ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

めちゃめちゃ調子が悪いわけで。

最近めっさ調子悪くてさ、今年入ってからはじめてかもな。発作的なぐらい鬱が酷い。何もする気にならないし自殺したくなるし体はダルいし眠いしいくら寝ても足りないし・・・。鬱は甘えとか気合で治るとかいうやつにこの状態を経験させたいな。将来的にできるようにはなると思うんだよね。鬱シミュレーターみたいな感じで意図的に安全な範囲で鬱を瞬間に発生させるみたいな。これを経験したら気持ち次第なんて死んでも言えなくなると思うね。ただまぁでもあれだ、なんちゃって鬱が多いのは事実なんだろうな。俺は胸を張って鬱ですって言えるけどっつーか胸を張るようなことでもないんだけどさ、なんちゃって鬱もまぁ鬱なんだろうけどリアルなことを書くとさ、まぁ俺は本物だって誰でもわかってるとは思うけど、まぁあえて説明するとさ、驚くほど欲全般がなくなるのよ。食欲もなくなるし何を食べても味がしないし、あと感覚がとにかく鈍る。でも聴覚だけは異様にナーバスだったりしてとにかくイライラしやすくなるんだよね。で、体が空の筒みたいになったようなエンプティな感覚っていうかさ、まぁでも鉛の筒なんだよね。重い筒。それを動かすのが大変でちょっと横になって起きるだけでももう凄まじい力を必要とするんだよね。


去年は色々と私生活で原因があったから去年のは分かるんだけど今のはやっぱり治ってねぇーなっつーか原因が無くてもなぜかサイクルが来ると駄目なんだよね。もう過ぎ去るのを待つしかない。もしかしたら双極性なのかもしれないけどこれが過ぎ去るとちょっとハイな感じになったりもするんだよね。ハイなときの生産力を考えれば相殺かなと思ってるんだけどね。ただでもやっぱ凄いよね。自分を責める感じが。あんま気が向かなくて勉強しなくなるじゃん?そうするともう凄まじい自責の念に駆られるんだよね。「学問をしない自分なんて生きてる価値がない!」って。恐ろしいのはそれが合ってるってことね(笑)刃物は切れるから使えるんであって切れなかったらただの鉄くずじゃないですか?そんぐらい俺の存在って極端なんだよね。capableな部分を使えればその辺のボンクラよりよっぽど生きてる価値がある人間だけど使えなくなるとその辺の人間以下みたいな存在価値になるんだよね。


で、analytical rumination hypothesisっつーのがあってさ、これってようは簡単に言えばオブセッシヴなぐらい考える人はより分析的になれるみたいなことでさ、ようは数学なり科学なり分析的なことをやるに適しているマインドセットなんだみたいなことね。これで言うとまぁ数学者とか哲学者に鬱が多かったのも結構説明がつくなぁーと思って。いや、実際に鬱の時の俺ってすげー分析的だからね。頭が回ってるっつーよりかはドライに考えられることでさっきの学問をやらなきゃただのクズみたいな「事実」が異様に露呈してくるんだよね。だから学問をしない俺ってのはニート以下のクズになる。でもこれって鬱で落ち込んでいるから自責の念に駆られるわけではなくて事実なんだよね。


これは辛いけど逆にまぁでも無いと堕落するよね。鬱病の人はあんまやっちゃいけないけど俺みたいなカタワな人間にとってはやっぱりその有能な部分を使えなければただのダルマっていうさ、まぁすげー人権侵害みたいなことを言うけどまぁ俺はカタワ側からそれを言うからいいよね。いや、障害者が常人より何かを成し遂げたりするのが多いのは障害を克服するためのパワーが凄く働いてそれが凄い原動力になるんだとかなんだとかってのを読んだことがあるんだけど本当にそれだよね。それは合ってると思います。だから俺は自分を甘やかさないで中立的な立場で事実を心に刻むんだよね。自分の有能な部分を使えなければただのクズだって。生きてるだけでもいいってまぁよくあるけど俺にとってはこれこそが鬱の原因であったりもするわけだ。何もできないクズ人間がただ生きてるだけってもうクソじゃないですか?しかも親に養ってもらってるっつーもう最悪なパラサイトですよね。そんなのは死んだほうがいいと思うってまぁそりゃ公的な立場からは言いませんよ。ただ個人的な意見としては本当に思うんだよね。ゴミだからこそゴミから抜け出さないといけない。俺にとっての障害ってのはゴミから抜け出せるポテンシャルを秘めたものなんだよね。凄い原動力になるわけよ。


