ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

本を買うということ。

やっぱり身銭を切ったほうが身に付くよねっていうさ、最近メールでやり取りしてた人ともそういう話をしてたんだけど、セミナーとかの類いもそういう話がよく出てくるよね。研修だっつって会社に金を出してもらってる人よりも身銭を切ってる人のほうが真剣度とか集中力が高いっていう。この学ぶものに対してのコミットメントとしての支払いっていうのは恐らく脳科学なんかで説明がつくんだろうけど、でもまぁぶっちゃけさ、PDFって言い出すと数学って相当あるのよ。フリーなものから違法なものまで世界中で需要があるわけよ。ようは物価が違うところだと数学の専門書なんてその国で言えば家を買うようなもんだったりする場合もあるわけじゃん?だからもう色んな言語のサイトで数学のテキストとか専門書って出回ってるんだよね。


んでもやはりそれには先進国にいる俺としてはso what?と言わなきゃいけないだろうっていう。いや、違法なもんダウンロードすんのか?っていう建前の話(笑)は別としてさ、普通に買ったら何万もするやつがフリーって凄いじゃん?んでもフリーだとさ、いや、映画なんかもそうなんだけど見るのが雑になるんだよね。DVD買ったんだったらつまらなくても楽しさを見いだすぐらいの鑑賞の仕方をするだろうし、ツタヤですらも微々たるもんだが金を払ってるわけだから「勿体ない」っていう感覚が働くじゃないですか?まぁそれでも見るのは2倍か3倍で面白いやつは普通に見るんだけどね。


最近で言うとガイ・リッチーの作品をほとんど見たんだけどあのぐらいテンポがいいやつだとむしろ倍速する必要がないじゃん?それ自体での速度にグルーヴ感みたいなのがあるっていう。まぁでもさ、2倍とか3倍って普通だったら見られないようなのも見れるようになるからいいんだよね。名作だけど現代から見るとテンポがスロー過ぎて耐えられない・・・みたいなのの見る敷居が下がるんだよねっつってもまぁアートシネマかぶれだったころに超つまらない芸術映画を浴びるほど見てきたから耐性はあるんだけど今は当時みたいな根性が無いわけよ。まぁ当時はあれじゃん?何もかもがありがたかったから一生懸命見てた気がするけど今ってもう一周回っちゃった感じだからあえて耐えてみるほどのもんなんてありゃーしないぐらいの気分じゃないですか?


でもそんなんだと見る映画が無くなるんですよね。だから見ようとすらしないものも一応見てみようってことでの倍速ってのはすげー有効なんだよね。あとは邦画のエンタメ映画とかも倍速で見るとちょうど良かったりして。かといってもなんでもいいわけじゃないわけですよ。ツタヤはダブルでいつも見てるから結構それだけで凄い量の映画を常に見てることになるけど、でもなんでもいいってわけじゃないんだよな。送られてくる数は限られてるからまぁすげーけちくさい話だがレンタルの単価ってあるわけですよ。だから糞映画になるとまぁやっぱり糞レコードみたいなもんで外れだったら嫌なんだよね。これもなんでそれが発生するか?ってやっぱり身銭を切ってるからですよね。それも含めた映画とか音楽っていう経験の強度とも言える。本当に気に入ったやつなんかはそれでDVDで買おうとするじゃん?んでもタダだとなんか垂れ流しだよな。


フリーコンテンツって良いとは思うけどやっぱりある程度金が発生するっていうさ、それって重要だよね。鑑賞とかそのコンテンツを受ける側の受け方に影響出てくるじゃん?なんかの調査だと何でもとにかくフリーで見ようとする人は普段から何かに金を払うという習慣がないらしいんだよね。で、ある人ってのは月額でも単価でも当たり前のように払うっていう。いや、全部フリーになったら相当マズいですよね。


全部フリーになったから音楽はダメになったっていう意見があるけどまぁそれに関しては逆ですよね。むしろ音楽ってジャケとか煽り文句とか流行とかに便乗して人を騙したりしてたわけじゃん?能書きだけの糞コンピみたいなのを出しまくったりシングル曲以外捨て曲だらけみたいなアルバムを出したり。で、今はピンポイントで試聴して本当の欲しいものだけを買えるようになったから無駄がなくなったってことですよね。例えばきゃりーぱみゅぱみゅってまぁ当然普段聞いてるわけじゃないんだけどまぁマッシュアップ素材として必ず買うわけじゃん?


