ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

何をやりたいのか分からないっていう。

いやージャスラックどうなるんでしょうねー?でもそんなビッグニュースじゃないっつーのが多くの人が音楽に興味を持ってないってことでオワコンの世界で何が起ころうがあんま興味無い的な感じっすね。それにしてもあれですよ、ユーチューブなんすけどね、すげー早く返事が来てたのに全然来なくなったんすよ。で、こないだ色々と書いたじゃないですか?よく考えてみたらめちゃめちゃ危ないじゃん?色んな意味でってことでさ、それをそのまま書いたんだよね。メールに。まぁ当たり前だよね。色々と書いたけど異議申し立てに関してはやっぱあれよ、正体が全く不明な団体やら個人に個人情報が一方的にいっちゃうなんてどうなのよ?ってことなんだけどさ、なんかもう来ないんすよね。メールが。不便なのがユーチューブにアクセスするときに例えばチャンネルのページとか見たい時にさ、いや、自分のじゃなくて他の人のやつね、相変わらず「同意しろ」と言わんばかりに著作権侵害ですっつー画面が表示されんのよね。なんかいちいち表示されるんでムカつくんだよねっつーかまぁログオフすればいいだけなんだけど。まぁでもあれかな、潮時っつーかもうネタ切れだしやりたいこともやり尽くしたんでいいかなって感じやね。あとパフュームとかぱみゅぱみゅとかがまたブロックされるようになったんで新作が結構あるんだけどアップできないんだよね。だからもうなんかやりようがないっつーかなんつーか。


じゃあまたミックス作ろうかな?とか思ったんだけどやる気でないね。いや、あんだけ作ってりゃ当たり前だ。んでもマッシュアップとミックスってライフワークだったからこれらが無くなるって寂しいっつっちゃー寂しいっすよね。作ってるときが一番楽しいわけだから。で、ゲームもさすがに飽きたわけですよ。無双系はもう飽きたね。まぁあんだけやってりゃー当たり前なんだけど。いや、んで戦国無双2を死ぬほどやったんだけどさ、あとorochiね、んでも三国無双はイマイチハマれないっつーかやっぱ感情移入できないんだよね。三国に比べて世界観がそんなに好きなわけじゃないんでさ、ようはあれってフォーマットだもんね。無双っつー世界で中身が三国なのか戦国なのか西洋なのかってことでまぁやることは同じじゃないっすか?


で、戦国無双は熱いよね。歴史に忠実ではないにしてもドラマティックな描写ってのが凄く良くてさ、なんかやりがいあるよね。ムービーのクオリティたけぇーし。戦国無双3ってPS3で出てるんだよね。いや、PS3買っちゃおうかな?と思って調べたらめちゃめちゃ安くなってたね。いや、あんなんで買えるのか。んでもなんかそこまでやりたいゲームがあるわけじゃないんだよね。いや、無双シリーズなんて内容同じじゃないっすか?あとまぁ侍道の3とかか。まぁこれもようは同じもんだもんね。なんか明らかに勢い無いよね。まぁハードが進化して開発費がかさみ過ぎっつーのがあるんでメーカーを責めてばかりもいられないんだけども。


まぁそんな感じで生活が詰むようになりましたね(笑)思えば先月のあまちゃん無双シリーズの組み合わせが最強だったなと。毎日それで楽しい!みたいな、子供の夏休みかよ!的な感じでしたからね、なんか今はもうホントつまらんっすわ。もう何をしていったらいいのか分からない・・・って途方に暮れるぐらいつまらない。だから結局、数学ぐらいしかないってことで数学に戻るんだよね。やりたい!っつーよりかはせいぜい楽しいと思えることはこれぐらいしかないっつー消極的な理由だよね。まぁそんな感じで2ヶ月ぐらい遠ざかってた数学に戻ってきたわけだけどね、あ、あと右翼とかの思想系も飽きたっつーかまぁ結局あれも詰むわけよ。まぁ読んだからっつってどうなるわけじゃないっつーかさ、まぁそんなこと言うのはあれなんだけど、結局まぁ色々と端折ると直接行動あるのみ!ってことになるのよ。思想だなんだっつってごにょごにょやっててもしゃーないっつー。だからまぁ危ないっすよね。実際に凄まじい共感を覚えるからこそ危ないなって思うわけね。危ないからダメなわけじゃないんだけど、ただまぁああいうのに耽溺してたらダメだなっていう感じはありますわな。あとまぁ右翼的な何かに現実の世界で処方箋的なものを出せるのか?っていうとまぁ無理ね。自分の中では色々と学べたし無駄ではないんだけどまぁ世の中は酷いじゃないっすか?


