ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

foobarhogeさんへの返信。その2。

foobarhoge 2013/11/10 04:27


いやー、ここまで褒めていただけるとは思ってなかったのでうれしいです。


というか耳蝉さん頭いいですね(笑)


いろいろ書くと長くなるので具体例を省いたエッセンスの部分だけを言ったので、理解してもえるかどうか心配でしたが杞憂でした。


あと厳密には代数系でも群ではなく、逆元はないので群にはならないですね。半群ですね。剰余群も剰余類ですね。概念を半群代数系とみなして、概念そのもののイデアルで剰余類を作ると文章になると。僕が見ているこの概念そのものはシンプルなのですが、言葉にすると...うーんわかりにくい。


音楽も代数系になる、というのは新しい視点でした。あと過去のエントリにも書いてあるように、考えてみれば確かに言葉の表現系って数学ほど純度高くないですね。概念そのものを指し示していないというか、ようはその振れ幅みたいなのが人によってすごい大きいんでよね。あとコンテキストに依存するというのはまさにその通りだと思います。


それにしても、僕が言いたいことを完璧に理解していただけたのでありがたいです。


多分僕は耳蝉さんが思っているほど高度な知識は持ってなくて、この概念に気付いたのも最近なんですね。具体的に言うと 2週間ぐらい前ですけど、その時群論の最初のページの方の剰余類で詰まってしまったんですね。まぁ普通の人はなぁなぁにして先に進むのかもしれないのですが、僕は気になったのでいろいろな本を20冊ほど図書館から借りて調べるもやっぱ分からない。で、しょうがないから自分の頭でずーっと考えていて、あるところで気付いたんですよ。僕は代数学って数の性質を調べる学問だと思ってたんですが、実は演算についての学問なんだって。だって+, * って書いてあるから数の学問だと思うじゃないですか?でも違うんですよね。その演算が働きかける対象としては何でもオーケーみたいな。その時、一緒に言葉の本質というか性質みたいなのも一気に分かって、概念としてみれば素因数分解も文章も同じ、みたいなことをすごいトップダウンで理解できたんですよね。(対象をより単純なイデアルに分解する、という意味ではどちらも一緒ですよね。)


話が少し変わりますが、今お風呂で考えて思いついたのですが、それで言うとブルバキがやりたかったことって、数学概念の素因数分解だったんじゃないでしょうか。(ちなみに僕はブルバギ読んでないですが。)


例えば計量ベクトル空間であれば、その本質って集合とその集合上の演算と測度っていう概念に分解できると思うんですよ。


計量ベクトル空間 = 集合 + 基本代数(共通集合, 和集合) + 測度


みたいに素イデアルに分解できじゃないですか?あくまで数学的概念としてですけど。


まぁ計量ベクトルを測度から定義する本に出会ったことはないですが、内積の線形性ってそのまま測度の加法性に対応してますよね。ベクトル空間をヒルベルト空間まで拡げれば測度の完全加法性に対応してますよね。内積と測度を結びつけた議論を見かけたことがないのでここらへんはもしかしたら間違ってるかもしれませんが、でも多分あってると思います。


同じようにして、トポロジー微分幾何リー環やなんかかんやの数学概念も "数学概念の素イデアル" みたいなものに分解してそれの加法で表せますよね。


でここで言いたいのは、"数学の表現" 自身にも数学の概念が(数学概念を素イデアル因数分解するという形で)働きかけているってことですね。群は何かに働く作用として理解できますが、群も群自身に作用していますよね。数学も数学自身に作用してんじゃん!みたいな感じです。


こういうダイナミズムみたいなのは、耳蝉さんみたいに数学を数としての学問ではなく概念として学問として理解していないとなかなか見えてこないと思っています。


計量ベクトル空間の内積が線形性を保つのは内積が測度を表しているからなのか、って発見したのは実は今日なんですが、ホント数学ってすげー有機的につながってますよね!!!だからやめられない!


