現実はオワコンという認識からはじめませう。その13。

でも結局は収入が無ければいつかは生きて生けなくなるじゃん?っていうそういうのも杞憂ってことなんだよね。どうせ今なんて今食えてたって先まで食えるか分からないわけだしスキルアップなんつってそのスキルが必要とされなくなるかもしれないわけだし、そんな中で未来を見据えて未来でやっていけそうなスキルを磨くってのもありだけど敷居高いじゃん?もうこういうのってパワーがある人しかできないじゃん?ただ日々暮らしたい人たちにはキツ過ぎるよね。だから俺はただ日々生きたいなら生きればいいじゃん!って話に尽きるんだよね。将来の心配をしてもしょうがないしそんなもんあんたの問題だけじゃなくて大半の人が不安に思ってるわけで、でも不安からは何も生まれないし将来どうしようか?ということを考え続けることで何か見つかればそれこそ現実を向き合ってやっていけそうな道を模索するみたいなことができるかもしれないけど、俺みたいに色々と考えたからこそ何もないじゃん!っていう考えに至る人もいるわけじゃん?むしろ何も無いからみんな不安なんでしょ?だったらもうそれはどうにかなる問題じゃないんだよね。景気が良くなれば大丈夫だなんつったところであなたの力で景気回復できますか?って無理でしょ?ようはこういうのが大きな政治の問題って話なのよ。個人どうのって話じゃない。


だからね、俺はそれこそ現実を変える手っ取り早い方法はみんなが現実に対してゼネストすることだと思ってるのね。そういうのに巻き込まれないし付き合わないし気を病まない。で、とりあえず避難場所を探して将来どうなるか分からないなんて問題が浮上しないようなインフラを自分たちで作っちゃうっていうそういうことなんだよね。といってもそりゃ日本は壊滅するかもしれない。でもとりあえず樽並の家でもパソコンなり絵を描ける道具なりこれさえあればなんとかなる!的なサバイバルの道具とか方法ってのを持っておいて来るべき終わっていく世界に備えるってことじゃん?でもやっぱり俺としては終わっていく世界ってのを軸にするよりもやっぱり始まっていく世界ってのにフォーカスしたほうがいいし樽で良くてもまぁまぁの家に住めたほうがいいと思うからそこは諦めじゃないんだよね。諦めているわけじゃなくてむしろ能動的に作っていこうって思ってるわけで。だから逃避とは大違いなんだよね。


でもこれって当たり前じゃん?お金を稼いでもどうやらそれが直に幸福に繋がるわけではないらしいってもうみんな分かってるわけだからさ、お金とかそんなもんじゃない自分がやっていけそうなさ、自分がノミスマに押しつぶされないような生き方を模索していくってむしろ当たり前だしこれがそれこそ現実を考えるってことなんじゃないの?って思うんだよね。生きていく道なわけだから。なんかヤフーニュースでさ、若者の六割ぐらいが夢を諦めてるだとかなんだとか、で、幸福がお金とかの問題ではないってのは九割ぐらいが気がついてるっていう。あ、なんで九割って漢字なのか?っつーとさ、マックでウィンドウズ使ってて半角にできないんだよね。どうやるのか分からなくて調べてないままなんだけどまぁそれはともかくさ、お金じゃ無かったらね、いや、でも夢ってお金でしょ?所詮は理想の職業とかなんだとかそんなことじゃん?なぜか金を稼ぐというのがデフォになっている。


夢っつーのもなんのための夢なのか?っていうさ、夢破れたりって思ってる人たちの大半が認められなかったとかさ、やっていけなかったとか解雇されたとかそんな感じだと思うんだよね。「無理だったか」と判断する基準が現実という尺度になってる。まぁ現実という尺度から見て才能無いのに気がついて諦めるってのも一つだけど、少なくとも夢の軸ってのをお金とか社会的認証みたいなのにしないことだよね。まぁ認められるのが夢ならそれはそれでいいけどさ、認められたところで何にもならないからね。俺が言う絶望ってこれなんだよね。良い奥さんと結婚して良い家庭を築きあげて良い仕事に就いて・・・っていうそれでも空しさが残る人は残るんだよね。まぁそういう世俗的な成功みたいなので満足できる人はそういう夢でもいいと思うけど、俺が言う絶望は夢だと思っていることも実はそれで何かが解決されるほどのものではないってことなんだよね。今までではまぁそれこそお金が稼げればなんつーか成功だったかもしれないけど、どうやらそれは違うらしいってことが分かってるわけじゃん?それと幸福とは関係ないとかさ、そもそもお金でなんとかなる幸福なんてそれこそ幻でしょう。


ってところで終わってるんでどうやらこれで終わりらしいので今後は続きっつーか別に書いたやつを貼るです。


いや、リメイクっつーか新しいほうのトータルリコールを見たんだけどさ、あれが現実だよね。ようは別にどちらも同じってことだ。たださ、俺が普通の引きこもりとかニートと違うところはアメリカに5年住んでいろいろと経験をしたってところに尽きるよな。それありきの今の認識だから。んでもまぁそれって分からないんだよね。引きこもりの言い分にしか見えないんだけど、それこそあれじゃないの?ニューヨークの生活を夢見てるみたいな人たちにとっては俺は夢の世界に居たってことになるよね。海外に行けば自分は変われるかも!的な。いや、何回か告白されたとかマジだからね。でも今思うと本当に夢の話みたいに思えてくるのよ。


