maruyamaさんと哲学人さんへの返信。

mimisemi 2013/06/22 09:13


哲学人さん、maruyamaさん


世の中のロジックに腹が立つって本当にその通りで怒りを感じ続けることで政治的で居続けることができるので変に達観はしないようにはしているんですが、よくある言い方が「それが世の中なんだからしょうがない」というやつなんですよね。自分で言うのもなんですが、僕は本当につまらないぐらいの正論を言っているだけだと思っています。でもなぜか世の中のロジックと相性が悪いというおかしな話になっているわけですね。


凄くざっくりとした質問になってしまうんですが、「世の中がそうなんだからしょうがない」的な意見についてどう思われますか?あと「そんなことにいちいち起こってたら社会でやっていけないぞ。大人になれ」みたいな言い方もよくあるんですよね。ということは世の中でやっていくということは思考停止して奴隷になれって言ってるようなもんじゃないですか?大層な理論やロジックを使った分析でもなんでもなく子供でも分かるような道理ですよね。でもなんで「大人になれ」みたいな意見がここまで強く根付くのか、本当に不思議に思うんですよね。


大人になった結果のブラック企業の蔓延じゃないか!って思うんですけどね。ああいうのって一概に悪徳経営者の責任ばかりでもなくて、やはりあんなものの存在を許してしまうような状況にも責任がありますよね。サイコパスが活躍するような社会が健全なはずありませんよね。でもここまでサイコパスが力を持つことが出来るって凄く皮肉だと思うんですよね。「社会でやっていくため」にサイコパスに文句を言わない結果というかなんというか・・・。まぁようは我々の連帯責任なんですよね。ワタミの会長にしても会長の人格だけの責任でもないんですよねぇ。なんというか「モノを言わない大人」が多いなという感じなんですよね。


相変わらず熱くなってしまって長くなってしまいましたが、是非、ご意見を伺いたいです。


mimisemi 2013/06/22 09:19


あ、あと書き忘れたんですが、日本人の他者への冷たさというか、他人の痛みに対する凄まじい鈍感さというのは何がそうさせるのか?というのも凄く気になるんですよね。昔はそうじゃなかったんだろうけど今の日本って凄まじく鈍感ですよね。あげくの果てに食い詰めたりするのは全部自己責任だ!なんて言い方になるし・・・。こんな社会じゃ社会恐怖が蔓延してよりニートが増えるだけだと思うんですけどね。でもなぜか「ブラック企業問題」と同じようなベクトルの「社会問題」として「ニート問題」が同等に語られるという知性の崩壊は目に余るものがあります。

maruyama
2013/06/23 16:16


世の中そうだから仕方ないという考えは、思考停止であり、イライラします。仕方ないという考えに疑問を持った人は「そういう世の中だ」とか「それは甘えだ」とか「屁理屈言うな」、そして「世の中そうだから仕方ない」とか言われます。でも僕はそういう考えのほうがよっぽど説得力も根拠もない屁理屈だと思うんです。


で昨日はそういうことを言う人は悪くないみたいなことを書きましたが、改めて考えると、その中には自分でも疑問を持っているけれど、ああいうことを言われるのを恐れたり、考えることから逃げたりして結局ああいうことを言ってしまう人もいるのではないかと思いました。やはり、場の空気とか、日常の忙しさとかが原因でしょう。そういう空気とか忙しさが結局、人が何かを考える時間をなくし、結局、常識にとらわれてるようになりと悪循環ですよね。


書き直してみましたが、やはりまとまりませんね。なんかでも、ゆとりというのは必要だと思います。こういうことを考えたりすることも大切ですし、むしろ、やりたくもないようなストレスのたまるような仕事とか勉強とかばっかやってるよりいいと思うんです。結局こういう「世の中そうだから仕方ない」とか「勉強は偉い」とか「労働は尊い」とかこういう常識や意見や洗脳をなくすには、こういうのに疑問を持った人が動くしかないんでしょうね。そういう意味でもこういうのに疑問持った人のブログとかいいと思うんです。


