ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

武術という文化的リソース。

いやーやっちまったな。部屋の天井のライトを割っちゃった。縦振りはやるまいと思ってたんだけどねぇ・・・。っつーかやっぱ室内居合いはNGだな。基本NGでやるなら自己責任で!ってところだろうな。ただ縦の動作が出来ないって結構致命的なんだよね。型で縦の動作が入ってるものを省略したり思いっきり振らないで簡単に振る感じになったりして変な癖がついたら嫌だなぁーと思って。いや、でも家で練習なんてあんまり出来ないよなぁー。そう思うと。だから道場に行ったりあとは体育館とかでやるしかないわけで。空き地でバットの素振りと違って刀を振り回すわけだから基本的に外で出来るもんじゃないじゃん?だから練習の敷居が高いよね。あとまぁ別にライトを割るほどじゃないにしても鞘とか刀がどっかに当たるってことはよくあるんで居合い刀が傷むよね。俺のなんかもう何年も使ってるみたいな雰囲気になってきたもん(笑)買って一ヶ月も経ってないのに刃こぼれと傷だらけっていう。鞘の内部も傷だらけだもんね。納刀するときにガリガリ言う部分があるんだよね。そりゃそうだよなー。無茶な抜き方とか平気でやってるわけだから。普通は居合い刀は高いから凄い貴重品を扱うような動作で練習ってことになるからスローになるのは分かるよなー。功利的な意味で。まぁでもやっぱり振ってナンボですよ。「あー!鞘がー!」とか「傷がつくー!」なんて思ってたらそっちのほうに気が行っちゃって練習どころじゃないわけよ。もう消耗品だと思って酷使するしかない。バトルDJがバトル系のレコード擦りすぎて溝が無くなっちゃったみたいな、そういう良い酷使の仕方って意味ですよね。「あー溝が!」とか「針が駄目になるー!」なんて思ってたらバトル上手くならないでしょう。ミキサーのフェーダー然り。ガリッってナンボの世界ですよ。


それにしても刀が百戦錬磨みたいになってるのは笑えるんだよね(笑)相当な合戦を生き延びたみたいな感じになってる。んでも体にも刀にも無理がかかる動きとかも含めて色々とやってみた結果、ある程度行き着いた必然性みたいなのがあって、そういう意味で刀が血肉化したってのはあるよね。扱いに相当慣れてきた。あと抜刀時の混乱とかも少なくなってきたね。どんな体勢でも最善を尽くすべき抜き方ってのがあって逆にそれがあるからどんな動作でもその原理を守ると綺麗に速く抜けるってことで便利なんだよね。やればやるほど型の偉大さに気がつく。流派は内緒で(笑)


んでもなんか重要なのって腕の動作じゃないんだよね。足とか居合い腰とか左手の鞘引きとか右なんつーのは使うっつーよりかは支えみたいなもんだよね。体で抜いてて右手が利用されて刀が振られてるって感じか。んでもあれだよね、前にも書いたように威力なのか速度なのか?ってことになるとまぁどんな流派の型でもどうするか?ってのはある程度任意になるよね。勢いをつけて抜くのか速く抜くのか?ってところで。んでも勢いをつけると肘の運動ってのが加わっちゃって必然的に遅くなるのとあとは右手を使うんで鞘の中で刀が擦れちゃってパワーが失われてるってのがあるよね。まぁこれは抜き方次第なんだけど右手を使わない抜き方だと鞘の中で刀が擦れることがないんだよね。そんなに技が熟練してなくても驚くほど上手く抜けるようになるんだよね。まぁあれだわ、右手で振るように抜くって方法だとあれだね、刀が短ければ短いほどいいっていう話になるわな。抜きやすいから。んだから2尺とか2尺一寸のやつのほうがいいなんて話になる。んでもこれだと一向に居合いが上手くならないよね。右手で抜く世界ってのは凄く簡単で誰でも出来るから奥が深くないんだよね。やることも大体すぐ出来るようになっちゃってやることがなくなって、あとはもっと勢いをつけて抜こう!っつー世界になって主に筋力の世界になるんだよね。


