刀を抜くということから色々と。

何かに凝るとか打ち込むっつーのはさ、俺の場合はね、やっぱりあれなんだよな、凄まじい虚無感なんだよね。デフォだと虚しいしつまらないし死のうとすら思えるわけで、それは鬱とかではなくて鬱とかじゃなくてもつまらないもんはつまらないわけだ。何でも飽きるよね。慣れるじゃん?いつも書くけど海外に行こうが環境が変わろうが根本にはこれがあるのでどうにもならないっていうさ、ニューヨークにいた頃もそうだったし、思えば今も変わりないなと。毎日変化が無くてつまらないのはどこに行っても同じだよね。では理由は何か?って何かの不足なのか?ってそうじゃないから絶望が深いんだよな。金があったところでこればかりはどうにもならない。だからもう楽しむしか無いんだけど、そんなに楽しいものって無いんだよね。マジで。


居合いに凝り出したっつーのは実際に前からやり直したかったってのはあったし、あとは身体性の重要さっていうさ、思索というと大げさだけど、まぁ色々と考えた中で繋がったものなんだけどさ、でもやっぱりそれ以外に根本ってやっぱ虚しさなんだよな。数学然り。楽しいことが限られていてさ、まぁようは数学ぐらいしかないわけじゃん?んでもさすがにそれしかないとなると単純に脳の馴化で飽きてくるじゃん?読書然りだけど活字を読むとか常に読書っつーそういうスタイルに飽きがくるよね。で、そうなった場合にゲームって意外といいじゃん!と思ってまぁ色々とやったけどまぁハマるじゃん?で、すぐ飽きるんだよねっつーかそれしかないからやり尽くしちゃう。そもそもやろうと思うゲーム自体限られてるからな。で、やっぱまぁ虚しいじゃないですか?だから育成系が好きなんだよね。思えばスカイリムもボダランもダークソウルも主人公を強くするってのがまずあるじゃない?レベルアップが肝心っていう。それが無いゲームってほとんど興味ないんだよね。


なんかだからあれなのかもな、まぁとりあえずその身体性っていう結構マジな動機付けは置いておいて、結局はなんかもう生活に飽きてるんだよね。で、育成もやり尽くしちゃってやるのがない。だからもう自分が剣士にでもなる気分で1から「平民」みたいなのを「達人」にしていくっつーゲームをやりたいのかもね。まぁ端的に言えばボタン押しだけのゲームに飽きたんでWii的な身体性があるゲームをやろうとしてるみたいな感じか。んでもかなり本格的で凝り性なのでとにかく凝るってことだよね。だから文献とかも一瞬で集めちゃうっつーかすげー読みたくなるじゃん?で、最前の動きとか抜刀とは何なのか?ってのが考えるテーマになる。これをやり出すとようは普段使わないような感覚を使うんだよね。体然り。体の捻りとか読書とPCだけやってても使わないじゃん?あと急な動きとか激しい動きとかね。


で、そういう体に志向性を向けている時って完全に抽象的になってるんだよね。型がどうのとか抜刀の順番どうのってことではなくて、どうやるのが一番速いのか?とか力が無駄にならないのか?ってことになるじゃん?ようは自分で考えるんだよね。動きを。っつっても当然色んなものを見たり読んだりして研究するわけですよ。「あ、これが研究ってやつか」って思いましたよね。で、これをやってるともう思索なんだよね。これはどうだろうか?あれはどうだろうか?みたいなことを思いついてはやってみる。居合い刀があるとそれが可能だからいいよねっつっても4畳半のアパートでやってるようなもんだから振りかぶりとかは出来ないんだけど。まぁ妹の部屋かリビングなんですよね。自分の部屋は狭過ぎてできないので(笑)


