知識について。

ラッセルハズウェルMegoからアルバム出したの知ってます?ハズウェルウォッチャーの俺としては楽しみにしてたんだけどこれがMassimoのアルバムを余裕で凌ぐぐらいの駄作なんだよねぇー。もう絶句ものなんだよね。アナログモジュラーに凝りだしてるのは分かるけど中学生とかがいじりはじめの頃に出すような音なんだよね。凄まじいサウンドの退化で。この道楽感がたまらないよね。しかもなぜかレコードで出してるし、あとRegisのレーベルからこれまたオナニー的な5インチノイズレコードシリーズってのを出そうとして頓挫したごみ音源を集めたやつが出ててさ、これはもっとひどいんだよね。


http://www.technique.co.jp/item/99272,LINO56.html


http://www.beatport.com/#/release/factual/973969


テクニークの店員も困っただろうなぁー。普段こんなの聞かないから「ノイズミュージック!」とかって書いてるけどノイズ作品として糞だからね。ノイズ=糞ではないわけで。いや、なんでこんなゴミ音源リリースできるのかある意味凄いんだよね。単純にRegisとマブダチなんだろうとしか思えないけどね。だからテクニークに入荷しちゃったわけだ。売れないだろうな。ハズウェルのやつってどれも売れ残ってて安売りになってたりするからね(笑)あとメゴもさ、Massimoにしてもよくあんなの出したよなって感じだからね。まぁあれはだいぶ前だけど。オナニーを全力で世界規模でやってるっていう思い切りの良さだよね。出始めの頃はそこに衒学的な評論とかがついちゃってインテリが食いついてたり今思えばああいう音響カルチャーってすげー気持ち悪いポストモダンみたいな世界だなって改めて思うんだけど、でも今はそういうのないじゃん?もう素っ裸のオナニーだもんね。それを全力でやってるからそれが良いんだよね。ラッセル・ハズウェルは思いつめがちな俺に「こんぐらい適当でええんやで」って示してくれてるような気がしてまぁ俺にとっての高田純次みたいな存在なわけよ。高田純次は方法論的でかつ知的で天然だけどハズウェルは100パー天然だからそういうアホっぽさが好きなんだよね。インテリぶってて実は相当アホだからね。メゴの連中って大体そうだもんな。化けの皮が剥がれたら知的水準はゲットーシカゴハウス並っていう電子音楽界のダンスマニアだよね。なかにはそれを意識してやってる作為的なインテリもメゴにはいるけど、少なくともハズウェルは天然だよね。そういう作為的な中に混じってやってる一人に見えるけど実際はすげー天然っつー。Live Savageを熱心に聞いてた頃は狙ってやってるのかと思ってたけど天然でバカやってるんだよね。そこが最高にパンクだわ。本当に。


そんな感じでもう書くことないんだけどね。やっぱり日常っつーコンテンツを失ったから書くことがないよね。昔と比べて。なんか勢いがなくなった感じがあるもん。あっちにいたころは内容はともかく学校への文句とか女の子との観念的なスリリングな駆け引きとかさ、あとは面白いやつとか変な人とかまぁニューヨークだけに色々あったもんね。今は本当に毎日同じで何もないからなぁー。それでこうやって夜にクラシック聴きながら本を読んでるとかある意味この隠居感は今まで以上かもしれない。現に内向的になってきてるからアウトプットとかも少なくなってきてるもんね。まぁ考えてないってことではないんだけど。まぁでもクラシック聴きながら本を読むような生活ができてるって最高の贅沢なんだけどね。仕事はやれることだけやって無理しないでっつーのが特別に許されてるからこそ可能なんだよね。だからこそなんかやっぱそういう環境に甘んじちゃいけなくてさ、なんかやっぱやらないとなぁーって気がするんだよね。手伝いは当然のこととして、それ以外にやっぱ自分で独自になにかやらんとあかんよなぁーとか思ってるんだけどなかなかねぇー。


