「世界」は機能であるとかって言ってみたい話。

例の世界の話だけどユクスキュル寄りの話に持っていくと壮大になるけどさ、いや、科学ではないんだけどアーサー・ケストラーの話なんかともつながってきてさ、ようはなんつーかまぁ色々と読んでて思うのはつまりはこれって進化じゃん?っていうさ、そもそも生物ってのは環世界の中で進化してきたんじゃん?っつー当たり前の話になるわな。いや、食事っつっても人間にとっての食事とかモグラにとっての食事とか同じ食事でも食べる方法も違えば種類も違うじゃん?でも同じ食べるってことをしてるじゃん?で、ようは人間が食うものってまぁ当たり前だけど社会的に規定されてるよね。それの逸脱がカニバリズムであったりするんだけど、まぁそこまでは行かなくても悪食ってのは文化として昔からあるもんね。意味分からないの食べ過ぎて肝炎になって死亡とかそんな話はよくあるもんね。まぁ俺なんかコンビニとかオリジン弁当とか食べるの決まってるよね。


でもそれを選択させている要素は何か?って考えた時にそりゃ手に入る場所とか値段とかっていうそういう環境的な要素によって決められてるわけだよね。食べたい!というよりかは「なんか食べなきゃ」でコンビニとかになるじゃん?アメリカで言えば困ったことにこういうノリで入れる店はっつーとマックとサブウェイぐらいしかなかったよね。ニューヨークではずーっとそうだったもん。食うもんが環境によって決められてるんだよね!もちろんニューヨークなんて金出せばいくらでもうまいもん食えるインフラが整ってるけど苦学生だった俺にそんなのは無縁な話でっつーかまぁ大抵の学生はそうでしょうっつーかだからまぁ学生食堂だのなんだのっつー安い飯っつー一種のジャンルが生まれるわけじゃん?


ニーズがあるから生まれるのもあるし諸条件を満たしているから苦学生が集まるっていうメッカ的な場になるってこともあるしっつーか本質的に両者は同じだよね。で、一気に話を飛ばすとマーケティングなんてのはこのニーズの幻想を生み出すテクニックだよね。ありもしないものに付加価値を与えるとかあたかも流行っているかのように喧伝するとか、根本のレベルでは満ち足りているからこそ何かお金が回るものが必要で、んでありもしないブームだの風潮ってのが生まれるんだよね。これは凄く作為的で安い食堂に学生が集まるのとは逆の原理で食べたい人たちがマーケットってのを作り出すんだよね。悪く言えば乞食だわ。食わせてるのが一般ピーポーってわけだ。


でもAKBみたいな宗教的なものとか心の拠り所になるものに関しては幻想なんて簡単に言えるものではないってのは最近気が付いたこととしてまぁしつこく書いてるけども。だからまぁ思うにAKBとか俺にとってのゲームとか数学ってのは心のよりどころじゃないですか?無いと死ねるよね。これはインフラのレベルでの食みたいなもんだから食事に金を払うのと同じような感じだよねっつってもゲームと数学はコスパが最強なんだよね。なかなか終わらなくてんでそんなに金がかからないっていう。設備投資もいらないんだよね。まぁPCはちょっと検討するけども。


まぁそれはともかくだな、ようはこういう環境の中に生きているわけだから環世界も何もないじゃん?っつーかデフォでそうなんだよね。ユクスキュルの本を読めば読むほどただ当たり前のことしか言ってないってのにどんどん気が付いていくんだよね。東浩紀が「動物化」って呼んだのは何も考えずに与えられたものを動物のように消費して生きていくっていう飽和した終わってる社会みたいな意味だと思うんだけど、そもそも動物ってそうだよね。そう思うと人間って少ないんじゃないか?って思えてくるんだよね。セッティングされた中から選んでそんで食べて糞して寝るって動物っつーかミミズみたいなレベルじゃん?それは卑下して言うのではなくて抽象的に考えれば本質的になんでも動物だよなって思えてくるんだよね。そんな中でやっぱり哲学でもさっき書いたケストラーなんかでも創造性ってのが凄く人間らしいファクターになっていくんだけど、それを軸というかキーワードにして人間を考えるのでは大抵の人間を動物扱いするってことになるよね。ようは凄まじいエリーティズムだわな。