んでも色々とやってみてこういう世界は興味ないなーと思って。興味あるのは技巧の世界だからね。そういう意味で今の2尺7寸の刀というのは凄く抜き甲斐があるよね。右手だけじゃ抜けないし右手で抜こうとすると引っかかって抜けないってことになるから必然的に左手と体の動作ってのが重要になってくるんで、ある意味、そういう動きが強制されるからある種のギブス的な効果があるなと。逆にやっててどこまで長い刀を抜けるようになるのか?ってのが気になってくる。林崎甚助みたいな3尺3寸みたいな長さの場合どうなるんだ?みたいなね。どう考えても林崎甚助が居合いのルーツなわけで、それを考えると長い刀をどう速く抜くのか?っていうスキルが居合いというか抜刀術ってことになるよね。ましてや林崎甚助は身長が160cmぐらいだったとかでそんな小さい人が3尺3寸の刀を速く抜くなんてとんでもないことなんだよね。だからそもそも右手のみを使うなんていう抜き方は考えられないってことになるよね。使ってる刀が長すぎたから左手と体の動きっつーのはもうセットなんですよっていう。


そう思うと「居合い向き」とされる短い刀を使うっつーのはどういうところから始まったのかな?ってのは興味があるところだよね。んでも今の実感だと体と左手の使い方を覚えると相当長くない限りそんなに不便しないってことにはなってるよね。まぁ納刀がやっぱり難しいけどね。でもまぁなんか刀って長いほうが見栄えはいいですよ。あとやってる感が凄くある。2尺はまずないなーって感じだね。2尺4寸ですらも相当短く感じると思うんだよね。なんかホントに長いやつで始めてよかったなぁーっていうある意味での怪我の功名というやつか。あとなんか他の人がやろうとしても上手く抜けないってなんかかっこよくない?(笑)


腕が長くて長身で脚も長くないと上手く抜けないってまぁなんか自分の体の特権じゃん?脚の長さは一文字腰で脚を開いたときにどのくらい脚が開けるのか?ってことで脚が長いといいんですよ。最近は野太刀を使ってみたくなってるんだよね。野太刀を使う居合いってのもあるんだよね。まぁこれは確実に室内練習不可になるけど。んでも野太刀なんつっても定義上は3尺ぐらいから野太刀ってことになるから実際はあと3寸長くすれば野太刀みたいなもんなんだよね。2尺7寸を使ってるおかげで不可能な話ではないなって気がしていて。小次郎の物干し竿って3尺ぐらいだったって話だよね。振るというよりも体で切りつけるって方法だと圧倒的に長いほうが有利なんだよね。腕を使わない振り方を覚えるとそんなに筋力がいらないってことに気がつくし。剣術のスキルが同じぐらいだとあとは差と言えば刀の長さだってことでそれを聞いた小次郎が長い刀を使うようになったんだよね。子供の頃に聞いて子供の頃から長い刀で稽古してたんだとか。まぁ武蔵に負けちゃいましたけどね。まぁでも市販のだと2尺8寸が限界なんだよね。だからまぁ今の自分が使ってるやつって市販の居合い刀としてはほぼ限界の長さと言えるわけだ。道理で長いわけだ(笑)


なんかでももう注文しちゃったけど2尺4寸の刀を使う理由がなくなっちゃったなぁーって感じだなぁ。まぁでも標準サイズってのはあったほうがいいし経験したいからね。それを経験した上での長い刀の扱い方ってまたポイントが色々と分かるだろうし。まぁでもあれだわ、3尺の刀はマジで欲しいわ。っつって調べたら桁が違う(笑)でも一応居合い刀としてあることはあるんだなと。


あ、んでね、話は変わるんだけど、最近はなんかさ、ゲームにしても映画にしても何かしらの剣術に関わるものを凄くよく分析するようになったんだよねっつーかようはあれですよ、奥さんが妊娠すると世の中に妊婦が多いことに気がつくのと同じ原理ですね。全く目に留めてなかったものが目に入るようになる。あとは軽自動車に変えてから世の中に軽自動車が多いのに気がつくとかね、まぁ剣術はそりゃ帯刀してる人なんかいないからそりゃ普通にしてたら見ないけど映画とかゲームとかの剣に関する動きってすげー見るようになるっつーかっつーかすでに見てたやつを改めて見るとどう思うのか?ってことでさ、いや、当然参考にするとかそんなことじゃなくて単純にどんな動きしてんのかな?とかしてたっけな?ってことで、まぁ見てないやつも含めてだけど映画とか時代劇ばっか見てるんだよね。で、圧倒的に凄いのが昔の時代劇っつーか座頭市と黒澤映画だよね。決まってる動きっつーよりかは動きが自然なんだよね。それで割と早く動くから本当に戦っているような臨場感が生まれてる。