特にウォール伝は本心をそのまま書いているので。そういうブログの読者がいるということは、疑問を持った人がいるということで、疑問を持ってはいるが結局「世の中そんなもんだ」という考え至るような人も考え直すチャンスになりますし。なんか話それましたが、昨日よりはまとまった気がするのでもう一度投稿します。


忙しさが思考停止を促すというのは僕も昔からその問題について考えていて、これって不景気と密接な関係にありますよね。今の世の中みたいに低賃金で長時間労働みたいなのがデフォルトになってしまうと考える時間どころか生活の余裕が無くなるし、つかの間の空いた時間は手軽なストレス解消や気分転換に使われますよね。こういう手軽な気分転換やストレス解消というものに需要があるからこそ、トートロジーになってしまいますが、手軽に消費できるものが溢れかえるんですよね。文化なんてのは余暇からしか生まれないのは当然で、でも余暇が無かったら文化は育まれませんよね。僕は普段から人々が馬鹿過ぎるからダメなんだってことばかりを書いていますが、その一方で環境的な要素も大きいので、一概にそうとは言い切れないよなーとは思うところもあるんですよね。かといっても余暇があればみんな文化的になるか?っていうとそうではないと思いますが、余暇や余裕が生まれることで考え方や生活のスタイルが変わるという人はいますよね。


色々と疑問を持っていたりしても、日々の生活が忙し過ぎたらどうしようもありませんからね。考えている暇もなければ精神的余裕も無いってことになってしまうと本来政治的な人ですらも非政治的になると思うんですよね。でもこれって難しい問題で労働をしなければ当然生活できないわけで、大半の人は意志に関わらず日々忙しくならざるを得ないわけですよね。だからそういう状況の中で「もっと余裕を持って色々と考えろ!」と言っても実行不可能になってしまうという、なんというか話が「考え方」とか「洗脳」のうちはまだいいんですが、物理的な「忙し過ぎる就労形態」とかになるともう手に負えない問題になってしまうんですよね。


で、最近は特にブラック企業が蔓延し過ぎているということもあり、「人々が馬鹿過ぎる」みたいな考えよりも「人々があまりにも忙し過ぎる」という考え方になってますね。ある程度みんな余裕があって時間もあるのに凄まじい体たらくだったら「やっぱ馬鹿だな」って言えると思いますけど、あまりにも忙し過ぎると環境的な要因が大き過ぎるので、安易に「馬鹿だなー」みたいなことを言えませんよね。まともな人でもロボットみたいにならざるを得ないような就労形態が増えているわけですから困ったものです。


そんな状況だからmaruyamaさんがおっしゃるように疑問を持った人が動くしかないですよね。あとは疑問を持っているということを何らかの形で発することが出来る人はそれを続けるしかないと思います。あとあれですね、まとめサイトなんかに見られるようなブラック企業体験記みたいなのは素晴らしいネットの力だと思うんですよね。言わば体験の共有ですよね。書いている人はそこまで大それたつもりはないかもしれませんが凄まじい社会貢献ですよね。で、結局、情報の共有をできるようになった結果、リスクヘッジでより多くの人が働かなくなるって皮肉な状況ですよね。まぁブラック企業に入って鬱病になるよりフリーターになったほうが100万倍マシなので、リスクヘッジしやすくなっている状況というのは良いとは思うんですけどね。


みんなフリーターになっちゃえばゼネストみたいになるんですが、そうはいかないし、どうしようもないところでも就職せざるを得ない人が多いというのが今の現状ですよね。洗脳されてなくても洗脳されたような人たちの中に入っていかないと生きていけないって本当に難しい問題なんですよね。これって単純にもうお金の流れが古くなっているということなんだと思ってますけどね。新しい流れを必要としているのに古いスタイルでやってきた人たちが永遠とお金を持ち続けているので、今の新しい人間の社会にお金の流れが適応してないわけですね。そういうわけで逆なんですよね。人が社会に適応できていないんじゃなくて、お金の流れが新しい社会に適応できてないんですよね。