何かを生み出したりできるやつ以外はミミズみたいな世界観にもなりかねないよね。そこはやっぱり俺は中庸に行きたいよねっていうかそれを実存レベルで見ると宗教としてのAKBってのは俺の実存のスケールで理解できるどころかすげーファンダメンタルなものなんだっていうさ、あ、いや、俺がAKBのファンってことじゃなくて、宗教のように心のよりどころにできるものだよね。で、それが宗教だったりアイドルだったりゲームだったりして、なんでそれが現実逃避になるのか?ってことだよね。いや、それこそが個々が知覚している主観の世界観なんじゃん!ってことなんだよね。


仏教を出すまでもなく何が現実で何がバーチャルか?なんて分けるのはナンセンスだよね。むしろバーチャル的なものが現実の中心になりつつあるじゃん?日本のカルチャーで言えばもうここ10年ぐらいそうだよね。ではそれが虚構なのか?ってまぁそりゃ虚構だろうけどそれ言い出したらそもそもの社会が虚構じゃないですか?ベネディクト・アンダーソンまでいかなくても、そもそもが全部観念による所産じゃない?養老さんの唯脳論なんかもそれに近いわな。あ、んで何を書こうとしてたのか。あ、そうだ。まぁその世界なんですけどね、ようはまぁコンビニってのができて便利になってみんな利用するようになってそれがインフラ化して俺も実際相当コンビニのもんを食っているって事実があるわけじゃん?何かの死骸を食べるっつー動物がいて、最近はそこでよくその死骸が見つかるって場にそれを食べるやつらが群がるのと同じだわな。イメージ的に微生物だね。


アメーバ的というかなんというか、実際は色々と考えて行動しているように見ても実際はただの習慣で動いていて、それはアメーバ的な入力と出力のフィードバックが即行動になってるみたいなさ、それで言うとイメージ的にLispっつープログラミングの言語に近いんだよね。で、今はそういう意味で凄くファンダメンタルなものとしてのLispに異様に興味が出てきてる。チャイティンゲーデル不完全性定理の証明は自分にとってはLispのコードに見えるなんつってたのもなんかすげー合点が言ったんだよね。もちろんこういう話題はゲーデルエッシャー・バッハとかチューリング的な話に繋がっていってまぁようはcomputationとかの話にもなるんだけどまぁそれはちょっと今の境地で見え方がそういう風になってきたからそれに取り組もうと思ってるんだよね。数学というところで言うとJacob Lurieの本を読破するっつー予定がまた先になりそうだわ。Topological Quantum Field Theoryは絶対やりたいんだよね。あとJacob Lurieの仕事をフォローするってのももう決めたからやるわけよ。あ、フォローってツイッター的なフォローね。追うってことね。フォローっつって助けるフォローができたらすげーな(笑)


まぁあんま抽象的な話は今回はいいしもっとちゃんと色々と考えてから書きたいからまだいいんだけどもまぁんで今日書きたいのはさっつーか坂口恭平の思想ってズバリ「環世界のハッキング」だと思うんだよね。人間が関数的に勝手に与えられたものから定義された自明のものということで何も考えずに行動という出力を起こしてしまうって中でのその「定義された自明のもの」とかを疑うっていうまぁ哲学で言えば懐疑主義とかにもなるけどそういう感じではなくてそれがようは凄く根本的な生きるってことなんだよね。だから物凄く「環境をハッキングする」的なEnvironmentという言葉が凄くしっくりくるんだよね。自分がそういう意味でアーキテクトなんだって言ってたけどその通りだよね。誇大妄想でもなんでもなく凄くロジカルなことだよ。これは。で、その一つがっていうか坂口恭平が注目されるきっかけとなったのがズバリ「家」じゃないですか?それはまぁ詳しくは書かないっつーかちゃんとしたソースで色々と読んでほしいんだけど、まぁようはプルードン的なproperty is theft!ってのを彼が生きていく中での自然な帰結として至ったって話だよね。


で、不動産とかそもそも土地を所有するとかそんなもんに給料の大半を払ってるとかおかしくない?っていう当たり前なんだけど言われてみれば誰でも「言われてみれば・・・」って思えなくもないところだよね。そこがなんか人気の一つでもあると思うよね。彼自身の思想は難解なところのほうがむしろ多いけどパフォーマーとして振る舞っているときの彼はみんなが共感できるようなシンプルなことを中心に話してるよね。で、話していくうちに抽象度が高まって独特の世界になっていくんだけど、まぁあれを聞いてるとなんか呪術的なトリップ感が感じられるんだよね。まさしくカリスマっつーか教祖型の人間だよね。あれを才能と言わずしてなんと言えばいいのか!