ちなみにこんな感じで数学のエントリはいつも楽しく読んでるので、
もっといろいろ話を聞かせて下さい(笑)


foobarhoge 2013/11/10 05:29


ごめんなさい、あともう一点だけ。


この、"より単純なイデアルに分解する" って、僕の中では還元論として理解しています。イデアルに分解するとなぜうれしいかって、イデアルは閉じてるからですよね。イデアルの構造さえ知ることができれば、あとはその共通集合をとって "複雑な対象" の性質が分かるので。つまり複雑なものは分解して考えろってことです。


詳しくは知らないのですが、デカルト方法序説で、"検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること" ってこれまさしく還元論ですよね?


なので、デカルトが見ていたそれと、僕が見ているそれは概念的にはほとんど同じだと思っています。こんな風にして考えると、本当に哲学と数学って近いですね。


ただし還元論で全てが完全に理解できるとは思ってなくて、例えばフラクタルとかそうですよね。フラクタル的な対象をより単純な要素に分解して、理解が深まるか?っていえば違いますよね。まだきちんと勉強していないので分からないのですが、おそらくフラクタルみたいなものに還元論や僕が今勉強しているような代数学のツールって適用できないと思っています。


最後に、耳蝉さんは数学は心で理解するものって、部分は完全に同意ですねー。というか形式的な公理主義ってほんと意味ないですからね。あと、"数学的概念のフレームワーク" ってワードもいいですね。というか、多分概念装置として数学を捉えてる人って実際のところ僕は少ないんじゃないか?って思っているんですよね。というのも常々思うんですが、数学って厳密性が絶対条件みたいになって"数学的概念のフレームワーク" みたいなことは初学者にはほとんど見えてこないんですよ。あとはやっぱ教科書ですよね。厳密ベースもいいけど、概念ベースの教科書って日本語の本だとほとんどないじゃないですか?正直これってどうなの?って思います。まぁ僕が頭悪いだけかもしれませんが。


あとは周りの人見ててもそうですが、抽象的になるに連れて思考が停止してただの記号処理しているだけ、とか多いですね。過去の自分もそうだったんで分かるんですが、公理主義やただの記号処理装置として数学をすることほど苦痛なことはないですから(笑)


いや、本当に話が通じ合うってそれだけで嬉しくなりますね。マジで。これも何気に数学だからだと思うんですよね。言語というよりも概念自体の話をしているので、仮に僕の説明がヘタクソだったとしても概念で考えられる人には伝わるんですよね。そういうわけで僕も今回はエッセンスだけを書いて無駄に長くならないようにしますね。


代数学が演算についての学問というのはその通りだと思います。その側面がもっと如実に出ているのが圏論だと思います。で、代数と演算なんですが、基本的に群論の考え方って図形の回転なんですよね。三角形を時計回りに回すってのがその演算にあたります。逆算をすると元に戻ります。まさにそのオペレーションが計算なんですよね。僕も代数に関しては数の性質を調べるものだと思っていたので群論の基礎をやったときにはたまげましたよ。っつーか小学校の初頭でこの概念教えてくれれば・・・って凄く思いましたよ。現代数学パラダイムってとにかく楽なんですよ。煩雑なものから遠ざかってもっとスキーム的なものを扱うというかなんというか、局所的な計算がどうの・・・みたいな世界ではないんですよね。例えば線形代数とか抽象代数の発達のおかげで量子力学なんかが理論として出来上がったんですよね。


foobarhogeさんが言う計量ベクトル空間の話はまさしくこれで抽象化すると量子力学の話になると思います。特に測度がポイントですね。粒子の存在確率がまさしくそれですよね。これの場合、物理を分析していったらめちゃめちゃ話がミクロの世界になっていったという話ですが、数学の理論もまさしくそれで抽象を進めるといくつかのそれ以上は細分化できないような諸概念の組み合わせということになります。ただfoobarhogeさんがおっしゃるように数学の存在自体が他の数学の概念に働きかけるので、数学を扱う側の人間の知識の量に文節化のプロセスは依存するということになりますね。専門分野が違えば同じ数学的概念でも発見の仕方や働きかけ方が違うということですね。なので完全情報を持っている立場というのは基本的に不可知なんですよね。どうしても人間や人類の知識の量に数学の形態が依存してしまうわけです。そんなもんは放っておけないので不可能でも超越的な神の目線を得るべく色々な数学の知識を学ぶことがまさしくエロスということなんですよね。


