ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

今更じぇじぇじぇ。

いや、ずーっとゲーム漬けなんだけど最近は頻繁に虚しさを感じるようになってきたな。所謂、無双系のゲームに慣れてきたってのもあるし人間の素晴らしい能力の一つである馴化によるものってのもあるんだけどさ、この虚しさって別にゲームをやったから出てくる虚しさじゃないんだよね。あー凄い時間を費やしてしまったけどこの時間が勿体なかったなぁーとは一切思わないのね。それ言い出したら娯楽系全部アウトじゃん?楽しむっていう行為が全部時間の無駄になるっつーのは凄まじく貧しい価値観だと思うわけよ。でもその一方でなんつーかね、虚しさを感じるよね。で、色々と考えるとこれってゲームにハマっている!っていうハイな状態が続いてて虚しさの介在のしようが無かったっつー状態が続いてて、んでそれがだんだん冷めてきてデフォに戻って普通の虚しさを感じるようになった結果、その気分の落差によって虚しさをより虚しく感じるっていうコントラストなんだと思うよね。だから別にゲームが原因ではないんだよね。


でも解決策がないんだよね。ホント。あとよくゲームによる虚しさっつー話題でよくあるのがさ、ゲームで色々と強くなったりしても現実の自分とは全然違うだのなんだのってこれもまぁそう感じる人はいるんだろうけど俺はそういうのはないんだよね。いや、現実とは違うっていう虚しさを感じるって特に最近ではあまちゃんに今更ハマってるんだけどホントにあれは面白いドラマだよね。能年ちゃんが可愛過ぎて死にそうになるけどあれこそ現実とのギャップじゃないですか?美男美女、めちゃめちゃ面白い人に囲まれて色々と葛藤するっていう世界っつーまぁ別にそんな単純な世界じゃなくてあまちゃんってメタ的な要素がすげーウケてると思うんだけど、いや、俺ってドラマ見ないんすよ。あ、そうでもないか。面白いのは見るのか。


んでも現実は・・・っつーと能年ちゃんや橋本愛がいないことが寂しいんじゃなくて恐らく虚しさの原因は錯覚だと思うんだよね。いかにも!って感じのドラマじゃなくて特に朝ドラなんて日常仕立てじゃないですか?で、見ている間はその生活世界に没入している自分がいるわけだよね。でもそこはおとぎの国の世界とかではなくて現実の過疎化している街であったり東京砂漠だったりするんだけど実際はおとぎの世界じゃないですか?っつってもさ、いや、説明が難しいんだけど何なんだろうな?この虚しさは?って思ってたんだよね。ずーっと。で、考えてみるとやっぱり人なんだよね。当然ながらあまちゃんはキャスティングが凄いでしょう。出てくる役者みんな凄い。で、現実はそうじゃないじゃん?(笑)世界っていう枠組みが一緒でも役者によって楽しげな世界ってのが作られるって凄いことだなって思うんだよね。いや、世界は実際に空虚じゃないですか?空虚な芸能界とか空虚なアイドル業界とか過疎化した残念な街とかってのが絡んできてるわけだから現実とのギャップがあるわけじゃないよね。少なくとも世界に関しては。いや、だからやっぱ人だよね。でもまぁあんな愉快な人たちどこにもいないんだよね。まぁいるかもしれないけどいない場合が大半でしょう。まぁでもんじゃあ周りに実際にあまちゃんに出てくるような登場人物がリアルにいたらどうなのか?ってそれはそれでかなりうざいよね(笑)


ゲームとドラマってダブルなんすよね。今。なんか没入すればするほどふと現実を見たときの虚しさってのが凄まじく強烈になるんだよね。感受性が強過ぎると言えば聞こえはいいし、よくもまぁゲームやドラマにそんなに没入できるねって話になるけどまぁそこはいいじゃないですか。そういう感性を持ってるわけだから悪いことだとは思ってませんよ。自分では。んでもまぁそういう感覚があるからこそ虚しさとか楽しい!っつー反動の虚しい!っつーのが凄まじく強くなるってのはあるよね。まぁ分かりやすく言えばディズニーランドの帰りなんですよ。あとは盛り上がった飲み会の帰りとか。俺って完全な引き蘢りに見えるかもしれないけどリア充経験あるしちゃんとした青春時代みたいなのを遅れながらも持てたんだよね。それこそ「あの頃は楽しかった・・・」なんて思える過去があるぐらい。いや、何が言いたいのか?っていうと引きこもってドラマ見てて現実とのギャップに苦しむってただの馬鹿じゃないですか?いや、そう見られがちですからねっつってもいちいちこの解説が面倒なんだよね。完全な引き蘢りとか社会不適応者とかまぁ否定はしないけど意外と普通のリア充系の青年期みたいなのがあったわけね。ようは経験としてそういうのがあるのと無いのとでは大違いじゃん?