それに比べて現代系の時代劇はアクション自体は凄く洗練されてたりあとはエフェクトとか凄いじゃないですか?カメラワークとかね、あとはワイヤーアクションとか。まぁ比べる対象じゃないのかもしれないけど迫力で言うと圧倒的に座頭市と黒澤映画なんだよね。なんつーか立ち回ってる感っつーのかな?あと決して綺麗だったりかっこよかったりするばかりじゃなくて躓きそうになったり必死でかわしたりとかさ、いや、なんだろうな。映画のるろうに剣心見たんだけどさ、まぁあれって現代的なアクションとかチャンバラの典型じゃん?で、まぁ相当しっかりしてるよね。動きが早いし見事なんだよね。でも座頭市とか黒澤映画の時代劇ってカメラが固定だったりさ、あとはそれで動きを追いかけてるみたいななんつーか実録感っつーのかな?その場を撮りました感が凄いのね。


あ、それで言うとあれなんだよな、仁義なき戦いの圧倒的なバイオレンスってこれだよね。ハンドカメラでその場で撮ったような感じで目の前で人が殺されたり大喧嘩が始まったりしてるんだよね。で、凄く動きが自然なんだよねっつーかまぁようは荒いわけだ。良い意味で。安全な撮影じゃないよね。んでもそのおかげでCGにも特殊効果にもワイヤーにも頼ることなく地の戦いの感じが出てるっつーのかな?まぁ当然俳優さん達とか斬られ役の人たちとかが相当上手いってのはあるんだけどさ、なんかでもあれなんだよね、凄い面白いなと思って。現代技術をどれだけ使いこなしても仁義なき戦いとか座頭市とか黒澤映画の迫力には到底敵わないっていう。


凄くない?アナログな地の俳優たちの演技と体の動きに現代技術が敵わないってことなんだから。まぁあとそれで言うと中国のカンフー映画とかやっぱ凄いよね。なんつーか元が本物じゃないですか?昔の時代劇って本当にガッツリと剣術指導が入ってるっていう感じがするんだよね。まぁ最初に剣術指導誰々って名前が出るからそれで思わされるってのはあるにしてもさ、まぁそりゃ現代のやつにしたってあるんだろうけどやっぱり殺陣オンリーなんだよね。昔のって剣の使い方とか持ち方とかそういう細かいところまで凄く配慮がいってる感じがするんだよね。まぁ逆に表現できるところで表現して勝負ってところだから細部にまでこだわるってことになるんだろうけどまぁ見事に神が宿ってますよね。あれだ、あとそれで言うと銃の撃ち合いとかでも全然違うよね。荒っぽいマカロニウェスタンとか凄いじゃん?あと最近で言えばタランティーノのジャンゴとかさすが映画オタクが作ったウェスタンだなっていう感じで。あとやっぱワイルドバンチだよね。いや、実際に黒澤映画にインスパイアされたウェスタンって多かったわけじゃん?あの戦場の埃っぽい砂っぽい感じの元祖ってのが黒澤明なんだっていう。なんかその揺ぎ無さを改めて感じたよね。七人の侍とか用心棒とか椿三十朗とか相当昔に見てたんだけどようは見方が変わるわけよね。今の俺の見方だとそういう感じになるんだよね。


あとはゲームにしても斬った感があるってやっぱり質感なんですよ。スカイリムがさっぱり斬った感じがなくてダークソウルの斬った感が凄いのって武器のテクスチャとかってのもあるんだけどやっぱり音と動きだよね。実際にそこまで気にしてなくても動きが凝ってるってのは分かるけど改めてこりゃ凄いなと思って。ようは身体表現だもんね。ああいう重そうなものを重く扱ってる動きとか刀とか剣にしてもただ振ってるだけじゃなくて武器自体の重さとか力の入れ方とかの表現が凄いんだよね。それであの凄い良い音ときたもんだからだからなんかダークソウルは独特なんだよね。あとディスクの2枚目を紛失した新鬼武者とかも改めてやってみたんだけどさ、こっちは斬った感じが皆無ですよね。鈍器を振り回しているという感じしかなくて。