結局なんか思想って伝達しないといけないと思うんだけど受け取る人ってのも常に少数なんだよね。昔は多かったとかそんなんじゃない。そういう絶対数が決まってるんだったらまぁいつもの話になるけど社会変革がどうのとか大きい話にはならないよね。まぁスピリッツは必要なんだけどさ、なんかでもあれなんすよね、人間類型的に考えると思想とかに凄まじいパワーを費やせるっつーかあとまぁ共感するとかって右翼も左翼もまぁよくも悪くもアウトローっつーか普通の人じゃないよね。普通の人じゃないからこそ出来ないことを成し遂げられたっつーのはあるにせよほんの一握りの人たちじゃん?まぁ何かを成し遂げられた人って偉大だと思うけどその背後には腐るほど成し遂げられない人がいるわけでさ、んでもそういう成し遂げられない人たちも類型的には一緒だったりするから社会に馴染めないような人たちばっかなんだよね。まぁ馴染めるような人だったら思想に耽溺しないだろうってのはあるんだけどさ。なんかこういう構図って普遍じゃないですか?中身はともかく山本太郎なんかも同じ類型ですよね。


で、今が昔と大きく違うのは「違う人たち」の物語が無いってことね。まぁ物語とか幻想が凄まじく消えてるってニヒリズムとかシニシズムの原因になってるんだけどさ、いや、なんかあれじゃん?いかにもバブル世代みたいなライターが「今の若者は何も欲さない、さとり世代みたいな人たちが増えている」みたいなこと書いてたりするじゃないっすか?これってあれなんすよ、物語とか幻想の消失も大きく関係してるわけよ。ヴェブレン的な見せびらかしの消費とかしなくなったっつーのもリアルに金が無いっつーのもあるけどかつてあったブランドもんとか高いものの物語が無いからだよね。


ようは幻想が無いからもう意味ないんだよね。だったら別に自分の好きなデザインで手に入りやすいものを選ぶってのがpreferenceによって当たり前に選ばれるわけだから自ずとファストファッション的なものとかシンプルで使いやすいものを買うようになるに決まってるわな。んでもあれだよね、見せびらかし消費が無くなった結果、モノが売れなくなったってまぁあれじゃんね、人間が賢くなったってだけだよね。あとまぁネットの普及のおかげで情報が手に入りやすくなったからくだらない広告の戦略とかがワークしなくなったりみんな騙されなくなったってことだよね。結果まぁ必要なものしか買わなくなったってことでまぁ別にこれが普通っつーかなんつーか今思えば90年代半ばとかまだまだ余裕でバブルだよね。よくもまぁあんなに色々と売れてたよなーっていうさ、んでも今思い返すと別にそんなに大したものが売れてたわけじゃないっつー。


