現実はオワコンという認識からはじめませう。その12。

ではここからは6からのの続きなんで。


あとディオゲネスなんだよね。結局。山川偉也の「哲学者ディオゲネス」って本をね、読もうと思ってたんだけど急に思い出して早速買って読んだらさ、面白いことに「ノミスマをパラハラッテインせよ!」ってのはディオゲネスの言葉なんだけど、そんなことが書いてあるわけ。ようはノミスマって慣習とかしきたりとかってことなんだけど、まぁようはノモスってことよ。人為ってことね。まぁそりゃそうだ。現実は現実であるといっても、その現実性を担保してるものって大半が人為的なものでしょ?そうなんだよね。ルールやしきたりや慣習といってそれこそ観念的なものが現実を支配しているわけだ。もちろんそれがあるから自分が平和に暮らせるというのはあるにせよ、でもそれってルールやしきたりの良い部分じゃん?いくらノモスが相対的であるとは言え殺人が許されたら困るよね。そういう意味で俺は現実の全否定ではないんだよね。ただまぁあれなんだ、あとあれだ、俺は今の日本っつー閉塞した環境に身をおいてるのがあるし実際に辛いわけで考えているのはあくまで今の日本って話ね。普遍的に通用するような超強力な体系なんて求めてないから。とりあえず今から実践できる考え方としての認識ってのをやっているわけじゃん?そこがしつこいようだけど「まずは自分から」っていう話なんだよね。


ディオゲネスは調べれば分かるけど乞食みたいな生活をしててノミスマなんてただの人為じゃん?っつってさ、その人為を取り去ると見えてくるのがフュシスっていう動物的自然なんだってことなんだよね。坂口恭平の話を聞いててもやっぱり根底にあるのはこれだなって改めて思うよね。特に彼は才能があるので自然にそれに気がついて実践してるっていうさ、だからまぁ0円ハウスとか路上生活者ってことになるんだよな。ちなみにパラハラッテインっつーのは変造って意味ね。諸説あるみたいだけどディオゲネスは通貨を変造して追放されたんだよね。んでもあんなもんただのノミスマでしょ?っていうさ、そんなのにみんな踊らされてコントロールされてるなんておかしいよね!っていうのを最初に言った人がディオゲネスなのかもしれないね。今は拝金主義とかがまかり通ってそれがおかしいと分かっているのにノミスマの強さにどうにもならずに閉塞しているって状態だよね。


で、坂口恭平みたいな人はジム・モリスン的な生けるディオニュソスなのでシャーマンとして革命を起こそうとしてるんだよね。細部の話は置いておいて根底の「ノミスマをパラハラッテインせよ!」っていうことでは同じなのでどんどん無茶をしていってほしいよね。あとすげー気に入ったのが文句を言うやつは「バーン!」っつって殺すって言ってるところだよね。いや、俺がもっとハイパーになったような人だよな(笑)まぁもっとも俺の場合ジェノサイドの思想を持ってるからよりタチ悪いかもしれないけど。


俺は自分の思想がマジで危ないからこそ踏みとどまってるんだよね。坂口恭平の場合、凄く現実世界とのバランスが取れていて実際にプレゼンとかうまいし何しろ凄まじいカリスマ性だし経済的価値がある才能を持っているのでいろんな人たちが金を出したり彼で金を儲けようとしてるわけじゃん?オワコンの現実を彼がコントロールしているってもう超人以外の何でもないだろう。俺が彼についてとやかく色々と書いてもしょうがないので彼には革命をどんどん進めていってもらうしかないよね。ただやっぱり反逆罪とか殺人罪で捕まっちゃうと結局、彼みたいな稀有な人を社会が失うことになるからそこは思いとどまってやってほしいと思うよね。俺は俺なりに思いとどまって現実との折り合いをつける方法を模索して、んでここ数日の例の現実はオワコン思想に行き着いたわけだよね。面白いもんでこれを思いついて色々書いてたら@さんから書き込みをもらって坂口恭平のことを知ってっていうこの連鎖が本当にヤヴァいよな。本当に全てはエネルギーのバイブレーションなんだってことを改めて体感したよね。


彼はマジで現実を変えようとしてて、なにより現実的なのが金が動いてるからね。パトロンもいるらしいし。で、彼が自分のヒーロー的立場に安住せずにいかに革命家として革命を起こすか!ってのが重要なところだよね。マルチメディアアーティスト止まりじゃ彼の場合は駄目だよな。所詮は芸術家だよなみたいな批判があるみたいだけどそれはそういう点のことを言ってるんでしょう。でもそこは逆にみんなが彼を追い詰めればいいんじゃないかな?って思うよね。あんた変える変えるっつってるんだから早く変えてくれよ!っていうさ、批判するんじゃなくて急かすみたいなね、芸術家止まりでいるんじゃねーぞ!っていうさ、あんだけ色々言ってるんだからもちろんやってくれるんだろうな?っていうさ、そういう言い方でいいんじゃないかと思う。無理だとか彼にはついていかないとかそういう批判はマジでやめてほしいよね。まさしくそういうのって俺のジェノサイドの対象だからね。俺のジェノサイドを起こさせないようにしてほしいわ(笑)ホント、大衆がクソでシステムもクソでそれが相互的に成り立ってるなんてことに気がついてそんなもんは破壊だ!ってことになったら本当にナチズムと変わらないからね。俺って結局そこまで行き着いちゃったからもう思想的に前に進めなくなっちゃってたと思うんだよね。実際にジェノサイドなんて無理なわけだから。まぁジェノサイドしたいぐらい恨んでいたけどね。