まぁカプコン系のDMC系のアクションっつーのはあれはあれで良さはあるんだけどさ、んですげー気になってるのが最新作のDMCバージルの動きね。すげーかっこいいじゃないっすか!!いや、DMCも凄いよね。体の動きが。だからあの爽快感とかかっこよさが生まれてるんだろうね。こういうところはさすがに日本のメーカーは凄いよね。海外のって殴るのは多いけど凝った武器の動きをするゲームってあんまりないもんね。ただでもあれだよな、それこそアサシン系のゲームで動きがシステマとかそんなの出たらヤバそうだね。アサシン系で動きが凝ってるってやっぱ天誅は凄いよね。なんかやっぱり日本だよな。こういうところでは圧倒的に勝ってるよね。あとアメリカとか海外って日本の武術が変な伝わり方してるじゃん?現地で韓国人がやってたり中国人がやってたりしてなんか他のと色々混ざっちゃってる変なオリエンタルな動きになってたりするじゃん?


日本刀でも左手で中国拳法みたいな形を取りつつ斬ってたりするとかさ、忍者の動きとかにしても中国とか色んなのが混ざった独特のやつになってたりするんだよね。現地人は鈍いから分からないけど日本人はすぐ分かるじゃん?なんか微妙に少林寺入ってるなこの動きとかすぐ分かるじゃん?んでも日本のメーカーのやつってそうはならないじゃん?忍者の動きっつったらやっぱ忍者の動きなんですよね。侍然り。いや、こういう動きのディティールで頑張ってほしいよね。インターフェースがそのままほとんどダークソウルでスカイリムみたいな広い世界のゲームやってみたくないっすか?ベタベタな西洋のやつでもいいんだけどやっぱり和製ものをやってみたいよなぁ。これは前から書いてることだけど。


んでもなんか動きって意味だと日本人って目が肥えてるよね。動きに関して良いゲームしかやってきてないんだよね。なんかでもこれって何気に凄いことだなって思ってるんだよね。日本のメーカーが駄目になってきてるっつってもダークソウルとかDMCとか日本製じゃないですか?動きの良いゲームが輸出されてるんだよね。それで言うとバイオなんかもまぁ動きとか凝ってるよね。それで言えばメタルギアなんかもそうか。いや、動きが良いのってほとんど日本製なんですよ。これって凄いことだと思うんですよ。海外のって世界感とかにはすげー凝ってたりするけど動きはそうでもないよねって何気に思ったね。そもそも殴るとか切り倒すとかってのがデフォだからそんなに繊細な動きを必要とされてないんだよね。だからなんか何でも大振りだもんね。そうそう。体術的な技とかいちいち凝ってるのって日本のゲームばっかなんだよね。そもそも日本ってのは剣術っつーバックグラウンドがあるんで当たり前のように文化的リソースをそのまま二次元の世界に使えているわけだけどそんな文化リソースがない国じゃそれっぽくやるとか真似事しか出来ないもんね。あとは詳しく書いたような本が手に入らないとかインストラクターが見つからないとかなんとか。


いや、それがあれなのよ、黒澤映画とかの剣術指導って話に繋がってくるのよ。剣術指導っつーのが映画につくって凄いことだよね。文化リソースを映画に使ってるってことだもん。アメリカとかじゃアクション全般のインストラクターとか殺陣専門とかそういうのばっかでしょ。だから凄く動きが西洋的になるんだよね。まぁそれはるろうに剣心みたいな現代系の時代劇も同じなんだけどさ、んでも昔のやつって構えとかすげーちゃんとしてたりさ、あとは動きとかも西洋っぽい動きをしないよねって当たり前なんだけど。ただ今の人たちは慣れてるじゃん?西洋的な動きがデフォだもんね。だから昔の時代劇の殺陣とか新鮮に見えるかもね。ようは武術っぽい動きってことだね。まぁ時代劇っつっても現代でも硬派なやつもあるから一概には言えないんだけどさ、まぁでも硬派で本格的に見えてもやっぱりどこか西洋的だよね。昔のやつはそもそも西洋的な動きのアクション映画っつーのがなかったら毒されようがないってのはあっただろうね。だから殺陣だなんたっつってベースになるのは剣術なわけだから自ずと動きが武道っぽい動きになっちゃうわけだよね。それがそのままアクションになってるわけだ。これって凄いよな。本当に。まぁこれはカンフー映画も同じなんだけどね。実際のカンフーの達人みたいなのが指導してるから動きがガチになるんだよね。で、あのスピードと迫力が生まれてるっていう。