で、アルバムとか出てもアルバムの曲だけ買うからせいぜい1000円ちょっとなんだよね。昔はシングル買ってた人がアルバムも買うとなると曲の重複が半端じゃなかったわけで。そういう無駄での収益って相当あったわけじゃん?今はそれがシステム的に是正されたって感じだよね。だからセールスが下がったっつーよりかはやり取りが適正になったって感じなんじゃね?って思うよね。元々のそういう無駄とかで相当な利益を出してたっていう昔のモデルと今のネットベースのモデルを比較してもしょうがないわけじゃないですか?共産主義時代だった頃の国の経済と資本主義後の国の経済モデルを比較してもしょうがないのと同じで。


あ、んで何の話だったっけ?あ、身銭の話ね。いや、すげー変な話なんだけどさ、例えばすげー理解が困難な複雑なものが目の前にあってさ、それがただのネットのページだったら「ワカンネ。いいや」ってことになるじゃん?でも「よし!頑張ろう!」と思って身銭を切った本の中にそういうもんがあった場合、無視できないよね。ましてや数学の本って高いから読まないで放置ってのが非常に勿体ないっつーかさ、まぁそりゃレコードとかCDも同じじゃないですか?高い金出して買って聞いてないとかさ、いや、でも何百円のセール品だったら放置ってあり得るとは思うんだけど。使えるお金のパイが決まってる中で、他にも欲しいものが無くはない中で数学の本に大枚を叩くってやっぱコミットメントなんですよね。哲学全集とかはそんなに高くないから本棚の肥やしになったり本棚の見栄えが良くなったりするから置いておいていいなんつーアクセサリ感覚でも機能するかもしれないけど数学の本って高いからね。哲学全集的なものと同じぐらいの面積を数学の専門書で埋めようと思ったら相当な出費になるわけだよね(笑)


まぁでもあれだよね、別に書かれてることは一緒だし、中にはフリーで同じような内容を読めるものもあるんだし金なんて払わなくていいじゃん!っつー意見がありそうだけどまぁそれはスタンスですよね。あとは物理的な存在としての本っていうね、それがすでに読書っていうプロセスに組み込まれてるわけじゃん?前にも書いたけどレコードを聴くってのはレコードを取り出して、んでそれでフワッとレコードの匂いがしたりして、んでまぁ針置いてさ、タンテの電源入れて・・・っていうまぁあれですよね、mp3って「再生!」で終わりじゃん?レコードの場合、この聞くプロセスってのが凄い長いよね。昔はこれが当たり前だったんだけど。なんかそれも質感の話なんだよねぇ。レコードのほうが音が良いのは議論の必要は無いと思うけど。


まぁでもあれね、マスターがCDとかのレコードは糞ですけどね。だからやっぱレコードって昔のやつに限るんだよなー。小西さんなんかは70年代以降のレコードを聴かないんだったかなんだったか、でも実際に70年代とか80年代のレコードの音ってすげースカスカなんすよ。レコードの魅力が全然無いレコードの音なんだよね。あと金系のシンバルとかさ、ああいう音がダメね。だからジャズとか本当にダメ。ピアノとかも糞みたいな音質だし。音が悪いんじゃなくて素っ気ない音ってことね。まぁ中には当時ですらもうレトロとしか言いようがないような音質で作られてるものもあるけどね。単純に予算が無くて当時のデジタル機器とか使えないおかげでいい感じの音になってるレコードってのはあるんだけど。