でも今は物理的に彼らを消すのではなくて認識から彼らを消すっていうシフトになったわけだよね。だからこれは凄いブレークスルーだ!って自分でも言ってるわけ。かといってもさ、バーチャルリアリティー論とかを読んでても必ず書いてあるようにバーチャルリアリティーへの逃避じゃ駄目なんだよね。終わりつつある現実ってのはオワコンのものとしてあって、で、良いコンテンツとして自分の世界とかゲームとかバーチャルな世界ってのがあって、どちらが重要か?とかどちらに存在を立脚させなければいけないのか?みたいな問いをナンセンスとすることだよね。そんなもんはイデオロギーですよってことなわけだよね。そこが凄く仏教っぽいわけよ。仏教的に言えば現世も夢なんだから仮想世界も現実世界もないでしょう。で、そこで俺は個人のヴァーチューにしたがって、ようは価値観にしたがって見たい世界を認識して望む世界を構築していけばいいってことになったわけだよね。でも仮想世界はどんどん広がっているし何よりビッグビジネスになってるわけでもうインフラ化してるわけじゃん?Steamなんてあんなもんただのインフラじゃん?ゲームはアホみたいに安いしそれこそ昼飯を数回我慢すれば買えちゃうソフトが大半だからね。まぁ円高ドル安ってのがあるからなんだけど。


で、バーチャルリアリティー論なんかでは仮想世界に自己を立脚させるなんて許されないなんて書いてあるのもあるけど、それは俺に言わせればなんで?だよね。現実が壊れつつあってなおかつノミスマの暴走が酷くて人々を殺しているっていう状況にある中で、それでもその現実にしがみついて生きていかなきゃいけないのか?って話じゃん?もちろん現実でうまく言ってる人はいいよ。ただもうついていけない!って人も増えてるわけで、言わばそういう人たちって難民なんだよね。現実世界に居場所が無い難民ね。


だから俺はそこでノアの箱舟的な場所が必要だろう!って強く思うわけで、ただでも物理的にそういうのを用意しても昔のヒッピーのコミューンみたいになったりオウムみたいな共同生活になるんでそれは嫌だっつー人は多いと思うんだよね。だからこそ仮想世界でいいじゃん!って思うわけなんだよね。でも別にそれはゲームである必要は無くて芸術でもなんでも自分の世界を作れるものならなんでもいいわけだ。でも今はネットで発表できるっていうのがあるから発表したいなら発表すればいいんだよね。ただそこでアクセス数が少ない・・・とか誰も見てくれない・・・ってことで悩むのは無し!ってことね。それこそがまさしくノミスマ的発想なのよ。アクセス数が多くなければその作品の価値が無いのか?って違うでしょ。それは単純に他の人と価値観が違うとか価値観が合う人が少ないってだけの話で作品の価値とは全く関係ないわけだ。その価値を見出すのがまず自分じゃない限りその作品に価値はないわけね。これがようは個人のヴァーチューじゃない?


そんなのただのオナニーじゃんっていう人がいるけどさ、オナニーじゃない芸術ってあれでしょ?金が回ったり個展開けたりメディアが取り上げるような芸術なわけでしょ?坂口恭平みたいに成功している例もあるけど現実世界での古い意味での成功をしてない芸術もいっぱいあるわけだ。でもそんな内発的に顕在化した表現物というものを「成功」とか「お金」みたいなノミスマ的観点で計っちゃっていいんですか?ってことじゃん?俺はそういうのは一切やめにした!って宣言したじゃん?こういうのも含まれてるわけよ。まぁもちろんノミスマ的観点が妥当であったり有用な場合もあるから一気に現世否定!ってことにはならないんだよね。それが前にも書いたように現実の良いところはそれこそ都合よくつまみ食いして自分の楽しい生活の要素の一つとして生かせばいいわけよ。消す必要は全く無い。ただどうにもならないことが現実には多くてそれにフォーカスしてばっかりいるってのはやめよう!ってことなのと、そもそもそういう現実の終わってる感をシリアスに捉えるのってそれがノミスマ的観点だからだよね。それが現実だからっていう慣習によってのみなわけで、今は現実以外の世界がいっぱいあるわけだ。もっとそういうのに目を向けていこう!ってことだよね。難民が生きていける場ってのはあるはずだしまぁあるはずって期待するのが俺は嫌だから勝手に作ればいいってことになるわけね。