その国に武術っつーリソースがあるかないか?って凄い差だなと思って。グリーン・デスティニーとか凄いもんなー。しかもチャン・ツィーみたいな普通の女優がすげー殺陣やってるんだもん。ありゃ文化的リソースの成せる技ですよ。んでもなんで中国とか日本とかって独自の体捌きの武道ってのが生まれたんだろうね?西洋にはない動きをするじゃないですか?だから西洋人が大ファンになるんだよね。凄い動きだ!なんつって。まぁ恐らく小柄で西洋人みたいに力任せで何かを振り回すとかが無理だったから体を使うしかなかったっつーのは理由としてあるだろうね。いや、中国の武術も凄いよな。色んな武器の武術があるじゃん?剣術にしても凄いスピードで振るもんね。で、腕を使わないで体を使うんで凄い速さの攻撃が可能になってるっていう。うーん・・・武術は奥深すぎる世界だな。よりハマってしまいそうだ。


刀を使うための体捌きの術という意味での剣術ということだとこれは本当に身体アートそのものだと思うんだよね。素振り1000回みたいな世界じゃなくて体捌きの世界なんでバレエとかダンスとかに近い世界だと思うわけよ。無形文化財ですよね。んでも調べると剣術にしろ居合い術にしろ失伝してるのって多いんだよね。だからまぁ俺はなんつーか徹底的に人を斬るだけの抜刀術みたいな世界感ともう一つ古流の研究ってのがある感じだね。んでも結局、古流というのは実際に使われてた時代の型なんで即実践の合理性を備えているものなので、結果的に古流の研究は人殺しの抜刀にも活きてくるんだよね。だから最近は古流の型も使えないようなのが多いとか思いつつも体の使い方とか特殊な場合の想定の体捌きの練習のための型という考え方に変えてちゃんと練習してるんだよね。真後ろの敵を斬るとか刺すとか、これも最善の動きと攻撃力というのを考えると本当に奥が深いんだよね。いや、考えるっつっても自分が帰依できると思うような流派の体捌きを厳密に守った上で他の流派の型をやってみるってことなんだけどね。だからそういう意味で我流じゃないんですよ。もう我流はトラウマなんで絶対やりません(笑)まだ思い出すだけでショックなんだよね。ある意味での精神的ブラクラだったのかもしれない。なんか慣れてない頃にグロ画像を見てしまったときのショックと似てるな。でもあればかりは耐性をつけようとは思わないんだけど(笑)


あ、んで型なんだけどただクルッと回転するっていう動作が加わるだけでも別世界なんだよね。あとは右を向くとか左を向くとかでも全然世界が違う。最近はこういうところに面白さを感じるようになったな。まぁある程度慣れてきて余裕が出来たから型を楽しめるようになってきたってのはあるかもしれない。そんな矢先にライトを割ったわけですけども(笑)座ってる時に帯刀なんてしてないだろうってその意見は変わらないんだけど、普通なら割とちゃんと抜刀できるって場合でも正座してていきなり敵が右側から斬りつけてきた場合にどう抜くのか?とか、まぁどう抜くかは型そのものを忠実にやる必要はないけど、想定による型が残ってるありがたみというのは凄く感じてるんですよ。そんな中で立ち上がりながら抜刀するとかね、あとは右に起き上がりながら逃げて太刀をかわしながら抜刀するとか、リアル戦想定と考えると「こんなのワークせんだろう」で終わっちゃうけど、こんなときに抜刀する場合は?ってことで色んな抜刀が練習できるんだよね。いや、正座と立ちのみだったらまぁ動きは同じようなもんじゃん?んでも想定での真後ろとか右とか敵が斬りつけてきてるとかこういうのを勝手に想定しても意味がなくて、そこに想定した型が残ってるってことで少なくともそれは参考になるじゃん?抜刀のリファレンスっつーのかな?あとは狭い場所での抜刀とかね。これで言えば納刀とかもやり方が変わってくるんでそういう型が残ってるっつーのは凄くありがたいことなんだなって思ってるんですね。