んでも話によるとあれだよ、抜刀術が浸透したのって座りの型はそれこそ畳一つあれば出来たからみんな割と家で出来るっつーんで広まったっつーのはあるらしいんだよね。まぁもちろん剣道とセットなんだけどっつーかまぁ武士が居合いだけ練習するなんてことはありえないからねっつーか元々やっぱ日本刀とか剣術は好きだったのよ。ただまぁ居合いをやろうと思ってやり始めたらなんつーか見えなかったものが見えるようになるじゃん?っつーか色々と興味出てくるんだよね。剣術の歴史とか日本刀の歴史とか色んな流派の話とか。で、まぁこれが面白いんだなぁ。っつってもそんなに文献はあるわけじゃないからすぐ読み尽くしちゃうだろうけどね。


んまぁでもこれって一つの世界ですよね。日本刀一つとってもこれ自体での美術品としての世界ってのがあるし業界があるじゃない?で、そんなまぁさ、買えるわけないから調べないじゃん?んでも別に買わなくても色々と調べたりする分には面白いのよ。で、やっぱり予想通りっつーか真剣が欲しくなっちゃうんだなぁー。真剣で居合いをやりたい!って思っちゃう。んでも真剣で激しい抜き付けなんてやって手でも切ったら終わりですよ。だからまぁ相当上手くならないとダメだよね。でもまぁ別に稽古中死んだら死んだでまぁいいかなって気もするんだよね。自殺よりかはマシでしょうっていう(笑)


まぁ多分これも絶望から来てるんだろうね。生にあんま執着しないんで「危なっかしい」っつーリスクを考えないようになる。むしろ「緊張感」を求めるわけじゃん?生活の中に生きるか死ぬか?みたいなレベルの話って無いじゃん?まぁ平和な証拠なんですけどね、ただでも俺みたいなウォーリアー気質なやつって絶対いるのよ。平和で何よりだけど刺激が無いとダメになるタイプね。だからなんかマジで自分としては軍隊に入るとかやっぱり可能かどうかは別として心情的にリアルな話なんだよね。なんかもうこれはDNAとしか言いようが無いと思うな。人間の類型ってのがあって、ハンター型とか戦士型みたいなのってあると思うんだよね。でもそれって気質だと思うんだよな。体格とか身体能力とかではなく。


いや、ハートロッカーっつー映画あるじゃん?あれが凄く分かる!ってやつは多くないかもしれないけどいるんだよね。日常が苦手な人っているわけだ。まぁ多分、昔の食い詰めた浪人とかこんな心情だったんだろうなぁーって思うけどね。そりゃ飲んだくれますわなっていう。安定を求めるんじゃなくて自分が活動できる場を求めてるんだよね。でもまぁ安泰な世の中じゃ戦士なんつーのに需要は無い。んでそれしかやってこなかったんで剣術以外食える道が無いみたいなさ、で、そんな中で落ちぶれても気質とかプライドは保ち続けるみたいなことになって武士食わねど高楊枝みたいなことわざが生まれたんだと思うよね。いや、まぁ色々と歴史を知るっていいことですよね。居合いを通じて昔の食い詰めた素浪人のブルージーな心境をヒシヒシと感じるとか悪くないですよね(笑)


だから今はそんなわけで居合い自体を色々と研究したいっつーのもあるんだけど、自然な知識欲で剣術や武士を中心とした昔の日本ってのに凄い興味が出て来たんだよね。やっぱ色々やるっていいことですよね。糞つまらない毎日の中での楽しみが増えるわけだから。まぁ俺って自分で言うのも何だけど知識欲とか凄いし一気にやっちゃうから消費も早いんだよね。だから興味が出たことってのは大体ちょっと時間をかければ知識欲が満たせちゃうんだよね。そんな中でまたさらに知識欲のスパイラルを巻いていくしかないんだけど、哲学に関して言えばもう完全に頭打ちじゃないですか?数学も数学史的なことはもう頭打ちだよなぁ。あとはもうディティールだもんね。だからそのディティールを研究するってのが普通の日常と化しちゃうんだよね。