学問をしない自分はクズ以下だって本当にそうだよね。もうこれが無くなったら何もないもん。俺。刀を持たない侍みたいなもんか。ちょっと比喩がかっこよすぎるか。まぁなんでもかんでも市場の価値で判断するって良くないけど、でもそれをやらないと本当に自分って駄目になるんだよね。元々怠惰だし楽な方向に逃げるし。だからもう堕落が怖くてしょうがない。だから何かに邁進してるような三昧の境地に居たほうがむしろ精神的に良いんだよね。っつっても最近で言うと経済学にフォーカスしてるけどやっぱつまらないんだよねぇー。教科書的な内容って。まぁ基礎だからしょうがないんだけど、ハイルブローナーも書いてるように経済学のテキストを読むっつーのは聖人並の心だったか忍耐強さを必要とするってことなんだよね。完全につまらないというわけではないんだけど、まぁ何しろあれじゃん?つまみ食いをしようとするなら新書とか一般書で十分だけど体系的にやろうとするからやっぱり量は多くなるじゃん?っつってもまぁ手元にあるのはサミュエルソンとマンキューで恐らく一番読みやすい部類のやつを読んでいるからそこまで辛くはないんだけどね、ただまぁ一回読めば全部頭に入るような内容じゃないじゃん?こればかりはもう馴染ませるしかない。


哲学はそういうのは必要なかったけど数学とか物理って馴染ませるまで頑張ったからさ、まぁそういう類のものなんだろうね。まぁでも経済学ばっかやってるから余計に鬱っぽくなるのかもしれないな。あんまり楽しくないし知識欲を刺激されないんだよね。正直そりゃ数学とかのレベルじゃないからさ、あくまで社会科学としてやってるから興味があるなしじゃなくて色々と考える上で必須なものなんだよね。それを感じたのが数学なんだけどさ、もうあまりにつまらないからマックレーンのトポスの本を読破してなかったんで最初から読もうと思って読み出したら止まらないのなんのって!やっぱ好きなんだよね。数学が。Jacob LurieのHigher Topos Theoryをフライングゲットしてたんだけどなんかマックレーンのやつを読破してないのが気にかかって途中でやめてマックレーンのから読もうと思ってさっつってもまぁ大体分かるからそんなにみっちり読まなくていいんだけどっつーかまぁあとはあれか、馴染みのものだからかな。だからスラスラ読めるんでストレスが少ないんだろう。経済学はちょっとは常識程度に知ってるぐらいでディティールはそこまで分からないじゃん?だからなかなか頭に入ってこない部分も多くてだからイライラするんだろうな。自分で言うのもなんだけど、基本的に地頭がいいから分からなくてイライラするっていうことに関しての耐性がないんだよね。数学も最初はこれですんげー悩んでたじゃん?微積分すら分からなかったわけで。


だから頭の良し悪しじゃないんだよね。まぁある程度はあるにせよ忍耐で何回も読んで頭に入れるしかないんだよね。結局、数学もそれのごり押しだったもんな。で、フレームワークができかかったところでブルバキを読んだからそれが凄まじい効果を発揮してあれ以来「自分はやっぱり馬鹿なんじゃないか?」って思わなくなったもんね。今でもあの感動が忘れられないな。集合論から代数学に入るあの自然な感じ!こういう数学が俺はやりたかった!っていうさ、難解なごちゃごちゃな数式が出てくるんじゃなくてもう全部は集合とかカテゴリーみたいなそういう世界ね。結局、そういう観点から見ると何でもそうなるんだよね。で、近似とかやってるから数式がごちゃごちゃになるんであって実際の構造は大抵シンプルなはずなんだよね。あとあれだ、前にQuantum Field Theoryの本を読んでるって書いたじゃん?


で、あれもいきなり大ボスみたいなのに挑んじゃってて呆気ない感じがしてたからアーノルドの古典力学の数学的方法をオーダーしたんだよね。英語のやつだけど。なんかすげー病み付きになっちゃって。どちらかと言えば嫌いな物理数学がエレガントな数学的な記述で表されたときのあの感動っつったらないのよ。Quantum FieldTheoryの本はQFTとひも理論を数学者向けに解説するってやつだからさ、いや、物理とかが数学的に記述されるわけじゃないですか?いや、物理とかエンジニア系の畑の人が書いた理系の本って本当に苦手でさ、全然違うんだよね。記述が。何が?って言われれば具体的に言えるほどじゃないんだけどとにかく違うんだ。こればかりはどっちが良いとかじゃなくて自分のフィールドかあとは特性っていうそれしかないよね。逆に物理が得意な人にとってはなんであんな変な記述をせにゃならんのだ?って思うだろうな。バイスバーサの山本山ですな。