あ、レコードの話はいいか。身銭の話に戻ろう。いや、まぁ俺の場合ですよ、やっぱり数学って大変なんですよ。そんなにパラパラ読んで理解できるようなもんじゃない。かといっても俺はそこまで辛抱強い性格でもないし飽きやすいからさ、なんか外部的な要素を使ってそれに集中させるっていう術が必要になって、まぁそれってやっぱネット禁止!とかさ、ラップトップを近くに置かない!とかね、まぁ読書に集中する基本的な技ってのは当然あるとして、じゃあ分かり辛い数学っつーものと向き合うには?ってそこが身銭なんすよね。いや、俺なんてスニーカー大好きだからお金があったらスニーカーなんて何足も買いたいわけよ。まぁジョーダンはほとんど欲しいものはそろったんだけどね。まぁそれはともかくさ、俺の中でスニーカーが買えるお金って凄いお金なのよ。それを数学に使うわけだからコミットメントが半端じゃないのよ。


実際にまだそんなに真剣じゃなかった頃は数学の本って分からなかったのもあるけど値段で決めてたからね。だからdoverばっか買ってたんだけど、んでもマジになってくるとむしろ出費なんて当たり前どころかタダで学ぼうなんて微塵も思わなくなったよね。かといっても学習っつープロセスに身銭を切ることが必要かどうかってのはそりゃ個人に依るんだけどさ、んでもやっぱりあれなのよね、これに使わなかったらスニーカーが余裕で買えるっつーものをさ、放っておけないじゃない?これってやっぱり一種の方法論なのよね。買っちゃったら相当糞な本じゃない限りマスターしないと気が済まなくなるんだよね。逆に欲しいものが好きなだけ買えたらこんな貧乏な方法論って使えなくなるんだろうけど、でもまぁ金持ちでも経済感覚が貧乏臭い人っているじゃん?スペアリブとか「そこまで食わなくても・・・」ってところまで卑しいレベルまで食べ尽くすとかさ、これって食事になると卑しいんだけど学問になるとすげー強みになるんだよね。貪欲さと言えば聞こえはかっこいいけど、ズバリ俺はやっぱりこの貧乏臭いスペアリブの感覚ってのも大事なんだと思ってる。


あとさ、それ自体に価値が無くてただボラれただけとかさ、ビール飲みたいけど飲めなくて「あった!」と思ったらかなり割高で売られてるとかさ、で、割高で買ったビールはそりゃ味わいますよね。すげービール飲みたかった!ってのとボラれて高かった!っていうのとさ、意味論的な価値と金銭的な価値ってのの付加の相互作用でビールを味わうっていう行為自体の強度が凄まじく増してるっていうさ、まぁこんなもん観念的なもんでただボラれたんだったらボラれたって感じるだけでいいんだけど、例えば缶ビールに800円とか払ったらやっぱり違うじゃない?800円のビールの味なんてもんは存在しないけど経験としてめちゃめちゃ飲みたかった!っていうことも関係して対価を払ったことで発生するビールの味ってのがあるんだよね。むしろそれは人間の知覚ってのがいい加減だからこそ発生しうる味とか価値なんだと思うんだよね。


それを「くだらない」と一蹴するのは簡単なんだけど実はここに人間にとっての本質的な経験としての強度っていうもののエッセンスがあると思うんだよね。最近、そういう意味で俺は飲み屋とか本当にくだらないなと思ってたんだけど、本当に気が合う仲間と飲むお酒とかその酒を飲んでる場とかさ、それ自体のかけがえの無い価値ってのが分かるようになったんだよね。「いや、あんなのコンビニで買えば半額以下じゃん」っていうのが非常に野暮ったい意見なんだと言うことだ。


