ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

chichiさんへの返信。

http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20110302#c


のエントリーにchichiさんから書き込みをいただいたので返信をエントリーにするです。

chichi 2012/05/09 06:23


過激なのはヴィーガンじゃないとおもう。過激なのは人間の動物を扱う行いのほうだ。君が動物の扱いに関する真実をビデオや文学でどれほどの知識を得たことがあるかないかはここでは問題にしない。じっさいひどく過激なことを動物にしている我々がそれを常識にしてしまっているために、動物大量搾取と虐殺はけっして過激じゃない、普通だ、と我々に洗脳させているだけだ。文明は動物の搾取とともになされた歴史もある。ここでわかってほしいのはヴィーガニズムの人間/非人間への非暴力主義だということ。ヴィーガンが少数派だからという理由だけで過激扱いされるのは合理的ではない考え方だ。


屠殺場にいけば皆ヴィーガンになると行った人は言うが、わたしは文学を読んだだけで思考のパラダイムシフトが起こってヴィーガンになった。平和主義者の政治的コミットメントだとおもってくれてもいい。日本人が動物にかんして一般的に欧米人よりも無知であることはおいておいたとしても、利便性(価格)、習慣(歴史)ではもう正当化できない酷い搾取と虐殺、親子の切り離し(乳製品)が表沙汰になっている今、君が言うように、社会がそのヴィーガニズムへの移行を簡単で便利にしないかぎり、そして教育が広まらない限りなにもかわらない。よくある動物愛護家のキャンペーンなどは残念ながら効果もないし、主張も筋が通っていないため、動物愛護はクレージーだといわれるはめになっているところがかなしい。おもしろいエッセイをありがとう。楽しませてもらったよ。


chichi 2012/05/09 06:50


ちなみに、私は基本的に権利運動家で、フェミニストでもある。もちろん人権への運動や環境問題にも積極的な態度を示す。そうでない方を不思議におもう。動物は最近の権利運動の一番新しい分野として欧米ではアカデミア(社会学/哲学/心理学/生物学など)にも人類の倫理観を見直すという意味で注目されその討論も盛り上がりを見せている。(例:ニューヨークタイムズの「食卓を守れコンテスト」)。日本ではあまり馴染みが無いかもしれないけど、私の経験だとアカデミアのひとたちへはヴィーガニズムの倫理観と思想への理解は容易いようだ。


しかしおもしろいのは、我々がアフリカ系アメリカ人や移民の低所得層の人たちに動物の搾取の話をすると、種が違うという理由のみでの動物の搾取と奴隷化にたいして嫌悪感をあらわし、動物の使用そのものにたいして反対の意思を示す人がおおく、ヴィーガンに転換する人も少なくない。アメリカの過去に奴隷制というものが存在したために、この国では正義と悪の存在がわかりやすいと、私はみている。他の近く意識のあるアニマルたちの命を摂る商品のほうが命を摂らない商品よりも安い、という現状の混乱に疑問をもったことはありますか?


書き込み有り難うございます。


いきなり単刀直入なんですが、僕がこういった議論に感じることは、といいますか、chichiさんの議論という意味ではなく、ヴィーガンに転向するだのしないだのというような二項対立に関して思うことは、それって鈍過ぎないか?ということなんですね。なんで肉があんなに大量に出回っていて普通に色々な食事に入っているのか?ということを考えると「動物の大量虐殺」に繋がるのは当然ですよね。それが行われているのが当たり前なのに、でもヴィーガンといいますか、菜食主義者の意見はようはテロリズムですよね。大量虐殺の現場を見せて「意見を変えよう」みたいなイメージのテロリズムを行っているわけですよね。そんなの見せられてもそれが行われているということは暗黙知といいますか、残虐性に量的な質は関係無いと思うんです。


昔から人間は動物を食べて生きてきましたし、それが世界中で当たり前のように行われてきたという歴史を見れば人間が基本的には動物を管理して殺して食べるというシステムを作り出す必然性が見えますよね。ようはこれは量の問題で大量だからでは残酷なのか?というと全然違うと思うんです。人口が多くなったから消費も増えて殺す動物の量も増えるというのは自明の理ですよね。昔は少なかったか、食べれる人が限られていたのかは分かりませんがそれこそハンティングぐらい話を遡れば原始時代ぐらいの話に戻りますよね。科学雑誌かなんかでマンモスみたいな象に命がけでハンティングを行う原始人の絵を見たことがあるんですが、ようは最初から食べてたわけですよね。それが狩りだろうが管理だろうが殺すことには変わりないので、それを大量虐殺と呼ぶのか、利便性の追求というのか、でもそもそも人間が他の動物を食べて生きるという前提があるからには殺すという行為を人間に介在させないのは不可能ですよね。


今は別に普通の人が自分で動物を捕まえてきて殺して食べなくてもそれをやってくれる人達がいて、その結果、スーパーなどに大量に肉が並ぶみたいなことになっているわけですが、僕が言いたいのはこれはただの近代化で、話を遡れば狩猟になるというだけの話だと思うんです。確かに自動で動物を殺す機械なんかがあると残酷に見えますがそれはただの勘違いだと思うんですね。それが僕の言いたい「鈍さ」なんです。機械で大量に殺されていようが人間が猟銃で殺そうが殺されている動物にとっては関係無い話ですよね。それは人間の主観なんであって殺される動物の側から見たらプロセスの違いでどの道あるのは死ですよね。