あとまぁ電化製品とかにしても壊れないわけじゃん?買い替える必要がないもんね。別にこれってさとりとかではなくて現実への適応ですよね。あとまぁ恋愛をあんまりしなくなったっつーのも幻想の崩壊じゃないですか?何かあるんだろうって思いがちだけど実際は何も無いっつーのが分かりやすくなっちゃった。まぁようは費用対効果が悪いってことだよね。そう思うと何もかも無駄だらけなんすよ。だから必要なもんだけ持って身軽な金のかからない生活をしたほうがいいってなるに決まってるよね。んでもまぁその結果、無駄がなくなったおかげで日々がつまらなくなってるってのはあると思うけどね。別に俺は合コンとか行ってたわけじゃないけどさ、いや、必要なものってだけで考えると欲しいの無いのよね。あとはかつて欲しかったものをコツコツと買い続けて買っちゃったっつーのもあるしね。まぁようは大人買い的なこととかね。んだからまぁ欲しいのもないんだよねぇ。欲望が無いって本当につまらないね。


あとさ、前はアカデミックな世界に殴り込みをかける!みたいな夢があったわけじゃん?英語にしても数学にしてもやってても何らかの形で将来のことと結びつくかもしれないからっつー理由でやりがいがあったっていうかある種の実学的な面があったんだよね。でも今って完全にそれが無いからね。だからもう動機付けとしてはもう完全に内発性のものだけだよね。まぁ別にそれでいいんだけどなんだろうね、この寂しさは?っていう(笑)あ、んで数学の話をするとさ、またあれなのよね、ゲーデル関係の本を読んでたりなんかするんだけどそんな中でcomputabilityというかcomputationっつーのが凄くキーワードになってるんだよね。もちろん結局は哲学的な動機付けなんだけど、まぁあれだわ、よくある話で脳内で起こっていることは計算なのかどうなのか?ってことだよね。


いや、脳だってデジタルコンピューターみたいなもんでしょって考えるのといや、そんなんじゃないでしょうって考えるのとっつーかさ、いや、これが実はゲーデル系の議論と密接に繋がってるんだよね。あとはチューリングとかもね。んでもまぁいつも書いてるけど人間って計算以外で計算的なものを計算してたり知覚してたり考えてたりするじゃん?それこそ抽象化するなんつーのは最たるもんだよね。いや、抽象化もようはclassificationっつープロセスなのか?っていってもようは論理的な計算じゃないじゃないっすか?むしろ論理の推移性みたいなので考えることなんてあんまないんじゃないの?っていう。いや、推移性のみで考えてたら人間は相当馬鹿でしょう。いや、なんでもロジカルに考えるっつーかロジカルなのはいいんだけど何でもロジックで考える人って賢そうに見えて馬鹿じゃん?AからB的な発想でしか考えられなくてもっと人間的な思考ってのが色々と介在してるのに全ては論理であるとか計算であるっつー考えからそういう考えが正しいと思い込んでるっていうさ、まぁ退化ですよね。分析哲学とかやってるやつらに多いんだけど。


なんかそういう嫌な論理主義みたいなのに対しての強いアンチテーゼでもあるんだよね。計算以外のところで計算に繋がるようなことが行われているっていうさ、で、数学的能力を持ってる人とか鍛えた人はそういうところで数学をやってるんだよね。だから今は分からないことも色々と分かるようになる場合もあるわけだ。まぁなんかそこですよね。そのロマンね。それしか生きる動機付けがないよね。だから数学しかないみたいな感じになるわけ。で、話を戻すとさ、無駄な消費が無くなって必要な消費しかされなくなった社会っつーのってさ、ようはこれってまぁ進歩じゃないですか?んでもこれによって不況だなんだっつーのも思えば元々がバブル経済だったみたいな感じですよね。さっき書いた見せびらかし消費とかありえないぐらい高い意味が無いものを買ったりとか、そもそも原理的におかしいものが売れてたりして、そういう剰余の部分による産業が多かったっつーんであれば今は淘汰の時代じゃないっすか?


