながら音楽活動をやるみたいな捉えどころがないようなさ、あとはまぁ作家になりたいと思ってるんで仕事をしながらも作品書いてます!みたいなその辺にうじゃうじゃいるタイプになるよね。アメリカでもそういう人いたもんねっつーか英語学校の先生とかそんなのばっかだよね。まぁアメリカらしいっつっちゃーアメリカらしいんだけどね。誰も聞かないような歌のCDとか自分で作ってるおばさんとかさ、気分はシンガーなんだよね。英語学校の教師というのは仮の姿で・・・っていう。なんかでも端から見てると言うまでもなくすげー痛いんだよね。


あとオペラ歌手になろうとしてバークリーだか出てんで詰んで英語学校の先生やってるっつー韓国人もいたな。あとハーバード出のオカマの人とかね、なんかあの突きつけてない2流感っつーの?俺で言えば予備校教師をやりながらも数学の素晴らしさを伝えるために啓蒙活動や執筆活動をしているみたいなそういう感じね。すんげーイヤなんだよね。もうそういう感じになるぐらいだったら手を引いたほうが良いっていうさ、そこまでして数学やろうと思わないってことなんだよね。予備校の先生でも気分は数学者でいるとか現役の科学者のつもりであるとかさ、なんか嫌なんだよねぇー。狸さんが書いていたアマチュアリズムに対する嫌悪感と凄く似てると思うっていうかほぼ同じなんじゃないかと思う。そんな中途半端なんだったら作品を発表しようとかって思うなよ!っていうさ、なんかそのやってるってことで満足してる感じってあるじゃん?本人の活動している!とか作品を発表した!みたいな自己満足感は得られてるじゃん?なんかそれが嫌なのね。


俺はそうはならないとは思うんだけど、でも今の感じで行くとそういうコースまっしぐらって客観的には思うんだよね。「僕は数学が全く出来ませんでしたが、ある時を境に数学が大好きになりました」みたいな序文で始まるどうでもいいような本を書いてるみたいなさ、嫌だなぁー本当に。数学の本を書くなら理論のgreat expositorになりたいよね。何々ならこれ!みたいな決定版みたいなテキストを書く人ね。仮に新しい理論とかを作るのが無理でもクラシックと言われるぐらい凄い解説書というかテキストを書きたいってことだよねっていうかそんぐらいのレベルじゃないとやる気がしないんだよね。いや、そんぐらいのレベルになれないと嫌なのね。


数学ライターとか科学ライターとか悪いけどもう吐き気がするんだよ。もう明日は我が身と思えるから怖くもなるし(笑)別に存在自体はいいし数学の啓蒙もいいんだよね。否定はしないんだけど俺が個人的に凄くイヤってことね。下手するとアル中になりかねないと思ってるやつが酒好きを見てイヤになるみたいなそういう感じかもね。別に酒好き自体は悪くないんだけど自分的にはその存在自体が凄く嫌だっていう。


まぁそういう意味だと自分の理論を作れないからもうダメみたいに考える必要はないんだよね。まぁそれは創造ということでデフォでやりたいことではあるんだけど仮に無理でも他でもなんつーか力を発揮出来るところってあるわけじゃん?で、俺はなんつーかそのクラシックと呼ばれるような凄いテキストを書いた人達とかっつーのにも憧れるんだよね。大抵まぁ何かの理論のオリジネーターだったりすることが多いんだけど。まぁでも言わずもがなだけどさ、「いつかこんな作品を書きたいと思ってます!」って熱く語る作家志望とあんまり変わらないよねっていうさ、なんか2流感漂う感じってのがもう今の自分の属性からプンプンしてくるんだよね。


別に大学に行けば変わるか?って言えば変わらないんだけどさ、いや、別に世間の目を気にしてるってことでもないんだけど、なんかでもかっこわるいんだよね。凄く。別に高度でもないことを色々と考えて理解しようとしてるっていうこういう稚拙な感じが凄くダサイんだよね(笑)難解で高尚な理論について考えてるんだとそれらしくなるんだけど。むしろそれが難解であればあるほど在野で勝手にやってるとそれっぽく見えるよね(笑)すげーどうでもいい話なんだけど。まぁでもこれも葛藤なのよ。ステップアップのためにはしょうがないんだけど、ただ今は数学やっててかっこ良くないんだよね。本当に学習段階だからね。だからなんか高尚な段階に早く行きたいんだよね。