で、まぁその自分の話に戻るとね、その世界という意味で言うとさ、まぁ結局はニーチェパースペクティブみたいな話になるんだけど、でもやっぱり思うのはかなりの部分が勝手に規定されててそれを押し付けられてるってことだよね。まぁデリダ風に言えばそういうのをDeconstructしろってことになる。で、俺に言わせればエポケーでもニーチェ的なパースペクティブでも脱構築でもその果てにあるのは結局は個々の独我論的な環世界だってことになるんだよね。デリダは特にその先に正義があるっつってたけどむしろ逆でその先は完全なる主観の世界でしょう。個々によって全く現実や正義や倫理といったような諸概念が違うっていうフラクタル的な世界になるよね。仏教とか禅では世界ってのはそういうもんだって言ってるもんね。そういう主観的なものや客観的なものやとにかく色んなどうにもできないものが交錯している諸行無常の世界なんだっつーこれってカオス的な世界観じゃん?凄く科学的だよね。当たり前のことしか言ってない。さっきLispがどうのって書いたけど結局はなんつーか全部トートロジーになるんじゃないか?と思ってるんだよね。でもそれは全てなんではなくて関数的なものはそうなるってことなんだよね。再帰的なんだよね。


でも動物でも人間でも個々の世界で再帰的なんだよね。まぁでも永遠に閉じた世界にはならなくて全てが関数的に繋がっているっていうそれ自体がファンクションなんだよね。だからそれは閉じているなんて簡単に言えるほどシンプルなもんではなくて、それがまさしく諸行無常という言葉そのものだと思うんだよね。自己参照にしてもルールとか定義が変わってる場合もあるし、でも流動的なダイナミズムの中での一種のcomputationなんでそこだけ局所的に見て「ルールがおかしい!」なんてことにはならないわけだ。恣意的にルールが変わったように表面上では見えても振る舞いとしては一貫性があるのである時系列でパターン化して見たときにはルールが守られてるとか、言わばすべてが定言的なものではないってことなんだよね。むしろ俺はルールがおかしいでしょ?でも社会は相変わらず別な意味でおかしい。で、坂口恭平みたいなカリスマが環境世界のハッキングを進めているわけだ。特異点と言えばそれまでだけど特異点というにはあまりにも常識的過ぎてまとも過ぎるんだよね。それが故に妙な説得力があるわけだ。それはハッキングというよりかは逆なんだよね。クラッキングされたものをハッキングして治せ!っていう発想だと思う。だからみんながハッカーじゃないといけないってことになるわけだ。あ、ちなみにハッキングとクラッキングって意味が違いますからね。分からなかったら調べてくれ。


ディオゲネスが言うようなノミスマをパラハラッテインせよ!っつーのもそもそもクラックされてておかしいノモスをハッキングして戻せ!って話だと思うんだよね。どの道、人間が勝手に生み出して自分たちを雁字搦めにしているルールが暴走して人間疎外を生んでるってことだよね。だから人間がどうか?ってよりかはルールがどうか?っていうほうがなぜか大事になっちゃう。まぁhabeas corpusですよね。そもそものルールということを尊重するなら大量の人が自殺してたり鬱になってたりホームレスになってたりとにかくまともに生きられないってことになってるならそれはそうなってる環境が人身保護という法の観点から見ればルール違反であるってことなのにも関わらずそれを無視するかのような家賃の高騰やら銀行の貸し渋りやらなんやら。今は自営業やってるじゃん?うち。あーこんなんじゃ普通の人起業できねぇーなってぐらい酷いよ。金なかったら無理だもん。


政府の金融公庫とかあるけどハーバードの入学ぐらい審査が厳しくて滅多に通らないみたいで。これがまぁ人生ハードモードになっちゃってるっていうことの一つですよね。どうしろというんだ!っていうやろうとする人もやれないってそこまでになってるってそりゃもうダメだよね。だから金を刷るなんて当然でしょう。海外がどうのとか関係ないでしょ。まずは国民の人身保護を優先せよ!だよね。で、もっと政府はやっぱ色々とやらないとダメだ。もう政府に何も求められないから自分たちでやっていくっていう国家離れは必然の流れとしてあるものの、ただシステムがあまりにうまくいかないように出来すぎてるから生きる邪魔はするべきではないっつーかそれがようはhabeas corpusに違反してるってことなんですよ。コモンセンスの範囲でやれることをやろうとしてるのにやれないってそれはダメでしょう。