最近は妹に口癖のように「俺の将来頼むよ」とか言ってるからね(笑)本当は奥さんに食わせてもらうのが一番いいんだけど俺の飼い主が見つからなかったら妹に面倒見てもらうしかないもんなぁー。マジで。でもそれじゃダメだよね。まぁ最悪そうなるにしてもそうならんようになんかやらんとなぁーとか思いつつって感じなんだけど。ここでいつも思うのが収入と何かをやるってことの違いだよね。混同しがちだが別に活動そのものをマネタイズする必要はなくてっつーかまぁ何もかも無料の時代だからマネタイズって考え方がもう古いよね。コンテンツを作って売り出そうって発想がもう古い。だからなんかやっぱ活動ってのが根源的な人間のアクティビティになってると思うんだよね。お金どうのじゃなくて活動だからって言ってる意味分からないか。


まぁ何かそれらしいことをやりつつ金にならないから妹に食わせてもらうっつーならまだマシなんだよね。やってるんだけど金にはならないけど活動としては割と意味があるっていうさ、でもこのまま思索が仕事とかって言いながらごまかしながらやっていくのも嫌だなぁーとか思ってさ、まぁそういう生き方でもいいんだ!っていうような意見とか最近あるし、まぁそれはそれでいいんだけどそれってもともと頑張っちゃう人に処方箋的に言うことだよね。もともと何もやってない人がそういう意見を聞いてまったり暮らすってそれはどうかなと思うよね。何かどうしても動いちゃうとか仕事しちゃう!みたいな人がそういう考えも持つってことが重要なわけで、もともと怠惰なやつがそういう風潮というか意見とかを盾にして自分の生活を正当化するとかこれは完全に倒錯してるだろう。いや、俺が言いたいのは別に客観的な分類としては別にニートでもいいと思うんだけど、本当に何もしない何も考えない消費だけしかしないニートってのは本当に最悪だからそれはやっぱりむしろニートでいれることをアドバンテージとして有り余る時間を利用してなんかやれよ!って思うんだよね。そういう意味でやっぱ活動的なニートにならないとね。あとは高等遊民的な高度なニートね。ダメニートは本当にさすがにそれはこの俺でも肯定できませんよね。まぁそういう生き方がいいならそれでいいんだけど。


んだから前に書くとかいって書いてなかったニートの話だけどさ、ニートにも階層があるからね。いわゆる本当にリテラルな定義に当てはまるようなニートは最底辺ニートだよね。思考停止でバカでどうしようもないけど親の収入でなんとかやっていけるってタイプのニートね。で、他はいろいろあるけどまぁメンヘラー系はニートっつっちゃーあかんよね。それは社会恐怖とか不安神経症でひきこもり的になってる人たちなんでニート扱いなんて言語道断だわ。ニートってのは健常者じゃないと定義に入らないからね。生活形態はニート的でも病的なレベルの社会恐怖があればそれはもう全然話が違うわけよ。ニートのたちの悪さは別にやろうと思えばバイトとかできるし学校とかもいけるんだけど特にやりたいとも思わないしやる必要がないっつーんでまぁやらないっていうさ、五体満足なのになにもやらないってそりゃねーだろ!って話だよね。それがニートなのに精神病があるひきこもりの人とかもいっしょくたになってひきこもりとかニート扱いされてるからね。ニートの分類ってちゃんとやったほうがいいと思うんだよね。ニート対策っつっても全然層によって対策が変わってくるわけで。


あと社会恐怖とか不安神経症的なものがなければ仕事したいとかって思ってる人たちもいるわけでさ、それはなんつーかもうあれだよね、そういう人たちのために職場を設けるとかさ、あとはまぁ効率は悪いだろうけどパート的な感じでそんなに負担がかからない仕事をやってもらうとかさ、まぁある意味で障害者雇用とかと一緒だよね。んでも五体満足の人の場合、全然違うじゃん?そんなのあえて設けなくてももともとはできるわけだからさっつーか書いててつまらないからこの話題やめるか。なんか当たり前の事しか書いてないとつまらなくて嫌になってくるわ。