音楽業界もそうじゃん?俺もそうだし音楽ファンもそうだと思うけどあんま音楽を聴かなくなったっつって別に感性が鈍化したわけじゃないのよ。好きな音楽は相変わらず好きだし今でも聴いたりするけど昔みたいにどんどんシーンが変わっていって音楽が進化していくとか面白くなっていくみたいなことが無くなってあんま興味なくなったとか、リリースされるものにあんまり興味を持てなくなったとかさ、そういうことじゃん?あとはまぁあれだよね、詐欺みたいなコンピとかあったわけじゃん?今も出てるけどベストオブハウス!なんつって実際は3人ぐらいのエンジニアが色んな名前を使い分けて適当なハウスを作ってコンピにしてるみたいなさ、そういうのって今はもう通じないじゃん?


仮に出てても試聴できるからすぐにクズだなって分かるんだよね。そんなもんが売れるわけ無いんだけどかつてはジャケに騙されたりして売れてたりもしたのよね。ボックスセット!なんつって豪華さを出して中身は糞とかさ、そんなの多かったもんね。なんかそういう化けの皮が剥がれたんだよね。それで売れなくなったと言われてもねぇー・・・それってまぁかつてのブランドものと一緒で売れてたのがそもそもおかしかったってことじゃん?今は健全っすよね。あとリアルに金が無いから買えないのもあるっつっても金があったところで物語が崩壊してるから金の使い道がないっつーのもあるよね。見せびらかし消費とか効果ないし必要なものだけで足りるっつー感覚を知っちゃった場合、何もかもが無駄に思えてくるでしょう。これって別にさとりってほど高尚なもんじゃないよね。ただのサバイブ術ですよね。まぁ金はあったらあったに越したことはないけどさ、んでも仮にそれでリタイアとかしてもやることないじゃん?だから人生はただの暇つぶしになるんだよね。


あとまぁあれだ、幻想の崩壊で言うと海外幻想だよね。俺なんかの世代が最後なんじゃないのかな?海外に幻想を持てたっつーのは。あとアメリカの酷い没落なんかも無かったからねぇ。まぁでもこれもいつも書くように経験するのとしないのとでは大違いだからとりあえず海外に出るっつー経験はしたほうがいいっつーのは間違いないよね。んーでもあれか、幻想ありきだよなー。これも。韓国なんかではとりあえずあれでしょ、留学してましたってことだけでハクがつくから借金を背負ってでも留学するって人たちが多いんだよねっつっても今は海外移住のほうが多いみたいだけど。


んでもなんかあれじゃんね、下手に海外行ってたやつなんて海外のカルチャーに染まってたりして日本の会社みたいなところでは使い辛いとかさ、なんかまぁそういう現実とかもあるわけですよね。まぁそういう話はいいか。ちょっとややこしいから。ようはあれですよね、海外に行かないと勉強できないってことがあんまり無くなったわけよね。いや、哲学なんかにしても海外に行くのにすんげー金がかかったのにわざわざハイデガーの講義を聴くためにドイツに行ったりとかさ、数学然りなんだけど、今ってそんなのないもんね。それどころかオンラインレクチャーが充実し過ぎだよね。イントロダクション的なコースだったら大抵のもんがあるでしょう。しかもオンラインレクチャーみたいなのを提供してる大学って大抵あれなんよね、一流大学なんだよね。だからまぁ質が高い場合が多いんだよね。まぁーでもかなりアドバンスなレクチャーなんかもあったりするよね。英語が出来ればとりあえず学問やりたい放題でしょう。


なんかまぁそんなわけでさ、オンラインが充実し過ぎてるんだよね。まぁ別にそれはいいんだけどさ、いや、どうなのかな?オンラインが充実してるからオフラインが糞に見えてくるのかさ、そういう対比なのかなんなのか分からないけどさ、ただなんかホントにつまらないんだよねぇー。イメージ的にバリバリアメリカの大学でやるぞ!って思ってたことが自分でも出来るってさ、場を選ばないってそういうことですよね。しかも全然金がかからない。これだと俺が過去にやろうとしてたことは一体なんだったのか?ってことになるわけでさ(笑)まぁ別に留学は経験としてよかったんだけどなんかでも理想像ではやっぱアメリカの大学でバリバリ勉強してるっていうのがあるんだよね。今は一人でやってますけどね、まぁまた環境があれじゃないですか?まぁ家業をやりながらなんでイメージ的にあれだわな、深夜警備員が詰め所で数学やってる感じか。いや、それでやれてるならなによりじゃないですかって言われてもなんか違うんだよなぁー(笑)やっぱり大学幻想ってのがあるんだろうな。俺は。別に実際に通ってて幻想が打ち砕かれてるってのはあるのにまだ幻想を持ってる感じがあるよね。