哲学人


2013/06/23 20:16


僕はだいたい兄の考えはわかりますが、いくら常識にとらわれて、洗脳されているような人であっても、 その常識とかのおかしさに気づくと思います。だからもうほとんど皆おかしいと思ってるはず。でもやっぱり逃げたりしていて、これはいくら忙しいとか言え、彼らは考えることから逃げていてはダメだと思います。彼らも悪いと思います。逃げてるんですから。まあ、そういうふうに考えると周りから変な目で見られるとか気にするかもしれませんが、やっぱり自分の疑問を大切にすべきだし、大抵はその周りの人もその疑問持ってるはずです。だから何もブログとかわざわざ書かなくても日常から自分の意見を大切すべきです(確かにブログの効果あるかもしれませんが、疑問を持った人皆がブログ書けるわけじゃないです。兄だってブログは書けないと言ってました。だからそうじゃなくて、少しでも疑問を持った人はその自分の意見を周囲の人に伝えるべきだと思います。)


でもだからと言って、みな何か理不尽なことがあるごとに口を出すわけにいかないですから、日常的にたまにこういう世の中がどうたらこうたらという話することあるじゃないですか、あとは家族でテレビでニュースとか見たり。こういうときに自分の意見を言うべきです。例えば、ニート系のニュース見てて、家族の誰かが、「今時の若者は働かないで…」と言っていたら労働が尊いって言われてる理由について議論するとか。そこで、自分がちょっと疑問を持っているくせに、周りの目を心配したりして、「うん、ニートになるやつらなんてろくでもないやつばっかだよ。」みたいなことを言うのはおかしいと思います。そういう人も悪いと思いますね。最初はそれで誰も聞かないかもしれません。


で、だからと言って、自分も周りの便乗したら、いや、だから余計にこういう変な常識とかずっとあるんじゃないですか。しかも、周囲も実は少し疑問持ってたりするかもしれないですし。しばらくは伝わらなくてストレスもたまるでしょうが、そのうち相手は疑問を持ち出しますよ。で、相手は自分で何か考えるようになったりして。そういう議論や話題のときに言うことで、考え直す人が出てくるということです。そうすれば細かい理不尽なシステムも変わっていくと思います。


世の中そうだからしょうがないっていう意見もそういうことを言う人もどっちも悪い思います。僕は。マジで仕事尊いとか思ってる人もいるでしょう。洗脳とかでなくて心から。でも、そういう人は自分の仕事の話とかしてはあれこれ語り出して説得力もあって、その良さというか面白さとか本当に仕事好きなんだなとかいうのが伝わってくるはずです。いや、伝わらなくても、少なくとも世の中…しょうがないとか労働は尊いとか一言だけ言って終わらないはずです。まあ、だからしょうがないとか一言しか言えない人たちは、強引に仕事が尊いと思ってるか何かで、自分で気づいてないにしてもそういう常識に疑問を持ってるはずです。うん、だから完全に疑問を持ってる人たちはそういうことをるのが重要ですかね。で、しばらく相手にされず、とかあるかもしれませんが、何どもそういう人たちと議論する間に彼らは自分もそういう常識に疑問を持ってたんって気づくに違いない。長いですがこんな感じです。


ここに書き込みをくださる人の中で、自分の意見を持っているんだけど、その意見を維持しながら社会生活を送るのは相当厳しいという方が結構いるんですよね。僕も多くの人々はもうおかしいと気づいていると思ってますが、なぜか「多くの人」が気づいているのにも関わらず公の場で疑問を述べることはタブーみたいな感じになってると思うんですよね。生活がかかってるので背に腹は変えられないという感じなんだと思いますが、疑問を持つということが現在の日本のような社会での社会性を失うということになってると思うんですね。いや、だからそんな不健全な社会のほうがおかしいわけで、そんなもん社会性も糞もないじゃないか!って気がしますが、そんな社会でやっていかないと生活できないというわけで、つまりは疑問を持ち続けられないってことになるんですよね。凄まじく歯がゆい状況だと思います。