あ、んでも一応書いておきたいのでさ、俺が言う活動的なニートってのはあれだよね、わけわからないバンドやってたりとかさ、まず何かに結実しなくても本人はそれを生きがいにしてやってる的なものがあるニートならそれっていいわけよ。まぁ潜在的なアーティストみたいな扱いをしてもいいわけだよねっつーかまぁそれはやらせてあげていいわけじゃん?バンドの活動費が親の金なのかバイトなのかとか関係ないわけで。これで言うとあれだよね、フリーターとの違いって親から金が出てるか否かの違いぐらいじゃん?何かを探してるとか金あるからとりあえず短期留学するとかそういうのは良いニートだよねっつーかまぁもう定義上ニートじゃないんだけどね。


まぁ親の金っつったって金使ってるし、それこそバンドとかやってたら貸しスタジオとかさ、あとはまぁメンバーとの飲み会とかさ、あるのか分からんけどとりあえず何かが動くからね。バンドが糞だろうがなんだろうがそれは文句は言えないよね。まぁこれはフリーター型のニートとも言えるのか。俺はおそらくこれに当てはまるだろうなぁーとは思う。まぁ今は手伝いもしてるんでニートではないんだけどでも俺が言いたい良いニートってのはエデンの東的なメンタリティの話なんだよね。そういう有望なニートになれ!ってことなんだよね。それこそあれじゃん?ロックンローラーとかニート同然の廃人みたいなやつらが多かったわけじゃん?仕事しないでブラブラしてドラッグやりまくってるとかさ、あとは内田裕也みたいに誰かに食わせてもらいながらシェケナベイベーするっていうさ、でももうあれは存在自体がロッケンロールじゃん?前にブログがロックと同じような言葉になってほしいっていう良いエントリーがあってそれを貼ってなんか書いたと思ったけどさ、そういうロック的なニートだよね。


まぁこれはもうだいぶ前から言っているビート世代ならぬニート世代っていうさ、ロストジェネレーションなのは変わりないわけだし、ケルアック、バロウズギンズバーグのお三方はみんなボンボンだしさ、まぁでもオモシロきゃ本人がコンテンツなわけだからもうそれだけで価値があるでしょ。そういう人間にならないとね。つまらない人間になっちゃダメなのよ。せっかくニートやれてるのに無難に生きるとかそれはないでしょうっていう。それはまぁニートに課せられた使命だよね。ニートならなんかやらなきゃいけないっていう活動的な何かをやらなきゃいけないっていうさ、でも別に文化を担うとかそんな大げさな大義名分はいらなくてさ、とりあえずくだらなくても何かやってればいいのよ。やらないよりかは全然いいからね。


でもまぁ実際一部の優秀なニートが日本の文化を担ってるのは間違いないよね。日本のサブカルはもはやニートなしでは語れないと言っても過言ではないぐらい。でもここで言う「ニート」は底辺のニートは入ってないからね。まぁまともな人から見たらどっちも同じような感じに見えるのはわかるけどやっぱりフリーター型ニートってのはさ、ようは親の金でフリーターやってるってことなわけでさ、それはそれでいいじゃない。何もやってないわけじゃないんだから。


まぁもういいや。読書に戻りたくなったっつーかジャキントという人の「確かさを求めて」って本がすげー面白くて熟読してんのねっつーかようは面白いと感じられるぐらいようやく頭がついてこれるようになったってことか。いや、まぁこれは言わば数学基礎論の話なんだけど、パラドックスの話とか論理学の話とかね、まぁようは基礎論系の話なんだけど、まとめられ方が秀逸っつーのかな?哲学科の教授らしいけど哲学系の人が書く論理学とか基礎論の本ってなんかイマイチなのが多いんだよね。ようはつまんないわけだ。でもこれは完全に数学寄りっつーと変だけど、くだらない系統の論理学なんではなくて数学の原理的な論理学にしても数学的に重要なところのみを抽出してる感じで無駄がないんだよね。稀に見る良書だと思うんだけどね。で、数学基礎論の本っつーとたいてい歴史的なことが書いてあってそれが無駄に長いんだけどこれはほとんど理論的なことしか書かれてなくて、しかも記述が丁寧でめちゃめちゃいいんだよねっつっても内容を一通り何か他の本で読んだっつーベースがないと読めないと思うけどね。まぁ数学書って多いんだよね。初等的な大学1年ぐらいの数学の知識があれば読めるとかってこれは和書洋書関係なくそういうのが多いんだけどさ、いや、とてもじゃないけどついていけないでしょっていう初学者に優しくないんだよね。