かといっても思い出してみると無駄ばっかなんすよね。学校の生活なんてっつーかリベラルアーツなんて時間の無駄だよね。そんなのに時間を取られるぐらいだったら数学の本を読んだりしてたほうがいいわけで、今はそれが出来てるじゃん?っつっても丸一日やれるほどでもないっつーのがまたねぇー、集中力って限られてるし、あとやっぱ飽きるんだよね。毎日同じ生活だからなんか他のもんが欲しくなっちゃう。そういう時に「うわーつまんねぇーなー」ってことになるんだよね。まさに今がそういう感じなんだけど。


あ、んでリベラルアーツなんだけどさ、まぁこれについては長くなるけどまぁあれなんだよね、押しつけでやらされるのでは全然意味ないってことなんだよねっていうかシェイクスピア読んで感想文書いてこいとかただの宿題じゃん?学問って興味があって能動的に勉強しようと思わないと全然頭に入らないじゃん?だからまぁリベラルアーツってシステム的に不可能なことをやってるんだよね。それ言い出すと義務教育とかもまぁそうなんだけどね。それこそさっきの「必要なものだけ」じゃないけど時間的な意味で経済的に勉強しようと思えば必須なことなんて限られてますよね。そんな中であれだよね、全く数学なんてやろうと思ってない人間に代数とか微積分とかをやらせるのってただの拷問だよね。逆もまた然り。理数系でいこうと思ってるのにシェイクスピアの感想文を書かされるとか地獄ですよね。


まぁなんかあれなんだよね、今は凄くその「無駄」と「必要性」ってのが凄く気になるんだよね。無駄と思っている無駄は実際に本当に無駄なのか?っていうさ、必要性はまぁ揺るぎないじゃないですか?日々の生活とか食べ物とかインフラとかさ、んでもその必要性を満たすだけってまぁそりゃー内戦とか起こってる国から見れば贅沢な話なんだけどさ、んでもまぁ実際に無駄が無いとなんかやっぱダメなんだろうなって凄く思うんですよ。っつってもあれですよ、俺は数学やってるなんつってるけど考えれば考えるほど実際は何をやってるのか分からないみたいなさ、ハイパーメディアクリエイター的な感じなんですよね。


一つの数学のジャンルの研究に興味があるわけじゃなくてやっぱりなんか哲学なんだよねっつっても数理哲学と言うわけでもなくてかといっても形而上学というほど地に足が付いてないというものでもないっていう。まぁ一貫してるっつっちゃー一貫してるんだけどね。「分かる」ってこととかさ、まぁようはこれってさっき書いたcomputationの話に繋がるわけだし、あとはまぁ認知科学的なこととかね、あとはまぁやっぱ現象学的なこととかもそうなんだけどそういう関心があることを知るためのものとして数学を勉強してるっつーのはあるよね。んだからやっぱあれなんだよな、そういうのに関係ない数論とかはやっぱり興味無くなるねっていうかまぁ向いてないしそもそも数論的な意味での数学の才能はほとんどゼロだと思うわけよ。俺。ホント、ダメなんだもん。向いてないことをやっても無駄だからね、そこはもう自分の限界だと思うしかないよね。


