ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

hkmaroさんへの返信。

hkmaro 2013/02/18 21:56


こんにちは。初めまして。いつも面白く読ませて頂いている者です。


セックスの話が出て来たのでコメントさせて頂きます(といっても僕がものすごい性の伝導師であるというわけではなく、むしろ全く逆なのですが)。今回の記事の本筋とはあまり関係がなく非常に恐縮なのですが、というのも、mimisemiさんのように思索的な人というか賢者的な雰囲気のある人がセックスを経験したらどういう感想を抱かれるのか、ということに非常に興味があるからです。


僕自身は恋人がいたこともありセックスをしたこともありますが、今は振られてしまってリアルセックスとは無縁の生活をしているのですが、振られたあとは非常に悲しいというか寂しいというか簡単に言えば恋人に戻って来てほしい、と思う一方で、一人の生活というのは本当に時間がたっぷりあって知的な意味では恋人がいた頃よりもよっぽど充実していて、再び恋人がもしできようものなら頭がおかしくなってしまうのでは、とも思っているのです。


恋人が居る状態っていうのは、まあ人それぞれ恋人との付き合い方はあるでしょうが、概ね自由な時間の半分くらいは恋人と一緒に過ごすことになってしまうと思うのです。すると本を読む時間も削られ、文章を書く時間も削られ、逆に買い物に付き合わされる時間は増え、どこに遊びに行きたいとかアレしたいとかコレ食べたいとか歩くの疲れたとか何だとかいう欲求にも応えていかねばならなくなってしまいます。もちろん付き合う相手にもよるとは思うのですが、まあ普通のというか、そこらへんにいるような、社会にそれなりに適応して過ごしているような人間が相手であればこうした諸々の欲求に相互に付き合わねばならないと思うんです。男であれ女であれ。


そーいう、セックスしたり恋人と遊んだりという方向の充実と、本を読んだり思索したりという知的な方向の充実とがトレードオフ的な局面を見せるときに、mimisemiさんがどういう風に考えるのか非常に興味があります。もちろん恋人として付き合うとかいうかったるいことはせずにセックスとかデートとか楽しいことだけを割り切って享受する、というナンパ師的な楽しみ方もあるとは思うのですけれども。


宮崎哲弥が本の中で、最近同棲しはじめたんだけど一人の時間とか一人の空間がマジでなくなってつらい、狂ってしまいそうだ、みたいなことを書いていました。まあ彼はなんとかそれに折り合いをつけて評論家として、つまり知性を売りにして商売しているわけですけれども、みんなそこをどうやってるのか、というのがとても気になるのです。


この話を広げると、日常生活ってのは知的活動においてはおおむね足かせになることが多いですよね。学問とか芸術とか、なんかしら知的な探究をしようとするときにはニートであることが最高なんですよね。仕事も家事もろくにせず、自由な時間がたっぷりあるという。よく言われますけど古代ギリシャの哲学者がすごかったのは奴隷制度の恩恵にあずかってたからだ、とかいう話がありますよね。日常生活を回していくとか、その為になんか時間とか労力を消費させられる、というのは、ある意味で奴隷化させられるということだと思うんですよね。自由人であるためには、そういう桎梏からある程度解放されてなきゃいけないと思うんです。


すると、セックスって一体なんだろう、と思うんですよね。セックスも何回もやってるとそれが日常の一コマになってきて、自分がしたくない日でも相手のためにやらないといけない、ということもよくあると思うんです、というか僕の場合はありました。そしてそういう日常化したセックスと比べたら性的な快感は断然オナニーのほうが上で、オナニーしているときの方が「今から俺の時間」という感じで特別な幸福なひとときになってました(もちろん今でもそうですけど)。あるいは恋人とは一体、という感じですね。かけがえのない時間が、自分から望んで付き合ったとはいえ、恐ろしく無駄に消費されていくわけです。