ようは当人がどう感じるか?っていうその問題に尽きますよね。で、俺にとっては身銭を切ると積ん読なんてことはありえなくなるわけで、ましてや出費が凄ければ凄いほど嫌らしいほどにスペアリブを骨の髄までしゃぶりつくすような食べ方をしちゃうんだよねって言いたかったけどそこまででもないな(笑)読もうとは思うけどしゃぶりつくすってほどそこまで貧乏でもないんだよな(笑)まぁでも読もうと思うっていう事自体がやっぱり重要だよね。なんでこんな難解な今の自分のレベルに合ってないかもしれないような本を知識欲で買ってしまったんだ!っていうさ、それは後悔じゃなくてコミットメントなんですよね。大枚叩いたから絶対理解しよう!っていう良い意味での貧乏くささですよね。そういう意味で学問と清貧って相関関係があるんだと思う。金持ちだったらこんな感覚生まれないもんね。道元なんかも学ぶものは貧しくあらねばならないみたいなことを言ってるけど拡大解釈すればリア充で金持ちだったら学問なんて身に付かないってことだと思うね。


まぁでもあれか、「大事に使えよ」的なことは金持ちだろうが作法として教育として子供に教えるよな。結局、功利的に考えてもそっちのほうがいいんだよね。頑張る!ってことに関して貧乏なやつが強いのってそこじゃん?生活がかかってるし教材だって身銭を切ったか親がすんげー苦労して稼いだ金を使わせてもらってるわけだから使い方が違うじゃん?結果的に二世とかのボンボンがダメになりがちってのも所謂一般的に言われるような「苦労をしてない」ってことはあるよね。物質的に恵まれ過ぎてると逆にそいつをダメにするっていうさ、だから貧乏なほうが何かと良いんですよね。そこでやっぱりあれなんだよな、さっき書いてた本の物質性とかってやっぱすげー大事でさ、昔の学者とかの自伝とか伝記を読んでると「自分は雨に濡れてもいいけど本だけは絶対に濡れさせない」的な描写って出てくるじゃん?


特に日本の場合、例えば昔は洋書が相対的に高かったりあんまり日本に入ってきてないってのもあったりさ、あとあれだ、だいぶ前になるけどある古本屋でさ、まぁ滅多に行かないところなんだけどまぁフラッと立ち寄って色々と見てたらさ、初老の人と昔からその店を切り盛りしてる女将さんの立ち話が始まってさ、で、まぁ普段全然刺激がない生活をしてるから盗み聞きしながら本を色々と選んでたんだよね。で、あんまこういう小説とかで必要とされるような描写に関してのスキルが無さ過ぎるからだいぶ色々と端折るけどさ、「今の若い人たちは本を読まないらしいですねー。みんなパソコンだネットだって・・・」ってまぁドラマとかに出てきそうな典型的な話をしててさ、まぁでもあれなのよ、ニュアンスとしては活字を読まないということよりかは本自体の価値を知らない若い人が増えてるっていうような感じがあったんだよね。あとは同じ活字でもツイッターと本とじゃえらい違いでしょうっていう。で、そんな中で別の初老の人が話に加わってきてさ、んでまぁ「どんなのを読むんですか?」みたいな話になってたわけ。


で、まぁ正直、会話自体はあんま弾んでなかったんだけど、元々女将さんと話してたほうの初老の人がさ「昔なんつったら本すらもないわけだからとにかく活字に飢えてたわけだよね。だからあれだよ、三銃士なんかの翻訳が出た時なんかはもう隅から隅まで読み尽くしたよね。それはもう三銃士がどうのというよりかは活字そのものに飢えてたんだよね」みたいな話をしてて「あーこれなんだよねぇー」ってすげー思ってたのね。「あ、これウォール伝に書こう」と思ってて結局書いてなかったんだけどまぁ結果的に書くことになって良かったなって思うんだけど、これってなんつーか「本」とか「活字」っていう時代のコンテキストじゃないですか?又吉みたいなハードコアな文学好きはみんなこういうことは分かってるんだけど、でもなんか文学はむしろそういうものとセットだからまだ分かるんだよね。んでも学問って必ずしもそういう活字文化みたいなのを知らなくてもさ、それがまぁ最初に書いたネットでPDFで見れればそれでいいのか?って話になるんだよね。