その上で虚しいのよね。だからもう凄まじい虚しさだよ。引き蘢りなら未来があるじゃん。経験してないことだらけだから。俺は留学までしちゃってるからなんかタチが悪いよね。別に世界を知ってると豪語するつもりはないけどその辺の人たちよりかはよっぽどインターナショナルな観点とか経験とかそれこそ何十カ国という国の人たちと喋った経験があるわけだ。いや、自慢じゃなくてね、その上で虚しいって助けようが無くないですか?ここで知らない人は場所が悪いんだ!って思って東京にでるべ!って思ったり海外いくべ!って思ったりするんだけどっつーか昔の俺がそうだったけどあれなんすよね、あまちゃんで言うユイだよねっつってもまだ見てる途中なんだけどさ、まぁちょっとユイは色々と事情があり過ぎて例としては良くないんだけど、こんな田舎で終わるつもりはねぇー!っていう感じってあるじゃない?これってそのまま自分はこんなままで終わるつもりはねぇー!ってことになるじゃん?でもまぁ春さんも言ってるように結局は中身なんすよね。自分なんですよね。どこに行こうがあるのは自分と自分の生活じゃないですか?こればかりはもう本当に変わらないんすよ。だってマンハッタンのSOHOでウィンドウショッピングをしつつちょっと気に入ったシャツを買った帰りにお気に入りの本屋で買ったばかりの本をシャレオツなキャッフェーで読んだ後にも同じことを感じてたし同じことを書いてたわけじゃん?(笑)これは別にパリで同じ生活をしてようが変わんないんすよ。


あまちゃん見てて色々と思うことはあるんだよねー。まぁそのままとは言わないがアキにとっての田舎が俺にとってのニューヨークなんだよね。田舎のほうがアキって明るいわけでしょ?っつーか田舎に来てイキイキするようになったわけじゃん?まぁ別に俺はさほど劇的な差はないにしてもやっぱりニューヨークにいる自分のほうが好きだよね。そりゃ。今はだいぶ内面的にも変わっちゃったなぁーと思うわけですよ。いや、これってちょっと複雑だよね。アキの場合、イキイキできる田舎にいれば仕事も生活もあっていい人たちもいるって中でアイドルになるために東京で頑張る!って話じゃん?俺の場合、仕事も生活もあって・・・っつー環境が日本なんですよね。でもイキイキしているのはニューヨークっていう。でもあっちには生活と仕事が無いっていう。これなんですよねぇー。


結局どこに行ってもあるのは自分だからどう生きるか?なんであって環境ってそんなに重要じゃないとは言い切れないけどまぁどう生きるか?ってことを言い出せばなんつーか環境じゃないよねっつーか環境じゃないなってのが分かったわけじゃない?なんかでもなんなんだろうなこの感覚は。アキが田舎を思う気持ちが凄く自分がニューヨークを思う気持ちに重なるんですよねぇー。別にあっちで生まれたわけでも育ったわけでもないのに。ましてや日常的にも決して困らないとは言い切れないぐらいの英語力なんで不便なことが多いはずなのにねぇー。そうそう。これはあっちに居た頃も同じなんだよね。うちのワンコ達に会いたい!とかうちのワンコ達の写真が見れない!ってぐらいホームシックならぬドッグシックにかかってたわけなんだけどどんなに辛くてもホームシックは一度も無かったんすよね。むしろ今がホームシックだもんね。でも別に帰ってどうするのか?ってやることないじゃん?