何か刺激を求めようとするようになるってのは良く言えば数学が日常化したってことでしょう。当然やることの中に入っちゃってるから、息抜きとか娯楽が必要になってくるわけだ。昔は数学自体が知らないことだらけで娯楽足り得たんだけど、今はもう違うわけじゃん?あと逆にディティールがディティールが・・・っつっても細かくなり過ぎるとつまらなくなるんだよね。やっぱりなんか大局的なものが無いとダメなんだよな。だからそういう意味で数学はやっていく中で知りたい世界のディティールが朧げながら見えてくるとか、見ようとするものが分かってくるっていう感覚がないとダメになっちゃうね。結構今はそうなりかけてますよ。数学について色々な分野をやってるように見えて、あまりに色々な分野に手を出し過ぎたのか、結構見えなくなってる部分はあるよね。いや、やることは分かってるんだけど、それをやった後でさらにビジョンが見えるのか?って言う先行きが不安になってるっつーのがあるんだよね。そこで見えなかったらもうそれが限界だもんね。ある意味。


当初は知識欲を満たすだけでよかったんだけどやってるうちに色々と分かってくるじゃん?で、やっぱりなんつーかまぁ当たり前だけどさ、趣味じゃないわけよ。今で言えば居合いは趣味ですよね。で、数学とか哲学は本業だわな。だからこそそのメインのフィールドでの自分の限界ってのが分かっちゃうともうなんかそれで人生終わりじゃん?っていうさ、やっぱそれが怖いんだよね。自分で言うのもなんだけどそこそこ才能があるからこその悩みなんだと思ってるけどね。まさかここまで向いてるとは思ってなかったしなぁ。だからこそなんかやっぱり趣味程度のたしなみじゃ満足できなくなっちゃってるんだよね。いや、それでいいんだけど精神的には辛いよね。「そんな独学でそこまでやるなんて大したもんですよー」みたいな話で「いやぁーそれほどでもー」なんて日和ることが出来なくなっちゃってるんだよね。まぁそんなくだらないやり取りなんてどの道しないにしてもまぁ本気になるってやっぱ辛さが出てくるよねぇ。


そこそこでいいっつーのが許せない自分っていうのもあるんだけどね。単純な性格の話で。だからまぁ楽な生き方ってまぁ特に野望とか大志とかを持たずに楽しいことをそこそこにやりながら楽しくいきていくってことなんでしょうね。まぁ俺には絶対無理な生き方だわ(笑)それが出来ないからこそ辛い道を行くことでしか生きられないんだよねぇ。そんな自分に酔ってるんでしょ?ってよく言われるっつーかまぁ言われないけど言われそうだなと思うけど酔ってたらこんなに悩まないですよ。特に数学に関しちゃー馬鹿が何を考えても無駄ってのが凄まじく明白だからね。物理で言うところの理論物理学みたいなもんだからね。馬鹿とか2流の出る幕無し!っていう世界じゃない?なんでそんな世界に行こうとしてるのか客観的に見ると不思議だよね。そこそこ数学やってゲームやって居合いやって哲学やって映画見て楽しく過ごせばいいのに。


まぁ正直あれですよね、気が狂いそうですね。マジで。ストレスとかではなくてまぁ考え過ぎなんだろうけどね。っつーかやっぱ数学って絶望しかないよ。「なんでこんなことを思いついたわけ?」ってもう呆然とするもんね。先人の仕事って。まぁ現存する数学者然りなんだが同じ人間とは思えないですよね。本当に。だから俺なんかが何かをやったところで何もならねぇーじゃん!感が半端じゃないのよね。そうじゃなくするために努力をするんだろうけど、なんかもう楽しむっていう次元じゃ無くなっちゃったんだよな。だから楽しみが必要になったんだと思うよね。それで居合いっていうのはあるかなと。