まぁだからそのあれね、凄い文化的リソースだな!っていろんな意味で感じてるわけですね。分からない状態からでもリソースに練習の手がかりがあるって凄いことなんだよね。逆にほとんど失伝してて想像でやるしかないとかになると変な創作武術みたいになるじゃん?そんな風にならないようにファンダメンタルな部分が残ってる流派もあるって凄いことなんだよね。それをそのまま使うか参照するのかはその人次第だけど古代の動きってのが型を通じて理解できるって凄いよね。実際の侍がどんな動きをしてたか?ってのが分かってるかもしれないわけだから。でもそこでやっぱりあれなんだよね、身体ってことになるんだよね。古武術系の体の使い方ってことになるのね。


まぁそんな感じですね。あとまぁ居合いの利点はあれだね、俺みたいに治らない鬱の人だと日によっては目覚めてからもう全く動きたくないぐらい酷い気持ちのときが多々あるんだけど、とりあえず大変だけど帯を締めて稽古を始めるとだんだんと体が温かくなってきてノッてくるんだよね。で、腹も減ってきて何か食べれるようになるし、カフェインとかでシャキッとするとボーッとしている状態から冷めることができるんだよね。だから気が乗らなくても10分でもいいからとりあえずやるみたいなことが精神衛生上凄く重要だなと思ってるんだよね。だからまぁ鬱病の本とかによく少しでもいいから体を動かすって必ず書いてあるけどまぁそういうことですよね。で、真剣に稽古できるぐらいにまでメンタルが高まってればそれはもうセロトニンとかが完全に出てるってことでしょう。だから研究欲が生まれてくるわけだ。とりあえずランニングするとかってキツいじゃん?


でも俺の居合いの場合は練習にならなくてもとりあえず精神のために体を動かすという健康上の理由があって、んでなおかつノッてくると「居合いを研究しよう」という気になってきて稽古に気合が入ってくるんだよね。それで気合が入りすぎるとライトを割ったりするんである程度気をつけながらもなんつーかまぁこれってすげー精神的に良いんだよね。とりあえず体を動かすだとさ、ランニングの型を練習しよう!とかって思わないじゃん?居合いの場合、即物的にまず体を動かして血行を良くするみたいな体育的な効果がありつつノるぐらい気分が高まってくればそのまま研究にすぐ以降できるんだよね。これが凄いなと思って。ノッってくるともう平気で何時間もやってたりするんだよね。んでも気をつけなきゃいけないのが居合いの体育化ね。体操のためだとかってのが大きくなりすぎると居合いの研究自体が出来なくなっちゃうし駄目な居合いを永遠に続けることになるんだよね。


だからあくまでちゃんとした稽古をするぐらいのモチベーションに高めるための体育ってのがまず毎日の入り口にあるってことだよね。で、気が乗らなくてもまぁちょっと体を動かすってのは健康にいいからいいわけだ。まぁなんかあれなんだよね、家族に血色が良いってこないだ言われたんだよね(笑)普段どんだけ悪いんだって話だけど。まぁ薬とか飲んでるなら余計に血色を良くしないと駄目だよね。鬱病とエクササイズっつー関係性が身にしみて分かってるね。でもまぁただのエクササイズじゃ俺の場合、絶対習慣化しないんだよね。居合いという学問の研究ってのがあるから続けることができるんだよね。思わぬ効果というかなんというか。あとイライラしなくなったかな。っつってもまぁ相変わらず日常という闇との勝負は永遠に続いてますけどね。だからこそそういう闇に飲まれないためにも活動って重要だよね。なんか人間性を維持できるっつーかなんつーか。ダークソウルじゃないけど(笑)日常オンリーだとみんな亡者になっちゃうもんな。だから楽しんだり体を動かしたり頭を使ったりして常に人間性をキープし続ける必要があるんだと思うね。ハンナ・アーレント的な話と似てるね。