あとまぁアメリカが予想以上にオワコンですからね。色んな意味で。まぁでもやっぱりマンハッタンに限って言えばエネルギッシュな街でやっぱ好きなんだけどね。そうそう。日常生活でも虚しいけどタイムズスクエアとかで乗り換えをするときに激しいコンガの演奏が聞こえてきたりブレイクダンスを見たりっつーまぁそれがあっちの日常じゃないですか?別に自分から能動的に何かに参加しなくても街自体がエネルギッシュなんだよね。あと上手く行ってない人のほうが多いからこそのし上がってやる!っつーパワーみたいなのが凄いんだよね。悪く言えば弱肉強食の世界ですわ。んでもやっぱ今思うとあれなんだよね、自分の将来とは別に大学とか大学院はどんな感じの世界なのか?ってのが見たかったってのはあるよね。あのまま数学専攻してたらまぁ今頃3回生ぐらいか?っつーか今でも学校からメール来るんだけどね。登録したままだから(笑)


いや、でも数学科にいるって単純に自分が数学で「これってどうなのよ?」って思ったことを先生に聞けるよね。それって今思えば凄いことだったんだな!って思うんですよ。先生が答えられるかどうかはともかくとして、まぁ答えられるぐらいの先生がいるような大学に行ってればいいわけでさ、学校の勉強とは関係なく自分が興味ある数学にしたって学校と関係ないわけじゃないからさ、いや、哲学の授業を取ってたときに迷惑がられてもずーっと授業終わりに先生に無理矢理付き合ってもらって色々と話を聞いてたっつーさ、今ってそれがないじゃないですか?当時はあるのが当然だったけど今は無いもんね。いや、でも哲学はいいんだ。自分で解決できるから。んでも数学はやっぱり「実際どうなんすかね?」っていうことを専門家に聞けるって環境は凄く重要なんだなってことを思うんですよね。


今ってやってても自分が考えていることが数学的にどうなのか?って分からないじゃん?あと「あーそれ系ね、それ系は無駄だよ」ってあっさり言われるとかさ、そういうのも含めて何かしらのコメントがもらえる環境ってすげーいいよなーって思ってて。まぁ予想以上に数学の勉強が続いてて内容が高度になってきた結果そうなったんだけどね。かなり専門的なことになるとやっぱダメよね。まぁ調べればいいんだけどさ、調べて納得してもそれが正しいのか?って分からないもんね。それを考え出すと頭が狂い出すんだよね。脳内フィードバックが起こってハウリング起こしまくり!みたいな感じになっちゃうんだよね。厳密なそれがそれであると言い切れる概念って何なのか?ってことになっちゃうんだよね。で、まぁ哲学的な意味合いはともかくとしてとりあえず実際の数学的にはこうですって言えるような人が居るって凄いことだよね。まぁ質問に親切に答えてくれる良い先生ばかりではないけどさすがに数学が専攻だと何十人と言う数学を教えてる先生と接するわけじゃん?確率論が専門だったり数論が専門だったり代数幾何が専門だったりっつー人たちと何十人と会うんだもんね。「自分でできるからいいや」って思ってたけど最近それの限界を感じ始めてるかな。いや、見失ってはいないんだけどただなんかそのオーソリティーの観点っていうのが知りたいっつーのはあるよね。それを鵜呑みにするかどうかはともかくとしてそこそこの大学の先生がこう言ってたってまぁ言わばギョーカイ人の意見じゃないですか?


あとあれだよね、こうこうこんな風に思うんですけど・・・っつーことを全然ある方面の勉強をしてない俺は数式に起こしたりできないんだよね。だからなんかそういう妄想かもしれん数学のことなんかを数学的にどうなのか?って聞けるとかさ、じぇじぇじぇ!!なこととかあるかもしれないじゃん?数学に関してはじぇじぇじぇが多い方が楽しいし頭が活性化するからね。なんだろうな?コミュニケーションに飢えてるのかもしれないね。やっぱ学術的な話が出来るって凄いことだからね。別にそれは身近に友達がいるとかメル友がいるとかっていう話じゃないんだよね。専門の話が出来る人ってのは別じゃん?そんなわけで主に数学という意味で今更ながら大学にいることの重要性を痛感してるんだよね。まぁでも正直、日本の大学に通う気にはなれないんでやっぱニューヨークってことになるとやっぱ無い物ねだりですよね。一応コミカレからの転入先はハンターカレッジがシティカレッジだったんだけどね。まぁ両方ともまぁまぁのところですよねっつっても現実的に考えてたかが数学のためにあっちでの生活費と学費と雑費を払うってすんげー出費だよね。よくもまぁ留学なんてしてたなって今は思えますよね(笑)