で、最終的には誰も見たこと無いような世界観を垣間みるっていうさ、まぁこうやって書くとやっぱ自分にはビジョンがあるし、実現性もある程度は自分を信じてるし自負してるんだなとは思うけどさ、でも日々の生活を見ると地味過ぎるし、なんつーかそういう日常性みたいなのに押しつぶされそうになることが多々あるんだよね。そこでやっぱ分かりやすく大学とか通ってるとなんつーか甘え的な意味で安心なんだと思うけどね。バカの思考ではあるんだけど。


やっぱただそこでなんつーか分かりやすく単位がどうのだとか学位がどうのだとかってことがあるとやっぱりバカバカしいけど分かりやすい達成感を得られるって意味でやっぱ学校って便利っつっちゃー便利なんだよねってのはいつも書いてることだけどね。でもこれは逆説的でそんなもんで達成感を得てるようじゃダメだっていうさ、だからまぁ大学は俺にとっては根本的に矛盾することになるんだよね。でも行きたいとかってちょっと思ってるのはそれが楽だからなんだよね。ある程度は与えられるもんだし、まぁ別な言い方をすれば自発的にやるということは大変なんだよね。まぁ自分で大変だとは思わないけど、でもそれは学習的にというよりかはその環境づくりとかモチベーション維持が大変だなって思うよね。それこそそういうところで俺は葛藤してるわけで。


環境づくりと言えばさ、最近もうミネルバじゃなくなってきてるのよっつーかようは朝に帰って家で寝るってのが無理になってきちゃったんだよね。都合上午前中いっぱいは店にいなきゃいけないだとかってことがあったりして、んでまぁそうなると家に帰るのが遅くなるでしょっつっても昼頃だけど。で、昼過ぎに寝て起きて店に行くっつっても5時間ぐらいしか寝れてないから店に行ってから追加で寝るんだけどさ、これやってると辛いのよね。完睡したいわけよ。


通眠したいから途中で起きてっていうのが無理なんだよね。んだから今は早寝早起きになってるんだよね。まぁ寝る前と寝起きで時間を確保してる感じだけどまぁずーっと熱中!って感じじゃないんだよね。まぁでも10時間を課せるというのはナンセンスだなとは思いましたね。数学ってのはだんだん分かるもんで詰め込みでやることじゃないじゃん?脳が色々と処理しててさ、んで例えば一ヶ月前に分かんなくて放置してたことが急に何かの拍子に分かるようになったとかさ、そんなことばっかなんだよね。読めないと思ってた本をちょっと時間をおいて読んでみると読めるようになってるとか。


ようは今日は何時間やった!みたいなのがすげーオナニー的だってことなのね。そんなんで達成感を得ているなんてバカだなと思ってさ、まぁずーっとそれだけやってるって精神的には楽なんだけどね。んでもまぁあれなんだよね、家に帰るともう本当に何にもやる気がなくなるんだよね。で、ずーっとネットやっちゃったりして。家のあの集中出来ない感じは凄いよな。なんでなんだろうね?万国共通だもんな。だから喫茶店行って勉強するだの図書館だのっていうさ、まぁ場を変えるってことだよね。でもそう思うとやっぱ俺って趣味が無いよね。まぁ家に帰ったら帰ったでまぁやることあるからいいかってならないんだよね。もうマジでやることない。だから読書か数学ぐらいしかないんだよね。マジで。


この消極的な感じはなんとかならんのかな。俺は数学が大好きだー!ってほうがいいのに「それしかないから」って理由でやってるっつーのも惰性っつーかなんつーかさ、んでも辞めるということはありえないんだよね。思えば読書ばかりしてないでっつーか哲学とかばっか読んでないで数学書を読む時間を最低1時間は確保しようなんつってたのが去年ぐらいだもんね。今は読むのっつったら数学書オンリーだもんな。