現実逃避でもあった数学が自分の能力という現実を押し付けるものになるとは皮肉なもんですよね。まぁそこそこ才能があるからこその悩みってのはここなのよ。馬鹿は永遠と数学者気取りでいられるからな。自分がやっても無駄だって分かるにはそれなりのものが無いとダメだからね。そのぐらいのものは自分にはあったということでしょう。自分が何をやっても無駄な世界だっていうのは分かった上でもやるっていうぐらいの気持ちが必要なんだよねぇ。あと最近本当に薄々気がついて来たことは知識の詰め込みをしてもダメなやつはダメってことですね。まぁそりゃ何の世界でもそうなんだけどさ、哲学とかならそれらしく評論したりとかそれらしいもん書いたりとかって出来るけどっつーか大半がそんなやつらばっかりなんだけど、数学って知識があるだけじゃどうにもならないからね。知ってるだけで全然生きてこない無駄知識の山になるんだよな。基本的にジャンクなやつが何をやろうが所詮はジャンクなんですよ。


自分には凄い要素もあるけどジャンクな要素も多分にあるわけで(笑)んだからなんかそういうジャンクな部分にばかり目がいっちゃうんだろうなぁーとは思うけどね。こんな感じで悩んでいって自殺するんだろうなぁーっつーまぁ数学者の自殺の心境って分かりますよね。ええ。俺はそんなレベルではないんだけど心境だけは死ぬほど分かりますよね。なんかあとは芥川龍之介みたいな抽象的な不安だよね。何が悪いとか嫌とか不満であるとかそういうことではないぼんやりとした不安感だよね。お金とか生活が保証されてるとかそんなことではどうにもならないレベルでの不安だよね。だったら死んだ方が話は楽だってことになるのは実は合理的な判断なんだよな。決して鬱に陥って死ぬとかではなくて理性的だからこそ死を選ぶんだと思うね。俺ってたいしたことないのにメンタリティだけはやけにレベルが高いのよ(笑)さっきの武士の話ではないけど。実力が備わってればかっこいいんだけど備わってないと馬鹿みたいだよね。そんな感じなんすよね。俺。なんか本当にどうしようもないなと思うわけで。


なんでこんな中途半端な能力を授かったんだかさっぱり分からないわけよ。最後まで生きなきゃいけないんだったらやっぱりそこそこの馬鹿のほうが絶対楽だよね。こういう感じになると「かっこつけるな!」的な喝をパターナル的に入れるみたいなやり方あるじゃん?いや、そんなんじゃないんすよ。そんな見た目とか「自分がいっぱしの何かである」とかそんなレベルの話じゃないんだよね。響く喝なんて無いわけ。本当に。だから自分で自分に「生きろ!」と喝を入れるしかないわけよ。あと悲劇のヒーローを気取るな!的な言い方もあるじゃん?いや、ヒーロー気取れるやつは悩まないですから(笑)ナルシシズムが無いからこそ自分の存在理由も無いわけよ。ナルシシズムがあれば三島みたいにオナニーしながら昇天したりさ、ヒーロー気取りで人生をジャックオフできるわけじゃん?まぁありゃ相当ダサいよな。


あと三島の居合いってYou Tubeで見れるんだけどまぁこれも本当に酷いんですよね。こんな程度で武士道がどうのとか平気で語ってやがったのか!って呆れますね。あの最悪な初心者以下の居合いとヒーロー気取りのクーデターと散華としての切腹と・・・って全部自己陶酔のオナニーだもんな。さすが自分の脇腹を鏡で写しながらオナニーしてただけあるよなぁーと思う。三島にとっては人生なんてオナニーのツールでしかなかったんだろう。三島自体が性器で三島の人生ってのがテンガみたいなもんだよね。オナホールとしての人生を全うしたって感じだわな。


三島って武士としての誇り高さとかっていう文脈で語られるじゃん?でも明らかに実存的な悩みがないじゃないですか?オナニーとしての武士道なんだもん。虚構もいいところだよな。文章は奇麗なのに人生はオナティッシュレベルなんだもんな。トイレに捨てるような代物なんだよね。だから書いたもんもなんか全部胡散臭く見えてくるんだよな。本当に耽美って嫌な世界ですねっつーか完全にそれ自体に魅入られてるのはいいんだけど自己陶酔ってのは最悪だよね。居合いもそういうオナニー的な要素だらけだもんな。見栄えを良くするとか型の美しさとか完全にオナニーでしょう。オナニー剣術ですよね。なんなんだよ?鞘の中で勝負は決まってるって。完全に舐めきってますよね。なんであんなに想定が甘いのかさっぱり分からないんだよね。