むしろ学問こそ書物と人間の歴史なんじゃないか?っていうさ、まぁ電子化が進んだら自然にそういう方向に移行していくんだろうけど、でもやっぱさ、俺がなんだかんだでやっぱりレコードが好きなように本もあれなんだよな、その活字とか本と人との歴史なんかも含めてやっぱりこれ自体が持っている電子化されることで失われるアウラみたいなものっての常に感じてるんだよね。レコードって記名とかあったりするじゃん?アメリカで買ったレコードはそういうの多いんだよね。


で、本もそうじゃん?蔵書印とかどっかの大学の除籍本とかさ、こないだ笑っちゃったのが数学の専門書でどっかの大学の除籍本だったんだけど貸し出しカードが貼ったままで誰も借りてなかったのね(笑)俺がこの本にとっての最初の通読者だったかもしれないんだな!とかって勝手に思いを馳せるようなさ、この本がアメリカの大学の片隅で誰にも読まれることなくひっそりと恐らくその本の年代を考えると30年以上は眠ってたんだな・・・っていうさ、それが色んな縁で俺の手元に来て俺はそれを「すげー良い本じゃん!これ!」とかって思って耽読してるっていうこの出会いのロマンスですよね。まぁ典型的なロマン主義者の考え方かもしれんけども、でもこれってやっぱりさ、いや、こういうことすらもネタになるじゃない?本との出会いっつエピソードだけで小説とかちょっとした小話みたいなのが出来るぐらいこれ自体に何かがあるんだよね。データってそういうロマン無いからね。


なんかでもやっぱり胸アツになりますよね。誰にも読まれてこなかった本が貪り読まれて今俺の本棚に置いてあるってさ、あとはまぁ元の所有者の名前とか書いてあると無くなった人なのか分からないけどまぁ巡り合わせっていうようなものを感じますよね。やっぱり。中身だけ見ればデジタルもアナログも差はないんだけど、やはりこういう本という物体ならではの外部的な要素ってどんどんその本に加えられていくわけじゃん?なんかそういう見えない本の外延的なデータも一時的ながらも俺が受け継いでるってさ、それって単純に面白いじゃない?まぁアンティークとか美術品好きだったらそんなの当たり前の話なんだけどね。多分。ようは本という物体のプレゼンスですよね。データの場合、どっかのフォルダに落とされてそのままなんだけど本の場合、どこかに転がってたりどこかに収まってたりするわけで、それへのアクセスという事自体ですでに差異が生まれてる気がするんだよね。


それ自体によって読む/読まないが決まってきたり読まれ方とかも変わってきたり。まぁもちろんあれね、どっちがいいってわけじゃないんだけどね。電子系の便利さなんて挙げたらキリがないんだけど、んでもそれを知った上だとよりアナログの良さってのが分かると思うんだよね。俺の場合はそうね。結果的に本はモノとして買った方がいいってことになってるわけで。あ、まぁ俺の場合は学術書に限った話なんだけどね。いや、学術書だとkindleのほうが2000円ぐらい安かったりして、結構な違いがあるんだよね。だからkindle買おうかな?とも思うんだけど、でも改めて本が本であることの利点というのを考えるとやはり本というモノとして所有してたほうがいいなっていう結論になってるんだよね。まぁ電子系のものが色々ともっと便利になればまたそりゃ考えは変わるとは思うけども。


っつーか当初書こうと思ってたことと違うんでまぁ当初書こうと思ってたことはまぁ別の機会に書くけどさ、まぁあれだよね、色々と考え直してみるとやはり学習のプロセスに於いてってことだね。なんかの結果の論文とかはまぁようは学習じゃなくて学習してから挑むものだからまぁそれはただで読めるに越した事はないんだよね。まぁだから論文へのアクセスってのは簡単にできたほうがいいに決まってるわけだ。んーでも「論文集」ってのを本として買う場合もあって一概には言えないんだよな。そう思うと単に本が好きなだけとしか思えなくなってくるんだけど(笑)


まぁとりあえず今日はこれでいいや。んじゃまた。