だから読書してないんだよね。はっきり言えば。なんか理系のやつらの知識が偏るのも分かる気がするね。こんだけやるのに時間がかかってたら教養なんてもんに時間は割けないだろうなぁーと思うね。だから理系バカが生まれるってのは構造的に分かる気がしたね。でもいつも書くようにタチ悪い理系バカが科学だの数学だのがちゃんとした学問でそれ以外は厳密性に欠けるだとかなんだとかって理由で認めないっつー理系主義みたいなイデオロギーね。必ずそういうやついるんだよなぁー。あれは本当にただのバカですよ。マジで。あと卑怯なんだよね。科学だの実証だの論理だのってのがバックにあるからそれに頼れるみたいなさ、科学の七光りっつーのかな?で、自分は凄く偉そうにしてるみたいな。ちゃんと自分で考えてやってる人なんてあんまりいないんだろうなって思うよね。


数学ってすげー世界なんだよな。専攻する人の半分以上が落ちぶれるとかさ、極端に言えば9割ぐらいが能力の欠如とかなんだとかってのを感じちゃうらしいんだよ。っつってもそういう人達って数学は得意でした!みたいな人達なんだよね。そりゃー数学科に進学するぐらいのやつらなんだから。で、残った1割とか2割も大学院で崩れるっていうさ、ルールをフォローするのはできるけど自分でやるってことになるとやれないっていうさ、そういう理由でまた能力の欠如を自覚して詰むやつらが大勢いるっていうさ、んだから学部でまず8割とか詰むイメージなんだよね。


で、残りの2割ですらも半分ぐらいが崩れるっていうさ、なんかプロ野球選手とかそういう世界だよね。芸人でやっていくより大変だよ。芸人って別にそんなに面白くなくてもたまにテレビに出てたりするやつらいるでしょ?本当に実力があるのはほんの一握りっていうのはどこも一緒だけど中途半端でもやっていけるっつーかさ、んでも数学って全然そうじゃないんだよね。残酷なんだけど本当に1流以外は必要とされてないんだよね。「シビアな世界だ」とは思ってたけどここまでとは思ってなかったね。


数学科とかもうあれなんだよ、ホームページとか学部のカタログみたいなのに乗せなきゃダメだね。まぁようは芸能スクールとかと同じなんだよね。歌手科とか俳優科とか声優科とかってのは名前だけ一応あるけどその中から活躍できる人材がどんだけ出てくるか?って話じゃん?この例で言えば9割が落ちぶれるって説得力あるでしょ?数学科も同じなんだよね。数学者なんて呼ばれる人になれるのはほんの一握りです。まず数学じゃ食えないと思っていたほうが無難でしょうぐらいのドリームキラーっぷりでいいと思うね。それでもやりたいなら勝手になさいっていう。ただ自己責任で学校とか先生にクレームつけるのは無しねっていう。夢持たせちゃダメだわな。これはどの分野でもそうだけどね。


最初から厳しさを知ってそれでもなおやりたい!って思うやつだけ学部に入ればいいと思うんだよね。そういう意味だとなんかさ、早慶以下の大学なんて存在価値無いんだから無くせっていう話は分からなくもないよね。まぁ早慶以下っつーのは極端だけどまぁランクで言えばマーチ周辺ぐらいなんだよね。恐らく。いや、だからようはそういう主張って昔の大学と同じなんだよね。昔なんて一部のエリートしか大学に行かなかったわけじゃん?だからこそプロ育成機関みたいなレベルもあったしそれなり人達が集まってきてたんだけど、今はもう受験テクニックとかさ、いかに受験勉強に時間を費やしてきたか?ってのがポイントになってるじゃん?学問をやる志とかそんなんじゃなくてただの学歴っつーブランドを買うためだよね。東大は普通の人が多いっつーけどそれはそういうブランド系の人とかシュトレーバーみたいな人とかが多いからなんだと思うんだよね。


なんかさ、早稲田だの慶應だのっていう大学生が不祥事を起こすと大げさに報道されるけどさ、なんかこれって価値観がおかしいんだよね。今は大学進学率が異様なわけでさ、ましてやそのぐらいのレベルだったら普通の人だらけじゃん?優秀な人ばかりだっていうのは偏見だよね。それは昔の大学だろうっていう。今はもう凡人だらけなわけじゃん?だからこそ価値が下がるんだとは思うけどね。あとやたら情報処理能力ばかりを計るっていうかそれが大きな基準になってるからあんま才能とか素質とか関係無いっていう。そんなのコンピューターにでもやらせろよって話なんだよね。