そのぐらい現実にとって過去は関係ないっていうこの認識のプレゼンスだよね。なんかさ、過去に栄光があった人が全盛期を超えるとその記憶に支配されておかしくなるって話よくあるじゃん?アル中になったりだとか。まぁ俺に栄光はないけど今ほど毎日つまらなくはなかったけどそれはたいして問題ではないってことなんだよね。なんかこれはやっぱりリア充経験の有無は重要なんじゃないかなと思う。で、リア充経験があればあるほどどんどんそれが相対的に思えてくる。で、どんどん色んな意味合いが消滅していって空しくなるわけだ。無いやつのロジックといわれればそれまでだけどあったやつの話だからね。なんかでもこのままこんな感じで続けていくとニューヨークに居たとかもキチガイの妄想なんじゃないか?って思われてもしょうがないよなぁー。写真とか残って無いし(笑)


まぁでもさ、だからこそこれなんだよな。夢の世界でも主観はいつまでもついてくるから結局は実存の問題からは逃れられないってことなわけだ。環境が変わって内面が変わる人もいるけど俺はあんまり変わらなかったってことだ。んでもさ、いや、ただネットやってる人たちよりかはすげー色んな国の人たちと喋ったと思うんだよね。トルコ、イスラエル、インド、中国、韓国、台湾、ペルー、エクアドル、イタリア、ドイツ、フィンランドポーランド、ロシア・・・っつーかまぁ書いたらキリ無いわ。世界の耳蝉ですよ。マジで。で、行き着いた先が認識の相対性だからね。っつっても俺って個人の物語の世界の話だからなぁー。世界観が狭いやつに分からそうとしても結局はそいつらのつまらない人生の経験とか観点で俺の言っていることが判断されちゃうからそもそもの見方が違うんだよね。いや、今回の話ってすげー経験に基づいた話じゃん?全部ビルドインされてるよね。


で、最後にゲームが来てこんな感じの認識になったっつー。面白いのは「ニューヨークにいた」なんて嘘だろって言われても「本当だ!」って言い切れないところだよね。それこそトータルリコール的な感じでさ、それを経験しようがしまいが今の俺は俺じゃん?それに基づいているといわれても記憶がシェアできてるわけじゃないし、色々と経験した上でこういう感じの考え方になってるってのはそれこそそういう人たちにしか分からなくて分からない人には永遠とわからないんだろうな。いや、書いてて本当に思ったし書き込みもいくつかもらってさ、書き込みをくれた人たちってまぁディスるわけじゃなくて本当に現実の人たちの意見とか疑問だよなぁーって改めて思ったのね。ああいう反応が普通なんだよね。まぁそこは文章で経緯とかを書いて何でこんな認識に至ったのか?って書けばいいんだろうけど面倒だから「前の俺はさ」みたいなウォール伝の続きみたいな感じで書いてるじゃん?いや、だったら過去のやつ読んでくれ!って話なんだけどそれこそ昔から言ってることが変わらないんだよね(笑)


バーチャル云々の話って思えば攻殻機動隊やらマトリックスの話やらで色々しててさ、まぁ結果これにいたるって流れが分かれば別に急に認識が変わったってわけじゃないのは分かるよね。ただまぁエントリーだけ読まれるとっつーかまぁそれはしょうがないんだけどウォール伝の歴史も弁えてなんて言えないじゃん?それはまぁブログだからしょうがないよね。それだけ読まれる可能性っつーかほぼそれしかなくて俺がどんなやつなのか?って分からないんだよね。だから気になるのは当たり前のことだと思うし気になってるってありがたいことだよね。でもまぁどんなやつなのか?ってのはエントリーにとっては関係なくても内容自体は実存の話なんで関係なくはないんだけどでも読む上では関係ないんだけどでも歴史を踏まえてないと誤解が生じるところだらけでどうしようもない感じになるんだけどそれはもうしょうがないなと思っていて。ニートが言おうが歴史の偉人が言おうが内容が同じなら同じって言ってた俺が見事に足をすくわれている感じだよね。結果、引きこもりの意見と変わらないと言われてもしょうがないっていう。いや、そうじゃないんだ!俺にはこういう歴史があって・・・って言ったところでどうにもならないんだよね。むしろそんな歴史があれば余計に挫折して詰んで世捨て人になったんだって思われたりもするよね。


いや、どうしようかなーと思って。内容的には色々と考えて読んだりして経験した上でのことなんだけどその結果が一見するとただの引きこもりの意見にしか見えないってさ、なんつーかようは内容に立派な感じがないんだよね。これぞ認識を極めたものの境地!的な感じが無い。分かる人には分かるけどそれって多分自分で考えている人かウォール伝を長年読んでくれている人たちだけだよなー。まぁこんなことを書いててもしょうがないんだけどさ、もう誤解はしょうがないっていうスタンスでやっていくしかないな。今までもそりゃーそういうスタンスだったけど今回の感じっつーのはもう誤解が生まれて当たり前みたいな感じだもんね。


ただまぁあれだ、今はね、今読むと恐らくダサい感じがする80年代90年代のバーチャルリアリティー論とかサイバースペース論とかさ、一応歴史も踏まえてあくまでオントロジーの視点で色々と読んでるんだよね。で、そういうのを一通り読むとまぁもう買ってあるんだけど現代のバーチャルリアリティ論とかまぁようはセカンドライフ的なやつとかさ、あとはまぁそれに付随して自ずとインターネット論とかね、まぁよくあるネット関係の本だよね。そういうのは興味なかったけどまぁ今回のオントロジーからのバーチャルリアリティってことでさ、色々と興味が出てきてっつーかようは実存主義の延長で読んでるって感じで自分の中のコンテキストがあくまで哲学なんだよね。でも読んでいるのは哲学書ではないっていう。哲学だけで話を終わらせる哲学の狭さってのに限界を感じていて、んでもまぁーしょうがないなぁーとか思ってたんだけど、まぁようは哲学って視点だよね。


で、まだ続きっつーか別の貼ってないやつがあるんでまだ続きますんで。