Treatise on Analysis全巻ゲット!。

はい。書こうとしてたことなんですけどもたいしたことじゃないんですね。いや、最近割と長文多いっすよね。まぁそれはともかくさ、あれなんだよね、なんか急に解析が面白くなってきちゃってさ、ルネ・トムの「構造安定性と形態形成」が面白くてさ、なんかこれってようは解析ってのが生きてるじゃん?生きた解析ってのを始めて読んだかもしれん。やはり良書との出会いですよね。基本的に俺は代数なんだけどもうあれね、差がなくなったね。そんなわけでちゃんと解析をマスターしよう思ってデュドネのFoundation of Modern Analysisを読み直したらさ、明らかに前に読んだときよりすっきり頭に入ってくるのよ。


っつーかこのブルバキスタイル!抽象的な感覚を養うための公理的メソッド!!あと幾何的直感や図に頼らないという方法!!!改めて記述の美しさに心酔してしまって、まぁ元々デュドネは好きだったけどもう勝手に師匠だと思うようにしようって思ったんだよね。で、それだったらあれでしょ、Treatise on Analysisを全巻読破しなきゃダメでしょ!っていうかこの美しい記述がどこまで続くのか?ってのが気になるじゃない?ってことで集めようと思ったんだけど分散してて手に入り辛い・・・。アメリカのアマゾンで揃えることはできなくもないけどマーケットプレイスなんで馬鹿みたいに送料がかかっちゃう・・・ってことで思い出したのが明倫館ですよね。そういえば全巻揃ってたけど高過ぎて買うのを諦めてたなぁーと思ったけど、自分の中の解析ブームが激しいのとデュドネへの心酔のおかげで躊躇が無かったですよね。そういえばちょうど一年前ぐらいなんじゃないか?ブルバキ積分とかいくつかのやつは抜かして買い占めたのは。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20120425


いや、すげー進歩だな。あんま進んでる感じがしないけどやっぱ毎日コツコツやってるっつーのがこうやって大局的に1年って見てみると分かるね。もう全然1年前と理解度が違うじゃない?それにしてもブルバキ通読したら童貞捨てるとかって言ってたんだな。そういえば。まぁでもいいや。通読はしてないから(笑)通読の必要がなくなったというのが正しいけども。そういうわけでTreatise on Analysis全巻ゲット!ってことで記念写真を撮ったので。



そうなんすよね。「全巻セット」なので1巻が重複してるわけよ。一番左のが元々持ってたエディションのやつね。まぁでも全巻ゲットできるんだったら全然オッケーだなってことで買ったんですよね。あと解析で言えば読もうと思ってたけどパスしてたアンリ・カルタン複素関数論も読んでるんだけど、なんつーかおフランス流のエレガントな数学スタイルとでも言うべき美意識としか言いようが無い美しい記述に満ちてますよね。これだから数学が好きなわけじゃないですか!これだから物理数学が嫌いなわけですよね(笑)基本的にブルバキ周辺の人物とかブルバキブイブイ言わせてた頃の数学者達って凄いのが多いよね。


あ、んでさ、カルタン複素関数論もデュドネの本もそうなんだけど「ついつい集中してしまう」っていうような、面白い小説とかっつーかまぁ小説読まないからアレだけど、面白い映画とかマンガでもいいんだけど集中力が自然に出てくるんだよね。hooked upされるっつーのかな。読む必要があっても眠くなったり疲れるのってやっぱ挫折しますよね。だから興味があったり好きだったりスタイルがあってるものじゃないと読めないし頭に入らないっていう。そういう意味で俺は相変わらずお勉強は苦手なんだよな。だからもうなんかひたすら自分に合う本ってのを探してマスターするって感じだよね。まぁもう今は手元にかなりの相性が良い数学書が揃ってるけどね。


結局、まぁあれなんだよな、ブルバキスタイルが普遍的に素晴らしい!ってわけじゃなくて単純に俺がそのスタイルとの相性が良いっていうことだよね。まぁそれは別に小説でも哲学書でも同じだよね。いや、ただ数学書でもそんなことがあるのか?って思うじゃん?逆に俺はむしろ数学書のほうがそれが顕著なんじゃないか?って思うね。いや、実際に色々と哲学の本とか読んできてるわけでさ、いや、んでもこれほど相性が影響を及ぼすものってなかなか無いよねっていう。だからあれだよな、読んでてイライラするとか眠くなって進まない場合、思い切ってそれやめちゃって同じトピックの別の人が書いた本を読んでみるってのはあるよね。あんま一つの数学書と向き合い過ぎて「分からん!やっぱ俺は馬鹿なのか?」ってことになると「俺馬鹿かもループ」が永遠と続くことになるからね。


まぁ俺は一つの数学書に向き合うほどの忍耐強さは持ち合わせてないから相変わらずマルチマルチで色んなの読んでますけどね。まぁそれにしてもあれだわ、本当にFoundation of Modern Analysisは芸術的だわ。ブルバキになると結構モノによるんだよね。あと良い場所もあるけどあんま良くない場所もある。でもFMAはモノグラフっつーのもあるし迷いの無い一貫した美しさと明快さがあるよね。多分、数学プロパーなら汚い数式とかとも格闘しなきゃいけないんだろうけどまぁそんなんだったらプロパーにならんほうが逆にええやん!とかって思っちゃいますね。もう本当にこういう奇麗なやつだけ読んでいたいし考えていたい。あとは部分的に汚くても全体像とか構成が美しいやつとかね。シェラハも書いてたけどまぁそれはこっちのレベルによって感じ方はどんどん変わるからね。アイデアなんかも美的感覚を優先するとかそれってまぁようは個人の感性の問題だもんね。


まぁそんなわけでんじゃまた。