ようはグーグルで検索すれば出てくるようなのを試験問題とかにしてる時点でアウトなのよ。そんなの頭に入れたって何にもならんでしょう。まぁ歴史学とかを専攻する人が年号とかディティールまで知ってるってのは分かるけど、なんかそういうのを入試でやるもんじゃないよねっていう。入試なんて国語と英語と数学ぐらいでいいと思うんだよね。あとはまぁ小論文と面接か。入試を難しくするのは篩にかけるためとかって言われたりするけど篩のかけ方がおかしいよね。まぁそれ言い出すと面接全般もそうなんだけどね。計る所がおかしいって意味で。


あとやっぱ弊害だよね。高校生っつー大事な時期を受験勉強に捧げるという無意味さね。いや、苦労するのは入学後でいいでしょっていう。なんかこれは俺は自分自身が中学生ぐらいの頃から思ってたことでそれが全然変わってないってやる気ないんだろうね。教育なんてどうでもいいって思ってるか間違ったやり方ってのをそれでやってきたから正しいみたいな感じで思ってるのかさ、とにかくまぁやる気無いよね。それでなんで若者にやる気とかを求めるのかさっぱり分からないよね。無気力になっちゃうような報われない社会だのくだらない教育だのっていう言わば毒みたいなのを永遠と吸ってきて育つわけでしょ?レベル関係無くみんなそうだよね。そんな中で若者に元気が無いとかやる気が無いとか言うのはおかしいよね。これじゃーやる気も無くなるっつーか意図的にやる気を削いでるんじゃないか?ってぐらいのことをやってるからさ、ベストである必要はないけど、せいぜいまぁまだ許せるってレベルであってほしいよね。そうじゃないんだもん。


特に俺ぐらいの世代も含むそこから下ってのはさ、いや、環境も悪いでしょってのがすげー説得力を持っちゃうんだよね。それを理由にやる気を出さないでいるってことではないんだけど、かなりのエビデンスになっちゃってるってのが問題だよね。「今の若者」なんて批判できるような立場にいないんだよね。社会側が。日本に帰ってきて本当にそれは感じるようになったよね。こんなんじゃそりゃー死にたくもなるしやる気も無くなるわなぁーっていう。現に俺もやる気なくなってるし(笑)なんか活力を吸い取っちゃうみたいな悪い磁場みたいなのが日本を被ってるんじゃないか?ってぐらい酷いね。これって雰囲気とかメンタリティの問題なのよ。状況で言えばアメリカとかのほうが酷いんだけど内面的に終わってるよね。日本は。だからこそ俺みたいなやつまで終わっちゃったらもう完全に終わるから最後の防波堤として俺みたいなやつは常にバイタリティで満ちあふれてないとダメだね。


とりあえず今何をしているのか?とか自分に何が出来るのか?ではなくて何かをやりたいとかやり遂げたいとか社会の役に立ちたいとかっていうようなやる気とかバイタリティがあるってだけでもうそれは国士っつーとあれだけどもう掛け値無しに肯定できるもんなんだ!ってことを言いたいよね。まずそっからだっていうさ、それがあるってことがまず今の時代凄いよっていうことだよね。それはもう自分の環境とか状況とか関係無くそういうバイタリティがあるなら今後の日本の貴重な活力源なんだから凄く貴重なもんなんだって思わなきゃダメだよね。砂漠での水ぐらいレアで貴重なものなわけで。そんぐらいの不毛な大地になってるわけだから。今の日本は。


俺は何かをやれるのでは?ってことじゃなくてやりたいんだ!ってことね。何かやれるかどうかはそいつ次第なんで全然関係無い。やりたいかどうかが問題なわけで。で、その意志があればそれはもう水が無い島での水ぐらいの価値がありますよってことだよね。まぁただ希望を失うな!とは言えないよね。それは無責任過ぎるしさすがに無理があるけど、どんな困難があっても俺はやり遂げたいんだ!ってやつらは多くないかもしれないけど絶対いるはずなんだよね。そういうやつらが孤立してても絶対諦めちゃダメだってことだよね。もうそいつらの存在が稀少なものになってるわけだからそいつらが諦めちゃったらもうどんどん活力が無くなってくって話になるわけだから。逆にあとはチャンスだと思うんだよね。特に燻ってるやつらの。向こう10年ぐらいで本当に色々と変わるだろうから何かの拍子に自分のそのやり遂げたい!っていう意志だとか使い道は無かったけどもんでも鍛錬として磨いてきた何かってのが役に立ったり使えるっていう機会があるかもしれないんだよね。