まぁそれでも失業率とかってまぁようはさ、どんだけ公共事業とかやってもさ、俺はそもそもの問題が労働が必要なくなってるってことにあると思ってるから失業率の問題はなくならないよね。だって昔だったら電話の交換手とかさ、モールス信号みたいなのを打つ人とかさ、多分何千か何万っつー前にあった仕事がテクノロジーによっていらなくなってるわけだ。そこでラッダイト運動するわけにもいかないよね。すげー便利だしそもそもみんなその便利さに依存してるわけで。だからいい意味でいらないのよ。人が。本当に必要なところでしか必要とされなくなってるわけ。だから二極化するわけじゃん?ロボットでもできるような仕事と人間にしかできないような仕事っていうまぁようは技術とか頭脳労働の部分だよね。そんな中で失業者が増えるのは当たり前でしょう。


いや、あとなんかさ、年賀状が減少してるってこんなのも当たり前の流れじゃん?みんなメールで済ますかそもそもやらなくなることで例えば郵便局での年賀状の仕分けみたいなお馴染みのバイトはなくなるよね。でもそれってもう無駄なことじゃん?電話の交換手並にいらない仕事なわけだ。公共事業っつーか社会主義的に仕事を増やすってそういう意味で俺はすげー反対なんだよね。それこそ一人で掃除できるような場所を4人でやるみたいなことになるじゃん?それこそギリシャみたいにみんな公務員になったらそんなもん破たんするに決まってるわけだから。


そんな中で生きる権利ってのをどう保障していくんですか?ってことだよね。いや、俺にしても障害年金とか厳しすぎて下りないわけよ。完全なる鬱で医者のお墨付きがあるのに制度的に無理なんだもんね。いや、そこで俺が障害年金をもらえないことに文句が言いたいわけじゃないのよ。いや、俺は家族のおかげで今はなんとかやっていけてるからいいんだけどさ、それこそ俺みたいなやつが家族からの理解もされないまま外に出されてホームレス化するとかってもうヤヴぁいじゃん?言わば身体的な欠如とか障害があってレギュラーには動けないって人がやっていけないんだもんね。あとは薬飲みまくってその社会が押し付ける「世界」ってのに適応させるっていうまぁ本当にフーコー的な生政治の世界ですよね。これってようは間接的な国家権力の横暴なのよ。個人の生きる権利を無視して不都合なことに手を付けないまま全部自己責任で終わらせようとするっていう。だったらそれはそれでいいのよ。色々やりたくないんだったらそういう普通にやっていけない人もなんとかやれるような環境を作ってから自己責任にしてくださいってことだよね。


ただですら誰も雇わなくてさらに鬱だからっつって余計に誰も雇わないとかそれってもう人身保護法に違反してるわけじゃん?まぁもっとも鬱だから仕事に就いたところで適切に働けるか分からないから、俺に言わせればそもそもそういう人を普通の会社に無理やり就職させるとか、企業側に無理やり雇用させようとするとか、そんなの必要ないんじゃない?って思うんだよね。そんなもん企業側の負担にもなるし誰もやりたがらないじゃん?でもそれじゃ食えないからさ、だからなんとかしなきゃダメなんじゃないの?ってことだよね。これは障害者に限ったことではなくて恐ろしいことに普通の人でもそんな境遇になってるっつーからもうデスゾーンですよね。ええ。詰んだら死ねって暗黙の了解だよね。で、阿吽の呼吸が得意で空気を読むのが日常化している日本では空気を読んで自殺するわけだ。そもそもそれはもう憲法違反なのに!いや、もう15年になるんだよね。自殺率が3万以上っつーのは。で、実際は検死できなかったり不審死扱いとかも相当されてるから実際はもっと死んでるんだよね。それを何十年以上放っておくって異常過ぎるよね。個々の努力とかっていう次元の話じゃないもんね。


嫌なのはさ、俺は将来は分からないけど今はなんとかやってるから無事でしたね的なさ、災害から幸運で死を逃れたみたいな生まれによってラッキーで今やっていけてこういうのが書けているってことだよね。同じ俺が別の世界にいてそこでは家族から見放されて孤立していたら完全に死んでるでしょ?たまたま今の家族だったからやっていけてるっていうこのラッキー感はダメでしょ。そんなもん生まれに生死が左右されてるってことだもん。俺に金があったら緩い障害年金みたいなのを設立したいよね。重度でしかお金がもらえないわけで、でも実質的に普通にやっていけないぐらいのレベルの人っていっぱいいるじゃん?で、そういう人が月に5万ぐらいでも生活の足しとしてどっかから金が出れば相当な数が生きられると思うんだよね。