鞘の中の勝負なんつーのもさ、ようは剣術の腕と気迫で圧倒して相手に刀を抜かせる前に降参させるみたいな話なんだけどさ、「参りました」なんつった後に切り掛かってくる輩とかいるわけじゃん?実際に宮本武蔵がそうだったんだよね。合理的だったから観念的な武士道云々というよりかはプラグマティックだったんだよね。武士道的に完全にアウトなことを平然とやってのけるっつーのは凄いと思うんだよな。いや、だから所詮はさ、そもそも武士道なんて新渡戸稲造イデオロギーじゃん?精神を鼓舞するために作られたナショナリスティックなものだよね。実際に色々と読んでてもただの耽美の世界とかオナニーの世界に陥ってるのが本当に多いんだよね。いや、生き延びるための技術じゃないの?って思うわけで。だからまぁ実際の居合いには疑問しかないですよね。だからまぁ自分で実際にやってみようってことになったっつーのはあるんだけど。形通りにやるなんて世界だったら俺が一番嫌いな世界なんでやるわけないんだよね。


実際にさ、陸軍で完全に時代遅れだった刀っつーのを軍刀として粗悪な刀を大量生産して兵士に帯刀させたっつーのも精神主義なんだよね。あとは武装が貧弱だったから精神的な器みたいなのが必要でだから霊器としての日本刀みたいな感じでの導入だったんだよね。まぁ導入した側はさすがに色々と分かってるなって感じなんだけど。日本の戦時中の最悪な精神主義とか間違ったナショナリズムとかって本当に巧妙なんだよな。禅然り。禅を戦死することとストイックであることの証拠というかさ、イデオロギーとして導入してたとか手法がイスラム過激派と同じなんだよね。ああいう昔からの思想とか民族主義的な根強いものに現代的な理由をこじつけてあたかもそれを伝統と思わせる手法ね。完全なるイデオロギー操作と洗脳ですよね。大抵の国の保守ってのはそんなもんなんだよな。真性右翼は違うんだけど保守はそういうイデオロギー臭いのばっかりなんだよね。


で、なおかつ危険ときたもんだから害悪だらけですよね。まぁ元々俺って左翼じゃないですか?まぁ気質は完全にアナーキストだからやっぱり国家主義とか民族主義臭いものってのには生理的な嫌悪感を感じるんだよね。三島のなんちゃって右翼思想とか居合いとか剣術系の文献を見てるときによく見られるようなオカルト的な思想とかさ、本来の伝統とイデオロギー的なものってのが分けられてないよね。一緒くたになっちゃってるんだよね。だから凄く居心地の悪さを感じるんだよなぁー。別にアナーキストが抜刀隊!なんつってクーデター起こしてもいいわけで(笑)別に尊王攘夷である必要は無いし、基本的に国賊天誅を下すっていうコンセプトなんだったら右左関係ないわけだからね。だから別に全然暗殺術としての剣術とか存在してもいいはずなんだよね。


この辺はGHQがすんげー目を光らせて武道はヤバい!ってことで規制をかけたんだけど、なんかそれがデフォになってるじゃん?武道と暴力を結びつけちゃ行けないってGHQイデオロギーだからね。本来は暴力の道具なんですよ。決起するためにすんげー剣術とか磨いてたわけでしょ?新撰組然り。そういうもんでしょ?本来は。だから相当危ないものなはずなんだよね。今の人たちは納得しないけど大昔の人たちは俺の意見に納得すると思うんだよな(笑)