しつこいようだけどこれを現実逃避だっていう意見は本当にお門違いでそんな価値観は捨てろ!ってことなんだよ。現実/非現実という考え方はそもそもそれこそ現実的に考えれば考えるほどおかしいんだよ。そもそもさ、毎日が幸せ!みたいに生きているブルジョワなんてさ、福島の問題とか貧困の問題とか自殺問題とか考えてないわけじゃん?だからハッピーでいられるんだよね。それってようはそういうことを認識しないようにしてるからじゃん?でも彼らは現実に幸せに生きていけるよね。それはただ単に現実という世界の中で恵まれているからそういう生活が謳歌できるってだけで現実逃避じゃないでしょ?ただアホなのかなんなのかいろんな社会の諸問題には目を向けないでいられるわけだ。別にブルジョワじゃなくても馬鹿はたくさんいるからそういうやつらが見てる世界ってそんなもんじゃん?全部自分の正当化で責任は他人に擦り付けて他人を利用しようとしたりようは徹底的に利己的なんだよね。そういう徹底的に利己的であるっていうのも一つの世界なんだよ。それこそ自己中心的世界なんだよね。それも認識じゃん?


だから彼らは永遠と鬱にならないし社会問題にも目を向けないし自分さえよければいいからさ、だからそういう世界観でそこそこハッピーに生けていけるわけでしょ?でもそれが遠くのことであれ自分の国のことであれいろんな悲惨な問題ってのを受け止めずにはいられないっつー困った人たちもいっぱいいるんだよね。俺がそうだけどね。クソみたいな人間の話を聞いただけで虫唾が走って精神的に不安定になる。なんでか?ってそういうやつらが横行してるし大勢の人に嫌な思いをさせているからそれを考えるだけで鬱になるわけだ。でもそれを考えたところでどうにかなるのか?ってならないでしょ?その人間を殺すわけにもいかないし、まぁ理想的に言えばまとめて殺せれば一番いいけどまぁそれは現実的に無理じゃん?だから認識から消すしかないんだよね。


そういうやつらを説得してちょっとはマシな人間に更正させるとかさ、逆にそんなのあっちから見れば余計なお世話だしこっちの価値観の押し付けじゃん?それはできないんだよね。だからもう形而上学並に解決が困難な問題なんだよね。だからそこはウィトゲンシュタイン風に「どうしようもないことには目を瞑るしかない」ってことになるわけだ。それと向き合って変えられる問題ならいいですよ。でも俺が気を病んでいる諸問題って大きな政治の問題であったり個々の価値観の問題だからさ、それって他者を洗脳したり虐殺でもしない限り解決しない問題なんだよね。だからそんなんで気を病んでてもしょうがないからもっと建設的な話をしていこう!っていうパラダイムシフトなんだよね。


で、これの凄いところがようはクソみたいな人間とか現実について考えなくて済むようになるってことねっつっても貧困問題とか福島の問題とかそういうこともどうにもならないから認識で消すって話じゃないんだよ。むしろそういう諸問題に対して別の世界を作っていくことで解決していくっていうことなわけだよね。ディオゲネスみたいに樽の中でパソコンさえあれば暮らしていけるようになればそれはそれでとりあえずいいじゃん!って俺は思うのね。これって頑張らないって生き方だしこれもヴァーチューじゃないですか?そりゃ貧困が解決すればいいけど今みたいな金の流れじゃ無理なんだからさ、まぁそれを変えようとするのもいいけど俺には無理だからもっと多くの人が精神的に救われるような方法ってのを模索したいんだよね。だからといってもそこで一気に仮想世界を勧めるんじゃなくてまずは認識を変えよう!ってことになるわけね。変えようが無いことに関してはとりあえず認識から消すってことですよ。ネガティブな考え方って分析すると全部現実への絶望とかどうにもならない自分への絶望とか大半がそういう現実のものから来るんだよね。たまにはそういうのも必要かもしれないが今はそれに飲み込まれて駄目になっている人たちが多すぎるわけだ。そんなのを放っておけないよね。でも政治でも何でも現実は何もしてくれないでしょ?


だからもう自分たちでやるしかないのよ。そういうことなんだよね。でも俺のやり方は敷居が低くて頑張りたい人は仮想現実主義者的に考えつつも世の中の変革を目指すとかね、あとは新しい世界を作るとかね、仮想現実主義者の観点から今の世の中の諸問題を見つめなおして解決法を模索するとかね、そういうのをやればいいけどパワーが無い人はとりあえず樽の中で足るの中でパソコンでいいんだよね。実家が金持ちならそれで結構だし親からの仕送りがあればそれで結構だし、とりあえずそれで気を病まずに生けていけるならそれは一つの道なんだよね。現実から逃げるということではなくてそれって現実を生きるって話じゃん?現実をサバイブするってことなわけだから。


ってことで続きはまた明日。


哲学者ディオゲネス -世界市民の原像- (講談社学術文庫)

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