っつってもあれよ、研究なんて段階に至るのはいつのことか分からないよ。数学なんてそれこそ本格的に取り組み始めて3年ぐらいじゃん?ここ数年でようやく割と高度なものにも取り組むようになったってだけでまだ段階としては数学の基礎を身につけてる段階だよね。数学で研究をするなんてホントにいつになったら出来るのかさっぱり分からないってぐらいだよね。研究者ってマジで普通の生活とかもあるだろうにどうしてんのかな?っていつも思うんですよね。


あ、んでもね、あれなんだな、圏論とかトポスとか代数幾何とかさ、そんな中でね、計算系の話も特にラムダ算術みたいな意味で余裕で同じジャンルなんだよね。もっと言えばプログラミング自体がほぼ同ジャンルと言える。いや、逆か。圏論がプログラミングに役に立つって話だからね。それで言うとまぁとことん自分が割と得意でやってるジャンルって全部こういうもんなんだよね。トポロジーとかね、言わばまぁ関数系っつーのかな?カテゴリー系っつーか集合論系っつーかなんつーか。あとはまぁ証明論とかもまぁ論理学自体にはあんまり興味ないんだけど世界観を圏論とかもっと広く持つと狭い論理学っぽい世界のものもその関連性って意味で凄く魅力的に思えてくるんだよねっつってもまぁ実際はどうなのか分からないけどねっつーのはさ、これ以外にやることないからなるべく興味を持とうと必死なのかもしんない(笑)いや、関係性はありますよ。客観的に。ただどこまでが本当に好きでやってるのかがよく分からないってことね。


ニヒリズムを覆い尽くすために数学っつーイデアの世界の光を使おうとしてるんだかなんだか、なんかこれってごまかしなんじゃね?とかって思ったりもするのね。興味があるように振る舞ってるだけっつーか数学的なものにコミットしてるようなポーズを作ってごまかそうとしてるだけなんじゃないか?って思うことが最近多いですよ。ええ。まぁでも大して興味無かったらさすがにここまでやれるはずがないんで好きではあるんだろうけどね、ただまぁなんか消極的な理由で言うとこれが無くなったらもうホントにやることないし生きてる意味ないなって思ってるっつーのは大いにあると思うんですよ。さっきの必要性と無駄の話で言うと自分の中では数学は必要性なんだけど実際は位置づけ的にニヒリズム的な立場から無駄のものを必要性だと思うようにして生きてるのかもしれないなってことですね。なんかそうなると自分の情熱とか内発的な動機付けとかってことに疑いを持たざるを得なくなるんだよね。なんかただ生きるために数学にしがみついてるだけっていうかなんていうか。


そう思うと自分は必要性だけではなくて数学っていう無駄も持ってるじゃないか!って話になるんだけどさ、でも自分の中で数学って唯一の意味論なんですよ。有意義だと思えることなんですよね。それが必要性ではなく実際に無駄なんだとしたら元々そもそも生きてる意味がないってことになるんだよね。まぁ意味論的に必要なんだったらそれでいいじゃんってことになるんだけど、まぁ変な話、衣食住とかインフラってのが必要性で他は全部無駄・・・ってことにもなりかねんよね。いや、そもそも人生自体が無駄なんだっていう。だから逆なんすよね。人生っつー無駄の中の必要性がインフラなんだよね。インフラがあって人生が無駄ってことじゃなくて。


なんかそう思うとさ、幻想ってやっぱ大事だねぇー。いつかは海外の大学に行くんだ!とか、頑張って働いてかっこいい車に乗るんだとかなんだとかさ、欲望の向かう先を作る幻想だよね。そういうのがあったほうが実際は気分的に楽ってまぁ皮肉なことですよね。いや、だからホントに二次元カルチャーとかアイドルカルチャーとか馬鹿にできないんだよね。ホントに切実な意味での実存的な問題じゃないですか?これって。いや、数学だってそうよ。まぁ実際の数学には影響はなかったにせよゲーデル不完全性定理ってヒルベルト的な考えから見ればやっぱショックだったわけよ。当時のヒルベルト周辺の人たちとかがあえて話題に出さなかったぐらいゲーデルの結果ってショッキングだったわけで。これって幻想の破壊じゃないですか?危機ではないんだよね。全然危機ではない。あるとすればヒルベルト的な考えを持ってる人たちの実存的な意味での危機でしょう。