まぁそれで将来的に仕事があればいいけど凄まじい競争ときたもんだからやっぱ金銭的な余裕が無いと無理だね。まぁそこで競争に身を置くことで頑張る!っていうそれこそアキにとっての東京じゃないけどさ(笑)そういう意味での環境からの刺激ってのは悪いもんじゃないよね。でもまぁこういうことを書いたところで全部言い訳と甘えですよね。まぁ実際のアイドルとして売り出す政治力とかは別として、例えば単純な歌唱力とダンスって意味だとまぁ別に自分でも出来るじゃん?ひたすら練習するとかさ、まぁそれでもあれか、さすがにまぁやっぱこういう世界だと先生が必要か。まぁでも別に先生はたまに話を聞きにいくぐらいでいいぐらいの人にとってはほとんどのことは自分でやるわけだから場所がどこだろうが関係ないんだよね。まぁそれがあっちにいて分かったことだしそれは今でも変わらんのよね。だからまぁ自分でやればいいわけで別にニューヨークにいる必要はないんだよね。まぁでもシコシコと独学でやりながらニューヨークで生活するってなんかバイブレーションが合うんですよね。やってることと場所ってのが凄く合ってるっていう感じがあって、そこに俺はやっぱ「ここだ!」ってのを感じてたんだよね。


んでもその反面、そもそも数学のことばっか考えてたら卑近な生活世界のことなんかあんまり問題にならないじゃんって話も一方であるんですよね。エキサイティングな街で生活しつつ数学に没入ってまぁやっぱ理想だけど数学に没入すること自体は場所を選ばないっすからね。だから場を求めるということと矛盾するんだよね。むしろ場を求めるってところが自分の実力不足とかを表してるってことにもなるしそういう場にいればやる気も出るだろう的な甘えもあるよね。強い意志があれば凄まじくモチベーションが下がるような環境でも続けられるはずだもんね。別に今そんなにモチベーションが下がる環境にいるわけじゃないんだけど、ただなんかそろそろ誰かと話したくなってくるっつーのはあるよね。数学の話を先生としたいっつーそういうのがある。


あと「こんな本買ったんですけどいきなりですけどここなんすけどこれってどういう意味なんすか?」って無礼を承知でガンガンいけば何でも聞けるからねっつーかむしろアメリカの場合、そういうガンガン前に出て行くってのが無いとやってけないからね。まぁだからあれなんだよね、授業を遮ってまで生徒が質問するのがアメリカの学校ってよく言われるけどまぁ実際そうなんだよね。俺は度胸をつけるためにあえて質問してたんだけどね。リアルにプレゼンとかやらなきゃいけないし緊張する場で英語を話すっつートレーニングをしなきゃいけないから恥をかくのを承知で色々と質問したりしてたんだけどまぁそれってすげーストレスで労力なんだけど無駄じゃないじゃん?将来に繋がってるんだ!っていうなんかこう希望っつーのかなぁ?そういうのがあったよね。


今はずーっと一人だから正直寂しいんよ。ホントに。それは話し相手がいないってことじゃなくてってまぁ話し相手もいないんだけどそれは問題じゃなくてやっぱり数学の話っつーかまぁようは数学の質問をしたいっつーかまぁようはアメリカでの学生の身分っていいよなぁーって思っちゃってるんだよね。別に話したくないときは誰とも話さなくていいし、でも聞きたいときはいきなりすげー先生に質問するとかさ、まぁ授業と関係ないことは授業中じゃなくて授業の後にするんだけどねってまぁそれはあっちにいたころに色々と書いてたんで実際にやってたっつーのを知ってる人もいるとは思うんだけどまぁ何が言いたいのか?っていうと当たり前のように数学科の先生に数学の質問を出来るということの特権ね。これは凄いことだなと思うわけよ。


んでも当時は全然知識が無かったからする質問なんて限られてたけど今は色々とやったおかげで聞きたいことが山ほどあるんだよね。かといっても別に先生に聞かなきゃいけないようなことでもない。別に自分で調べてるし基本は調べるっつーのはそりゃ自分でやってたらそうなるんだけど、ただなんか数学を介したコミュニケーションっつーのかね?数学の話をしつつ雑談とかさ、なんかそういうのが懐かしく思えてきちゃって。まぁ当たり前にあったもんって無くなるとその重要さに気がつくっていうけど本当にそれやね。あとニューヨークの数学業界はローカルだから大体色んな分野で知人ができるっつってたね。なんかまぁ当時学校通ってた頃に先生とロジックの話になってて、んで「modal logicを専門にやってる知り合いがいるから今度聞いてみるよ」みたいな会話とか普通にあったんだよねって当たり前だったんだけどさ、いや、今はそうじゃないからそんなんだったんだ!って思うわけよ。なんかそういう感じがあまちゃんを見てて色々と感じるところがあるわけね。だからまぁこんなことを色々と書いてるわけだけども。