まぁこんだけ書ければ大丈夫だろうって今思ったね。あ、鬱ね。基本的に学問をやる動機っつーのが俺が生きる生命線になってるわけじゃん?鬱になったから死のうじゃなくて鬱になって何もできなくなって凄く客観的に自分を見れてるからこそ自分のクズさ加減がドライに理解できて生きるには学問をやるしかないなって改めて思えるんだよね。自分で自分の価値を上げるしかない。そうじゃないとマジでただのゴミだからね。そういう意味での自分の市場価値を考えながら生きるって悪くないよね。ゴミであることが凄く恥ずかしくなるからさ、かといっても迎合するわけではなく、まぁそれは別に厳密な意味での市場価値なんじゃなくてまぁ抽象的に言うところの実力ってやつですよね。やっぱそこに向かわないと全部ただの自己満足になるからね。あとはただのディレッタントとか。それは一番嫌だからね、だからまぁ辛くなることのほうが多いとは思うんだけどこっちのほうがいいんだよね。


個々にはそれなりの生きる価値がある!的なヒューマニズムは大嫌いなんだよね。それやりだすと相対主義の極北みたいになっちゃうじゃん?だからやっぱその価値基準のひとつとして実力ってことは絶対必要だと思うんだよね。あーだこーだ読んでて色々語っててもそれを使いこなしたり完璧に教えることができたりとかそういうのが無いと駄目だよね。本当に。だから基本やっぱ俺はクズって考えるようにしてるんだよね。実際にそれはそうだしうつ状態の今の俺の自分の見え方って究極的に中立だと思うんだよね。だからこれはなんつーか俺の原理にしてるよね。口では色々と言ってるけど何で何かに没頭するのか?って基本自分がクズだからっていう価値観に基づいてるんだよね。世の中の価値観とか関係ない!とかいいつつもdecentな意味での世の中の価値観には凄く敏感なのね。そんな風には見えないかもしれないけど(笑)一つのわかり易い即物的な価値観じゃん?努力とか障害とかこれまでの人生とかそういうのも分かりますけどね、そりゃ考慮には入りませんよっていうさ、まぁゲームで言うところのステータス値だよね。それが低かったら話にならないわけで。


留学してた頃は帰国=死だったけど今はもう死んでるようなもんだから前よりも崖っぷちだよね。何の保証もなく根拠もなくとりあえず邁進することでしか生きられないっていうさ、まぁ結構ハードコアだよね。これって。でもこういう生き方じゃないと嫌なんだよね。楽しく過ごせればいいとかやっぱそういうのは駄目ね。まぁ結果的にだから鬱になりやすくなってるとは思うよね。でもこれで自分を労わってたらもうクズ化が進みますよね。それこそクズなんだったらむしろいつもここで書いてるように死ねよって話だし、それを望んでる人も結構いるってこないだ分かったし、そういう意味でのケジメはありますよね。結果クズなんだったらやっぱり死にますよっていう。まぁいつまでそれをやるの?っていうさ、その時期とかは決めておいたほうがいいかもね。死ぬまでやるなんつったらそれって矛盾だからね(笑)


だからまぁそういうわけでうつ状態って辛いけどこういうドライな視点を得られるっつー利点はあるんだよね。これが自殺の動機とかにもなるんだけど、俺の場合はこういうのを有用に活用するようにしてるんだよね。うん。クズだねっていうまぁそれだけなんだよね。だからどうするの?っていうのが生きるってことなんじゃないの?っていつも思うんだよね。だから我慢もクソもないわけだ。クズに人権も人生もありゃしないわけだからクズから抜け出さないといけないわけだ。クズに人権とか人生があったとしても俺は自分というクズに対しての人権や人生そのものなんてのは絶対認めないからね。だから自分の生を肯定するには肯定できるような人物になったりそういう人生を送れるようにするしかない。何もしなければただのゴミだからね。健常者みたいにただの労働力にすらもなれないって意味でそういう意味でゴミ以下って言い方をしてるけど。まぁただの労働力になるなんて自分が健常だろうがなんだろうがまっぴらごめんなわけだが(笑)まぁそういうポジティブな意味での邁進も当然あるんだよね。


何もしなかったら良くてコンビニの店員ぐらいなんじゃないですか?ってまぁこれは事実だからね。このドライな視点は必要なんだよね。そういう意味では本当に鬱が役立ってることってのはあるんだよね。まぁ利用しようとすれば有用に使えるわけで。それにしてもまぁでも辛いから早く抜け出したいけど。そういう精神的な葛藤だけだったらいいんだけど物理的な体の症状とかそういうのが辛いからやっぱずーっとこういう状態っつーのは死んでも無理なんだよね。それこそ死んだほうがマシなぐらい辛いわけだ。だからまぁ鬱の人って自殺するんだけどね。まぁでも凄く合理的な自殺なんだよね。それって。だからなぜ自殺がいけないのか?っていう理由なんて無いじゃん?まぁそんな中で自殺防止キャンペーンとかやっても意味ないんだけどね。