居合いの本にも必ず書いてあるもんね。平和のための武道だとかなんだとかさ、くだらないでしょ。そういうの。まぁ日本が色々あってそういう風な武道に行き着いたなら分かるけどGHQの武道根絶っていうイデオロギーの先に現代の日本武道の思想みたいなのがあるからダメなんだよね。それじゃあ帰依するもんがアメリカになっちゃうじゃん?アメリカ様が勝手に決めたものにしちゃっていいわけ?って思いますよね。ええ。そんな中で検定がどうだの段位がどうだのってやってるなんてバカバカし過ぎるだろう。基本は暴力で凄まじく危険なものであるっていうのが前提じゃ無いとダメだよね。あとまぁさ、戦前は人きりだなんつってすげー人を斬ってた人も戦後になると平和のための武道とかにシフトしてるもんね。で、精神の安定がどうのだとかそういう話を持って来て勝手に色々と作り上げるんだよね。もうこんなもん完全に日本の思想の断絶でしょう。明らかに見えるもんね。その断絶が。露骨なぐらいに。そういうのに凄く嫌な居心地の悪さを覚えるんだよね。


あとあのさ、活人剣なんつー概念も相当歪められてるよね。本来は人を殺傷するものであるものを人を活かすために使うってまぁ間違いではないけど、これって平和教育とかで使われそうな文言じゃないですか?でも実際は一殺多生だよね。多くを活かすために公共的なものの地盤を揺るがすような輩とかモラルの基盤を壊して社会を破壊するようなことをする輩とか、そんなのをのさばらせておくわけにはいかないから世の中のために人のためにそういう輩を斬るって思想じゃないですか?間違いじゃないですよね。でも平和主義で暴力が大嫌いな戦後民主主義の人たちはこういうのを嫌いますからね。実際は本当の日本の思想だと思うんだけどとにかくそういう危なそうなものを排除しようとするからね。暴力反対!っていいけどさ、権力的な暴力とかさ、ブラック企業に見られるような権力の乱用とかさ、直接的な暴力なんかよりもよっぽどタチの悪い暴力っていっぱいあるじゃないですか?なんでそれに反対しないの?って話だよね。なんでそれで暴力反対なんて言えるのか?ってことじゃん?暴力反対って言うんだったら暴力全般に反対しないとダメでしょう。物理的な暴力反対で権力的な暴力はオッケーってそりゃないよなぁー。矛盾してますよねぇー。


あ、そろそろ寝るかな。あとさ、天誅なんつってんでも天なんつっても誰が神の御心を知ることが出来るのか?っていう神学的な不可知論の話があるじゃない?でも天誅ってのは天に代わってっていう大義名分なんだよね。実際に天に代わってやってるわけじゃないし、それ言い出したらジハードもイスラエルアラブ諸国に対する横暴もアメリカのイラク空爆も全部天誅ってことになるじゃん?そうじゃないのよ。そういう天とか神なんではなくてさ、自分が神の代理になる!ってその役割を自分で引き受けた!っていう宣言なわけじゃん?まぁそんなことをブッシュもやってたけどただまぁさ、日本人がそれも天誅と同じにされるのは違和感を感じるでしょう?天誅ってのは極めて小規模で私刑的なもんじゃない?あくどい商法で金を大もうけしたやつらだとか闇金融だとかまあそもそも金融全般だとか(笑)は一応合法でやっているということになってるんで法律ではそいつらは裁けないわけじゃん?んでもそんなもん神が許しても俺が許すもんか!っつって自分の身を犠牲にして天誅を下すわけでしょ?


だからそれがピンポイントの暗殺になるのは極めて合理的なんだよね。国家ぐるみのテロとか侵略とかいうのは天誅にはならないわけよ。あれはただの宗教イデオロギーだから。天誅ってのはもっと個人的な義心の発露なのよ。それがスポンテニアスにフリージャズの演奏のように自然にわき上がって来たものっていう、それの表現方法ですよね。だから実際は芸術的な感覚の発露とかフリージャズ的な感性と凄く似てるわけだ。ただまぁ人殺しだから肯定できないって理由で否定されるけどね、まぁその否定自体がそもそもイデオロギーなんだよね。実際の倫理的な自明性があるのか?って無いからね。あとは倫理的な自明性が法では表現できないから自分がそれを表現するっていう依り代ってことですよね。