まぁそういう意味でこの本は初学者向きではないけどなんつーか内容は完全に数理の世界なんだけどそれをやってると不思議と哲学的な問いや問題が生まれてきてしまうっていうような基礎論の本来的な哲学感ってのがよく出てるんだよね。こういうのってあんまり論理学ばっかでやりすぎるとすげーくだらなく見えるんだよね。それがさっき書いた哲学者とか論理学者が書いた基礎論の本はつまらないのが多いってことになるんだけど、まぁこの本の著者も哲学科の教授ではあるけど基礎論の本にありがちな無駄な長さとかくどさがなくていいんだよね。すっきりコンパクトにまとまってるっていいよね。やっぱり。


なんつーかね、一本道のくだらない論理学とかではなくて数学らしい大局観があるっつーのかな?結局は何かが何かの範囲を指定してるとかって実数論とか関数論とかの急所じゃん?結局、圏論とかようは結局は代数とかでも同じように範囲を指定してるってことのシステム的なダイナミクスじゃん?ってまぁこれはあまりにも集合論的な解釈かもしれないけど、ただその論理学のあの歪さっつーのかな?ナーガルジュナ並に言葉にとらわれ過ぎていて無駄にややこしくなっちゃってるって感じがあるじゃん?あとはただの頓智じゃねーかって言いたくなるようなまぁ分析哲学とかの安っぽさね。そういう雰囲気じゃなくて数学の雰囲気で基礎論系の話とかロジックの話がスマートに語られてるんだよね。あ、ようはゲーデルとかのちゃんとした論理学のガチっぽい数学観ね。これが哲学よりになるとくだらない論理学に成り下がるわけだ。


まぁそんだけなんですけどね。まぁただ思わぬ良書に出くわすとうれしいじゃないですか?最近そういうのが面倒で書いてなかったけどまぁやっぱうれしいことだから書くようにしよう。基礎論に興味はなくなったって書いたけどまぁあれだわな、つまらない本を読んだからだよね。基礎論自体はやっぱり面白いもんだよね。あと専門的な集合論ほど役に立たない感がなくて、ようはさっき書いた範囲の指定とか数学的な感覚を養えるってのがいいんだよね。その対象が数であろうが図形だろうが次元だろうが意味だろうが言語だろうが何かが何かの範囲を指定しているとか含まれているとか含まれていないってようはこれ自体がシステマティックなオントロジーになってるわけじゃん?俺のトポスのイメージってまさしくこれなんだけどね。だから代数幾何とか位相とかもトポスで扱えちゃうっていう、まぁようは俺がこないだ書いた最近渇望している原理的なものだよね。それに頼ってればなんでも定義できる!的な思考停止的な宗教的な寄りすがりではなくて求めているものが理論的に記述されていてある程度体系化されたものとして学問の体を成しているってのに魅力を感じるわけじゃん?そこまで原理的なものが学問になってるって数学的に厳密な哲学みたいなもんだもんね。