まぁそれにしてもあれだ、あまちゃんについて書くと色々とあるんだけどやっぱり音楽だよな。大友さんがやってるって全然知らなくてさ、んでまぁそれで世間的に大ヒットしてるっつーんだから事件ですよね。それこそ世界的に灰野敬二とかジョンゾーンとか高柳昌行とかさ、そういう世界の人じゃない?っつってもまぁアングラな人たちと比べればメジャーな仕事が多い人だけどやっぱりバリバリアングラ畑の人じゃん?それがこんな形で大ヒットしてるって事件ですよね。しかも劇中の歌なんかは80年代の歌謡曲に精通しているという理由でSachiko Mさんが作曲に参加してたりとかさ、ノイズとか音響とか聞いてる人が何気なくやってる朝ドラで「大友良英Sachiko M」って見たらまず想像するのはノイズかサイレント系のデュオですよね。えー!!どういう音楽なの??ってそりゃー気になりますよ。で、箱を開けてみたら色々なエピソードがあって・・・っていうまぁアングラ界の大事件ですよね。あと中には本人はあまり良く思わないかもしれないけどやっぱりこれぞ大友!って言いたくなっちゃうようなギターノイズが大々的に入ってる曲とかあるのよ。まぁあと基本やっぱジャズだよねっつーかあと音色の選び方とかもやっぱ普通のドラマの音楽とはえらい違いだよね。あとあれ田舎に帰ろうだっけ?ビートが808だったりとか(笑)


普通に見る人は違和感無く見れるんだけどアングラなものを知ってる人にとってはこのギャップがたまらなく面白いと思うんだよね。まぁ俺もそういうのにも感動したわけなんですけどね。あとあまちゃんのテーマなんかもやっぱカットアップだよね。ジョンゾーンのNaked City的な生演奏でのコラージュだよねっつっても形はコラージュ感を出していなくてちゃんとした朝ドラのオープニングっぽくなってるんだけど実はめちゃめちゃコラージュとカットアップの嵐っていう凄いことになってますよね。ましてや大友さんって震災のこととかあってまぁ長くなるけど色々ある中でさ、寂れた地方都市っていうのがテーマになったドラマで音楽が大ヒットするとかさ、現実における神展開だよね。


なんか偶然とは言い切れないような必然性を感じるというかなんというか。あとさ、本人がまずキョンキョンの大ファンなのよ。それこそ今の俺が能年ちゃんとか橋本愛に憧れてるっていうぐらいのレベルの雲の上の人っていう存在だったわけよ。風花っつー映画でキョンキョン主演の映画のサントラを担当ってことでまぁ2001年ぐらいに能年ちゃんレベルの憧れの人だった人と仕事で関われることができるなんて!ってことだったんだけど今回では一緒に作曲とかしてますからね。未来の俺が能年ちゃんと作曲してるような夢物語よ(笑)っつってもまぁ大友さんは実力によってそういう神展開を成し遂げたわけでやっぱ凄いよね。大友さん。巡り合わせってのを見事に自分でチューニングしてつかみ取ってる感じがする。さすが普段から音っつー波動のチューニングに神経を注いでいるだけあって波動のチューニング自体に天才的な才能があるんだと思うよね。まぁでもやっぱり才能だけあってもダメで意志が無いとダメで、かといっても意志だけあればいいのか?っていうとそういうことでもないっていうね。


いやさ、大友さんのギターノイズと憧れの能年ちゃんとか橋本愛と繋がってる!とか凄いことなのよ(笑)現実にこんなことが起こるのか!っていうね、そんな面白いハプニングっつーかなんつーか。最初に現実とのギャップってことを色々とまぁ虚構と現実みたいな話をしながら色々書いてたけどあまちゃんが面白いのは内容では「実際の俺の生活はつまらねぇーよなぁー」っていうまぁ恐らく誰でも感じるであろうドラマと現実のギャップってのはあるんだけどただそのあまちゃんの制作サイドでの意味論ってのがあってそれって現実ありきの意味論じゃないですか?まぁあまちゃん自体はメタ的なナラティブによって成立してるっつーのはあるんだけど、そのメタ的なナラティブがそのまま現実世界にフィードバックしてくるっていうところが面白いんだよね。確かにドラマと比べて自分の生活はつまらないがでもドラマと現実世界の物語ではない制作レベルでの関係性という部分においては超越的なものを感じざるを得ないような何かってのを喚起させるんだよね。


