ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Epimbiさんへの返信。

Epimbi 2013/03/28 12:15


批判、非難はされるかもしれないけど、思ったことをどしどし書くというのもアリなのではないでしょうか?少なくともある属性をもった類のうちの一人が世間をどう見ているのかというのがよくわかるわけで。「東大のなかにも東大がある。違う世界があるらしい。」というウワサがあるくらいでそんなこといいだすと、ネットの世界では一人ひとり、生きられた世界が違うわけですよね。世界が違うから口は封じられるというよりも、いろんな世界をもった人らが勝手に心のうちをさらけ出しているのが面白いのではないかと勝手におもっています。


Epimbi 2013/03/28 12:41


ちなみに属性というのは肩書きなどもそうなのかもしれないけど、むしろあるサイズをもった生活史の中で背負ったり、染みついたりした履歴の痕跡みたいなものかもしれないです。あるドラマの視聴者の一人でも、ある喫茶店の客の一人でもなんでもいいのかもしれません。あるいはある考え方をする人ー脳の中で起こった出来事さえも属性に関与する履歴になるのかもしれません。


Epimbi 2013/03/28 13:25


少なくとも「現実に抗っている人」は津々浦々おられるだろうし、その中でも報われるひと、報われないひとでてくるのが「厳しい現実」なのでしょう。そういうリアリティとしての現実は多分この世界に不可欠な要素のように思います。そこはゲームをされているmimisemiさんも納得されると思います。その人なりに抗うことは大事だし、それをしなければただ流されるだけだし。そういう表に出てこない人の隠れた努力ないし、抗いが震災のときに現れたこの国の潜在性みたいなものとどこか重なるのではないかと個人的には思うのですけど、どうでしょう。連投すみませんでした。


思ったことを書かないとむしろ何にも始まりませんからね。客観的に何でも把握している完璧な人なんていないわけですから、それこそEpimbiさんが言うように色んな世界を持った人たちが色々と言っているっていうそれでいいと思うんですよね。生きられた世界が違うのって別にネットに限ったことじゃなくて現実でもそうなんですよね。みんな同じ世界を生きているように錯覚していますが、Epimbiさんが言うような属性が個々に違うわけですし、そういう違うもの同士が違うものの捉え方をしているというのがある程度は妥当な世界像だと思うんですね。


でも現実の厳しさというのは恐らく大半の人が共有している普遍的なものでしょう。逆に厳しさがないとこのエントリーで書いたコナトゥスみたいな概念は生まれてこないと思うし、切磋琢磨しようと思わないですよね。なぜ人生に対して能動的じゃなきゃいけないのか?って基本的に現実は厳しいのと何もしないと流されることになるのでロクなことにならないからこそ自分の現実を作り出さないといけないんだと思うんですね。


あと表に出る出ないってようは見え方のことですよね。何を持って表に出てるのか?というのがもう定義できないのが現実だと思うんですよ。一般的にはそれこそ実績だとか成功するということだとか有名になることとかそういうことなのかもしれませんが、例えば自分にとって興味が無い人やものに関してはそれがどれだけ有名であろうが自分は知ることがないですよね。逆に有名じゃなくても勝手に自分が注目しているものとか人とかってあるわけですよね。それぞれが見るものに関してチューニングしているというのが僕のイメージですね。まぁ相変わらずセンターで「みんなが見るもの」を作って発信している人もいますが、影響力が落ちてきているというのは前から言われていることで、今はそういった「センター」みたいなものがありませんよね。それが凄くいいと僕は思うんですよね。それこそ勝手な世界が色々と広がって勝手に繋がっていってるっていうそういう感じですよね。何が今流行っているのか?ってのが昔よりもさらにどうでもよくなってきているし、流行っているといっても昔の流行とは比べ物にならないほど規模は狭いですよね。それだけなんか情報が分散されているというか、個々が見る世界を選択していると思うんですよね。そんな中で右へならえの就活みたいなのもあるわけで、完全に時代の方向性と真逆なところを行っているなぁーって思うんですけどね。そういう受動的な人は今後よりやっていけなくなるだろうってだいぶ前から言われていることで、だからこそ生存のためにも能動的であるってことが必要不可欠になりますよね。


みんな食べるために就活しているんでしょうけど、実際はそれは長期的な生存という視野から見れば自殺に等しいようなものだと思うんですよ。ましてや20代という重要な時期を自分を殺すことに費やすなんて財産を捨てるようなものですよね。どの道、誰でも将来食えているかなんて分からない世の中なんだから一般的に言われるような「レールから外れる」ことのリスクなんて全然無いと思うんですよね。そもそももうレールなんてものは存在しないのに右へならえがレールなんだと思い込んでるか思い込まされてますよね。今は成功しているあの人も今はフリーターのこの人も10年先に食えてるか分からないなんて別な言い方をすれば希望ですよね。どの道、今みたいな感じがずーっと続くわけではないわけだから、だからこそ長期的な視野での自分の現実ってのを作るほうに舵を切ったほうが生き延びれると思うんですよね。だからまぁ僕はこれを一貫してテクネーと呼んでいるわけですが。


そんな感じでこの辺で失礼します。