変わるっつっても良い方に変わるとは限らないんだけど、でもとりあえず社会のあり方そのものみたいなのがだいぶ変わってくじゃん?そうなると逆にマージナルな連中が本領発揮出来る機会ってのが増える気がするんだよね。あとはもう超優秀なやつらかそういうちょっと変わったやつらしか必要とされないっていうさ、あとはもう代替可能な労働力だから代替可能性みたいなのがあるっていうさ、他にいくらでもいるっつー人材だったらそういうやつらの価値ってまぁ今でも下落しててモノみたいな扱いになってるけどもっと下がるよね。もっと仕事減るだろうし。だからこそなんつーか特殊なやつらとかさ、埋もれてるやつらが活躍出来る機会ってのは増えると思うんだよね。だからなんかその優秀なドロップアウターっていると思うんだよね。今はダメかもしれないけど5年後とか分からないわけだし、だからなんかそういう意味であんまり繋がりとかが無くて分散しちゃってるやつらとかが活躍出来るようになりそうな気がするんだよね。


っつーかあれなんだよね、先がどうなってるか分からないってのが新卒でそのまま社会人になったみたいな普通の人ですらもなんつーかリスクっつーか分からない感じってのが今フリーターだとか無職のやつらとあんまり変わらないってことなんだよね。いつフリーターになるか分からないなんて状況だから逆にフリーターから見れば社会人とフリーターとの境がすげー狭まってるってことなわけじゃん?棲み分けがなくてすんげー近くなってるんだよね。流動性という意味では全然いいと思うんだけどね。ただまぁ問題は埋もれてたフリーターみたいなのが活躍できるのか?って話なんだけどさ、まぁんでもなんつーかね、今時間があるんだったら今は無職とかでも生活していけるなら将来のために自分に投資しろってことなんだよね。


それはアホみたいに働いている社会人には出来ないことじゃん?いや、ニートがやるべきことってやっぱそれに尽きるんだよね。何かを磨くっていう。まぁニートっつってもエデンの板津みたいなニートを想定してるんだけど。ポテンシャルが高いニートね。でもまぁそれをやれるのはやっぱ一握りだと思うんだよ。それがまぁそのさっき書いたやりたい!とか成し遂げたい!って意志があるやつらね。そういうやつらが現状の社会とか環境を見て絶望して諦めるんじゃなくてその意志があるんだったら持ち続けて諦めなければ実現出来る機会は来るかもしれないってことなんだよね。まぁニートっつってもその時点で9割のニートがもう脱落するわな(笑)それが彼らをニートという立場にしている最大の理由なんだから。


なんかでもさ、まともな感覚を持ってる人だったら多分大抵が会社辞めたりしてニートみたいになっちゃったりフリーターみたいになったりするんだよね。まともな感覚を持っている人であればあるほどそうなると思うわけ。これって逆説的に言えばちゃんとした感覚を持ってる人達がニートとかフリーターになってるってことなわけでさ、まともな感覚の宝庫だよね。ああやって全体主義的な就活とかさ、思考停止的な受験とかそういうのやってるやつらの頭がおかしいわけでさ、それにおかしい!って言っちゃうとなかなか社会の中での場ってのは無いかもしれないけど、んでも今の流れから言えばまぁもっと増えると思うよね。


ブラック企業」みたいな言葉を中学ぐらいから知ってたみたいな世代が成人とかになるわけでしょ?だったらもうこの古めかしい社会との相性なんて最悪だと思うんだよね。まぁまともな感覚を持っていればの話だけど。親とかに洗脳されてる人達が多いからまぁ覚醒するってのもプロセスとしてあるわけでさ、とりあえずまぁ脱イデオロギーだよね。脱日本教ね。これを担えるのはニートとかフリーターしかいないわけよ。ああいうのをもっとも嫌う連中だけが今の社会を変えられると思うね。だから諦めんな!ってことに尽きるんだよな。本当に。


そんなアツい話になったところでこの長話を終わりますね。んじゃまた。