で、色々とニューヨークが故郷だとかなんだとかって書いたけどやっぱり自分の中での震災後の日本っていうコンテキストは揺るぎないよね。それありきでのあまちゃんでの感動とか没入なわけで。あとあれだよね、多分普通の人は大友さんとか知らないと思うんだけどさ、アングラ業界の話で言えば事件みたいなことなんだけど、かといってもそういうセンセーショナルなこととかギャップが受けたなんてことじゃなくて普通にキャッチーなテーマ曲とか印象的な劇中歌ってことで大友さんの楽曲がヒットしてるってのが良いんだよね。まぁアングラ界の事件なんてアングラ界の人しか分からないじゃん?まぁでもそのアングラ界から見てもあんな尖った音楽をやってきた人の楽曲がこんな形で世の中でヒットするなんて!っていう面白さがあるんだよね。かといっても完全にあまちゃん用に迎合した形ではなく大友テイストで打ち出してるっていう凄さがあるんだよね。そこがまた面白いわけ。ましてやあまちゃんの劇中で商業音楽への批判とかユーモアに描かれてるじゃん?もっと普通に良いのを作ってそれで売れよ!っていうさ、ハルさんが太巻さんに言うじゃないですか?


で、そんな劇の音楽をやっているのが長年妥協せずに自分の感覚で良いのを作ってそれを発表し続けてきた人がやってるっていうのがもう最高なのよね。より現実への批判性みたいなのが強まってるっていうかなんていうか。で、暦の上ではディセンバーっていうメタ的なアイドル曲もそれはそれとして普通にキャッチーな曲としてウケてるってのがまた面白いよねっつーか面白いことだらけなんだよね。どこまでが狙いでどこまでが偶然なのかが線引きできないスリリングな感じがあるんだよね。そういうスリリングな駆け引きが当然劇中にも存在してて、でも実際は音楽の面ではもっと存在してるっていうさ、そういうところだらけなのよ。あまちゃんは。まぁそういうの抜きでも普通に面白いドラマなんだけどね。逆にそういうメタ的ナラティブだとか現実と虚構との関係性とかってのばっかりに焦点を当てるとゴダールみたいなつまらない映画とかができるわけで、凄いのはまずエンタメとして超一流品じゃないですか?その上でメタ的ナラティブとか音楽と現実の関係性とか80年代のサブカルチャーとかさ、まぁある意味でマトリックス的なのかな?線形なのもあれば非線形な偶然の産物ってのも多くあるっていうドラマ自体が一種のフリージャズなんだよね。役者と鑑賞者と制作者がそれぞれの主観と客観を持ちつつドラマでジャムしてる感じね。なんつーか鑑賞者に対してオープンなジャムなんだよね。


で、鑑賞者にとってはアングラ的な事件だ!と思えるようなところもあり、震災後の日本という大きな意味論に置いても意味を持つものであったり、でも押し付けがましくないじゃん?そこがなんかフリーっつーかジャムしてる感じなんだよね。だから分かる人には分かる世界とかっていうそんな狭い世界になってないしっつーかこういうのは下手すればサブカルオタクが作ったドラマみたいに成り果てるんだけどそこがまたなんつーかな、舞台系の俳優をメインにキャスティングしてなおかつリアルな元アイドルのキョンキョンとか薬師丸ひろ子をまた上手い役割に仕立て上げながら松田優作の息子と薬師丸ひろ子が何気に共演してるとかさ、とにかく面白いっすよね。これもようはなんかジャム感なんだよね。別に分からなくても全然物語の理解に支障をきたさないんだけど分かってるとより面白いのね。


