ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

小林さんへの返信。

小林 2013/11/24 22:55
いくつかエントリーを読みました 僕は恐らくあなたのいうところの日本の奴隷まっしぐらの高校生です。あなたのブログを見て世の中にはこんな考えができる人がいるんだ、自分とはまったく認識のレベルが違うな、とうまく言えませんがそんなことを感じました。すごい衝撃を受けました。ここの記事をみていると得体の知れない不安感に苛まれます不安定感かもしれませんなんなんでしょうね なぜこんな投稿をしているのかも意味わかりませんが。これからもここを見ますね。色々と刺激が得られますから。これがいいことなのか悪いことなのかはわかりませんけど。ありがとうございました。


書き込みありがとうございます。


凄くざっくり言うと、奴隷になれば得体の知れない不安感や不安定感に苛まれることもなく、ただ世の中のルールと価値観に乗っかって生きていけばいいので、そういう人間が多い世の中では他者との軋轢を生まないでやっていくことが出来るかもしれません。でも問題はそういう認識のレベルでいることをやめるとなると世の中との軋轢が生まれるということなんですよね。社会適応を目指すなら考えることなんてやめたほうがいいのかもしれませんが、今の世の中の場合、飼いならされた奴隷になったところで衣食住の安定が保証されるわけではないので、だったら考える人間になって幸福の追求をしたほうがいいに決まってると思うんです。奴隷のメリットって奴隷であるからには必ず仕事が保証されてるってことですよね。でも奴隷であることのメリットがそこまで無い今の世の中では、奴隷になることはデメリットしかありませんね。あとは衣食住だけ満たされても何にもならないというような、幸福感の頭打ちみたいな状態が永遠に続いているし今後も続くので、自分で考えながら自分の人生を作っていくような能動性が無いと先にあるのはどの道、絶望のみだと思います。そういう意味では考えるという選択肢しかないのかもしれませんね。もはやサヴァイヴするために人生に対する能動性が必要になっているみたいな状況だと思います。


例えば世代で言うと自分親ぐらいの世代みたいな何も考えなかった世代は不幸になってる人たちが多いっていう感じがしますね。まぁ何も考えてこなかったツケが回ってきてるだけだと思うんですが、基本的に何も考えないでやってきた人たちってのは既存の価値観などが壊れたりするとそのままそれがアイデンティティの崩壊になったりするんですよね。まぁ最悪なのがあれですね、今の若い世代の親ってのは何も考えてこなかった世代なのでその影響が直に若い世代に来てしまうということですね。なのでまぁ凄まじく古い価値観や今後の世の中ではとてもやっていけないようなやり方なんかを子供に強制したりするわけです。僕は常々、奴隷的なメンタリティは主に教育によって作られるものだって思っていたんですが、実は親と教育との板ばさみなんですよね。未だに若い世代にも古い価値観が根強く残っている理由が分かったような気がしました。


そういう意味ではネットって良いツールなんですよね。カビの生えたような価値観の親と教育に挟まれてても新しい価値観や認識のレベルにある人たちの考えが分かりますからね。ようはネットのようなものは親とか教育っていう狭い世界で押し付けられる価値観を相対化できるんですよね。これは本当に凄いことだと思います。情報系のメディアを使いこなせる人と使いこなせない人での極端な二極化が起こるなんて言われていますが本当にその通りだと思いますね。色んな人間が全く同じ空間に生きていても、人がアクセスしている情報空間や認識の次元によって全く違うリアリティを生きているということになるんですよね。特に自分の場合、物理空間よりも情報空間によるリアリティのほうに意識の比重が行っているので、ようはマインドセット次第でどんなリアリティでも自分で作り出せるみたいなことになるんですよね。ちなみに情報空間というのはネットに限らず学問や歴史といったものも含まれてますし、例えば歴史を知るとかって情報空間の幅を広げるみたいなことだと思うんですよね。特にそれを感じるのが数学なんですよね。知覚がどんどん拡張されていくような感覚を覚えるんです。これの凄いところは物理空間に認識が支配されないということですね。まぁそんなものに支配されてたまるか!っていつも思うんですが、僕が「オワコンの現実」と呼んでいるのは主に物理空間におけるリアリティですね。


でもこれももはやただ一つのリアリティにしか過ぎないわけで、こればかりに気を取られて絶望してばかりいるとかっていうことは本当にくだらないことなんですよね。むしろそういうクソみたいな物理空間におけるリアリティを変えられるのは物理空間と情報空間のハイブリッドなリアリティから世界を見る視点だと思っています。というかこれしかないですよね。本当に。自己啓発系の本でよく言われるようなことも言わばこういうことなんですよね。でも自己啓発系の本とかってまぁくだらなかったりするんですよね。意識を変えれば現実が変わる!って言ってもいろんなコンテキストがあるし個々によって変え方って違うわけで、むしろ重要なのって意識を変えれば現実が変わる!という事実ではなくて「現実が変わっていく」っていうシフトですよね。哲学系の用語で言うところの生成というやつなんですが、その認識のプロセスこそがリアリティを作っていくわけで「変わる」という事実は結構どうでもいい話なんですよね。まぁそんなの分かってるよって感じでしょうか(笑)


これがいいことか悪いことかどうか分からないというのは凄く言えてますよね。こういうのって明らかに既成概念とぶつかるものですし、現実のクソみたいな社会との兼ね合いを取りづらくなりますからね。奴隷らしく社会という枠組みに従順であることを「良い」こととするなら僕が書いていることはほぼ全てにおいて悪いことになりますが、当然、僕はこれは逆だと思っているんですね。というか従順であることを良いことだとしてきた価値観が作ったのが今のクソみたいな現実ですからね。もう明らかにそういうのは駄目だったっていう明白な結果が出ているんですよね。別に僕は凄まじくラディカルなシフトを目指しているのではなく、少しはマシな現実を作っていきたいと思うのでリアリティを形成する価値観の重視をしているんですね。


なんか思ったより長くなってしまったので、エントリーにして貼りました。そういうわけでまた何かあれば書き込みください。凄く励みになります。