昔と違って社会そのものがブラック化してるからこそ増え続ける労働時間と理不尽なんかに抗うためにも人間的な活動の時間って絶対に必要だよね。そうじゃないとみんな亡者になっちゃうからね。ホント、そう思うとワタミのあいつとか人間性を吸い尽くすデーモンだよな。顔がメフィスト顔というのがあるんだけどなんか人間性を吸って生きているっていうイメージにぴったりだよね。いや、身近にもいたんですよ。そういうやつが。本当に金の亡者みたいなやつで。労働に関して脱法行為がしやすいという状況が悪魔の跋扈を許し続けるよね。富国強兵!なんつってみんな武道やってそういうやつらを成敗できるような社会ならいいんだけどそうじゃないんだから法的に罰することができるっていう基盤が無いとやりたい放題だもんな。それが出来ないから私刑みたいなのが妙なリアリティを持つようになっちゃうわけだよね。これは決していいことではないよね。


んでもまぁやっぱり暗殺という概念を否定しないよね。肯定するとなんか今の法律だと捕まっちゃうんでしょ?だからまぁ思想的にグレーにしておくけど(笑)んでもまぁ居合いをやり直してから武道そのものに興味を持って武道の歴史を勉強したりしつつ日本史そのものも勉強したりすると武道というのがいかに自然に暗殺ということに結びついていたか?ってのがよく分かるよね。そういう自然な繋がりこそが日本の古来の思想だったんだよね。今はタブーとされるしGHQがヤバい!と思って規制をしたんだけど、んでも本当に武道って思想ですよね。そういう武道の思想から活人剣みたいな発想も出てくると暗殺なんて当たり前なんだよね。だから幕末は異常だったか?っていうと非常に理にかなっていて日本の風土にも合っている自然なことだったんだってのがよく分かる。今それをやるとテロリスト扱いになるんだけどね。んでも伊藤博文ですらも暗殺の経験があったとされるわけで、日本って歴史から見ると暗殺大国なんだよね。良い暗殺ばかりではなかったにせよただのテロリズムというよりかは武道とか日本の思想そのものっていう深い関係性があったんだなと気がついたんですね。だから余計にハマっているってのはありますよね(笑)


殺伐とした話題だから(笑)を多用しないとね(笑)今から見ると幕末が異常な時代だったと思えるけど、見方を変えると幕末のほうがよっぽどまともな世の中で今のほうがよっぽど酷いなんて思えたりもするんだよね。理由はどうあれ暴力が絶対的に否定されてるって日本の思想の根本的否定だもんね。それをアメリカ人とかが勝手に思うならいいんだけどGHQインフラ以降の日本人はそれがデフォになっちゃってるからヤヴァいのを毛嫌いするようになったじゃん?まぁ良い面もあるけどそれを言い出すと怖い日本の思想の良い面もいっぱいあるんですよ。まぁ伝統だから価値があるとは言わないけど、俺はそういうのは本当に保守するべきものだと思いますよね。上辺だけの平和主義ほど害悪なものはないからね。こういうのがいかに混乱とか戦争を生み出してきたか?ってことじゃん?でもあれだね、今のネトウヨとかじゃないちゃんとしたガチの右翼の人たちとかこの辺はどう考えてるんだろうね?右翼も左翼も直接行動なんて今は全然ないもんね。みんな日和り気味って感じか。なんかまぁ俺の場合は元々思想が好きだし色々と読んでたっつーのもあって武道の思想ってのがすげー自然に入ってくるんだよね。で、凄く自分の毛色にあったものなんだよね。しかも右左とかではなく別にマルクス主義者でも武道の思想には共感できるわけで、イデオロギー臭さが無いんだよね。まぁそういうのをイデオロギー化する右翼思想もあるけど、俺はもっと武道の生の思想の部分が凄く好きになってるんだよね。そういうのも本当に追求していきたいなと思ってるわけで。なんつーか日本の古来の思想としての武道だよね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。