僕は何も考えてないように見える人たちを一括りにして「馬鹿」と言いがちな癖があるんですが、これは反省も含めてなんですが、糞みたいな状況によって健全な疑問を持ち続けられない、言わばロゴスを失った人たちが相当いるという事実は念頭に置いておかなければいけないなって思うんですよね。前にここへの書き込みで「ゾンビとカスを一緒にしないでくれ」というのがあったんですが、本当に気をつけなければいけないなって思ってるんですよね。実際は一緒くたにしていなくても一緒くたにしているように見えてしまうというのがマズいんですよね。なのでなんといいますか、今の僕はだいぶ考えるベクトルが変わっていて、そういった環境に雁字搦めになってしまっていてどうにもこうにもいかなくなってる人たちはどうすればいいのか?というのを考えてるんですよね。


会社が糞で辞めたいと思ってる人は即辞めるべきだと思っていますが、やはり問題になるのが生活なんですよね。この経済性と健全性のバランスが取れないというような狂った状況があるわけですよね。食べていきたいなら理性を捨てろ!といったような、戦争映画で軍人が部下を怒鳴りつけているような、そんな感じがするんですよね。僕は人間性やモラルを捨ててまで生きていこうとは思わないんですが、実際に人間性を捨てるよりかは死んだ方がマシだと思って自殺している人も多くいると思うんですよね。


なんか書いてて思ったんですが、労働の尊さってむしろその尊さの物語を維持するために働くことは良いことだ!っていうイメージで洗脳しなければいけないのに、今の世の中は全く逆ですよね。働いても報われないどころか働いた金を盗まれるみたいな状況にあるわけですよね。なのにも関わらずなんでまだ労働の尊さみたいなのを信じる人がいるのか本当に疑問なんですよね。ようは労働が尊いのではなくて、尊いような誇りを持てるような仕事を自分がやっているってことですよね。でもそういう人は一握りですよね。ほぼ全員がそういう仕事に就けるのが理想ですが、そうはいかないので、どうしても一定量の奴隷のような労働をする人たちが必要で、それがなかなか変わらないが故に大量の人達が疲弊した状況の中でやっていかざるを得なくなってしまうという、なんというか本当に手に負えないようなシステム的な疎外があるんですよね。


「食わなければいけない」という人間の宿命とでも言うんでしょうかね。それを利用して搾取する輩が横行しているということなんですが、やはり僕はこの「食わなければいけない」という根本のシステムを変えないと無理だと思ってるんですよね。あとは世の中変わらなくても食うためにブラック企業なんかに入らなくても上手いことなんとかやっていけるオルタナティブな生活みたいな、そんなものは無いかなぁーっていつも思ってます。ようは飯と土地代がほぼフリーなら良いわけですよね。衣類は我慢するなり工夫するなりするしかないと思いますが、飯と土地代フリーってそこまで敷居は高くないんじゃないか?って最近は考えています。かといっても昔のヒッピーコミュニティーみたいな感じではなくて、個々が飯と土地代フリーのまま自律して生きていけるような方法ですよね。とりあえず何らかのアソシエーションが必須なのは言うまでもないので、そういったインフラの構築ですよね。「食わなければいけないという呪縛」からの解放というのが最近の僕のテーマですね。


・・・というわけなんだけど、お金の流れの方向なんですよね。ようは古い産業とかみんなが当たり前にお金がかかるものだと思っているものにのみお金が流れるようになってたり、あとは流通の方法が無かったりね。で、まぁ結構面白そうなパラダイムbitcoinなんだよね。まぁこれで解決!ってわけじゃないし、別に仮想貨幣でみんなが食えるようになるわけじゃないんだけど、お金の流れの多様化って絶対必要だよね。お金って流れがあるから実際は払わなくてもいいようなものにもただの流れということで当たり前に払っているというものが結構あると思うんだけど、ようはこれと同じで別の流れが出来たらその別の流れで勝手に流れるお金ってのが出てくると思うんだよね。金を払わない!ではなく色んな流れを作ることでフローを増やすっつーのかな?多様なフローだよね。今は貨幣ってのに支配され過ぎてるんだよね。で、明らかにこの貨幣の流れって古いのよ。世界に適応してないもんね。俺が金なんて無くなった方が良いと思うのもこの古さ故なんだよね。だからリセットとまではいかないまでも、もっと今の世界に合ったような貨幣のシステムって絶対必要だと思うんだよね。新しい流れとかシステムの中で古い流れも持続して流れる分には問題ないんだよね。古い流れが流れを独占してるのが問題なわけで。