foundationの自明性とは関係無しに体系では体系のものが行われるってまぁようはこの無駄と必要性の話なんですよね。foundationのレベルでは無駄とは言わないまでも自明性なんてあったもんじゃないわけだよね。でもまぁ生きるための必要なものっていう必要性は自明性とは関係なく勝手に存在するものだよねっつーかそれが体系なんだから意味も何も関係ないじゃん?foundationが自明じゃないから無駄ってわけではないんだけどね、ただまぁなんつーのかな、情報の量が多くなるとこのself referenceの精度が上がるっつーのかな?なんかそのself referenceを行わせないための色んな装置が幻想とか物語ってことなんだと思うよね。宗教なんて最たるもんだけど。とりあえずfoundationが何なのか分からんけど、それは神によって決められてるって片付けちゃえば楽だもんね。カルヴィニズム然り。あとはそのawarenessっつーのを色んなものに向けさせるための装置としての幻想とか物語ね。何も無くなったら結局は自己に行き着いたりするわけだから、そんな風にならないために色んなごまかしが存在するんだよねってまぁ80年代のオウムの教義ってこんな感じだったんだよね。理系の人たちが多く帰依したっつーのもやっぱりそれなりの論理性があったからだよね。


まぁんで新しい物語を作ろうじゃないか!ってなるとまぁカルトが出来たり教祖様が出来たりするんだよね。カルトが流行るのってようはこういう構造だよね。依拠できるものがなくて不安っていうね。なんかさ、消費っつーのもコミットの対象と考えると一種の宗教みたいなもんだよね。今の日本は脱宗教化されてるっていう。まぁそんな中でアイドルだなんだっつー宗教があってやっぱそこにはお金は流れるんだよね。ようはそれが物語とか幻想を担保するもんだから実際は実存を防御してるわけだよね。消費することで自分の実存を守ってるっつーのかな。好きなことがある人ってまぁようはそれによって実存が保たれるっていう強い装置を持ってる人ってことだもんね。だからまぁそういう人は強いでしょう。で、俺も強い人だと思ってたんだけど意外とそうでもないっていうことが最近分かってきたって話ですね。あとはまぁ装置だったものが勝手に自分の中で壊れていくっつー感じかな。そんな感じで常に色々と葛藤しながら生きていくってしんど過ぎてやってられないっすよね。まぁだから思考停止っつーのは一つの生き方だとは思うんだけどね。まぁ俺はそれは肯定できないけども。


なんかまぁこの辺でいいかな。あ、んで最近読んでる本なんだけどね、あ、まだ届いてない本もあるんだけど特にあれなんだよね、チューリングの本ですげーヤヴァいのが出たんだよね。



↑これね。


あ、んで書き忘れ。まぁようはあれなんすよ、究極的な目的みたいなテロスがあれば再帰性からは逃れられるのよ。いや、その必要性と無駄の話で今の俺が陥ってるような状態ね。んでもそれが見えないわけよね。卑近なことで学校でどうしていくか?みたいな話が無くなった分、んじゃあ数学で何やるの?っていうそれがダイレクトに問題になってて、んで実際にやってることは数学なのか哲学なのかよく分からんことをやってると。まぁ無駄とは言わないまでもペシミスティックな意味では形而上学をやってるだけかもしれないし、あとはいつも恐れる馬鹿の考え休むに似たりだよね。知りたいという志は評価できるがお前程度の知能ではどう足掻いても理解できない問題であるってことね。ようは努力だの積み重ねだの以前の問題のハードウェアの問題でそれがダメだったらまぁ無駄でしょうってことにもなりかねないってことね。それは恐れててもしょうがないけどなんかそれが常に心にあるわけね。っていうことでした。