というわけで長くなってしまって恐縮なのですが、セックスについてmimisemiさんがどう考えるのか興味が非常にありますので、是非早くセックスしていただければ、と思っています。なんか一方的に希望をぶつけるコメントですいません。


hkmaroさんが書いている全般の内容に関して全くその通りで、なんといいますか、だからこそ恋愛なんて無駄だって前は思ってたんですね。もうあまりにダイレクト過ぎて何も書くことがないぐらいなんですが、まさしく僕は一人の時間というのが好きで、この充実した一人の時間以上のものをなかなか他で得られることがないのでだからまぁ結局、ずーっと一人でいるってことになるんですが、経験という観点から見ると経験してないうちにそれを勝手に決めるのはどうか?と思ってるんですが、実際にhkmaroさんのように恋愛経験者セックス経験者がまさしくhkmaroさんの書いているようなことを言っていたりするので正直、経験するまでもないなって感じなんですね。


で、僕の発想は本当にドライでそのトレードオフの観点から知的充実より勝る快楽などないだろうって思ってますし、そういう意味でずーっと恋愛には興味なかったんです。正直、今でもないんです(笑)でも最近僕は経験ということを凄く重要に考えるようになっていて、そこで東浩紀宮台真司が「父として考える」だったかなんだったか対談本を出したときにそれに関するニコ動の放送を見たんですが、東浩紀がようは僕みたいな全てをトレードオフで考えていて、合理的な判断をしながら動いてるなんていうやつは何も分かってない的なことを言ってたんですね。なんか名指しされて批判されたような気になったのをよく覚えてます。そのぐらいダイレクトだったってことですね。で、東浩紀宮台真司が言っていたのは、トレードオフで考えればそれはそうだけどでも経験してみないと分からないよってことを凄く強調してたんですね。2人とも結婚するなんて思ってなかったし、ましてや父になるなんて思ってなかった。でも結婚して父になってみて人生観が変わったって言うんですね。それが良い悪いではなく、別に結婚も恋愛も合理性でやっているわけではなくて結果的にそうなったとは言え、トレードオフ的な概念で行動していると凄く経験の範囲が狭まってくるってことを言っていて、それは凄く胸に突き刺さってることなんですよね。


でも明らかに僕は宮崎哲弥みたいな感じになるタイプなんですよ。本当に狂うと思うんです。でもそれって想定じゃん?っていうそれだけですね。何かを期待しているわけではなく決めつけるんじゃなくて経験してみてから言いなさい!ってことなんですよね。といっても今は情報が得やすいわけで、hkmaroさんの話もさることながら似たような話をいっぱい聞くわけですよ。恋愛とかセックスに幻想を持ってたけどそれこそ実際に経験してみたらそんなにたいしたもんではないっていう。実際に経験してみてもう恋愛とか興味が無いって言ってる人はかなりいますよね。で、僕の場合、違いがそこだけなんですね。僕は経験が無いんでどの道、そういう帰結になるとしても経験するに超したことはないだろうってことなんですよね。でも実際「セックスしたい!」とか言いながら具体的な動きをしてないのはやっぱりそこまで興味が無いというか、結果分かってるからなんですよね。それこそ本当に無駄なことなんだろうなって分かってるわけです。


だからまぁ元も子もない感じなんですよね。ましてや海外で生活していたこともありましたから何かが劇的に変わることなんてないだろうってもう分かっちゃってるわけですね。そういうのがものすごくつまらないんですね。まぁ歳を取って知恵がついたと言えばそれまでですが、なんか自分としては海外幻想とかを抱いていた頃の方が楽しかったんですよ。まぁそれを言い出すと子供の頃のほうが楽しかったっていうそういうノスタルジーに尽きるわけですが。で、恋愛って恐らく唯一とまでは言わないにせよ経験していないことの大きなことなんですよね。でも昔からどっちかと言うと女友達のほうが多かった自分にとって外で会うとかデートする感覚とかまぁ全然分かるんですよ。即物的に言えば相手のことを自分が好きかどうか?ってことだけで別にデートって会ってどっか行くだけじゃないですか?まぁ客観的に見ればデートだなんて言われればそうだったとしか言いようが無いようなことは良くあるので、その辺は勘違いされがちな引き蘢りニートではないところなんですよね(笑)