倫理性を考慮して動物を苦しめないで殺すために電気ショックで気絶させてから血抜きをして絶命させるというのが自動で行われていると凄く残酷に見えるんですが、これは殺される動物から見たらまだマシなんじゃないでしょうか?猟銃で撃たれて半分生きたまま運ばれて意識があるまま解体される・・・・みたいなことよりよっぽどマシな気がします。でもまぁどの道死ぬわけですから同じですよね。これが僕の言いたい量の問題の話です。


正直、いきなりヴィーガンに目覚めた!とか言う人の鈍さはこういったことを全然考えてこなかったか、全く知らずに普通に肉を食べていたみたいなことから来ると思うんですね。よくそれだけのことでパラダイムシフトが起こるよなーということです。自明なことなのに「知らなかった!」と感化されヴィーガンに転身するって僕から見ると凄く滑稽に見えます。それは逆に現代が便利過ぎて動物を殺している姿などを見なくなったから無知になっているということだけかもしれませんけどね。昔だったら鳥を締めたりするのを普通に子供が手伝ったりしてたかもしれないですし。とりあえず動物の屍体が並んでいるのは普通に見ていたでしょう。でも別にそれは分かることですよね。なんでこんなに肉を食べられるのか?ってそれだけの量が殺されているからですよね。それにパラダイムシフトも何も無いと思うんですよ。むしろそれを知らなかったために知ったことで感化されるってただの後退だと思うんです。


あとこれと人権などをごっちゃにするのは的外れ過ぎます。動物の大量搾取と人間の大量搾取は言わば国語と算数の点数みたいなもので、全く異質なもので、「合計点」みたいなアホらしい数値で何か数字を出せるかもしれませんが、それは全く異なるものを同等に考えて計っているだけで話の本質が違い過ぎて全く話にならないと思います。人権がどうのとかアニマルライツがどうのっていうのを生き甲斐にしている人達を見るとこういった異なるものを同等に考えて一般化してしまうみたいな単純さとか、大量に殺されているから残酷だとするような量的な見方であるとか、言わば質の見間違えと言うんでしょうかね。言わば物事の見方が単純過ぎて話にならないと思うんですね。


そんなアホな見方をしているからクレージーだと言う人も多くいると思うんですよ。単純に理解の無さからクレージーだ!という人もいると思いますが、アニマルライツなどを極端に掲げる人達の論理がおかしくて、でもそれに本人達はどっぷりなんで全く話が通じないという意味でカルト的な意味でクレージーだ!という人も多いと思うんですね。ちなみに僕は典型的なそういうタイプですね。


大量の産業を含む畜産業だとか、そういったものを今の世の中から全部無くしたとして、それでは社会が回らなくなりますよね。逆にそれはどうすればいいのか全くリアリティに欠ける話で全く説得力がありませんよね。凄く話を単純化すると人間のことを考えないで動物優先でとりあえずヴィーガニズムを進めて大量の失業者や経済的な混乱が起きて大量に人間が死んだとして、それは殺される側の動物から見たら良い話だと思うんですが、人間側から見たらたまらない話ですよね。普通にしていてももう世界がヤバい!みたいな状況の中でさらに世界が大混乱に陥るようなことを実際にしてみて、それでどうなるのか?という話ですね。ようは食うか食われるかの話で、それは動物のサバイバル感覚から言って生き延びるという選択肢が普通ですよね。人間は他の動物と比べて知能が発達しているのでそれが可能になっているわけです。ようは自然の原理ですよね。弱肉強食という自然の摂理だと思います。


結局、環境問題だとかヴィーガンだとか、まぁ色々と一般化するのは良くないんですが、その類のを見ると必ず人間が悪になっていて、これだけ人間は環境に対して悪いことをしている!だとか動物に対してこんな残酷なことをしている!だとか、そういうのが多いと思うんですが、そういう話を突き詰めれば結局、悪の根源って人間ですよね。恐らく動物の中で一番残酷なことをするのが人間でしょうし、他の動物が最低限持っているような最低限のマナーも弁えず平気で他の同種である人間を大量虐殺とかするのは恐らく人間だけですよね。他の動物でそんなことをするというのは見たことも聞いたこともありませんね。ちなみに僕は凄まじく人間が嫌いなので、論点に関しては全く動物愛護やらヴィーガンやらエコ系の人達と合わないんですが、その凄まじく過激な帰結に関しては同じ所に落ち着くんですよね。つまりは人間なんていなくなったほうが地球や自然や他の動物にとって良いことだというような。


僕がヴィーガンとかを過激だというのは結局、論理を突き詰めると「人間いなくなれ」という話になるので、ヴィーガンの人達の思想にそれが包括されているかどうかはともかくとして、そんな話になるんで凄まじく過激な思想だなと思うんです。ヒトラーもビックリなぐらい人間を根絶するような思想ですよね。言わば人間という種の活動の否定を人間自身がするわけですから、そんな思想はどんだけラディカルな政治思想にも無いぐらいですよね。だから僕はこういった類の思想を最高に過激でラディカルな思想だと思うわけです。ただでも僕は帰結にのみシンパシーを感じますけどね。人間が最悪の悪魔なのは言うまでもないです。


どんだけ良い人がいようがその悪魔の素質を持った呪われた種というのが人間なので、つまりはもう種の問題なんですよね。個々がどうのというわけではなくて。ちなみにこの生得的な人間の悪魔性みたいなものはどう足掻いても無くならないと思うので結局、どうしようもないと思います。


長くなったのでとりあえず今回はこの辺で終わりますね。返信していただけるとありがたいです。