それはヤハウエ的な絶対神の裁きなのではなくて、神霊の依り代になるってことじゃないですか?西洋的な唯一神的なものではなくて神道的な神ですよね。そりゃやおろずのかみですから色んな神様がいるわけで。だからまぁ唯一神による裁きなのだ!なんて言うやつがいたら確実にそいつはサイコだってことですよ。一部のイスラム過激派とアメリカの右翼とシオニストイスラエルとまぁこの辺は全部サイコですね。世界戦争的な規模のものを起こすイデオロギーってのは全部唯一神的なものの解釈の違いじゃないですか?これほどばかばかしいものはないよね。天誅は野蛮に見えて意外に理にかなってるのに比べて唯一神系の天の裁きってのは歴史が示す通り必ずジェノサイドを起こしてるんだよね。まぁ今も起こってるわけですが。


そういう大き過ぎる力に対しても決して怯まずに自分なりの抵抗を見せるとかとにかく屈しないとかさ、ばかばかしいかもしれないけどでも基本的に本当の右翼ってのはそういうもんですよね。そんな一人で意気込んでても・・・ってニヒリストとかアイロニストとが言うなかでバカバカしいと言われようが完全に自分の中で縦の力として絶対的に作用しているものってのを持っているってことですよね。そういうのはポストモダン的には相当ダサイんだろうけど、ダサいと言われようがなんだろうがそれを突き通すってのが思想ですからね。だからそれは多くの人と相容れないものであるし暴力も起こしかねないものだよね。でも暴力が無い思想なんてありえないわけよ。強いて言えば世界各国でまかり通ってる見た目だけの平和主義ですよね。


ジジェクが面白いことを言ってたけど、そういう民主主義の次元では自分も良い民主主義者として振る舞うわけよ。でも心の中では「なんだあのクズ野郎は!」とかって思ってるわけ。いや、逆にそうじゃないとおかしいでしょう?あ、んでネット右翼とか韓国とか中国の反日の連中も全部大体一緒なんだけど、ああいう馬鹿なやつらってその一応の体裁のための笑顔の民主主義すらもやらないよね。本当に馬鹿だと思うね。で、思想とはとても言えないようなただの対外主義とか排他主義とか偏った民族主義とかをやたら振りかざすっていうこの辺の公共性の無さと思想の薄っぺらさと無駄な暴力性とってさっき書いたジハードとかイスラエル系の話とかアグレッシヴなアメリカの保守や右翼とかと同じなんだよね。大体こういうのって対外主義とか狂った民族主義とかっていう面においてダメな右翼とか保守なんだよね。それが世界各国で共通してるから面白いよね。まぁ全然笑えないんだけど。


ああいうやつらには右左っていう言い方ではなくて気違い派とか思想的下流派とかなんだとか独特のラベリングが必要だと思うね。まぁでもラベリングできるぐらい性質が一致してるからカテゴライズするにはちょうどいいと思うんだよね。まぁ単純に「下」でいいんじゃないかな(笑)「いや、それは右っつーより下なんだよ」っていう。右っつー概念も良いことばかりではないけど、そんなくだらないものと一緒にされるようなものではないんだよね。だからそういうもんが右とか保守とかって言われてるとかありえないでしょうっていう。日本で言えばチャンネル桜とかね、ああいうのが下の典型でしょう。まぁネトウヨビジネスとしてやってるならまだマシだけど地でやってたら相当アホだよね。でもそれを地でやっちゃうのが下の人たちなのよ。本当にどの国にもそういう下がいるから困ったもんだよね。アメリカで言えば共和党=下っつーのはちょっと共和党を定義するには乱暴過ぎるかな?ってことじゃん?下もいるけどちゃんとした右も共和党にいるわけじゃん?だからなんでもとりあえず馬鹿は共和党寄りだって言っておけばいいってことではないじゃん?


あ、そろそろもうやめるかな。すげー話が広がって長くなったなぁー。まさかこんな話になるとはねぇ。いつものことなんですけど。ってことでんじゃまた。