でもなんかある面では自分って自己充足はしているけどある意味では寂しいなぁーって思うんですね。一人でいることが楽しいといってもあまりに生活が地味というか華が無いというかなんというか・・・。本が読めてネットが出来てゲームができれば十分なんですが、なんか今こういう生活をしていて、まぁアメリカにいた頃とかもっとその前もそうだったんですが、基本的にライフスタイルが変わってないんですね(笑)ってことはこれが永遠と続く感じなんだなって思うともう先が分かるじゃないですか?それはそれで別にネガティブなものではないので良いと言えば良いんですが、ただ色々と経験があったほうが人生的に見ていいんじゃないかな?って思うんでそこで恋愛とかセックスってことになるんですね。ようは「自分にとっての何か新しいことに挑戦!」ということなだけなんですね。でも価値があるとは思えないって分かってるんで口では言うんですけど行動にならないんですね。そこで本当に思っている人は積極的に出会いの場を求めたり婚活とかするんでしょうけど自分はやらないですからね。ってことはやっぱり興味が無いってことなんですよね。


というまぁそういう感じで別にこれはこれでいいんだけどなんかつまらないよねってことですね。それに尽きます。で、これも海外と一緒で恋愛とかセックスを経験した自分ってのがいたとして「別に何も変わらないな」って感じてると思うんですよね。それが分かりきっているのがものすごくつまらなくて。だからそこで東浩紀宮台真司の「経験してみないと分からないだろう」っていうことに尽きるってことになるんですね。でもそんなに期待できないし頭の中で分かるんで分かりきってる。でも色々と経験した側から言うとそんな頭でっかちになって何もしないなんて糞だってことになるんです。これは経験していない以上何も言えないですよね。だからどの道同じでも経験してから言おうってことになるんです。もしかしたら恋愛中毒になるかもしれないし、それはそれでいいと思うんですね。でもそれは無いって一番分かってるのが自分なんですが(笑)その分かっている自分がつまらないのでそれを破壊したいっていう衝動かもしれませんね。


だから「恋愛はくだらない」って頭でっかちにならずになるべくオープンでいよう!っていうことなんです。といっても出会いの場なんて無いわけですが、ウェルカムで出会いの場が無いのと全く求めないって違いますよね。少しでも女の子に興味を持てるようにしたいんですね。なんかそういう情熱みたいなのが色々と分かったことで無くなってくるんですよ。その冷めた感じが凄く嫌なんです。だからアホになったつもりで一回ぐらいは恋愛してみるとかセックスしてみるとか一回ぐらいはせめてやるべきじゃないのか?って自分に問いかけてる感じですね。


あとはその頭でっかちな「分かってるモード」だとチャンスがあってもコミットしないんですよね。分かりきっているから意味ないみたいな、それって凄く経験できるきっかけってのを潰してるってことですよね。それは絶対マズいからチャンスがあったら「よっしゃー!」って思えるぐらいのマインドにしておきたいってことですね。だからまぁ自己充足的予言なんだと思います。何もかも分かっているではなくてすげーかわいい子とヤレる機会なんてのがもしかしたらあるかもしれないわけだからそんなチャンスは滅多に無いからチャンスがあったら絶対コミットしろ!っていう自己洗脳ですね。分かっている自分を破壊するってこういうことです。理性だけでは分からないことがたくさんあるというのは確信してるんですね。そういう意味で結局はこれも知識欲なのかもしれません。あと理性だけ突き詰めていくとつまらない人間になるというのもありますね。自分はそういう意味でつまらない人間になりつつあるので、なんというかその人間臭い余分な部分ってのを残しておきたいんですね。合理性とか理性とかでは説明できないようなあやふやな部分っていうかなんていうか。


とまぁ長くなりましたがそんな感じです。そういうわけで取り立てて恋愛とかセックスに価値を見いだしたわけではなくて、「分かったモード」で無意識に排除しているものを見つけてなるべく盲点を無くしていくってことですね。