で、俺がさっき書いた大友さんのギターノイズって意味だと能年ちゃんや橋本愛が演じてるっつー画面の後ろでマッシュアップとかではない正式なサントラとしてギターノイズが鳴ってる!っつーのがもう大事件なんすよ!まさかこの構図が現実でありえたとは!っていうことですよね。っつっても別にかわいい子を演じさせてアングラなサントラを入れてドラマ作るなんて誰でも出来るけどそういうことじゃないじゃん?あくまで朝ドラなんすよね。そんな中で面白いジャムセッションが繰り広げられてるっていう感じなんだよね。長回しが多かったっつーのもなんかそういうライブ感を意識してのことだと思うんだよね。すげー緊張感じゃん?実際。フリージャズの緊張感とすげー似てるよね。で、実際に後ろで流れるのがフリージャズっぽかったりもするわけじゃん?とにかく面白いっすよね。


手法とか作り方であればこれが特に凄まじく斬新!というわけではないんだよね。でもまぁとにかく上手くいったな!って感じなんだよね。そういうグルーヴ感があるっつーかなんつーか。まぁでもあれですよね、副産物としては能年ちゃんのマコーレ・カルキン状態っつーかなんつーか、マイケル・ジェイ・フォックスにおけるマーティーとかっていうことになっちゃったから将来大変だよね。橋本愛は女優としての力量を本当に見せつけてくれたな!ってことになると思うんだけど能年ちゃんはめちゃめちゃキレてた頃のチャーリー・パーカーみたいなグルーヴ感でやってるじゃん?それでいいしそれがいいんだけど次は大変だよね。どうしても見る側が比べちゃうからね。


まぁそんな感じで「比べる」繋がりでだいぶ前に大友さんのノイズギターをコピーしたやつってのがありましてっつってもこれがもう3年も前っつーんだから時の流れにただひたすた唖然とするのみですよね。いやーギターに凝ってた時は面白かったなぁー。帰国後の2年間は凄い濃密だったんよね。ギターにマッシュアップに。マッシュアップと言えばきゃりーぱみゅぱみゅマッシュアップがなぜか今更ジャスラックから削除要請があって消されたんだよね。ぱみゅぱみゅは踊ってみたとかリミックスとか色々と寛大なイメージがあったけどまぁポリシーが変わるとホント分からないですからね。んでもなんで今更ジャスラックからきたのかがさっぱり分からないね。だったら他にもマッシュアップ腐るほどあるじゃないですか?っていう。まぁあるからいいってわけではないんだろうけどさ、何が言いたいのか?っていうと全くこの削除とかブロックとかが予測可能ではないってことね。大丈夫だったやつがいきなり消されたりとか厳しかったやつがいきなり緩くなったりだとか。まぁでもこういうのはあれですよ、1からは何も作れない人間の悲しい宿命ですよね。そんな宿命を背負った男のギターによる心の叫びを聞いてあげてください。もちろん爆音注意で(笑)


http://mushroom.cage.to/mix/abe.mp3


http://mushroom.cage.to/mix/abe2.mp3


http://mushroom.cage.to/mix/abe3.mp3


http://mushroom.cage.to/mix/abe4.mp3


http://mushroom.cage.to/mix/abe5.mp3




↑この動画が原曲。っつーか興味持った人は大友さんの動画とか見てみてくださいな。あまちゃんの音楽の人ってこんな音楽やってんの!じぇじぇじぇ!ってなることうけあいです。


ちなみにこのギターやってみたシリーズは2010年の12月ぐらいに頻繁にやってたね。死ぬほど凝ってたなぁー。本当に。スタジオで録音するっつって結局出不精過ぎてやってないままだな。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20101220


ってことでんじゃまた。



あとあんま大友さん=ノイズの人っつーイメージで語るのが嫌なんで書くけど、元々はっつーかこのギターノイズをやってたぐらいのころはギターをノイズジェネレーターとして使ってて、んでだいぶ後になってとあるミュージシャンだかに「ちゃんとギター弾いてみたら?」と言われてそれからちゃんと弾くようになってまたそれから色々と長い中で変化があって今の大友さんがあるっていう、こういう大友良英の歴史っていう観点から見るとドラマティックなんですよ。ノイズ系は一時期の傾倒だったんだよね。それで言えば変な話、元々曲を作曲するようなタイプの人ではなかったからね。まぁとりあえず百聞は一見に如かずってことで色々と調べたり聞いてみたりしてみてください。


PS


あとバイオリンを使って録音したやつが同じく3年前ぐらいのやつなんだけどサーバーに残ってたんで聞いてみて。


http://mushroom.cage.to/mix/violin_and_e-bow.mp3


http://mushroom.cage.to/mix/violin_and_echo.mp3