基本的に原理を探るって意味では哲学も同じなわけだから。まぁ全然メソッドもフォーマットも扱う話題も違うんだけどね。あと別に概念全般をそれこそ分析哲学みたいに数理化して数学的モデルで解説できるとかしようとしてるとか、まぁそういうことすると大抵失敗するしっつーかペギオの本とかって本当にそんな感じじゃん?俺の数学の知識が増えてきたからあのでたらめ感にイライラしてくるんだよね。ああいう恣意的な解釈に基づく概念をあたかも公理的に扱ってそれで論理的帰結を出すってのは詐欺的な誘導尋問みたいなもんでさ、そこはだから「自分が思うに」ってところは公理にしちゃいけないよね。それはその人のプリンシパルなわけで、一般に通用する普遍的な公理ではないじゃない?この辺の適当さってのが哲学の価値を貶めるんだよね。こういう部分を理系にバカにされてもそれは結構哲学側に問題があるのでなんとも言えない感じはあるよね。


うん。だからまぁ強いて言えば「知」ってことですよね。数学的に定義するだの哲学的に定義するだのってことではなくて色々な概念や思考法やメソッドってのを考えるってことの方法論としてストックしておくってのは革命を起こす前にゲリラが大量に武器を溜め込んでるみたいなことになるわけよってまぁ例えが物騒だな(笑)別にそれを武装と言ってうまいこと理論武装とかって言うつもりじゃなかったんだけど、ただその理論ってのがその人の理論もあれば、バックグランドにある普遍的な原理ってのもあるわけじゃん?で、そこはなんつーか哲学で言うとattitudeなんだよね。で、数学で言うとmethodってことになる。あ、ようは哲学的な原理ってのはattitudeで数学はmethodっていう主観に依存しない客観的なシステマティックなメソッドがあるってことだよね。両方あればビッチにバイブでしょう。阿婆擦れに天狗とかまぁようは鬼に金棒ってことなんだけどね。鬼が哲学で金棒が数学なのかまぁどっちがどっちかは分からんけどね。philosophical minded mathematicianなのかmathematical minded philosopherなのか。


ただまぁこれって相互的なものでようはまぁインテグラルなものなのよ。カントで言う統覚ね。そういう意味でこないだ書いたただ価値があるものとしての知識じゃなくて、こういうインテグラルな認識をもたらすことができる知識ってのを本当の知識って呼ぶようにすればいいんだよね。ようは軸は知にあるのではなく認識にあるっていう。認識を補助するための知識だよね。そういう意味で最初から頭が良い人っていないわけでってまぁ中にはいるけどさ、でもやっぱ知識で磨かれる認識ってあるからね。むしろ仏教の認識の高め方なんてまさしくこれでしょう。理論と実践っつーのかな?だからそういう意味でも衒学的なアクセサリーとしての知とかやたらレトリックを磨くだとか、そういう表面的なことではなく凄くファンダメンタルなレベルでの認識の基盤とその強度を提供する素材だよね。それが知識でしょう。そういう意味で哲学も数学も俺にとっては凄い良い材料になってるわけだ。この両方があってこその認識って気がするもんね。それはもう最近はそれが確信に変わってきた感じだよね。トポスになんでここまで興味があるのか?っていうとまぁようはこういう流れで言えば原理的だからってことだよね。きわめて認識的で概念的なものであるからっていうそれに尽きると思う。だからそういう意味でcomputationalなものはどうでもいいわけね。好きじゃないからやれないし。トポスは知識とか知ってなんなの?とか認識そのものにそのまま直結するじゃん?それを直に扱えるっつーのかな?その直接性が好きなんだよね。人工的な感じがしなくて凄く原理的だからだよね。


っつーかもういいや。くだらないハズウェルの新作の話からこないだの話の続きみたいになったけどまぁそんな感じで今日はこの辺で。


確かさを求めて―数学の基礎についての哲学論考

確かさを求めて―数学の基礎についての哲学論考


PS


Factualのレビューを見つけたんだけどまさしく意味がないサウンドにぐだぐだとコメントをつける感じが昔の音響シーンそのものなんですよ。佐々木敦みたいなレビューで凄く笑える。何もかもが総じて薄っぺらい。


http://www.normanrecords.com/records/136991-russell-haswell--factual-