それだけでは無理だけど5万の固定があるから見通しがつくとかってのってあるじゃない?やっぱり。だからやっぱりそんなことするんだったら障害とか関係なく一律でみんな食えるぐらいのお金を配布すればいいんじゃない?ってことになるわな。耳蝉基金の維持費とかも大変だし、それだったら一括で政府がベーシックインカムを人身保護としてやったほうがいいでしょ。色んな意味で食えなくて人が死んでるって相当マズいよね。で、失業率は他国と比べればそこまでひどいわけじゃないのに鬼みたいな失業率を誇る国でなんで自殺率がそんなにひどくないのか?ってこれもまた日本の暗部だよね。データだけ見てると「日本人は腹切り文化を持ってるからなんでも自己責任でみんな切腹するんだ」みたいに思われても仕方がないレベルだわな。


多分それって共同体とか相互扶助とかそういう感じでしょ?スペインとか。あとは宗教とかね。ね?話がつながったでしょ?そうなのよ。だからこそ世界が必要なのよ。政府は最低限のこともやらなくなったから自分でインフラを作るしかない!っつってももう他人とマルチチュードできるような社会じゃなくなっちゃったし共同体も空洞化しちゃってっつーかもう相当前に空洞化して何も手当をやってこなかったわけだからそういうのにも期待できないからあとはもう自分でインフラを樹立でしょ。そこでの精神面でのインフラとして他人にキモいと言われようが好きなものには徹底的にコミットするっていう立場とかね、現実逃避だと言われようが自分の救いになってるってのの価値を認めるとかね、世の中の価値で生きてたらもう個々が生きづらくてやっていけない時代なのよ。だから行きすぎない自分なりの正義を見つけるためのエポケーなり脱構築なり価値のパースペクティブを立てろ!ってことを言いたいわけだ。本当に改めて書いてて思うけど正論過ぎて泣けるぐらいだよね(笑)


ウォール伝っていつもそうだよね。見た目とか文体は奇抜っつーかこういう風にしか書けないけど健全なことしか書いてないっていう。もっと読みやすくしてアクセスしやすくすればいいんだろうけどやろうと思っても無理なのよね。それで本当に悩んでた時期もあったぐらいで。でもまぁもう無理だったんでこれでやっていくしかない。だからもう俺は正論を言い続けるしかないよね。そういう意味で俺は止めないからね。言い続けることを。そこを自分にも言い聞かせないとダメだな。そうしないとまた鬱の波とかが来た時にすぐダメになっちゃうから。


思ったより長くなったけどなんかまだ書くことがあったような気がしたんだけどただまぁいいや。色々と書けたし。んじゃまた。でもあれだよね、世界が機能なんだとして、そこに必然の流れがあるとするなら今の世界の流れっていらない人間は死ねっていう方針ですよね。で、社会保障とかやっても国が潰れるからどうにもならないってことだよね。でもそれは憲法違反だから公言はできないし誰も公には認めないわけだ。でもみんな分かっちゃってるんだよね。分かっちゃったからこそ自殺する人も相当多いと思うんだよ。そういう意味だと偏見だけど欧米って相当適当だからそこまで真面目に考えないわけ。でも日本人はシリアスに悩み過ぎて何でも自己責任にするから「自分には価値がない」とかって錯覚して自殺したりしちゃうんだよね。


色々と社会が変わって「やる仕事がない」のと「人間的な価値」は全く関係ないですからねってこれも完全に言い切れる系の話として言いたい。だからこそ世界を持たないとダメなんだ。まず自分の価値なり存在を認めないとどのみち行きつく先は死ですよ。社会の流れが「いらない人間は死ぬべし!」ならそれに抗わないとダメじゃない?それを真に受けとって死ぬって最悪だと思うんだよね。まぁそういう次元の自殺はダメだよね。で、まぁ俺みたいな実存のまた別のレベルでの自殺はまた別なんだよね。自分の価値は分かってるけど、「So What?」みたいな感じね(笑)だから生きる作法としてのテクネーが重要になるってのもいろいろ書いてきたからそれは繰り返さないけど。


ってことでんじゃまたね。あーセックスしたい。どうせ死ぬにしてもセックスしまくって死んだほうがいいに決まってるよね。女の子に体を見られてもみっともなくないような体作りをするとかそれこそセックスってのがあるだけで日々の生活変わるもんね。太るってのがまずありえないよね。まぁデブ=ダメではないんだけど、あとはやっぱり禿だよなー。こればかりはねぇ・・・。芥川龍之介みたいな感じなのよ。俺。髪は多いけどM字にハゲてるっていう。だからまぁジュード・ロウみたいになる前にまだモテそうな時にセックスしておくってことだよね。もうこれはいつも書いている経験の強度というところから見れば必須なのよ。やらないとダメなんだ。だからこれはミッションですよね。新ミッションという感じで。