ブルバキ構造主義的アプローチの元になったのはヒルベルトという数学者の公理主義です。数学の素因数分解はまさしく数学の公理化を意味しますね。でもご存知かと思いますが、これはゲーデル不完全性定理によって夢は打ち砕かれました。でも僕は基本的に公理主義というよりかは構造主義的なアプローチに対しては不完全性定理のような論理の自明性の話は全く関係ないと思っています。例えば哲学の構造主義でも方法論的には失敗してますが、でも構造主義的アプローチを取ることで見えやすくなったり考えやすくなったりするものがあったりして、やはり方法論として意義のあるものだと思います。Max/MSPみたいなプログラミングソフトにおけるモジュールですよね。モジュールって考え方がそもそも代数的で構造主義的なんですよね。ブルバキMax/MSPのプログラミング画面みたいな細かい要素が色々と繋がっている鳥瞰図を作ろうとしていたんだと思います。


あと書き忘れましたが、内積と測度なんかも全部量子力学の話に繋がっていきます。まぁそれに関わらず内積と測度だけを考えればこれってトポロジーですし、ルベーグ測度ですし、確率論における確率標本なんかの概念もざっくり言っちゃえばこういう部類ですね。あとは多様体ですね。でも物理や確率論になると非線形なものが出てきたりしますっていうか、あれですね、純粋数学でもアラン・コンヌの非可換幾何学などがあるので「すっきり抽象!」というわけにはいかないんですが、でもこういうものがあるおかげでTopological Quantum Field Theoryなんていう数学のパラダイムがあったりするんですよ。非可換幾何学リーマン予想なんかと関係があると言われていて物理と数学との関係がかなり明らかになったおかげで数学をやるために物理数学を勉強している数学者もいるそうです。


ところで今回foobarhogeさんが到達したトップダウンにおける理解を端的に言うなら基本的に圏論と特に層の概念だと思います。僕にしてみればこんなものに一瞬で到達できる頭脳って一体なんなの?って感じですが(笑)グロタンティークの数学ってようはこれなんですよ。


そういうわけで特に今回のfoobarhogeさんのような華麗なるトップダウンがあったりするとより一層数学が基本的には全部一つって思えてくると思います。これって凄い福音なんですよ。僕は相変わらず高校ぐらいまででやるような局所的なものをcomputationalに扱うものが苦手で嫌いなんですが、数学は基本的に一つで抽象がポイントなので抽象を極めれば数学的観点というのは広がっていくわけですし、細かいディティールというよりかは大局的な抽象という意味での大きな数学をやっていれば大抵のものは理解できるようになります。凄くないですか?これ。これがまぁ抽象の強みというかなんというか。それこそ所与の数学概念がまた他の数学の概念に作用していくので、自分の数学概念が増えれば増えるほど扱えるものが指数関数的に増えていくってことですね。


でもおっしゃるように還元が全てではないですね。ゲーデル不完全性定理などが示すように、体系外での体系化できない、もしくは見えないcomputationやプロセスなどが実際は所与の体系に作用していたり関係していて、それは可視化されようが体系化されようが、常に数学的言語に還元できない何かっていうものの存在を示唆しているわけですね。まぁ示唆というか明らかなんですけどね。foobarhogeがおっしゃる還元論というのはまさしく僕がさっき書いた方法論としての構造主義的アプローチですね。デカルトも言っているようにこれは思考の経済化ですよね。でもそれはあくまで一つの方法論でそれが全てなのではないってことですね。なんというかデフォルトでは常に哲学とか形而上学的な観点で数学を見ているってことですね。そういう哲学的なものを数学という言語で扱っているんだっていう。