俺はどんな広告や映像を見たって自分がクズであるっていう自覚は変わらないからね。そんなものは自殺とは関係ないんだよね。自分がクズであるというのと自殺とは関係しているけども両者の認識に関しては繋がってるわけじゃなくて完全に独立してるんだよね。クズですねっていう自覚から方法としての自殺という道が見えるわけだ。だから自分がクズであるという自覚を治さないといけないんだけどクズはクズだからそれって無理じゃないですか?だから死ぬしかないのか?ってまぁ俺は足掻きますよねってことですよね。今やってるのもただの悪あがきかもしれないんだけどね。でもやるんですよ。死ぬよりかはマシでしょう?っていうことだよね。でもまぁ普遍的にワークするような考え方ではないよね。


俺ってコミットできるものがあるから自分がクズであるという客観的な状態とは関係なくコミットし続けるってことで生きられるわけじゃない?だからやっぱりコミットできる何かって自分と世界をつなぐ生命線だよね。まぁそういうものすらも失った人も当然自殺するからまぁ下を見たらキリないですよね。キリが無いからこそ暗黒が深いわけだ。防止だの自分を労わるだのそんなことじゃどうにもできない生きている自分というもの自体から生ずるジレンマがあるんだよね。で、それは個々によって違いすぎるからガイドラインみたいな感じで認知を変えていきましょうなんてことにはならない。まぁそこにガイドラインを与えるのが宗教なんですよね。だからまぁ心の闇を抱えている人は宗教とかに走りやすくなったりするわけだ。まぁ凄くunderstandableですよね。でも俺は宗教がとにかく大嫌いだし、神が居たとしても神に背いてまでも俺は死のうとするよね。そんなクズの生きる価値なんてのは絶対に認めないわけで。


そういうわけで自分の生にも反逆的であるってことだよね。常に「それがやれなかったら死ね」って思う自分がいて、それはまぁ自分を追い詰める材料にもなってるけど生きる原動力にもなっているっていう、それこそ生きること自体から発生するジレンマにジレンマという形によって対応ができてるって感じがするんだよね。危険だけど俺はそれでいいと思ってるのね。そうすることでしか生きられないし、ジレンマにジレンマで対応できているって言う状態があるとすればそれって恒常性が保たれてるってことじゃないですか?俺の生きるスキルが生み出した方法でもあるわけだよね。でも生きるエクスキューズになってはいけないっていうまぁそこですよね。そりゃそうだ。それ自体がエクスキューズになったらもうその時点でクズ確定だからね。ニーチェが忌み嫌うような奴隷の宗教的な価値観だよね。だからまぁ俺は最後の人間になりたくないんだよね。ラストマンは非常に嫌なわけですよ。


ラストマンの概念を分かっていたとしても自分は結局はラストマンかもしれないわけじゃん?そこが怖いところなのよ。そういうところをうつ状態のドライな視点ってのは鋭く自分を突いてくるからね。自分だけかもしれないけどさ、うつ状態の人は自分が価値が無いと思うようになるとかってよく症状であるけど、それが病的なものであったら別だけど、でも俺みたいに頭はちゃんと回っていてうつ状態でそう感じるのであればそれは突きつけられた現実なんだと思うよね。自分がどんだけクズなのか?ってのをいくらでも考えることができるし、むやみやたらな自責じゃなく正鵠を得てるものばかりだからこそ余計に落ち込むんだよね。で、俺はそこから逃げないって考え方なんだよね。そこから生きるパワーを得るっていう話だから。対処療法としては考えずにひたすら休むってのもあるけど俺は考えつくすんだよね。で、いつも結果的にパワーを得てる気がするんだよな。その残酷な現実から。逆に人間ってそういう弱いところっつーか駄目なところが無いと邁進しないと思うんだよね。しかも俺って適度に駄目なんじゃなくて徹底的に駄目だからね。本当に困った人間ってぐらい駄目なのよ。だからこそ超限られた長所を伸ばさない限り何にもならないんだよね。本当に駄目だからこそ何をするべきか?的なトレードオフ的な状況が発生しないんだよね。もうクズ過ぎるんでやることが必然的に決まってくるっていうそういう楽さはあるよね。不器用な人間の特権とも言えるかもね。本当に万能タイプじゃなくて良かったー!っていつも思うけどね(笑)


そういうわけでまぁ長く書いたけどやっぱりいつも通り書くことでの自己カウンセリングみたいになってるな。で、書くことによって楽になってるし、書くことによってより自分を追い詰めてるってことになってる。まぁ凄く合理的ですよね。生きるパワーを得るという意味においては。というわけで今日はこの辺で。