そうじゃないとまさしく数学なんてただの機械的なプロセスに成り下がるんですがfoobarhogeさんがおっしゃるように教育やテキストなんかでも大抵はこの機械的プロセスとしての数学という姿しか提供していませんよね。少なくとも僕やfoobarhogeさんみたいなタイプの人間は「すげーつまらねぇー世界だ」って思っちゃいますよね。これって明らかに誤解ですよね。19世紀とか20世紀的な数学のまたそのただの側面によるイメージを一方的に植えつけられているわけで最悪のドグマですね。普通の人間だったら機械的なプロセスなんて嫌いになって当たり前なんですよ。でも実際の数学は全然違うし、めちゃめちゃ人間的なものなんだっていう。


概念ベースの教科書が少ない理由としては概念ベースで書くにはめちゃめちゃ数学を理解してないとダメなので、基本力量不足になってしまい、特に著者でも取り扱いに困っているような諸概念に関しては機械的に記述するしかなくなるんだと思います。哲学で言えば哲学の解説を原著のパラフレーズで行うみたいなことでしょうかね(笑)抽象的になればなるほど機械的に扱うしか無くなってしまうというのはこういうことなんだと思います。そんな中でマクレーンなんかの一流な数学者は素晴らしい概念ベースのテキストを書いてたりしたんですが、といっても必ずしも一流の数学者が書く数学書が良いとは限らないので、これはようは思考法なんだと思います。マクレーンは非常に概念的な数学者なんですよね。並の数学者なら避けて通るような哲学への言及なんかもガンガンにやってたりします。


あとはペンローズなんかが良い例なんですが、凄く概念的なことを数式を使わずに色々と説明してたりするんですよね。数式をガンガン使ってるほうがかっこいいようなイメージがありますが、実際は真逆ですね。数式じゃないと説明できないようなことを文章で説明しているって凄まじいことです。これは当然、フォーマットが一般書だからという理由があるにしても、フォーマルな数学ではなく生きている数学をやっているので数式の有無に関わらず説明ができるんだと思います。ただそのおかげで厳密性を欠くところもあったりしますが、そもそも概念ベースで考えている場合、厳密性なんて関係ないですよね。そんなのただの見栄えで何が思考されているのか?というのがポイントなわけで。イメージ的にはフリージャズが近いですね。


数学概念同士の作用はまさしく積のようなものなので所与の概念が多ければ多いほど分かることが増えていくということになります。まさしくこれ自体が有機的なプロセスなんですよ。生き物ですね。頭の中にその生き物を飼うという感じでしょうか。僕の目標は荘子の蝶の夢の如く、自分が数学をやっていているおかげで数学が分かるようになっているのか、頭に生息している有機体としての数学によって数学のランドスケープを見させられているのか分からなくなるぐらいの境地に至ることですね。これは僕が前から書いているハイパーリアリズムと同等のことです。でもこれを知るためには数学だけやっててもだめで、特に最近よく書いているcomputationとは何なのか?みたいなことについても考える必要が出てくるわけですというよりかは必然的に興味がいくという感じですね。


もしかしたら勝手に頭の中の数学がアメーバのような増殖を続けているだけなのかもしれません(笑)でもそれだと気分が楽になるんですよね。自分がどうというよりかは自分は数学を飼っている培養基みたいなもんなんだって思うことで実存的な救いになるんですよね。例えばゲームなんかをやってても「インキュベーターが培養の片手間に娯楽を楽しんでいるらしい」みたいな観点で自分を見るってことですね(笑)数学が有機体なんであれば勝手に増殖するわけで、僕の知識欲というのは数学という有機体の増殖のプロセスなんだってことですね。学校でやらされるような死んだ計算だけの数学ではなく、生きた数学を頭に持っていればそれは必然的に自己生成と自己増殖のプロセスを経ると思うんですよね。なのでそのインキュベーターとしての自分は頭の中の数学が健全に育つように体を維持しなければいけないということになって、これが生きる理由になったりするわけですね。


そんなわけで今回はこの辺で失礼します。